真紅の禁戒 第Ⅱ部 "概念-少女"の観念的自己手術経緯観察書 1

  Ⅳ 博愛少女批判詩論

 植物を摘めない女の子──幼少期のわたしは、それだった。
 植物に擬人的な痛覚を連想し、「なおちゃん、お花摘んでみなさい」といわれれば、「お花さん痛い痛いするよ」と泣きだすような子供だった。
 花のようであれ、という客体を強いるような言葉に、美しくあることを求める言葉に、若者はしばしば反発する。フェミニストの多くは、女性に対するそれを断固是認しない。されどひとがひとのなかで生きるとは、一種おのれを、程々に、中庸にバランスよく花にすることであると想う。他者と綾織られるためには、なんらかの花的な態度が必要であるとおもう。
 倫理の美しさとは、おおく花の美でもあると想う。
 いまや、わたしは花を摘み、頬へこすりよせていとおしい気持にうっとりとし、つまりは搾取し、その植物の生命をいたみつけることに対し、最早罪の意識はない。それは、はや麻痺して了っている。
 友達のいなかった小学生時代、ダンゴムシと遊んでいたわたしは、一度蜘蛛の巣にひっかかった生きたバッタを泣きながら助けたことがある。バッタなんて触りたくなかった、わたしはあの顔が苦手で、殆ど恐怖症にちかい感情がある。視られているということを、極度な迄に突きつける顔だから。されどわたしは食べられて了う運命にあるバッタが可哀想で、それをゆびで摘まんで外したが、さすれば「蜘蛛さんが食べ物なくなっちゃう」と感じ、すぐさま泣きだし、先ずは葉っぱをひっかけ、「牛さんじゃないし、葉っぱは食べないんじゃないかな」とかんがえた末、木の実の殻を割って、柔らかい中身を糸にひっかけて「これで大丈夫」とご満悦、亦、ダンゴムシたちと遊んだ。淡いちからで軽く触れ、かよわいかれ等が傷つかないように、細心の注意をしながら。
 当時、わたしはお肉が食べられなかった。動物さんが可哀想、理由はそれだけであった。
 いま、わたしは花を踏める。我が生きているということで間接的にうまれうる、かぎりなく不可視にちかい他者たちのいたみの上で生き、食事し、睡眠をとるということに神経が耐えられる。バッタを外すことなんて何の意味もなく、この世のかずかずの暴力は夥しく、それは可逆的で複雑に綾織りグレーな現象であり、一つ一つの存在を言葉や法で否定しても仕方がないということを、理念的に、そして神経的に識っている。
 嘗てのわたしの優しさは、けっして褒められるものではない。それを大人がもって了っていたら、むしろ足枷でなりえて、”大人の優しさ”の一つである社会的な他者貢献を、むしろ阻む感覚に転じえないのだから。たしかに、精神病院にはそんなひとが何人かいたのだった、”小鹿物語”に比喩させるならば、小鹿を撃ち殺せず、うずくまって自責しつづけ、気付くと心を病ませて了った、行動の悪を怖れる慎ましきひとたちが。
 されどわたしは──人-性が産れもって孕む道徳に照合させれば、花を摘めない当時のわたしが一面的には正しかったのではないかという淋しい訝りに、身を折る夜がある。

  *

 四人、レッスン後に事務所で弁当を食している際、わたしはあることに気が付いた。
 冬城はご飯を残しがちであり、それはわたしたちのような容姿を重視される職業の人間にはめずらしくないだろうと感じてとりわけ注目していなかったのだが、彼女、肉を全く食べないのである。宮沢賢治みたい。そう感じたのだけれども、わたしのような『よだかの星』に共感しすぎる人間にとって、それはどちらかといえば好意を感じさせる。とはいえ、わたしは宮沢に、同族としての嫌悪をも感じるのである。
 わたしは、この世から自殺がなくなるまでは幸せにはならないと、ある種自恃と、そんな自己への激しい嫌悪をもって、決意している。
 これはかれの、「この世から不幸な人間がなくなるまで、自分には幸福にはなる資格はない」という独善的な言葉に酷似していることをのちに知った。そして、ほかならぬヴェイユも亦おなじことを云い、そして、水樹がこれをブログで引用していたことものちに知った。
 ──いいひとになりたいんだね、悪い自分がえがかれた自画像を見ることに、自意識が耐えられないんだね。
 自己嫌悪の他者への投影。そんな冷たい厭味が生れるわたしの心は、醜い。
「澪さん、お肉嫌いなの?」
 小河は性格上冬城にも気負いせず──しているかもしれない、いや、多分むしろかなり気を遣っているが、彼女は「気を遣っていない風に気を遣う」という高度なコミュニケーションが得意なように思えてきている──話しかけるため、意図しているのかしていないのかは不明だが、彼女が完全に孤立しないような助け船を出している。冬城に対してだけ「さん」付けなのはすこし気になって了うが、しかし、それも試行錯誤の結果であるような気もする。ほんとうに小河春子のこういう言動は、わたしたち全体にとって救われるのである。
 橋本は、思い遣りはあるのだけれどもどこか他者に無関心といおうか、お節介じゃないといおうか。自他境界がきれいに引けている、そうともいえようか。
 冬城に用事で話しかけられた際はこまやかに優しい態度をとり対処もきちんとしているし、独り困っていたら絶対に「どうしたの?」「こうするよ」とフォローするのだけれども、おそらくやふたりは会話の相性がすこぶる悪く(わたしと橋本も正直合わない)、彼女に負担を掛けないように意識していたら、おのずと会話も少なくなりがちという状況になっているような気がする。どことなく面倒くさがりやで打算的な一面がちらりと見えるときもあるような、そんな気もする為に、わたしは橋本を美化しているきらいもあるかもしれない。
 けれどもやはりわたしは希って了うのだ、橋本のようになりたい、と。
 全体がそういう状況なので、冬城がもっと仲を深めたいのならば、今回も会話がつながるように愛想よく返すのがいいのだろうとわたしには判断されるのだが、彼女は、
「いえ、気にしないでください」
 と、丁寧ではあるものの不愛想な口調で、いつもどおり会話を打ち切るのである。
 その後は暫くだれも話さず、「わたしが云えたことじゃないけれど、冬城は女性社会で巧くいかないだろうな」とかんがえていた。

 食べ終わり、事務所内にある別室で給料をいただく。
 壁にはこれが貼ってある、「恋愛禁止」。
 小河春子はこれを見る時、どんな気持ちになるのだろうか。
 わたしなんかは既に欲しいものがスマホのメモにリスト化されてあり、「冨原眞弓様が御翻訳なされたシモーヌ・ヴェイユ著作集全巻とアナスイのコスメとアンナ・カヴァンの持っていないハードカバーの本全部と、後まだ見付けられていない三つめのお気に入りの香水と、きゃあフランシス・クルジャンはどうしようかなー!…」とあきらかにすべて買えば給料の数十倍が無くなる物欲的想像で頭がいっぱいになり浮き立っていたのだけれども、冬城は幾分暗さすら感じさせるうしろめたげな顔で礼儀正しく封筒を受けとり、それをすかさずアウターのポケットに入れていた。
 プロデューサーは、多分、冬城のこういうところが嫌いだ。時々、冬城の悪口をわたしたちに話すから。
「なに買う?」と小河が橋本に話しかけ、
「えー、マッサージ機かなあ。あとゲームの課金。まずはアイコスのタバコをストック」
「マッサージ機とかゲームに課金とか、ファンにはいえないやつー」
「リアル女子なんてこんなものよ」
「わたし飲み代でカードの支払い残ってるからそれかなー、この前の男たちわたしたちの分払ってくれなくてさあ。セックス誘われてたけど、そんなんとするわけないじゃん。イケメンならありかもしれないけどさあ」
「それこそファンにはいえないやつー」
 と楽しそうに会話するのを尻目に、冬城は黙って帰る準備をする。彼女は、こういう会話が苦手そうにみえる。
 橋本はパフォーマンスとしては紙巻タバコを吸うが、ふだんは周囲への配慮でアイコスにしている。
 春子が一度紙巻タバコを吸っているところを、目撃したことがある。そこで吸っちゃいけない、そんな場所だった。わたしがいるのに気付くと、ふっと悪戯っ子めいた笑みを浮かべて、──もうやめたつもりなんだけどね、たまに吸っちゃうの。中学の時、悪い子たちと仲がよくてね、と説明した。
 ──いまはいい子だよ。
 と咥えタバコのまま、手でハートをつくった。そこが喫煙所ではないことへの言及はなかった。
 話しながら、だんだん表情が乾いていくのを見て、はらはら何かが毀れるような笑みに変わって往くのをみて、わたしは、「そうなんですね」という相槌のほか何もしないでおこう、わたしはそれ以外の言葉・態度を差しだして、その相槌以上の効果を上げる能力をもたないだろうから、と判断した。
 愛らしい愚かさ、なんだかんだ好かれる程度にしか不快を与えないマイペース、ほどよい不良感、そんな印象を当時受けていた。
 事務所で、わたしははやくパルコと大型書店に行きたくてしょうがなかったので、小河に「何買うー?」などと話しかけられても素っ頓狂な声で返事しながら、内心では「あれも買いたい、これも買いたい」とうわの空。
 事務所を出て、運動をしたので先ずは美容成分の入ったプロテインを買おうとおもい、コンビニに寄る。冬城がレジに並んでいた。仕事上の仲間であるし、べつに嫌いという感情もなかったために挨拶をしようとしたが、彼女が野菜ジュースと大豆由来のプロテインだけを数個ずつ買ったあと、レジの募金を箱ごと開け、釣りと封筒の残りをねじ込んだのを見て、わたしは話しかける権利を自身にみとめられず、黙ってドリンクのコーナーへ向った。
 ふと外をみれば、冬城が空を見ている姿がみえた。かろやかな真顔、乾いているために一種爽やかにすらみえる、淋しい顔。
 わたしは先刻の彼女の行動に、呆然としていた。

