崖っぷちでつぶやく

 ずっと思考を続けていれば、いつか視界がぱっと開けるときがくるのかもしれない。誰も開いたことのなかったドアを開けることができるのかもしれない。そんなものはないのかもしれないが、そういう可能性に期待をかけるのは勝手だろう。新しい世界に入ることができるのではないか。これまでの悩みや苦しみを一望に眺めることができるような世界があるのではないか。いつか、そういうものをつかめるのではないかと信じて、今まで文章を書いてきたところはあるのかもしれない。こんなことは遊戯だと言えば、その通りだ。そんな無駄な思考に自分の精神力を費やすより、もっと仕事に関することをがんばれよ、何か役に立つことを勉強しろよ、と言われればその通りだ。もう疲れてしまったから、せめて自分の精神世界内で一発逆転させてくれと思っているだけだ。くだらない妄想に精を出して人生を棒に振ったとしても、俺の勝手だろう。いつまで、そんな甘ったれたことを言っているのだ。そういう思いもある。だから、就職につながることを何かがんばろうと思う。

 仕事が無駄だとは思っていない。自分の思考のあり方は、明らかに一社目で研究職で働いていた頃の経験が色濃く見られていると思う。というより、あの会社での労働経験こそが自分の文章の骨格だと言ってもいいのかもしれない。あまり認めたくないが、そういう気がする。だが、仕事はしんどい。もうやりたくないことを無理にがんばりたくない。しかし、そういう状況に立たされないと、人は変われない。満たされた状態にいると、想像力も思考力も感受性も感情も鈍ってくる。自己の心身が調和した状態で思考しても、あまり遠くにいけない気がする。とはいえ、やはり苦痛の状況に身を置くのはいやだ。もう楽な方へ流れたい。疲れた。

 やっぱり人間は近代に入ってから何か新しい段階に入ったのだろうか。人間なんてひとまとめに扱う考え方が、最近できはじめたものにすぎないのだけれど。科学の定義って何なのか知りたいという願望があったのだが、実は科学のはっきりとした定義はどうもないらしい。それでいて、科学が云々という議論はずっと盛んに行われている。よくわからない話だ。人間はまだ自ら生み出した科学を相対化するほどの視点を持っていないということになりそうだ。それができないといつまでも近代は終わらないのかもしれない。なにか異常に疲れていて何もやりたくない。ずっと家で寝ていたい。これではいけないと思っているが、どうすればいいのかわからない。身体がよくないのかもしれない。真夏なのに深夜寝ているときに急に寒くなる。死ぬのはいやだな。

 まだ誰も開けていない扉があるのかもしれない。科学を超克する学問が開かれるときがくるのかもしれない。勝手な妄想を抱くのは自由だろう。

崖っぷちでつぶやく

崖っぷちでつぶやく

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted