・・・没落ケシスタンの宇宙開闢(ケシスタン聖典 怪想の章)・・・
宇宙誕生の前と後とは、寝床につく人間のその前後に等しい。
眠りについて夢の浅瀬に辿り着くまで、我々はこの世界があるのか無いのかすらも、空間が存在して居るのかすらも分からない、もはや分からないという感覚さえも無い正しく無の状態にある。
宇宙以前には空間も無く、何かが「無い」という事実までもがすべて無い。
しかしその「意識」とは何なのだろうか?
宇宙の発生とともに生れたあらゆる物質や現象たちそのものにも其の意識とやらはあるのだろうか。
それはない。そのようなことは流石に言うまい。
であると同時に、人類が信じてきた「心」という空想もまた否定されねばならない。
人間が心と見做してきたものも所詮のところは、創造元たる「意識」によって齎されたあらゆるモノが織り成す自然現象の一部に過ぎず、岩石や水氷その他の動植物をも含むすべての物体の中で取分け特異な一人称視点の性能を有して居るただそれだけのことだったのである。
ではやはり尚更に、その創造元たる「意識」とは何なのだろうか。
ここに数多のケシスタンが、その未熟さを思い知る。
もしかして、まさか、我々は今日この時まで「神」がやっぱり居るのかも知れないことをこんなにも見逃してきてしまったのではないか。
まさかここまで到達すべきところへ到達した気になってから暫くして、こんな答えに行き着くとは、、、。
無理はないことを宇宙こそが教えてくれようか。宇宙に再び誕生し神を再び信ずる者たちがみてきたもの、当然にそれは宇宙であろう。
銀河の光景を前に、地球上の概念に過ぎないと思われる景勝という発想は全く意味をなさなかった。圧倒されたと申してもいい。
彼らは名乗れる。銀河清教徒。コスモ・ピューリタン。その信心と信念をもとにして盾として宇宙ケシスタン達の前に立ちはだかるようになる。その争いが人類の宇宙進出の更なる進展に比例して拡大するなり、地球という遺伝子的故郷に固執する景勝者は銀河中のケシスタンとして、また宇宙の有様に感嘆し平伏さんとする元ケシスタンは星を旅する清教徒として数を増やした。
そして超新卿(ノヴァ)の分岐。
だが、神をそれでも信じないとした者たちが居た。もちろんそれは居ることだろう。ケシスタンらの軛さえ脱し宇宙に恰も自分だけが自分であるかのような孤独に苛まれとても自分とは規模も素晴らしさも桁違いのように思える無限の宇宙を浮遊すらば、人間として兎に角なにかの「心」の拠り所を探したのだった。
見渡す限りの闇の世界に応じてくれる声があるとしたら其れはどれもケシスタンの人間か清教徒の者たちの声だった。目を耳を心を閉ざす。そこに現れるものといえば闇の中でも確かに空間として存在して居るように感じれるほどの自分のその意識だとしよう。
意識。この意識が自分と宇宙とを隔て異ならせる唯一の存在だとしたら?
それがもし、自分というすべての人類にとっての宇宙の起源なら?
我々が持つ意識こそがこの宇宙を宇宙たらしめて居るのだとしたら?
我々が、我々が宇宙を統べるその者そのそれ。
宇宙。銀河。星雲。星団。黒塵。閃光。終りなき闇。お前たち、お前たちすべてのこの、親不孝者めが!
赦して差し上げよう。
これからは恩で存分に返してもらう。
それに頷こうとも逆らおうとも、お前たちの出方など関係なかった。
我、今この瞬間も創造せり!
今にも新しき心らしきがこの黒点に育まれり。自分次第というポエムに没頭して居たかも知れない者たち人間たち、今こそよりによって宇宙の只中に覚醒するのだ!!