  *

 わたしの買い物は際限がなかった。

  *

 家族の幸福を謳う看板。
 ライト。白い光。裏返る眼球。無化。わたしの躰はパルコに在って、わたしの心は其処に無かった。

「一緒に死にましょう」
 と、母は幼少期のわたしに言ったのだった。
 わたしはそれを、全力でこばんだ。死に物狂いで包丁をもった母に抵抗し、一種凶暴な気持で突き飛ばし、「いやだ、いやだ」と泣き喚きつづけたのだった。
 わたしは、そのとき、死にたくはなかった。母の夫、いわゆる、わたしと血のつながりのあるその男は、わたしたちにしばしば暴力をふるった。荒れた高校で数学教師をやり、気の弱い男は不良の生徒たちから舐められ暴行も受けたりしていて、傷ついたプライドを、身体的によわいわたしたちふたりへの征服で補っていたのかもしれなかった。
 かれは京都大学の数学科を卒業し、大学院でも研究をつづけていたのだけれど、わたしが生れたことで大学院を中退せざるをえなくなり、結婚というしたくもないものに縛られ、研究者の夢を絶たれたらしかった。
 わたしはその実情を深く知らないし、ほんとうに研究者になれなかったのがわたしのせいなのかどうかを、もはや知りたいとも思わない。ただ、かれはそう云いながらわたしを殴っていたのだから、かれはそうかんがえていたのだろうと、冷たくかんがえるのみである。
 母は、元来精神におけるかなしい病をわずらっており、その事情が、男性に生活を頼る生活を、彼女じしんに一種ゆるさせていたのかもしれなかった。母はわが身を安定した生活に置くために、あたかもいそぐようにわたしを妊娠し、男と婚姻の関係を結んだのだと、半狂乱で幾たびかわたしに説明した。
 そしてその果ては、わたしとの心中未遂であったのだった。
 わたしの激しい抵抗に耐えかねたのか、母はさみしげな顔をして、包丁を落し、恰もおのれだけが被害者であるかのように、しっとりと湿度のたかい身振と声色で泣き臥していたのだった、その際も亦、わたしは「お母さんごめんね、ごめんね」と泣きながら機嫌をとろうとしていた。
 わたしは大人の情緒の変化が怖くてこわくてたまらなかったし、それは、いまでもわたしをくるしめる悪癖となっているように想う。この習性が、他者へわたしを恰も優しい人間であるかのようにみせかけていることが時々あるようにもおもえ、そのたびに、「騙してごめんなさい、ごめんなさい」、と頭で謝罪しつづける。
 わたしにとり謝罪はもはや趣味であり、おそらくや赦されたいという自分への利益のためのみに為される、さみしい習性なのである。
 高校生をしながらアルバイトをやり、給与はすべて母にとられ、家事もずっとわたしがやりつづけていた。うちは、体調が不安定なわたしのバイト代と生活保護のほか収入がなかった。いま、母は社会保障を増やしてもらい独り暮らしをしてもらっているけれども、家を出る夢が叶ってせいせいするという気持にはふしぎとならず、家庭のことを考えれば母への罪悪感のようなものがいつだって胸をうずまく。
 毎朝、わたしが社会生活をするために起床すれば、うごけるタイミングになるまで起きることができない母を見る。いつも、ぐったりと斃れるように眠っている。

 お母さん。
 あのとき、一緒に死んであげられなくてごめんね。

 毎朝、毎朝そんな気持にさいなまれる。
 その、わたしじしんによっても如何にも奇妙なそれであるとみなされる想念は、わたしの脳裏からひき離されることはない、生存は、わたしにとり罪ぶかい。気持ち悪い。不気味だ。たくさんの条件を自己に掛けなければ、わたしは、わたしの存在を是認できない。
 わたしに一種勇猛な意欲でわたしに課せられた戒律に、崇高であったり高潔である意欲はなにもない。けだしわがよわさと他者と関わることへの極端な臆病さ、くわえて病的な習性との馴れ合いによるものがそれであるのだ。

 わたしはパルコの通路の端へ、わが身を身分に相応するようなかたちで追いやり、虚しきわが物欲と消費を、割れてさみしく飛沫を洩らす桃の身さながらに脹れる買物袋を床に置いて、唯、茫然としていた。茫然としていた。
 わたしはいつの頃からか、自分のことで、泣くことができなくなった。
 わたしはわたしによって苦しめられている自己をうえから俯瞰し、憐れみもせず、唯、冷然とみはなしているような気持で、時々嘲うような気持で、ふだんを生きている。

  *

 わたしは、人間の尊厳を自分自身に認められない人間だ。わたしが他者へ幾ら親切にしてもその優しさが空っぽだと感じて了うのは、それだってひとつの原因であるのかもしれない。わたしはここを変えないと他者に優しくはなれないとわかっているのに、其方へ向かえない。何故って、それはわたしの生きたい生き方と両立できないのだから。
 トルーマン・カポーティの生き方を、わたしは尊敬する。幼少期から青年期にかけての痛みと真剣に向き合った遺作。かれが最期の作品で芸術に身を殉じさせて了ったのは、芸術家の狂気という言葉で片づけることわたしにはできまい。自分を大切にすることが、できなかったからだとおもう。自分の心身を道具さながらに、傑作を書く手段のように”使用”して了ったんだとおもっている。かれは歴史に残る作品を書きえたが、そののち発狂にちかい状態になり、少年期のかれに唯一優しくしてくれた知的障碍をもつ老いたいとこからの呼び名、「バディ」と一言いって病死した。
 かれの周囲のひとは、「カポーティは、他人にはすごく優しかった」といっている。
 幸せになってほしかった。幸せになってほしかった。わたしにはどうしても、「天才作家として、傑作を書いたからいいじゃん。芸術家として素晴らしい」として、この挿話を流すことができない。勿論その観方はあってよいし、むしろあるべきだとおもう。されど人間は、ある程度迄でいいから、全員が大切にされるべきだとおもう。博愛主義だと揶揄されたって、どうしても、そうおもう。
 そして、わたしのような感覚と考え方の人間は、すこしだけだったらむしろ居たほうが社会的にもいいとかんがえている。いろいろなひとが生きていけるほうが、わたしには望ましい。
 わたしには、他者の心を傷つけたくないという気持じたいは、おそらくや、つよい。おどおどしている。ひとの顔色をうかがいすぎだ。そうもいわれる。されど、それで自分を「繊細で優しい」だなんてどうしてもおもえないし、そう実感する権利をわが身に認める資格が無いようにおもえている。否。刻まれている。
 わたしは、ひとから「繊細で優しい」といってもらえるのだ。されどそれをいわれるたびに、顔を覆って泣き崩れるような気持で、「ごめんなさい、ごめんなさい、騙してほんとうにごめんなさい」と感じて了う。
 わたしの文章は冷徹で、否定的で、そうであるのに自己憐憫と自己陶酔が濃い。そんな文章しか書けない自分が、泣きじゃくるくらいにキライだ。

