詩集 浜の光と芝の花 八章
八章
等身大の自分を生きるしかない。
嘆いても、倒れても、俺は惨めな人間だから、
自分という囲いの内側で努めて、できる事を増やし、
這い上がった世界で、成長を繰り返す。
納得が行くまで自己研鑽に邁進する事で、
相対評価から解脱して、自身を認めてあげたら良い。
「私は地獄に落ちたい、永遠に苦しみたい」
かつて、貴方に身勝手極まりない我がままを叫んだ。
「そのうち救われたくなるよ」
地獄を通り、仏を見て、人間でいる事が叶った貴方は、
凛とした声音で、確かに告げた。
事実、その通りであった。
私は地獄を通り、仏と出会い、咎を赦されて……。
神様の前で涙ながらに詫びる事は出来ても、
人の目の前で頭を下げる事が難しいのが、人間だから、
私はあともう少しだけで良いから、優しくなりたい。
けれど、魔の取引や、堕落した人の甘言を一切赦さない、
血も涙も無い、鬼で在りたいと願う心もある。
今日も仏頂面で、転びそうに街路を行く。
憎しみの対象の、相手の苦しみを以てして、
自身が「やっと相手を赦せた」と想うなら、
貴方は、まだ誰も赦せていないのだ。
自らの憐憫の裏にある、報復の心が満たされただけだ。
赦すという言動を実行しない事には、進展は無く、
今後も同じ怒りに、同じ苦しみを自ら背負い続ける。
子供ほど、復讐心に走ります。それは大いに結構なんです。
自分で過ちを経て、辛苦を一身に受けて、内省の糧として、
明日を、より善い日にする権利が、子供にはある。
大人に成ってまで、人間に成らず、報復に走る「損ない」は、
一生を賭しても、その学びを得る事が困難極まるのだから。
母の肩に触れた手が、今生の別れを想わせて、
私は泣いた、母の目の前で泣いた。
貴女がお裾分けをしてくれた、お菓子のひとつさえ、
受け取る余裕が無く、惜別の念で胸が満ちていた。
玄関を出た。「またね」とは言っていけない気がした。
自分で選んだ道だ、痛みだ。
十七の夏なんて、輝かしいものではなかった。
どこかで踏み外した、調子の狂った人生が、
私の一生涯であると諦め、嘆いていた。泥の底で。
夜半に叫んだ、泣いた、十三年の影に連なって。
努力の一語に透明度の高い諦念が内包される。
着実な一歩の為に、常しえの停滞を強いられる。
漫然と生きて何も起こさず、変わらず、学ばず、
ああ、ここは墓地か。この冷たい塊は、墓石か。
皆、笑顔だ。葬儀帰りの、笑顔の行列。
生き返る事なんて、誰も望んじゃいないみたいだ。
真言を唱えながら海に浸り、
諦念を受け入れきって、
最期を待ち望む十六日の朝。
親心と云う無責任な美談が、
警察、救急隊員、レスキュー隊を、
縋る思いでかき集めた、あの日。
「皆に迷惑を掛けているよ」
黙れ。
生きる事にした決意の夜には、
「ここで作家として生きて終われ」
貴方の本望に、いつかの諦念を、
思い出す。
「成否を求めない、光を求めない、諦めてほしい」
深々と項垂れたままの背後から、想念が声高に聴こえる。
私じゃない。でも、誰かも解っているさ。
この賭けに出る心を、無謀と咎められても、何も感じない。
この孤島で、私は自分を愛せなくなり、次第に、
誰も信じられなくなるのだから。
詩を書き始めたのも、物語を書くのも、
私が人生を諦める為の術だと仰るなら、
生まれの地、流刑地を西に置き去り、
東に向かい、陽に照らされたい、新天地。
生きる為に、傷つきたい。
私が私であると実感して、倒れたい。
『俺は俺だ、人間なんだ』
かつて貴方が、真情を書き殴った様に。
書いて字の如く、怒り狂い泣き叫び、夜を彷徨う十三年よりも、
心底より笑えた一日の方が尊い実学を、私は忘れないよ。
希望の血を燃した。老衰という失血死を迎える前に。
文章を書きたいのではなくて心穏やかでいたいだけ。