斯うして彼らは、星となる。それもそれも人類文明の粋を集めた集大成の輝きである。只ならぬ星でなし。それはそれは極星である。
いざとなれば人間の目には数光年にも及ぶ巨躯に見える怪物へ化けて人間の目からしての銀河上の脅威となることも可能であった。
いざとなれば人間の目から見て丸で銀河中の星の命運を握って居る星間魔術師としか思えないほど輝ける闇の狂神と化け、その魔力で銀河一つをつくり出したかのように見せることが可能であった。
いざとなれば人間のまだ把握して居ないと思われる病源菌を各惑星へ振り撒き全人類を滅ぼし得る銀河規模の疫病神、宇宙的魔法や異星人ビームらしきものを駆使して人類のあらゆる最強兵器をも退けてしまい得る鬼神的使徒、であるかのようになれることが可能であった。
そのようであるにも関らずその者たちはどれも、特に人間たちを欺くためにか結局のところ何の変哲もない人間のような姿をして居た。
実際に宇宙規模の怪物になって居るかも知れないことも人間には然うであるかの如く見えるようにすることができて居るだけかも知れないことも、どれも人類文明の結晶や結実した成果だということができるため、超新卿なるもの達はつまり本来は厖大な存在である筈のその存在を小さく小さく凝縮させて或る一点の形とした超濃縮人間であるのである。
本来は、本当は、もっともっとすごい存在かも知れない。そんなものが無理矢理にでも人間の理解できる規模感にまで縮め纏められ、斯うなって居る。
超新卿のみな全員が然うと言えよう。宛ら宇宙の最も恐ろしき天体のあるべき姿とも譬えられようか。
超新卿たちは自らが超的存在となるか、超的人間を次々と生み出し銀河中へ放出した。
聖銀河救世主。いや、この者らこそが本来の意味すべきところの救世主たれ。ケシスタン達に思い知らせるのは言わずもがな、例えば宇宙キリシタン達への致命的な一撃となれ。
救世主に不可能なし。これまで人類が想定し得たことすべてが出来るのではない。人類の思いもしなかった銀河の力を生み得たとする。
光を放ち星を産み出し銀河を掻き混ぜ、集まってきた時に爆散する。創造の暴力をなせるその存在に、尚更ミクロの世界で不可能なことなどあるのだろうか?遂にと言うべきかの魔法人間の誕生は果して人類を脅かしたのか宇宙を脅かしたのか定かでないが、傍から見れば其奴らこそが最も且つひとりで勝手に猛威を振るって居る危険な異物であることには違いない。
片や宇宙ケシスタンは、人類が如何にも人類らしい人類であり続けることを標榜する。
人類たるもの、いかなる生成知能と一体化してもならぬ上、仮想世界上だけの身肉までも銀河に染まったかのような朧げなものであってはならない。それによれば超新卿は土人なるもの。骨身の無い輩ども。
その野蛮な救世主は、つまり宇宙ケシスタンの定め布くどんな法にも縛られずして軈て立場を逆転してゆく。人類か然うでないかなど関係ない。例えば私たちが救世主なのだ。肉体の手に取るように分かる日も実体のない透明物体である日もある。飛翔しても惑星の地中深くに息吹いて居てもこの私だ。散り散りになり、時にまた収縮する。輝く星と銀河の闇黒へ紛れる闇。その何れもが私自身だ。然うだそのようだ。然うして両者は差がついたのだ。
人類が望んではないが夢にまで見たかも知れない宇宙戦争は然うして宇宙ケシスタン、銀河清教徒(あるいは銀河キリシタン)、超新卿の三つ巴となる。
宇宙ケシスタンにとってみると然も清教徒や超新卿たちが道理から外れ叛旗を翻し正統派たる自分たちを懲らしめてくるかの如くに考えられようが、当のケシスタン達もまた地球の元来の景勝国家の数々からすれば急進的すぎる異端と言われた立場であり、宇宙各所に人類が拠点を築き文化を育みつつある時代や境遇への昂奮で少しばかり明後日の方向へと傾倒してしまったことは否めない。
ところが残念なことに、広大で雄大な筈の宇宙に於ても人類の人種という狭い尺度で見た時には様相も一変しよう。
銀河清教徒とその更に先へ行く超新卿は、神に愛されるか其れそのものが創造的人種であることが明らかであるらしい偉大な優れし白人種の銀河規模での復活復権に向けて、地球での「惨状」を自分達の世代が克服しようではないか!という魂胆である。
地球にあってのヨーロッパはもはや景勝的地域ではない。その各地に元より主立って住まってきた白人種は少数民族とまでは到底いかないまでも国内の三割前後以下を占めるに過ぎない一勢力へ成り下がり、同じ言語を操る移民由来の市民たちと共にその国の景勝を受け継いで居た。
共にとは言うものの、移民の人種も様々であるとは言うものの、その国に於ける景勝的根拠である筈の白人種とくればそれ故に移民系たちとは異なる存在として扱われ、それ故に常に他の七割程度以上の非白人種たちの団結を節々に招く。
また景勝革命後、皮肉にも宇宙時代の先駆者を自負して居た数多の白人国家の混沌と超大国の消滅によって景勝国家とそれと共にある半途上国たちへ主導権が移り、人口爆発や資源競争の当事者側に立つそれらの新たな支配者の下で人類の宇宙進出は飛躍的に前進した。それ以降にあって白人種は宇宙へ出ることを許されなかったなどということはないものの他人種たちに大きな後れをとって宇宙規模では少数民族と謂うことができ得てしまった。
