詩集 浜の光と芝の花 七章
七章
私は、思い出す為に生きているのだと思います。
人として、大切な事をです。
思い出す度に、心は楽に、成っていきます。
苦しみや欲望、怒り憎しみ、哀しみの、
そのルーツが少しずつ、理解できるからです。
生きる事は、意味や価値を問うものではなくて、
ひたすらに、降り積もる思い出の有難さと、
限りある明日に、有難うと、
日ごと夜ごと、繰り返す事で、
善いもので、ありましょう。
人を理解する必要は無い、と私は気づきました。
理解を求められました、促されました。
しかし、理解できれば、赦せますでしょうか。
人が誠実に理解すべき実体は、自身に他ならない。
怒りも敵意も憎しみも、反発や復讐の一念のそれらへの、
封じて対処する選択も、自らへの理解に基づきます。
シロツメも芝に野に満ち道に沿う星の落つ空投ぐ身にも成り
絶望する余白なんて、全部、恩人の名前を書き連ねました。
私達には、奪う勝手も、確かにありましょう、けれども、
傷だらけの手から手へと伝い、与える自由もありましょう。
半周期の遅れで、君にも葛藤が、地獄がやってきた。
けれども、君は決して負けない。勇敢に立ち向かえ。
何故、私が強気で、君に闘志を燃す様に促すのか。
私も、その地獄を乗り越えて、ここに来たからだ。
負けるな、友よ。お前が始めた試練だから。
その暗闇の先々を知るのは、明日のお前だ。
地の上の枝葉に光見上げても地下の根こそが子々の系譜と
利己の嵐に吹かれて、叩きつけられて、砕かれて、
それでも、人に優しくありましょうね。
侮辱されても、嗤われても、裏切られても、
それでも、神様仏様のお仕事を、担いましょうね。
寂しくて、悔しくて、怒りたくて、けれども、
人の痛みこそ思えば、我が痛みと思いましょうね。
痛みを最も強く愛してあげた。
それは、牢に閉じ込められた囚人を救い、
牢番の非道な行いを赦して、皆で獄の外へ出て、
青く広い空を臨む事だった。
いいえ、勘違いはしないでください。
愛を行う人も、囚人や牢番も、獄や空も、
全て例外が無く、私自身なのです。
私という名の、苦楽なのです。
倫理という一語は、今は敢えて抑制します。
沿うか沿わないか、善か悪かの二元論に向かうからです。
「思いやり」と言い換えたら、言い訳はできますか。
これは、咎を追う言葉ではなく、私自身に対する問いです。
内省の技法を確立したいと願うのも、私が凡夫だからです。
思い出の底の、礫に混ざる砂金という物は、
嬉し涙と共に「もう一度お話したいな」と想える、
この生涯に繋がってくれた、全ての御縁だ。
月を、山を、海を、浜を、花を、空を、街を、
どれを見ても、誰かを思い出すだろう。それが幸せだ。
神の国は人々の内側にあるらしい、有難い事にも。
私が信じる道以外に私の道は無い。
人の侮辱を真に受けて、或いは怒りを覚えて、
己を損なうほどに、私はお人好しではない。
口先の人類愛を語る拝金主義者の言葉は、
私の意志の言葉ではないのだから、
何故、その暗い眼差しに同調して、
小さく怯える魂に、賛同する事があるだろうか。
誠実に己に自信を持てない者のみが、
他者の在り方に不満を持ち、言葉で言動の変革を強いる。
しかし、私の精神の管理者は私以外に存在せず、
また、この身体は神仏からの借りものである。
自己を革命できない不燃物には従わず、
縁起の連続で形成された、私自身を生きるのだ。
隕鉄が身に宿した熱を、数百万年分の情熱と呼ぶ。
流れ星が身を燃す姿に、祈る私達人間の、刹那的な願いは、
真暗闇に叫びもせず、放熱と衝突によってのみ己を知る、
