詩集 浜の光と芝の花 六章

六章

 感じ取れる全てが煩悩であると知った時、
 私は、とても意義深い安堵を覚えたんだ。
 想像できるかい。私達は苦しむ事を約束されて、
 叫びたくても叫べない真夜中を幾度と繰り返して、
 窓の外が明るくなると、やっとの思いで眠り、
 欠けている物に心は怯えて、だが、勇敢なんだ。

 進んだ道に、望んだ物の有無は関係が無く、
 満ち欠けの度に一喜一憂しているだけだと気づけば、
 今まで「幸せだ、不幸だ」と繰り返した、
 讃美も落胆も、価値の乏しい物だと気づく。
 自由の中に喜びを見出せないのが、私であり、
 一切皆苦に学び得た、心の形は、明日の私である。

 定命の観点から言って、私はいつか去る。
 老いて、病に倒れ、朽ちて、或いは何かしらの形で去る。
 今まで出会い関わってきた人達に、再び会いたくなった。
 怒りも敵意も憎しみも棄て、ただ寂しく、愛しい。
 それは、真情であった。嬉しい事であった。
 私が人々を愛せた証に、他ならないからだ。

 もしも、唯物的価値観に基づいて、輪廻が無かったとしても、
 私は、我が身を呪わない。断じて、卑下しない。
 或いは、冥府と、浄土と、娑婆の往来を生む輪廻が有っても、
 私は、自身も、他者も、一切を肯定していたい。
 解らない事実に狂暴になる事も無く、木枯らしに笑っている。

 あらゆる辛苦を伴うドーサに対して付き纏う苦悩や、
 胸の内に湧いた、燃えた、激情に対して、
 執着する心の在り方こそが、最も唯物的ではないか。
 信じる感情は、静かな喜びぐらいで充分であり、
 でなければ、我々は如何に理性を磨こうとも、
 鏡に映る一瞬の幻に、永い後悔を増やし続けるだろう。

 地獄を、浄土を、交互に眺めて思い至る。
 私という名前の付いた個体に、しがみつく必要は無い。
 けれど、人は何故か、他者に依存をする。
 利己心に基づく渇望に他ならない。
 皆、自覚できる範囲の個体である自我に執着をして、
 底無しの欲望を与え、飼い慣らしたいのだろう。

 暗い空、薄明りに輝いて、地に落ちる雨、
 路面が光って見える所以は、真情ばかりを飲み込んだ、
 大勢の辛苦が、不可逆的に混ざったからであり、
 朝になれば嘘の様に消えてしまうのも、
 真夜中に飲み込んだ叫びを、思い出さない為に、
 忍耐の信徒が、片づけてくれたからである。

 誰よりも正直に苦しみ、その辛苦を飲み干して、
 微笑のままに話を続ける人の横顔が、物悲しい。
 洗面台に向き合い、激情に燃し尽くされた、
 私自身の青ざめた表情を眺めて、朝が近い。
 忍耐の人、信念の人、私は彼らに呼応して、称賛する。
 町や人の心の平穏は、良心への従者達の笑みに在る。

 日毎夜毎の艱難辛苦に打ち耐えて、動かない体は、
 幾千夜、常夜灯を見上げたのだろう。
 もしも、菩薩様が必ず見守ってくださるのであれば、
 苦しみの最中の隣よりも、あの小さな灯に宿り、
 眦を決して滾り落ち、嗚咽を堪えた全ての人の為に、
 不偏の仏性を呼び起こす光であってほしい。

 今日も明日も生きていられる事を考えず、
 平然と迎え続け、漫然と浪費する人々が、
 今日が明日に変わる事を受け止めきれず、
 恩人達の顔を思い浮かべて、荒縄を握る誰かの事を、
 良かれと侮辱をするけれど、皆、背後に回した手に、
 本当は隠し持っているんだろう、使い損ねた荒縄を。

 桑の実も柔い木の葉と山の端に利己も想わず儘に実が入る

 怒りや憎しみの対象を、悪と思い込む内はまだ青い。
 どこまで赦したら良いのか。山河の隅に訊いた。
 苦楽には一切の差異が無い。赦せば良い、どこまでも。
 激情を抱える事の、何が悪なのだろう。
 我々が是非の定義をしている想念を、ゼロまで削る時、
 私達は、誠に隣人を愛しているのだろうか。

