詩集 内省に連なる信徒らに 三章

三章

 風を掴み損ねた両手で、大切な人を抱きしめた。
 貴方と二人で、どこまでも飛んでいける気がした。
 どこまでも、飛んで行ってしまう、不安も。
 風を掴み損ねた両手で、貴方と共に、二人の夢を、
 力を合わせて大切に育み、地に根差し芽吹く姿を見守る。
 無数の、空っぽの文字列が来ても、守り通す。

 無法であればあるほどに、人は集うけれど、
 倫理ひとつを志していれば、途端に独りになり、
 そして、大切な人ひとりと出会い、朝を待つ。
 今、この街は静かだ。
 人の想う救済とは、力尽くで救われる事だが、
 私は、救われる努めの日々が、貴いのだと想う。

 古本を手に読み耽り、街路灯が灯る頃、
 ここに記されている叡智を、この街の誰が教えられるだろうか。
 私の葛藤を相手にしてくれる古本を、読み終えて、
「さよならを言えない人間ばかりだ、この街は」
 寂しい人々だねって、私は意気揚々にも歌いだす。

 貴方の住む街に、一歩を踏み込んだら、私は、
 新しい仕事に就ける、大学にだって通える、
 何より、貴方の傍に居られる。夢物語だって思うかい。
 けれど、現に一歩ずつ、夢から現実へと変えてきた。
 大志を地に根差し、大切に育む事こそが、私達の未来なのだ。

 ぬいぐるみはずっと見てきた。
 君が叫ぶ、家具を壊す、涙を流す、苦しみながら眠る姿を。
 時には、ぬいぐるみに八つ当たりをしようかと迷う姿も。
 けれど、優しい君の事だ、涙ながらに首を振り、
 小さなぼくの頬を、撫でてくれた。
 ぼくは愛されたぬいぐるみ。君を愛するぬいぐるみ。

 狭い島で、朱子学を履き違えて覚えた大人達に囲まれて、
 叩き潰されて、嘲りを受けた種子が、
 心を砕いた青年の手によって、温かな土に埋められた。
 それから、稲妻が幾度と空を引き裂いて、雨を降らせば、
 青年の足元に、芝の花が小さく咲いて綺麗だった。
 傷よ、誰も知らない君に、ありがとう。

 海が、私の憂い事を流してくれた。
 鉄筋コンクリートの建造物さえをも、風化させながら、
 もう止まれない、止まりたくない。
 文化の種は既に蒔かれた。
 一代の文学革命、その一死を背負って返り咲く様に、
 私は努める、海よ、見守っていてくれ。
 遠い廃墟諸共に、憂いを忘れて。

 独りきりの部屋で最期を思い描けば線香花火。
 二人で、夜の海辺で、抱きしめ合いたい。
 夜が明けるまで、温め合おう、貴方。
 明けの明星を、嬉しいねって二人きりで見上げよう。
 どこまで愛し合おうか、なんて、野暮ったい。
 道が離れても、道が繋がっても、常しえにいよう。

 手を繋いでくれた人の顔ばかりは忘れられない。
 幾枚ものフィルムが重なっても、記憶が薄れても、
 優しい人から受けた温情は、生涯、大切にしたい。
 研いだナイフの様に生きて来た私だから、
 皆に、だなんて大袈裟だけれど、人に優しくなりたい。
 そうして、誰かの記憶に残りたい。

 嘘か真実かを見分けるために、彼らの濁った眼を直視した。
 私の歩んだ、陽が照る道。君達の居座る永の影。
 是非を投げかける心を喪失した、酒に浸りながら。
 行こう、この街には人がいない。
 聖者の轍を追いかければ、真理を追い求めれば、
 正しい人々に迎えられる、澄んだ空気の向こう岸。