「生きている事が嬉しくて、頬を濡らしたって良い」
いいや、君、それは病気の症状だよ、躁状態だよ。
「そうか、この喜びは、病気であったか」
過剰に錠剤を飲み、海辺に行っても、鬱状態だよ。
「なんだ、俺の全てが、病気なら」
どこへ行くんだい、君。そこは新天地、明るい街だよ。
私が仏教や神道、儒教や基督教といった先人の智慧を、
時間を掛けて、自身が納得できるまで考え続けて、
良心と善心に従う為に、日々行動に反映し続ける事の、
一体どこに、宗教論争と呼ばれる所以があるのだろう。
数多の教えに、優劣をつける権利など、私には無い。
真夜中の鱶が見上げた光は、満月であっただろうか。
友達の鯱は「見に行ってみようよ」と小さな冒険に出た。
鱶も鯱も一瞬だけ、夜空を仰いで、
「僕達の生きられない世界って、広いね」
誰からともなく、呟いた。
明け方まで、二匹共に、寄り添って泳いだ。
一緒だね、と言葉に出さずとも。
やり返さない事が忍耐ならば、
いっそのこと、思いやる事が、
彼らにとっては、苦痛だった。
でもね、僕は希望があるなんて、想っちゃいない。
想ってはいけない。そう思い込んでいる。
幾度と傷を負うよりも、ただの一度、全てを奪われた痛みが、
僕の一生涯分の、人を信じる力の、殆どを消失させた。
だから、僕の写真を撮らないでください。
きっと、脚が透けていますから。
称賛も、唯物的成功も、物質的充足も、そのどれもが、
自我の困窮、その溝を埋める為の術ではないだろうか。
編み笠ひとつ、旅の袈裟ひとつ、その姿を恐れるなら、
本当は、皆が周囲の何もかもに、怯えている事の裏返しなんだ。
私にも、その気持ちは分かる。人間不信は、安い薬物だ。
一切を諦める、疑いをかける、受動と能動の劇薬だ。
だから、私は人を信じられなくても、疑う事はやめたんだよ。
遠方からの「さようなら」の一語を恐れる群衆が、
その一言を告げられない様に怯えながら、
相手の傍に居られる様に、限度を図りつつも、
皮肉を込めた嫌味の会話を繰り返す。
私自身、潔さだけが人間とは思わないけれど、
しかし、臆病者達の声音は、震えているよ、常として。
阿修羅が合掌した先に臨んだ光は、
胸の痛みの全てを取り除く、救い主ではなくて、
彼の怒りを理解してあげた、彼自身。
本当は皆が生きているって、私も信じているよ。
街路にて蹴とばした石のひとつを、たったひとつでも、
無かった事にはできない不偏を確信したから。
私が火葬される日には、無縁仏だろうけど、
散骨で無かった事にして下さい。読経も必要無いです。
私の信じた皆が、私を信じているのだから。
答えの無い文学で、自らと闘っているんだ。
相対評価による称賛と物質的成功を是とする商業主義には、
私は微塵も興味が無いのだから、押し付けても無駄だ。
私が自分で選んだ道を行く事を、誰が邪魔するのだろう。
己に対して自信を持てない、臆病者だけだよ、解っている。
君達は自分から逃げ出して、人に口出しばかりだ。立ち去れ。
「いつもありがとう」と言い交し続ける二人には、
今日や明日や永遠だとか、その時間の尺度こそが、
無用の装飾であり、本当の幸いを知る二人には、
真夜中の就寝前、静かに甘え合う時間が一切だった。
救いを求めるのも勝手だけれど、
その身勝手に愛想を尽かされてきたのが、
弱さの今までではなかっただろうか。
逆恨みや争う事も勝手だけれど、
その身勝手な姿が、友や隣人を選別して、
地獄の者同士で、揃いも揃ったんだろう。
「人から嫌われるのが怖い」なんて、人に言うものじゃない。
お前さんは人間かい。地獄や、餓鬼や、畜生の類かい。
もしも、誠実に人間として生きてきた自負があるなら、
自身が嫌われようと、好かれようと、差異は無い。
離れていく人々の姿は、最良の教書であり、学ぶ機会だ。