 三十を手前にして、急激に、死期を意識するようになりました。
 二十歳前後の時の様に、生きていることが不思議で怖いのではなく、
「ああ、私もいつかこの世を去るんだ」と納得して、
 人生の中で一瞬の、若い時期を過ぎつつある私は、
 明日、今日、いつ死を迎えても、執着する事なく、
 帰るべき場所へ帰ると確信しています。
 最期が寂しいのではなくて、ただ、今まで出会い関わった人達に対して、
 家族、恋人、友人、知人、隣人、怨敵の差異も無く、
 全てに、ありがたく、うれしく想う気持ちでいっぱいなのです。
 きっと最期には、
「皆と、もう一言だけお話ししたかった」
 という僅かな名残惜しさを感じて、
 それでも、私は離れるのではなく、
 まだ現世に残る人々を、見守る側に立つだけでしょう。
 その死生観に至れたことが、無条件の安堵を生み、
 死を意識する度に嬉し涙が頬を濡らします。
 ですから、生きる時間が愛しく思えて、仕方がないのです。

 敵意を向けられても、同じ心で返さない事が、
 特別に尊いのではなくて、必然的な、日常じゃないか。
 刀を向けられる度に、揃いも揃って鞘を捨てたら、
 哀しくて、大人げないので、やめようじゃないか。
 我々の貴い日々は、誰かの怒りや挑発よりも、
 忍耐や慈悲によって、築かれてきたのだから。

 直感を研ぎ澄ませる人々にとって、その感覚は、
 普遍性という名の排列、或いは真実に等しい。

「好き」を呟き合った二人が、互いを知る為に夜を明かす。
 夢路にも会いたい貴方だから、イヤホン越しに呼吸を聴く。

 貴方に惚れてしまって見上げる常夜灯。
 陽光や月明かりさえもが霞んで見えた。
 貴方の声音に聴き入る時間は、心が静かで、
 通話を終えると、会いたい、と騒ぎだした。
 会って、互いの事を知る、あやとりの、
 手繰りよせた糸ごと、抱いて眠りたい。

 相棒とお喋りしながら、いつの間にか寝落ち通話。
「四年前の君が背負っていた痛みを理解できたよ」と昔話。
 彼が眠そうな声で思い出を語る様子が可愛くて、
「好きだよ、敬愛している」と久々に告げる。
 二人の過去、現在、未来を含めて、
 私を形作る心とは何か、お手製の指輪が思い出させてくれる。

「願ったり叶ったりだろう」
 胸中の修羅が、首をもたげて、呟いた。
「願ったり叶ったりさ」
 利己心よりも、私の善心が勝ったのだから。
 痛みを伴ってでも愛した。
 遺恨を残すより、自らの信条に従った。

 静かな野の、一輪の蒲公英を相手に、
「君も一人なのか」と声をかけるよりも、
 荒原の井戸が枯れる時、最後に汲んだ真水を、
「喉を潤せる、喜びだ」と燥ぐよりも、
 私は口を噤み、一条の光を眺めて、
「椅子は残っていますよ」その声を黙らせる。

 硝子の靴を落として悲しむ心から、一歩遠ざかる。
 落としたのではなくて、本当は一足多かったんだ。
 非合理と痛みの提示を、利己に基づき受け入れて、
 嘘を愛して、嘘に愛されて、遠くの嬌声が幸せでも、
 被る編み笠に纏う袈裟を、犠牲とは思わないで。
 私は始めから、騙されただけなのだから。

 大丈夫、三日も経たない内に、彼らは笑顔で忘れる。
 大丈夫、私は震えながら、苦しみの中で強くなれる。
 正しくあろうと律し続けた私は、椅子を放棄して、
 浅慮の人々は、幸いの最中に甘んじている。
 苦しかった、悔しかった、だが、それが何だ。
 俺は、俺は、ここまで強くなれたじゃないか。

 怒るより、愛する事に決めました。
 怒っても愛しても、相手が人間である事に違いはありません。

 苦しみが、私を粉々に打ち砕いた事はあっても、
 私という人間を、打ち負かした事は無いのだ。
 誤った選択が、私を追い詰める事はあっても、
 私の一切を奪う事は、決して叶わないのだ。
 正しさを追う心が、私に報いる事は無いと錯覚しても、
 育まれた己の善心が、私を見捨てる事は無いのだ。

