詩集 浜の光と芝の花 四章
四章
護法善神の白虎が、仏の足元を注視している。
脚を一本失った蟻が一匹、無言のままに祈っている。
「何を、祈っているのかね」
蟻は、白虎の問いかけに応じなかった。
蟻は不自由な体を引きずって、往生とは逆の方向へ歩く。
白虎は「気の毒な事をしてしまった」と心で詫びた。
一人を保てなければ二人にも成れない。
貴方の愛を知らずに、憎んだ事もあった。
貴方はいつも、全てを直した。物も、心も。
背負う労苦に悪態も零さず、ただ家族に尽くしてくれた。
馬鹿息子の憎悪でさえも、そのアガペで救ってくれた。
家族の二文字は愛の一文字。
風邪をひいて、胃腸が弱った私の為に、
お粥を作る度に、大根をすりおろしてくれた、
父親の声音が、何よりも温かかった。
少しでも喉が楽になる様に、生姜をすりおろして、
湯と共に蜂蜜を溶かして飲ませてくれた、
父親の眼差しが、何よりも嬉しかった。
単純に、恵まれただけなのだろうか。
家族を愛せない理由に従い、憎む人もいるだろう。
なら、私が親兄弟に見出す普遍的愛は、虚像か。
真には存在し得ない、遺伝の連続による偶然か。
いいや、家族愛に対し、是非を問う、それこそ飾りだ。
家庭を愛せない人生の傷も、同様に本物ではないか。
野に咲く花は何も変わらないまま人間のレンズを通る。
ヒップホップのヒの字も知らなかった私に、
君が、韻と抑揚という技法を教えてくれた。
「掲げた闘志、消えた同士」
なんて、悲しいリリックも書いた。
君と別れて、私は私に成った。
朝焼けの分岐路の向こうでまた会おう。
「二人で黙示、動機提示」
謙虚に学び、蛮勇なまでに生きよう、友よ。
今夜は神様ではなく、友達を信じる事ができたよ。
善いとされる行いも、悪いとされる行いも。
倒れた姿を嗤う者も、努める姿を賛美する者も、
自らの言動により、変動する者は、ただの通行人。
哀しくて、泣いている訳じゃない。
胸を裂く様な叫びを飲み込んで、肯定しただけだ。
心に刃を忍ばせて言葉に出す。だから、認めるのだ。
それは、胸中に閉じ込められた想念を、是とする術だ。
深夜、涙に暮れる所以は、嬉しかったから。
修羅のままでも、努める意気の鋭い事に。
煩悩は苦楽そのものだ。上手く使えば、身も心も満たす。
だが私は、いつか一切の苦楽を手放したい。
学び舎で使う教科書も、一度巣立てば自室から片付ける。
幼い頃に与えられた服も、背が伸びれば着る事は無い。
煩悩も苦楽も、成長の為の教材だから、
忌み嫌いながら縋らなくても、良いのだ。
如何なる敵にも、口先ではなくペン先で応じた。
彼らが、怒りや憎悪、嫉妬や咎をぶつけてきても、
現の証拠を噛みながら、詩の形や物語の応用で闘った。
それは、自らの感情や信条に対する返答であった。
ただの一度も、敵対者を相手にしない。
私が、神様との約束を守るか否か、それが全てだ。
仲間の一語があまりに安くて、私は選ぶよ、修行の友を。
激情が静まった後に、人が自らを省みるのは、
胸の内に神性や仏性が宿る証ではありますまいか。
病めば縋りつく苦楽の甘味と苦み、彼らは道理に暗い。
助けを、欲望を、絆創膏を、波止場を欲する、在るがまま。
私の真情から零れた一語は斯様に語りだす。
「皆が獣の様だ」
苦しまないでくれ。君らが私の言葉で傷を負うならば、
君達が真っ当な人間であると言いたげな、自惚れの証拠ではないか。
甘い誘いの手を払い除けて、孤忠をこそ照らす光の中に佇む。
反故を庇護する彼らを梵語でただ一語、ドーサに書き表す。
棄てられた荷物同士、鍵も壊れて中身をぶちまけて、
夜半の寝具に混ざり合え、満たし合え、所詮は痛み止め。
私は痛みを志高く昇華する、腐る暇など微塵も無いのだ。
人を嫌いになる瞬間、そこに感情は一切不要である。
成長意欲の志に於いて、相手が妨げになるかどうかだ。
私情を露呈する事は脅しであり、甘えである。
君らの意志だけ訓示が空回り。私は黙示、動機提示。
白く輝く樹木が並ぶ、この場所を故郷と思える様に、
鳥獣達の体も、白く染まる事は、必然だ。
道理に明るくない者によって、林が燃やされたら、
生き延びた鳥獣達は、この場所で生きる為、黒く染まる。
けれど、白いままの姿で生きる者もいる。
善こそが善だ、悪は悪である、と叫びながら。
日頃、倫理を言葉にしなくなったが、
懐には小さな刃として、常々持ち歩いている。
不義を成されて、笑顔で迎えるほど、
私は御人好しでもなければ、愚鈍でもない。
歌ってごらん、乱れてごらん。
向上心に棲みついた、ウルヴェラの魔王が嗤っている。
君は、人間には成れなかったのだ。
焚火に照らされた友人達が、哀れだった。
皆、自分達は仲間だと語りながら、手放せないのは武器だ。
私は部外者だから、詩の形で本音を言えるけど、
彼らは本音と言うものを、腹の内を、胸中を、
柔い炎に照らされながら、二心を抱えているのだ。
受話器を二つ持ちながら、話す様に。
知人、隣人、友人は貴いものだと私は想う。
生きて、直に関われる人間は、そう多くは無い。
けれど、自分が他者を通して学ぶ事は、極めて多い。
自らを振り返るきっかけは、話し終えた後じゃないか。
今や近くて遠い、かつての仲間達に教えたい。
君達は本当は幸せで、縁に恵まれているんだよ。
親心の痛みも美しさも、理屈ではないのだ。
一人でも子を育てて、全ての苦を背負っている。
君は、自分の苦しみが世の全てかも知れないけどね、
母とは己が乏しいままでも、子には豊かになってほしい。
体も心も壊してまで、君に一生涯を捧げた家族に、
寄り添う魂ぐらい持ちなよ、人の子よ。
「生き方も決められないなら首を括れ」と君は吠えるけど、
君は自らの心に、人間としての指針を持ったかい。
母親を思いやり、愛を返したのかい。
暗闇の中に自ら飛び込み、明るい道の人に縋り、
家族や仲間を苦しめて、美辞麗句ばかりじゃないか。
痛みの連続でも、責任を持てる人間に成ろうよ。
勇ましい言動を覚える前に、慎ましい心を自ら育てよう。
痛ましい大人になる前に、悩ましい心に自ら問いかけよう。
逃げても逃げきれないのが、自己に対する弱さだ。
欲しても与えられても、満たされないのが欠けた器だ。
等身大の自分と向き合えば、苦しくても、それは幸せなんだよ。
陽の光に一身を照らされて、救われた。
ずっと吐き気を堪えていた、怖かったのだ。
人間が持つ普遍的愛を確信する度に、安堵を覚えて、
けれど、裏側にはウルヴェラの六日目、その魔王が猛る。
「魔王よ、私に近づくなら、ぶった切ってやるぞ」
我が胸に倫理を突き刺して、涙ながらに叫んだ。
ガルダの炎に焼かれる度に、この苦痛が、愛おしい。
煩悩の泥に飛び込んだ、青い肌の明王に帰順して、
奉謝の一言に力尽きて、私は倒れてしまいたい。
もしも、護法善神の白虎が目の前に現れたら、
或いは、飢えた悪鬼羅刹が訪ねてきたら、
喜んで身を施すよ、同じ事だ、そうでしょう、仏様。
嘘つきばかりが泣いて、嗤って、虚栄心を張る。
心が枯れて、哀しくなってしまったよ、私は。
誠実の一語を知らず、誠意を語るなら、虚言だ。
言葉だけで事実を表せるなら、行動は要らない筈だ。
「私は微塵も怒りを持たず、赦しきった」
さあ、これでお前達の恐怖は、静まる筈ではないか。
真に小さな自由は、誰にも奪われない事を知っている。
地獄、餓鬼、畜生である事や、修羅に甘んじている、
この事実を認めない限り、私は成長できません。
三つの悪道、善道、先人の叡智に縋る心も、
私が自らと闘う決意が無い事には、ただの飾りでしょう。
自身が人間未満である自覚を持たない事には、
私は決して往生せず、人間にも成りません。
快楽よりも苦楽の方が尊い、と気づく日が来る。
胸の痛みに眼を伏した、その本心は嘘をつけない。
責任も誇りも放棄して、何を掴むのか。
耐え難い苦しみを忘れる為に、幸いを欲している。
事実、彼らは麻酔として、暗い喜びを求めているのだ。
