『literalconnotation ─ なみだの魔法円から現れたのはあたしでした。』

『literalconnotation ─ なみだの魔法円から現れたのはあたしでした。』

Negative Capability ─禍福倚伏─

・1/sorto≠fatale:宿運は呪縛ではない

……あれ?

 あたし、つい今しがたまで、旦那を問い詰めてなかったっけ?
 浮気した旦那を、問い詰めてたら、
「俺が好きだったの?」
 とか、言い出しやがって。

 頭がくらくらしたまでは、目の前に旦那いたよね?
 名ばかりの高校球児で、三年間ベンチを温め続けて、漸く肌の色が黒から茶色に落ち着いてきた、くそ旦那。

 ――でも。
 ここは、あたしの飾り気の無い機能優先マンションとは違った、歩くことすら気を遣いそうなクラシカルでアンティークな家具が並んでいる。
 ロココ?バロック?ゴシック?
 よくわからん。
 
 そして。
 なんと言っても目の前には。
 どこぞの焦げ旦那と比べるのも烏滸がましい、透けるような真っ白な肌をした、銀髪の貴公子然とした美青年。
 アクセサリーをじゃらじゃらとしていて、昔のV系を彷彿とするんだけど。
 けど、似合ってればよし。
 月下のセレナーデをBGMにスクロールアクションゲームが始まりそうな、吸血鬼とか悪魔を連想させる異人さん。
 
 ゆったりとカウチに寝そべって、邪魔になりそうな長い足を床へ流し、涅槃像のように手枕で頭を支えている。
 猫足家具なんて、家具売場か、映画でしか見たことないわ。
 なんとかいう絵画みたいだな。
 なんかは知らんけど。

「あー出来たねえ。(あるじ)の招待が雑で、出口がおかしいんだよね。
 ねえ?君は、だあれ?」
 
 その白い吸血鬼は、ゾンビをも魅了出来そうな微笑みを浮かべ、その見た目にそぐわぬフランクな物言いで話しかけてきた。

「えっと……」
 声を出して、異様な高さに気付いた。
 あたしの声帯を通った声だよね?
 あれ?手、ちっさい。
 胸、つるぺったん。
 胸?
 そりゃ、たわわとは言いがたいけど……
 てか、あたしすっぽんぽんじゃんっ!
 
「うわっ!!」
 今の今まで晒していて、今更だけど腕で胸を隠して、小さくなる。
 女の子座りで、太股をぎゅっと閉じる。
 なにか話す前に、まず着るものが欲しい。

 白い吸血鬼は、寝そべったまんま、クスクスと笑っていて、空いた方の手で、空中をくるくると混ぜるように指を回し始めた。

 かき混ぜた(くう)から、光の帯がくるくると生まれる。
 ……ほぉ。
 きらきらと光っていて、虹を操ってるみたい。
 きれいだな。
 
 がちゃと、背後で音がして、メイド服を着た狐が現れた。
 美人な狐さんだな。
 狐さんは布を持っていて、ばさっと広げると、あたしの体にかけてくれた。
 
 シルクかな?すべすべした手触りの布。
 服が欲しいけど、無理なのかしら?
 君たちは、立派な服装だけども?

 でも、ま。
 招かざる客なんだろうし、今は致し方ない。
「ありがとう」
 と、狐さんに言うと小さく頷いた。
 か、可愛い。
 
 で。
 動転して気付いてなかったけど、あたし絨毯に直座りしてるんだよね。
 いかにも上等そうな、毛足の長い絨毯。
 お尻を直に付けて……
 拭き残しがあるとは思わないけど、万が一でも悪いよね?
 
 狐さんに渡された布は、今のあたしには大きいことだし、お尻の下にも敷かせてもらいましょう。
 汚れても、絨毯より布の方が洗いやすいよね?

 あたしの一連の様子を眺めていた、白い吸血鬼さんは、ぷっと声を上げた。
「見ず知らずの場所に来て、気にするところがそこ?随分と善良なんだね」
「善良かどうかは分かりませんが、初対面で全裸とか、お目汚しすみません」
「それは君のせいじゃないでしょう?主が雑なだけだから、君は巻き込まれただけだよ」
「巻き込まれ?ここはどこなんです?」

 吸血鬼さんは、んー、と考えてる。
 
 そして、吸血鬼さんはすっと目を細めた。
 
 怒らせた?と一瞬怯んだけど、彼はぶつぶつと口の中で何かを唱えている。
 お経……な、わけないか。
 呪文?なのかな。
 旦那との言い争いで、異世界って言い過ぎたかな?
 夢の中でも異世界モノに毒されてるわ。

 と。
 あたしが座っている絨毯が、光る。
 虹色のプリズム。
 ――なんてね。
 プリズムってなんだよ。
 
 いよいよもって、アニメかゲームだ。
 もしや、これが本物の魔法陣ってやつか!
 
 絨毯には、光が円を幾重も描き、記号のような文字のような模様が浮かぶ。
 そこから立ち上る、光の筋。
 あー、これは。
 あたしが雪舟等楊よろしく、涙で描いたものとは格が違う。
 しかも、足だし。

 光はあたしを取り囲むと、立てと言わんばかりに体を押した。
 この光、触れるんだ?
 へー。
 ……エロい触手みたい。

 促されるまま立ち上がると、体に纏っていた布を剥ぎ取られた。
 またしても裸体を晒してるぜ、と思ったけど、今度は虹のカーテンが吸血鬼さんの視界を遮ってくれてるみたい。
 細かいお心遣い、イタミイリマス。

 幾筋もの細い光が、布を体にあてて、さわさわと動いてる。
 裁縫道具もないのに、ドレーピングしているみたい。
 オーダーメイドのフィッティングかな?
 オーダーはしていないけど。
 
 頭を動かして見えてる範囲は、サモトラケのニケみたい。
 たっぷりとしたドレープが誂われ、あたしの中に僅かにある女の子心をくすぐる。
 
 針も糸も使われてないのに服を纏う様は、
 虹色の光の中にいるせいか、魔女っ子の変身シーンを彷彿とさせるけど、あれだ。
 シーラーでビニールが閉じていく、あんな感じ。

 これが、魔法ってやつか?
 すごいな、おい。

 完成したのか、光の触手は消え、虹のカーテンが鏡になって、全貌が拝めるようになった。
 小学校低学年の時の、あたしだ。
 へぇ。
 マリリン・モンローみたいなワンピースになりましたな。
 ぷぷっぴどぅ、だ。

 憧れの肩出しワンピ。
 虹の鏡に、前後左右を映して見る。
 動く度に、ふわっと膨れ上がるスカートの軽さに、思わず大きく、ターンしてみたら……浮いたスカートの裾から、肌に風を感じる。
 下着は作られなかったんですねっ!
 スカートを押さえてその場に座り込んでしまった。

 踊ってる間に、カーテンも鏡もなくなっていて、
 吸血鬼さんが苦しそうにカウチに突っ伏して笑っておられる姿が拝見できる。
 もぞもぞと、お尻の下にスカートを敷いて……吸血鬼さん、笑い過ぎです。

 あ。
「ありがとうございます」
 服のお礼のつもりだったけど、吸血鬼さんは笑うのを止めて、なんだったら大きく目を見開いてる。
 なんだ?
「服、ありがとうございます?」
 語尾が上がっちゃって、疑問形になっちゃった。
「あ、ああ。ついぞ謝辞など耳にしたことがなくってね。申し訳ない」
 と、言いつつ謝ってますがな、吸血鬼さん。
 照れてるのだろうか?
 手枕は顔を隠すことに使われている。

 ――ぱちん。
 と、唐突に軽快な音が響く。
 ピトス――フラメンコダンサーの、指を鳴らす音。
 途端、部屋の空気が、重く湿り気を帯びる。
 ――?げほっ。
 空気が、まるで溺れた時みたいに口の中に入り、咳き込む。
 それはほんの一瞬で、すぐに楽になる。
 ……くん……ペパーミント……?……より、薄荷かな?
 甘さがない。
 辺りに、薄く香っている。
 涼しげでいいね。
 
 ――おや?
 なんだか、吸血鬼さんがあからさまな仏頂面になってる。
 どおしたぁ!情緒不安定か?
 触らぬ神にたたりなし。
 吸血鬼さんから一旦目線を離す。

 ぱちんと音のした方を見ると、さっきの狐さん。
 こうして見ると、ちっさいのに体のメリハリがハンパない。
 ぼんっきゅっぼんっ、なのもそうだけど。
 しっぽ!三尾ある!!
 ふわふわ!触りてぇ。
 ?なぜ、後ずさる?
 
 で。
 隣には狐さんの倍はありそうな、やたらとガタイの良い、白山羊さん。
 しかも、きちっと正装してる!
 なんなの?紳士なの?
 
 それにしても、山羊の目って、なんでこう怖いんだろ。
 なにより、でかいし。
 なんせ、でかいし。
 なのに……終始口がもぐもぐしてて、見た目と違ってかわいいぞ?
 表情は変わんないけど。

 ――と、ぱんっ!て、後ろからクラップ音。
 なんだね、ホントにフラメンコでも始まるのかしら?
 あたし、ファルーカ好きなのよね。
 
 音の主は吸血鬼さん。
 不機嫌モード続行中で、目が笑ってないんですけど?
 でも、あたしの視線に気が付くと、吸血鬼さんの表情が、ふっ、と緩んだ気がする。
 気がするだけ。

 吸血鬼さんが、カウチに座り直して、手招きしてくる。
 それにしても。
 きれいな手だなあ。
 男の人にしては細いけど、しっかりと節があって、長い指。
 それに布の重さで落ちた袖口から覗く、肘までのラインっ!
 完璧だわ、あたし的に。
 
 ……そういや、旦那の、投げたボールから指の離れる瞬間の、
 ぴって反る中指と人差し指、そこから流れる手首のライン。
 肘の角度に見惚れたんだっけ。
 今、思えば運の付きだ。
 ベンチ野郎のくせに。
 ――嫌なことを思い出した。

 手招きするのに、手のひらが上、って事は英語圏の方なんだろうか。
 なら、こうも流暢な日本語は何だろう?
 聞いたら教えてくれるかな?

 てか、これ現実なのか?
 あたし、悉く受け入れてるけど。
 こんな時は、古典的に頬をつねってみよう。
 
 ――痛い。
 手招きしてた、吸血鬼さんの手が止まる。
「君は、マゾヒストなの?」
「そういうわけではないですけど、夢か現か、判断しかねたもので、痛かったら現実なんじゃないかと」
「……ぷっ。で、どうだった?」
「痛うございました」

 腕を広げて待っている。
 どうしろと?
 ま、行くべきなんでしょうね。

「あなたはペドフィリアなんですか?」
 さっきのお返しだ。
「僕に言わせれば、誰の相手をしてもペドフィリアになるねぇ」
「……?」
「まあ、おいで」

 吸血鬼さんに近づくと、くるっと体を回され、バックハグで膝に乗せられた。
 こつんと、後頭部に固いものが軽く当たる。
 多分、吸血鬼さんの額。
 頭蓋骨の中が、ぞわっとする。

「僕は吸血鬼とは違うかな」
 あれ?あたし、口にしてないよね?
「してないねぇ」
 あれ?あれ?後ろを向いて、吸血鬼さんの顔を見る。
 涼しげな、きれいな顔。じゃねぇ。
「離れたら、読めないから」
 ……接触型精神感応みたいなものかしら。
 でも、カウチと絨毯の距離でも読めてたよねぇ?
「君、全部顔に出てるから。無意識?」
 よく言われます。
 なら、実験。
 実験なんていうと人聞き悪いけど、吸血鬼さんにはばれてそうだ。

「どぅゆーすぴーくじゃぱにーず?」
 まず、英語で問いかけてみよう。
 発音は怪しいけど。
 
「日本語?」
 聞こえてる音の数と、唇の動きが違う。
 吹き替えの洋画みたい。
 英語……かはわかんないけど、あ、そうだ。
 
「『ごちそうさまです』りぴーとあふたーみー」
 日本語にしかなかったはずの、単語(概念)
「『ごちそう……さま?』」
 長いな、おい。
 じゃあ、次。
 日本人の十八番はどうだ。
 
「『大丈夫』」
「『だい、じょう、ぶ』」
 たどたどしい。
 迷ってる?
 じゃあ、次。
 
「『お・も・て・な・し』」
 一時有名になった日本語。
 手は、つい動くよね。
「『おもてなし』?」
 ……吸血鬼さん、手は真似なくていいよ。
 でも、確信できた。
 
「やっぱりそうだ。口の動きが日本語じゃない。同時翻訳してるの?」
 答えてくれそうもないけど、吸血鬼さんに訊ねる。
 
 なんせ吸血鬼さんは、今やあたしの髪の毛を弄るのに一所懸命だ。
 
「ん。僕は僕の知ってる言葉で話してる。君もそうでしょう?」
 確かに。
 あたしは日本語ネイティブだし、多言語は挨拶くらいしかわからない。
 
「……原理はわかんないけど、便利だね」
 世界中の人とお友だちになれそうだね。
 
「どうなってるか、知りたい?まず……」
 翻訳機の説明だろうか?
 メカニックになると、喋らせるだけになるのは悪いな。
「難しいならいいや」
「……適応力、すごいね」
 くっくっと漏れる、笑い声を押さえないのは、呆れられてるのかなぁ。
 
「まあね。いろいろ目を瞑るのが社会人かと」
「社会……人、って生き物?」
 生き物?!
 ……そうかもしれない。
 社会の働きアリ。
 あ、社会人の常識、名刺交換(自己紹介)を、していないではないか。
 いけない、いけない。

「あの、あたし……」
 言いかけて、あたしの唇を、吸血鬼さんの細い指がふさぐ。
「アキラでいい?」
 読まれてたのか。
「でも、なんで“アキラ”?」
「君の名前だけど、君の名前じゃなくて、だけど呼ばれれば君の事と認識できる、言葉(ピタキウム)
 ぴたきうむ、とはなんぞや?
「記号、ってこと」

 もやっと、したことを対応して貰えるのは、なんだかAIと話してるようだけど、ま、便利だね。
 やっぱり、読まれてるようで、あたしを抱き締めて、背中で笑ってる。
 
 ん?待てよ?
 名前を言えないって、真名で相手を支配できるとかなんとかの、ファンタジーの定番だよね?だったら、仮名つけなくても、君とかでいいんじゃ?
「君、も定着したら、名前と同じだからね」
 なるほど。
 
 なら、吸血鬼さんも定着したら、吸血鬼になるのか。
「ならないけど、そうだね。僕のことは今はヴィザーゴでいいよ」
 聞いたことのない単語。
 翻訳されてないってことは、日本語に無いのか、固有名詞だからか。

「で、ここはどこ?貴方はなに?」
 あたしがそう言うと、吸血鬼さん改めヴィザーゴさんは、またあたしの頭に自分の額をつけた。
 またしても、脳がぞわぞわする感覚。
 ヴィザーゴさんは、口の中で小さく呪文を唱えている。
 声が小さすぎて、聞き取れないのか翻訳は機能してない。

 時間にしたら二十秒もないと思う。
 あたしの頭から、額を離したヴィザーゴさんは言った。
 
「アキラの言葉(ピタキウム)でいうと、悪魔かな?」
 ほぉ……悪魔か。
 悪魔?!
 
 

 
 

・2/fatale≠lot:呪縛は運否天賦ではない


 悪魔……
 あたしは、ヴィザーゴさんの顔を覗き込んだ。
 
 悪魔ねえ……。
 角も無いし、翼も無いけど。
 どこの宗派の悪魔さんなんだろう。
 にしても、きれいな顔だぜ。
 
「アキラたちのいう、宗教の悪魔とは似て非なるものなんじゃないかな?一番近しいだけだよ」
 そうなんですね。
「じゃあ、人を騙して魂を獲ったりとか、人を誘惑して地獄に引きずり落としたりするの?」
 
「そんな面倒くさいことはしたくないねぇ。わざわざ僕らが出向かなくても、僕たちを必要としてるのは君たちだよ」
 そう言って、ヴィザーゴさんは素敵に微笑む。

「ん?待てよ?ってことはあたし、死んじゃったの?」
「死って、生きてないこと?じゃあ、ここにいるアキラは何?」
 あたしは、自分の手をグーパーグーパーと閉じたり開いたりして眺める。
 ん、動かせる。
 あたしの意思で動かしているから、あたしだ。
 その上でヴィザーゴさんに問いかけた。

「これ、この体。元々のあたしの体が()くなったんじゃなくて、別物だよね?」
「よく気がついたね」
「肩に火傷がないからね。あたしの体なら、このくらいの歳にはあったから」
「でも、要らないんでしょ、その傷。だから、作らなかった」
「ふぅん、スゴいね」
「そうかな?まだまだだよ」

 ヴィザーゴさんは、再びあたしの髪の毛を弄り出す。
 なぜ?がないのは、気楽だけどなんかさみしい。
 けど、よくよく考えたら意識は読まれてるようだし、わざわざ言わなくてもいいってことか。
 読まれてるのは記憶だろうか?
 それとも意識?思考?
 ここまで考えても、ヴィザーゴさんは手を止めない。

 じゃあ、これはあたしの一人語りだ。

 ――初めての夜、旦那はあたしの肩を見て停まった。
 
 小学校入学前に、ちょっとした事故で肩に火傷を負った。
 その火傷はケロイドとなって、あたしの肩に貼り付いていた。
 腕は動くし、服を着ていれば見えないし、庇ってくれた父の火傷跡の方が酷かったので、別段気にしてなかった。
 
 小学校でプールの授業が始まるまでは。
 
 かわいそう。
 気持ち悪い。
 感染(うつ)るんじゃないの。
 
 クラスはまことしやかに、そんな話題で盛り上がった。
 病気じゃないのに。
 あたしは気にしてないのに。
 子供の説明は、子供の耳をすり抜ける。
 周りが気にするから、隠すようにした。

 旦那には付き合う時に、ちゃんと言った。
「あたしね、肩に火傷の跡があるんだ。子供の時にやっちゃってね。結構酷いの」
 猿な高校生は、下心でラッピングした口先で、君は君だろう?と言った。
 
 まだ、見てなかったから。

 ようやく動き出した奴は、火傷に口づけた。
 たぶん、キズにキスする漫画でも読んだのだろう。
 もしかすると猿の性欲の方が、勝ってただけなのかも知れない。
 
 その日以来、奴はあたしの肩から、服を脱がすことはなかった。

「随分と心無い伴侶だねぇ」
 ヴィザーゴさんはどこからともなく出した、リボンやら金鎖やらを髪に編み込んでいる。
 いったいどんな出来映えになってるのだろうか。
「見てみる?ルーモ」
 そう言うと、狐さんが鏡を持ってきてくれた。
 そこは魔法じゃないんですね。
「あるものは使うよー。無から作るのは、存外めんどくさいもん」
 ならこのリボンやらどこから出した。
「このくらいならわけないよ」
 くるくると指を回すと、光の帯がリボンに変わる。

 鏡を覗くと、意外にも品良く飾られていて、ぷぷっぴどぅなドレスでも浮いていない。
「センスいいですね」
「そうかな?まだまだだよ」
 いったい、何と比べているんだろう。

 くすっと笑い声を残して、
「兎、食べに行こう」
 と、言い出した。
 いきなりですね。
 にしても、兎とな?!ジビエですか?
 兎さんを食す習慣はないから、躊躇するぞ?
 
 それに、おフランス料理なんて、デートの時……いや、いい。
 たった一回の、結婚前のクリスマスなんて思い出すこともなかろう。
 クリスマスなんて、仕事の日(平日)だよ。
 くすっと、ヴィザーゴさんの笑い声。
 悪魔なんて言うけど、随分と笑い上戸ですね。
 悪魔だからか?

 待てよ?
「行こうってことは、ここではないのですかね?」
「そうだね。表だね」
「なら!下着が欲しいです!」
「下着?隠すものはつけてないつもりだけど」
 
 ええ。
 なんとなく気付いてますよ。
 股間が人形みたいだってことは。
 でもですね。
「くすっ。習慣ってやつだね」
「よくお分かりで。なんとか出来ますかね?」
 あたしはヴィザーゴさんの顔を見上げた。

 ヴィザーゴさんは、少しだけ考えて、
「ルーモ」
 と呼んだ。
 
 そう言えばだよ?
「この美人狐さんがルーモさん。じゃあ、あっちの白山羊紳士さんは?」
「……美人に、紳士……まぁいいけど。こいつらはルーモヴェーロ。どっちがどっちって訳ではないけど、狐がルーモ。山羊をヴェーロって呼ぶかな?」
 
「ルーモさんに、ヴェーロさんですね!えっと、『アキラ……』」
 と、フルネームを言おうとしたら、指で唇を塞がれた。
「名前も、言わないほうがいいの?」
「だってそれは、アキラの真名でしょう?それに、こいつらはアキラの名を呼ぶことはないよ」
 どういうことだ?
「山羊と狐だからね」
 そういうことか。
 でもさ。
 呼ばない事と、知らない事は別だと思うぞ?

「大丈夫。こいつらは君の名前は知ってるから」
 流暢な『大丈夫』。
 ヴィザーゴさんとルーモヴェーロはテレパシーで共有してるってことだろうか。
「ん。そんなとこかな」
 
 このままヴィザーゴさんの膝にいたら、喋り方を忘れてしまいそうだ。
「読まれる方が怖いものじゃないの?」
「隠すことないもん」
「ふうん……」
 
 イイコすぎたかな?
「いいんじゃない?アキラによく似た人たちも知ってるよ。層が違うから、アキラの方が珍しいけど」
 そう?層とな?
「用意が出来たみたいだよ」

 ヴィザーゴさんの指す方で、ルーモさんがヴェーロさんに布を渡している。
 ヴェーロさんが、ばさっと広げ頭から被る。
 フード付きのケープか。
 ……世紀末救世主伝説みたいだな。

 ルーモさんがあたしに、ちっさい白い布の固まりを渡してくれた。
 ヴィザーゴさんの膝に乗っかったまんま、それを受け取る。
 
 ……話の流れからして、この固まりは、おぱんつだよね。
 ルーモさんのかしら?
「くすっ。ルーモが新しく作ってくれたみたいだよ」
 なんと!
「ルーモさん!ありがとう!」
 ルーモさんは小首を傾げて、笑った気がしたよ?
 可愛いのぉ。

 ……で、早速どこでお着替えしようかなって、辺りを見渡すのだけど、トイレとかどこだろう?
「無いよ、トイレ」
 って、くすくす笑ってやがる。
「ねぇ、ここでつけなよ」
 はああああ?なに言ってんだ?
 ニヤリとするヴィザーゴさん。
 からかってやがる。
 セクハラ親父か。
「せく……?」
 悩んでろ。

