シン『どん底先生』第九章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)
第九章 子どもを信じるということ
――何もしないのではなく、見守るということ
塾を長くやっていると、いろいろな親御さんから相談を受ける。
「先生、うちの子、家では全然勉強しないんです」
「このままで大丈夫でしょうか」
「もっと勉強するように言ってもらえませんか」
親御さんの気持ちは分かる。
子どものことだから心配になる。
成績が下がれば不安になる。
模試の判定が悪ければ、
「このままでは大学に行けないんじゃないか」
と思ってしまう。
だから家で言う。
「勉強しなさい」
「宿題やったの?」
「スマホばっかり触ってないで、少しは勉強したら?」
親だって、怒りたいわけではない。
子どもに失敗してほしくないだけだ。
できれば、苦労してほしくない。
将来困らないようにしてやりたい。
その気持ちは、私にもあった。
私は三人の娘の父親だからだ。
ただ、長く子どもたちを見てきて思う。
子どもを信じるというのは、何もしないことではない。
そして、
親が全部やってしまうことでもない。
その間に、ものすごく難しい場所がある。
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私は教師になる前から、勉強が得意だったわけではない。
むしろ、数学には散々苦しめられた。
高校時代、数学が嫌いだった。
大学受験でも数学で大きくつまずいた。
だから、数学が苦手な生徒を見ると、私はどうしても昔の自分を思い出す。
問題集を開いても、何をしていいか分からない。
解説を読んでも、途中から分からなくなる。
周りの人間は簡単そうに解いている。
「なんで自分だけできないんだろう」
そう思う。
その気持ちは、経験した人間にしか分からない部分がある。
だから私は、数学が苦手な生徒に、
「こんな問題も分からんのか」
とは言いたくない。
そうではなく、
「どこが分からんのや?」
と聞く。
同じ「分からない」でも、理由は一人ひとり違う。
計算ができないのか。
公式を知らないのか。
問題文が読めていないのか。
何を求めればいいのか分からないのか。
そこを一つずつ探す。
私は、自分が数学で苦しんだから、それが少し分かる。
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ところが、そんな私が四十代後半になって、もう一度数学を勉強することになった。
きっかけは、生徒たちだった。
「先生、数学も教えてもらえませんか?」
そう言われた。
私は数学が得意な先生ではない。
むしろ、大嫌いだった。
だから最初は、
「俺が数学を教えるんか……」
と思った。
それでも、本屋へ行った。
そこで「オリジナル」という問題集を手に取った。
二十五歳の頃の記憶がよみがえった。
数学ができなかった自分。
問題を前にして、頭が真っ白になった自分。
手が震えるような感覚まで戻ってきた。
それでも買った。
そしてやった。
二周。
その後、「一対一対応の演習」を二周。
「チェック&リピート」を二周。
「京大の数学」を二周。
Z会の「京大即応」を八年分。
京大模試を十回。
センター試験を十回。
京大二次試験を七回。
ノートは百十冊になった。
私は数学が得意になったから続けられたのではない。
できなかったから、何度もやった。
やっているうちに、少しずつ分かるようになった。
その経験は、私の教師としての考え方を変えた。
「今できない」
と、
「これからもできない」
は、同じではない。
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これは子どもについても同じだと思う。
親から見れば、
「うちの子は勉強しない」
という一つの姿に見える。
でも、その子の中では何かが起きているかもしれない。
数学が怖いのかもしれない。
英語が分からなくなっているのかもしれない。
周りと比べて自信をなくしているのかもしれない。
あるいは、単純に疲れているだけかもしれない。
だから、
「勉強しなさい」
だけでは届かないことがある。
私は教師として、
「どこが分からんのや?」
と聞くことを大切にしてきた。
親子でも同じなのではないか。
「なんで勉強しないの?」
ではなく、
「どうした?」
と聞いてみる。
それだけで、子どもが話し始めることがある。
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ただ、私は「子どもを信じれば、何をしてもいい」と言いたいわけではない。
そこは誤解してほしくない。
子どもが困っているなら助ける。
危ない方向へ行っているなら止める。
必要なら叱る。
親として、教師として、それは当然だ。
