詩集 浜の光と芝の花 三章
三章
「貴方の詩に書かれていた中道の意味とは、何ですか」
その問いが嬉しかった。
読んでくれたから、という心情もあるが、正確には、
中道について、今一度、私が想い起す機会をくれたからだ。
十二年間、執念で学んだ事を、四年間の幸せで忘れていた。
幸せの御蔭で、私はもう一度、学び直せる。
心の底から救われたこの俺を、神様の手で引き裂いて、
砕いて、散りばめたら、真っ赤な詩文が、空から見える。
瞼を開けば、東西の差異を棄てた光に、満ちているのだ。
苦しみは、断じて不幸ではない、と明日の歌がある様に。
海から俺の叫びが聴こえた。仏様が、沈黙で応えてくれた。
新緑に包まれた地の上を駆けて、全てを追い越して、
暮れ方に追い縋る事も無く、痛みや苦しみの向こう側へ。
掴めた明日、或いは、太陽にとっては昨日だろうか。
気にするな、生きる事で透明に、成れ。
倒れた時の懺悔だけでは、涙だけでは報われない。
街中で「ありがとう」を繰り返しながら。
三十分だけ眠ってしまった夜の悔しさが、寂しさが、
この胸中に、春を知らない雪を積もらせた。
二人して感謝だけを伝えた。
「また明日」は言わない。
深夜零時のおやすみ。
時折、胸が張り裂けそうになる事がある。
悪意を持っても、相手は変わらない。お前は変われない。
生まれつき不自由だった両腕を、神様に治して貰った兎は、
生きとし生けるもの全ての、病を治せる薬を調合しようと、
日毎夜毎、材料を集め、薬草を調合して働いた。
だが、兎は気づいた。
「病を治せるという、驕り。病は不幸という、勘違い」
兎は神様に謝ったが、それでも、働き続けた。
俺の手にも、一掴み分の光が、救いがある筈だった。
二匹の猫が、いつも愛し合って、深い絆で結ばれて、
少ない食べ物も分け合って、暮らしていました。
片方の猫が、人間の夫婦に拾われました。
もう一匹の猫が「置いてかないで、一緒にいよう」と、
愛と悲しみの限りを込めて、叫びました。
二匹の猫は、もう二度と、会う事はありませんでした。
ねこにゃが病に苦しむ時、にゃんこにゃは、
一生懸命、神様にお祈りをしました。
「どうか、ねこにゃの心を助けて下さい」
三か月後、ねこにゃは回復して、すっかり元気になりました。
にゃんこにゃは、看病の疲れで、しばらく眠りました。
目を覚ますと、ねこにゃの姿は、どこにもありません。
人を赦す事に疲れた心で今日も扉を開き損ねる。
海に飛び込んだ人を助ける善意が海面には悪意で映る。
心を自制しながら、心から喜べる者こそ、誠実な楽観主義者だ。
あの公園で、今生の別れを迎えた筈の二匹の猫は、
愛しい相手と再会する事ができました。
二匹とも、涙ながらに喜び、愛を声に込めました。
それは、神様が二匹に見せてくれた、最高の夢だったのです。
猫たちは、命ある限り、二度と会えません。
ですから、最後の最期には、必ず逢えるのです。
だからこそ、最後まで生きるのです。
獄の内側にて、日毎夜毎、人間の心が堕ちる音に怯えていた。
獄の外側では、エルサレムの欲望の棚が豊かになり、
人も鬼も、何かを嗤っていた。
小さな神様に幾年祈り続けて、教わった。
私は獄の外側にいて、フランチェスコの声が聴こえて、
実は、自らを嗤い嘆く者達が、獄の内側にいるのだと。
鉄条網の向こう側に海があったから、
囚人は、ウミガメの赤ん坊になる夢を見て、
青い海原を、遠くまで泳いだ。
「お父さんとお母さんを探しに行こう」
小さな手足で、どこまでも泳いだけれど、親はいない。