 ぱちん、ってルーモヴェーロさんたちが、音を立てた。
 二重奏。
 ふわっと、体が浮いて、ヴィザーゴさんの腕をすり抜けると、試着室みたいな広さの、濃い光の囲いの中に運ばれた。
 
 なんかわかんない言葉のヴィザーゴさんの声が聞こえるけど、なんなんだろうねぇあの人は。

 人目も無くなったことだし、ルーモさんが渡してくれた布を広げる。
 うわっ!布、ちっさっ!
 いわゆる紐パンってやつで……
 
 こんなセクシーな下着、旦那の前でもつけたことないな。
 だからか?
 だからダメなのか?
 ……履こう。

 で、ついでにそっと股間に触れてみた訳だけど、やっぱりなにもない。
 お人形さんの股間。
 ん?でも今からご飯って言ってたよね?
 兎なのは、一旦置いとこう。

 食べたものは何処から出るんだ?
 ……まさか、全て脂肪になるんじゃあるまいな!
 くすっと外から聞こえて、また聞いてやがる、と思った。
 ところで、ここからどうやって出るんでしょう。
 壁に出入り口は無い。

 迷っていたら、ぱちんと音がした。
 きれいに揃った二つの音。
 壁は溶けるように消えたけど、あーやっぱり。
 ヴィザーゴさんは機嫌悪そう。
 
「お待たせしました」
 ご機嫌を取るように、スカートの裾を持ってお辞儀を披露する。
 カーテシーってやつだ。
 知らんけど。
 
 ルーモさんは既にフードをつけていて、お揃いのフードをかけてくれた。
 ルーモさんと、ヴェーロさんとお揃いだ。
 しっかりとした生地なのに、驚くほど軽い。
 
 そんな中、ヴィザーゴさんは一人違う。
 インバネスコート。
 マントかな。
 ええ、お似合いですとも。

 ヴィザーゴさんは、あたしと目が合うと、ふわって笑った。
 なんだろねーこの人は。
「お気に召したかな?」
「履き慣れないからむずむずするけど、すっぽんぽんよりは安心です」
「なら、良かった」

 会話の途中で、あたしはヴェーロさんに抱きかかえられた。
 うおー!高っ!二階席だよ。
 ヴィザーゴさんさえ見下してる。
 否、見下ろしてる。
「どっちでもいいけどね」
 聞こえてるんですよね。
 自重します。

 ヴィザーゴさんがくるっと手を回す。
 空気を掻き回すと、指先が光の波紋を作る。
 指を立て、くるっ、くるっ……三……四……五……長いな。

 ヴィザーゴさんの声がする。
 謳うような、きれいな声。
 
 “声”はちゃんと聞こえているのに、翻訳機は作動してない。
 ラテン語とかなのかしらねえ……?
 ルーンと言えばケルトか?
 ケルトって何語なんだ?
 
 くるっ、くるっ、九……十……
 
 十二回回すと、絨毯から光が立ち上がって、さっきの魔女っ子変身バンクみたいだけど、さっきより“固い”気がする。
 ぱちんと光の壁の中で、音が反響する。
 ルーモさんと、あたしを抱えたヴェーロさん。
 
 ……ヴィザーゴさん、顔が……!!
 と思ったら、くいってヴェーロさんがフードを下げてきた。
 何も見えない。
 見ちゃいけないものなのかな?

「うわっ!」
 って、知らないヒトの声が聞こえて、あたしは地面に立たされた。
「フード取ってもいい?」
「どうぞ」
 ……そこに広がるのは、森だった。

 さっきの声の主は、よたよたと躓きながら、明るい方……きっと森の出口に向かっている。
 ん。
 森って言っても、暗いのよ。
 富士の樹海を思い出させる。
 行ったことはないけど。

 しゅたっ!と風を切るように、ルーモさんが暗い方、ヴェーロさんが明るい方に走る。
 ヴィザーゴさんとあたしは取り残されている。
 
 ふわっと、体が持ち上げられて、今度はヴィザーゴさんがだっこしてる。
 つくづく間近で見ても、きれいな顔だ。
 ヴェーロさんのけもけもも良かったけど。

 ち、また笑われたぜ。
 
「歩かない方がいいのかな?」
「体がくっついてる方が、アキラが何を考えてるのか分かりやすいからね」
「手を繋げばいいのでは?」
「今から行くのはこっち(暗い方)だよ。面倒じゃない?」
 
 確かに。
 ヴィザーゴさんの長い脚なら、難なく越えられそうな障害物が並んでる。
 今の寸足らずなあたしの体だと、追い付けなさそうだ。
「狩りはあいつらに任せて、僕らは村で待っていよう」
 狩り?現地調達なのか?
 獲りたて即、なのか?
「そういうこと」
 
 ヴィザーゴさんは、くつくつと笑いながら、踊るように歩みを進める。
 義経かね。
「よし……?」
 
「昔いた武将さん。ほぼ垂直な崖を馬で降りたり、海に浮かんだ小舟を鎧姿でぴょんぴょんと跳び跳ねた人」
「それはすごいね。英雄なの?」
「英雄って言ったら英雄かな?悲劇の、だけど」
「アキラの所って面白いね」
「そうかな?だいぶ昔のお話だよ」

 そんな話をしてたら、目的の村に着いたのだろう、ヴィザーゴさんはあたしを下ろしてくれた。
 手は繋いだままなんですね。
 道中は、ちょっとしたアトラクションのようでした。
 樹の枝を掴むために飛んだりとか、絶対要らなかったでしょ。
「そうだねぇ。ヨシツネを真似たかっただけかな」
 そうかよ。

 深い森の奥の、村。
 不思議と光に溢れていて。
 ルーモさんとヴェーロさんが、村の入り口で待ってる。
 って、ルーモさんはこっちに走ったからわかるけど、ヴェーロさんは?いつ追い抜かれた?
 
「ああ、町から舗装された道を通ったんだよ。荷車くらいなら通れる道があるから。でないと、村の人たちも不便でしょ?」
 なら、あの獣道は?!
「道を歩いても面白くないかなって」
 
 おいっ!
 楽しかったけどさっ!
 
 
 
 

・3/lot≠fatum:運否天賦は不可避ではない

「メティイーストにようこそ!」

 と、満面の笑みで迎えてくれた青年の顔が、ヴィザーゴさんを認識したとたんに、げって顔になる。
 いや、「げっ」って言った。
 金髪で褐色肌の上品そうな顔して、「げっ」って、何をしたんだ?ヴィザーゴさん。

「失礼だよねぇ……この子に靴が欲しいのだけど」
 って、ヴィザーゴさんはクスクス笑っている。
 
 あたしはヴィザーゴさんにだっこされていた。
 歩こうとしたら、靴を履いていないことに気がついたのだよ。
 そしたら、ヴィザーゴさんは当たり前にだっこするわけだ。
 ついでに、あたしの耳に石を付けた。
 一瞬、ちくんとする。
 ピアス?
「真珠だよ。御守り……アムレート兼、翻訳機だね」
 それはありがたいけど、付ける前に一言欲しいです。
 女の子の体に、傷を付けたんだぞ?
「……あぁ、それでか。落とさなくていいと思ったんだけどね」
 ヴィザーゴさんの親切って、なんか変。
 

「あんたの、子供か?」
「僕が作ったんだ。どう?」
「……はあぁ?」
 おっきなため息。
 ヴィザーゴさんよぉ?僕が作ったって、色々誤解されやしないかね?
「そお?あ、この子はアキラ。こっちはフォルティオ」
「ここの領主をやってるフォルティオだよ。何で裸足なの?拐かされた?」
 物騒な物言いですね。
 
「ほんとだよねー」
「自分のやったこと、胸に手を当てて考えろ」
 って、フォルティオさんの言葉に、ヴィザーゴさんは考えてるけど、思い付かないみたい。
「もういい!」
 って、ルーモさんの方へ行っちゃった。
 靴は?!
 それにしても、ヴィザーゴさんは何をしたんだ?
「sustentatioなんだけどねぇ」
 メンテナンス?何のだろう?

 フォルティオさんは、ルーモさんから兎を受け取っている。
 なんだか嬉しそうだなあ。
 恋する青年のようだ。
「全く、健気だよねー」
 健気とな?
 兎に対してか?ルーモさんに対してか?
「ルーモに対してだよ」
 ふうん、そうなんだ。

 フォルティオさんはヴェーロさんより少しだけ身長が低いけど、充分しっかりしたガタイをしておられる。
 褐色肌に、金髪ってファンタジーだなー。
 ……ここは、異世界ってことなのかね?
 夢にしては、ストーリーがすごいな。
 やっぱ、痛いし現実なのかね?
 
 フォルティオさんの金髪を見てると、旦那が陽に焼け過ぎて、真っ黒い肌に帽子からはみ出た髪だけ栗色になってた時が頭を過った。
 そんなになるまで練習してたのにレギュラー入りしなかったんだから、猿の末路だ、ざまぁみろ。

「アキラはよっぽど、伴侶のことを慈しんでいたんだねぇ」
「そうかな?そうだね。付き合いも入れたら十年だもん。十年は長いよ」
「十年ねぇ。僕には瞬きの間だけれども」
 一体いくつなの?!ヴィザーゴさん。
 
「Nescire quaedam magna pars sapientiae est.だよ。そうだなアキラの言葉(ピタキウム)なら……」
 コツンと額を、あたしの頭に寄せる。
「“知らぬがホトケ”かな?」
 そうですか、言いたくないんですね。

「フォルティオ!いつまで村の入り口で、止まってるんだ?新しいお客なら……げっ!」
 今度は、フォルティオさんとは対照的な白――と言っても、ヴィザーゴさんに比べたら全然健康的な、白い肌に黒髪の青年が現れた。
「やあ、カヴァリーロ。元気そうだな」
「おまえの顔を見るまでな!」
 ヴィザーゴさん……?
 
 しかし、この村はなんですか?
 美形製造の聖地なのかな?
「生け贄は獲らないって言ってたじゃないか!!嘘吐いたのか?!」
 って、あたしを見て捲し立てる。
 ヴィザーゴさんの信頼関係って。
 生け贄って、あたしのことかな?

「ひどいよね。僕が猛獣か何かみたい。僕が作ったんだ、いいでしょ?」
「作っ……は?」
 だから、絶対誤解されるって。
「作ったって!人間を孕ませたのか?!」
 ほら。
「孕ませなくても作れるよ?知ってるくせに」
 と、ヴィザーゴさんはあたしの耳朶を触った。
「あ……あ……それ!もしかして」
 って、真っ赤になってる。
 
「くくっ。そんなことはどうでもいいから、靴屋案内してよ。ルーモヴェーロはフォルティオと一緒に戻ってて」
「お前の家じゃないだろう!」
 カヴァリーロさん……ヴィザーゴさんに熱くなっても、糠に釘ですよ。
 
「ヌカ?……Surdo fabulam narras.か。アキラは言葉をよく知ってるねぇ」
 いや、ヴィザーゴさんの言葉が全然理解出来てませんから、嘘っぽいです、それ。
「嘘?そんなつまんない嘘は吐かないよ。人じゃあるまいし」
 へえ……。

 カヴァリーロさんの案内でやってきたのは、普通のお家だった。
 と、言ってもファンタジー風味の。
 看板がないから、案内がないとわからないね。
 
「シュベンデオ、お客様だぞ」
 カヴァリーロさんが声をかけると、優しそうなおじさんが出てきた。
「おや?珍しいねえ。ビエスさんも久々じゃないか」
 
 ん?ヴィザーゴさんはここではビエスさんなんですか?
「そう言ってたねえ」
 前提は共有しときましょうよ。
『名前』の制約みたいなものなのかな?
「ここでは、ビエスって言ってただけだよ」
 そうですか。

 あたしは、ヴィザーゴさんの腕から下ろされて、丸いスツールに移された。
 シュベンデオさんは、紙の上にあたしの足を乗せると、ペンで型を取って、ノギスみたいので、あちこちを測りだした。
 結構細かく採寸しますね。
 てか、フルオーダーってやつになるんじゃないですか!!
 シュベンデオさん、木型に細工しだしたよ!

