アーティスト・トーク 西本裕矢

アーティスト・トーク 西本裕矢

 去る8月18日、埼玉会館創立100周年を記念し開催された、「アーティスト・トーク 彩の国から世界へ、未来へ羽ばたく ピアニスト西本裕矢」と題した、ピアニスト・西本裕矢さんの演奏会へ出かけた。

 西本さんの存在を知ったのは昨年のことだっただろうか。はっきりと覚えていないが、インスタグラムを見ていた時、西本さんがどんなピアニストになりたいかを語るリール動画が流れて来たのをたまたま目にしたのが最初であったと記憶している。
 コンクール荒らしではないが、様々なピアノコンクールにエントリーし高い評価を得てきた西本さんだが、その中でもとりわけ2025年、エピナル国際ピアノコンクールにおいては満場一致で、26年振りに日本人ピアニストとして第1位を獲得した。ちなみに日本人男性ピアニストとしては同コンクールでは初の快挙であり、同時に現代音楽賞も獲得している。広島交響楽団をはじめとする多数のオーケストラと共演を重ねる傍ら、2025年には日本、韓国、ポーランドをめぐる全14公演のショパンリサイタルツアーを完遂。現在はポーランドに留学中で、音楽の勉強を続けながら演奏活動を展開している、今最も注目を集める若手ピアニストの一人である。

 今回の演奏会はそのプログラムのタイトル通り、埼玉会館が創立100周年を記念した事業の一つとして、公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団主催による西本さん出演のおしゃべりと演奏の会である。夏休み期間中の開催ということもあり、取り分け小さな子供連れの家族を対象とした会であるかと思って出かけたが、西本さんのファンである大人の聴衆も多かった。
 ここで何も知らない私が不思議に思ったことの一つに、どうして香川県出身の西本さんが、埼玉県の記念行事に出演したのかということであるが、西本さんは学生時代は埼玉に暮らし、ピアノの練習をするにあたり埼玉会館のリハーサル室を利用していたという。9年前には同会館でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をオーケストラと協演している、埼玉県にゆかりのあるピアニストなのである。

 この日のプログラムはショパンのポロネーズから「英雄」、マズルカとワルツがそれぞれ2曲。シューマンの「クライスレリアーナ」から5曲。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」という充実したプログラムの間に、「ピアニストになるまで〜ショパン、ポーランドのお話」「世界で学んだこと、そして未来へ」と題したトークコーナーが前半と後半にそれぞれ設けられていた。

 盛大な拍手に迎えられた西本さんは黒いスーツに身を包み、足元にはピアノシューズ専門店で作られたと思われるエナメルの靴がピカピカと光っていた。笑顔で客席を見渡しピアノの前に着席すると、ショパンの「マズルカ ト長調 作品50-1」を奏で出した。西本さんのピアノは立ち上がりがふわっとしていて非常に音が柔らかい。特にショパンによる長調の作品は、陽だまりの中で目を閉じて聴いているような音色とでもいおうか。雲一つない秋晴れというよりは、どちらかと言うと小春日和である。
 この日演奏したショパンの作品の中で唯一の短調である、「ワルツ第10番 ロ短調 作品69-2」で聴かせた演奏は、センチメンタルな旋律の中にも甘美な優雅さを感じさせた。かつて私自身もこの曲を好んで弾いていたこともあり、酷く懐かしかった。弾いていた当時はショパンのワルツの中でも取り分け地味で派手さがなく、弾いている時は平坦な途を歩きながら自己を省みるような、非常に内省的な淡々とした曲で、何とも解釈が難しかったことをおぼえているが、西本さんの演奏を聴きながらそんな日々を懐かしく思い出した。

 トークコーナーでは、その愛らしい面立ちとユニークなキャラクターで子供達の心を瞬時に掴み、会場を一気に和ませた。誠実さを感じさせる話し方と、インタビュアーの質問には慎重に言葉を選びながらの無駄のない話ぶりで、元々とても頭がよく育ちが良い人なのだろう。穏やかな人柄そのままに、常日頃から言葉遣いが丁寧なこともあり、幼い子供には良いお手本であるから是非とも見習ってほしいと感じた。きちんとメモを取っていれば良かったのだが、記事にはせず、私の夏の一つの思い出として心にしまっておこうと思いメモを取らなかったせいで、せっかくの西本さんの人と成りを知ったにも関わらず正確に書き記せることは殆どないのが残念だが、そのわずかばかりのことを書き記しておこうと思う。