夢から覚めた囚人は、久方振りに、涙を零した。
人から与えられた苦しみは、手を付けずに返せる。
決して復讐の意識は無く、受け取らないだけである。
来客に振舞う菓子が手付かずであれば、
その菓子は誰の物か。振舞おうとした本人の物である。
喧嘩を売られようとも、侮辱されようとも、
私が応じないからには、その苦しみは彼らのものだ。
天国で再会を果たした二匹の猫は、涙ながらに抱き合った。
見放した、見放された、それは互いに苦しい事だった。
「君にもう一度逢えたら、もう離さないと誓ったんだ」
「貴方にもう一度逢えたら、もう離れないと誓いました」
二匹の猫は常しえに、春の野を、秋の公園を、駆け回った。
目を瞑れば、悪くない世界さ。目を開けば、新しい世界さ。
蛍石の内側に閉じ込めた恋人つなぎの心ふたつ。
心に生じた喜びや愛という輝きがペン先に宿る君。
二人きりになった私達がお互いの海を教え合う夜。
応じる以上に、あるがままの私になる事だ。
「また会いましょう、美しい人よ」
あの約束は、もう守れないとしても、
「一緒に、菩薩に成る道を歩もうね」
最後の約束は、遠く険しい道だとしても、
「麻痺した左手でも、お揃いの指輪を」
あの日の、涙ながらの約束が失せても、
「愛している」
星の数ほど繰り返したこの一語に、嘘は無い。
苦しみを愛するように振り返る事は、嫌いだ。
けれど、私は、苦楽には一切の差異が無いと確信した。
愛してあげようと思った。
置き去りにされた辛苦にも、私の半分が、生きている。
小さな神様は、私が空腹にならないように、
愛情を込めてご飯を作ってくれるけれど、
今の私には、その真心を素直に受け取れない。
苦しくて、震えて横たわる私に、
小さな神様が、温かい毛布をかぶせてくれる。
こんな私でさえも、神様は愛してくれた。
ありがとう、今日は優しい夢を見ます。
小さな努力を積み重ねながら生きるよ。
私より高い位置にて微笑むのは、神様や仏様ではなくて、
高い高いをすると、無邪気に喜んでいた、幼い兄弟なのだ。
うつ症状の母が、おむつ替えをしてくれるから、
それ以外の子守りは任されていた。
小さな兄弟は、私にとって命の先生であり、
この一心の死生観を形成する一部になってくれた。
母を亡くして、墓の前で頬を濡らす子猫が、
元気を出すために笛を吹いた。
笛の音につられて、親しい猫たちは、
その旋律に歌詞を作り、歌いだした。
大勢の友達が歌ってくれるから、子猫も元気を取り戻す。
優しい心で迎えた明け方、母の残り香は東の空。
「この苦楽は永遠に続くのだろうか」
「そう、永遠に。それも必ず、素晴らしい明日に」
今年も、この島に赤翡翠が渡来する。
あの鳥が、暗い想念に項垂れながら、海を越えるだろうか。
無闇な希望に熱狂して、無作法に歌うだろうか。
苦楽。この執着も、そろそろ手放す時が来たようだ。
怒りの昇華の為に繰り返し書き殴り、用いた語が多くある。
今でも時折、感情の波がやって来ると、使用を迷う事がある。
嗚呼、哀しい言動は止そう、と踏み止まる事が増えた。
胸中の辞書から、語が減っていく。
いや、正確には、怒りや憎悪や恐怖が、減っていく。
最後はきっと、私は自由に至る。
鳥と蛙は手を繋いで、仲良く歌っている。
「生きている今日が嬉しいね」と言わんばかりの笑顔で。
お母さんと二人で暮らしていた、五つの頃を思い出す。
貴女と二人で、夜更かしをして作った、いちご牛乳。
忘れられない。暗く明るい笑顔を。