哀しくて泣く事と、怒り顔で泣く事の、
違いを言えますか、と胸裏が問う。
「我が身が可愛いだけさ」
諦めきった溜息が、追悼の唄として残る。
積もらない砂を頼りに呼吸を思い出すのはやめにしよう。
正しい道を見つけた、その兆しの中で、
自らの生き様を迷う事ほど、苦しい事は無い。
正道を選ばなかった、というただ一日の気まぐれが、
怠惰が、強欲が、憐憫が、怒りが、執着が、
他の誰でもない、自分自身に過ちを選ばせて、
一劫、二劫、三劫、艱難辛苦の、連続である。
苦しみを逃れたいと誰もが願うのに、
快楽から離れたいと願えないのは、何故だろうか。
人は、苦痛から脱する事を、喜びや幸せに満ちた、
それこそ、悦楽の境地であると思い込む。
辛苦から遠く離れた姿は、静かな心ではないか。
放蕩の姿を、人は本心から、理想と希うのか。
群衆に囲まれた彫像や絵画が「美しい」と称賛されて、
立派な賞を受賞して、物質的成功を伴ったとして、
実現した美とは、どこから生じて、どこへ消えたのか。
制作者も、評価した人々も、知らない。
人が最期に骨と灰に成った時、親族に囲まれて、
各々が祈り涙して、見えた物事は、消えやしない。
繰り返し使い果たした言葉の上で、
伝える事ばかりが必勝常勝と祈願されていた。
街並み、防波堤、山野は沈黙している。
暮らしの美とは、欲心を生じさせただろうか。
喉の涸れたシャンソン歌手への拍手が、
誠に静かで嬉しい事実は、何故だろう。
聴衆の瞼を閉じ頷く、称賛の姿さえもが、美であった。
私の中で、定義する事の苦痛が鮮明に告げられて、
でしたら、順序に、次第に、事の定義をやめました。
やがて、何もかもを飲み込む様になって、
胸中に生じたどす黒い想念だけと向かい合いました。
赦し続けました。
二元論を廃止した考え方が、やっと納得できました。
貴方の寝顔に顔を近づけて、黙っていたい。
言葉を用いる事無く、伝える事も無く、
傍に在る事が、歯痒い思いも、ただただ嬉しい。
起こしてしまえば、容易い自己愛になるから、
貴方の起床時間を間近にして、私も夢を見る。
ぼくは哀しくて、心が沈んでしまった。
けれど、素直になれなくて、いつも元気に振る舞った。
いつしか、胸いっぱいに満ちていた哀しみは麻痺して、
続けていた空元気が当たり前になった。
遠い異国の民謡に心を預けた時、ぼくの胸中に、
誰にも知られない部屋を見つけて、そこで泣いた。
私が得難いものは、感得の一瞬よりも、平然と生きる時間。
苦しいと連呼しながら、歓喜の顔で暮らすなら、
ずっと、苦しいままでいたら、どうでしょうか。
問う声に、苦しみの人々は、急に餓鬼の顔になり、
嫌だ、助けてくれ、ここから出してくれ、と叫んだ。
自助の術を説くと、餓鬼達は背を向けて、
「嗚呼、楽しいなあ、心地良いなあ」と燥いだ。
君がインスタント食品を美味しそうに食べていると、
不思議にも、ぼくもお腹が空いてくる。
同時に、もっと美味しいご飯を作ってあげたい気持ちになる。
あの日、台所に立つ私の姿を、隣で眺めている君。
「まだ時間が掛かるから、座っていて良いよ」
君は嬉しそうな笑顔で、ずっと傍にいた。
報復の一念、切り捨てる一念、今日も書く。
いつまでも気が済むまで繰り返す。
侮辱も、排他も、裏切りも、敵意にも、延々と。
けれど、本心では願っている。
インクよ、枯れてくれ。ペン先よ、折れてくれ。
連なる哀しみに、終わりを告げて、
何も無い、太陽だけの明日を、迎えたい。
地続きの方へ、光ある方へ。
一秒も耐えられない。錠剤と潮騒が燃えている。
いつの間にか三時間が過ぎていた。涙は乾いている。
幸せはいつだって四十五秒後。
酒を飲むと、人の本性が誇張される。
笑顔になったり、泣いたりなんて、善い方だ。
他者の不幸を嘲る、その痛みを煽る、
酒は咎の言い訳になるだろうか。
チェイサーを飲むなんて、とんでもない。
本当は、魔に追われているんだよ。
道端の掃除を続けた老人の、最期は呆気ない無縁仏。
今まで片付けて貰った数多の枯葉が、諸天善神と成り、
秋の風を呼んで、道を祓い清めてくれた。
枯葉一枚、一柱ずつ各々が、護法神としての役を担い、
誰も見向きもしない、清掃の日々を倣って、
その日は猿も盗みを働く事無く、厳かであった。
父とタンカンを買いに行く。
俺の心は沈んでいるとしても、
窓硝子の外、鳥が鳴いている。
正午を告げる音が街に鳴り、
そろそろ、外出の支度を始めるんだ。
甘酸っぱいタンカンを買いに行く。
「予備のパソコンこそがぼくの玉座だよ」と言いたげに、
座り込んだまま、バスタオルのマントを羽織って温まる。
君からの贈り物、とかげのぬいぐるみが可愛らしい。
風呂上がりの君は、私と通話をする度に、
「とかげ抱っこ」と嬉しそうに、お揃いを抱きしめる。
父が作ってくれた煮物が美味しくて、
いつも苦労を掛けてごめんなさいって気持ちで食べている。
会わない時間は文句を、会えた時にはお礼を伝えている。
そんな馬鹿で未熟な自分を繰り返していた。
泣き崩れそうに弱った朝には「大丈夫だよ」と言ってくれた。
父は真っすぐな人です。私以上に。
桜は散ってもさくらんぼ
啄む小鳥を目で追う子猫
愛しい日々にかくれんぼ
アイスを君とはんぶんこ
ぼくはパレードの一番後ろから街を見渡す。
夢なんて生易しい言葉より、野心の一語であり、
挑戦なんて手緩い言葉より、一瞬の執念なんだ。
怖いものはある、不安な想いでいる。けれど、
ぼくは街の明かりに見送られて、どこかへ。
一助を欲する事も無く、今までのぼくを信じている。
哀しみや苦痛を乗り越えた美しい魂が、主題を語り眠りにつく。
私は貴方に敬意を持ち続けたいから、
怒りや憎悪が燃えない様に、離れる。
私は貴方に、とても親切にして頂いた。
修羅ではなく私として、御礼を書き綴る。
義か不義かの二元論ではなく、敬う念故に、
互いの幸いを願う、快晴の空に、手を振る。
喜んでいる今日も、泣いているかも知れない明日も、
同じ事だよって、私自身に教える為に暮らしている。
けれど、私は幻が憎いのであり、人が憎い訳じゃない。
二人で、どこまでも続く道を、
歩く為には、一人一人の正義を、
二人の間に、持ち込まない事だ。
私の思う正義が、誰かを裁き、
傷つけ、追いやるのなら、
この心は、私一人だけの常識。
全ての出来事に、立ち向かおうと、
不器用に、正義を連ねて、項垂れる。
この心は奥の手で、良いのだろう。
かつて、私が奪った分が、私から奪われるのであれば、
私はこれを、自らの幸いであると感謝しよう。
この一身から、道理に外れる術で、奪う者があれば、
私はこれを、自らの実学であると賛美しよう。
千辛万苦の降雨を歩き、この身で受け止めて、
今生の中で生まれ変わる、準備をしよう。
業に気付かされた時、手放したバトンが、
そのまま後ろ手に手渡された。
お前は誰だい、と振り返ると、疲弊した私がいて、
「そうか、お前かい」と納得をして、独り走った。
何時になったら、今生の内外での、輪廻を終える。
その疑問に応じてくれる声も無く、走っている。
人の抜け殻を見つける度に、
「やあ、また誰かが成長したらしい」
喜んで、互いに脱皮していたい。
人の成長が、私の成長が、
抜け殻を残し、街路に転がれば、
道行く人々の幾人かに、いつの日かの、
等しい勇気を与えるだろう。
部屋の内側には、私と怪物がぽつんと座っている。
「お前さん、どこから来たの」
怪物は、しゅぷー、と悲しげに鳴いて、
「とても寒いんだ」とだけ答えた。
不思議と、怖くはなかった。
怪物を抱擁して、大丈夫、大丈夫だよ、と繰り返した。
