詩集 内省に連なる信徒らに 一章
一章
君の、君達の、嫉妬や、憐憫や、身勝手な怒りから来る責を、
私が赦す事はできるけれど、その咎を、自ら背負い贖罪に出る事は、
君の、君達の、一人一人が一歩を踏みでる以外に、道は無い。
誰もが、背後から罵倒される事を恐れる。
後ろ指を指される事に極めて強い嫌悪を抱く。
真暗闇での君達の、言動を私は覚えている。
私の背中は血塗れだ。怒り憎しみ、侮辱の語が、
これでもかと刺さっている。
神仏に背中を押され、道を示されて、
傷が癒える前に、私は本心を言える。
想念への恒常的観察の為の眼を持たない事には、
私達は、自身を知る事が極めて難しい。
身体に制限された様に、想念は思考にも制限される。
私達は、能動的、受動的でありながら、
常として、観察を忘れるという、最大の不自由を得ている。
獄の内側に、蒲公英の種子が飛んできたものだから、
囚人は、檻の隙間から、種子を外へと逃がしてあげた。
蒲公英はお礼に、檻のすぐ傍の、土も少ない場所で、
できる限りの花を咲かせて、黄金色に輝いた。
私に与えられた自由と、掴んだ自由を合わせても、
私の望む未来に至らないとしても、
挑む為に必要な気概が有り、若さが有り、
未来を構築するまでに必要な、時間がある。
最早、私には自己と闘うしかなかった。
それも、悲観ではなく、歓喜の一部として。
自らの誠意によって他に報いるのではなくて、
自身と向き合い続ける事で、誠意ある人間に成れ。
燥ぐ夜の街から遠ざかり、君と二人きりの部屋に笑む。
知らない言葉、知らない教えを、君から授かる。
君の知らないものは、何だろう。
私が与える事の出来るものは、何だ。
「一緒にいようよ」
レースカーテン越しに見えた、夜明けの光が、
君が望み、私が与えられる、幸いであれば、うれしい。
もう駄目だ、と嘆く隙間に安堵の一念が入り込むのは、
「良かった、もう頑張らなくて良いんだ」
斯様な、諦念を迎合する喜びが、あるからだ。
けれど、もう駄目だ、と錠剤シートを空にして、
暗い潮騒へと足を運ぶ時の、悔し涙には、
「生きたい」
その執念と、辛苦ばかりが、喧嘩をしている。
陽光に閉ざした瞼の裏、明るいねって諦めかけた小声でも、
錫杖を鳴らした貴方が、ぼろぼろの経典を隣で読み始めたら、
「明るいね」
同じ一語も意味を変えて、言葉の意味が変われば心が変わり、
旅の聖の御供として仕える。目的は、後付けで良いんだ。
海辺で、私達に逢いに来た一匹の白猫は、
しゃがみこんだ君の影に座り込んで、寛いでいた。
潮風と、芝の緑と、浜の光。君と私と、白い猫。
とても、この世とは想えないほどに、綺麗だった。
そう、綺麗で、優しかった。
私自身の痛みを想えばこそ、自分ばかりが可愛くなる。
他者の痛みを想えばこそ、自分の事の様に慈悲が付く。
慈悲は徳ではなく、美でもなく、ただただ愛情で在れ。
痛みは、傷は、悔しさは、怒りは、私を正当化しない。
哀しみは、放棄は、逃避は、私を正当化しない。
同じ鏡に映る、他の人々は、甘い言葉には頷くけれど、
普遍性を持った一文には、嫌悪の念を抱く。
その時だけは確かに、他の面々を相手にして、
「私は正しかった」と独り言ちるのだ。
私に最も必要な物は、
「誰も悪くなかった」
と言い切るだけの、勇気と度量です。
君らにとっては、人間関係や、性欲が全てだろう。
暗がりの街に、夜更かしをしてまで他者に依存をして、
思う存分、快楽と痛みを繰り返すと良い。
私の想う理想は、私のペン先にあるから、
他者を苦しめる筈も、他者に奪われる筈も無い。
他者が私に嫉妬を覚え、私が他者から題を得る様に。
私にとって自他や環境の存在を体現する一語は空である。
君達には、目の前の色欲や権威、そして居場所として、
集の中の個を成り立たせる為の椅子がある。
彼らの世界観は、二元論に阻まれた苦しみの世界だ。