  *

 あるレッスン日、春子と橋本綾が時事ネタについて楽しそうに話していて、やがてその話題は、某国の紛争の話へとうつったのだった。
 わたしはそういう話が苦手なので耳を塞ぎたいくらいの気持、しかし、そういう「繊細さ」を衒い「聞きたくありません」と伝えることの一種の暴力性、いわれた側への不快感をおもって、こういう時はできる限り何も言わないようにしていた。例外は、ほかのひとが苦しそうだと推測される時のみである。これはわたし固有の概念-少女的倫理による行動の選択方法ではあるけれども、のちの対立が怖いという気持にもよるものでもある。わたしはやはり回避的なところがあるし、人間関係においては消極的でもある。
 正直にいえば、わたしはそういう話を平然とできるふたりの心の一領域に対して、差別意識がある。それを払拭できないでいる。その差別意識だって暴力性の一種だと知っているわたしの意識は、即わたし自身への差別意識にもさいなまれる。その意識が他者へも向かうということを自責し、どうにもならない気持になる。なるべく内容を聞かないようにしていたから会話の文脈は解らないけれども、時々その話題で笑顔をみせる春子に対して、「信じられない」というような軽蔑心すらわいてしまう。しかも、時々、その笑みがすこし怖い。
 暴力と暴力は綾織り、可逆的で、暴力と被暴力はダスティな陰影をのたうたせうつりかわるというような社会の観方が、わたしの脳裏から離れないのだった、即ち、世界は不可視の暴力に満ち満ちているという社会観である。わたしはそれの連鎖をせめて自己の内で断ち切るためにヴェイユ思想に縋っているようなところがあるが、その思想への尊敬心そのものが、たくさんの軽蔑心、差別意識、暴力的な感情をわが裡で生みだしつづける。わたしのふたりへのこの感情だってむろん一面的にいえば暴力でもあるし、べつの一面からいえばわるいものでもないようにはおもわれるけれども、わたしには発見されていない暴力的な行動、いわく知らずしらずに他者を傷つける現象を夥しく起こしていることに、泣き崩れたくなるような心地になることも少なくはない。過去にひとを傷つけたことを内省し、自分のわるいところを直そうとしながら自己肯定するという心的状況が、わたしにはまったく想像ができない。ない、なんておもわない。ただ、わたしには想像できないということ。
 わたし固有の概念-少女的倫理、わたしだけの戒律に従って社会的行動を選択しつづけ、一般のモラルと照合させても誤りのすくない行動を選択しつづけるには、ヴェイユのいうような、深い注意力をともなわなければいけないだろう。そして、その選択に正しいものなんてきっと存在しないとどうしてもおもって了うし、そのかんがえはある程度はいまの時代性と一致、けれどもそれによって安心なんてしたくないのがわたしであるのだし、正しい行動を判断する能力はわが身にはないという重大な前提はつねに必要となるであろう。
 隣にいる冬城が、俯いてふるえていた。様子が、おかしかった。わたしも亦、胸がざわついてくる。
「大丈夫?」
 わたしが泣きそうな情緒で伝えると、
「…はい」
 というだけ。かすれた、幽かな声。
 顔をてのひらで覆いだし、わなわなと震えつづけていて、机に涙がぽたぽたと落ちてきた。わたしはパニックにちかい状態になる。
 唖然としているふたりに、「そういう話題苦手なひともいるから、いまやめましょう」と伝える。
「うん、わかった。ごめんね、気をつけるね」
 と罰がわるそうな橋本。
「冬城さん、ごめん」
 冬城澪は返事することができない。
 春子はすこし不満げだったが、とくに嫌味をいったりはしなかった。黙り込んで、スマホを見始めるだけ。
 先程の怖い笑みを見て、「繊細なんだねえ」と薄ら笑いを浮べる可能性もややあると懸念していたわたしは、彼女へのわたしの解釈に罪悪感をもち、「わるく想ってごめんね」とおもった。
 時々ちらりと冬城を見て、心配そうな顔をする春子。けれども、何もいわない。春子がどんなひとなのか、わたしにはまったく解らなくなってきているのがこの時期だった。
 年齢-少女期、わたしはいまの冬城澪みたいなところがあった。この性質を自分が失って了ったことは、時々ではあるけれども、わたしに悲痛な感慨を齎(もたら)しているのだった。
 こういう場面では、ひんぱんに嫌味をいわれつづけてきた。小学校低学年、戦争教育で泣き崩れたときから、「優しいひとアピール」「友達もいないくせに」「自己中のくせに優しい自分に酔ってるだけ、気持ちわるい」、そんな言葉を、何度いわれてきたことであろうか。
 だから、なにがなんでも冬城澪の味方をしたかった。わたしはそんな自分自身への不潔さを呪いながら、尋常ではない心配な気持のなか、「冬城澪をいたわることを最優先させる」行動を選択した。
 冬城が、殆ど過呼吸の状態になる。背中をさする。わたしは閉鎖病棟でこの状態のひとを何度も見てきて、同情心でうつったこともあって、すこしトラウマになっているから、わたし迄パニックになってきた。涙が溢れてくる。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 冬城の背中をさすりつづける。顔を覗き込むが、冬城澪らしいといえようか、てのひらで顔を隠している。過呼吸にくわえ、うわ、うわっ、ううっ、という呻きが時々きこえてきた。
「ごめんなさい!」
 とくぐもる声で叫んだ後、彼女は部屋から飛び出していった。
 平常な情緒ではないのはわたしもそうだったけれども、こういう時こそ、概念-少女倫理的に行動を決定しなければいけない。が、冬城澪のところへ向かうほかはあるまい。頭が、まわらない。しかしそうすれば春子と橋本へなんらかの負担を与えることは想像できたので、なにかフォローをしなければいけないとは思考をうごかすことはでき、なにか、「あなたたちは悪くないですよ。わたしが勝手に行動するだけです」というような言葉を差し出さなければならない、しかし言葉が想いつかなかったから、「行ってきます」とだけ伝えて、冬城を探しに行った。
 このように、わたしは自他境界が引けていないところがある。