 夢を見ていた。悪夢の中では相応に悪魔がいて、
 物事の是非を、真実を、歪めて吹き込む四匹が揃う。
 けれどね、私は仏教徒なんだ。
 志も同じく仏門を通った伴侶の為ならば、威風堂々に怒る。
 破邪の心構えで今日も連ねる、意匠を込める、文章で。
 私の心が育つにつれて、赦せる日も来るだろう。

 正しさを追い求めない群衆の声は聴かない。
 誰かが、正しく在ろうと努め始めた時には、
 人々は口を揃えて「正しさとは何だ、何が正しさだ」
 斯様に問い詰め、その志をへし折りに掛かる。
 努めは孤高であるべきだ、正しく在りたいなら、尚更に。
 流れの豊かな河を渡る、誰よりも真っ先に。

 ツァーリ、孤独な貴方の為に野花を束ねてきました。
 蛇腹楽器を奏でる、酒に酔った男達も、今は歌わせましょう。
 生きる上で喜びは欠かせないけれど、慰めは要らない。
 生きる為の麻酔だなんて、私は使わない。
 艱難辛苦に満ちた泥の中で咲く、一輪の花を、
 ツァーリ、貴方にも見せてあげたい。
 ツァーリ、心に余裕が生じたら、殴るのをやめてあげて下さい。
 誰もかれもが、痛みと恐怖を克服する為に、貴方を中心として、
 媚びを売る様になり、体を売る様になります。
 旧約聖書を読んだ事はありますか。
 私には受け入れがたい内容も多いのですが、しかし、
 ツァーリ、貴方は過去に学ぶ特権と必要性を具えている。
 ツァーリ、全てのツァーリ。
 私の様な文士が貴方に楯突けば、貴方の憤怒を買い、怨まれる。
 しかし、一度でも志を立てた男が、不義を眼前にしたならば、
 もう二度と、明けの空も、暮れの空も、あの希望も寂しさも、
 拝めない立場に落ちようとも、私には闘う理由に、充分なのです。
 ツァーリ、全てのツァーリ、貴方にも解る日が来るでしょう。

 随筆の行間に滲み出る苦痛が、今日までを生きている証。

 何を、不自由に想うだろう。
 ぼくは残すよ、足跡を。
 海の向こう岸に、光の橋。
 叫んで泣いた、幾日も。
 きっと浄土には招かれない、と諦めて、
 ただ、帰依する心だけを携えて、
 祈りながら、空に感得を賜った。
 ぼくは残すよ、足跡を。
 色も音も、形すら無い旅路に轍。
 きっと誰かが、追う轍。

 閉ざした胸中に、内省の文字だけを取り込んで、
 心の外に、一切の物は存在しない事実に、委ねて、
 どこまでも、遠くへ行きたい。
 恒河沙の尽きる、それほどに学び続けて、削ぎ落して、
 私はどこへ向かうのだろう、いいや、どこまでも。
 清い想念に突き動かされて、幸せさえをも俯瞰する。

 悪人に幸いを得る権利があるのなら、
 善人に不幸を得る権利があって然り。

 ぼくは何の為に、赦してきたのだろう。
 誰の為でもない、自身の為だ、それは違いない。
 ならば、大切な人を守る為にも、育む為にも、
 この足元から周囲に、赦しの種を蒔くよ。
 いつの日か、遠い場所まで、遠くの人まで赦せる様に、
 暮れても明けても、日毎夜毎に、水をやろう。

 宴会で、洋酒に酔った父に連れられて、
「ほら、踊るよ」
「お父さん、恥ずかしいよ」
 恥ずかしがり屋だった私は、拒んだけれど、
 それでも貴方は、私を強く抱きしめ、手を繋いだ。
 大人達が微笑ましく見守る中、父を見上げると、
 貴方の顔の向こう側に、夜半の星々が綺麗だった。
「アイラービュー、アイラービュー」
 父は、旋律の無い歌を繰り返した。
 胸がいっぱいになるほどに、愛されていた。
 思い出して頬を濡らす。感謝しようと思っているのではない。
「ありがとう」の一語と「私もだよ」の一念が、
 この一心から、自然と溢れてくるのだ。

