シン『どん底先生』第六章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)
第六章 「どうせ無理」と言ったあの子へ
――続・自分で確かめる
私は、もともと数学ができる人間ではなかった。
むしろ、その反対だった。
高校時代、数学が嫌いで嫌いで仕方がなかった。
大学受験では、数学で完全に打ちのめされた。
一九七四年の入試の日のことは、今でも忘れられない。
問題を見ても、何を聞かれているのか分からない。
鉛筆を持っているのに、手が動かない。
周りでは、みんなが問題を解いている。
私はただ、問題用紙を見つめていた。
「もう、あかん……」
頭の中が真っ白になった。
その後、体調を崩した。
病院では神経衰弱、神経症のようなことを言われた。
それほどまでに、私は数学に苦しめられた。
ところが、人生というのは分からない。
そんな私が、後に数学を教えるようになった。
しかも、教えているうちに、数学の質問を受けることが増えていった。
「先生、これ教えてもらえませんか?」
最初は、私のほうが戸惑った。
「俺に聞くんか?」
そう思った。
でも、生徒たちは本気だった。
特に、成績のいい生徒たちは遠慮がなかった。
難しい問題を持ってきて、
「先生、これどうしてこうなるん?」
と聞いてくる。
私は、そのたびに考えた。
分からない。
そういうことも、当然あった。
でも、そこで終わるわけにはいかなかった。
「ちょっと待ってな」
そう言って調べる。
自分で解いてみる。
もう一度考える。
そして、生徒のところへ戻る。
「こういうことや」
説明する。
すると、生徒が、
「ああ、そういうことか!」
と言う。
その瞬間が、私は好きだった。
教えるということは、最初から全部知っていることではない。
分からないところを一緒に探していくことなのだ。
そんなことを、私は生徒たちから教えてもらった。
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ある日、私は本屋で一冊の数学の参考書を手に取った。
『オリジナル』だった。
その本を手にした瞬間、妙な感覚になった。
高校時代、数学が嫌いで仕方なかった自分。
大学受験で数学に打ちのめされた自分。
その自分が、今度はこの本をやろうとしている。
「ほんまに、俺がこれやるんか……」
少し笑ってしまった。
でも、やった。
一回ではない。
二周した。
さらに、
『一対一対応の演習』
も二周した。
『チェック&リピート』
も二周した。
そして、
『京大の数学』
も二周した。
さらにZ会の「京大即応」を八年分。
京大模試を十回。
センター試験を十回。
京大二次試験を七回。
気がつけば、ノートは一一〇冊になっていた。
一冊、一冊と積み上がっていった。
最初のころは、問題を見ただけで嫌な汗が出た。
昔の記憶がよみがえる。
「また分からんのとちゃうか」
そう思う。
でも、少しずつ変わっていった。
一問解ける。
また一問解ける。
間違える。
解説を見る。
もう一度やる。
また間違える。
またやる。
それを繰り返しているうちに、ある日気づいた。
「あれ?」
数学を見ても、怖くない。
むしろ、
「この問題、どこで引っかけてくるんやろ」
と思うようになっていた。
数学アレルギーが、消えていた。
そして私は、高校数学Ⅲまで自分で勉強した。
昔の私を知っている人が見たら、きっと笑うだろう。
「お前が数学Ⅲをやっとるんか?」
私自身が一番笑っていた。
人生、何が起こるか分からない。
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でも、今になって思う。
私が数学を教える上で、一番役に立ったのは、数学が得意だったことではない。
むしろ、できなかったことだ。
私は、どこでつまずくのかを知っている。
「ここが分からんのやろ?」
と、生徒に言える。
「この式、いきなりこう変形されたら、何でそうなるんやと思うやろ?」
そう言える。
自分が実際に苦しんだからだ。
できる人には見えない段差が、できなかった人には見える。
だから私は、生徒の質問を大切にするようになった。
質問は、間違いではない。
質問こそが、学びの入口なのだ。
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ある日、生徒から聞かれた。
「先生も、昔は数学できなかったん?」
私は笑って答えた。
「できへんかったどころか、大嫌いやった」
生徒は驚いた顔をした。
「えっ、ほんまに?」
「ほんまや」
「じゃあ、どうやってできるようになったん?」
私は少し考えてから言った。
「やっただけや」
生徒は笑った。
「それだけ?」
「それだけや」
もちろん、本当にそれだけではない。
教材を選んだ。
順番を考えた。
何度も繰り返した。
間違えた。
またやった。
それを何年も続けた。
でも、結局はそこに戻ってくる。
やったか。
やらなかったか。
続けたか。
途中でやめたか。
私は、数学が苦手な生徒を見ると、自分の昔を思い出す。
だから、
「お前には無理や」
とは言いたくない。
少なくとも、簡単には言えない。
だって、昔の私自身が、誰かからそう言われていたら、今の私は存在していないからだ。
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そして、もう一つ。
私には、どうしても気になることがあった。
英語だった。
私は英語を教えてきた。
英語教師でもある。
英検一級も取った。
しかし、生徒から、こんな質問が飛んできた。
「先生、英検一級を取るのと、京大英語で八割取るのと、どっちが難しいんですか?」
私は答えられなかった。
これは困った。
教える立場としては、答えたい。
でも、本当に自分でやったことがない。
それなのに、