孤独な、宇宙の漂流者に相応しいものなのだろうか。
窓の外、明けの空には、白色の光が満ちゆく。
君達の云う、相談というものは、悪事を成す為の、
自らに言い訳と納得を飲み込ませる、手順だ。
唯物の君達には、頭で考える欲と策が全てでも、
「どの部位を以てして馬車と呼称するのだろうか」
その問いに向き合い応じる、心の鋭い信念が無いのだ。
俺は生きているって事を誰よりも何よりも俺に教えたい。
この痛みさえも赦します。
布団の内側にも、波打ち際にも、
涙に滲む、光の架け橋にも、
十三階への階段を上った深夜にも、
全ての私に内包された痛みを、
善心に従い須らく赦します。
苦しみは鏡に微笑んでいて、
「無理に笑わないで」と赦します。
哀しみと痛みの内張りは、誰かの傷跡を温める。その力がある。
人が、その布を滅多切りに裂いても、震える両手で、
抱きしめよう、ありがとうって言おう、温情に呼応して。
苦しくても、悲しくても、
怒りに焼かれても、絶望しても、
それでも生きる事は素晴らしい。
「生きているだけ」で良いじゃないか。
「産まれてきただけ」でうれしいじゃないか。
最後まで生きる志は美しいんだ。
友達の即興の漫才を見て、嬉しそうに、
「あ、あ、あ」と、不器用に笑う人の、
産まれ持った、硬直した身体の震えに、
嗤う人がいないと信じたいけど、もしもいたら、
この泥の中から、施された物の全てを使い、
一言、何かを教えたい。
私は、倫理ばかりを意識していた頃は、他者に対して頻繁に、
「この野郎」と身勝手に腹を立てて、失望を繰り返していた。
思いやりの一語に置き換えてからは、他者に対して無意識に、
「ありがとう」と一念を起こす機会に恵まれる様になった。
是か非かを問うより、小さく合掌、この胸の内にも、外にも。
「太宰は人間を理解できていない」と君は述べる。
「ホームレスに生きる価値は無い」と君は妄信している。
では、人間を理解できていないのは、どちらか。
慮る心と説明したら、君には難しいだろうか。
他者の尊厳を想像する力だ。考えた事はあるか。
悪魔の教養を信じる前に、人間に成る事だ。
私に向けられた敵意や悪意を、
脅威と受け取るか「可愛いね」と眺めるか。
これが、反応と応答の差異だ。
師から指導を受けて、涙した時、
「酷い」と嘆くか、有難く傾聴するか。
これが、反応と応答の差異だ。
生きる術も力も持たぬまま、ペン先だけを握りしめて、
人間未満の修羅であると自覚を持てば、
己が醜さと悔しさに歪んだ私に、師は諭した。
「生臭坊主でも良いから、生きなさい」
生きる事すら儘ならない、ろくでなし、と解ってくれた。
宿命に生きろ、と道の導を指してくれた。
この街路灯の光の外側が、全て地獄に見えた。
深夜に、丘の上から輝く粒が蒔かれていた。
拾い集めに行った皆は、獄に繋がれた。
一人、薄い雑炊を食べる私は、正しかった。
希望の火に飛び込む、愚鈍な蛾ではない。
月明かりが私の背中を、首筋を刺した。
項垂れたまま動かない、標本の様に考えた。
夜の空には明るい星がいっぱいあるのですが、
猫の赤ちゃんには、まだ分かりません。
沖縄より遠くに想う神奈川で飯断つ君よ健やかであれ
幼い日の記憶に鮮明な、あの光が眩しい情景は、
羽田空港の、エレベーターから見えたもの、一切であった。
二人懐かしい旅人達が訪れた猫の国は猫ちゃんがいっぱい。
いつも眠そうな猫が二人にくれた物は永住権ではなくて、
「いつでも帰ってきてね、待っているよ」の合言葉でした。
鱶の無念晴れた月夜の神仏が晴らす浜路の夢に問いかけ