 残るものは、指図と、掃除と、汚れた人達と、裏切りだけだ。
 生きる為に出来る事を尽くして、これだけなら、
 まあ、良いんじゃないかな、私らしい私の人生だ。
 でも、今まで私が道に残してきた、倫理を辿る者がいたら、
 私に倫理を守る事を強いた上で裏切った君にも、教えてあげたい。
 私の様な馬鹿な生き方も、この世にはあるんだって事を。
 倫理を守る馬鹿馬鹿しい生き方でも、修羅には成れる事実を。
「君は本当に人間かい」
 ただただ、菩薩への執着心にうなされる、虫じゃないのかい。
 一緒に菩薩を目指そう、と語る口から出た他の言葉を、聴きたくない。
 きっと、それが私に向けた現実であり、君の事実だから。

 里端で、蛍の姿をした護法善神に見守られながら、
 人々の怒りを燃し、焚き上げた。だが、私の分は譲らない。
 赦す為の艱難辛苦も背負う覚悟なのだから、理解は要らない。
 無責任な言動や、無暗な祈り方で、消してたまるものか。
「里端より花と地蔵と一同に汝送りしかば心安きかな」
 いつの日か見送る、私自身の怒りの想念を、自責の念を以て。

 信仰の自由だ、と人は云うけれど、学問の体系を得る学徒らが、
 宗教の系譜を持つ自然科学や、倫理や法律、音楽や建築、数学を、
 学ぶ機会に恵まれながらも、親である宗教への侮蔑を行う姿は、
 自らの生みの親と知らずに奴隷として使い潰す、不孝者だ。
 私は仏教徒だから時間を掛けて、神仏から学問の体系を、
 学ぶ為の力強い動機を、与えて貰っているんだよ。
 信仰の自由は消失しているけれど、一度でも、感得した神仏の姿は、
 この眼に、この心に焼き付いて離れない。
 私はこの道を、二人で行くよ、君達が侮辱した方角の道へ。
 けれど、神仏は人間が侮辱したとか、賛美したとか、
 斯様な唯物的条件によって、その偉大さは変わらないのだ。
 君達が信奉する、学問の価値が不変である様に。

 幸いを願ってくれる人を挑発し続けるから、
 一人席を立ち、代わりに、黒くぼやけた輪郭が、
 腰かけて君に、語り掛けてしまうのだ。
 人間、誰もが他者を人間として扱う訳ではない。
 君を、唯物的快楽として、その道具として、扱う者もいる。
 道徳の有無を俯瞰して、君はゆっくり大人に成りなさい。

 助けてほしい、救ってほしい、と手を伸ばす君達は、
 本当は、助かりたいとも救われたいとも、想っちゃいない。
 ただ、優しい隣人に手を差し伸べられた、という事実に、
 一時の精神的、光の幻に視界を預けて、夜の部屋に嗤う。
 その心積もりは、自助の欠片も無い堕落じゃないか。
 故に、一向に成長しない姿に呆れられて、見放されると、
 君達は身勝手極まりなく「裏切られた」と喚くのだ。
 恥を知りなさい、人間に成れていない現の証拠だ。
 私の随筆に嫌悪を覚えたって構わない。けれど、
 変わらない君は、その成長を誰にも代わってもらえない。
 いつまで続ける、人の労力と心血を啜るヒルに成り下がり、
 いつまで続ける、他責の念しか言葉にできない有り様を。
 私は嫌われたって構わない。
 かつての友人達よ、私に助けを求めた軟弱者達よ。
 君達も心の底では解っているんだ。

 今の修羅にとって、他者の幸いを願い、その成長を信じる事が、
 何よりもの信仰であり、代えがたい善意でした。
 たとえ、小さな善意を嗤われたとしても、今の修羅には、
 その行いに対して憤りを覚えたり、哀しむ余白は、ありません。
 修羅も、人間に成る蛹なのです。