 廊下の隅でしゃがみこみ背を負っていた冬城は、ものすごい声で泣きじゃくっていたから、見つけることは難しくなかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! わたしのせいで雰囲気が悪くなりましたよね! いつもいつもそうですよね! わたしはいるせいで! わたしがいるせいで! ごめんなさい!」
 つられて、わたしも大泣きの顔になる。
「大丈夫、大丈夫だよ。冬城さんみたいなひとはいるよ。全然わるい性格じゃない、わるい性格なわけないよ。わたしの知っているひとでそういうひと何人もいるけど、わたしにとって素敵な性格のひとばかりだよ。わたしは冬城さんがいるからイヤとかおもったことない」
「うわっ、うわっ、うう、あああ」
 落ち着くまで、ずっと冬城を抱き締めていた。わたしの不潔な同情はわたしに涙を流させ、それが、冬城澪のTシャツを濡らした。こんな時でもわたしの自意識は、わたしの不潔さや半端さを嘲笑っている、わたしは、そんな自分が大嫌いだ。清んだ優しさを一途に注げない自分が、大嫌いだ。半端な親切なんてしてはならないという考え方が、ずっとずっと思考へ去来している。
 わたしは、昔から、──内心だけの場合も多いけれど──外れ者の味方ばかりしてきた。
 学校に友達が一人もいないひと。話しかけても、いつも追い出されてしまうようなコミュニケーションしかできないひと。不潔で暗い顔をしているひと。いじめられっこ。ダンゴムシ。
 そして、わたしなんかを推してくれる、わがいとおしきファンたち。わたし、きっと、ファンのことを愛せていない。だって、可哀想だから好きという気持なんて、不潔だ。殆ど、すこしばかりの善から悪が漏れ出しているような感情だ。それに従って半端な親切をする。行為として、悪だ。
 数十分経って、冬城が落ち着いてきた。すこしだけだけれども、安堵した。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいって言わなきゃいけないこと、冬城さんはしてないよ。ありがとうでいいよ」
「ありがとうございます」
 顔をくしゃくしゃにして、
「こんなことしてくれたの、鈴木さんが初めてです」
 と言ってくれた。
「…どうして、戦争なんてあるんでしょうか」
 と、ぽつりと呟く冬城。このような”どうして?”には、少女性が宿りえるとわたしは考えている。冬城澪の”どうして”を、わたしは重んじた。だが、どういっていいのか解らない。
「うん、うん」
 相槌だけすることにした。
 わたしたちは外へ行って、しばらく歩いたらベンチがあったから、そこに座った。冬城はすこしだけ微笑むようになってきていて、それが嬉しかった。
「鈴木さんって、本を読んでいることが多いですよね。なにを読まれているのか知りたいんですけれど、愛読書とか聞くと、困っちゃいますか? いや、教えなくても大丈夫ですよ! いやだったらごめんなさい!」
 冬城らしい、丁寧すぎる、舐められやすそうにも感じられる、こちらを恐れているようないいかた。けれども、わたしは、プロデューサーのような人格否定的な言い方で──わたしは意志をもって、具体例を書かない──非難されるようなコミュニケーションの仕方では、ないとおもう。不器用ながらも気を遣ってくれる、そんなふうにわたしに感じられることも、けっしてすくなくはない。ただ、なにをかんがえているか分からないから、接しづらいというのはほかのひとたちと一致はしていた。
 この質問にどう答えるか、すこし、考え込んでしまう。わたしの愛読書は、暗みのある危険な悪書がおおい。その逆に、あまりに透き徹ったがゆえのおそろしさ、不安を張りつめたような書物もおおい。
 双方とも、いっしょに働く仲間へ告白するには、その後の関係に支障が出かねないほどに印象がわるいだろう。
「星の王子さま、とか?」
 星の王子さまも大好きです、サン・テグジュペリだって大好きだけれども、もっと、もっと好きな作家は、べつにいるの。
「え! え! 星の王子さま! え!」
 ぱあ、と星空のように照りかがやくようなあかるい表情へ、冬城のふだんの暗いポーカーフェイスがすさまじく変容する。わたしは、ここでかなり驚いた。
冬城澪って、こんな顔をするんだ。
「星の王子さまいいですよね! わたし、キツネが大好きなんです。”もしぼくを飼いならしたら、ぼくたちにとって、相手が特別な存在になるんだ”って言葉、すごくすごく好きで。よくないですか?」
 冬城の表情やあかるい声色につられたのもあるが、こんなに近くに似た感性と趣味をもった人間がいたことで、わたしの情緒は、一瞬で躁(さわ)がしく飛びあがったのだった、あたかも、うさぎが跳ねるようなスピードで。
 屡々(しばしば)驚かれるが、わたしは数秒で情緒がいれかわりえる性格をしており、話し相手が自己を卑下することをいうときゅうに顔をくしゃりと歪め泣きだしたかとおもうと、その十秒以内に立ち直り、自分のジョークにけらけらと笑っていたりする。
「わかる、キツネかわいいよね! わたし、星の王子さまでキツネが大好きになったんだあ! 狼王ロボでオオカミ大好きになったし、犬はつねに全部かわいいし、イヌ科に生まれたかったくらいイヌ科が大好きでさあ、あ! 話変わっちゃった。え、わたしたち、じつは共通点ある?」
 同じテンションで話しだすわたし。
 え! と嬉しそうな、あどけない驚き方。目をおおきくみひらき、くちもとがおおきな笑いをかたちづくる。
 そうなんだ──と、わたしは先ほどの高揚がすぐに沈むのを感じる。
 この子、ほんとうは、素直すぎるんだ。ふつうに生きていくには、素直すぎて、無防備すぎるところがあるような気がする。わたしは知っている、こんな、わたしにとって素敵な性格の人間が、おおくの社会的な環境と相性がわるく、どこに行っても苦しんでしまうという状況になりがちであるということを。わたしだってある程度はその性質があるけれども、もうすこし、猫かぶりによって居場所をもらえる傾向がある。それが、時々後ろめたい。
 冬城澪って、いたましいほどに、こっちがくるしくなるほどに、素直なのかな。
「うれしい! うれしいです! じつはわたし、鈴木さんのことがずっとずっとひととして好きで、だからほんとにうれしい!」
 腕をかるくぱたぱたさせた。いまにもジャンプしそうなくらいに喜んでいる。あ、すこし踵があがった。こういうひと、精神病院の閉鎖病棟にいたな。そう想いだした。わたし、そのひとたちが大好きだったけれど、そういうひとが此処にいる理由が、なんとなく想像できた。その、想像できるというわたしの思考にある差別意識は──そのひと自身へのそれ、そのひとを苦しめたと推測される行為をする見知らぬひとへの推測的なそれ──甚だしかった。
 彼女の表情を説明するうえでは、どうしてもかわゆらしいオノマトペを使わざるをえない。美文調をかなり意識しているこの小説では、正直使いたくない気持もあるのだけれども、しかし、使わざるをえない。使わせていただこう。
 ほわほわ! と表情がふんわりし、口元をゆるゆる~とさせ、ぴょん! と眉をあげる。
 わたしのことが、ひととして好き。そうだったんだ、わたしはうずくまるような自責に苛まれる。わたしは、冬城澪のことを、こうして話すまで、えたいの知れないひととして、アイドルとしてわたしよりも魅力が低い存在として、下に見ていたような気がするから。
「冬城さんは、愛読書とかあったりする?」
「えっとですね」
 と、はにかんだようにかわゆらしく微笑み、考え込むようにうつむいて、ちらりとピュアな印象の黒目を向ける。きらきら、と眸がまっさらに照ったような印象。表情のうごきが、すごく綺麗。
 けれどもこのひとの美しさに気付くひとは、きっとすくないのだろう。いい齢をして子供らしい表情しかできない人間を軽蔑するひとが間違っているだなんてことはない、そう、わたしは知って了っている。
「…哲学者のシモーヌ・ヴェイユが書いた、『重力と恩寵』が、大好きなんです」
 息を呑んだ。冬城が、にこにこしながらさらにつづける。
「でも、どちらかというと──え、どうしよう、言うの恥ずかしいなあ…」
 もじもじとしたあと、普段無表情の彼女なのに、いいえ、いいえ、おそらくや、これまで偽装りわらいをどうしてもできなかったからこそ守られてしまったような、淋しいほどに無垢な印象の、”ああ、この子がシモーヌ・ヴェイユを好きになってしまうのって、わかっちゃうな”、そう思わせるような、どことなく浮世離れした雰囲気の、はっとするように綺麗な愛らしい表情で、こういったのだった。
「わたし、シモーヌ・ヴェイユが好きな自分が、好きなのかもしれません。
 三つ編みにした黒髪を垂らして、白いブラウスに地味な色のカーディガン、品のあるロングスカートを身に着けて、清純らしい服装をしてるけど、じつは清純とは程遠いくらいに芯がつよくて、優しい反骨精神をもっていて、なにか赦せないことをいわれたら、たとえば、”もっとお洒落しなよ、女なのに”とかいわれたら、”いやよ!”って言い返すような、そんな昭和の文学少女、哲学少女、そんなふうに、自分のことを想えてくるんです。
 休日はそんなファッションをしているから、髪は染めずにずっと長くしていて、カラーされていたりパーマがかかっているヘアスタイルも素敵だし、すすめられるし、してみたいともおもうけれど、自分では、黒髪ストレートロングが信条なんです。休日は、いつも三つ編みにしています。あ! あと、作家でいうと宮沢賢治と吉本隆明が…」
「友達になろう!」
 わたしは叫んだ。
「え、え、え! え!…はい!」
 かわいい。
 わたし、こういう子、ほんとうに好き。
 わたしは、冬城澪のことが、だいすきになってしまった。だから、だから、わたしたちグループが有名になってからの彼女のくるしみが、挫折が、受けつづけた不当な暴力が、わたしには耐えられない。この先、きちんと書けるかどうか、その自信もない。
 ブス。
 ひとの容姿に、たったカタカナ二文字で「無価値」と烙印づけるこの言葉を、わたしは、ぜったいに是認しない。自分に対してだって、わたしは、ぜったいに使わない。
 わたしは、カタカタ二文字から四文字の蔑称を、けっして是認しない。わたしがメ××ラ? かってに、言っとけ。

  *

 【プロフィール】

 名前:橋本アーヤ
 年齢:22歳
 身長:167センチ
 好きなアーティスト:尾崎豊、椎名林檎、セックスピストルズ、ニルヴァーナ
 尊敬する人物:女手ひとつで育ててくれたお母さん
 好きなファッションスタイル:カルバンクラインとロック系を組み合わせる
 将来の夢:女優さん
 五年後のあなたはなにしてる?: 映画で主演したい
 座右の銘:うーん、ない
 ファンへ一言: 推して、以上

 名前:野苺春子
 年齢:19歳
 身長:152センチ! 小さいのがコンプレックス…だからかわいいっていわれたらうれしい♡
 好きなアーティスト:かわいい女性アイドルはみんなだいすき♡
 尊敬する人物:野苺春子一択
 好きなファッションスタイル:ピンクと純白♡オフショルでフリルがついてるトップス♡袖長めのふんわりしたアウター♡下は絶対スカート♡
 将来の夢:まだ付き合ったことないから、いつか誰かと結ばれたい♡ 将来の夢、いっしょにみつけよ?
 五年後のあなたはなにしてる?: もっと愛されてる
 座右の銘:全身全霊全時間アイドル主義
 ファンへ一言: 愛して?

 名前:冬城澪
 年齢:19歳
 身長:159センチ
 好きなアーティスト:スピッツさんとヨルシカさんです
 尊敬する人物:秘密です
 好きなファッションスタイル:清楚なカジュアル系です
 将来の夢:考え中です
 五年後のあなたはなにしてる?: なんらかのかたちで働いているとは思いますが、できればアイドルを続けていたいです
 座右の銘:ほんとうに大切なことは目に見えない
 ファンへ一言: ひとりでもいいので推しになってくださる方ができるよう、精一杯頑張っていきます。どうかよろしくお願いします!

 名前:紗希なお
 身長:153センチ
 好きなアーティスト:永遠に絶対的に水樹晶
 尊敬する人物:人間をそのひと単位で尊敬しない主義(人間をそのひと単位で軽蔑しないようになりたいから)
 好きなファッションスタイル:武装様式の話なら地雷系ですが? 病みかわファッションは戦闘服ですが、なにか?
 将来の夢:つよくてやさしいひと
 五年後のあなたはなにしてる?: 生きて歌ってお前を愛してる
 座右の銘:きちんと生きて、きちんと傷つく
 ファンへ一言:だから死にたい人間が貞節をもって生きてる姿はロマンチックなんだってそれだけでほかのすべての命のうごきと同様に俗悪な美しさがあるんだってだから生きろってずっとずっとオレはいっていますが? なに?