涙に頬を濡らした怪物は、私に飴玉と善意をくれた。
善心に従うと、たとえ惨めな思いをしても、
傷は必ず縫合されて癒える、心はまた構築される。
善良である事は苦しみを消し去る術ではないけれど、
善悪の基準を自らの指針に持つ事で、人間に成れる。
自ら作り上げた善心を、胸中に留めておく事が、
他でもない、怪物という自己を助けてくれる。
老人は若かりし頃、学問の道で大業を目指した。
夢半ばに燻ぶり、余生を志無く生きていた彼は、
貧民街で出会った少年に、読み書きを教えた。
「お蔭で本が読めました。ありがとう、先生」
その日から老人は、利己も野心も棄て、
無学文盲の若者達に、精一杯の心で、言葉を教えた。
教える側に立つ自覚は無かった。けれど、あの日、
「この子に言葉を教えてあげて」と頼まれて、
私は何を想っただろう。
私が頻繁に使う修羅について、あの子は訊いた。
「修羅とは、妄執的な正義に囚われて、怒りを燃して……」
そうだった、私は自分に対して、説いていたのだ。
街路が濡れる、真夜中の雨音。わあ、と叫んで消え入りたい。
君が零した絵の具の濁流に飲み込まれまいと、
小さな君が机の隅へと走っていく。
等身大の君は、ただその姿を見下ろして、
喜びでも、怒りでもない顔で、傍観している。
病魔が君を手放しますように。
たとえ病魔が君から離れなくても、
君にとって私は、唯一無二だ。そうだろう。
ぼくが欲したのは整合性でもなければ、倫理でもなく、
嘘か真かの二元論でもなければ、停滞の喜びでもない。
ぼくは、浄土に赴くまでの今生を、成長し続けたい。
同じ事の繰り返しや、唯物的前進の是非を問わない。
幸せを願えたぼくは、一切が満たされているも同然だった。
私の言動に移してきた信条は、愛情は、全て、
人の言葉を借りれば、幻であり偽りの善だろう。
けれど、私達は互いの良心から配る、言葉と行いに、
自らの無自覚の托鉢を、相互に満たし、喜んでいる。
私達が助け合っている御縁の有無を、問う事は無い。
「一緒に写真を撮ろう」
君の一言が、私は心から嬉しかった。
野の道を、紅葉が重なり彩る様に、
君自身も歳を重ねて、素晴らしい道に成るだろう。
私が、人の幸いを願える人間になったのも、
思い出の多い、君のお蔭なんだよ。
ぼくには雨の降りしぶく朝が来ました。
長く遠回りをする道を二人で行き、
常しえの希望を掴み、永く世を渡ります。
無理をしても報われない日もありました。
嗤われた日もありました。けれど、
ぼくには雨の中を進む、脚があるのです。
伴侶を抱いて支える、腕があるのです。
私は、心底から人の幸せを願えた時、泣きました。
それほどに、嬉しかったのです。
自ら抱えた苦しみが、音も無く崩れ落ちたから。
私は、人間として敬愛しているあの人の成長を、
遠くから見守り、時折、挨拶を交わす仲である事を、
これほどに、有難く想っているのです。
首長竜と鯨は見つめ合って恋をしている。
今生の私は、仏教を学ばない事には、生まれてきた意味が無い。
残ったのは喜びだけだ。
ぼろぼろの袈裟を纏う君の為に、私の編み笠を貸すよ。
君を濡らした豪雨の中、応の一声で力を出して、
足が傷だらけの君を、おぶってあげる。
いつの日かの君も、心細い異郷の地にて、私の為に、
命を賭した事を想うと、すすり泣きながら、
「お坊さん、寒くはねえですかい」と声をかける。
日々を乗り越えて結ばれた最愛が、私の為ではなく、
慮りながら、貴方の為である事を、誓います。
平原から谷底、山河から荒原、拓かれた井戸も、
全てが、貴方の成長の為である事を、誓います。
何故なら、私は貴方から過去の全てを受け取って、
信頼によって、漸進の道を約束したからです。
如来が、人々を正しい道に目覚めさせる為に、