記憶だけ頭蓋の内より去る日にも胸に呼びかける喜びは日々だと
もしも、私が認知症になったら、古い怒りばかりを思い出し、
「もしも、赦す事が叶うなら」とフラッシュバックに涙して、
記憶が薄れる不安の中で、怒りだけが鮮明で、
それでも、忘れても、私は胸を張るよ。
「赦す努めに生きてきたんだ」
神仏の目の前で。この事実だけを。その日々だけを。
寂しいという心情は、その在り方のひとつとして、
赦せない思い出に立ち止まる自分への、独白ではないか。
不義に愛され不義を愛する君達の事だから、
きっと幸せになれるだろうから、
人間にも成れる様に、片手間程度に願ってあげよう。
誠実に愛され誠実を愛する友人達の為にも、
苦難の時には迷わず隣にいよう。
人間に成る事が難しい時は、神仏にお祈りもするよ。
彼奴らにも悟り得る朝来るのなら遥かに在れよと我が明日を想う
泥を得る仏種根茎は陽を知らず読経の外に咲く秋初月
僕達は、努力の二文字に縛られて生きていた時があったけど、
僕も、君も、不自由の三文字の中で、自由に成れたね。
倫理や道徳は生きる為の方法であって、目的ではなかった。
この心に至るまでに五年を要したけど、悪くは無かった。
大勢の友人ができた。少しの怨敵もできた。
けれどね、良いじゃないか、どちらも御縁だ。お蔭様だ。
何より、五年前の私では気づけなかった。
研鑽に生きて、無駄な日など無い。
「処方された幾つかの錠剤が無いと人間でいられない」
震えている、自分の背中を抱きしめてあげたんだ。
「良いんだよ、君は人間だ、人間らしく苦しいんだよ」
涙を拭った、振り向くと誰もいなかった、けれど、
「ありがとう、人間の様に、もう一度笑ってみるよ」
小さな拍手と、声援が聴こえた。
光、兆し、零れる。痛み、いつも、悔やまず。
でも、生きていられるなら、良いじゃないか。
学生の頃から、頭の中は文章だけだった。
文章さえも書けない、正真正銘の能無しになっちまっても、
俺は、人間だから、俺も、生きていたい。
怒りや哀しみに震えない夜に、眠りたいんだ。
一年の地獄を耐えて暮らした、いつか人間らしく成りたくて。
けれど、真情はただ、懐かしい温もりを待っていただけだ。
貴方を抱きしめて話す、笑う、一緒に眠る。
貴方と二人して幸せになる。親友であり、愛し合いながら。
永い一年を生き延びた。生かされてきた、その意味が解った。
懐かしい友人と、画材に満ちた部屋で語り合った。
君は、大人に成り、これからも、人間に成り続けるだろう。
私はその事実を、喜ばしく想う。
こうして言葉を交わす時間も、君の幸いを願っている。
私も君も、考える事、考えない事が山積みだから、
屈託の無いその笑顔が、嬉しいのだ。
人から受けた仕打ちよりも、私自身が人を傷つけた時こそ、
何よりも、この一身に遅効性の激痛が走った。
親しく接してくれた隣人を、冷たくあしらった。
他者から見たら、大した事じゃないかも知れない。
だが、私にとって深く永い、それでいて暗い獄の中、
罪の意識に、囚われ続けるのだ。
独り言でも良い。「人に優しくなりたい」と呟く。
積み重ねた言葉が、考え事が、日々の言動に繋がり、
いつか、本当に、自他共に優しくなれる日が来る。
優しい人である事が、正しいとか、美徳とか、
その様な問題ではなくて、ただ、主題として、
自らがどの様に生きたいか、という指針である。
怒りを燃して、争いを仕掛けられる時でさえも、
愚鈍に応じる闘争心を、私は持ち合わせていない。
受動的に苦しみ続けるのは、君の勝手。
能動的に試練に挑む事は、私の自由。
