シン『どん底先生』第八章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)

第八章 先生よりAIのほうが気楽
――「分からない」を言える場所をつくる
「先生には、ちょっと聞きにくいんです」
あるとき、生徒からそんなことを言われた。
「何が?」
「英作文です」
「なんでや?」
生徒は少し考えてから言った。
「自分の書いた英語が、あまりに下手やから……」
私は、一瞬、言葉が出なかった。
英作文を見せることくらい、何でもないことだと思っていた。
間違っていたら直せばいい。
分からなかったら説明すればいい。
それが教師の仕事だ。
だから、
「そんなこと気にせんでええやん」
と言おうとした。
ところが、生徒は続けた。
「先生に見せたら、こんなことも分からんのかって思われそうで……」
そこで私は、黙った。
そうか。
生徒にとっては、そういうことなのか。
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私は長いこと教師をやってきた。
生徒が質問を持ってくるのは、むしろ嬉しかった。
「先生、これ分からん」
そう言われれば、
「どこや?」
と聞けばいい。
一緒に考えればいい。
間違っていたら直せばいい。
ところが、生徒の側からすると、
「分からないものを先生に見せる」
ということ自体が、勇気のいることだった。
特に英作文はそうだ。
自分の頭の中で、
「これを英語にしたい」
と思って書く。
でも、できあがった英文を見ると、
「こんなんでええんかな」
と不安になる。
そして先生のところへ持っていく。
先生が赤ペンを持っている。
自分の文章に、赤い線が入っていく。
一つ。
二つ。
三つ。
「ここ、違うな」
「これはこうしたほうがいい」
先生に悪気はない。
むしろ、一生懸命教えている。
でも、生徒からすれば、
「自分の頭の中を採点されている」
ように感じることもある。
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その生徒は言った。
「AIなら、気楽なんです」
私は、
「AIなら?」
と聞き返した。
「何回聞いても怒らないし」
「うん」
「同じことを聞いても、嫌な顔しないし」
「なるほどな」
「それに、変な英語を書いても恥ずかしくない」
私は、その言葉を聞いて、しばらく考えた。
そして、妙に納得した。
「そうか……」
私は教師だ。
だから、生徒が私を怖がっているとは考えたことがなかった。
でも、生徒から見れば、私は先生だ。
先生には評価される。
先生には、
「できる子」
「できない子」
と思われる。
だから、できないところを見せたくない。
それならAIのほうが気楽。
これは、かなり大事なことではないか。
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その日のことは、頭に残った。
帰ってからも考えた。
「AIのほうが気楽か……」
何度もその言葉を思い出した。
私は長年、塾で生徒を教えてきた。
生徒に質問してもらうことの大切さも分かっている。
ところが、
「質問しなさい」
と言うだけでは、質問できない子もいる。
「分からないことがあったら聞きなさい」
と言われても、
「何が分からないのか分からない」
という子もいる。
「こんなこと聞いたら笑われるかな」
と思って、黙ってしまう子もいる。
だったら――。
私は、そこで考えた。
「最高に気楽な先生」を作ったらええんちゃうか。
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もちろん、私は最初からコンピューターのことを何でも知っていたわけではない。
むしろ、分からないことだらけだ。
でも、私はこれまでにも、何度も同じことをしてきた。
数学が分からなかった。
だから、勉強した。
京大数学がどのくらい難しいのか分からなかった。
だから、自分で受けた。
英語が本当に通用するのか分からなかった。
だから、自分で確かめた。
だったら、AIを使った教育がどこまでできるのか分からないなら――。
これも、自分でやってみればいい。
そう思った。
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私は、紙に書き出すような気持ちで、頭の中を整理した。
まず、生徒が英作文を書く。
間違っていてもいい。
むしろ、間違っているほうがいい。
間違いがなければ、直すところもない。
だから、
「間違っても大丈夫」
という場所にしたい。
次に、生徒が、
「ここ、どうしてダメなん?」
と聞く。
すると、
「ここが間違いです」
だけではなく、
「なぜ間違えたのか」
まで説明する。
さらに、
「もっと簡単な英語にして」
と言ったら、簡単にする。
「高校生らしい表現にして」
と言ったら、そうする。
「この日本語を英語にしたい」
と言ったら、一緒に考える。
何回でも聞ける。
何回でもやり直せる。
そして、何より、
怒られない。
