愛娘処刑前夜
ロシアで、同じことをした少女がいたそうです。芸術家、というぼくにまったくもって読解できない言葉がもしあってもいいとするならば、彼女こそが芸術家だと思います。
十四歳の娘の処刑が決定したとき、織部は音なく砂に砕けるように躰を頽れさせたのだけれども、しかし、なにか躰の奥底に清む光のあたたかみが寄せ、ピアノソナタを叩き弾く指に圧し揺るがされたようにうごかされる心を感受したのだった。
織部は会社員であり、亦全くもって世間で流行する気配のないアート系のカメラマンであった。妻にはやばやと先立たれ、男手一つで、娘を育てた。気高く、繊細な知性の持主であった妻をライジーアへのそれさながらに思慕しながら、みずからと彼女の内奥の結びついた証としての娘を、せいいっぱい愛そうとした。愛した、といい切れぬことはかれにはできぬ。されど娘の母は既に不在であるからして、織部はその現実に対応し、せめてみずからが二人分娘を愛そうとしたのだ。その、意欲はあったのだ。
されど果ては体制からの処刑の文言であり、喉からこぼれてもこぼれても洩れ噴出す理不尽への訝りが、怒りが、娘への憐みが、切なさが、殆ど全部であった。これまでの努力が権力の暴力によって霧ときえるように想ったが、しかし、この揺りうごき去来するあたたかい感慨、なにか、不合理的の全的な信頼ともいうべく仄かに熱をもった感情は、いったいなんであろうか?
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織部の妻が死んだのは、織部の仕事が原因であった。
戦争の雰囲気を兆す不穏な時代であった──もしやそこで子を作ったのがかれ等の誤りであったか? 判らない。しかれば娘の生誕そのものに批判点があったか? そんなことがある筈がない、ひとりの命の誕生は、既にして存在してしまっている存在は、絶対的に全肯定されるべきだ──織部は写真家の業界の何の影響力・権力もなく、才を認められなかったことすらなかった癖して、かなりラディカルなやり方で反戦を主張する写真を撮った。そこにやや見られたのは権力への風刺であり、それに追従する世俗への軽蔑であり、闘うべき闘いを闘う雄々しき狼のコラージュは、まるで自己を誇示しているように見紛われた。
織部は右翼系の反社会勢力に目を付けられ、一度はボディーガードも考えたがそんな金はなく、ある政治への情熱に狂った青年のトラックに轢き殺されそうになり、織部は妻を抱きひっしで逃れようとしたが、あろうことかかれのその行動があだとなったのだ、妻は丁度巨大なタイヤの下となって、その躰と気高き魂を土砂と踏みにじられたのだった。…
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妻は人文学系の研究者だった。美しく気高い、つまりは厳然たる孤独を宿命とするといえる数々の論文は、すべてファイリングされて織部の部屋に丁寧に仕舞われているが、幾分古風に傾きがちな内容によるためか、はや議論でテキストとして扱われることはない。
もしやかの記憶に由来するのかもしれぬ、かれの写真に、以前のような世俗への好戦的な反逆の色はかげをひそめ、しずかな、しずかな風景に死の予知を張りつめさせたような、内に緊張の光のふるえみなぎる写真を発表しはじめた。しかしこれはトラウマによる変化というよりは、妻を喪った空虚感にべったりと覆われた白骨を剥きだしたような背の状態に由来するのかもしれないのだった。
その時娘は0歳であり、織部は自分の仕事が妻を殺し、娘から母を奪ったような感覚にくるおしく駆られ、無邪気に笑う娘の前で膝をくずし折り、「ごめんな」と幾度も謝るようなことがあって、それは赤子にとってよくない影響を与えるかもしれぬとのちに反省するも、しかし娘をとんでもない運命へ投げこんでしまったという自責は、かれの自分を大切に想う気持をズタズタに毀した。みずからの身を撲るような心地すらあった。
娘が二歳になった頃、彼女はみょうなほどに絵に凝りだした。毎日毎日絵描きに没頭し、外が暗くなっても描きつづけるために寝かせるのが大変なほどであった。
