おんがく交差点 井上二葉先生

おんがく交差点 井上二葉先生

 毎週土曜日、朝8時からBSテレ東で放送されている音楽番組「おんがく交差点」。去る8月22日のゲストは私の敬愛するピアニスト・井上二葉先生だった。普段この番組を観ていないのだが、毎回多彩なゲストを招き、もっと見たいな聴きたいなと思わせる30分の番組である。

 二葉先生は、ピアノを演奏するに相応しい深い紫、藍色のような落ち着いた色の花柄のレース地のワンピースをお召になり、その足元に目を移すと、安川加壽子さんの記念会でも履かれていらした、ピカピカ光る靴を履いていた。
 この日の二葉先生は4月にお目にかかった時よりもどことなく若返り、何とも言えぬ華やぎが感じられて非常に素敵だった。

 4歳の時、当時住んでいたドイツでピアノを習い始めたことは存じ上げていたが、兄姉4人全員がピアノを習っていたことや、何となく一緒に習い始めたというのは初耳であった。その何となく兄姉につられて始めたピアノが、後に第二次世界大戦という激動の時代を挟み、一生を懸けて続けていく仕事になるのだから、やはり人生はどこでどうなるか分からない。
 丁度その頃、日本からもドイツの音楽学校で学ぶ未来の音楽家たちが日本を離れてドイツに留学して来た時期であり、井上家は彼らを家に招きもてなしていたという。以前、NHKで僅かに流れた当時の井上家のプライベートフィルムに写された二葉先生の母・秀子さんは洋服を着こなし、お洒落で明るく朗らかなやさしそうな方だったから、きっと異国の地で生きる彼らの良き母親的存在であったのかもしれない。名前は明かされなかったが、ウィキペディアによると遠山つやさんにピアノの手解きを受けたのではないかと思われる。

 戦後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学。当時はドイツ系が主流の中、二葉先生は自身の華奢な体格や力加減の問題を周囲が考慮し、当時日本では珍しかったフランス系を薦められ、折よくパリ国立音楽院で学んだ安川加壽子さんが講師に就任したことで、その後のピアニスト人生が決定する。
 音楽学校在学中はフランス音楽はお預けの状態で、技術面を向上させるため与えられたリストの楽曲をひたすら練習する日々。研究科に進学して初めてドビュッシーの楽曲を与えられたというが、その一方では、声楽家の伴奏者として先にフランス歌曲に親しんだ。その一端は、フランス歌曲の先駆者であった声楽家・古沢淑子の伴奏を務めたプライベート録音で聴くことが出来る。
 二葉先生のデビューリサイタルのプログラムは曲目までは紹介されなかったが前半にショパン、後半にドビュッシーとラヴェルという洒落たものだった。

 フォーレの「舟歌 第6番 変ホ長調 作品70」を独奏の後、「鉄の塊をビロードが包んだような手」と題して、二葉先生はフォーレを語り始めた。
 フォーレを弾くにあたり楽曲の練習だけではなく、フォーレの奏法を身につけようと、フォーレの息子が書き記した手記やフォーレの演奏を直に聴いた人の証言が書かれた文献を読み、独自にフォーレを弾くに相応しい奏法の研究に取り組んだ。
 フォーレは鉄の塊をビロードが包んだような手だったという。中身はとってもしっかりしていて表面は柔らかく当たりがいいという意味である。フォーレの音楽もそういうもので、理屈で演奏の途中で一息つこうとしてもそれは出来るものではなく、サラサラと流れていくような音楽であり、フォーレは水の流れに例えられる。ピアノを指で弾くとはっきりした音が出るが、フォーレにはそういう音は使えないという。フォーレはオルガン弾きであったから、とても柔らかい音の連続が曲によく合う。そうすると、ピアノ奏法のタッチは役に立たない。オルガンはピアノと違いペダルで音を伸ばすことが出来ないため、音を伸ばすには指のレガートがとても大事になって来る。フォーレの演奏を聴いたことのある人の証言を読むと、ほとんどペダルなしでも綺麗なレガートで弾いていたというから、オルガン弾きであるフォーレの奏法を真似しなければという結論に至ったのだという。