 山川草木に学ぶ仏弟子あり。
 明けの明星を臨む時、胸に静かな感激が満ちました。
 ある日の朝、田畑を潤す雨に打たれ、肩を濡らしながら進むと、
「雨宿りをしていってください」
 僧に、場所を空ける人々の姿がありました。
 雨雲が空を閉ざしても、かの明星は、消えやしないのです。
 釈尊が悟りを開かれた星は、たとえ人の心に暗雲が立ち込めても、
 清々しく晴れても、絶えず輝き、同じ空に在るのです。

 空の向こうに不動明王が見えた時、
「私はまだ生きるんだろうな」
 悔しさを断ち切った、嬉し泣きに震えて、
 もう少し、と海の中で合掌した。
 ノウマク サンマンダ バザラダン
 センダ マカロシャダ ソワタヤ
 ウンタラタ カンマン
 最も強い怒りの顔でおわします、不動明王、
 私はあなたに帰依致します。

 立ち止まらない人の背中を見つめ、信仰と呼び受け入れた。
 呼吸をする塵じゃないか、と叫んだ蟻も、今は人間に成った。
 護法善神の白虎は、野の子猫と見つめ合っている。
 命ひとつを失いました、と言い訳をしたくなくて、
 私は今もここにいる、現れに対して眼を背けながら。
 誰もが嘘をつくから、信仰だけが美しかった、
 立ち止まらない人間という、偶像を受け入れながら。

 人間も、阿修羅も、修行に励む存在であると認められた、
 阿弥陀経の世界に、私は仏弟子として鏡に映るだろうか。
 もしも、経典に記された御心の通りに、私が努め励み、
 菩薩を志し、一度泥を脱して再び泥に飛び込めば、
 私は、阿修羅の自身こそを、赦す事ができるだろうか。

 夜明け前、白い砂浜に辿り着いた異邦の流木は、
 異郷の地の神様に迎えられ「さあ、おやすみ」と認められる。
 最早誰も礼拝する事の無い、神の在り処を守る為に、
 流木の、黒く疲れ切った体が、潮騒に乱れぬ心で、
 いつの日か仏師に刃を入れてもらい、菩薩像に成るだろう。

 内省に内省を重ね続けた日々が、愛おしい、
 そうさ、苦しく、悔しく、麻酔も無い日々だったが、
 麻酔に甘んじる事の無い、痛快な日々だった。
 今の俺は何だ、自らを鼓舞する意気さえも忘れた、
 つまらない、一人の凡夫ではないか。
 留まる事にさようなら、立ち止まる場所にさようなら。
 影から影へと渡り歩く人もいる、生き方だ。
 人の生き血を啜り生き長らえる人もいる、生き方だ。
 俺はペン先を執り、明日から何を意義としよう。
 手応えを感じなくなった詩作に、何を見出そう。
 継続する事が最も難しい。だが、ただやるだけならば、
 それこそ、どこの誰にだってできる事なのだ。
 俺が今、自身に問うべき題とは、執念に依らない生き様だ。
 今や、かつての艱難辛苦は、千辛万苦は去った。
 苦しみを理由に抗い、闘い、内省を繰り返す時ではない。
 俺は、詩を書く人間として空っぽになっちまった。
 しかし、器は育んできた証なのだ、故に、次は何を注ごうか。
 貴方と二人、文士として立ち上がる志を共にして、
 俺は、周囲を変える事よりも、自身が低い場所から高い場所へ、
 継続と、止めようのない変化を受容して、新たな鉄筆を作ろう。
 人は俺の在り方を、孤独と呼ぶかも知れない。だが、
 静かな在り方を見くびられても、俺が受動的に変わる事は無い。