あらゆる姿形で、きっかけを与えるのだから、
今生で心を砕いた日々も、砕かれた日々も、
言葉さえも失って夜の街を彷徨う、連なる日々も、
「有難いと思える光は、真暗闇の中に見つけていた」
私はいつから如来を忘れ、如来に気付いたのだろう。
家の中に家族がいると想うと、
家の外、外套を枕代わりにして横たわっても、
家の中に、皆がいると思うと、
家の外、幾度と玄関を叩いて呼びかけて、
たとえ、声が返ってこなくても、
ちっとも寒くは無い、恐れる事も無かった。
「地獄で会おう」だなんて、常しえに叶わない事だ。
ぼくにはぼくの、君には君の地獄が待っている。
各々の救われる過程も、地の底に堕ちる苦しみも、
微塵も交わらない孤独の中に、順番を待ち続ける。
望んで生きて、望んで逢い、望んだ夢を見る。
この奇跡は獄中の双子、その片割れである。
人を恐れない心とは、人を憎まない心の双子のお兄さん。
だから、弟の成長を願い、手を握って、
耳鳴りがするほどに静寂な、夕暮れの街路を渡り、
胸の痛みをひとつずつ、取り除いてあげるんだ。
もしも、怯えて足が震える時は、
大切なこの子を、私が守るのだ、と勇気を振り絞った。
吹きすさぶ浜の風にも耐えて、
やがて、明けの光が見えたら、
生まれ変わって、芝の花に成りたい。
野の菫と姿の良く似た、
凡の一輪として、生きていたい。
死の二元論から最も遠く、
生きる事に最も誠実で、近く在りたい。
私はかつての仲間達を赦しきったけれど、
憎悪と利己を働かせた君達は、街ですれ違う度に、
上機嫌だった顔に影を落として、去っていく。
これが、誠実で在り続ける事の、孤独な勝利であった。
不義とは手を繋げないから、嘘も、裏切りも、
臆病も、矛盾も、暗い想念でさえも、
私は手放す他に無かった。すると、身を切る風が強く、
この荒原へと至るまで、私と貴方を案内した。
人の道は、悪から離れ、善を成すだけだった。
二人きりのサンガの仲を築き上げて、私達は、
不義の連なる日々の、その真夜中の街を眺めながら、
「二人だけになれた境地を幸いと呼ぶ」
繋がりながら、自己の努めの為に生きている孤高の最中、
あの夜の街に暮らす事が、その住民である事が、
真に苦しい事であると気づかざるを得なかった。
強くはないから、肩書きを増やした人に混ざり、
大人ではないから、酒を飲む事を覚えて、
人は、人の子々孫々は、弱くなっていく。
生きる意義を知らないから、悦楽を増やして、
呼吸の合間に耐えられないから、薬で眠り、
人は、人の子々孫々は、御縁を忘れる。
弱さに目を伏し、いつまでも大声を出して、
内省の機会を棄てて、雨が降らずとも頬を濡らす、
人は、人の子々孫々は、夜の街を歩く。
焦がれた、欲した、溺れた、形容詞を増やして、
息継ぎの為に誰かの唇を奪う、愛も無いまま、
人は、人の子々孫々は、真綿を握りしめる。
落ち込んで、人を信じられなくなった私に、
志を共に励む君が、教えてくれた。
「人間が生まれ落ちる所以は、菩薩である証拠」
「では、この世は、娑婆世界は、何だ、地獄か」
君は、心に熱意も激しく、私に言った。
「この世は仏国土だ、そうは思わないか」
花の様に、芝の様に、落葉の様に、各々が色を持ち、
無自覚にも、心に袈裟や作務衣を着て、努めている。
もしも、それが叶うのであれば、と夢を見てきた。
その夢が、既に叶っているのであれば、
私は地獄にうなされて、浄土で目が覚めた、朝露に。
君が教えてくれた、一隅を照らす、思いやりのお蔭で。
震えながら「生きていたいね」と、
諦め損ねた空は明るい。
私の中のぼくが、また少し、背が伸びた。
人の幸いへの足音が疎ましいならば、自ら耳を塞ぎ、
自身の幸いへと足を運び、口を慎め。
雉も鳴かずば撃たれまい。
善意を装い、慮るふりをしてまで、悪意を言葉に出せば、