でも、子どもの人生を親が全部決めることはできない。
私はそれを、自分自身の人生で嫌というほど経験している。
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二十六歳の時、私は名古屋の予備校を七校受けて、七校とも断られた。
仕事がない。
貯金もない。
そんな状態で、いなべの実家に戻った。
そこからアパートの一室で塾を始めた。
最初は三十人ほどだった。
それが六十人になり、百人になった。
アパートでは手狭になり、近所から苦情も来るようになった。
私は二百坪の土地に、自分の塾を建てることにした。
銀行から一億円を借りた。
両親の土地と建物を担保に入れ、両親にも連帯保証人になってもらった。
父は猛烈に反対した。
家族の中でも大きな衝突になった。
それでも私は、最後には判を押した。
今考えても、ものすごい決断だったと思う。
その後、塾は順調な時期もあった。
生徒が増えた。
大学に合格していく生徒も増えた。
資格も取った。
英検一級を取り、さらに通訳案内士、国連英検A級、ビジネス英検A級にも挑戦した。
以前は自分を採用してくれなかった予備校から、
「先生、教えてもらえませんか」
と声がかかるようにもなった。
「俺の人生、もう完璧や」
そう思った時期もあった。
ところが、人生はそんなに甘くなかった。
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生徒が減り始めた。
一年だけではない。
二年、三年と減っていった。
それでも借金は残る。
三人の娘の教育費も必要になる。
先生たちの給料も払わなければならない。
銀行への返済もある。
私はだんだん追い詰められていった。
貯金を取り崩した。
株も売った。
銀行から借りた。
カードローンにも手を出した。
朝起きると、
「今日、どこから金を借りようか」
と考える。
そんな日まで来た。
「夜逃げ」という言葉が頭をよぎったこともある。
教師をやっている人間が、何をしているんだ。
そう思った。
でも、現実には、生徒がいる。
先生たちがいる。
娘たちの学費がある。
逃げるわけにはいかなかった。
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ある日、長く働いてくれていた先生から電話があった。
「ガンが見つかりました。退職させてください」
私は電話を切ったあと、自分の心の中に浮かんだ最初の言葉に愕然とした。
「これで給料を払わんで済む……」
そう思ってしまったのだ。
すぐに、
「俺はなんて人間なんだ」
と思った。
先生が病気になったというのに、自分は経営のことを考えている。
最低だと思った。
でも、それほど追い詰められていた。
人間は、本当に追い詰められると、きれいなことだけでは生きられない。
私はその時、自分の弱さを知った。
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そんな人生だったからこそ、私は子どもに対して、
「こうしなさい」
と簡単には言えなくなった。
人生は、思った通りにはならない。
失敗する。
間違える。
遠回りする。
一度決めた道をやめることもある。
私自身がそうだった。
そして、その失敗の中から、あとになって別の道が見えてきた。
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五十代になってから、私は京大を受験した。
生徒から聞かれたからだ。
「先生、英検一級を取るのと、京大英語で八割取るのと、どっちが難しいんですか?」
私は答えられなかった。
「分からん」
それが正直な答えだった。
だから、
「よっしゃ。俺が受けたるわ」
となった。
そして、本当に受けた。
京大模試も受けた。
本番も受けた。
数学も英語も受けた。
結果は、英語八割、数学七割。
その時、ある若い生徒が言った。
「その歳でチャレンジする姿、僕、尊敬します!」
私はうれしかった。
教師だから偉いのではない。
年齢が上だから偉いのでもない。
分からないことを、自分で確かめに行った。
その姿を、生徒が見てくれた。
それだけで十分だった。
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私は、自分の人生を振り返ると、
「もっと早く、こうしておけばよかった」
と思うことがたくさんある。
でも、二十六歳の自分に戻りたいかと聞かれたら、少し迷う。
あの頃は、何もなかった。
仕事もなかった。
お金もなかった。
先のことも分からなかった。
それでも、アパートの一室で塾を始めた。
もし誰かが、
「お前には無理や」
と言っていたら、私はどうしていただろう。
たぶん、もっと苦しんだと思う。
でも、結局は自分でやってみるしかなかった。
