シン『どん底先生』第十一章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)
第十一章 家の明かりが消えた夜
――塾を守ることと、家族を守ること
塾を始めて、しばらくの間は順調だった。
生徒は増えた。
三十人だった生徒が六十人になり、百人になった。
教室を広げた。
講師も雇った。
授業も増えた。
そして、家族もできた。
妻と三人の娘。
仕事を頑張れば頑張るほど、家族も幸せになる。
私は、そんなふうに思っていた。
少なくとも、そのころは。
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塾には、いろんな生徒が来た。
勉強が苦手な子もいる。
学校の成績がなかなか上がらない子もいる。
一方で、ものすごく勉強のできる子も来るようになった。
高田、東海、灘、ラ・サール。
難関高校の問題を持ってくる子もいた。
最初は英語を教えるつもりだった。
ところが、
「先生、数学も見てもらえませんか?」
と言われる。
「高校に入っても指導してもらえませんか?」
という子まで出てきた。
私は考えた。
「高校数学か……」
正直、怖かった。
自分自身が数学で苦労したことは、もう何度も書いてきた。
だからこそ、簡単には引き受けられない。
でも、生徒がそこまで言ってくる。
「分かった。やってみるわ」
そうやって、また仕事が増えていった。
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ところが、ここで一つ問題が起きた。
優秀な生徒が増える。
その生徒たちを指導するために、より高度な勉強が必要になる。
一方で、もともと通っていた成績の振るわない生徒たちもいる。
塾は、どちらを向いて授業をするのか。
簡単な問題ではなかった。
優秀な子には、もっと上を目指させたい。
でも、勉強が苦手な子を置いていくわけにもいかない。
そんな中で、ある時、優秀な生徒の保護者側から強い言葉が出た。
「あの生徒たちをやめさせないなら、私たちが塾をやめます」
私は、その言葉を聞いて考え込んだ。
塾は商売でもある。
講師に給料を払わなければならない。
建物のローンもある。
家族を養わなければならない。
理想だけでは続けられない。
私は、少しずつ苦しくなっていった。
「誰のために塾をやっているんやろう」
そんなことを考える日もあった。
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それでも、塾は大きくなった。
建物を建てた。
一億円を借りた。
父には反対された。
親の土地と建物を担保に入れ、両親にも保証人になってもらった。
私は判を押した。
あの時は、自信があったのだと思う。
「これだけやれば、きっと大丈夫や」
そう思っていた。
実際、一時期はうまくいった。
生徒は集まった。
大学にも合格していった。
講師も増えた。
私は仕事に追われながらも、
「家族のために頑張っている」
と思っていた。
ところが――
景気が変わった。
バブルが弾けた。
それまで来ていた生徒が、景気が良かったから来ていただけだったことにも気づいた。
少子化の波も重なった。
生徒数は減り始めた。
一時的な減少ではなかった。
一年。
二年。
三年。
そして、十四年間。
生徒は減り続けた。
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塾の経営が苦しくなると、家庭にも影響が出る。
講師の給料を払わなければならない。
ローンもある。
娘たちの進学費用も必要になる。
私は、貯金を崩した。
株も売った。
銀行から借りた。
最後にはカードローンにも手を出した。
朝、目が覚める。
布団の中で最初に考える。
「今日、どこから金を借りようか」
こんなことを考えて一日が始まる。
頭の中から、お金のことが消えない。
「夜逃げ」
という二文字まで浮かぶようになった。
でも、逃げるわけにはいかなかった。
生徒がいる。
講師がいる。
娘たちがいる。
だから、また次の日も教室へ行く。
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家に帰る。
でも、家庭の中でも、何かが少しずつ変わっていた。
仕事のことで頭がいっぱいになる。
金のことで頭がいっぱいになる。
塾をどうするか。
講師の給料をどうするか。
娘の教育費をどうするか。
目の前の問題を一つずつ処理しているうちに、
「家族と話す」
という時間が、いつの間にか減っていた。
夫婦の関係も冷えていった。
ある日の夜。
家に帰ると、家の中が暗かった。
そして、妻が正座していた。
その姿を見た瞬間、
「何かある」
と思った。
妻は、黙っている。
私も、何を言えばいいのか分からない。
家の中に、重たい空気が流れていた。
私は塾では、生徒に向かって話している。
問題があれば、解決方法を探す。
お金がなければ、借りる。
生徒が減れば、新しい方法を考える。
何でも「次の一手」を考えてきた。
でも、家族の問題には、そんな簡単な「次の一手」はなかった。
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その後、妻と娘たちが家を出ていった。
家の中から、人の気配がなくなった。
いつもなら聞こえる声がない。
娘たちの生活音もない。
静かだった。
私は、仕事では「前へ進まなければ」と思っていた。
でも、その時だけは、
「何をやってきたんやろう」
と思った。
塾を大きくする。
生徒を増やす。
合格者を出す。
借金を返す。
家族を養う。
全部、家族のためだと思っていた。
なのに、その家族がいなくなった。
何とも言えない気持ちだった。
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それから時間が流れた。
娘たちのうち、上の二人は後に戻ってきた。
でも、妻と末娘との関係は残った。
そして、離婚の問題も続いた。
約六年後、四日市の家庭裁判所で離婚調停が行われた。
調停では、いろいろなことが話し合われた。
しかし、法律上の離婚原因があるのかという点では、
浮気をしたわけではない。
暴力を振るったわけでもない。
生活費を払っていなかったわけでもない。
そういう事情から、私が同意しなければ離婚にはならない、という話だった。
妻には、再婚したいという思いもあった。
私は、慰謝料を払う必要もない立場だった。
それでも、夫婦はもう元には戻らなかった。
紙一枚の問題だけではない。