「こっちのほうが難しい」
と言うのは、どうも気持ちが悪い。
私は考えた。
そして、いつものように思った。
「分からんのやったら、自分でやってみるか」
そして、
「よっしゃ。俺が受けたるわ」
となった。
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私は五十代になってから、京大の模試を受けるようになった。
そして、実際に京大の入試も受けた。
若い受験生たちの中に、一人だけ明らかに年齢の違う人間が混じっている。
当然、目立つ。
あるときは、付き添いの親だと思われた。
ホテルでも、
「お父さん……」
と言われた。
私は受験生なのだが。
受験会場でも、いろいろあった。
四日市高校に三十年前の調査書をお願いすると、
「そんな昔のものはありません」
という話になる。
そこで京都大学に問い合わせた。
すると、卒業証明書でいいという。
今度は共通テストの会場になった三重大学で、
「受験生以外は立ち入り禁止です! 出てください!」
と言われた。
「いや、私、受験生です」
と言っても、向こうからしたら、どう見ても受験生には見えない。
ホテルから試験会場へ向かうバスでも、
「お父さん、このバスは保護者はご遠慮……」
と言われた。
「いやいや、保護者ちゃいます。受験生です」
こんなことばかりだった。
一回の受験には、交通費や宿泊費、受験料などを含めて、約七万円かかった。
それを七回。
ざっと五十万円。
普通に考えたら、
「そこまでして何になるん?」
と言われても仕方がない。
でも、私には意味があった。
生徒に言うためではない。
自分自身が知りたかった。
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結果が出た。
京大英語。
八割取れた。
数学。
七割取れた。
もちろん、これだけで何かを証明したとは思っていない。
私一人の結果だ。
統計でもない。
学問的な実験でもない。
ただ、私自身が、
「先生、それ、本当にできるんですか?」
と聞かれたとき、
「俺はこうやった」
と言えるようになった。
それだけでも、私にとっては大きかった。
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さらに私は、英語についても自分で確かめてみた。
七年間かけて、いろいろなタイプの英語に触れた。
昔の入試英語。
資格試験型の英語。
実際にアメリカで生活して使う英語。
それぞれを自分なりに比較してみた。
昔の入試英語では、およそ六六%。
資格試験型では、およそ七六%。
生活の中で使われる、比較的シンプルなアメリカ英語では、およそ七九%。
これも、もちろん私一人のデータだ。
だから、
「これが英語教育の絶対的な答えだ」
などと言うつもりはない。
ただ、私自身には大きな発見だった。
難しい単語をたくさん知っていること。
複雑な構文を読めること。
それだけが英語ではない。
自分の言葉で、
「これを伝えたい」
と一生懸命話す。
相手に伝わらなければ、もう一度言う。
違う言い方をしてみる。
身振り手振りも使う。
そうやって人と人がつながっていく。
その「生の英語」に、私は強さを感じた。
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私は、教える立場になって長い。
だからこそ、最近ますます思う。
先生だからといって、何でも知っている必要はない。
知らないことは、知らない。
分からないことは、分からない。
でも、
「分からんから、調べてみよう」
「できるかどうか、自分でやってみよう」
と言える先生でありたい。
生徒から質問されたとき、
「そんなの無理や」
と言うのは簡単だ。
「そんなことやっても意味ない」
と言うのも簡単だ。
でも、もし本当に分からないのなら、一度自分でやってみればいい。
やってみて初めて分かることがある。
失敗して初めて分かることもある。
恥をかいて初めて分かることもある。
五十代で京大を受験した私が、まさにそうだった。
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昔の私は、数学が嫌いだった。
受験で失敗した。
体調まで崩した。
そんな人間が、何十年もたって数学を勉強し直し、数学を教え、京大数学を七回も受験した。
考えてみれば、ずいぶん遠回りをした。
でも、その遠回りがあったからこそ、生徒に言えることがある。
「分からんでもええ」
「最初からできんでもええ」
「ただ、そこで自分の人生を決めつけるな」
ということだ。
できない。
苦手だ。
向いていない。
才能がない。
そう思うことはある。
私だって、何度もそう思った。
でも、
「今できない」
ことと、
「一生できない」
ことは違う。
ここを、私は生徒たちに伝えたい。
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教えるというのは、答えを知っていることではない。
分からないことを、分からないままにしないこと。
そして時には、
「よっしゃ。俺が受けたるわ」
と、自分が先に飛び込んでみることなのだと思う。
もし、今、
「どうせ無理や」
と思っている人がいるなら。
私は、その人に言いたい。
まだ、分からんやないか。
やってみる前から、自分の人生の答えを決めなくてもええ。
一回失敗してもええ。
十回失敗してもええ。
五十歳になってからでもええ。
六十歳になってからでもええ。
遅すぎる、なんてことはない。
人生は、思っているよりずっと長い。
そして、思っているよりずっと、何が起こるか分からない。
私が、その証拠や。
シン『どん底先生』第六章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)