 成人のお祝いに、両親からスーツを仕立ててもらった時でも、パンプスに細かい中敷きを入れる調整で、それでも結構なお値段がしたのに!フルオーダーですと?
 そりゃ、調整だけでも、履きやすくて、何より疲れないものでしたが。

 それが!今回は木型を弄ってますよ。
 完成するまで何日か、かかるからって有り物の靴を調整してもらった。
 これでも十分ですが?
「折角だから、拵えようよ」
 
 靴が出来るまで、滞在するのでしょうか?
 
にしても、
「お高いでしょう?お代が払えないよ?」
 ただでさえ、すっぽんぽんの一文無しだ。
「ルーモヴェーロがたくさんの交換品を仕入れてきたから、それで足りる筈だよ。なんだったらヴェーロに馴鹿でも獲ってこさせればいい」

「革から仕込むとか、そんな長期滞在はさせないぞ。シュベンデオ、有り物の革で最短いつ出来る」
 カヴァリーロさんが捲し立てる。
 ヴィザーゴさぁん、なにをしたらここまで怒らせるのよ。
 
 物々交換なのはわかったけど。
 んー……でもなんか、あたしが返せてないから居心地悪いな。
「アキラは善良だねぇ……」
 
 商売ってそういうものだと思うのだけど?
「今は甘えておきなさい。僕の準備不足なんだから。それとも、得意の舞いでも披露するかい?」
 あの時の小躍りのことだな。
 ちっ。

 シュベンデオさんのお家を後にして、カヴァリーロさんのお宅へ向かうらしい。
 が。
 カヴァリーロさんには、歓迎の色が見えない。
「慣例だから泊めはする。が、くれぐれも前みたいなことはするなよ」
 って、何度もヴィザーゴさんに、釘を刺している。
 
 それ、逆効果な気もするけど。
「カヴァリーロだけはした方がいいんじゃない?なんか、溜まってそうだよ?」
「おまえのせいだろう!」
「遠慮しなくていいのに」
 ……もしかして仲良しさんなのかな?

「カヴァリーロ!お帰りなさい……って、げっ!」
 
 領主の館から出てきた、すごいきれいなお姉さんの口からも、げっと言わせるのか、ヴィザーゴさん……
 
「ルーモたちが来たから、居るとは思ったけど、……居るのね」
 ルーモさんたちは良いんだ。
 ……なんか、わかる気はする。

「フォルティオが先に帰ってきただろう?ビエスの事は何も言ってなかった?フィリーノ」
「フォルティオはルーモと厨房だもの」
「……ああ」
 フォルティオさんは、ルーモさんにだいぶお熱ということなんでしょうか?

「ご機嫌麗しゅう。フィリーノ嬢」
 ヴィザーゴさんが恭しくフィリーノさんの手を取ろうとして、カヴァリーロさんに阻止されてた。
「……麗しいわけないでしょう?娘はまだ五つよ。早くない?」
「そっちの用じゃないよ。今回は食事に来ただけだよ」
 
「本当でしょうね?」
「カミに誓って」
「嘘じゃない」
 悪魔がカミに誓うってなんだよ。
 て、いうかフィリーノさんたちもヴィザーゴさんを悪魔と認識してるって事なのかな?
 
 ……あ、フィリーノさんの視線が、あたしに向いてる。
「カヴァリーロ!チャルマを隠して!」
 何をした……三度繰り返すのは、物事のセオリーだけど、見事だな。
 ある意味、信用が厚いぞ?

 しゃらん、ってきれいな音がする。
 あ、フィリーノさんのピアスから聴こえるのか。
 フィリーノさんのピアスに見入っていたら、向こうもあたしの耳を凝視している。
 きれいな顔を思いっきり顰めて、食い入るように見てますけど?
 
「ビエス……この子の、この耳のって……まさか……」
「そうだよぉ。流石だねえ。可愛いでしょ?」
「悪趣味っ!」
 えっ?見た目はこんなですが、中身はフィリーノさんとあまり変わらない年齢だと思いますよ。
 ピアスひとつでそんな。

「ああ、ごめんなさい。私はフィリーノ。この村の領主、フォルティオの妹で手伝いをしてるの。あなたは?」
「えっとお。アキラ……です」
 で、いいんだよね?と、ヴィザーゴさんの顔を見ると、頷いた。
 
「僕が作ったんだ、どう?」
 だーかーらー!!フィリーノさん、固まってしまわれました。

 それから通された部屋は、ヴィザーゴさんに会った部屋に似てる気がした。
 まあ、あっちの方が豪奢ではあるんだけど。
「この村で作られた家具だからじゃない?」
 へぇ……この村って、何でも作るんだな。
 
 で、あたしは相も変わらず、ヴィザーゴさんの膝の上にいる。
 さびしんぼさんなのかな?
「アキラの思考って、ぐるぐるしてて面白いから」
 
 そうですか。
 そうでしょうよ。
 夢か現か、まだ判断しかねてますからね。
「ここまで来て?」
 
 ここまで来たからですよ。
 こんな、ザ異世界ファンタジーを、現実だ!って認められるほど、ラノベ脳では無い筈だ。

「厨房に行ってみようか」
 何故に?
「フォルティオとルーモをからかいに」
 悪趣味極まれり、じゃないですか?
 馬に蹴られますよ?
「アキラのproverbiumは多種多様だね。次々に出てくる。なんで馬に蹴られるの?」
 
 ん?諺ってことかな?
「人の恋路を邪魔する野暮なやつは、馬にでも蹴られてしまえって言うんですよ……あれ?都々逸だったかな?」
「どど……?」
「定番のいいまわしってことです」

 カヴァリーロさんとフィリーノさんには、ここから出るなって言われてたんだけど、まあ、ヴィザーゴさんにはどこ吹く風、なわけだ。
 言葉尻を拾っては吹き出してるヴィザーゴさんには、定番の言い回しということでお茶を濁すことにした。
 ……お茶を濁すってぇ!
 誤魔化すことですよ。
「誤魔化されてるの?僕」
 そうです!

 厨房では仲睦まじく、ルーモさんとフォルティオさんが調理している。
 ガス台じゃないんだ。
 薪を使う、竈。
 んー。ファンタジーだねぇ。

 ヴェーロさん、石臼でごぉりごぉりとなにかを擂り潰しておられる。
 魔女の毒薬作りの場面かな?
 相変わらず、もぐもぐと口は動いていてつまみ食いでもしてるみたいだ。
 って、ここまでは笑えたんだけど。

 俎板に乗った兎さんが……いや、兎さんだったものが目に入ってしまった。
 予想以上のスプラッタに、息が止まる。

 開かれた、腹。
 血の臭い。
 見たことの無い、赤黒いモノ。
 
 ぐっと胃が詰まる。
 やばい、吐く。
 と、思ったけど。
 思ったんだけど。
 
 けど、気付いてしまった。
 いつまでも、喉が熱くならない。
 胃液が、上がってきてない。

 そうか。
 排泄器官が無いってことは、消化しないってことなんだ。

 やっと繋がったあたしのポンコツ組織。

 そうか。
 これ、夢じゃないんじゃない?

 

 
 

EX/Detour≒Invisible rays

「ありゃ?」

 主の声が響く。

「なんか元気なのがすり抜けたよ。そっちに着いたら好きにしていいよ」

 なんとも主らしい通達だ。
 と、なると厄介なのはあいつだ。
 あたいは仕事の手を止め、腰をあげる。
 ……ふふん。随分この体にも慣れたものだわ。

 あいつの部屋の前には、もぐもぐと反芻をするツレがいた。

『待たせた?』
『別に』

 何の変わりもない、いつも通りのやり取り。
 合図もせずにやつの部屋を開ける。

 いつもヘラヘラとしまりのない顔が、獲物を捉えるが如く真剣に一点に向けられている。
 部屋の中央の、敷物の上。
 移動以外に使うこともない陣を張り、創出を行っている。

『珍しいことしてるね』
『俺らの声も聴こえてないみたいだし。こちらからも霧がかかっているようだ』
『……ろくでもないことになりそうだね』
『間違いない』

 陣の中央が人形を象どる。

『……やっちゃったね』
『やっちゃったな』

 やつはそのまま、ソファに突っ伏すと、陣の中の人形に緩やかに魔力を流している。
 ……はあ。

 人形に向けて、あたいらも魔力を加勢する。
 ようやくあたいらに気がついたやつが、『手伝ってくれるんだ?どういう風の吹き回し?』
 と言ってくる。

『お前がどうなろうと構わんが、主様に障りがでるからな』
『それだけだよ』
『そっか。そうなるか。まあそれも一瞬のことだけどね』
『僕であるなら主に些事でも負担を与えるな』
『ふふん』

 こいつのことだからどうせ余力は残してる。
 ……はああぁ。
『二度目。諦めろ』

 えらく精巧に作られた人形に、一時的な仕上げを施す。
 
 ぱちん。

 途端、ムッとするやつを、したり顔で見てやる。

 もぞもぞと動き出す人形。

 ――――
 …………なんだこいつ?
 

 

・4/fatum≠destino:不可避は目的地ではない


 吐き癖は褒められたもんではない。
 胃酸で歯は溶けるし、内臓を荒らす。
 わかってるのよ。
 わかってはいるの。
 
 でもね。
 吐けばスッキリするという習慣がついているの。

 ――だから。
 吐きたいのに吐けないのって、気持ち悪い。

 思わず、ヴィザーゴさんに繋がれた手を、ぎゅっと掴む。
「苦しい?」
 そう言われて、頷く。

 ヴィザーゴさんは当たり前にあたしを抱き上げて、顔の傍で微笑む。
 それから、こつん、と正面から額と額をつけた。
 超至近距離の美形に照れる暇もない。
 つけた額が、じわっと熱を持った気がする。
 前のぞわぞわな感覚とは違う、脳みそと頭蓋骨の間に隙間が開く様な感覚。

「――」
 ヴィザーゴさんは、額をつけたまま、あたしを見つめると、軽く息を吸って、口の中で呪文を唱え始める。
 ……呪文?なんで、分かるんだ?
「……ビビデバビテブー」
 はいっ?!

 その刹那、目映い光に包まれた。
 ……刹那。
 あえて使おうじゃないか。
 
 それくらい一瞬だった。
 
 ジェットコースターが橋の下を突っ走った感じ。
 新幹線?
 どっちが速いんだっけ。
 
 とにかく、目がつぶれるかと思うような、刺すような明るさに突入した。
 ヴィザーゴさんは、多分微動だにしていない。
 景色だけが凄まじい勢いで通り過ぎる。
 どうなってんだ?
 何かする前に、一言欲しいんですけど。

 景色が止まる。
 光に晒された目が視力を伴わず、なにかいることしかわからない。
 ゆっくりと、眼界が像を結ぶ。
 
 ――――。
 
「ねえ?ヴィザーゴさん?」
「なんでしょう?アキラ……さん?」
「ここ、もしかしてだけど、あたしの部屋で間違いないでしょうか?」
「そうだよ。アキラの部屋」

「それでは、あれはなんでしょう?」
 ヴィザーゴさんにだっこされたまま、目の前の見慣れたものを指差した。
「それは。さあて、ね」

 あたしが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った、カウチソファー。
 そりゃ、ヴィザーゴさんが寝そべっていたものとは比べ物にならないだろうけど!
 あたしなりに頑張ったんだ。
 そこに、ふんぞりがえるやつがいる。

「誰だ?」
 警戒する、聞き慣れた声。
 あたしのソファーに我が物顔で、座るんじゃねえよ、くそ旦那!
 