能動的に、自らの理想を他者に押し付ける事で、
共有できない夢が破れて、泣くのも、君の勝手。
受動的に生まれた、環境を活用して、多くを棄て、
文章を書き連ねる暮らしを選ぶ事は、私の自由。
人情と書いて「人の情け」と読み有難く想い、
「人に情け」と読み、慮る自分で在りたい。
その歪な多重の恋愛関係に反吐が出るから、
私は、誠実に謙虚で愛しい人を選んだだけだ。
君達は、君達の伴侶を、愛せるものなら愛せば良い。
何故に、震えているのか。怯えるのか。怒るのか。
真に一人でも愛し、愛された経験があるなら、
自らへの不満を、他者という鏡に映す事も無いだろう。
私は、名前も知らない神様と文通をしている。
あれはきっと、善心というもの。
返ってくる手紙はいつも白紙。私を慮っての事だろう。
人の求める優しい人とは、お人好しの事で、
人の求める正しい人とは、自分の意見に沿う人だ。
誠実に優しい人が去れば「裏切られた」と憤り、
忠義の人が背を向ければ「悪者だ」と愚痴を零す。
惨めにならないか。真に価値無き自分に対してだ。
それとも、惨めを知る道理にさえも、暗いのかい。
愛が私を止める事は無く、私が愛を止める事も無い。
好きの一語が敬愛へと変化、散華する時、
甘く、愛しい君を、一切の傷から守りたい。
狂った様に、それでいて平静を装う私を、赦してくれ。
君に、器用に触れる事は困難極まり、
それでいて、私の全てをくれてやりたいのだから。
裏切られた、と悍ましい言葉を口にした日々を、
誠実に供養できるのであれば、私は迷う事も無く、
八つの正道に従い、明けても暮れても経文を読み、
力に溢れる日には可能な限りの働きをしたいが、
現在の自己の形成に納得している分、やはり、
汚泥の中に落ちた、種である事実に感謝している。
楽しい時間はすぐに終わるんだね、と子供の様に、
二人して仰向けに寝転がり、固く手を繋ぎ、
涙ながらに、深く愛し合ったね。
ただ只管に、その事実が私達の、幸せなんだね。
善心に従い、音も無く立ち去る友人達を、敵視してはならない。
利己心と悪意に駆られ、友人を装いながら傍にいる敵よりも、
今は姿も無い、惜しむ思い出の多い友が、有難いとは思わないか。
詰まる所、自浄作用を持たない身内ほど、厄介な者は無いのだ。
私が敵視する唯物主義の、学問的解釈と異なる点を探す為に、
一年に、いや十年に僅かな採光が叶えば良いと願いながら、
真暗闇の中を歩き続けていると、静かな朝に行き着いた。
内省の日々の連続で在りたい。それ以上は、微塵も望まない。
権威とは程遠い所にある想念の在り方、心の在り処を、
「自分達を非難する、もうひとつの権威である」と喚き、
斯様な幼い争いの終わらない姿が、二元論の不始末であった。
歳を取っただけの大人達から、私の誇りを、
「ただの強がり」と嘲笑されようものなら、
死を目前にニヒリズムと冷笑を手に取ったお前達に、
修行の人生観を損なったまま生きてきたお前達に、
独りの修羅にもできた内省とその繰り返しの日々が、
如何に静かで、鋭いものか、教える術が無い。
空腹なのも、震えているのも、道理に暗くて迷うのも、
優しい声を求めるのも、厳しい声に正されたいのも、
全て、全て例外が無く、私が悪い。私自身の責である。
誇らしげに、力なく笑って見せて、
沈黙を守りたい。私は、もう充分に言葉を愛した。
獄に繋がれて、壁面に勝手に落書きをした。
牢番が見回りに来る度に、絵の完成を急かされた。
卑しい身分の生まれである牢番にとって、自由な絵とは、
天国が見せてくれる、美しい世界に等しかったらしい。