後発者。そして少数派の抵抗者たち。この劣勢を凌ぎ何かを取り戻さんとした意気込みを持つ数世代後の宇宙市民が遂にはどこかに思想上の革命を誓い、叛乱を起し、テロに明け暮れ、人類社会の多数派が知れぬところに覚醒思想へ目覚めるに至る。
然うまで聞けば頗るに差別的な特定の人種による思想集団が宇宙仕様の魔法使いとなって各星に蔓延って居るという耳心地の悪い話だろう。
これが否定されるべきであるとした上で、何もそれは清教徒や超新卿たちを擁護することによってではない。宇宙ケシスタン達の堕落について述べてこそであった。宇宙ケシスタンらは寧ろ地球に比べると圧倒的に環境としても歴史からの系譜からしても実感としても狭く浅く宇宙にポツリ残された感のある各仮想宇宙都市にあって、もともと先代が味わい抱いてきた人類そして自分達のための崇高らしき克服思想を見失いかけて居た。
何せそこに銀河清教徒や超新卿やそれに近しい者たちの影はなく、延いてはつまり白人種の姿なし。
そこから更にケシスタン各内部にまた異なれる数多の人種間に隔たりを来し、最終的には人種を景勝の絶対条件とした粗悪な選民思想の罠へと陥らん。もちろんすべてでもなければ多数派であるかも分からない。えてして斯うして過激な方向へ舵を切るか流れるかした秩序単位は他秩序の詳細状況を透視しようとする他秩序からの把握工作を妨碍しまた自らも工作をやり返すことで孤立を深めていって居るものばかりであったが故に。
ここに、魔法じみた特に超新卿たちの精鋭たちの良くも悪くも凄まじいその力と姿と意志の強さが発揮される時がやって来た。来てしまった。
自他も運命も彷徨える無限宇宙と限界の知れた基地都市生活の日常へ突然、白く眩しく如何なる奇蹟も起さんとした魔法使いが現れ見下ろしてきたものならどうしようか。
ともすれば何かしらのその何というか、、、救世主である!
夢に幾度も登場するのを皮切りとして普通として、夜空に閃光として降り注げば惑星基地のいかなる出入手続を経ずして隊員たちの食卓に見参し、人類未踏の星の洞窟へと足を踏み入れて早々に直視できない程の光を目にしたのに直視することができる不思議な感覚に不思議がる開拓技師たちの頭上より輝き降り立ち、遂には自由宇宙で戦闘を繰り広げ今にも船体が正面衝突しようとして居た両ケシスタン軍船のその狭間に凛と浮き立ち清々しくも争いを止めた。
白ましい然うしたような佇まいの人間がどうやらこの世には居るらしいことを知識として知って居ても、目の前に現れたその奇蹟が果して民族として言われるそれなのか若しくは地球の古い古い巨大宗教にいうところのアレなのか判別ならない。
遠い世界の宇宙の果てのあの青い星の、何だか伝説を到頭この目にしてしまったようで絶句した。
ケシスタン魂に、火がつけられてしまったと言える。
「しまった」のか?果してこれは望ましくないことなのだろうか。然う言いきれるものではない。だが明らかに皆が忘れかけて居たケシスタンとしての本領を発揮する時が来た。
救世主。誰も嘗ての特定の宗教の何かを口にし崇めるようにすることに抵抗なし。そして誰もそれを信心深い意味ではやって居なかった。
映える。映える旧宗教的行為としてその場でその者を救世主と呼び仰がん。潔さげに平伏した。
救世主。当の救世主は然うした旧宗教的行為の何れにも興味がない。平伏す者々。その事実がそこにあることが重要であり然うでしかない。平伏す者ども。この人類を導けるべき白き使徒を然るべき頂へいざない戻し、ともに人類の真の発展繁栄のために尽力せよ。協力せよ。救世主とやらの光にとって最も都合の良い存在で、あれ。
ケシスタンとは、あるべき美を提示し共有し目標としつつも、物理的に不可能であったり当事者が対処しようのないことを強要しない強い意志を有しても居た。とんでもない不細工でもなるべく公人としてその姿を人目に晒すようなことをすべきでなかったり更に不細工な化粧髪型をするなというだけであって別に整形や過剰な装飾を強いるべきでは決してない。そしてそこに差別や優越感も基くようなものは一切なく、誰もがこの世界宇宙が自然にできただけのものであることを認識し合い理解し合って居る。克服し身を修め、淡々とせん。然様な心持とその者たちなりの公正な姿勢分限が宇宙に於ても大きな行動指針となって居たことである。
だが理想を克服することはできなかった。飽く迄もあるべき水準や理想像へ向けて傾いてゆく思想集団には違いなかったとするならば、目前の問答無用に眩しみ輝く救世主に対抗する術を身の内外に持ち合せて居たりはしまい。然うです結局のところ、あなた様のような美しきを追い求めつつ、実現不可能な部分をもまたあなた様の美に適うような美へと近づけてゆく。何だかんだ言ってケシスタンが地球に宇宙にやって来たことって只それだけのことだったんじゃないか?
