詩集 浜の光と芝の花 五章
五章
思えば、もう少し人に優しくなる道を、選びたかった。
今生を共にする人々に対して、私は冷たかった。
だが、やはり、後悔の念は微塵も無かった。
自ら責と咎を負い、相応の艱難辛苦を受け取れた。
この学び得た道が、ペン先を通して叫んでくれるなら、
私は生きる事が叶う、愚かにも、歪にも。
暮れ方の軒端にて、二人肩を並べて書を読む僧。
「君はトルストイを読んでいるのか」
「貴方は阿含経を読めるんだね、すごいなあ」
互いの成長を願う。歩いている目的が異なっても、
苦楽の差異にも、進んだ距離の差異にも、拘らない。
行きつく未来は、ひとつである。
自らを肯定する為に、歪んだ道を、是とする事も無く、
他者を下げる為に、自ら学び得た道を、是とする事も無く、
私が精進するにあたり、歪んだ道を憎まぬ様に、
自ら学び得た道から、他者を是とする心を持てる様に、
私は一人の凡夫として、自身に対する是正を行ないたい。
白紙の、幾度と改行を施した空間に誠実でいる。
自らの胸に突き刺したナイフを掴み、ペン先代わりに使う。
切先の滴り落ちるどす黒い洋墨で、殴る様に、刻む様に、
「ひとつの言葉だけで良い」と叫びながら、
潮騒が絶えない、真っ暗な防波堤を思い浮かべ、
黒に染まった紙に、夜の星の様な、綺麗な痛みを書く。
雨に打たれる事はあっても、雨に溺れる事は無い。
「助けて欲しい」と手を伸ばす君の心は、
断じて、助かろうとも、救われようともしていない。
人から助けられた、という言動の形を通して、
他者に構ってもらえた自分を、愛しているだけだろう。
雨中の傘ひとつに、感謝を覚える事はあっても、
君の代わりに濡れた人へ、示す心は無いのだろう。
包括された喜びや楽しみも、四苦八苦も、全てが、
等しいものである、と断言できたならば、
私に愛せない者はいない。故に、未だに皆を愛せない。
無法とは異なる形で、一切を肯定できたら、苦楽は消える。
その形を自らに問いたい、生きて学ぶという形で。
苦しい暮らしと、明るい話があれば、家に全てが満ちる。
豊かな暮らしに、苦しい話ばかりなら、心が欠けている。
孤独感を埋め合わせる為に、愛を欲しながらも、
見返りを求めない愛の実践を、怠ってきたじゃないか。
君達が欲した分だけ、都合が良い分だけ、
周囲から人が去り、魔の手が近づいた。
唯物の世界に入り浸る道を選びながら、
人の心や倫理を求めるなんて、可笑しい話じゃないか。
陽が昇っても灯り続ける街路灯が、生き急ぐ人の足音だった。
お前の過去に「良かった」と応じてあげれば良い。
それができず、他者からの肯定を渇望するのだろう。
お前の現在に「良いね」と答えてあげれば良い。
燻りたくないから、他者から認められたいのだろう。
お前の未来を肯定できる様に生きれば良い。
後に、恨み言ばかりを語る暮らしに戻る前に。
悪魔に対して、護法神が財施を行なった。
悪魔は金銀財宝で身を飾り、喜んだが、心が苦しかった。
次に、護法神は法施を行なった。
教えを説かれた悪魔は怯えて、受け入れなかった。
護法神は、悪魔に無畏施を行なった。
恐怖を除いて貰った悪魔は、ひとつの善意に生まれ変わった。
クマゼミは、鳴かないよ、と嬉しそうに笑う君。
修羅は、卵を溶いた雑炊を作り、僧に食べさせた。
僧は、道理に迷い、人や物事を、信じられずに、
身も心も疲弊しきって、光を渇望していた。
「お坊さん、貴方がどんな御人になってもな」
もう一度、蓮華で雑炊を口元に運び、修羅は呟いた。
「貴方が元気でいる方が、俺は嬉しいよ」
倫理は、遍く世を照らす法であると執着していた。
今となっては、拘らない事にしたんだ。