成長により、辛苦を克服できる現実から逃げながら。
人の不幸を眺め、余裕を取り戻して優しくなり、
相対評価に基づく幸いを顕示しないと、気が済まない、
快楽に依存する体に縛られて、孤独に耐えきれない心を持つ。
暗所の住民が隣人愛を学び、自らの喜びに満ちていれば、
私が彼らに対して、敬意を惜しむ事も無かっただろう。
西瓜を食べながら、君が教えてくれた知恵を思い出す。
「ああ、こんなに美味い野菜は無いぞ、って考えるんだよ」
あの日、僕は本気で君と結婚しようと思った。
今生で、その夢は叶わないけど、君は今も親友で、
いつもの焚き火に照らされながら、
二人して、日毎夜毎に、修行の夢を実らせるのだ。
六諭の教えを学び直すと、この土台を手に入れた上で、
自身の頭で考え、実直な暮らしを覚えれば良い事に気づく。
程順則がこの島に持ち帰った時、明治日本の針路は定まった。
我々は抗おうにも、学問から風化した六諭を隣人に迎えた。
六つの法を学び、行い、その次に自由意志を磨きたい。
君が怒り、泣き、狂い、震える事は勝手だ。
自由意志の範囲外である事を、主張する事も同様に勝手だ。
けれど、人を怨む事ぐらい、責任を負ってみたらどうだい。
等身大の自分が継続した事実に、悔いるか、喜ぶか。
私は、自分の十年後が楽しみだ。
今日という一日を憎む事で精一杯の君にも、十年後があるんだぜ。
二人の僧が目指した、仰いだ、空はひとつだった。
「ならば、私達が至る場所も、同じものだ」
「道が曲がっていても、長くても、同じ事だ」
しゃんしゃん、と錫杖の鳴る音が、近づいたり、好きになったり。
崖を目の前にして、橋を架けよう、と笑ってくれる君。
昼間にだって、常夜灯の灯りが静かな天使、或いは蛍。
夜半を共にして、君の歌声に聴き入っていた。
段々とその声が震えて、涙している様だったから、
「生きる事は喜びだね」と賛美した。
君を励ましている筈だったが、私まで泣いていた。
「三月九日以来だ、今、僕達は嬉しいんだね」
心を許し合って、胸が温かい、明日はきっと、空が高い。
早朝の机に置かれたペンを、私が代わりに持っていこう。
これは、必ず君にお返しする為である。
自らの内外に対して、努力できる君の事だ。
頑張り続けた君だから、闘志が燃え尽きる事もあるだろう。
君が再び、瑠璃の内側に太陽を作った時、このペンを手渡すよ。
けれど、ぼくは気づいてしまった。
溺れている皆は、実はその姿で幸せなのだ。
苦しみに、嘆きに、悩みに依存した状態が、
皆にとっての、幸せであった。
悪人も、被害者意識と美辞麗句、そして嘘を語れば、
作法を知らない化粧の様な、善人面だけはできます。
私が志したい成長とは、出口や目の前の足元に拘らず、
ひとつの事に対して盲目になる数字の膨張を、
技能の鍛錬を、意味を知らない苦行を指すのではなく、
私という魂が、正しい道を歩けるように努めながら、
その先に至るまでの一切を含むものである。
実学に伴い、心を豊かに実らせる事は喜びだが、
虚学を得る過程で心を失う事は、うら悲しい。
最も寂しい心とは、自他への尊敬を忘れて皮肉を覚える事だ。
侮蔑の手法を学ぶための、若い命ではなかった筈だ。
本当の幸せを願っている。
嘘に塗れた群れの向こう、真の君が佇む明けを眺めながら。
修羅は瞼を閉じたまま「海だ」と感嘆した。
名も無い僧は「山かも知れないよ」と楽しそうに笑った。
如何に傷を負っても、歪んでも、沈んでも、
それらは私の結果には成り得ないのだから。
嬉しいね、一切合切が過程である、私の希望だよ。
悩んでいるのではなくて、悩みたいだけだ。
貴方達の悩むふりは、自助努力を怠るための術だ。
君が私に塗ってくれた、煩悩の泥を、誰が拭うと思う。
私だ。他者の手は汚させない。それが道義だ。
人の言葉を借りて、道理を説くのも良いけれど、
君がその道に暗くて、どうするんだい。
初夏の装いで秋の神奈川を歩く二人旅。
詩集 浜の光と芝の花 四章