  Ⅴ. 適切少女憧憬詩論

 わたしは、橋本綾みたいになりたい。ずっと、ずっとそう希っている。
 橋本綾は、気遣いさんだ。ささやかなものであっても周囲の問題をすぐに察知し、こまやかな気遣いをしてくれて、感謝されてもそんなに嬉しそうな顔をせず、「いつも優しいですね」とわたしがいうと、むしろ淋しげな笑みを浮べて、
「ううん」
 とだけいう。
 橋本は女優志望だけれども、この笑みはかなり文芸映画的な美しさをわたしに感じさせる。
 しっかりもので、周囲に敏感で、人当たりが柔らかくて、モラル意識もあり──しっかり喫煙所でだけ加熱式煙草を吸い、吸い終わるとデオドラントスプレーを服にかけ、ビルのブースに入ると必ず服に煙のにおいが強くつくから、そのまま交通機関もつかわず家に直行する時以外は、入らないらしい。なぜそんな面倒なことまでして、吸えない時のニコチン切れに耐えてまでして、どうしても煙草を吸いたいのかは吸ったことのないわたしにはわからない。よく、ユニセックスな雰囲気のスパイシー系のクールな香水の香りが控えめに香るけれども、電車やバスに一緒に乗っている時はまったく香らない。マナーをある程度迄はしっかり守り、バランスよくストレスを解消するために煙草やお洒落をその時その時に合わせて楽しんでいる印象。こういうバランス感覚は、いつも「極端だね」といわれるわたしにはない──、一般社会で重視される種類の思い遣りのすごくある橋本がいるおかげで、幾分外れ者めいた三人もふくめ、どうにかグループとして団結できているという側面が屹度(きっと)ある。
 けれどもわたしは、橋本綾に、すこしだけ苦手意識があるのだった。わたしが合わないひとと会話をするのが苦手なのもおおきいとはおもうけれども、いつだって会話は盛り上がらない。
 わたしは冬城澪とは、すごく会話が合う。運命的なレベルである。
 春子は向こうが話してくれるし、話も返答もいつも面白いので、こちらも助かる。
 橋本綾は自我を出すことがすくないというか、相槌や質問で相手から言葉をひきだしたり、相手に合わせるコミュニケーションが得意なひとともいえようか。言葉どおりではないけれど、「利他的」な印象のコミュニケーションで、春子みたいに自分の話をたくさんするわけじゃないし、お互い聞き役が好きなのは原因としてあるような気がしている。「もっとあなたが話して」、と双方が感じているような雰囲気も想像する。話がくいちがう度に、「どこに行っても不成立なわたしは、社会と適切な関係を結べるひとと適切な形では結ばれえないのだ」というような、幾分被害妄想めいた感情をいつもわたしに齎(もたら)すのだった。
 ──無理解であるだけなのはわかっている、経験がないだけであるのはわかっているのだけれども──相手を傷つけないように気をつけながら話し、あたたかい人間観の持主であると判断される橋本綾の発言のはしばしにだって、「精神疾患の人間」「登校拒否の少年少女」「障害をもったひと」「ひきこもり」などへの悪気のない軽蔑心を感じることがある。そういうファンもいるグループなので、どうしてもそんな話題になりやすい立場であるのだろう。
 わたしはそれに間接的に傷つくことがおおいし、過去の仲良しや、他のメンバーと比較してファンにもそういうひとが多いわたしは、正直、すこしだって聞きたくない。けれども、いうことがぜったいに悪いともやはりおもわない。他者に、そういう強制をするのはよくないとおもう。ましてや国家がそれをもって了ったら、さらにおそろしい。したがって、”わたし”という少女国家の国土は、わたしの纏う病みカワ衣装迄、”わたし”の戒律を守らせるのは、わたしのみ。
 冬城澪だって、そういう発言が苦手だとおもう。暗い顔で、いつも俯く。冬城は、ひとの悪口を不自然なくらいに、「もうすこし愚痴をいったほうがいいよ、他人のせいにもすこしはしたほうがいいよ」といいたくなるくらいにいわないから、確信じたいはないけれど。おそらくや、「ひとの悪口をいわない」、そういう貞節を自己に課している。シモーヌ・ヴェイユが好きだから? 或いは、抑々(そもそも)心に浮かばないの? 要検討。
 わたしの橋本へのそういう一種の差別意識が、彼女にも伝わっているからこその会話の合わなさもあるような推測もある。
 唯一、あんまりふたりきりにはなりたくないのが、橋本綾だ。
 好きだけれども、憧れだってあるけれども、気まずい、の一言。