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私は、そこで笑った。
「これ、結構ええんちゃうか」
教師を何十年もやってきた自分が、
「先生より気楽な先生」
を作ろうとしている。
何ともおかしな話だ。
でも、私は本気だった。
生徒にとって、
「分からない」
と言える場所が一つ増える。
それだけでも意味がある。
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私は昔、数学ができなかった。
問題を見ても、
「何をしたらええんや?」
という状態だった。
そんなとき、
「こんな問題も分からんのか」
という顔をされるのが怖かった。
だから、聞けない。
聞けないから、分からない。
分からないから、ますます嫌になる。
私は、その悪循環を自分自身が経験している。
だからこそ、
「恥ずかしくなく質問できる場所」
を作りたいと思った。
それがAIでもいい。
先生でもいい。
友達でもいい。
大切なのは、
「分からない」と言った瞬間に、前へ進めることだ。
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私は思った。
先生の仕事がなくなるのではない。
むしろ、先生の仕事は変わっていくのかもしれない。
AIにできることは、AIにやらせればいい。
何度同じ質問をされても怒らない。
何回でも説明する。
文章を直す。
例を出す。
問題を作る。
そういうことはAIに任せればいい。
その代わり、人間の先生は、生徒の顔を見る。
「今日は元気ないな」
「最近、質問が減ったな」
「前より目が死んどるな」
そんな変化に気づく。
そして、
「お前、何かあったんか?」
と声をかける。
AIと人間が競争する必要はない。
得意なところを、それぞれがやればいい。
私はそう考えるようになった。
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だから私は、アプリを作ろうと思った。
立派なものを作りたいわけではない。
最新技術を見せたいわけでもない。
生徒が、
「先生には聞きにくいけど、これなら聞ける」
と思えるもの。
夜中でも、
「これ、どういう意味?」
と聞けるもの。
何度間違えても、
「もう一回やってみよう」
と言ってくれるもの。
そして最後には、
「分かった!」
と言えるもの。
そんな場所を作りたい。
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私は、また新しいことを始めようとしていた。
思えば、いつもそうだった。
二十六歳で塾を始めたときもそうだった。
五十代で京大を受験したときもそうだった。
そして今度は、AIアプリだ。
「もう年やから」
と言われるかもしれない。
「今さら無理やろ」
と言われるかもしれない。
でも、私はもう、その言葉には慣れている。
二十六歳のときも、
「そんな塾、無理や」
と思われた。
五十代で京大を受けたときも、
「何でそんなことするんや」
と思われた。
それでも、やってきた。
だから今回も同じだ。
分からない。
だから調べる。
できない。
だからやってみる。
失敗した。
なら、直す。
それでいい。
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私は、生徒たちに言いたい。
「分からんことがあったら、何でもええから聞け」
先生に聞いてもいい。
友達に聞いてもいい。
本で調べてもいい。
インターネットで調べてもいい。
AIに聞いてもいい。
大事なのは、
分からないまま、黙ってしまわないこと。
そして、
「自分は頭が悪いから分からない」
と決めつけないこと。
私だって、昔は数学が大嫌いだった。
その私が、京大数学を七割まで勉強できた。
だから、今できないことと、一生できないことは違う。
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アプリを作る。
そう決めたとき、私は少しだけ昔の自分に戻ったような気がした。
何も分からない。
でも、やってみたい。
怖い。
でも、やってみたい。
うまくいくかどうか分からない。
でも、やってみたい。
この感覚は、二十六歳のころと同じだった。
あのときも、
「自分で塾をやるしかない」
と思った。
今度も、
「自分で作るしかない」
と思った。
結局、私は何歳になっても同じなのだ。
分からないことがある。
すると、じっとしていられない。
「よっしゃ。やってみるか」
となる。
そしてまた、新しいページを開く。

シン『どん底先生』第八章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)

シン『どん底先生』第八章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-13

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