 赦す為の旅路なら、帰り道は忘れて良い。

 最早、何を奪い、何を失う事があるでしょうか。
 私は初めて、人間が見えたのですから。

 大好きな貴方と枕を並べて想像する、猫の国のお話。

 缶詰に閉じ込めた銀漢の輝き。
 開封は、もう少し後にしよう。

 永の秋入り日に育つ影ふたつ常しえに告ぐ愛を抱きとめ

 神様から与えられた真水を飲む事が、私には精一杯だった。
 それ以上、それ以外を欲する事は、どうも、私の罪だった。
 咎人になり、獄の内側で綺麗な花を思い浮かべながら、
「手渡せたならば」と、望む心が私の罪である様に。
 斯様にこの日々が愛しく、月日は積もる、落葉の如く。

 一番目の手紙を書く為に、私を選んだ相棒へ捧げる心。

 雨の降る日にも君を想い田畑を通り越して。

 信じているから、言葉にしなくて良い、だから信念。

 深夜の街中で、独りで街路灯に照らされると思っていた。
 父は「一緒に散歩しよう」と笑顔で瞼を擦り、
 二人で肩を並べて歩いた。私だけは絶望を吐きながら。
「お父さんは、味方だよ」
 父よ、私の気持ちが解りますか。素直に頷けなかった気持ちが。
 心の中で、ありがとうって、叫んでいました。

 お母さん、貴女の痛みを知った日から、
 私は貴女の事を、何も知らなかった、と悔いました。
 世には、どの親に生まれるか、幸運か不幸かが、
 当たり前の様に語られますが、だからこそ、
 私は、無二の貴女の子に成れて、果報者です。
 その白髪さえをも、愛しく思います。

 叫んだ夜の数だけ朝が来るなら、俺の太陽は永遠だ。

 辛苦の日々に抗ってきた私達だったけれど、
 強く生きる為の努めに邁進する中で、
 二人して愛し合う定めにだけは、抗えなかった。
 朝は来た。最早、私達の歓喜は、照らされた。

 私の労苦と幸いを気づかってくれる優しい君に、
 私が、狂気的なまでの愛情を惜しむ理由があるだろうか。
 互いの努力を、成長を願い合う二人が寄り添い、
 この道を進むだけで、日毎夜毎に満たされていると、
 重ね合った手が温かく、欲した心がくすぐったい。
 今日は、君の呼吸に聴き入っている。

 病に苦しむ人が、生きている幸せを知った、と語る時の空。

 貴方の孫として可愛がられて、幸せでした。
 祖父よ、貴方が道に迷わぬ様に、祈る事はしません。
 貴方の寝顔の様な、穏やかな最期を見下ろして、
 貴方の魂はもう、ここには無くて、
 真っすぐ帰るべき場所へと向かった事実を知りました。
「ありがとう」の一語に尽きる、貴方との御縁と生涯へ。

 君の疲れた横顔でさえも、正直者のプライドでしょ。

 たとえばね、友達から馬鹿にされたとして、
 腹の底では、私が低く見られていたとか、
 或いは、表では褒めて、裏では馬鹿にしているとか、
 そういう哀しい事に、仕返しはしたくないんだ。
 だから、私はね、誰もかれもが独りぼっちの街で、
 生きる理由に、愛情を選びたいんだよ。

 嘘の向こう側に答えは待っていない。
 自分達の足で、ただの一歩でも、前方へと歩けたか。
 化けの皮が痛みに痺れた様で、可笑しいじゃないか。
 嘘に痛みが、本心が、見え隠れするなんて。

 不義を成す者同士が、自らの身に受けた制裁に、
 作法を知らぬ化粧の様な被害者面を並べれば、
 私が悪に成るのだろうか。いいや、詭弁だね。
 縁を切る事が悪ならば、縁を切られる側も相応に悪だ。
 君達を取り囲む環境の一切が、奉仕の心を持つなら、
 相反する私が離れる事こそ、善ではないか。

 悪を赦す事と、悪事を野放しにする事の差異を知る苦痛。

 今日も焚火を目の前に、人を赦す論理を構築する。
 心は静かに、倫理が成熟するまで、時間を掛ける。
 君達はどうだい。心の三毒に縛られてはいないか。
 貪欲、怒り、無明である事を自覚も無く受け入れて、
 浅慮を頼りに息継ぎをして、隣人を嗤い、
 安い思いやりを糧に、争ってはいないだろうか。