「あ、あたしだ」
 聞き慣れない声の、聞き慣れた口調。
 旦那に寄り添いあたしを見る、あたし。
 
「この子、ちっさいときのあたしだ」
 その言葉に、旦那は隣のあたしと、ヴィザーゴさんに抱っこされてるあたしを、しきりに見比べる。

 旦那と知り合ったのは、高校の時。
 だから、今のあたしに気付かなくても仕方ないんだけど、この女、なんでこんなに冷静なんだ?
 
「アキラだからじゃない?」
 ヴィザーゴさん……身も蓋もない。

 旦那に寄り添うあたしは、大きなケロイドを隠すことなく露わにしていた。
 あたしの視線の先に気が付いたあたしは、ケロイドに触れ、旦那を見た。

「こんなの、下手に隠さないで慣らせば良かったのに」
 隣の男、うろたえてますぜ?お姉さん。
 あたしもだけど。
「でも」
 どうしても口ごもる。
 このあたしは、あたしじゃないのか?
 
「アキラだよ」

 ヴィザーゴさんの、なんの迷いもない声。
 これを見せに連れてきてくれたんだろうから、それはそうか。
 なにもわかってない旦那は、おろおろとするだけで、隣にいるあたしは、すっと澄ましている。
 
「あたしね。旦那の浮気が頭に来て、腹いせにここから飛び降りたの」
 旦那の隣のあたしが、愛しげに旦那の顔を撫でながら、話し始めた。
「マンションの五階。そこのベランダから。だって、不倫を問い詰めたら、訳のわかんないことばかり言い出すんだもの。終いには俺のこと好きだったの?ですって。ばっかじゃないの」

 あーなんか、あたしだわ。
 五階(そこ)から飛び降りようとは思わないけど。

「でも、気が付いたら目の前で旦那が泣いてるの。顔ぐちゃぐちゃにして。あたしの旦那は泣きもしなかったのに。ねえ?これ、貰ってもいい?」
 なんだかなぁ。
 所在ない旦那は、隣のあたしの肩を抱いた。
 ずっと、触れもしなかったケロイドに、手が掛かってる。

「それは構わないけど、そんなんでいいの?折角、生まれ変わったのに」
 生まれ変わり、なのかね?
 転移なのかも知れないけど。
 あたしなら分かるだろう。

「生まれ変わり?ああ、そうなんだ。でもあたし、こう見えても“この人”のこと、好きなのよね」

 うーん……どうしたもんだろう?
 ヴィザーゴさんの顔を覗くと、
「ん?」
 って、顔された。
 それは、どっちなんでしょう。
 ……多分どっちでもないんだろうね。
 なら!
 好きにおやりと受け取ったぜ。
 殴る!

「……ヴィザーゴさん。あたしのお願い、受け取って!」
「Accipio」

 あたしは旦那に飛び掛かった。

 ――だってね。
 今のあたしが殴ったところで、やつにダメージは与えられないと思ったの。
 もともと、人なんて殴ったことないし。
 ただでさえか弱い女性が、幼女と化してるのよ、ほほほ。

 そんなとき、先人たちは“全身のバネ”で、相手を粉砕した、ことを思い出したの。
 全身のバネ。
 それがどこにあるかわからないけど、最大限に引き出せるように、ヴィザーゴさんにお願いしたわけ。
「了解」
 の声に、ヴィザーゴさんの腕から思い切り飛び掛かって、右ストレートを決めてやった。
 ふふ。

 ん。
 どうやら、あたしの全身も粉砕したっぽいね。
 床に這いつくばってしまっているよ。
 情けない。
 
「だって、アキラ。反動のことは言わなかったじゃない」
 ええ、そうですとも。
 人を殴るって、こんなに反動がくるとは知りませんでした。

「バカだねぇ。こんな男のために、そんなにならなくていいじゃない。スカッとはしたけど」
 頑張って頭だけ上げると、気を失った旦那をあたしが介抱してる。
 うわっ、鼻血。
 
「お気に入りのソファーに、鼻血がついちゃった」
 あたしがそう言うと、大人なあたしが笑った。
「受領印としておくよ。で、いい?」
 ん……
「不束な旦那ですが、よろしくお願いします」
「ん、知ってる」

 ヴィザーゴさんが、あたしを荷物みたいに担ぐ。
 だよねー。
 腕はだらんとしてるし、背も伸ばせない。
 糸の切れたマリオネットだ。

「ねえ?……幸せになれ」
「ん、だね」
 
「こいつさ、万年補欠で使えないけど、暖めてくれると思うよ」
「ぷっ。なにそれ。あたしの旦那は一度だけ試合に出たな。地方の三回戦。いわゆる三年のサービス打席」
 
「監督、随分英断したね」
「キャッチャーフライだったけどね」
 
「……ピッチャーじゃなくて?」
「そ」
 
「あーあ。なんだかねぇ……猿で、バカでどうしようもないけど、見ようによっては優しいから」
「だね」

 体の中に、じわじわと暖かいものが流れてきてる。
 ヴィザーゴさんの肩に頭を預けて、目を閉じる。
 
「……ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー」
 ヴィザーゴさん……それって。

 睫毛の間から、あたしが手を振ってるのが見えた。
 ん。幸せになれ。
 あたしは、ソイツのために死にたくはないもの。

 あたしは、ヴィザーゴさんに頭からマントを掛けられていた。
 来た時は一瞬だったけど、帰りは随分時間がかかるのね。
 呪文の違いじゃない?

 で、元いた厨房に戻ってきた。
 料理途中の兎さんは、未だ内臓がこんにちわしていて、あまり時間がたってないのかな?と思った。

 と。

 ずんと視界が急降下する。
 もっと丁寧に下ろしてくださらない?
 ……って、え?
 ヴィザーゴさん、倒れちゃってる。
 え?え?
 
 さすがになす術もなく、あわあわと狼狽する。
 ヴェーロさんも、ルーモさんもこちらを見てるけど、作業を止める様子もない。
 それどころか、はあああって大きな溜め息を漏らして、すっと手を上げた。
 
 厨房に、ぱちん、ぱちん、と音が響く。
 ピトス。
 ヴェーロさんが鳴らして。
 持ってた天板を竈に入れてから、ルーモさんが鳴らして。
 ん。天板は持ったままだと危ないもんね。

 ヴェーロさんがぱちぱちぱち、て連続で鳴らす。
 おお、ファルーカだ。
 じゃなくて、気のせいかな?あたしに温かいのが流れてませんか?
 
 ヴェーロさんを見ると、石臼の中身をぺろって舐めて、のっそりとあたしに近づいてきた。

 ヴィザーゴさんの傍らで、座り込むあたしの肩に手を乗せて、息を吐く。

『聞こえるか?』
 どわっ。
 重低音の、見た目に違わぬお声。
 その声が脳に直接って、イヤホンなんてお呼びじゃないくらい腰に響きましてよ。

『ここで俺は、メルには入れないから一方的に話すぞ』
 あれ?
『これは――ヴィザーゴは単に腹が減っただけだから、放っておけ。むしろメルの方がぼろぼろだ。なにをすればこんなになる』
 なにをすれば……
 んーと。

「旦那殴ってきました」


●bookmark = pause ∧ ¬end

 自由落下の重力加速度
 おおよそ9.8m/s²

 五階からの時間
 √(2×五階分÷9.8m/s²)=おおよそ二秒弱。

 あと二秒弱で、あたしは死ぬ。
 はずだ。

 めくるめく、走馬燈。
 本当に見るのだね。
 噂には聞いていたけど。
 一生分の二秒。

 って、……長くない?

 あたしなのに、あたしじゃない。
 経験したことの無いことも走馬燈で見るものなの?

 高校の時。
 グラウンドで真っ黒に日焼けして、汗と埃にまみれて練習する彼の――投げたボールから指の離れる瞬間の、ぴって反る中指と人差し指、そこから流れる手首のライン、肘の角度に、ほぼ一目惚れして、
 そしたら告白されて、
 運命なんか感じちゃって。

 卒業までは清いお付き合いで。
 まあ、キスはしたけど。
 けど。
 その先を躊躇したのは、肩の火傷。
 あまりきれいなものではないからね。

 なのに。
 彼の存在のないあたし。
 彼と付き合ってないあたし。
 運命ってなんだろう。
 
 浮気したやつを問い詰めたあたし。
 消えるあたし。
 似て非なるあたし。
 
 走馬燈が、次々にフラッシュバックする。

 地面が迫って、ああ、ついにと思ったら。
 弾かれた。
 
 そして、目の前には顔をぐちゃぐちゃにした、彼がいた。
 ……?
 開き直って、口汚くあたしを罵倒して、出ていかなかったっけ?
 何でまだいるの。
 ここは、あたしのマンションだよ?

「……ごめん、ごめん。ごめんなさい」
 この世に他の言葉が無いみたいに、謝り続け、涙と鼻水を撒き散らしてる。

 いいな。
 こんなに泣いて貰えてるのに、あたしはどこに消えたんだろう。

 あたしは、手をグーパーグーパーと閉じたり開いたりして、眺める。
 ん、動かせる。
 あたしの意思で動かしているから、あたしだ。

 その手を彼の頬に伸ばす。
「ねえ?あなただあれ?」
 その言葉を聞いた彼は、思いっきり目をひんむいて、そして。
「ごめんよぉ、ごめんよぉ」と、再び泣き出した。
 ……面白れーな、これ。

「あー、ごめん、そうじゃなくて、あなた、明楽くん?」
「き、君も明楽じゃないかぁ!メルぅ」
 ふうん、そうなんだ。

 あたしは、明楽メルのままでいいんだ。
 

  
 
 

・5/destino≠Fügung:目的地は因果ではない

「旦那殴ってきました」

 あたし的には一世一代の受け狙いだったんだけど、やっぱ、傍らで倒れてる人がいる時に受けは狙っちゃいかんよね。
 スルーされちゃった。
 
 誰の反応もないし、体は床に下半身を縫い付けられたみたいに動かないし。
 腕にも、お腹にも力が入らない。
 でろーんって伸びて、蛸みたい、あたし、
 このまま、床に埋もれたいね。

 猛省。
 転がった位置から、ヴィザーゴさんの顔は見えない。
 あたしの目に入るのは、あたしを抱えてくれていた、真っ白な手。
 
 フォルティオさんが、厨房を出ていった。
 お医者さんでも呼びに行ったのかな?
 お医者……ヴィザーゴさんを診てくれるのか?
 