絶対的な自己を思い込むから、満たす欲も増長される。
私には、自らの存在だけで成り立つ自己は無い。
斯様に、師から教えを説かれたから、気付いただけだ。
自己を呪い、家族を呪い、隣人達の表向きの環境を呪い、
口を開けば呪詛と自己憐憫が出る、あの男が哀れだった。
自身に倫理が無い事も他責の念に終わるならば、君は、
一体誰として生きて来た。一体何の為に学んできた。
私に突き立てた爪痕を、認める事は無く、赦してあげよう。
人は、互いに永遠を契約する為に仲良くする訳ではない。
もしも、永遠を前提に仲良く在ろうと望んだならば、
私達は、共に過ごした一日の喜びさえをも、忘れるだろう。
悪魔を相手に赦しを請うな。人間で在れ。
希死念慮を頼って電話をかけて来る君にだって、
希死念慮を燃して生き長らえる私の連なる痛みが、
解る日が来るか。照らす陽が昇るか。
自らの痛み可愛さに、私を侮辱する君にだって、
私が自らの痛みに打ち耐えて、心を震わす、
朝陽に見えた感情の、その呼び名が解るか。
夜を徹して原稿を綴り、推敲して、向き合い続けて、
朝日が昇れば、痛み苦しみと、感動とで、涙は溢れる。
私だって人間だよ。我が身が可愛い君達と、同じさ。
君達も、物言わぬ人形を大事にするだろう。
寡黙な人が、是も非も言わぬ姿が、矢面に立ち、
廃れた倫理を握りしめて、紡ぐ如是我聞。
三年かけて私を侮辱した君にも、届けたい。
いや、三年の月日を侮辱される痛みではない。
一切合切を、赦す為に伝う涙、その意義を。
私も生きていたい。それも、自らの慈悲の伴う姿で。
今夜も君に甘えようと思う。
二人きりの部屋で、二人っきりになってしまおう。
昨晩の様に、逢いたいってメールを送っても良い。
ぼく達は彼氏。我が儘を言い合って、噛みついて、
満たされた君がぼくの幸せ。
「逢いたいと言ってくれて、嬉しかった」
一言で君が綻ぶ、ぼくが抱きしめる。
ここで最期と決めた海から連れ去らわれて、
今も地上で惨めに、自己の地雷原を歩いている。
致命傷でも必死に縫合して、這いつくばり、
昨日まで生きて来たんだ。そう思うと、笑える。
希望を与える残忍性に益々否定を覚えるが、
明日も血染めの体を引きずって、誰も怨まない。
優しさに飢えて凶暴になるぐらいなら、
凶暴なままでも良いから、優しくなろうよ。
自らが優しく在る事で、何も得しなくたって、
不可視の計らいで、君が、私達が、育まれる。
優しい人に成る為の、最上の恩赦を受けるから、
私達は、もう何も怯えなくても良いんだよ。
引き潮の芝と蝶とをかき分けて蟹と出くわす磯の畔で
人に優しくなりたい。
苦しくても、私が人に優しくならない限り、
私の心に真の安寧は訪れません。
悔しくても、痛くても、人を思いやれる人間になれば、
私は、私の慈悲で、救われる。
七十七キロメートルの壁を越える意義を知らない者は、
野山や河川を、橋や路面を、一歩も歩いていない。
私にとってこの距離は、三十年分の実学だ。
微塵も虚学の入り混じる事の無い、数字で終わらない、
ただ、成果としての数値だった。
貴方は、貴方の実学として、一歩を歩いてください。
赦し赦される喜びが、永い苦しみを、終わらせる。
今朝、夢を見た。彼と二人で書店に行く夢だ。
二人して、仏教の教えを現代語訳した本を選んで、
何故か、帰りに実家に立ち寄った。
昔に使っていた自室で、彼と手を繋いだり、
指を絡め合ったり、三国志のドラマを見たりして、
「そろそろ帰ろっか」と私の住むアパートに向かう。
良い夢だった。
二人して愛し合って、温かいから明日を受け入れられる。
ぼくと君の未来の定義は、違うかも知れない。
それでも、一緒にいられるだけの、縁がある事に違いは無い。
君が幸せになれたら、嬉しい。
ぼくは、明け方、暮れ方といった、優しい空の下で、
心も穏やかに、静かに文章を書いていたい。
自助努力のために孤忠の在り方に従い、