長い時間をかけて、二人の間にできてしまったものだった。
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私は、娘たちに悲しい思いをさせたと思っている。
塾を守ること。
生徒を守ること。
講師を守ること。
借金を返すこと。
その一つ一つに必死だった。
でも、子どもから見れば、そんな事情は関係ない。
父親が家にいない。
家にいても、仕事やお金のことで頭がいっぱい。
それだけでも、子どもには寂しいことだっただろう。
今でも、
「父親失格だったのではないか」
と思うことがある。
もっと別のやり方があったのかもしれない。
もっと家族と話せばよかった。
もっと早く、仕事と家庭を切り分ければよかった。
でも、その時の私は、それができなかった。
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不思議なことに、人間はその時には自分の間違いに気づかない。
私は、
「塾を守らなければ」
と思っていた。
それは間違いではなかった。
生徒がいる。
講師がいる。
家族がいる。
だから頑張る。
でも、何かを守ろうとするあまり、別の何かを失うことがある。
そのことを、私は後から知った。
人生は、全部を守れるほど器用ではない。
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そんな状態でも、私は塾を続けた。
英語だけではなく、中学の理科も社会も教えた。
文系だったのに、高校数学を数Ⅲまで独学した。
ホームページを自分で作った。
YouTubeを始めた。
ブログを書いた。
通信添削も始めた。
「何かできることはないか」
と考え続けた。
もう、格好なんてつけていられなかった。
生徒が一人でも増えるならやる。
塾を一日でも長く続けられるならやる。
それだけだった。
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そんなある日、長年一緒に働いてくれていた講師から電話があった。
「先生、ガンが見つかりました」
私は黙って聞いていた。
「退職させてください」
電話を切った。
そして、自分の頭に浮かんだのは――
「これで給料を払わんで済む」
という感情だった。
今思い出しても、情けない。
長年一緒に働いてきた人が病気になった。
本来なら、
「大丈夫か」
「何かできることはないか」
と考えるべきだった。
なのに、私は塾の資金繰りを考えていた。
最低や。
人として最低や。
そう思う。
でも、あの時の自分を完全に他人事として責めることもできない。
娘たちの学費がある。
講師の給料がある。
ローンがある。
塾を潰したら、多くの人に迷惑がかかる。
毎日毎日、お金のことを考えていた。
そこまで追い詰められていた。
もちろん、それで許されるわけではない。
でも、人間というのは、追い詰められると、自分でも嫌になるようなことを考えてしまう。
私は、それを自分自身で経験した。
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今振り返ると、私はずっと、
「正しい答え」
を探していたのだと思う。
いい先生になるにはどうしたらいいか。
塾を成功させるにはどうしたらいいか。
家族を幸せにするにはどうしたらいいか。
生徒を合格させるにはどうしたらいいか。
でも、人生には、数学のような唯一の正解はなかった。
塾を大きくすれば家族が幸せになるとは限らない。
お金を稼げば安心できるとも限らない。
正しいことを一生懸命やれば、すべてがうまくいくわけでもない。
私は、それを痛いほど学んだ。
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だから今、親御さんから、
「子どもをどうしたらいいでしょう?」
と聞かれると、昔とは少し違う答え方をする。
「こうすれば絶対大丈夫です」
とは言わない。
そんなことは、私には言えない。
私は、自分の家庭さえ、思うように守れなかった。
ただ、一つだけ思う。
子どもの人生を、親が全部決めることはできない。
親ができるのは、できるだけ近くで見ていること。
必要なときに手を差し出すこと。
そして、子どもが自分で歩き始めたら、少し手を離すこと。
私自身、それができていたかどうかは分からない。
だからこそ、今になって思う。
「子どもを信じる」というのは、何もしないことではない。
自分の不安を、子どもの人生にそのまま押しつけないことなのかもしれない。
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私の人生は、決して「成功した先生の物語」ではない。
塾を大きくした。
生徒を合格させた。
資格を取った。
そんな話だけなら、もっと簡単だった。
本当の人生は、その裏側にある。
家族を失った。
お金に苦しんだ。
自分でも嫌になるようなことを考えた。
それでも、翌朝になれば教室へ行った。
そして、生徒の前に立った。
「先生、これ分かりません」
そう言われれば、
「どれどれ」
と問題を見る。
自分の人生がどれだけぐちゃぐちゃでも、生徒の問題は待ってくれない。
だから、一緒に考える。
それが、私にできることだった。
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そして今、思う。
人生で本当に大切なのは、
「失敗しなかったこと」
ではないのかもしれない。
失敗したあとに、
「それでも、もう一度やってみよう」
と思えることなのかもしれない。
私は家族のことで、たくさん失敗した。
仕事でも失敗した。
経営でも失敗した。
人間としても、失敗した。
でも、その失敗をなかったことにはできない。
だから、せめて、その経験を次の誰かに渡したい。
親御さんには、
「子どもの今だけを見て、未来まで決めないでほしい」
と伝えたい。
子どもたちには、
「今うまくいかなくても、それで人生が決まったわけじゃない」
と伝えたい。
そして、自分自身には、
「もう少し、人の気持ちを考えられる人間になろう」
と、今でも言い聞かせている。
人生は、何歳になっても勉強なのだ。
教科書には載っていない。
模範解答もない。
間違える。
また間違える。
それでも、次の問題が出てくる。
だから、また鉛筆を持つ。
私は、そんなふうに生きてきた。
そして、たぶん、これからもそうなのだろう。
シン『どん底先生』第十一章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)