 肩に置かれたヴェーロさんの手を通して、ため息が聞こえる。

『今、何か言ったのだろう?俺たちにはメルの言っている言葉がわからない。現状は理解している。多くは語らなくて構わない。ルーモ』
 
 ルーモさんは、小さな器を手の中で光らせていた。
 ヴェーロさんは、いつの間にかあたしから離れて、石臼を持ってきてた。
 ……ヴェーロさんが触ってる時は、普通サイズに見えていたのに、現物はアタシの顔くらいありそうでした。
 ヴェーロさんは、あたしを背後から支え抱き起こしてくれた。

 そうして、起き上がったあたしはヴィザーゴさんの顔を、見ることができた。
 真っ白だ。
 
 ルーモさんが石臼の中のものを摘まんで器に振りかけてから、それをあたしに渡してくれるのだけど、腕が上がらない。
 痛くはないんだよなー。
 力だけが入らない。
 重い……かどうかもわからない。
 存在だけを感じ得る、動かない()

 ルーモさんは、ちらとあたしの顔を見ると、深い溜め息を吐いた。
 溜め息を吐くと、幸せになれませんよ?
 
 ルーモさんは、器をあたしの手の中に納めると、一緒に持ってくれてる。
 でも、次に聞こえたのは、
『飲め』
 の一言。
 
 器の中には……スープなのかな?青緑の液状のものが入っている。
 青緑……って、口に入れても良いもんなの?!
 
『『飲め』』
 二重奏です。

 あたしは器の中身を、ちびちびと舐めていた。
 ルーモさんが支えてくれている器の位置が絶妙で、少しずつ飲めるようにしてくれている。
 ありがたい。
 後でその尻尾をブラッシングしてしんぜよう。
 生きる希望が湧いてきた。

 ヴィザーゴさんに対して、あんなにいやな顔をしていたフォルティオさんだけど、どこからか戻ってくると手当てを始めている。
 
 何を言ってるかはわからないけれど、時折ヴィザーゴさんを慮る単語が耳に入る。
 多分。

 ぱたぱたと厨房に、カヴァリーロさんとフィリーノさんが来て、フォルティオさんと話している。
 ん、わからん。
 マンションに行くまで、なんの疑いも持たずに理解できていた言葉が、まるでわからない。

 フィリーノさんが跪いて、あたしに目線を合わせる。
「お父さんは平気よ。あなたは、大丈夫?」
 あ、わかる。
 わかるけど。
 
 お父さん?
 ……もしやヴィザーゴさんのことか。
 作った、とか言ってまわるからだよ?ヴィザーゴさん。

「大丈夫です。ご心配お掛けしてすみません」
 と、言うけれど、フィリーノさんには通じてないみたい。
 きょとんとされてるお顔も、可愛らしいです。

 そうだよね。
 考えてみたら、翻訳機はあたしにしか着いてないのだから、そうですよね。
 それを思うと、ヴィザーゴさんはずっとフォローしていてくれたのかしら?
 親切……とは違う気もするけど、親切と受け取っておこう。

 ちびちびと舐めていたスープは、色はなんですけど、結構……かなり旨い。
 器の半分を平らげたところで、体がぽかぽかしてきた。
 ヴィザーゴさんから流れてきたのに似てる。
 ラノベなら、魔力的なにかなのかしら?
 なんてね。
 
 旦那を殴って、体内が反動でぼろぼろになったのは感じてたけど、一切の痛みはなかった。
し、ない。
 でも、感覚がないわけではない。
 一体どういう作りをした体なんだ?
 ヴィザーゴさんが元気になったら、問い詰めても良いよね?

 ……てか!
 ぽかぽか通り越して、暑いんですけど?
 てか!熱いっ!
 これ、なんなんっ!

 あたしの状態に気が付いたのか、肩に乗ったヴェーロさんとルーモさんの手から、ひんやりとした風みたいのが流れ込んでくる。
 お、熱く火照った体に……気持ちいいぜ。
 体の中の何かが、忙しなく蠢いている。
 血流より大きい。
 痺れた時と似てるけど、痛くない。
 力が漲ってきている。

「うぉー!立てる!立てたよ!ありがとう!ヴェーロさん!ルーモさん!」
 感極まって語りかけたけど、通じないんだった。
 でも、感謝は伝えなきゃだよね。
 お二人はきょとんとしてて、なんとも愛らしい。
 あたしはきょとん製造機か?

「くっ、ぷっ……くくくっ」
 聞き慣れた笑い声。
 ヴィザーゴさんが、体を起こす。
「大丈夫なの?」
 ヴィザーゴさんに寄ると、あたしが手にしていた器を取り上げて、飲みほされてしまいました。
「ルーモヴェーロ……これ、今のアキラにはキツいんじゃない?」
 何がだろう。

 そうしたら、あたしの肩からお二人の手が離れて、ぱちん、と指が鳴った。
 ぱちん。
「……ああ、ああ、わかったよ。……助かった」
 不思議な絆があるのだなぁと、思います。


 ————
 

「梯子」
「ふぉお!」
「……ふじ……」
「おやま!」
「ん、そう……で、日の出」
「うおぅ!うごいた!」

 ヴィザーゴさんが厨房で倒れて、あたしはなぜか今、居間であや取りを披露してる。
 フィリーノさんとカヴァリーロさんの愛娘、チャルマさん五歳と遊んでいるのだ。
 あたしの姿を見たフィリーノさんは、娘を隠せと言っていたけど、あたしはヴィザーゴさんの膝にいて、チャルマさんと対面している。

 フィリーノさんたちはいい人なんだと思う。
 ヴィザーゴさんの顔を見るなり、げって対応だったのに、倒れたら面倒を見るし、お子さんにも会わせている。

 チャルマさんは、村に年の近い遊び相手がいないとのことで、あたしに会うとテンションが上がっていた。
 一緒に表に行きたがったのだけど、「もう陽が落ちるからだめ」とフィリーノさんたちに止められてしまったのだ。
 なので、お部屋遊び。

 あや取りに使うには、立派な組み紐を渡されて、手頃な長さに切ってくれたのが勿体無い。
 余り毛糸でいいと言ったのだけど、「……毛糸?」な反応で、金糸の紐を切ってくれようとしたので、さすがに遠慮した。
 で、一人あや取り。

「もっとみせて!」
 と、目を輝かせるチャルマさんは、愛らしい。
「そろそろご飯ですよ」
 フィリーノさんたちが食卓に並べたのは、兎ではない。
「兎は間に合わなかったねぇ。明日のお楽しみだ」

 うーん……兎ねぇ。
 気は進まないけどね。
 で、あたしはいつまでヴィザーゴさんの膝にいれば良いんですかね?
「だって離れたら、アキラの言ってることが誰にも通じないよ?」
 やっぱりそうなんですね。

 あれ?ヴェーロさんは、メル呼びだったのに、ヴィザーゴさんは、アキラ呼びなんだ。
「ヴェーロたちは、言葉にしないからね」
 ふうん。
 色々と事情が異なるんですね。
「そういうところ、いいよね」
 どういうところでしょう?

 ヴィザーゴさんは、あたしを抱っこしたまま食卓に着こうとして、フィリーノさんに止められた。
 曰く、チャルマさんが真似したがると。
 まあね、分かりますよ。
 あたしだって、食事は一人でしたい。

 お夕飯は、野菜中心で美味しゅうございました。
 てか、食べられるのね。
 味も分かる。
 あたしの内臓、どうなっているんでしょう?


 ————

「あしたはわたしのたからものみせてあげる!」
 と言うチャルマさんと別れて、寝室に案内された。
 ヴィザーゴさんに抱っこされてるあたしと、ルーモさんと、ヴェーロさん。
 あたしはヴィザーゴさんに抱っこされるのがデフォになってる。
 いいんだろうか?
 
 みんなで同じ部屋です。
 ヴィザーゴさんとあたしは、親子認定なんだろうな。
 カヴァリーロさんが、出てくるなよと釘を刺しました。
 ほんと、なにやったんだよ、ヴィザーゴさん。
「ちょっと興が過ぎただけなんだけどねぇ」
 
 ……ルーモさん、ヴェーロさんの目も冷たいですよ?
 ほぅら、ヴィザーゴさんの目の前で、ぱちんって指を鳴らすじゃないですか。
 するんと、着ていたものはベッドに投げ出して、狐と山羊の姿になったルーモさんと、ヴェーロさんは床に丸くなってしまわれた。

「何故、ルーモさんたちが指を鳴らすと不機嫌になられる?」
「嫌がらせだからだよ。僕が出来ないからって、わざとやるんだ」
「出来ない?これが?」
 ぱちんと指を鳴らす。
「アキラまで……」
「ごめんごめん。うんと、怒ったときに取っておくよ」
 一瞬、訝しげな顔をしたヴィザーゴさんだけど、「それも面白いね」と吹き出した。
 全く、笑い上戸ですね。

 ヴィザーゴさんに聞きたいことは、山のようにあるのだけれど、どう聞けばちゃんと答えてくれるのだろう。
 どう聞いても、煙に巻かれそうだけれども。
「何でも聞いてくれていいよ。答えたかったら答えてあげる」
 必ずしも答えをくれるわけでは無いのですね。
 予想はつくけど。

「くくっ。そうだ、お散歩しよう」
「部屋を出るなって言われたじゃないですか。また、倒れますよ」
「あれはいつもよりちょっとだけ遊び過ぎただけだよ。食事もしたし大丈夫」
 大丈夫がちゃんと使われている。
 学習機能がある翻訳機なのかな?と何気なく耳たぶのピアスに手をかけてみた。
 なにが分かるわけでもないけど。

 ヴィザーゴさんが、指をくるっと回すと窓が開いた。
 冷たい夜気が部屋に混ざり、ルーモさんが、きゅっと尻尾を体に巻き付けてる。
 可愛い。
 て、窓を開けたってことは、そこから出る気ですか?
「そうだよ。扉はフォルティオが見張ってそうだ」
 だから、なにしたんですか!

「気になる?」
 と、流れてきた“映像”。
 え?あ、うわっ!
 清純なフィリーノさんの、えらく艶っぽい顔。
 カヴァリーロさん……ルーモさんになにをされているのか。
 ああっ!フォルティオさんっ!
 
 …………
 こりゃ警戒もされるわ。
 なにが行われてるかは容易に想像がつく。
「見てたの?」
「見てたねぇ」
 はあ……アクマだ。

 んで、あたしは抱っこされたまま、ピーターパンよろしくお空の散歩な訳ですよ。
 なんかね。
 いちいち驚きはしないけど、やる前に一言欲しいわけですわ。
 足が地面に無いというのは、なかなか居心地が悪いんだぞ?
 ……あ、ずっと抱っこされてるから地面には無いか。
「くくっ……!空を飛ぼう」
 遅い!

 足元に広がるメティイースト。
 薄い光が窓から漏れてる程度で、周りは闇だ。
 樹海は思った以上に暗く、墨で塗りつぶしてるみたいだ。
 空も真っ黒で、天の川が視界いっぱいに広がってる。
 天の川がミルキーウェイなのが分かる気がする。
 真っ黒な夜空の皿に、ミルクを流している。
 そんなミルクに、三角が貼り付けられている所がある。
 んー。あれって……
「それは日が昇ってからのお楽しみに取っておこう」

 いや、想像に難くないぞ?