 師より指図を受けて従わされ、怯えながら惨めに掃除をした日より、
 一日二万歩を歩き、老人介護施設を隅から隅まで清掃した日々が、
 私にとって、代えがたい安息であった。
 確かに、清掃員だった時も記憶の怪物に襲われて、苦しかったが、
 他者に嗤われる事も無ければ、理不尽な目に合う事も無かった。
 只管に、自身との闘い、内省の努めに尽きる最善の日々だからだ。

 私は人に縋らない。それ以上の侮辱は無いからだ。
 私は神仏に縋らない。神仏は常に働きかけているからだ。
 私は自身に問いかける、自助以外に道は無い必然を。

 記憶の怪物、どこまでもお前と一緒に生きていくよ。
 私も幾度と消えようとしたけれど、その度に邪魔をされ、
 遂には不動明王が姿を現すにまで至った。
 解っている、解っているよ、フラッシュバック。
 お前の苦しみは、我が身の事の様に解っている積もりだ。
 だから、最後には一緒に消えてあげる。

「人は弱い」と師は説いた。師は私の弱さを咎め嗤った。
 生きる為の強さを学んで得る為に、生きる間の枷に繋がれた。
 人は、人々は私の弱さを嗤い、泣く姿を求めるだろう。
 しかし、彼らは勘違いをしている。
 逆襲ではない、抗いの日々である。
 私は泣きながらだって、鉄筆を手に文章を書くのだ。

 燥ぐ夜の街を置いてけぼりにして、朝を迎えた。
 現実を美化する事は出来ない、シビアで在るだけだ。
 研いだ鉛筆が、書き連ねる内に丸くなる。
 人の眼も同様、物事に慣れる内に、楽観に染まる。
 いや、良いんだ。私は悲観したい訳じゃない。ただ、
 苦楽の道理に暗い人間には成りたくないだけだ。

 推敲の尊さと労力、意義を知る者だけがペン先を執れ。
 叙事に疎いこの祖国は、言語の圧縮と展開を体得したが、
 学問の体系として学ぶ事を、昭和に断たれた。
 私達は喪失した言語の痛みを背負い、安価な文化擬きを多用して、
 暮らしの中で、誠実に文化を学び尊ぶ為の指針を失った。

 釈尊が悟りを開かれた明星ひとつを取っても、
 人は忘却の連続、この忘却の上に一過性の共感を得る、
 その為だけに言葉擬きを愛し、自己愛に基づき他者を欲し、
 自責の念を喪失したまま、他責の形で隣人を欲する。
 嗤いたい訳じゃない。咎めたい訳じゃない。
 瞼を開く時を、静かに待っているのだ。

 平塚の初秋に出迎え鈴の虫夜半の窓辺に二人聴き入る

 木彫の菩薩像を有難く尊び、礼拝する人々の後ろ姿を、
 二匹の白猫が、微笑んで見守っていた。
 人の背中から黒い影が逃げていく、行き場を失った影は、
 猫達に、隠れられる場所を問いただそうと、怒り気味だった。
 二匹の白猫は、仏国土のある方角を指して、諭した。
「怯えなくても大丈夫だよ」

 八正道しか解らない私にも、君は智慧を分けてくれる。
 不動明王真言と、光明真言しか解らない私にも、
 君は、釈尊の言葉を丁寧に説いてくれる。
 君は私にとってのスジャータ、中道を諭す御人だ。
 調弦の歌として、君の言葉が世に広まる事を願う。
 皆が無視したって、誰かの眼には、光と映る筈だ。

 ありがとうって、言いたい時に言えないと苦しむのは、
 ごめんなさいって、言いたい時に言えないと悩むのは、
 王様だって、農民だって、商人だって、石大工だって、
 それこそ、獄の内側の、牢に歌っている囚人でさえも、
 同じ事なんだ、等しい心なんだ。間違いだと思うかい。