神様が運んでくれた真水を、牢の内側で飲んだ。
「今までありがとう、明日からは、水は要りません」
神様は哀しい微笑で、次の日も、次の日も。
私が愚かだった。
牢番としての私には、神様が見えていない。
囚人である私には、何故、見えるかなんて。
大人しくなってしまったね、と胸中の鬼が独り言ちる。
私にも、書きかけの内省があり、読み返す度に、
「怒りに染まっていた日々が愛おしい」
罰当たりな事に、かつての苦しみが幸せであったと知る。
怒りに夢中で、赦す事に直向きになれたからだ。
寝ても覚めても憤怒に身を燃して、想念が焼け爛れて、
神様が汲んでくださった真水を飲み、じっと耐えていた。
呻き声の中で聴こえた、真暗闇で見えた光が、
熱病じみた歓喜の形ではなく、静かな称賛と、
人間としての自己に立ち戻る、一助となってくれた。
自助努力を永遠に繰り返す事が、私の為の人生賛歌であった。
「気づいたね、君が牢番で、同時に君が囚人なんだ」
神様は、今でも真水を汲んでくれる。しかし、
受け取る為の、私の手には、器が無い。
頭上から降り注ぐ、獄中の水の音を、冷たさを、揺らめきを、
直接飲み干した、泣いているような顔で。
心の底から願った「赦したい」その声に、溺れていた私だ。
友達に、幸せになってください、と頭を下げてまで、
君は心の底から、幸せに成るべき人間だ。
他者の痛みに、不幸に、慮りながらも、
「どうにかして笑ってほしい」と悩める君は、
誰よりも、心の底から幸せに成るべきだ。
君の明日がやがて明るくなる。神様がご褒美を持ってくる。
君は、ドライフルーツがいっぱい入ったケーキを、
「皆で分け合おうよ」と言ってくれた。
「それは、君の努力と苦労への対価じゃないか」
狭い利己心に陥らず、君は笑っていった。
ひとつのケーキを一人で食べる事は、玉座と同じだ。
玉座に一人で座っても、独りぼっちで寂しいだろうと。
皆が、彼の身に降りかかった艱難辛苦の重さを考えず、
ただ、目の前の甘い味覚に溺れ、狂っていく。
しかし、彼は信念の伴った眼で言った。
「まずは与えられる事から始まる。数字のゼロと同じさ」
君は、何処まで引き算を繰り返したのか。
これほどまでに、骨の浮くほどに、やせちまって。
青鬼が、仏師に成るまでの真っすぐな道のりに、
大勢の坊主達が、彼を侮辱、否定して、妨げたけれど、
名も無い僧は、彼の傍に立ち、投げられる石から庇った。
そして、心底から、光明真言を唱え続けた。
坊主達は、自身の行いを省みて、修行の道に迷った。
青鬼や名も無い僧に対して、罪の赦しを請う者も、
自身の義に従い、より一層怒りを燃す者も、
道理に暗くなり、自灯明、法灯明の心を忘れた者も、
等しく「暗鬼を生ず」の在り方であった。
青鬼は、仏様を彫り続けた。
朝になり、名も無い僧が皆に飯を分け与えようと、
いつもの浜辺を訪れた。青鬼は、変わらずそこにいた。
彼を邪魔していた筈の坊主達は、皆、心が落ち着き、
鬼か人かを問わず、内在される仏性に気付き、
自分達も仏種である事を思い起こして、静かに祈っていた。
ぼくはこれほどまでに道を間違えた。
入り日の路面に足跡は残らなくて、
引き返そうにも、嗤う鬼が大勢いる。
雨が降り出したら、ぼくは肩を濡らしながら、
怒り、そうだ、怒りだ、と自己に言い聞かせつつも、
等しい分の赦しの種を蒔くのだ。
だから、ぼくが歩いてきた道にも、意味がある。
振り返ると、日毎夜毎に、種が育つだろう。
ぼくは安心して、傷を負い、侮辱されて、それでも、
泣く事は無い、媚びを売る事も無い。
毅然と人間で在れ。仏性の肉体の船で在れ。
人の視線よりも、自らの想念を正すのだ。
八正道、という言葉に執着してきたぼくだ。
きっと、これからも執念を燃すぼくだろう。
それでも、他者には生きられない、唯一のぼくだ。
この銀河の、一切皆苦の海の大波に、砕かれて、