「ねえねえ?ヴィザーゴさん。また燃費切れで落ちたりしない?」
「落ちるくらいなんともないよ」
 そうですか。
 そういうことではなかったんだけど、それでいいや。
 
「……我が錨を其の儘に、嵩なりの在りかを移行せよ」
 呪文かな?
 マンションの行き帰りのふざけた呪文に比べたら、呪文っぽいけど、ヴィザーゴさんらしくない。
 聞かせたいのかな?
 錨……動かないようにして、移行?
 なんのこっちゃ。

 ふわっと空気に包まれて、段階を経て、足元の明かりが強くなる。
 月は同じ。
 メティイーストの辺りは闇のまま変わることはないけど、森の周りが明るくなる。
 四……、五……、六……。
 空が濃紺になり、星が減る。
 ぶちまけられていたミルクが、川になる。
 七……、八……。
 数が追えてる自信はないけど、十を数えたとき見知った明かりになる。
 LEDの人工的な光。

 層……。
「ここは、地球なの?」
「君たちはよく、そう言ってるね」

 ヴィザーゴさんの白い整った顔に、銀色の髪が揺らぎ、月明かりのエフェクトを背負っている。
 頭のなかで月下のセレナーデが響き、戦闘準備が整い始める。
「……ぷっ」
 と、台無しな顔で笑い出すヴィザーゴさんは、ワルいヒトなのか、イイヒトなのか。
「どうだろう?善くはないかもねぇ」
「なら、イイ人なんじゃない?」

 一瞬だけ真顔になったヴィザーゴさんは、あたしを抱えたまま腰を折って笑い始めた。
 声をあげて。
「……ったく、君たちときたら。善良の思考は僕には到底、及びもつかないよ」
 
 褒められてる気がしないんですけど?
 
 
 
 

・6/Fügung≠qadar:因果は量れない

「ねえ」
 と、声にしたものの、聞きたいことがありすぎて、言語として整わない。
 矢継ぎ早に聞きたいことだけ聞くのも、いくらヴィザーゴさんでも迷惑だろうし。

 くすっと、いつもの声がして、愉しそうなヴィザーゴさんと目が合う。
「ならば、行こう」
 どこにですか?!

 加速装置!って、聞こえた気がする。
 空耳だけど。
 奥歯ぎゅっとして、光ってないよね?
 頭に直接響く、ヴィザーゴさんのくすくすとした笑い声。
 このヒト、ずっと笑ってるよね。

 ぎゅんぎゅんと空を駆ける体。
 流れる景色は、殆どは暗闇に覆われているけれど、星が勢いよく去っていく。
 や、あたし……を抱えたヴィザーゴさんが、進んでるんだけど。

 そうして着いたのは、見知ったマンションのベランダだった。
 あたしの、明楽と暮らしていた部屋。
 ヴィザーゴさんは、ベランダに静かに下ろしてくれた。
 
 ――? 見知ったマンションではあるけど、何かが違う。
 違和感。
 知ってるのに、違う。

 何が違うんだろう?
 
 ――ああ、目に入ったカーテンが違うんだ。
 あたしが、悩んで選ばなかった方。
 それだけでもないけど。
 夜だし、よくわかんない。

 ヴィザーゴさんが、指を回す。
 指先から出る光の帯は、サッシを通り抜けて鍵を外す。
 体ごとすり抜けるとかではないのですね。
「それをすると、分子構造を分解して……」
 あ、いいです。
 ごめんなさい。
 
「くすっ。ちゃんと知りたいとか思わないの?」
「理科の授業は今さら聞きたくないし、知ったところであたしにどうこうできることではないのでしょう?」
「ま、そうだけどね」
 鍵を開けてくれたサッシを、手で開ける。

 あれ?いいのかな?
 ベランダから来訪って……ま、自分の部屋か。

 ベランダで靴を脱いで、部屋に入る。
「ヴィザーゴさん、靴脱いでよ」
 と、念のため。
 ほら、なんで?って顔してる。
 そういうもんですって。
 
「郷に入っては郷に従う、のです」
「Si fueris Romae, Romano vivito more.ってことだね」
「多分そうです」
 ヴィザーゴさんは靴を脱いで部屋に足を踏み入れた。

 ……?
 自分の部屋と言い切れるのに、自分の部屋じゃない。
 違うあたしに渡したからか?
 んー。でも何日も経ってないよね?
 ヴィザーゴさんはにこにこしてるだけ。

 あ、違和感の正体その二が出てきた。
 お気に入りのソファー。
 高くて迷っていた時に見つけていた、安価な方が据わって……うわっ!
 
 そのソファーには、疲れきった顔をした旦……明楽が腰を掛けていた。
 わりかし、ベランダから堂々と入って来たあたしたちを、気に留める様子もない。
 どこも見ていない目からは涙が流れ、拭おうともしていない。

「ごめんよぉ……ごめんよぉ……ここから飛び降りるなんて……」
 時折、紡がれる謝罪。
 
 ああ、この明楽は、もう一人のあたしの明楽なのか。
 今更だけど、泣いてるじゃん。
 今更だけど、後悔してる。
 今更なんだけど。
 
「何でこっち?」
「同じ層にいたから」
 
 まあ、これはこれで。
 層とやらには、各々にあたしがいて、明楽もいて、似て非なる生活をしてるのかなと悟った。

 ふわっと身体が浮かんで、ヴィザーゴさんの腕の中に収まる。
「アキラは聡いねえ」
「頭良かったら、こんなことにはなってないと思うけど」
 くくっと、結構大きな声を出すヴィザーゴさんだけど、明楽にはまるで聞こえていないようだ。

 ヴィザーゴさんに抱っこされて、目線が上がって、壁に飾っていた写真を見付けた。
 あたしも同じ様にしてたっけ。

 ヴィザーゴさんは、明楽の前を堂々と横切り写真の壁まで連れてきてくれた。
 見えないもんなんだな。
 見たいものしか見えてないって、漫画の中だけと思ってたよ。
「そうだねぇ」
 ヴィザーゴさんは、短くそう言った。

 壁の写真は、あたしが飾ったものと同じだった。
 結婚式と、お互いの両親の写真。
 お父さんとお母さんを見るとさすがにぐっとくる。
 ただ、こちらのお父さんの火傷は顔や首にもあって、あたしのお父さんより広範囲だと感じた。

 そして、ウェディングドレスのあたし。
 あたしの着たかった、デコルテの見えるドレス。
 火傷を隠す様子もない。
 彼女の火傷も、あたしより大きかった。
 こりゃ敵わないな、と笑いが出た。

「ちょっといたずらしてもいいかな?」
 と、ヴィザーゴさんが指を回す。
 光の帯があたしを包む。
 ……こういうことは、あたしを床に下ろしてからやるべきではないのかしら?
 ヴィザーゴさんの腕の中で、あたしは大人になっていた。
 しかも、モンロードレスで。
 伸縮自在なんですかね?
「幻だからね」

 その言葉に手を見ると、闇を透かしていた。
 体の感覚はあるのに、透けている。
 変な感じ。
 床に降り立った足には、ちゃんと床の感覚があるのに、視覚の中に足がない。
 あれ?これって幽霊じゃん?

 明楽がじっとあたしを見ている。
「……あ、ああ!メ……」
 明楽が手を伸ばした瞬間、目映い光に囲まれた。
「サービスタイム、終了」

 光から抜けると、フォルティオさんの館。
 部屋の隅では、ルーモさんとヴェーロさんが獣の姿で、踞っている。
 ひょこひょこと動く、ルーモさんの尻尾。
 いつか絶対、触ってやる。
 
「あれだけ?ホントに意地悪だなあ」
「悪魔だからね」

 ヴィザーゴさんは子供の姿のあたしを、ベッドの上に下ろす。
「別段眠る必要もないけど、寝ようか」
「んと、必要最低限、この体の取説はないのですか?」
「好きにしたらいいよ?何とかなるし」

 何とかって……その度にルーモさんやヴェーロさんに迷惑かけそうで悪いんですけど。
「全身に体重かけて何か殴るとかしなきゃいいんじゃない?」
 ……ダメならダメって、言ってくれたらいいじゃない。
「したかったんでしょう?なら、すればいい」

「ヴィザーゴさんて、優しいね」
「んー?優しくはないよ。悪魔だからね」
 その言い回し、気に入っておられます?
「アキラにはばれるね」
 ヴィザーゴさんは、子供みたいにペロッと舌を出した。
 んー……どこまでも美人だな。
 そうだ。

「ねえ?層ってこんな感じなの?」
 拳骨を作って、手の平を被せる。
 手の平をちょっとずつ持ち上げて……これでわかるか?
「それなら外側が、月に着いちゃうねー」
 断層ではないのか。
 
「アキラ、言ってたじゃない。見えないものは見てないって。それだよ」
 よくわかんないな。
 同じ地表に、いくつかの世界があるってこと?
「そんな感じ」
 ……ふうん。ソウナンダー。
「ふっ。そうですよぉ」

 にこにこと微笑むヴィザーゴさん。
 眠る必要はない、ってさっき言われたけど、なんだか、うつらうつらしてきた。
「Bene dormi.アキラ」
 おやすみ、って聞こえた。


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 エントランスを出て、誰に泊まらせてもらおうかとスマホを出したその時だった。

 どさっと、何かが落ちてきた。
 なんだ?
 スマホを取る為に止まってなかったら、俺にぶつかってたぞ。
 ったく、何だよ。

 メルに浮気がばれた。
 ほんの出来心。
 高校からメルと付き合って、そのまま結婚しちまったから、つい……新卒の、若い子が俺の一打席を見てたって言うから、つい。
 
 言い訳にもならないし、自分が悪いから、真っ直ぐなメルの視線に堪えきれなくなって、売り言葉に買い言葉で怒鳴り付けて出てきてしまった。

 落ちていたのは、メルだった。
 目が会った。
 涙みたいな血を出して。
 鼻水みたいな血を出して。
 メルがいた。

 駆け寄って、抱き上げて。
 名前を呼ぶけれど、まるで反応が無くて。

 抱き締めて、
 どんどん冷たくなっていくメル。
 どんどん白くなっていくメル。

 何故、俺は部屋を出たのだろう。
 部屋にいたら、こんなことにはならなかったんじゃないか。
 俺は、ぴくりとも動かないメルを、抱き締めることしか出来なかった。

 それから、何があったろう。

 靄の中で周りだけが慌ただしく動いてた。

 耳に入る言葉と、自分を動かす機能と、自分が別々に働いていた。

 自分が何をしていたか。
 何を答えたか。
 そんなことより、メルを返してくれと思った。

 真っ暗いマンションに、月明かりだけが照らす。
 メルのお気に入りだったソファーに沈んで。
 こんなことなら、高い方を買えばよかったな、とかどうでもいいことが頭を回る。

「高い方も後ろ髪は引かれるけど、ゼロの数が違いすぎる……!」
 何て言ってたけど、頑張ればどうにかなった。
「その分で、ちょっと良いお肉でも食べようよ」
 とか言ってたけど、未練は感じてた。
 安い方で良いなら、それで良い。
 とだけ思うことにしてた。

 ベランダが開いて誰かが入ってきた。
 火事場泥棒か?
 五階だぞ。
 そんなわけないか。

 やけに背の高い、現実離れした男。
 男だよな。
 白い顔に、赤い唇が闇に浮かんで。
 ゲームに出てくる悪魔か死神みたいだな。
 メルを迎えに来たのか?

「そんななまっちょろいやつが好きなのか?」
「なまっちょろくないよー強いんだよ」
「……俺も漂白するか?マイケルみたいに」
「嫌だ、気持ち悪い」
 
 なんて、笑ったっけ。
 笑ったのに。
 笑ってたのに。
  
「分かった。異世界に行く」
 なんて、突飛なセリフ。
 メルらしいけど、修羅場だぞ。

「流行りでしょ?異世界」
「おまえ、頭大丈夫か?」
「死んだら行く天国とか地獄とか。実は異世界なんじゃないかって思うのよね」
 
「あたしね、あなたのこと好きなのよ。だから、あたしを好きじゃないあなたはもういいかなって。一緒にいなくてもいいのかな、って思うのね」

「あなたの居ない所……ここじゃない、どこかに行きたいのよ」

 ここで、俺は投げた。
 メルが何を言いたいのかさっぱりわからなくなって、「好きにしろ!」って部屋を飛び出した。

 白い男の腕に、柔らかい光を纏ったメルが現れる。
 戻ってきたのか!
 手を伸ばした瞬間、消えた。

 罪悪感が拵えた幻か?
 それとも、死神がメルを連れていったのか?