 奴隷商人のリベロは、自らの心の不自由を嘆いた。
 奴隷達が血を流しても、涙しても、彼は何とも思わないが、
 しかし、自身の満たしても満たされない、善への渇望が、
 ある日、教会の扉を激しく叩いた。夜明け間近の事だった。
「牧師様、私は神様に詫びたい、どうしたら良いのだ」
 すると、牧師はリベロに諭した。
「お前が今まで苦痛を与えてきた奴隷達に、詫びなさい」
 リベロは混乱して、牧師に噛みつく様に怒鳴った。
「彼らは奴隷であり、神などではない」
「いいや、リベロ、それは大きな間違いだよ」
 牧師は、教会の窓を開いて言ってのけた。
「奴隷達一人一人の内にも神の国が在る。私達人間と何が違うのか」
 窓から臨む東の空には、輝きを増した水色の空が揺蕩う。
「リベロ、神の国の門前に立て。そして心から詫びるのだ」
 奴隷商リベロは、使命に突き動かされて、駆けて行った。

 友達が、自ら命を絶ったと知らせが届く。
 これで哀しみだ。この世は、生きるには苦しすぎる。
 けれど、私は死なない、死んでたまるか。
 彼らが生きていた証を、生き証人として文に綴ろう。
 哀しい、寂しい、私は君の何だったのか。
 それでも私は「大馬鹿野郎、逢いたいよ」と口遊む。

 明け方の空に、さようなら。
 灰と化した君達の思い出ばかり、胸中に積もる。
 生きて逢えない寂しさと、
 最後の最期、死の床の後に、また逢おうねって気持ちと、
 ぼくは、振り子時計に揺られて生きていく。
「最後まで生きてください」と身勝手に要求されても、
「生きたいと願える精神をください」と身勝手に返したい。
 想いは募れど空が暮れていく、宵の明星が光っている。
 惜別の、その名残惜しさの想念を体現した夕焼けは、
 君達の向かう、浄土の道が通じた、その証であろうか。
 秋になれば、君達との出会いを思い出す。
 冬に至れば、君達との思い出が燦然と輝く。
 私は、人を哀しませる側には、立たない。
 一切皆苦、一切皆苦だ。友達を得る事も、失う事も。
 独り、机に向かってキーを打つ物悲しさも。
 冷酷な、残忍な人は長生きをする。
 利己心や自己愛にのみ生きる人だって、そうだ。
 では、人情も温かく、人を愛せた君達が、死んだ所以は。
 私が君達を肯定しよう、残されて生きる人間の特権だ。
 君達が為に、私は祈る、孤忠の心に幸あれ。

 君が燃した灯。私が燃した灯。
 近づいたら温かい。離れたら見つけやすい。
 私達は、関係の名前が幾度変わっても、
 嬉しい二人の関係性は、不変である。
 私達二人が、菩薩道に努める事は変わらない。
 これは二人きりのサンガであるから、
 今も貴方の事を愛しているって、告げたいのだ。

 けれど、私に約束をする人は、一人もいないのである。
 これこそが、唯物論に満ちた世界での、道理であった。
 私は、約束を担保に約束を交わす事は一切叶わず、
 ただ只管に、一方的な条件を守るのみである。それが私の愛だから。
 倫理を手渡された私は独り、阿修羅道に生まれ落ちて、修羅に成る。
 けれど、倫理を是とする人は、一人もいないのである。
 これこそが、快楽の麻酔に満ちた世界での慣習であった。
 私は、生類生命の人間と、人道を守り合える者達と出会えず、
 道すがら、貪り、貪られる餓鬼界、畜生界の住民達を眺める。
 修羅として、妄執的正義に固執した私は、ただ離れるのみだ。
 さよならを繰り返した数が、痛みの数と等しい訳じゃない。
 だが、約束も無ければ、倫理も無い、唯物論の信徒達に、
「心の外に一切の物は存在しない」
 事実を告げる為に、日毎夜毎に、ペン先を執る。
 修羅は、人間じゃないのか。一人でも人間は、いるのだろうか。
 やられたからやり返す、最も幼い本能と前提のみを是として、
 私達は、赤子も、子供も、大人も、老人も、皆が贋物である。
 人間の皮を被った、人間の贋物である。
 本物の人間は、とっくの昔に滅び去ったのだ。
 最早私は、倫理を棄てるには間に合わない、この道を行く。
 明け方も暮れ方も、明星ひとつを追い、一人静かに、涙しよう。