 現在、日本フォーレ協会の顧問を務めている二葉先生は、協会が設立された時、恩師である安川加壽子さんが力を入れてくれたと語った。ドビュッシーやラベルは皆が盛んに弾いているが、フォーレはある程度特殊な作曲家で、皆で進めようとしないとあまり知られて行かないから、それが大変残念だと安川さんは話していたという。かくいう私も、フォーレの楽曲は二葉先生の演奏を聴く以前は、「夢のあとに」と「エレジー」くらいしか知らなかった一人であるから、今から数十年前となると尚更だったかもしれない。

 二葉先生は毎日の日課として、ピアノの練習は必ずバッハを弾くが、その中でも特にフーガをさらうという。バッハの音楽は横の線の音楽であり、たくさんの成分を絡ませるというのがとても難しい仕事であるが、それをすることによりフォーレを弾く時に非常に役立ち、演奏するにも楽になるという。長い年月をかけて勉強し研究して来ただけあり、なるほどと感心せずにはいられない貴重な見解であった。

 自身の演奏活動を問われ、ここ数年は電子的なものがいろいろと発達したせいか、簡単にいろいろな曲が聴けるようになったことにより、皆が生で音楽を聴かなくなってしまったような気がしている。そこで、あまり弾かれない曲で優れた曲や埋もれている作品をフォーレに限らず、生で提供したいという思いでこの20年演奏会を開いて来たという。その中にはとても難しい作品があったこともあり、後に自身で聴き返すために録音をしていたのだろうか。それをレコード(CD)にすることを考えていると語った。昔の物とおっしゃっていたが、その録音のすべては今世紀に入ってからのものである。てっきり私は、二葉先生が20代や30代といった若さ漲る時代の歴史的な録音と思っていたから些か拍子抜けしたが、今も弛まぬ努力を続け高みを目指している方は、つい最近のことでも昔のことと感じるのだろうか。やはりおっしゃることが違うなぁと尊敬の念を新たにした。

 最後に音楽家としての使命をどう感じるかと問われた二葉先生は、素晴らしい師匠に教わったことを後進に伝えていくことが一つ。そして、埋もれている優れた作品を広めて行くことだと語ったが、その静かで穏やかな口調の中にも確固たる信念を感じさせた。

 70年以上のキャリアを誇るピアニストがその音楽人生を語り演奏をするには、30分という時間は余りに短い時間だったが、それでも二葉先生本人の口からフォーレの奏法について語られたことは私にとっては大変貴重なことであった。二葉先生の洗練された無駄のない美しい深いピアノの音色の秘密の一端を知ることが出来たし、何よりもフォーレの「舟歌 第6番 変ホ長調 作品70」の演奏を耳に出来たことは嬉しかった。演奏の際は可能な限りピアノはベーゼンドルファーを使用する二葉先生だが、今回はスタンウェイだったのでどことなくその音色もいつもとは違うように耳に響いた。やはり二葉先生の演奏・音と言ったらベーゼンドルファーだと、スタンウェイの音を聴いて改めて感じた次第である。
 欲を言えば、二葉先生と幼馴染みであり若くして世を去った作曲家の矢代秋雄さんとのエピソードや、自身の音楽人生やピアニズムをもっとじっくり語っていただきたかったが、それはまたの機会としよう。

 長い長い演奏活動を展開して来た井上二葉先生は本日、すなわち2026年8月30日、めでたく96歳になられた。私はピアニストとしても一人の人間としても誠実に生きる二葉先生に胸を熱くし、時に涙さえする。尊敬の念は日毎に増すばかりである。
 先生と呼べる素晴らしい人・井上二葉先生と出会えて私は本当に幸せ者である。

おんがく交差点 井上二葉先生

2026年8月30日 書き下ろし「note」掲載

おんがく交差点 井上二葉先生

私の敬愛する井上二葉先生が、8月30日96回目の誕生日を迎えた。その二葉先生がBSテレ東「おんがく交差点」で語ったフォーレに対する思いや、自身のピアノ奏法を私の思いと共に書き起こした。 誰もがこんな風に生きて人生を送れたらと思う、そんな人生を体現している井上二葉先生は、私にとって憧れであり、尊敬の念を抱かずにはいられない。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-30

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