父は海の向こう遠く。母と子、揃って不安であった。
いちご牛乳は貴女と私の、絆の味がする。
幼心にも母の愛を確かに感じていた、暮らしの味がする。
二人きりで旗を振りかざして、多くの敵とも分かり合い、
鉄砲なんて、一度も使わずに、真夜中を渡り歩いた。
その先には救いのバス停があり、私は君を見送った。
「私は足が悪い、乗り遅れない様に、先に行って」
笑顔で去る君とは、この旗を以てしても、
分かり合えたようで、永遠に遠かった。
最も忌避すべき思案は、根拠も曖昧な孤独への妄執だ。
人の生きる道は数多く、だが人の抱える悩みなど、
その数は限られており、先人達の苦悩をなぞっているだけだ。
「俺は孤独だ、誰にも理解されない」
いや、唯一無二の辛苦など無い。
だからこそ、安寧が隣人として、待ち焦がれているのだ。
独りで、夜の街路を行く君よ。
くたびれた背広姿に、罵声を受ける君よ。
痛みに泣き、苦しみに叫ぶ君よ。
それでも信条と指針を、見失わない君よ。
心を砕き、人に尽くす君よ。
裏切られ、利用され、嘆く君よ。
それでも、明日へ挑む君よ。
明け方の光を目指す、ただ一人の君よ。
常に、心の内側に「何も無い状態」を備えておきたい。
甘いジュースを飲んだら、幸せいっぱいになれるように。
哀しい思い出に入り浸ると、不可思議にも、
美味しい物や喜びの音楽を享受しても、楽しめない。
物事に対する俯瞰的視点が欠けると、
冷静に暮らす時間も、幸せな時間も、叶わない。
恐れながら生きている時間よりも、
恐怖に対して「この怒りがどうしようもねえんだ」と、
叫ぶ声を飲み込んで、ペン先にぶつけた瞬間が、
ずっと、ずっと、生きている心地がする。
罵詈雑言に落ちぶれず、懸命に昇華を志した日々がある。
私は、生きている。生きている自信がある。
雨が降る島の、誠実で静かな山のどこかで、
長旅を終えた赤翡翠も、この新しい水を飲んでいる。
喉が潤い上機嫌になると、燃える鳥が歌った。
「北も南も私の御里、父母も幾度と渡った海原を……」
山裾の男達が囃すと、歌はより遠くへ届き、
赤翡翠に惚れ込んだ、綺麗な伴侶が羽ばたいて来る。
手先は不器用で、
口先は不自由で、
ペン先から宇宙、
天の川からはみでて、
この部屋で文をかける。
疑う心の暗がりに鬼が棲みつけば、いつまでも不幸せ。
傷を負ってでも人を信じられたら、幸せと隣り合わせ。
苦しくても笑っていれば、いつか来るよ、廻り合わせ。
「あなたの幸せのため」と嘘をついて使い捨てるより、
「お前の事が気に食わない」と嘘偽り無く嫌う勇気だ。
私は、倫理に対して妄執的であったが、悔いが無い。
自己美化で他者を欺けば、格好はつくだろう。
だが、隣人友人に対して、示しはつくだろうか。
言動は、周囲への無意識の訓戒である。
海面の真上を飛ぶ蝶のつがいを眺めて、
「絶対に落ちない、飛べる自信があるんだね」
父は、その様に話した。
何故だろうか。貴方が持つ、家族愛の信念にも聴こえた。
祖父を赦し、祖母に尽くし、家族のために生きた人。
そうだ、貴方が言葉にしたら、全て愛になるのだ。
三人の子の幸せだけを願ってくれた母。
人前では断じて弱音を吐かず、健気に暮らして、
入り日に照らされた時の、影が差す内側に一人涙したい。
日毎夜毎にも他者を怨まず、怒りを覚えたら必ず赦して、
夜明けをこそ待ち望みながら、僅かでも清廉でありたい。
そのためにできる行いは、決して大袈裟な事ではない。
獄の錠前は壊してもらった。
最早、自らの胸中と外の世界は、一切の障壁が無くなった。