 春子と橋本は仲良しで、ふたりで遊んだりもしている。橋本はロックが好きなので、よく、ふたりでライブに行ったりもするらしい。
 橋本は黒スキニーにタンクトップをイン、レザーのベルト、ブーツ。寒い時は黒のレザージャケット、そんな、普段とはすこしちがう、コアなロックファッション。状況によって、ファッションを変えるタイプだ。
 春子は、ふだんどおり。サイトのプロフィールに書かれてある言葉でほんとうのことは、年齢、そして好きなファッションスタイルのみ。もうすこしくらいは、合っててもいい。
「春子、毎回そのままバンドマンかイケメンのファンとホテルに行っちゃうから、わたしを置いていくんだよね。わたしは、そういうことキライだからしないけど。あの子器用だけどさ、なんか自分勝手なんだよなあ」
 という愚痴を、ふたりきりだった時にわたしにいったことがある。正直、同意。
「わたしさ、母子家庭で、母が美人で、自分でいうことじゃないけどわたしも小さい時から見た目はよかったからさ、”浮気性で遊び人の血”だって決めつけられることが結構あって。実際は母もわたしもそういう感じじゃないのに、何度も何度も決めつけられてきて、だからかな? だんだん、遊んでるひとのことがキライになってきたんだ。春子といると楽しいし、あの子面白いし、いいところあるけれど、部分部分ではちょっとイヤなところもあって。あー、こんなこと、同じグループのひとにいうべきじゃないかな」
「いえ、そういう事情だとそういう感情が人間に生まれちゃうことじたいは、しょうがないとおもいますよ。すこし話ちがいますけれど、こうであってはいけない、と考えていろいろ我慢していたら、平然とそういうことをしていると感じさせるひとに、わたしだって苛立っちゃいます。実際は平然なのかどうか、見えないですけどね。春子先輩、すこし心配になります。それにしても、恋愛禁止、わけわかんないですよね。週刊誌に乗るようなグループじゃないのに。勿論複数じゃなくて一人がいいですが、わたしも恋愛してみたかったです」
 というと、はらりと笑って、
「ありがとう。わたしの味方も、春子の味方もしてくれるんだね。なおちゃん、思慮深いよね」
 といってくれる。橋本は、わたしのことをけっこう褒めてくれる。嫌われてなかったら、いいな。だって憧れるくらい好きだから。
 盛り上がらなくて気まずくはあるけれども、このくらいの会話ができる程度の仲は築けていることは、この挿話でお分かりいただけたとおもう。
 春子と橋本綾に負けないくらい、わたしと冬城澪もかなりの仲良し。いっしょに大型書店に行ったり、美術館に行く。
 大型書店では、「二千円迄で選ぼう!」と約束して、敢えて店内で別れてお互いのプレゼントを探したりする。すれちがうと、手を振り合う。澪は、にっこりとする。はい、と差しだし合うと、澪は罰のわるそうな顔。
「ごめんなさい、どうしてもこれがよくて…」
 と差し出された本は、二千四百円だったりする。頭を撫でてしまう。
 美術館に行くのも、とても楽しい。都内の美術館の展示イベントの情報をつねに把握しているくらいに定期的に調べるようになったのは、冬城澪と仲良しになってからだ。
 美術館のお土産屋さんでは、
「なおちゃん、買いすぎじゃない? お金大丈夫?」
 といつも心配してくれ、
「わかんない! 大丈夫じゃないかも!」
 と、わたしはハイになっているから、冗談らしく答えたりする。
 澪は、こういう時、笑わない。心配そうな顔を、継続している。というか、彼女は、殆ど笑わない。お笑い番組で笑う澪が、まったく想像がつかない。傷ついた顔をするだけだろう。そして、ほんとうに嬉しい時にだけ子供みたいな顔で笑い、犬好きなひとが犬を見た時のようなやさしい状況でだけ、ふわりと儚く笑う。
 いじめられていたらしい。かなり酷いやり方で。けれども、家族仲はいいようで、わたしは安心した。すこし甘えん坊入っているところが、そういう影響なのかもしれない。わからないけれども。
 ため口で話してくれるようになって気付いたのだが──冬城澪は年齢がわたしのひとつ下なので、「ため口はプロデューサーがいないときだけね」と四人でお話しているのだけれども、時々、かれがいるのに「なおちゃ…、あ!」と口をよく押える。プロデューサーは、冬城澪に対しては注意することを面倒くさがるから、このくらいだったらなにもいわない──、冬城は、声がかなりかわいい。話し方だって、素直でやさしい印象。かわいい声でもっと性格を出すようになったら人気が出るだろうとわたしはおもっていて、それを冬城に伝えたら、
「…ちがうとおもう」
 と、こちらの胸が締めつけられるような反応をした。
 女性が四人でランダムに集められると、こうして、ふたりとふたりで仲良しになるのは、よくあることではないかと思う。そして、ある一面からいえば、最適なかたちのひとつ。
 問題は、ひとりがいない時。つまりは、三人になる時である。
 名前の順番は、メンバー紹介、プロフィールの紹介のそれにする。プロデューサーいわく、わたしを毎回最後にするのは「グループの爆弾」だかららしい。自虐になるけれど、自分がセンタータイプではないのは理解している。
 センターは、春子。納得。王道アイドルの極みのようなある種完全無欠なルックスで、歌・ダンス・猫かぶりもすべて得意。配信でみんなと話す時には、「この会話の流れで、よくそんなに可愛くて、キャラにも合っていて、お笑い的にも面白い返し想いついたな」と驚くことが多い。以前べつのグループで活動した経験もあるだろうけど、頭のよさをかなり感じさせる。そして、普段の性格のみならずそれすら隠せているのが、アイドルとして凄まじい。メジャーのグループの面接にも、余裕で受かっていたとおもう。
 綾は、同性ウケ抜群の容姿とキャラクター、歌声がロックボイスでかっこいい(シャウトはほとんど綾)、そしてモデルっぽいルックスなのでヴィジュアル担当。
 素がいっとうかわいいとわたしにおもわれている澪は、歌とダンスはアイドルの平均くらいだが、努力が得意なのでめきめきと上達している。キャラクターは模索中。
「春子ちゃんと綾ちゃんほどはかわいくないけど十分めっちゃかわいくて綺麗だし、ダンスは下手だけど歌めっちゃうまいよね!」という余計な前置付で褒められることの多いわたしは、爆弾枠以外だと、隠れリア恋枠だといわれている。「サイケデリック・ロンリーガールズの病みかわ爆弾担当、透明になりたい紗希なおです! 地雷系っていうなー!」と自己紹介するのは、よっぽどハイじゃないとできるわけがない──。
 ひとつめ。
 橋本綾、小河春子、鈴木なおの場合。
 ふたりともわたしに気を遣ってくれるのだけれども、正直わたしはふたりのコミュニケーション能力に対して劣等感があって、「こんな素敵な気遣い、高度なコミュニケーション、わたしにはできないな」と感じつづけ、申し訳ないことだけれども、鬱々として了う。そんな表情を顔に出さないように気を付けて、それによって疲れて了うのだ。
 そもそもふたりは親友レベルで仲良しだし、話題も、春子の遊び人エピソードに綾が反応し、笑いを生みだすというものが多く、わたしはどう会話に入るのがいいのかがわからない。けれども、ふたりとも要所要所で話をふってくれる。
 春子の話が、男女関係のセンシティブなそれがおおいから、
「わたしも風俗嬢だったとき、こんなお客さんいて~」
 と、いつかハイになって過去を露呈して了いそうで、怖い時もある。
 わたしは冬城澪と、「好きなお花なに?」「ネモフィラ!」「わかる! 沈鬱な青だよね」「は? 沈鬱? めっちゃそのいいかた解るんですけど!」「えへへ、わたしたち似てるかな~?」「やったあ!」みたいな会話をする時間が、いっとう好きである。
 わたしたちの共通点は少女っぽいところ、と、思いたいけれど、会話の内容は、どちらかといえば女児的である。ふたりとも、セボンスターがだいすきだ。かわいい雑貨屋さんでは、おおはしゃぎする。ニュースタアってお店、ごぞんじ?
 澪の話になって了った。好きすぎるので仕方がない。
 ふたつめ。
 小河春子、冬城澪、鈴木なおの場合。
 春子は、冬城のことが、きらいだとおもう。陰口をいう時もある。見下している雰囲気もある。冬城澪は春子へすこし恐怖感がありそうで──というか、わたしと両親以外の人間と接するのは基本的に怖いといっていた──、「わたしなんかと話させてごめんなさい」、そんな雰囲気すら出ている気がする。
 春子は、──自分でいうのもなんだけれども──わたしのことが、それなりに好きだとおもう。たぶん、春子は話すのが好きだし、わたしは聞くほうが性に合っているし、春子のセンシティブな話題を、わたしは否定しないからだ──否定的な気持にもならない、春子には春子の見えない痛みがある筈だし、なんだか想像もできる部分があるし、わたしだって身売をしていたから──。だから、彼女はわたしとだけ話したがり、うしろにさがる澪を置いてきぼりにする。だからわたしは澪に話をふるけれども、「…はい」「…そうかもしれません」以外に殆ど言葉を発さないので、「てかさ、このまえファンとばったり会ったとき~」と、すぐに春子がわたしだけを見て話しだす。澪がなにかをいって、春子が、すこし「強すぎない?」とわたしに感じさせるつっこみ方をすると、わたしは、「澪のそういう感覚、わたしは好きだけどねえ」という。春子が黙りこみ、話題を変える。澪が、俯く。
 そんなタイミングで、澪は、こちらが淋しくなるくらいの悲しい眼差で、わたしをじっと見つめる時がある。目が合うと、下を向く。あとで、「わたしなんかに話をふってくれて、ありがとう」といってくれる。
 ねえ。「わたしなんか」とかいうの、やめてよ。
 いいえ、いいえ、こんなに大好きな友達に、「わたしなんか」と自然にいわせて了う不可視で巨大なもの、そのうごきを、やめてよ。不可能。わたしのこんな気持、それだって暴力。その気持にそのまま従い、思慮を欠けた状態で行動したら、どんな悪の現象が起きるのか、わたしにも把握できない。だから、おそるおそる、時々くらいは激情的に、地下アイドルをしている。こんな英雄願望、不潔だ。不潔だ。けれども、注意ぶかく、注意ぶかくするんだったら、行動、してもいいとおもう。
 春子にも好きなところはある。素敵なところもある。次の章で、たくさん書きたい。けれども、もっと、冬城澪にやさしくしてほしい。
 みっつめ。
 橋本綾、冬城澪、鈴木なおの場合。
 コミュニケーションがうまく、基本的な性格がやさしい橋本が、司会者のようになる。橋本は、大勢で話すのがほんとうに得意だ。わたしと澪は、すこしへんなことをいっても許されるゲストのようになる。橋本は澪へ傷つける言葉をいわないし、澪は天然すぎるけれども慎ましすぎる性格でもあるので、まったく対立は起こらない。
 が、謎の緊張感がある。三人全員が感じている気もする。
 澪は、春子との時よりは話すし、時々ではあるけれども、笑顔を見せる。けれども澪は、人見知りで甘えたな女の子のように、話す時にわたしだけを見過ぎていて、わたしは、半端な親切で彼女を甘やかし、成長から引き離しているような気もする。いや、きっとそう。したがって、試行錯誤。わたしは、概念-少女であるのだから。試行錯誤、要検討、永久に。けれども、嗚。コミュニケーションって、わたしには難解。倫理って、けっきょくは花。花でありたくないのに。水晶のような美しさ、わたしは、それに憧れる。晶ちゃん。貴女の、こと。
 よっつめ。
 橋本綾、小河春子、冬城澪の場合。
 澪はそれを話したがらず、わたしも一度その話題になった時に訊くと、冬城澪はかなしい顔で、「わたし、いないほうがいいので」といったので、二度とその話題を出していない。
 もっと自信をもってほしいけれど、わたしは、自信って、とくに対人関係に関係する自信って、ある程度は他者や環境から認められないと、うまれえないとおもっている。こういうところは、現代の風潮と、わたしはちがう考えだ。そんな、誰からも軽視されていたり、見えないもの扱いされているような状態で、世捨て人の仙人みたいに自分だけの自信をもちつづけられる世の中では、ないとおもう。
 それに、おそるおそる告白をすると、冬城澪の魅力にわたしだけが気付いているのだという感覚が、わたしには心地いい。優越感。独占欲。わたし、こんな自分が大嫌い。澪が、橋本に笑顔をみせる。ちょっと、いや。わたしだけが友達、心の一部では、すこし嬉しい。醜い、わたし、醜いよ。どうして、澪の幸せを一途に純粋に希うことができないの?
 橋本綾と春子には、この三人で話す雰囲気を質問したことはない。いじめ迄はいっていない、と、信じている。けれども正直、春子にだけは、すこしくらいはそうしかねないような印象が、まだ、ある。

 以上の文章は、わたしの概念-少女的倫理を基にした、状況説明である。わたしは概念-少女でありながら社会と一条でいいので織られるために、理念的にコミュニケーションの方法を模索している。
 労働という立場に置きながら、わたしを「わたし」でありつづけさせるということ。これは、きっとわたしと「わたし」を強くしてゆく。
 だが、わたしをいまにも絞めるようにくるしめる事柄が、この倫理には条件として存在する。恋愛、禁止。これだ。

  *

 橋本綾とわたしの距離がちかづいた時の挿話を、書く。
 きっかけは、亦、わたしのアイドルとしての粗相である。先にいっておくと、これが理由でわたしには女性ファンが一定数つき、ファンの男女比半々のアイドルとなった。彼女たち、精神的な苦しみに負けずに頑張っている可憐なひとたちばかり、わたし、晶ちゃんのソロ曲の振付で小躍りするくらい喜んだのだった。晶ちゃん、すこし、貴女に近づけた気がするの。
 女性ファン、大好き。わたしに似てる? 両想い、最高。
 男性ファンには、相手のマナーによるけれど、正直、複雑な感情がある。父の影響だろうか、わたしは、男性からなんらかの欲をむけられることが、基本的に苦手だ。