娘にめざめる芸術への命の光を、かれは慈しんだ。喪われた妻から紡がれ引かれた、形見をみた。のびのびとこの意欲を育まされるため、幼稚園に入る齢になると通わせたものの、できるだけ絵を描かせる時間をつくらせ、励まし、褒めた。
「幼稚園でも絵ばかり描いて、あまり友達と遊ばないんですよね」という保育士の相談に、織部は微笑した。
娘が小学校に入り、織部はアルバイトを辞め会社に勤めた。娘は絵を描き本を読み、妻を想い起こすような、無垢ともいえる性善説を心の底から信じるような人間観への陰翳のような信頼に、あとから色彩を塗り美しく透明な絵画をえがくような知性の成長のうごきをみせてくれ、織部は感動していたのだった。妻に似ていた。妻は愚かなほどに人間を信頼しており、おそらく、最期のさいごまでみずからを轢いた青年に対してすら心の深みを汲みとり斟酌していたことであろう。妻はシモーヌ・ヴェイユの研究者であったが、ヴェイユをあまりに信じるが故の研究が客観性・実証性に欠けるとされ、抑々がヴェイユ思想は神秘的・直観的すぎるとはや重要視されておらず(妻は哲学科出身であったが、生粋の文学少女を貫いたようなひとであった)、忘れられるのもむりはなかった。
やがて娘は絵を習いはじめ、先生からはその才能を認められ、しかし、しずかに慎ましく絵を描き続ける彼女の態度は、芸術をやりつづけるかれへ尊敬のような感情を与えたのだった。
娘の画風がこの頃すでにあらわれていた。澄みきった氷のような水色、象牙のような硬い白、月のめざめるような銀を陰翳させた風景に、蒼い火が昇る。様々な絵を描いていたが、なにかこんなイメージや色彩感覚が共通しているようであった。
「この絵はなんだい?」
と、めずらしくどぎつい深紅とドス黒い煙のような風景をふしぎに想い、十二歳となった娘に訊くと、
「この風景は戦争の火。この青く柔らかく脆い光は、それを拒みつづけ眸をとぢ、行為しないという行為を貫く意志の閃光」
奔り抜ける彗星のような青があった、かれはかれの家庭の幸福を覆したモチーフとの余りの酷似に、俺の娘だという喜びと、この感受性ではこの時代を生きられやしないのではという怖れ、そして、この絵を他者に見せてしまうのではという不安に耐えられず、その場で嗚咽を洩らしうずくまって泣きじゃくり、妻の顔が泡のように浮んでは消え、涙に滲む娘の顔が妻にみえた瞬間、想わず娘を抱きすくめた。
「どうしたの?」
こんなときも冷静である、しかし、内に、かなしいくらいの優しさを秘めている筈だ。こんな娘が、いとおしかった。喪いたくないと想った。もう、娘の絵は隠さなければならぬと想い、しかし、すでにはっきりとあらわれていた娘の性格を想えば、それを拒絶するに決まっていた。妻だって、ぜったいにそうするだろうから。
愚かなることに、父は娘に喪った母をいつだって投影していた。きっと、それは一人娘になんらかの深いくるしみと、期待に応えなければならぬという義務の観念を与えたであろう。
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なぜかれがここまで不安になるといい、既に、戦争がはじまっていたのだ。
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中学校で、「兵隊さんを応援する絵を描きましょう」という題目の授業があり、織部希子はむしろ解りやすく反戦を主張する絵を提出し、教師に描きなおしなさいと幾度もいくども叱られたがききいれず、けっきょく貼られないことになったが彼女はみずからの手を汚し壁に張って、教師は政府へ通報した。
諸々の手続を経て、父の織部は罰金百万程度、織部希子は──むろんかれの大切な愛娘である──危険思想の持主として、死刑が決まった。
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死刑前夜、父との面会を許された。