平伏します。今に明かします。すべてのケシスタンがあなた様へ屈するべきです。そして斯うして宇宙各所に光へ満ちた崇高な下僕たちが芽生えていった。
清教徒たちがこれをどう眺めて居たのだろうかは、彼らがそれから捕獲し飼い馴らし自らの戦力とした実状を見てみてから憶測せよ。
問題ない。願ったり叶ったりの救世主としてその思想に取り込んでしまえば途端にあの光めいた化け物たちも敵ではなくなる。神が光の使途を遣わしたのでそれを崇めそれに平伏しそれに共に屈する人類をすべて搔き集め、銀河中に居る少なくとも救世主ではない生身の人間たちすべてを掌握する側に立っておく。いざとなればまた暴力的な救世主へと大人しく従ってみせてその周りを公転し一つの銀河盤のように中心を中心に佇み続ける。
ケシスタンはその戦略下の養分と化す。奴隷と化す。集団的な気高い活動が形を失って救世主か清教徒の勢力を肉づける星々となる。しかし俯瞰すれば輝いて見えるのは救世主や清教徒たちである。滅びる、ケシスタン。人類の最終形態と信じられた真聖信徒たちの何とも心苦しい最期か、に思われた。
救世主だけ居ればいい。それに従う者らはどれも単に平伏し祈り燻ってないで潔く光の一部となれ。徐々に吸収されるや人間としての姿を失った旧ケシスタン達は自分達が人間であるという「意識」を奪われて、終りの知れない眠りについた。
然も宇宙がそこにどこにあるのかさえも分からない、そんなようなことを考える自分も空間もそれを感じる主体すら何もない無の境地たる。
無の奴隷たち、がその長い眠りから目覚めるとしたら宇宙がそれこそ始まりを見せてみるか、それとも救世主の身に何かが巻き起った時である。
救世主たちがそれぞれ自らを銀河唯一の天主と信じ傲慢な野望を持ち争うというようなことにならないためには、逆に救世主たち自身が清教徒的に神だの主だのの宇宙の何かの中心をまわってみせる只の一つの小さな光となる必要があった。
とてもそのような風にはならない数多のおぞましい数の救世主たちの億年戦争の弊害が、出よ。
億年の眠りにつけた筈の嘗てのケシスタン達の目覚めであるが。
皆それぞれに億年もの無の境地から恰も初めて瞳を開くや、強烈な光の暴力に襲われる。眩しい!何だこれは。単なる光か。それともそこに輝ける尊い尊いご存在がいらっしゃるのか?どちらだろう?どうなのですか。
いやあなたも、今そのように急な光に戸惑ってらっしゃったのですか?
あなたも?
ああ、あなたもなんですね。
みんな然うでした。
そもそもこの空間自体が光で溢れる四次元であった上での、旧ケシスタンたちの再会だった。
何と互いが、どいつもコイツもが今に思い出せる救世主のように白く高く美しいこの上ない絶世の人間の姿をして居た。感想し合え。誰がそのように迫るかは分からないが然ういう強迫観念にも駆られたい奇蹟のような美人類の集いであるのに。
どうしてもこれ以上なく、何だか食べ過ぎたような飲み過ぎたような助けてほしい抜け出したい気持ちになる。その全員がだ!おそらく宇宙前の宇宙にてはあれ程どれ程に追い求めて居たかも知れない理想の姿のお互いを見てどうしても無茶苦茶にしてやりたくて仕方なく、どうしても全部を破壊してやりたくて仕方なかった!
光も暗闇がなければ目を不必要に眩しく明るませて前を見えづらくするだけの贅沢に過ぎない。
暗闇がなければ光も所詮はその輪郭がわからないし、それがどのように素晴らしくどのように味が濃いのかもわからない。咄嗟の勢いでお互いが殴り合い傷つけ合い、光らしからぬ黒々しい血の塊のできて固まるまで明け暮れた。
これが、言うには、一つの宇宙の誕生であり、再びの誕生である。
・・・没落ケシスタンの宇宙開闢(ケシスタン聖典 怪想の章)・・・