 彼らの是非を問い合う姿は、どうでも良くて、
 私が注視する対象は自己と相手の言動だけだ。
 始めから「是が非でも赦す」主題に従うだけだ。

 小さな神様が、皆の傷を癒すために、
 真っ白な包帯を手に、訪ねてくれる。
 その時、敵意も、悪意も、憎しみも、
 成す術を失い、諸共に救われるのだろう。

 争いは遺恨を残し、赦しは天に徳を積む。

 怒りを燃した分だけ恐怖を覚える所以は、
 人間が持ち得る敵意を、憎しみを、自らを教書として、
 学習した分だけ、他者の姿に重ねるからだ。
 暮らしから恒常的に、怒りの一念を取り払う者が、
 他者の一言一句、一挙一動に怯えない所以は、
 己の内外を問わず、争いを持ち込まないからだ。

 裏切りの一語は、隠れ蓑でしかなかった。
 自らが不義を成し、不誠実であった継続の事実に、
 目を伏したまま、咎を追う為の言葉であった。
 不可思議にも、裏切りの対義語は「忠実」であり、
 他者に向けて忠誠を誓うのではなく、己が善心に対し、
 孤忠の在り方を、日々、示す事に他ならない。

 どうして「生きるだけで良いんだ」と肯定できない私達。

 悪魔は問いかけました。
「人に優しさを与える事は、難しい事ですか」
 人は問いに応じました。
「それは誰もが既に持っていて、ただ思い出すだけです」
 不変の事実を、悪魔は思い出しました。

 仏種の内側に人間がいて、人間の内側に仏性がある。

 私と君は、同じ枝に掴まっていた蛹。
 一緒に空を仰ぎ、夢を語り合った。
「一緒に飛べないかも知れない。でも、一緒に蝶に成ろう」
 私と君は、この明け方に蝶だ。けれど、風には流されない。
 互いの成長を願い合った、この幸いの境地が楔だ。
 二人を結んだ、芋虫に成る前の、あの日の蝶として。

 苦しみと余命を課す君が、私のために涙するなど、赦せなかった。

 私は自分の命に「ごめんね」と書きながら生きる事を、
 ただの微塵にだって、悪い事だとは考えていない。

 ただ一言の「ありがとう」を言う為だけに、遠回りをしてきた。

 飲み込む海に蛙の船出が見えるよ。

 履き潰した靴の通り道。

 神を試してはならないのだから、
 人間の良心だって、試してはならない。
 作り損ねた紙芝居なら、描き直せる、
 台詞を間違えたら、読み直せる、しかし、
 数字と論理のみの世界に人間はいなくて、
「治す」の一語は、辞書の外側にある。

「私達は、お互いに相手に思いやりを持てる筈だった」
 この、ただひとつの肯定的矛盾を受け入れる事が、
 私にとって痛みを伴わない、理に適った優しさなのです。

 利己主義の合間の追いかけっこを咎めるよりも、
 永遠に続く輪から先に抜け出せた自分を、誇りたい。

 贈り主の心を重んじて、とかげのぬいぐるみを大切に憩わす。

 人を赦す心は、勇気の在り方のひとつでした。
 私は、一部に対して勇敢で、蛮勇で、
 それでいて、例外に対して、極めて臆病でした。
 人を理解する心は、知性の在り方のひとつでした。
 私は、一部に対して勤勉で、一日の長があり、
 それでいて、例外に対して、極めて無知でした。

「彼は仏教徒でした。都合の良い時だけ、唯物論の信徒でした」
 男は、諦めた様に、項垂れて呟いた。
「ですが、このとかげのぬいぐるみには、優しくしたい」
 男は、愛おしそうに、ぬいぐるみを抱きしめた。
「同じ贈り物も、活かし方の選択で道は変わる」
 男は涙していた。

 今朝の空は高いね、とお坊さんが言った。
 ずっと高い空だったよ、と修羅が答えた。
 今日の柿はとても甘いね、とお坊さんが言った。
 数年かけて愛を込めましたから、と修羅が微笑んだ。

 平塚市の街路を二人並んで歩いた。
 君は、鳩を指さして、嬉しそうに言った。
「はとぽーいるよ」
「ね、はとぽーいるね」
 君と出会い繋がれた幸せを、思い出す。
 この思い出を糧に、私は人間でいられる。

詩集 浜の光と芝の花 六章

詩集 浜の光と芝の花 六章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-09-30

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