船よ、お前は何を見てきた。その話を聴かせてほしい。
生まれ持った幸せを棄ててでも、不幸にならないといけない。
そんな気がして、自身を追い詰めた、昼夜を問わず。
錆びた味のする生涯を、拓くどころか、閉じ損ねて、
私の幸せを、臆病なりにも、棄てようと思った。
しかし、私自身の善心が、制止してくれた。
あの家に生まれて、良かったのかも知れない。
全ては苦しいだけの延長線上かも知れない。
けれど、人に危害を加える、歪みには成れなかった。
義の無い苦痛を好まない、苦痛を与えたくない、
この人格を形成したのは、あの家族だから。
だからこそ、あの家族をこそ、赦せない。
愛してやまない縁に恵まれたからこそ、怒りが鮮明で、
私の想う、持ち得る諦念が、片足を引きずって不自由をする。
悔し涙ながらに「思いっきり傷つけたい」と独り言ちる。
斯様な野心は、始めから持っていないのに、無理をして。
もしも、私が憎悪の生き方に甘んじていたら、
その時は、退路を断ち、真暗闇に放り投げて、
自灯明、法灯明を頼りに、歩かせてください。
もしも、私が怒りを燃して正気を失っていたら、
牢の内外を問わず、私自身が背負った辛苦である事を、
真水を汲んでくれる神様に教わります。
もしも、私が今までの精進を諦めるか、或いは、
人間である事を諦める時には、一言で言い、
「八正道」とだけ告げて、道を正してください。
十三年前から、私はこの言葉が大好きでした。
師からも「生臭坊主で良い、生きなさい」と説かれて、
無から有が生じたかの様に、光は頼もしかった。
何よりも、父と二人で宵の明星を見つけた時、私は、
生きる喜びだとか苦しみだとか、頭に無かった。
ただ、生きている事自体が有難く想えていたのです。
祖父が他界した時、母が、どの様な顔をしていたのか、
鮮明には思い出せない。
覚悟は決まっていたのかも知れない。或いは、
病身の私に心配させぬ様に、健気に振る舞っていたかも知れない。
「お爺ちゃん」
私が苦しむ時、祖父の魂は傍にいて、理解してくれる。
祖父も、私と同じく修羅であったから、彼にとっても、
生涯は怒りで縁取られた、血塗れの写真かも知れない。
けれど、彼には家族がいて、子供がいて、孫がいて、
決して、孤独だけが人生だった訳でも、ないようだ。
入り日の公園に、祖父と歩いた日、私は幼かった。
幼いあまり、苦しみという心を知らなかった。
それは、生かされてきた証拠である。
親族や、家族や、友人や、恋人、皆に支えられて、
生きて来た、生きる事が叶った、証である。
孤独でいても、麻痺してしまった朝がやってきて、
痛みを感じても、ちっとも孤独じゃない夜がある様に。
私の今に想う恐怖など、小さなものだったのだ。
知足の教え、その実学が、二度と消え入る事の無い、
胸の内に宿ってくれた。それは諦念とよく似ていた。
だが、このペン先は、心は、喜んでいる。
二元論から遠く離れて、欲張る事も無く、怯える事も無い。
「お爺ちゃん」
貴方の生涯に学ばせて頂きました。合掌。
光明真言を、教わった。誰に、という話ではなかった。
真夜中に夢から覚めると、不可思議にも真言を覚えて、
「おんあぼきゃべい、ろしゃのう、まかぼだら……」
今まで、体で感じていた幻を消し去り、同時に、
心から修める安堵と共に、唱えながら、また眠った。
窓、開いた、足跡を残さないまま、夜明けの空。
芝の花が、片喰の花が、菫が、視野に満ちる。
修羅も、今は胸に安堵をもたらして、生きていたい。
答えは、意外な所に、示されている。
形通りの信心が、大きな海に、泳ぎだす。
大丈夫、大丈夫、きっと、生きていけるさ。
日々を通して倫理や正道を考えてきた積もりでも、
その理念に反して、自らが人を裏切る事があっても、
動機として、利己が働きかけると、麻痺を起こす。
惨めとは違う。哀しみとも違う。自己への恐怖だ。
この道を、どこまでもいつまでも、裏切り続けて、