 作曲家たちを「先生」と呼ぶ西本さんは、菓子の中でも饅頭が好物であり、休日の好きな過ごし方として自然の中に身を置くことや、映画鑑賞を挙げた。特に映画鑑賞では作曲家たちの生涯を描いた伝記映画を好んで観ているという。最近の作品を観ることが殆どの西本さんだが、いつか機会があったら1930年代に製作され近年まで中々観ることの出来なかった幻の映画、ショパンの「別れの曲」や、シューベルトの「未完成交響楽」もご覧になっていただきたいと思った。
 現在はポーランドに留学中であるが、ポーランドは自然が豊かであることや、それが影響しているのかそこに暮らす人々も皆心根のいい人ばかりであるという。
現在暮らしている家にはピアノがなく、練習するにはピアノのある場所まで出向き練習するため、1日4時間くらいしか練習が出来ないという。
たくさんの音楽コンクールにエントリーして来たが、中でも印象的だったコンクールは前述したエピナル国際ピアノコンクールであると語った。
その他、小学生時代はプールの授業や水泳が嫌いだったとか、ピアニストになると固く決意したのは高校時代だったとか、演奏会で何カ国訪れたか(確か9カ国だった)等、私の記憶違いでなければそのようなことを話していたと記憶しているが、定かでないことはこれ以上書くまい。
話の最後に、特に子供たちには好きなことを早い段階で見つけて一生懸命勉強し、努力することの大切さと、自分の好きなことを職業に出来ることの素晴らしさを説いた。

 質問コーナーではたくさんの質問の中、嬉しいことに私の質問もあった。
「ショパンやベートーヴェン、その他の作曲家やその作品を色で例えるとしたら何色になるか」
という質問だったのだが、この質問にはいささか話が横道に逸れ、具体的にその色を教えてもらえなかったことが残念だったが、それはまた別の機会に聞きたいと思う。ちなみに、私がイメージする色は直覚的にショパンはセピアやモノクロ、ベートーヴェンは灰色や紅と言いたいところだが銀鼠、フォーレは明るい空色である。

 解釈の難しいシューマンの「クライスレリアーナ」を弾き終えた後、残りの気力体力を余すことなく注ぎ込むかのようにラヴェルの「ラ・ヴァルス」を演奏。額から吹き出る汗をものともせぬ熱演にブラボーの声が会場に響き、雷鳴の拍手の中アンコールに応えて奏で出したのは9年前、この埼玉会館でオーケストラと協演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、ピアノ版に編曲した第1楽章である。思い出深い会場と楽曲であったことも手伝って、どうしてもこの曲を弾かずにはいられなかったのだろうか。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を弾いた直後のアンコールで弾くには集中力とパワーが必要な曲であったと思うが、聴衆には贅沢なアンコール曲であった。

 私のような大人はたかが知れているが、この日の西本さんの演奏を耳にした未来ある幼い子供達が大人になった時、この日のことが将来何者かになるきっかけになったらどんなに素敵なことであろうか。たとえ何者にならなくても大切な夏の思い出となって、西本さんのピアノの音色と共に振り返る時があったら、西本さんにとってそれはどんなに嬉しいことであろう。子供の成長過程の5年や10年はあっという間であるが、西本さんは現在24歳。若さ漲る勢いのある力強い演奏はそれはそれで大変素敵であるが、それは同時に今しかない限りあるものである。年齢という、ひたすら生きることでしか超えることの出来ない壁を越え、そうすることでしか手に入れることの出来ない様々な経験を積んで、今以上に魅力あふれるピアニスト・西本裕矢になることを大いに期待したい。

アーティスト・トーク 西本裕矢

2026年9月13日 書き下ろし「note」掲載

アーティスト・トーク 西本裕矢

8月18日に埼玉会館創立100周年を記念して開催された、ピアニスト・西本裕矢さんのアーティスト・トークについて。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-13

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