映画『ナギダイアリー』レビュー

一
 平田オリザさんの舞台『東京ノート』から着想を得た作品。劇中に登場する義理の姉妹との間で育まれる不思議な関係をベースに、ifの視点を加えて舞台とは異なる膨らみを持たせた物語を描いていきます。
 本作の主な撮影場所となったのは岡山県奈義町です。奈義町は様々な顔を持っています。その一つが町の5分の1を占める日本原演習場とそこを使用する自衛隊との共存です。火山灰土壌や水利の不便さに加え、日本三大局地風といわれる広戸風が吹き荒れる場所であったことから奈義町では開墾事業が上手くいかず、広大な原野がそのまま残されていました。そこを明治期に陸軍が軍事演習場として使用し、昭和に入ってからは自衛隊が駐屯地として活用を開始。軍事車両が道路を走る風景が町の日常となりました。
 一方で、奈義町は文化又は福祉の両面で耳目を集める町でもあります。町の中には建築家の磯崎新氏が手がけた第三世代の現代美術館が建てられおり、そこでしか味わえない鑑賞体験を求めて遠方から足を運ぶ人が絶えません。また子育て支援に厚い政策を実施した結果、隣の津山市から多くの人が移り住み、2019年頃には合計特殊出生率が2.95を記録するなど注目すべき魅力を備えています。自然風景も豊かで、見応えのあるカットを約束する。どう見るかによってその様相をガラリと変えるのが奈義町最大の特徴といえるでしょう。そんな場所に一人で住む義理の姉を訪ねて、弟と別れた義理の妹がやってくる。物語が始まる予感しかない導入に、心を激しく躍らせました。



二
 ストーリー面でポイントとなるのは「違和感」です。例えば石橋静河さん演じる義妹の友梨が初めて奈義町の地を踏んだ時、私たち観客はその洗練された格好にとんでもない違和感を覚えます。佇まいも都会の人間然としていて、奈義町の風景に全くそぐわない。そんな彼女が町に馴染むきっかけとなるのが芸術です。彫刻家で、デッサンもできる義姉の寄子が自宅で開いている絵画教室に生徒として通う圭太と春樹を交えて盛り上がるというシーンが映されると、さっきまで覚えていた違和感が嘘みたいに消えていく。かと思ったら、ドンっ!と遠くで鳴り出す砲台の音。それに驚くのは友梨だけで、寄子たちはいつものことと気にしない。演習場があるからねと寄子から説明されても、ドンっ!と聞こえる度に友梨はその方角を見てしまう…。
 このような認識のレイヤーが随所で折り重なり、各々が生きる世界の違いが表に現れるとそこには寄子が暮らす奈義町でも、友梨が生きる東京でもない無名の空間が立ち現れます。そこで生まれる理解や共感、あるいは反発などが普段、属する(と意識している)領域に囚われる私たちの姿を代弁する。いまそこに立っている場所からほんの一歩、足を進めるだけで変われそうなのに。簡単なことのように思えるのに、それができない。建築の仕事に携わり、キャリアとしても十分な道を歩んでいた友梨がいま現在は仕事から離れ、寄子の胸像制作のモデルとして奈義町に滞在するのも、この辺りのもやもやと深く関係しています。
 ある意味で自分というものを見失っている友梨のイメージを、しかしながら寄子がデッサンから描き起こし、粘土で塑像して、木彫作品として完成させる。2人っきりで過ごすアトリエで、自分の輪郭をなぞるように何度も、何度も寄子と会話を繰り返しながら形を得ていく友梨と「友梨」の変化。社会的な動物として様々な抑圧に晒されながら、己が内に凸凹と形作られる「私」に出会う喜びをこそ、本作は言祝ぐのです。



三
 演技についてはあの松たか子さんと並び立つ石橋静河さんがひたすらハイライト。スタイリッシュで、美しくて、一つひとつの台詞を人間味に溢れる言葉として観客に届ける姿は名優のそれです。柔軟性に富んでいて、掴みどころのない松さんの演技と見比べるとその真っ直ぐさがより際立つので、期待値MAXで2人の共演を鑑賞するのをお勧めしたい。次いで紹介したいのが寄子の幼馴染で、友梨とも浅からぬ縁を結ぶ井口好浩を演じられた松山ケンイチさんの見事な演技。友梨や寄子と違って世間的な認識との齟齬が少しも見当たらない人生を歩んでいる好浩は、けれど内面において一様に語れないものを持っており、気持ち悪い!と忌避されてもおかしくない人物なのですが、そんな難役を松山さんは極めて自然に演じられていた。その匙加減があまりに絶妙なので「まあ、こういう人もいるよね」と普通に受け入れてから、観終わった後で「いやいや、やっぱ変でしょ」とツッコミ混じりで振り返ってしまい、好浩という人物像を咀嚼するのに難儀するという羽目に陥る。癖になるという点では劇中で断トツのキャラクターかもしれません。飛躍したエネルギーで、劇中の展開に力強い脈を打つ圭太と春樹も素晴らしいの一言。惜しみない称賛を送りたいです。
 完成度がとても高く、カンヌ国際映画のコンペディション部門にノミネートされるのも納得の出来。個人的に『メモリィズ』が今年の暫定トップだったのですが、『ナギダイアリー』も一気に同順位入りです。都内では新宿ピカデリーなどの松竹系の映画館などで上映中。興味ある方は是非。激推しの一作です。

映画『ナギダイアリー』レビュー

映画『ナギダイアリー』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-10-07

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