私は、鬼になってしまうのではないか。
地の底の鬼達に嗤われて、それでもなお傾聴した。
「お前達、人間にも、内在する地獄があるのだ」
声を聞き届けて、普遍性を持つ言葉を、繰り返した。
「神の国は汝らの内に在り」
かの言葉を思い出して、自己を諦めない様に、信じた。
窓の外の嵐に勇気づけられて、松明を燃した。
邪智を恐れて、その為に、灯りを消してはならない。
明るく照らされた街路を、人の道を、心を、その笑顔を、
失う為に、善意を棄てた訳じゃ、無いだろう。
心の底から、君は、君達は、対価を欲する事も無く、
誠実に、誠意に心が寄り添い、他者を思いやれる筈だ。
「ありがとう」や「愛している」の一言が無くても、
私達の胸から、敵意や憎悪が湧く事は無く、より一層、
「ありがとう」と胸中から愛情を込められる様に。
我々は、暴虐の信徒として生きる様には、できていない。
たとえ、私や君に灯される光が乏しくとも。
「この野郎」と苦い言葉を噛み潰して、決して人にぶつけない。
「この野郎」と思う事はあっても、思いやりが導くから、
独り、真暗闇を歩いても、怯えてはならない。
私達は勝ちもしないし負けもしない、価値の有無ですらない。
損得や苦痛よりも、普遍的愛で生かし、生かされているのだ。
師との思い出を振り返る度に、悔しい想いはするけれど、
「お前にはひとつあれば良い。文学があれば良い」
あの日、嬉しくて、すっかり西日も沈みきった街を歩いた。
真っ暗闇だ、光なんて無かった。だけど、その暗い底に、
生きる力を生み出す事ができたから、自分が頼もしかった。
優しくなんてなれなかった。ましてや強くも成れなかった。
やっとの思いで、自己の頭で考える修羅の住民に成れて、
誇らしく想い、胸を張って生きていた。挫折を知るまでは。
見渡せば、悪道と善道の境目としての宿命があって、
妄執的な倫理が、盲目的な正義が、俺を引き裂いてさ。
「人間に成りたい、四苦八苦の人道に至りたい」
利己を棄てたい、唯物論を、唯心論を棄てたい。
道の向こう側で、私が空っぽになると思うかい。
けれど、一言の法を言葉にするだけで、私は空白に成り、
同時に、諦念と、真心の称賛を、一切皆苦に込められるのだ。
誠実とは何かを日々考えながら、私は、
多くの友人、隣人達を見放してきた。
倫理とは何かを日々考えながら、歯痒い思いをして、
常として、怒りと向き合うと述べながら、支配されていた。
謙虚で在れと師から教わり、精神が萎縮しながらも、
多くの夜を、増上慢と共に生きてきた。
博愛の精神を、教わったにも関わらず、私は、
最も忌み嫌った筈の、利己に縛られて生きてきた。
強欲で在り貪るよりも、清貧で在り、与える事を、
自己にとって最上の喜びとしながらも、奪う事もあった。
美しい原っぱや、海辺や、野山を歩いても、
清廉とは言い難い、成り難い、醜い生き様であった。
私は愚者だ、だから、神様に逢いたい。
信頼を免罪符と受け取るか。築き上げた関係と受け取るか。
友人は切り札を用いる対象か。隣人愛の対象か。
もしも、信頼と友人が結びついているならば、
隣人愛に至るまで、信頼関係を築き上げた友人に対して、
免罪符という名の唯一の切り札を用いる事は無いだろう。
「あの日はよくも」と考えるか「あの日はどうも」と想えるか。
常として、前者に偏る事の多い日々でしたが、それがどうしてか、
幾月幾年も過ごしている内に、ほんの心ばかりの、
「あの日々を共にしてくれて、本当にありがとう」
日毎夜毎、恒河沙にも繰り返した赦しが、何故か実るのでした。
不可思議な事に、人の心は力を加えた方向に、自ずと向かう様で、
「赦せない、でも、赦したいのだ」と信念を以てすれば、
昨日今日の話ではすぐに赦せなくとも、繰り返した一念が、
雨となり、野に山に潤いをもたらし、人々が喜ぶ様に、
来たるべき時には、他者への怒りが自然と静まるのでした。
