シン『どん底先生』第四章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)
シン『どん底先生』第四章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)
第四章 もう一度、教える
――先生も、まだ勉強の途中だった
私は、いつからか、生徒の答案よりも先に、その顔を見るようになっていた。
教室に入ってきたときの表情。
席に座ってから、なかなか鉛筆を持とうとしない様子。
問題を渡した瞬間に見せる、諦めたような顔。
逆に、たった一問解けただけなのに、少しだけ嬉しそうに顔を上げる瞬間。
教師を長くやっていると、そんな小さな変化が気になるようになる。
昔の私は、もっと単純だった。
成績が上がればいい。
志望校に合格すればいい。
勉強しないなら、もっと勉強させればいい。
そう思っていた。
しかし、長い年月を生徒たちと過ごし、自分自身もさまざまな失敗を経験してくると、それだけでは人間は動かないことが分かってきた。
成績が上がらない理由が、勉強不足とは限らない。
家に帰れば親との関係に悩んでいるかもしれない。
学校で友達とうまくいっていないかもしれない。
自分のことが嫌いなのかもしれない。
あるいは、何をやっても失敗するという思い込みに縛られているのかもしれない。
そんな子どもに、
「もっと頑張れ」
と言ったところで、心には届かない。
私は、自分自身の人生を振り返ることで、そのことに気づいていった。
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「まだ」と「もう」は、たった二文字しか違わない
私自身、人生で何度も「もう駄目だ」と思った。
大学院に落ちた。
アメリカから帰国した。
七つの大学に就職を断られた。
それでも、人生は終わらなかった。
そのたびに、別の道が開いた。
もちろん、そのときはそんなことなど分からない。
不合格になった瞬間には、不合格という現実しか見えない。
就職を断られたときには、「自分は必要とされていない」と思う。
人生の途中にいる人間には、先のことなど見えない。
だからこそ、私は「もう」と「まだ」の違いを大切にするようになった。
「もう、できない」
と言えば、そこで終わる。
しかし、
「まだ、できない」
と言えば、その先がある。
明日できるかもしれない。
一週間後かもしれない。
一年後かもしれない。
それでもできなければ、別の方法を試せばいい。
私は、自分自身がそうやって生きてきた。
だから、生徒にもそう伝えたいと思った。
「君は、まだ終わっていない」
それが、私の教師としての新しい出発点になった。
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家族を守るために
しかし、私がそんな教育観にたどり着くまでには、長い苦しみがあった。
私は塾を経営していた。
塾を大きくすることができた。
大きな校舎を建てることもできた。
そのために、一億円の融資を受けた。
当時の私は、それを大きな可能性だと思っていた。
もっと多くの生徒を受け入れられる。
先生たちにも仕事を提供できる。
そして、何より、三人の娘たちを育てていかなければならない。
私は、家族を守るためにも塾を成功させなければならないと思っていた。
しかし、大きくなった塾には、それだけ大きな責任がついてきた。
先生方の給料。
三人の娘たちの養育費。
そして、融資の返済。
どれ一つとして、待ってくれるものはなかった。
塾が赤字になれば、すぐに生活に影響する。
返済を止めるわけにはいかない。
先生方の給料を払わないわけにもいかない。
私は、経営者として「生き残る」ということを考えなければならなかった。
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その頃、妻との間にも大きな溝ができていった。
妻はクリスチャンだった。
そして、弱い立場にいる人を大切にする人だった。
成績の良くない生徒。
いわゆる「落ちこぼれ」と呼ばれてしまう生徒。
そういう子どもたちを見捨てずに、私に指導してほしいと考えていた。
妻の考えは、今振り返っても理解できる。
子どもには、勉強ができるかどうかだけでは測れない価値がある。
どんな子にも居場所が必要だ。
それは、その通りだと思う。
しかし、私は経営者でもあった。
優秀な生徒たちから、
「この生徒たちをやめさせないなら、私たちが塾をやめます」
と詰め寄られていた。
もし、本当に優秀な生徒たちが一斉に辞めてしまったら、塾はどうなるのか。
先生たちの給料はどうする。
融資の返済はどうする。
娘たちの生活はどうする。
私は、理想だけでは経営できない現実に直面していた。
そして、生き残るために、優秀な生徒を対象とした塾にしていくという判断をした。
それは経営者として必要な判断だった。
しかし、その判断は、妻との間に深い溝を作っていった。
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真っ暗な家
ある日、授業を終えて帰宅した。
家の中が真っ暗だった。
誰もいないのかと思った。
私は電気をつけた。
すると、妻がいた。
黙って正座していた。
その光景を見た瞬間、私は言葉を失った。
何かがおかしい。
そう感じた。
そして私は、妻が精神的に追い詰められているのではないかと思った。
「寝ている間に刺されるかもしれない」
そんな恐怖さえ感じた。
夫婦というのは、本来なら一番安心できる相手のはずだ。
ところが私は、同じ家にいる妻に対して、そんな恐怖を感じていた。
夫婦関係は、すでに普通の状態ではなくなっていた。
それでも私は、一つだけ信じていた。
たとえ夫婦としてうまくいかなくなったとしても、妻は娘たちの母親としての責任は果たしてくれるだろう。
そう思っていた。
しかし、その期待も、やがて崩れることになる。
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家から家族が消えた日
ある日、仕事から帰宅すると、妻も娘たちもいなかった。
家の中から、家族が消えていた。