しかし、私は天井の隙間から流れる雨水を飲み、
小さな神様が運んでくれたパンを食べている。
この鉄格子の隙間より外を眺めて、自由を知り、
辞書と白紙、そしてペンを以てして、有限を書く。
「幸せに見られたい、劣っている事が怖い」
その虚栄心と恐怖は不要であるどころか、苦痛だろう。
自己の外から来る幸せは、有難く、気づき難い恩恵であり、
内に見出す幸せは、見つけ難く、失い難い喜びなのだから。
自らを律する他に無い事実に、私は安堵さえも覚えた。
彼らがあの子の事を、悪人として扱っていても、
私にとっては気さくな友人であり、善人だ。
また、彼らにとって誰かが善人でも、
私にとっては、報復の念を抱える程の悪人かも知れない。
難しく考える必要の無い数珠繋ぎであり、心が楽だ。
善悪への執着など、曖昧でも良い事に気づけたからだ。
痛みと隣り合わせの微笑こそが、最も鮮明な笑顔だ。
額縁にも収まりきらない、人間一人分の想念が、ある。
どこにも飾る事は叶わず、不足も過剰も無い。
静まり返った胸の内だからこそ、素顔でいられる。
雨が、この肩を叩くなら、仰いだ空には誰がいる。
言葉を忘れた神様が、いるのだろう。
慮る事は倫理かも知れないが、幾ら思慮を巡らせて、
思案に暮れても、涙に暮れても、人は責める。
「お前は優しくない」
その一言に今までの努めの、一切が否定されるだろう。
皆が皆、欠けたひとつの部品であり、街を満たす材木なのだ。
永遠の要求に応じる事は、人間として生きる事ではない。
返事をする事が上手くなって、耐え忍ぶ事が上手くなって、
どうしてか、生きる事ばかりが、下手になっていく。
疲れ切った母と、二人で歩いた暮れ方に、
買ってもらった菓子の味が、貴女の愛で哀しみでした。
怒りに従う母、夜の歩道橋に倒れた私。
頭に流れた真っ赤な血が、私の涙の代わりでした。
誰が悪いのか解らない、誰も悪くないかも知れない。
二人は弱かったから、生きているだけでつらかった。
昇らない太陽は私の世界に要らない物。
何故、人は最良かつ最善の心境を恐れるのだろう。
青い泥沼を眼前にして、涙が溢れる。
自らの無力と非力を、自惚れを、増上慢を嘆く。
青白い空にさえも押しつぶされて、動けない。
けれど、私は幸せ者だ。
倫理を振りかざし、報われる様に怒りを覚えるからだ。
妄執的正義に邁進する事で、今日も、修羅に成れる。
自他に救われた事実を認識できた者は、
躊躇も無く、隣人を助ける為に身を挺する事が可能になる。
「神を試してはならない」
「神の国は汝らのうちにあり」
人間が持ち得る善心は、最大限に活用されるものであり、
存在や行動への変換に、迷いや冒涜が入り込む余地は無い。
書破山から見上げると、チベットの光に近かった。
嘘を用いて得をした分だけ、心は麻痺していくが、
その分、真情に従って生きる為の苦しみが、増える。
嘘を嫌い、本心で暮らしていると、傷を負う時もあるだろう。
だが、その清廉な暮らしの中で、お前は人間に成れる。
人の世で嘘が嗤っても無視しろ。お前は、微笑むと善い。
希望と現実を臨める窓だけを開く朝。
何度生まれ変わっても、と唇の内で留めておく瑠璃の愛。
阿吽が修羅に、微笑みながら教えた。
「夕焼けの色はね、蜜柑色なんだよ」
修羅が阿吽の頭を撫でて、訊いた。
「暮れ方の空は、どうして物悲しいのだろう」
「それはね、酸っぱい蜜柑を選んだからだよ」
修羅も阿吽も、笑いながら手を繋いで帰った。
詩集 浜の光と芝の花 三章