 メルの体はまだ病院なのに、ここから連れていくのか?

 ベランダのサッシから、冷たい夜気が流れ込んでいる。
 
 

paradox──据え置きの船

primus=1:interior ∉ façade─内側にある建前

 窓からの明るい日差しに、隣にいるのが旦那でないことに驚いて目が覚めた。
 どうやら夢はまだ続いているらしい。
 ――現実なんだろうけど。

 若干、薄まり始めたとはいえ、分類としては“黒”になる旦那の顔色に比べると、ヴィザーゴさんの顔は死人のように白い。
 
 てか、美人だな。
 美人は目を閉じていても美人なのか。
 睫毛ながっ。
 睫毛が影作るって漫画の中だけと思ってたよ。
 
 ……にしても白いなぁ。
 血が通ってる感じがしないよ。
 もしや、面の皮が厚いってことか?

「くっ、ぷっ……朝からそれかい?僕の顔をそんな風に評価するなんて……」
 あ、プライドを傷付けてしまったかしら?
 謝らねば。
「誘惑してみようか――?」
 と、往年の少女漫画よろしく、顎をくいっとあげられた。
 生まれて初めての顎クイですよ。
 旦那には出来ない芸当だわ。
 見つめ合った刹那(笑)、はたと我に返る。
 
「さすがに絵面がキツ過ぎます。美形悪魔と純日本人幼女とかって、それなんてファンタジー、ですよ」
「Fantasy……?Fabula mirabilis?」
 日本のファンタジーは難しいようです。
 
「それはそうと、なんで裸なの?」
「休む時って、服着るの?」
 や、まあ個人の好みだけど。
 ヴィザーゴさんの適度に引き締まった体は、所謂細マッチョというやつで、女子好きするよなーと……あれ?
 
 ちらりと見えた、股間にはあるべきものがない。
 凝視はしてない。
 今のあたしと同じだ。
「そっちはヴェーロの担当。僕は必要ないんだよ」
 
 そうですか。
 ヴィザーゴさんで誘って、ヴェーロさんが実践ですか。
 ……怖くないか?それ。
「老若男女、効き目はあるねぇ」
 そうですか。

 ルーモさんとヴェーロさんも、すっかり身支度は整えていて、獣姿ではなくなってる。
 残念。
 いつか、獣の姿のルーモさんとヴェーロさんの間でもふもふしたい。
 ふふ。――お二人の冷ややかな視線が向けられている……気がする。
 
「まったく、ルーモヴェーロは勤勉だよねぇ」
 詠唱も、指くるくるも無く、陽射しとは違う光の帯で、昨日とは違う衣服を身に纏うヴィザーゴさん。
 おお、魔女っ子変身バンクやね。
 
 袖のたっぷりとしたドレスシャツに、スッキリしたスラックスで、昨日のじゃらじゃらはしていなくて、オフの日のV系バンドマンみたいです。
 イメージだけど。
 にしても、シンプルな装いもお似合いになる。
 美人はいいなあ。
 
「アキラはどうする?poupée en biscuitとかどう?」
 ぷぺ……ビスクドールってことですか?
 日本人顔にロココなふりふりドレスはなあ。
「面白いと思うけど」
 面白い、言ってるやんっ!
 
 でも……なんだろう、悲しいな。
 スーツしか浮かばない。
 社畜ではなかったはずなんだけどな。
 日常着ている割合が、断然スーツだからか?
 
 そしたら、いつの間にか、某アイドルが着てそうな、創作派手制服な装いになっていた。
 これはこれで可愛いですけど。
「魔法で作ったの?」
「んー……imitatio. かな?アキラの“ここ”の似た感じを構成したけど、違った?」
 
 ヴィザーゴさんは、人差し指で自分の頭をつついた。
 あたしの頭にあったものってことですか?
 歌って踊る趣味はないのだけど。
 ヴィザーゴさんが、なにかを作ってくれる時は気を付けよう。

 額同士をこつんと当てて、ヴィザーゴさんは目を閉じる。
「……次はこの絵の中で、弓みたいのを持った耳の長い子の、着ている意味の無さそうな服はどう?」
 イヤです。

 さて、そんな漫才みたいなやり取りをしていると、「あさなぁさな」とチャルマさんです。
 朝食の準備が出来たと、お迎えに来てくれました。
 フィリーノさんって、チャルマさんをヴィザーゴさんから離そうとしてなかったっけ?

 いや、眠そうな目で無精髭を生やしたフォルティオさんを従えてました。
 一晩中、廊下にいらしたんでしょうか?
 尤も、彼のお目当てはルーモさんでもあるようで、ちゃっかりチャルマさんをだしに使って……袖にされているようです。
 
 それにしても、朝食ねぇ……食べたものは一体どうなって、どこにいくんだろう?
「動力かな?」
 全部ですか?
「全部だねぇ」
 よくわからん。
 昨夜の夕食もしっかり食べたけどさ。
 お腹がすいた、感じはないよな。

 と、いうかあたしより随分と小さいチャルマさんが、一人で歩いてるのに、あたしは抱っこされているこの図は一体なんだろう。
 喋ることに次いで、歩くことも忘れそうだよ。

 あれ?
「あっ!あたしっ!顔洗ってない!」
 唐突に気づいてしまった。
「気になる?」
 なります。
 乙女の慎みというやつですよ。
 ま、余すとこ無く見られてるんだろうけど。
「おかおあらうの?こっちだよ」
 チャルマさん、気が利きますね。

 そのままチャルマさんの案内で、扉の前に着く。
「ここは?」
「おふろばだよ」
 そうか、風呂場か。
 なら、下ろして貰おう。
「一人で平気?」
 って……こんな姿でも大人ですよ?あたし。
 どういう扱いになるのかはわからんけど、既婚者ですからねっ!


 ――――浴室って言ってたよね?
 湯船はなくて、板張り……簀の子の床。
 その床の中央に……噴水かな?
 陶器っぽい材質で、ヴェーロさんでも一抱えはありそうな器の中に、見たこと無い突起物。
 何だろうね。
 どんな風に使うのかしら?

 北欧のサウナみたいだなぁと、しげしげと見入っていたら、チャルマさんに、
「おふろの日は、きょうですよぉ」
 と言われた。
 お風呂の日があるのか。
「そうなんだ。楽しみ」
 と答えたら、はて?な顔された。
 
 通じてないみたいですね。
 困った顔のチャルマさんも可愛いのだけれど、ちっちゃい子を苛めてる気分にもなるので、口の両端を指できゅっと上げて、にこにこを表現してみる。
 通じるかな?
 あ、チャルマさんにこにこになった。
 しかも指付き。
 真似っこですね。
 くぅ~!ういやつめ。
 
 当初の目的をこなそう。
 顔を洗う仕草をすると、チャルマさんが「こっちだよ」と手を引っ張ってくれた。
 部屋の隅に洗面ボウルのような容器があって、やっぱり中央に突起。
 部屋の中央にあるやつの小型版、なのかな?
 どうすんだ?
 迷っていたら、チャルマさんがつまみを捻ろうとしてる……けど力が足らないようです。

 これ?と指差すと、チャルマさんがこくんと頷いた。
 つまみを捻ると、中央の突起部分から水が吹き出した。
 なんだっけ?あー公園とかにあった給水機。
 下から上に水が出るやつ。
 これが洗面台かあ。
 あたしのいたところとは随分違うのね。
  
 洗顔フォーム……は無さそうだから、水だけ洗顔。
 なのに、幼い肌はつるっつるだわ。
「たおる、どおぞ」
 チャルマさんがタオルっていうか、手拭いを差し出してくれる。
 ええこや。
 
 面と向かえば、幼児語でも頭に入るのに、お礼も伝えられないのかと思うと、もどかしい。
 ヴィザーゴさんよ。
 折角なら双方向の通訳機をつけてくれてもよかったんじゃない?
 
 でも、ま。
 通じなくてもいいや。
 気は心よね。
「ありがとう」
 というと、
「ありやと!」
 とチャルマさん。
 
 こてんと小首を傾げて。
 あ、それはあたしの真似ですね。
 
 ううっ!なんて愛らしい。
 いとをかしだわ。

 チャルマさんとお手々繋いで、廊下を歩いていたら、つい鼻唄が出てしまって。
 チャルマさんが合わせて歌い出したのですが、歌詞が分かりません。
 パンの顔した正義の味方のリズムを刻んでいたんだけど。
 はや。
 彼には人種の壁は無いも同然のようです。

 食堂に着くと、ヴィザーゴさんは座っていて……なぜ膝をぽんぽんと叩いている。
 ……それって。
 一人で食べたいって言ったよねっ!
 とはいえ、席はヴィザーゴさんの隣なのだけどね!
 
 食卓には、丸いものが浮かんでいるスープが用意されていて、一見すると御雑煮のようだった。
 醤油とか、お味噌とかに似た香りがするけれど、何か違う。
 何が違うのかは判らないのだけど、違うことだけが判る。

 食卓に並んだ、先割れスプーンと蓮華をミックスしたような、陶器っぽいカトラリー。
 お汁を掬えて、かつ具を切ることが出来るとかって、汁物には最適では?
 
 お汁の入った、天使みたいな意匠のお鉢。
 それをヴィザーゴさんに出すって、フィリーノさんたちも負けていないのね。

「いただきます」
 って、手を合わせると、チャルマさんもやってる。
 フィリーノさんやカヴァリーロさん、フォルティオさんも同じ様に手を合わせてるところを見ると、ここにも同じような食事の挨拶があるのかしらね?
 ヴィザーゴさんたちにはなさそうですね。
 
 で、食べてみると、丸いのは餅というよりは、お団子で。
 キノコや山菜たっぷりで体によさそうだ。
 と、いうかこのお団子。
 水団というよりは、お米なのかな?

 ――米?……いやいやいや。
 フィリーノさんたちにしろ、昨日の靴屋さんにしろ、ここの人たちは日本人離れした顔をしているじゃないか。
 安直に、ここは日本かも?なんて、早計過ぎじゃないか?
 
「ねえ?ヴィザーゴさん?これは何?」
「oryza……えーと、イネ?」
 イネ?稲は食えんがな。
 でも、米なのか。
 うるち米か、もち米か。
 タイ米ってのもあるか。
 潰してあるから判んないけど。
 
「口に合わない?不味い?」
 って、作ってくれただろうフィリーノさんたちの前で、なんてこと言い出すんだっ!
 ほら、睨んでるじゃない!
「美味しいよっ!」
「僕はお肉の方がいいなあ」
「黙れ」
 悪魔の戯れ言は聞かないことにしておこう。 


 食事が終わると、フィリーノさん、カヴァリーロさん、フォルティオさん、チャルマさんは、両手のひらを上にあげたあと、合掌して、
「たまはれました」
 と、唱えて目を閉じた。
 
 賜る?なのかね?
 ごちそうさまでした、ということなのだろうか?
 合掌なのだよね、指を組むのではなくて。
 

『literalconnotation ─ なみだの魔法円から現れたのはあたしでした。』

『literalconnotation ─ なみだの魔法円から現れたのはあたしでした。』

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Negative Capability ─禍福倚伏─
  2. paradox──据え置きの船