 ちいさなライブハウスだったら満席に近くなるくらいの人気がつき、単独ライブが月に何回かできるようになった頃。
 プロデューサーから、「そろそろ個人で配信をしよう」といわれたので、一人暮らしの物の夥(おびただ)しい部屋、もはや配信前に綺麗に片づけ切るという選択肢はないくらいのワンルームで、カメラをつけた。「外れ者だけどがんばってます」というのが売りの、ある種わたしにとって”わたし”自身に許せないビジネス戦略がプロデューサーに伝えられたものだったから、敢えて、そのままにした。
 顧客ターゲット、外れ者。顔を覆って、いまにも頽(くずお)れたくなるような、罪悪感。二十歳、まだ、経済活動の存在に、根で違和感がある。
 頬を叩く。かわいい笑顔ができるよう、意欲をポジティブにもっていく。生きてやるんだわ。生きてやるんだわ!
 配信をはじめた。
「来るかなー?」
 まず、数人が集まってくる。かわゆらしくて、健気で、でもちょっぴり不快なこともわるぎなくいう、男性ファンたちだ。なんだかいとおしくて、けれども触られるのは躰を引かせちゃうような、ふんわりと温かい気持にはなるような、そんな複雑な感情が、わたしは後ろめたい。ほんとうに好きなひと以外から好かれるって、わたしは、ちょっと苦手。
 コメント。

 ──部屋、かわいいものがいっぱいあるね
 ──ぬいぐるみいっぱい! なおちゃんらしい

 わたし、にっこり。いいように言ってくれた。こういうファンに好かれるわたし、ちょっと好きになれるかも。一刹那。一刹那だけ。
「うん! かわいいもの大好きなんだー! 澪といっしょに買いに行ったりもするよ! 澪すごく優しいから、澪と遊ぶのだいすきでえ、澪の好きなところはね…」
 なぜか、ずっと澪の話をしていた。

 ──なおちゃんの話もききたいな
 ──最近、澪ちゃんの魅力に気づいてきた! 笑顔と声かわいいよね
 ──澪ちゃん、やさしそう
 ──清楚系のイメージついてきた

「そう! そうなの! めっちゃめっちゃめっちゃかわいくてやさしいの!」

 ──なおちゃんの話をしてよー、推しのこと知りたい
 ──きょうもかわいい! だいすき!
 ──なおちゃんのファッション超すきです! 歌舞伎町にいるめっちゃかわいい女の子みたい!

「えー、うれしいけどお、わたしみたいなファッションのひと福岡にもいたよー? 歌舞伎町は行ったことないかな! わたしのファッションが素敵なのはそのとおり! うれしすぎー! これいくらだとおもう? 1980円!」

 ──表情ころころ変わるのかわいい! なおちゃんはぴょんぴょんしてるイメージ

「うん! ぴょんぴょん生きてる! ぴょんぴょん生きるひと増えてー! 生きづらい世の中だから、せめて日本をぴょんぴょんさせよ!」
 わけのわからない、こんな空っぽな媚(コケトリー)で話す時もおおかった。罪の意識。だって、わたしは”わたし”として生きたいのに。なぜ仮面を被って迄、アイドルになろうと思ったの? それはね、水樹晶が生き抜いた先を、みんなと共有したいから。博愛主義、英雄願望、わたしのそれが、気持わるい。ねえ、なんでわたしはわたしなの? わたし、わたしなんかいらない。わたしは、”我(わたし)”を放棄したい。透明でやさしい観念みたいに存在になるか、”わたし”だけを残して、ほかのわたしを消え去らせて了いたい。…

 ──だいじょうぶ? 表情、暗くなってきたよ
 ──元気出して!
 ──あなたに影響されて働きはじめました、ありがとう! ありがとう!
 ──なおちゃんに救われてる、だからかなしい顔をしてるとおれもかなしい

 わたしのファンは、けっこう、やさしいひとが多い。慎ましくて、行動して他者を傷つけることを怖がる、いろいろな意味で垢ぬけない、かわいい男性が多い。女性と接するのが苦手、お金を稼ぐことが苦手、みたいなことを自虐する男性も多い。あなたたちだって素敵だよ。そう思うし、伝えている。けれども、恋愛感情や性欲を、わたしの気持への思慮なくはっきりと伝えられた時、わたしのなかのphysicalとしての心の領域分が、罪の意識をもちながら、恐るおそる、わたし自身へ告白をする。
 ごめんね、わたし、あなたたちと付き合いたいとはおもえない。だから、信頼関係ができていない状態で、侵食してこないで。わたしのなかに、入ろうとしないで。
 されどわたしは、かれ等にはない色香、恰も危険な悪書のそれのような蠱惑、そんなものをもった、一種かれ等とは真逆の、”行動し、外界を破壊・再構築しようとする男の怖さ”をもった男性から侵食される危機を感じた際、時々ではあるけれども、恋愛的な欲心をおぼえることがある。「入ってくるかも」、その危機感がまったく嫌ではない時、わたしは、胸が高揚する。
 これは、けっしてすべての女性に共通するものではない。一部にすぎない。
 けれどもわたしね、わたしのなかの”女”みたいなものが、全体的に、なんだか好きになれない。すべての是認はできない。ファンのなかの”男”みたいなものも、正直、きつい。たぶん、人間が宿命として付属されて了う恋愛本能の部分が、結われようと伸びる肉体質なこころのうごきそれ自体が、幾分不気味に感じられるのだ。
 わたしの貞節を、そして社会のモラルをいまにも崩しかねないような、粘着質の、やむにやまれぬ暴力性と被暴力性のいったりきたりなのたうちを、わたしは人間の恋愛感情と性欲のうちにイメージして了う。
 如何なる下心もない、透明にして一途なやさしい包容。織り重ね合う信頼関係の、ゆったりとした愛と信頼の積雪。世の中の恋愛感情がすべてこれであるのなら、わたし、もはや悩みなんてないとおもう。ぜったい、文章なんて書かない。アイドルもしない。ただ、むりのない範囲で働きながら、ほんとうに大切で特別なひとと、大切にし合い添い遂げたいと希むだけだとおもう。
「わたし、ファンのみんながだいすきだよ!」
 ほんとうにだいすきなひと以外に、だいすきなんていいたくなかった。ここで毎度傷つくことで自分に安心する生き方を、もう、つづけられる気がしない。すこし麻痺してきたわたしへ、ぞっとするような自己嫌悪を感じてきた。
 わたし、愛することもそうだけれども、愛されることが怖い。
 どうして?
 どうしてあなたは、わたしなんかをかわいいとおもうの?
 ねえ、若くて、顔がすこし綺麗なほうにできていて、美容としてタンパク質と脂肪の量を後天的に調整していて、メイクや服装のみならず、言動仕草ふくめて”皮膚の外側”を綺麗に着飾ってるからじゃないの? ほんとうの、ほんとうの泥の漏れ出るようなわたしの本性のなかの本性を、怒りと憂いと払拭できない軽蔑の入り混じったphysicalの体液質な匂いの濃い毒を、いったい、だれが是認し、包み、愛してくれるの? わたしなんかのすべてを包んでくれて、是認してくれるなにかなんてあるわけがない。宗教だって信じたくない。なぜって、わたしは”わたし”だから。たとえ幾たび斃れたって、わたしは、ぜったいに手折られたくないから。わたしの注意力によって”美と善”だとみなされた対象以外には、ぜったいに跪きたくないから。けれどもわたしは、わたしからけっして脱獄できない。わたしでわたしである限り、わたしなんかが愛されるにあたいするわけがない。
 いっとう愛し合いたかった、だからそれを折った。わたしは淋しさに死にたい想いをするから、それを、生の意味にした。

 ──心配、ふるえてるよ?
 ──だいじょうぶ!?

「大丈夫、ありがとう」
 ごめんね。あなたたちを、一途に愛せなくて。感情・行為・現象。これらをすべてやさしさで透したい。わたしには、むりだよ。どうしてこんな禁戒を、わたしはわたしに課したの。いっとう欲しいものを折ることを生の意味にする、徒だ。どうして。

 ──なおちゃんは俺が守る!