じゃあ、私達は一緒に夢を見ようよ。
二人して獄に入ったも同然の暮らし、夢は貴重だから。
哀しくて涙していると、胸の内に、
泣いて良いんだ、と認める私と、
泣きたい現状が気に入らない、と抗う私がいて、
どうして良いのか分からないまま、涙滴は溢れる。
強くなろう、でも、
自身や人の痛みに差異は無いので、
須らく愛する事に決めた。
だから、しばらくは、泣き虫で暮らしたい。
空っぽの硝子瓶に「お前も苦労してきたんだね」と労った。
それが、私にとって精いっぱいの虚勢であった。
悔しくて、涙に頬を濡らした。
割れた硝子片を踏んで、血が滲んだ時は、
私にもまだ、役目の無い赤い血があるんだね、と呟いた。
嬉しくて、狂った様に、げらげらと嗤った。
風呂場に毛布を敷いて幾度と寝た。
枕を抱きかかえる様に、声を抑えもせず、
この夜には、私は理性や人情と別居をしていた。
では、あの真夜中の私は誰だったのだろうか。
哀しいねって、一言で終わる話だったんだ。
でも、一度認めちまうと、小さなプライドが傷つく、
だから、恐れていたんだね、街中に暮らしながら。
人を嫌いながら、人から嫌われる事を恐れる、
都合の良い利己心で自慰行為をしながら、君達は、
本当は誰も愛していない心で、嫉妬を隠す。
嫉妬心は、自らを可愛がり他を蔑む心ではなくて、
自他共に、例外無く腐らせる為の、最も容易な手段だ。
誠に他者の幸いを願い、一助の心に生きても良いじゃないか。
嘘が嫌いだった。ただその為だけに、胸を締め付けられた。
殴られても殴り返さない、その姿は、
美徳でも、教訓でも、義務でも、哲学でもなく、
正真正銘、本物の自由なんだよ。
だから、文章で昇華しようと、作品を書く事は、
本人にとって、不自由のまま抗う姿だろうけど、
読んでくれた皆への、自由のお裾分けなんだ。
いくら正しく在ろうと心を砕いても、
ちっとも正せない、正されない己が身を省みて、
同時に心の三毒、即ち貪欲、怒り、無知の人々を見て、
「私の努めに意味はあるのか」と震えた。
あるさ。私の心の平和は、自分の手でしか作れない。
私の苦しみの意義は、自らが臨み、乗り越え掴むのだ。
けれど、私と君はいつも一緒だったよね。
奇跡が起きれば、なんて人は願うけれど、元来、
奇跡を起こしてもらうだけで、人は不幸なんだよ。
神仏に救ってもらう他に道が無い、
自力ではどうしようもない状況下で、起きる奇跡とは、
当事者には「幸運」だなんて生易しい物ではなくて、
幸せと呼ぶには、あまりにも鋭くて痛いんだ。
喜んでください、私は狂ってしまいました。
けれど、暴力を振るわず、叫びもしないまま、
遮光カーテンの裏側で小さく震えて、枕を濡らし、
だから、私は正直な人間のままなのです。
朝が来たら、やっとの思いで呼吸をして、
侮辱されても、微笑んでいて、
裏切られても、赦し続けているのです。
正直者で在り続ける努め、善行への努め、それは、
誰もが善し悪しの区別がつく、明るい言葉でも、
称賛の声、歓喜の声は遠く、この道を行く者は、
一人静かに、胸の内の信条と向き合う定めだ。
利己の心に基づく繋がりも、媚びによる賛美も、
眩しい道への一歩を、常しえに遠ざけるのだから。
敵意をばら撒く人は、他者の敵意にも怯えているよね。
誰も、お前の事なんて気にかけていなくても、
自分の心の在り方が、他者と言う鏡写しで返ってきて、
「疑心、暗鬼を生ず」
ありもしない鬼の姿が見えて、独り震えているんだよ。
いつか明日を迎える時に、
敵意と悪意を、赦してあげたい。
詩集 浜の光と芝の花 七章