後悔や懺悔をしない形で、常に省みると、
倫理を振りかざした日々の、脆弱性に気づく。
道義を学ぶ前に、隣人愛を行なえる様に成りたかった。
妄執の先に、怒りへと変貌する心は、愛ではない。
なればこそ、日の入りから間もない街の、西の空に、
「今日の苦しみも悪くはねえな」と語気を強めて、
阿弥陀様とは逆方向に、夜の方角へと歩き出すのだ。
自分は決して孤独ではない現実が、嫌でも解る。
戦友達の呼ぶ声がする、呼応する心がある、
ペンを執る指先が、夜に向かって猛り、荒れる。
気にしなくて良い、勝手に応援したいだけだ。
自身に善意がある筈だ、と信じる事と等しい様に、
君にも、貴方にも、皆に善意がある筈だと信じるよ。
私の心に悪意が在るなら戒めて、胸中に留めておく。
他者の悪意にも、今は目を瞑る。修羅も眠りたい。
異なる道を選んでも、目指す頂は、答えはひとつだと、
心から理解している、共に励む貴方を敬愛している。
今夜は一緒に寝よう、恋路は終わっても、変わらぬまま、
枕を近づけて、ふざけ合って、笑い疲れて眠ろう。
幾度とこうして夜を過ごしてきた、昨日も今日も、明日からも。
貴方と私の幸いは、遠くから互いの成長を願い合える事さ。
君が諦める時に立ち塞がる壁を壊しに来たよ。
得るか、棄てるか、この選択肢を自由に選べる積もりでも、
選択する意志に縛られて、得ても棄てても、疲れてはいないか。
周囲を思い通りに作り替える事が、過ちじゃないだろうか。
縁から起こる考え方を持って、風に揺蕩う糸を眺める。
他者の無礼にも笑顔で返さないといけないなら、
その無礼を認めている周囲に同調しなくてはいけないなら、
私は、敬意を込めて接するよ。
皮肉なんかじゃない。普遍的愛って、そういう事だ。
相手の言動で愛や嫌悪が増減するなら、それは、
始めから彼らに出会っていないも同然なんだよ、きっと。
生きる事を諦めた歌が流行る現世。
ただひとつの願いさえも叶わないのか、と嘆く姿の、
その背後には数多の叶った願いが、山積みになっていた。
目先の欲求ひとつを取り上げて、不満を語るより、
今日に至るまで如何に満たされ、生きてきたのか、
不足が常の世に於いて、どれほど恵まれていたのか、
私自身、内省と共に想いを馳せたい、沈黙の形で。
悔しいと思える事が、激情に眠れぬ夜を作ってきた。
左腕と右半身が麻痺した時だって、悔しかった。
夜半の街へ、防波堤へ向かった時も、惨めだった。
けれど、悔しかったから、闘えたんじゃないか。
記憶と向き合った日々が、私を形作ってくれた。
それらの一切が、私の現実に成ってくれたのだ。
左腕の麻痺が治る過程で、冬の夜中になると、
刃物で肉を切る様な、鋭い神経痛に悩まされた。
貴方の優しい声音が、唯一の痛み止めだった。
その痛みも生きている証だ、と助言をもらった。
そうだ、生きる事は決して心地良いものではない。
辛苦を伴い滲んだ黒インクで、生涯を書くのだ。
神や人にも、弱音を吐かない。ただ、誰かに逢ってみたい。
都会に暮らし、背広を着て、ネクタイを締めながら、
その首に荒縄を結ぶ人もいるけれど、
路上に暮らし、襤褸を着て、物を乞いながら、
それでも今日から明日を迎える人もいるけれど、
人々がその姿に、勝ち組だ、負け組だ、と騒いだ所で、
当事者にとっては、等身大に生きた証に他ならない。
ホームレスには生きている価値が無いと思うなら、
生きている価値を、貸し与えられている自分が、
如何に恵まれているか、実学を学びながら、
他者の一生涯からレッテルを除いて、観察したら良い。
裕福であり、欲望への信徒である君達も、
道端の虫や、砂浜の流木と、何が違うのだろうね。
在るべき姿に、成すべき在り方に傾倒しているならば、
一時的かつ上辺だけの不名誉は、容易く上書きされる。
不名誉を着せられても、自らの意志で着た襤褸の方が、
遥かに長持ちする上に、相手を辱める事が可能である。
敵は襤褸を着る度胸も無く、錦を着る度量も無いのだ。
入り日を眺めて、終わった物事に哀しみの、
一語を飲み込みながら寝具を整える、今日が現実だ。
省みる日々だった、浅慮と黒い想念を道連れにしながら、
明けの白い空が、私を呼び起こす時刻までが闘いだ。
明日が途絶えても、昨日までの自己が、嘘になる訳じゃない。
封建制度の劣化は、個々人にあらゆる権利を与えた。
朱子学の風化は、社会から師の存在を不要とした。
同時に、技法を得る為の手段も、その幅も広がり、
人々は自由と豊かさを謳歌したが、失敗もあった。
心を学ぶ手段を喪失し、師の不在に気づけず、
真暗闇を、全盲の想念で歩く事になった。
つまり我々は、郷に従う不自由が与えていた恩恵を失い、
行動圏が広がり自由を得て、その代償を払い続けているのだ。
「常識って何」と恥を知らず、皆が口を揃えている。
聡い人達は、無法の中で沈黙を守る。
社会を構成する大人も含めて、誰も、
人の道を教わらず、教える事もできなくなった。
誰にも負ける筈がなかった。
私は常に、自身と闘っているのだろう。
自己保存、利己心、自我我欲は、蛆虫にでもくれてやれ。
誰の為でもないんだ。自らの善心に報いる為ではないか。
その様な強がりを、虚無であると罵られようとも、
私の苦しみの意義は、誰にも奪えやしない。
君達が、如何に相手を知った積もりになり、そして、
自らの言葉で相手を変えられると自惚れたのか、
学徒として恥を知って欲しい。
仏教や、儒教や、基督教について思案を繰り返し、
自らの責任の中で苦しむ姿を、宗教論争であると決めつけ、
否定する姿は、増上慢かつ無知の証明ではないのか。
何を学んできたのだ。
自立心を否定する人達に、自助努力を説いても、
耳が痛いだろうし、眼を伏すだろうから、
彼らが避ける言葉を、敢えて文字に起こしている。
助けを求めて、助けられたら、助かると思うのかい。
いいや、刹那的快楽による、心の麻痺だよ、それは。
お前自身が、何も変われていないのだから。
君と繰り返す禅問答に知る如是我聞。
仲が良い内は、人々の間に悦楽が接着剤の役を担い、
決別を迎えると、怒りや憎悪が接着剤の役を担う。
前者も後者も、縁を断つにまで至れず、
同時に互いの存在への過剰な関心を持つ事で、
信頼している、仲が良い、敵対している、怨んでいる、
そういった、無責任な損得の縁起で繋がっている。
二人の僧が、似て非なる修行の道を歩んだ。
一人は高僧となって、一人は修羅のままだった。
それでも、二人の間に敬愛は失われなかった。
高僧が菩薩を志して、悩み苦しみ、迷う時には、
不器用な修羅が、真っ先に声を掛けた。
「俺も明日には同じ壁にぶつかる。君よ、恐れるな」
眼に見える形では手を差し伸べない神仏を愛しているのに、
眼に見える形で接してくれる人達を赦す事が難しい、
仏恩に反する暮らしの習慣は、私が隣人友人に背いた分だけ、
その痛みを自らに還元する事で、私を正してくれるだろう。
家族を無条件で愛せる事と等しい様に、
家族の仲を理由に、赦せない事があったとしても、
その想念は最早、家族間の問題ではなくて、
憎悪を抱えた自身の苦痛であり、課題ではないか。
親心の無い親に対して、自らが親心を持つしかない。
子は親の鏡で在りながら、親を越えられるのだから。
万札を手渡して、背中で受け止めた罵声を、
土砂降りの雨が洗い流してくれる。
「このお金は、神様の為に使って下さい」
涙ながらに、屈辱侮辱に耐え忍び願ったけれど、
