映画『私はあなたを知らない、』レビュー


 話の基本はサスペンスです。緩和ケアに入院する祖母から遺言のように託された母の死の真相。自分が亡くなった後、西山夕平という人物を憎む権利を持っているのはあなただけという言葉に突き動かされ、記憶にない「その人」のことを調べ出す朝子は一つの大きな謎にぶつかります。母の紗月を被害者とする殺人の罪で逮捕され、起訴された夕平は罪状を争わなかったものの、その殺意だけは決して口にしませんでした。ない、と一言口にすれば傷害致死罪で刑も軽くなる可能性が十分あったにも関わらず約13年間、黙秘を貫き、模範囚として罪を償おうとしていました。
 記事によれば、夕平と一緒に過ごしたのは朝子が5歳の時。たった6ヶ月間だけ家族のように暮らしていました。縁があるようでないような男は、しかしながら母を死亡させた張本人です。金輪際、関わりを持たずに憎み続ける。そういう選択をしても不思議じゃないのに朝子は夕平が収容されている刑事施設に通い、彼との面会を繰り返します。ここに認められる異常は、けれど天涯孤独の身となった朝子の現状を思うと首肯せざるを得ません。
 「自分の娘のように思っていた」
 事件を報じる新聞記事に載っていたこの一文が本当なら、夕平は彼女にとって大切な人になってしまう。けれど…と覚える躊躇いを振り払うためにも殺意の有無を解き明かしたい。朝子が抱えるこの愛憎半ばに揺れ動く感情の行方が本作における最大のポイントです。そこにあるドラマを、夕平の人物像がとことん盛り上げていきます。 




 西山夕平は優しい人間である。これは間違いのない事実です。朝子に向ける愛情も純度の高い形で表現される。それを「異常だ」と感じてしまうのは、現実生活を送る上で必要な一線を彼が軽々と踏み越えてしまうから。紗月との仲がこじれる原因もここにありました。一人娘を育てるために人生設計を考え続けていた彼女は、現実的な問題と朝子への愛情の妥協を図れる人です。夕平はその逆で、現実を犠牲にしてでも朝子への愛情を注ごうとする。
 子を想うことを理想に掲げれば、夕平の在り方は正しい。そんな彼と向き合おうとする朝子は昔も、今も幸せな人生を送れる。そう信じられる輝きが二人の間から強く発せられます。夕平の刑事事件で弁護人を務めた町村さんの家族関係を横目に入れると、その光は一層眩く思えてくる。それがとても危うくて、麻薬のような中毒性を本編に付与してしまう。そんな中で問われるのが「何が家族を家族たらしめるのか」なのですから、その深度は測り知れないところにまで至ります。
 もう一つ、朝子と夕平の関係を語るにあたって欠かせないファクターとして「対面する」という行為があります。刑事施設で面会する以前から、二人はよく向かい合ってお話をしていました。過去でも、現在でもそこだけは絶対に変わりません。決定的な違いは、その間に鉢に植えられたサボテンがあるかないか。そのサボテンも、かつて夕平が紗月に贈ったものであることを思い出すと、二人が迎えた結末に覚える感情は簡単には静まりません。その花が開くまでの13年間。同じ年月の分、夕平は沈黙し続けたことも神様の過る悪戯として決して忘れることができない。
 家族の幸せという手垢のついたテーマを事件を通して取り扱う以上、過剰さが一ミリでも混ざれば直ちに破綻するフィクションを、しかしながら坂口健太郎さん、早瀬憩さん、堀田真由さんが極上の演技で完成させている点でも本映画は特筆すべき作品です。19歳という若さで数多くの出演経験がある坂口健太郎さんと渡り合った早瀬憩さんには特に注目して欲しい。母を殺めた(かもしれない)犯人に向ける複雑な朝子の心情を、画として読み取れるように表現していたのは本当に凄かった。パンフレットにも町村弁護士役の滝藤賢一さんがべた褒めするコメントが載っていて、激しく同意するばかりでした。




 清算することの意味は、これまでが無くなるよりこれからがあることに向けられている。0(ゼロ)という点を終わりにするのも、始まりにするのも、任意に行える。フラットな地平。関係性。そこから見えるものを映す最後のシークエンスが持つ価値はタイトルにある『、』に繋げると明瞭になる。愛情の全部が、迷子にならずに済む。
 観終わった後であれやこれやの考えが浮かんでしまう物語は久しぶりで、とても映画らしい余韻に浸ることができました。シネコンでもかかっているので興味がある方は是非。非常に磨かれた一作です。

映画『私はあなたを知らない、』レビュー

映画『私はあなたを知らない、』レビュー

①かなりのネタバレを含みます。事前情報なしに鑑賞したい方はご注意下さい。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-03

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