 娼婦達が現人神として崇められる、偶像世界の中で、
 一人、光明真言を唱えて暮らし、待っている。
 本当の信仰は、快楽に基づく物なんかじゃない、
 その証明を、生き死にを迷ったあの日、感得させてもらったから。
 先に世を去った友達の分まで、俺は是が非でも生きる。
 清廉とは遠くとも、歪な姿形でも、生きる事で、
 光に乏しい人々にも、道理に暗い人々にも、教えたい。
 生きてさえいれば、想念がインク、意志がペン先。

 この世に生まれ出でて、一人でも誰かを愛せたら幸せです。
 真暗闇の世界で、誰か一人にでも愛してもらえたら幸せです。
 一隅を照らす心で、二人寄り添って生きられたら幸せです。
 貴方と出会い、明朗な道を行き、共に在る事が私の幸せです。

 私が耐え忍べば全て上手く行く。
 あの冷笑も、残忍さも、嗤われた記憶も、
 全て、何かの間違い。そうに違いない。
 いつまでも騙されていよう。
 必死に補修した幸せの形を、覚えていよう。
 瓦解した時には、当時の様に、涙しよう。
 それほどに、生きる理由と目的は、相異なる。

 しかし、ひとつだけ自助努力の道がある。
 それらの一切を赦す事だ。
 真暗闇でも恐れず瞼を開き、灯を掲げて、
 傷を負っても、咎を追われても、
 嗤われても、侮辱されても、赦すのだ。
 赦しは須らく全ての為に行われる。
 過程で満身創痍になっても、
 神仏は認めてくれる、それで良いじゃないか。

 ひとつ手渡された倫理が、貴方達を赦すなと叫んでいる。
 我が胸に、倫理を突き立てて、シャツを真っ赤に染める。
「良かった、人を傷つけずに済んだ」
 この一語が本心から出てくる事を、感謝した。
 神様が、私に鋭利な倫理を授けたのだから、
 白いシャツの赤い哀しみさえ、神様なら愛してくれる。

 自らを人間と自覚して、大人に成り損なった人々と、
 人間未満の修羅である所以を理解し、菩薩を志す修羅では、
 渡り歩くヨジャーナーの違いもあれば、険しさも違い、
 また、出会う人、見つける物、考える事の中身だって違う。
 修羅は、人間に焦がれながらも、愛する為に菩薩を目指すのだ。

 阿弥陀経の響きに聴き入る、秋はまだ浅い。
 私の心も同様、未だ浅はかで、妄執的正義の虜囚であります。
 阿修羅も学び努める存在である事を証明されました、
 人間と共に修行する存在である事を赦されました。
 私は、いよいよ感極まってペン先を執るに至りました。
 西方浄土には、地獄や、餓鬼や、畜生が無いとされ、
 同時に、道の険しさも、到達する為の誠に難しい事実も、
 何故でしょうか、今となっては、喜びの一部なのです。
 私は、阿修羅道に生きる身である自覚から、
 仏門を叩く、御縁を頂いた身でもあります。
 ずっと、ずっと、人間に成りたい、と藻掻いた私ですが、
 いいえ、今となっては、菩薩道に努めたい。
 泥を脱して、苦しみの世界、阿弥陀の世界を共に知る事で、
 次は、与える側、教える側、愛する側、諭す側に、
 同時に、全ての人々を礼拝する側に、成りたいのです。