私は、正しい在り方、正しい一念というものを省みると、
ただの一日だって疎かにしてはならない、大切な継続である事を、
父や母や、祖父母や、師から教わり実学となった教訓が、
一時の怨恨に惑わされない自己を形成した事から、
深く、有難く、確信するのでした。
夢の中で光明真言を唱えていた私にとって、
目が覚めた時の喜びと、夢を見ていた時の喜びに、
一切の、違いはありませんでした。
諸仏に祈り、名も知らぬ本尊を静かに仰ぎ、
夜明けが静寂の中にやって来る様に、厳かで、
それは途切れる事も無く、心を満たしてくれました。
加速していくのは自身の成長か、欲心か、諦念か。
どの道を通っても、辿り着く結末は同じだけど、だからこそ、
私は至る為の道を、自分の意志で選び取りたいよ。
「選ぶ」その行為が唯心的だと嗤われてもね、私は、
受動的に腐るよりも、能動的に傷を背負う覚悟で在りたい。
どの道を選んでも至る結末は同じ、ならば、と皆は顔に影を落とす。
哀しいのかは知らない、計算をしているのかは知らない。
私にとっての逆風が、研鑽にとっての誠実な追い風なのだから、
だからね、私は皆と、笑顔も苦しみも、共にできないよ。
私達は、孤独感を脱ぎ捨てた、内在する孤独と向き合うのだ。
しかし、生きる喜びは失せない。生きる意義は燃え尽きない。
「正法が広まる時、魔が競い立つ」
そうだとも、微塵も怯えてはならないよ、友人達。
自らの善心に抵抗を覚える度に、いっその事、安堵を覚えて、
この夜明けに等しく、徐々に、確かに、照らそうではないか。
自らの欲心が、背中に密着して、肩を掴む時、
私は、常夜灯に照らされながら、仏様に祈り続けました。
得る事を良しとする者もありましょう。
欲張る事を、良しとする者もありましょう。
ですが、私はそれらに属する事は、望まぬ所であります。
御縁あって私の懐に来た物が、何故、私の物になりましょうか。
多くを貪る様に、私はできていません。同時に、
欲する為に喘ぎ苦しむ様に、私はできていません。
仏様のおわします、この国に生まれ、仏縁あって、
私は阿修羅道の自覚を与えられ、八正道を教わりました。
私が三十日間に二冊の本を読み、真言を唱えながら、
嘘偽りの無い、知足の教えに倣う所を、
人々の心に住まう諸魔は、私に多くを望む様に促します。
「悟る覚悟には時期尚早、無明へと立ち戻るには手遅れ」
不動明王に帰依した、洗い立ての心で、今日も西日を臨む。
傷だらけ、食べ物も無くて、一匹の白猫は哀しくて泣きました。
けれど、この子は絶望する事はありませんでした。
白猫の胸に、菩提心が目覚めたその所以は、
今生に生まれてから今日に至るまでの、苦しみがあったからです。
考え始めた猫にとって、この世は不思議な揺り籠でした。
もしも、喜びだけの一生涯であれば、考える事は無かった。
もしも、苦しみだけの日々が真実ならば、考える必要は無かった。
猫は、人間達の悩み苦しむ姿を眺めて、お寺へ行きました。
そこでは黒猫兄弟の弟が、兄から不動明王の名を教わっていました。
「真の愛を施してくださる、仏様だ」
白猫も、兄弟のお話に耳を傾けると同時に、
不動明王に向かって「あなたに帰依します」と呟いた。
白猫は、今まで抱えた苦しみを、ガルダの炎によって焼き尽くされ、
誠実に、生まれ変わった心で、猫の浄土へ向かいました。
「私も、この浄土で学ばせてください、お願いします」
白猫は、快く受け入れられました。
私に可能な形での、怒りから遠ざかる術を考えていた。
他者に対して、善で在りたいと願う心は、本人にとっての毒である。
しかし、この悪を全て排除した時、自身にとって、
最も有毒な状態で、心は、想念は、進行を維持される。
自己に対しての愛とは、他者に対しての悪意ではない。
だが、世の人々の多くは、怒りを自己愛の体現として用いる。