あの人達は食材費として手を付けた。
貧者の一灯をも愚弄されたけれど、
襤褸を着ても心は錦。私は、あの大人達を赦した。
初陣の駅、二人して同額の小銭がポケットに。
人を好きになる事が氷砂糖。
失い続けた暮らしだった、得る為の努めも赦されなかった。
執念と怒りを書き殴る手段を、技法だけを、会得した。
楽しかった筈の、悔しさばかりだった過去にさよならを告げる。
私が今日に至るまで生きたのは、今夜を泣く為ではない。
復讐劇の主人公になるよりも、喜劇の脇役として笑いたい。
近づいても離れても、途切れる事が無い縁だと解った。
貴方との関係に名前を付ける事は不可能だと気づいた。
友達、いつものメンツ、恋人、修行の仲。
だから、私はいつでもここに居る、常に書き続ける。
二人の間に七色の栞。ページの前後に連なる旅路。
神仏を信じる時、人は対価を欲しないけれど、
人間を信じた時には、相手に心を施している。
この仕掛けは、人々が助け合う為に旨くできている。
きっと、神様や仏様が創ったに違いない。
この先、幾度と疑心暗鬼に駆られて、迷う事だろう。
その度に、私はこの仕掛けを使うとしよう。
とかげの子供を見つけて「喉は渇いていないか」と、
水道水を、手の平で三度掬って、床に零した。
会いたい友人が、数え切れない。
それだけの有り難い御縁に恵まれた。
手に得られた一片、身に浴びる一切、
全てが苦しみと喜びの背中合わせで、
交わす言葉や触れた指が、愛おしい。
懐旧の念に胸を焦がされ、筆は饒舌だ。
頬を滾り落ちる涙ばかりが、静かだ。
朝の報道に映る神奈川県平塚市。
今に通じる喜びの、眩しい街に手で触れた。
「私達は、あの場所にいたんだ」
無邪気な声で、また会いたいね、と彼が云う。
会うよ、沖縄のこの町で、神奈川のあの町で。
何度でも会おう。朝の七時に仰ぐ東。
父母の傍我在り仰ぐ居間の唄思ひ出薫る明日の暮れにも
貴方と私の呼吸の間には、猫たちが幸せに生きている。
修羅の明け人に生まれる願を立て活けた仏種に根差す御礼
人の身に生まれて尚も鬼の縁施餓鬼に涙玉杯を嚙む
苦楽には一切の差異が無いと気づいたあの日から、
その解釈は、色と形を変えてきたけれど、
気づきに至る論理も、その技法を変えてきたけれど、
不可思議な事に、苦楽には一切の差異が無い結論は、
微塵も揺るがなかった上に、より確信に近づいた。
幸か不幸かの二元論に執着する事を、やめたよ。
怒りを以て立ち止まる事と同じで、赦しを以て前に進む事が可能で、
赦せないために怒りを滾らせる事と等しく、是が非でも赦すべきで、
俯瞰し続ける事で、怒りか赦しか、極端なゼロとイチを乗り越えて、
敵か味方かと二択を迫る、徳とは程遠い手法を棄て、愛へと近づく。
怒りや憎悪から遠ざかる事で、人が美しくなるのではない。
遠ざかるための過程を以て、人が本来の姿を取り戻すのだ。
街路灯の光と、夜間に走るトラックの走行音が、
静寂と騒音、静と動の役を担って、美しかった。
私達は、怒りを以て自らの正しさを主張する内は、
私達の執着の最たるものである、利己心の奴隷だ。
「嫌われる事が怖い」と怯えながら、隣人に対して、
自身を嫌うなと脅す心が欲する物は、都合の良い奴隷だ。
私達が希求する者は、善き人だろうか。
或いは、同じ苦痛に留まる奴隷だろうか。
貴方と二人で作った指輪は、生きた時間そのものだ。
沖縄にて共に見上げた、浜辺の空の虹も、
神奈川の最終日に、二人きりで見上げた明星も、
愛しい全てが、恋愛から敬愛へと姿形を変えて、
けれど、私達は生まれ変わった訳ではない、そうさ。
あの日から、成長の為に努めて、生きてきたんだ。
詩集 浜の光と芝の花 五章