人生には、そういう時がある。
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だから、親御さんに伝えたい。
子どもの今だけを見て、未来まで決めないでほしい。
今、成績が悪い。
今、勉強しない。
今、やる気がない。
それだけで、
「この子は駄目だ」
と決めないでほしい。
私自身、二十五歳の頃には数学が大嫌いだった。
それが五十代になって京大数学を受けた。
人生なんて、そんなものだ。
人は変わる。
子どもも変わる。
大人も変わる。
だから、今できないことを見て、
「この子は一生できない」
とは思わないでほしい。
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もちろん、心配していい。
口を出していい。
叱ってもいい。
親だから、それは当然だ。
ただ、最後には子ども自身に歩かせてほしい。
転びそうになったら、手を出せる場所にいる。
転んだら、
「大丈夫か?」
と聞く。
立ち上がったら、
「じゃあ、行ってみ」
と言う。
それでいいのではないか。
親が子どもの人生を代わりに生きることはできない。
教師にもできない。
だから私は、
子どもを信じるということは、子どもに任せることではなく、子どもが自分で歩けるように、そばにいることだ
と思っている。
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私はこれまで、たくさんの生徒を見送ってきた。
大学に合格して、
「先生、ありがとうございました」
と言って塾を出ていく。
その背中を見ながら、
「もう俺が教えることはないな」
と思う瞬間がある。
少し寂しい。
でも、それでいい。
ずっと私のところにいてもらっては困る。
生徒には、生徒の人生がある。
親にも、親の人生がある。
教師にも、教師の人生がある。
だから最後は、それぞれが自分の道を歩けばいい。
私は少し後ろから、
「おう。頑張れよ」
と言って見送る。
それが教師という仕事なのかもしれない。
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私は今でも、「分からない」と思うことがある。
そんな時は、自分で調べる。
必要なら、実際にやってみる。
数学が分からなければ勉強する。
英語が分からなければ、自分で試す。
京大英語がどのくらい難しいのか分からなければ、受けてみる。
そして、今度はAIの時代になった。
生徒が、
「先生には、ちょっと聞きにくいんです」
と言う。
それなら、先生に言えないことを気楽に聞ける場所を作ればいい。
そう考えて、私はAIアプリを作ろうと思った。
人間の先生にはできない役割がある。
AIにもできない役割がある。
だから、どちらか一方ではなく、両方あればいい。
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子どもを信じる。
言葉にすると簡単だ。
でも、実際には難しい。
心配だから口を出したくなる。
失敗させたくないから先回りしたくなる。
自分が苦労したからこそ、子どもには苦労させたくないと思う。
でも、私の人生を振り返ると、
失敗したこと。
断られたこと。
恥をかいたこと。
遠回りしたこと。
その全部が、今の自分につながっている。
だから、子どもの失敗を全部取り除いてしまうのも、少し違うのではないかと思う。
転んでもいい。
間違えてもいい。
遠回りしてもいい。
その時に、
「大丈夫。もう一回やってみ」
と言ってくれる人がいればいい。
私が生徒にしてきたかったのは、たぶん、それだった。
そして親として、娘たちにも本当は、そうしてやりたかった。
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子どもを信じるということは、
遠くから眺めていることではない。
何もしないことでもない。
子どもの横にいることだ。
困った時には手を出す。
でも、全部はやらない。
転んだら起こす。
でも、ずっと抱えて歩かない。
最後には、
「自分で行ってみ」
と送り出す。
私自身が、そうやって何度も人生を歩いてきた。
失敗しても、また歩いた。
分からなくても、調べた。
怖くても、受けてみた。
だから今、子どもたちにも言いたい。
そして親御さんにも言いたい。
焦らんでもええ。
今の姿だけで、未来を決めんでもええ。
人間は、いつからでも変われる。
私がそうだったように。
そして教師として最後にできることは、
「大丈夫や」
と背中を押すことではなく、
その子が自分で歩き出すまで、
ちゃんとそこにいることなのだと思う。
シン『どん底先生』第九章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)