怒りが悪意に分類されても、自己愛に分類されても、
人間が持ち得る、善心をも蝕む、怒りという想念は、
人間の手に負えたものではない。即刻、手放すべきだ。
それでも、私は、怒りに悩める自己を、幸いと想う。
考えない内は、揺り籠の中だ。
全ての物事に対して、理解する努めの必要は無く、反応で済む。
それは、自身よりも人間としての苦を背負う他者がいるお蔭だ。
人々は、君達は、いつまでも、その揺り籠に甘んじるのか。
私は先に進むよ、怒りと連れ添いながら、赦す日のために。
喜んでみたいと思う。心から、静かに笑ってみたい。
君達の差し出す苦楽では、息継ぎが必要である。
利己心に満たされる時、人は悪事に手を染めても、
その自覚が皆無であり、心は麻痺を起こしている。
自己への言い訳として、麻酔代わりに、得た物を並べている。
大きく怒り、深く憎み、その様な事では話にならない。
最も惨めである自己に対しての、弁明の代わりとして、
負の想念に満たされながら、他責を用いているに過ぎない。
私は、巡り巡った御縁のお蔭で、詩を書く人間に成れた。
真似をする赤毛の悪魔が嗤っても、良いのだ。
私から奪いたい者達は、その収めた成果を見て、失望する。
「我々が血眼になって奪い集めた物は、こんな物か」
私は、弥蘭陀王問経と八正道しか知らないのだから、
君達が、私から経典の教えを、分けてもらう事はあっても、
それ以上やそれ以下の心或いは物質を奪う事は、叶わないのだ。
今日も鏡の前に立つ。赤毛の悪魔は俺の表情と重なる。
お前は誰だ、俺にとっての何だ、答えてくれ。
赤毛は悲しげに目を伏して語りかけた。
「君こそ、私に応じてくれ。この渇望に応じてくれ」
俺が胸を打たれた、その訳は、今まで逃げてきた言葉だからだ。
痛みにも、悔しさにも、欲望にも、俺は生きていた。
けれどさ、得るばかりが、人間じゃないらしい。
あの職場には、生まれつき耳が聴こえないおじさんがいて、
俺はあの人と会話がしたくて、手話辞典を買って単語を覚えた。
新しい単語を覚える度に、おじさんは嬉しそうに微笑んでいた。
与えて、与えあう事も、人間の生きる理由らしいよ。
正直、俺の手話は拙くて、相手に合わせてもらっていたよ。
けれどさ、ノートとボールペンを使いながらでも、
俺とおじさんは休憩時間も笑えて、働く時も汗水流せたんだ。
疑うまでも無い信頼があった事を覚えている。
何故かなんて、野暮ったい質問は止してくれ。
赤毛の俺、これが俺なりの応じ方で、充分だろ。
「気が向いた時にやる」では俺は上達意欲に追いつけなかった。
正しい見かた 正しい思いと
正しい語りと 正しい働き
正しい命と 正しい精進
正しい念じ 正しい暮らし
虫の音を、秋を待たずに傾聴する。
生きていたいと切望して地を這い木を這い、空を飛び、
彼らの想う、生類生命とは何かを、汲み取れずにいる。
私の様な凡夫には、難しい事であった。
けれど、大切な事だから、考え続けた。
虫が、あれ程に想念の乏しいと思われる姿から、どうして、
生き死にに最も隣接して、平然と生きているのだろうか。
人間は、立派な物質を沢山作り上げたけれど、
身を飾る名誉も、衣食住も、どれも充実しているけれど、
今日を生き、明日に散る虫には、遠く及ばない。
身を飾る名誉、衣食住、そんなものに充足感を覚えず、
生まれて、老いて、病み、散る、生老病死の世界で、
平然と、勇気も知らずに生きていけるのだろうか。
いいや、人間はなぜ、身の回りは立派に作れても、
勇気と欲望に依存して、生きているのだろうか。
真冬の路上で眠った日々が、俺に何を与えた。
折れない、屈しない、そして競わない心を与えた。
生きてさえいれば良かった。人を愛したくなった。
泥のような人生が、泥に咲く花だ。
蓮の様に成りたい。切望する、生きている時間を。
真夜中の星が清らかであった事を、忘れたくない。
詩集 内省に連なる信徒らに 一章