正法の広まる時、魔が競い立つ教えを思い出し、
静けさを欲する心から、魔に見立てられた君達が、
縁を切るという形で、一発撃ち込まれても、文句は言えない。
過干渉を是とする現代に、自ら伸ばした手が打たれる所以を、
知らない儘に、痛みや怒りを理由に泣いたところで、
君達の周囲に群がる者は、善意を装い、慮るふりをした、
安い同情の、義の無い行いとその心ではないか。
人の幸いや、努める心を賛美しなくとも、
その姿勢に思う所があるのであれば、君達が変わる時だ。
間違えていたんだよ、他者を変えようとした事で。
街路灯に連なる白い光の道は雨。
家族に玄関を開けて欲しくて、幾度と叩き、
応じる声も無かった、仕方が無かった、
私は集会室の前に、外套を枕代わりにして、
「幸せだ、涙が滲むほどに」
朝が来たら、耐え抜いたら、憎しみは、
置いてけぼりにできるだろう、過去の今日。
いつも同じ痛みの繰り返しに見えて、実は、
徐々に強くなり成長して、心は鋭利になる。
侮蔑の笑みを知りました。
でも、私は同じ笑顔を真似しなかった。
自他の差異はそれだけで充分だった。
侮辱の上塗り、追い打ちの最中、
背中に傷跡が増えても、赦す事を志した。
それは自己美化であっても、誠実に在り、
小さな私自身としての生き方を、心得た。
苦手な単語だけを記した辞書が軽くなる。
記憶の中の、獄中に私が、
そして獄の看守でさえもが、私で、
互いに自由に成ろうよ、鍵は要らない。
今まで、神様が汲んでくれた真水を飲んだ。
だからこの水は、悪魔とでさえも分け合う。
心が息も絶え絶えに、誓願文を書いて、
救われる訳ないよ、知っているよ、
自らが人の痛みを知るなら、慈悲の足元、
それは哀しみであったから。
黒板に連ねられた道徳に感銘を受けて、
けれども、皆はもっと好きな言葉があった。
好きな単語だけを記す共有の辞書は重くて、
背表紙には「もうやめてくれ」と書かれていた。
夜も深く、もっと深い海を眺めて、心を奪われて、
朝が来ると、残忍な青白い空に見張られた。
生気に満ちた人の街を、歩くしかなかった。
この太陽の下では、怪我をする事は認められない。
思い出の古い頃、まだ背が低かったあの日、
私達は思う存分に走り、転び、血を流した筈だった。
この考えは御終い。もう太陽が出てくる。
遮光カーテンを通り過ぎる威圧に、顔を洗う。
怒りがあれば義へと変換されて、
身勝手な利己に肩で呼吸をする事も、同様で、
しかし、加減を知らない、赦し方を知らない姿は、
子供の様で、けれど怪我の痛みは忘れた大人で。
浜の風が吹きすさぶ、海原に光が弾かれる。
追い風に、街へと追い返される。
波間の光に、欲深いね、と諭される。
無理だよ、私は人間だから、転び方も忘れた。
二人の僧は、静かな夜の街の、喜びの歌を聴きながら、
心も穏やかに、仏の教えを繰り返し学び合った。
白い子猫が、本を読みながら修行をしている。
編み笠を被った荒行の僧は、赤い袈裟に子猫を抱いて、
「お前も、仏の子になるかい」
「にゃおにゃお」
この人生を望んでいた。望んだ命の燃し方が叶った。
怖くて、嬉しくて、震える訳ではなかった。
願っても、切望しても、届かなかった平穏が、
ひとつの隅を照らす心と、助け合う日々の暮らしに、
形を伴い実現して、貴方と二人きりだ。
人から人への愛の実現に如来の姿が、力が、在る。
ここまで幸せになったんだ。
ぼくたち、最後まで生きようね。
哀しいなら、ぼくが全部を知る為に努める。
嬉しいなら、一緒に喜ぼう。
二人きりのサンガ、繰り返す問いかけが、
互いの器に真水を注ぎ合った、一滴も溢れる事無く。
救済の御手に蒲公英施して布施の心の幸い入り躍る
一万の晴れの日の下肩並べサンガを尊び握る右手を
詩集 浜の光と芝の花 八章