「えへへ、ファンのみんなにいつも守られてるよー!」
 俺が守る、の言葉を冷笑して了ったわたしに、戦慄めいた自己嫌悪。
 その時、こんなコメントがどっと流れてきた。

 ──メンヘラじゃん
 ──ファンもメンヘラ、おまえもメンヘラ、メンヘラサークルですか?笑
 ──病んでてもがんばってたらみんなかわいいとか前いってたよね、そんなわけありませーん、おまえは顔がかわいいからちやほやされてるだけ
 ──おまえはアイドルだからまあゆるすけど、生産性ない人間を生かすために納税するおれたちからすると、病んでるやつは存在が害なんだけど
 ──グループの「メンヘラ・ルサンチマン担当」、すずきなおでーす笑

 呆然とする。
 粗相。こののちの言動、アイドルとして、労働者として、反省にあたいする。
 けれどもわたし、ここだけは、ここだけは自分を褒めてあげたいの──だってわたし、きちんと傷ついたよ。
「…メ××ラって、なに」
 顔を覆いたくなるようなかなしみののち、くぐもる泡でもあり閃光のどぎつい火を孕む俗悪にして強靭な怒りが、喉よりこみあがる。
「オイコラ、メ××ラってなんだよ? なに? なに!」
 わたしには──内心で終わることが殆どだけれども──、まったくスルースキルがない。正直にいおう。
 スルースキルを身に着ける気なんか、さらさらない。
 きちんと受け止め、きちんと傷つくことから自分を衛るのは、対象への深くて巨大な軽蔑そのものだ。そうおもっているから。傷ついてもいい。傷ついてもいいから、わたしは、”わたし”として生き抜く。
 のちに配信動画を確認したことがある、わたしは、その時鬼のような凄まじい形相であったが、その目元には暗いかわよさがべったりと張り付くように、或いは奥へ奥へと沈み垂れ込むようにして淀んでいた。されどファンからはよくこういわれる──眸が澄んでたね、と。
 美化、しないでよ。
 高潔なんて、いわないでよ。
 水晶みたいに、いわないで。
 なぜってわたし、”わたし”を水晶のつよくてやさしい冷然硬質性へ変容させたいんだから。善意志とは、めざめた水晶ではないかしら。
 わたしは、地下アイドルというアングラで閉鎖的な世界で、かよわき反抗をしていた。恰も、肉のなかの肉のやわらかさを抉り出し、差し出し、切先なき刃を激情こめて向けるような、恰も肉の花を武器とするような、そんな、滑稽で、不合理な、矛盾した戦いを、”リフジン”と“我”との争いを、わたしはしているつもりだった。
 わたしは闘争心がつよいから、きちんと、なるべく他者を傷つけないように、明確に敵を設定したのだ。
「精神的な苦しみを抱え、精神薬を飲みながらいっぱいいっぱいで生きている人間を、ただそうかってにおまえにみなされただけかもしれない人間を、おまえらの恣意的な判断でくくって、たったカタカナ四文字で表現するんじゃねえよ! 略すんな! 言葉は厳密に使えや! せめて精神疾患っぽいとか、愛情不足そうとか、そういう風にいえやコラ! メ××ラ? もう一回いえこの野郎!
 わたしはそんなひとたちで、たくさんたくさんたくさん素敵なひとを知ってんだよ! ひとりとひとりと話してみろよ! そのひとそのひとに出逢ってから、そのひとの”そのひと”と出逢ってから他人の人格にものをいえや!
 心の痛みを抱えて愛情を渇望しながら、ズルズルズルズル病を引き摺ってできるだけ現実と関わろうとしながら生きてるひとびとのことが、なんかおかしいのか?
 すべての人間と同じじゃねえか!
 生きるって、そんな俗悪なものだろうがよ!
 あ? わたしがそんなひとの味方をするのを嗤うのはいいんだよ、わたしは慣れてんだよ、そういうことに。否定されることに、自分で否定することに。そんなわたしは不潔で、そんなことを自分でいうわたしは不潔で、悪人で、けっきょく、わたしがいっとう醜くて、でも、でも、わたしには、大切な、大切なひとが…い、いる、いるから…大切にできてないけど、わたし、病んでるとか、そういう、わたし、わたし…」
 躰からちからが抜ける、この激情の粗相が全世界にさらされていることに、ここでようやく気付かされる。
 威勢よく啖呵を切っても、わたしは、戦い切ることができない。
 勇気を、ください。勇気に憧れるのは、少年の特権なんかじゃない。少女であっても、勇気を求める。なぜといい、少女には少女の、ささやかな小世界における、血みどろの戦いがあるのだから。
 友達がいない。登校できない。親に精神科に連れていってもらえず、見えないくるしみを抱えている。児童相談所に行けばさらに殴られるから、そっちの方がおそろしい状態で家庭内暴力と校内暴力に耐えるしかない。精神薬を飲みながら学校に行き、働き、笑顔を見せ、ふつうに話し、つねに死にたい気持でいる。その、余りにあまりにささやかな肉の裏側の世界で、血肉がのたうつような苦しみとの戦いが、あることが、ある。見えないなにかが、ある。そういうものだ。それはそれでいいんだ。リフジンはリフジンであるがゆえに、どこか冷然硬質に美しいんだ。それと、そして自分と、各々が戦うしかないんだ。苦しみの存在自体は、もはや、是認するほかはない。
 されどそういうものを抱えて生きるひとの苦しみの存在の有無の是非を裁き、そのひとたちの存在をすらも否定する言葉、そういった後付の知性を、わたしには是認できない。なぜって、わたしたちは先に存在しているのだから。ありとある知性で、存在の是非を裁くことになにか意味があるの? ねえ。存在は、あらゆる知性に先立っているのではないかしら。
 でも、生きていくんだわ。生きていくんだわ。善意志をもって。詩、即ち「わたしはこうなりたい、わたしはこう生きたい」という希望を抱いて。美と善をみすえて。現実と、関わりながら。古代希臘悲劇から謳われてきた、人間普遍のうごきで。そうやって、わたしは生きていくんだわ。生きていくんだわ。
 生きていくしか、ないんだわ。
 だから勇気を、先ずもって勇気をください──わたしが”わたし”であるための。

【概念-少女の倫理学 公理1】
 勇気とは、概念-少女の出発点であり、それの軌道を修正するための操縦者は、注意ぶかきやさしさでなければならない。

 なのに──。
「うわああああ…」
 ただ、女児が泣き崩れるような幼き声で、わたしは泣き崩れるだけだった。それだけだった。わたしは精神薬を飲みながら、泣き崩れるように労働していた。惨めだった。おぞましくすらあった。それでよかった。その惨めさに美をみいだすわたしの自己愛を、自己陶酔を、美的感性を、自尊心を、どんなに揶揄されても否定されてもいいから、ぜったいに他者に奪われたくはなかった。
 この自尊心の一欠片を、わたしは守りたい。「おれたちは悪人だが、悪いことを悪いと解ってやっている。だから、わが悪に気付いていない一般市民よりはマシだ」、そんな、伸びよう伸びようとし、低劣に下がるくらいなら俗悪なかたちでもいいから残ろうとする自尊心の無尽蔵性の印象に、かつて、わたしは俗悪-美(キッチュ)と名付けた。なぜといい、死ぬことに抵抗して生き抜こうとする姿は、人間のそれそのものであり、その風景こそが、わたしにはぎらつくような美しさがあるようにおもわれてならなかったのだから。
 わたしの自尊心は、これだった。水樹晶から与えられた、これなのだった。

 病んでるのにがんばっているわたしたちは、かわいい。

 他人の自尊心、嗤ってもいいから、それを、奪おうとはしないでよ。
「わたし、わたし、うう、ああ、メ××ラって言葉が、どうしても、どうしても大っ嫌いなの…うわあああん!」

 配信を打ち切り、泣きじゃくる。
 澪が。なかよしだったやさしい患者さんが。わたしなんかを愛してくれるファンが。いやだ。いやだ。
 でも、わたし、わたしが一番いやだ。結局、わたしの社会と繋がる際の、他者と交流する際の悩みは、わたしが中心の問題へと集約する。自己意識が、過剰すぎるのだ。すべて自己投影。わたしの、わたしへの自己愛と軽蔑の投影が、他者へのそれだ。
 わたしは、ひとを愛せない。

 なぜって、わたしがそのひとたちのことが大好きなのは、きっと、他者から”軽蔑されている”からだ。

 スマホに通知が来る。無視。電話がかかってくる。橋本綾からだった。橋本らしいな。泣きながら、笑みを浮べる。わたし、あなたみたいな優しいひとに、適切に優しいひとに、なりたかったよ。
 電話をとる。
「なおちゃん!? 大丈夫? なおちゃんは全然わるくない、全然わるくないよ! なおちゃんの性格だったらきっと自分のせいにするだろうけど、向こうが100わるいから! なおちゃんの怒ってる姿、わたし、なんだかカッコよく見えたよ! わたしも反省した。たぶん、言わないだけで、わたしの発言に傷ついてきたよね。ごめんね!」
「橋本さんは、」
 震える声で伝えた。
「わたしには、この世で、一番優しいひとのひとりに見えます」
「え、ううん、そんなことない。ありがとう」
 橋本綾は、いつもいろいろなひとから「優しいね」といわれているのに、その時、ぜったいにうれしそうじゃない。ファンからいわれても、表情をつくっているだけで、いつもの、どこか疲れたようにみえる、はらりとかわいた自然で綺麗な笑みを浮べたことが、ない。
「なおちゃん? いまから会える? わたし、なおちゃんと話したい。じつはね、わたし、なおちゃんともっと距離をちぢめたかったの」
「…はい」

   (続く)

真紅の禁戒 第Ⅱ部 "概念-少女"の観念的自己手術経緯観察書 1

読んでくれてありがとうございました。生き抜こうね。

真紅の禁戒 第Ⅱ部 "概念-少女"の観念的自己手術経緯観察書 1

概念-少女小説 長編 [Ⅳ. 博愛少女批判詩論] (以下、執筆途中) [Ⅴ. 適切少女憧憬詩論] [Ⅵ. 不良少女肯定詩論] (未完)

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更新日
登録日
2026-10-08

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