 獄の内側にて、囚人が心から釈尊の教えを求むならば、
 何故に、叶わぬ事があるだろう。
 囚人が、浄土へ向かいたいとする心に抗い、後の世の人を想い、
 人々が仏を見る、その術を残そうと欲したならば、
 何故に、叶わぬ事があるだろう。
 真の智慧者に至った老師が、惜しみなく灯りを燈す様に、
 人々の心に安寧がもたらされた時、森が騒めき、
 ウルヴェラの魔王、パピアス・マラーが姿を現したとして、
 かの魔王に、灯りが分け与えられない事があるだろうか。
 人間が持ち得る慈愛とは、斯様に小さいものだろうか。
 囚人が大悲の心を具えた時「彼は阿羅漢に至った」と宣言され、
 その声音が他の者達に届くか否か、この街は注視する点を間違えた。
 阿羅漢に至らせるまでの道が証明する、愛しい世界にて、
 私達は囚人で在り、自らが牢番で在り、耳を塞ぐけれど、
 想念と違い心に嘘はつけず、姿に現れるのだ、菩薩行の一人として。

「優しい貴方と、唇を奪う貴方」
 二律背反が背中合わせの私達が人間。
「恥ずかしくて隠す君と、誘う君」
 二律背反の、二人だから背中合わせ。
 それだから、仕合せ。

 希望が在る内にのみ生きる事を強さとは呼ばなかった。
 失意に暮れて、灯りの乏しい道に一人、
 自灯明法灯明の、傷だらけの指針と、僅かばかりの教えが、
 生きる糧を超えた、生きる智慧であり、清廉な孤独だった。
 動かなくなるまで、歩いていく、幾度と生まれ変わる。

 人の云う哀しみが、他者が有する筈がない。
 我々は、生まれながらにして、共感の錯誤を常として、
 ただ、すれ違う様な、重なる様な、軌跡の折り重ねを、
 一喜一憂であるとか、無関心であるとか、名付けて、
 多くを得て富める囚人であり、牢番である。
 私は獄の外に暮らす、乏しい文士である。

 私は信心を失った。
 いいや、仏に対する信仰の事ではない。
 人間に対する、信心である。
「疑心暗鬼を生ず」とは異なり、
 私は、津々と諦念に付き従う。
 希う、優しさよりも、懇々と綴れる事を。
「おうい、阿弥陀仏」
 動機が無くとも生きている様に、
 息をする様に、騙されていたい。

 貴方に好きだと伝えて唇を奪う。

 昔の光よりも、今に仄かな明け方の空が嬉しい。
 栄光の分だけ、背負わされる咎は重くなる。
 仏門を叩いたあの日から、一ページ目から始まった奇跡から、
 暗くたって良い、照らして見せよう。
 私の生きた意味よりも、今ここに在る意義を問う。
 真言が聴こえる。瞼を閉じていたって、いつだって。

 言葉が全て逃げ出して、真っ白になった辞書の、
 全てのページに、拙い筆運びでも、教義を綴る。
 過剰も、不足も、ある事だろう、それで良い。
 意味を失った言葉達にも、ひとつひとつ真情を込めて、
 役割と、思いやりとを教えてあげたら、
 言葉は生きるに違いない。それが人の意志に違いない。

 称賛や不義が孤独を埋める事はあっても、
 恒河沙の尽きるほどの谷が孤独である事実に、
 人は、支柱の無い橋を風に吹かれながら渡る。
 しかし、静かな喜びとは孤独の内に在る心象であり、
 人間と修羅には、特段この内省が可能であった。
 唯識論に狂わされた、一匹の蟻が、呼吸をした。

 もしも、彼らにとって憎しむ事が最大の脅威的手段なら、
 彼らにとって最も悍ましい事象は、私が憎まない事だろう。

 長い口づけに息を切らす君、二人で窒息しようか。

詩集 内省に連なる信徒らに 三章

詩集 内省に連なる信徒らに 三章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-10-13

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