娘は涙をこぼしていた。しずしずと優美に裾を光と音で曳くように、しずかに泣いていた。静謐な印象であった。
「ごめんなさい、お父さんに迷惑をかけて。悲しませて。わたしはまちがってるわ、わたしのワガママでお父さんを残して先立つなんて、たしかにまちがってる。でも戦争だって同様にまちがっているし、わたしには、”わたし”を闘う権利があるとおもうわ。」
「そのとおりだよ」
と、織部は声をふり絞った。みっともなく泣くのは、いつもいつもかれであった。男らしさという意味でよわく脆く、野卑で、然るにラディカルな写真を発表し批評家の酷評にワンワン泣くような男であった。しかし妻は、そんなかれをしずかに励まし、あるいは唯隣にいてくれて、萎んだように攻撃性をひそめた織部を頑張らせたのは、たしかに、いま娘であった。そんな娘が、あす、処刑される。
「希子。人間は、わが行為を道徳観念と照合させ、眸で美をみすえていさえすれば、闘いたい闘いを闘っていい。信じたいものを信じるために闘っていい。愛したいものを愛するために闘っていい。おまえの決断を、肯定しているつもりだ」
「ありがとう」
疲れたような笑みは、はらはらと砂のこぼれるような音がするよう、まるで彼女の魂の余りなあまりな美と善への信頼、剥かれるように淋しい眸を浮ばせるよう。
「わたしは、“人-性”を信頼する。わたしはわたしを実験台にして、最期のさいごに、その信頼を実証するの。美をみすえ、眼をとぢて、ただ拒むというかたちで」
「希子は、ほんとうに内面がお母さんにそっくりだ」
「そう? うれしい。でもね、」
と呼吸して、そこで初めて、喉から激情が昇るように嗚咽を洩らし泣きじゃくりはじめ、その泣き方は、激情と攻撃性を抱え込んだ人間のそれであり、それを丁寧に畳みこんで静謐に生活していたのだろう、大声で泣き喚きながら、こういった。
「わたしがこういう絵を描くのはね、どこか冷笑的で、攻撃的なところがあって、ほんとうは誰よりも弱いのに無理をするところはね、きっとね、お父さんに似たんだよ。わたしはわたしのこの領域が、愛しくいとしくて仕方がないの。わたしはお父さんが好きなの。お父さんしかいないから。お父さんを残してしまうのがくるしい、死ぬのが怖い、でもわたしはこうしなきゃいけないの、怖い、怖いよ、お父さん。最近お父さんの仕事が変わったきっかけの写真をみて、ああ、わたしを殺した絵にそっくりだって解って、わたしも青い閃光に狼の激情と凶暴さを孕ませた、だから、だから、ああお父さん、死ぬのが怖い! 死ぬのが怖いよ! こんなささやかな反抗、しなきゃよかったって鉄壁にとぢこめられたら想いはじめて、でも、でも、わたしはそんな自分を赦せやしなくて、うわっ、うわっ、わあああ! いやだ、いやだ、生きたい、生きたい! 死にたくない! 自分のエゴなんかで、お父さんや周りをこんなに悲しませることなんてしちゃだめに決まってた! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! わああああっ!」
「時間だ」
刑務官がいい、父親の腕を引いて強引に部屋から追い出した。
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織部希子の最後の人間らしい慟哭は、人性にもとより備わる道徳に照合させれば、どうか善であれ。
みじろぎもしない澄み切った殉死の美よりも、ひとを大切に想うがゆえのじたばたな平凡な可憐の美を、ぼくは愛していたい。その相克のくるしみを、倫理と反倫理のけっして綾織られぬ双方の両立によって流された悲痛な血を、悩むことなき正しき切腹のそれよりも、とわに愛していたい。
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新聞記事より。
【社会】14歳死刑囚・織部希子、7月7日に処刑。
7月7日、死刑が確定していた織部希子さん(14)に対する処刑が執行された。執行方法は毒ガスによるものだった。
愛娘処刑前夜
読んでくれてありがとうございました。生き抜こう、生き抜こうね。