長女と次女は、その後、私のもとへ戻ってきた。
しかし、生まれて間もない末娘だけは、妻が手放さなかった。
その状態が続いた。
一年。
二年。
三年。
時間だけが過ぎていく。
約六年ほどが経った頃、四日市の家庭裁判所から呼び出し状が届いた。
離婚調停だった。
私は家庭裁判所へ行った。
調停員から説明された。
私には、浮気、暴力、生活費を入れないといった法定離婚理由がない。
だから、私が同意しなければ離婚はできないという。
後になって知ったのだが、妻には再婚するために離婚をしなければならない事情があり、そのために離婚を急いでいたらしい。
結果として、私は慰謝料を支払う必要もなかった。
法律上の問題としては、それで一つの決着がついた。
しかし、私の中では、何も終わっていなかった。
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娘たちとの間にできたもの
妻は、私の悪口を娘たちにかなり吹き込んでいたらしい。
そのため、娘たちとの親子関係もしばらくうまくいかなかった。
私は、自分のことを説明したかった。
「本当は違う」
「自分は家族のために働いていた」
「塾を守らなければならなかった」
そう言いたくなる。
しかし、子どもにとっては、父親と母親のどちらを信じればいいのか分からない。
そこで大人が自分の正しさを主張すればするほど、子どもを苦しめることもある。
私は、そのことを後になって学んだ。
そして、その経験は、私の教育に対する考え方まで変えていった。
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「なぜ、この子はこうなのか」
私は、生徒を見るとき、以前よりも「なぜ」という言葉を考えるようになった。
なぜ、この子は勉強しないのだろう。
なぜ、この子は質問しないのだろう。
なぜ、この子はすぐに諦めるのだろう。
なぜ、注意されると怒るのだろう。
その「なぜ」の奥には、その子にしか分からない事情があるかもしれない。
だから、いきなり叱るのではなく、
「どうした?」
と聞いてみる。
「何かあった?」
と聞いてみる。
それだけで、少しずつ話し始める子もいる。
私は、教育というのは、問題集の答えを教えることだけではないのだと思うようになった。
その子がもう一度、自分自身を信じられるようにすること。
それも、教師の仕事なのではないか。
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私自身も、まだ勉強の途中だった
そんなことを考えるようになった頃、私は50代になっていた。
そして、自分自身がもう一度勉強を始めた。
数学の問題を解く。
分からない。
解答を見る。
「ああ、そういうことか」
と思う。
ところが翌日になると、また分からない。
以前なら、そんな自分に腹を立てていた。
「昨日やったのに、なぜ忘れているんだ」
と。
でも、自分ができない側に立ってみると、生徒たちの気持ちが少し分かるようになった。
何度やっても覚えられない。
分かったと思ったのに、次の日には分からない。
勉強しているのに結果が出ない。
それは苦しい。
そして、
「こんなにやっているのに、なぜできないんだ」
という気持ちは、年齢に関係なく人間を追い詰める。
私は、ようやく生徒たちと同じ場所に立ったような気がした。
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それまで私は、生徒に、
「復習しなさい」
と言ってきた。
もちろん、それは正しい。
でも、自分が忘れてみると、その言葉の意味が変わって感じられた。
忘れる。
間違える。
またやる。
それは失敗ではない。
勉強そのものなのだ。
そして、人生も同じなのかもしれない。
一度間違えたからといって、そこで全部を諦める必要はない。
ただ、過去を消すこともできない。
だから、
間違いを抱えたまま、次の問題に進む。
それしかない。
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「頑張れ」の前に
私は、生徒たちに「頑張れ」と言うことが少なくなった。
正確には、「頑張れ」の前に、別の言葉を考えるようになった。
「今、何が一番困っている?」
「どこまでは分かる?」
「じゃあ、ここだけ一緒にやってみよう」
そんなふうに、一歩を小さくする。
一気に山を登れと言われれば、誰だって怖くなる。
しかし、
「まず、この一問だけ」
と言われれば、やってみようと思える。
一問できた。
それでいい。
昨日より長く机に向かった。
それでいい。
自分から質問した。
それも大きな成長だ。
私は、そう考えるようになった。
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ある日、一人の生徒が質問に来た。
難しい問題だった。
私は、いきなり答えを教えなかった。
「ここまでは分かる?」
「はい」
「じゃあ、ここからは?」
「分かりません」
「じゃあ、ここだけ考えてみよう」
私は待った。
生徒が考える。
鉛筆が動く。
そして、しばらくして、
「あっ……」
という小さな声がした。
「分かった?」
「はい」
その顔が少し明るくなった。
私は、
「そう。それでいい」
と言った。
たったそれだけの出来事だった。
けれど、その瞬間、私は妙に嬉しかった。
人間が変わる瞬間というのは、案外こんなに小さいのかもしれない。
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大きな拍手はいらない。
新聞に載る必要もない。
誰かに表彰される必要もない。
「分かった」
という小さな実感。
「できた」
という小さな喜び。
それが積み重なって、
「自分にもできる」
という気持ちになる。
その気持ちが、次の挑戦を生む。
私は、自分自身がそうやってここまで来たのだと思う。
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「どうする?」という問い
振り返ってみれば、私の人生は、いつも「どうする?」の連続だった。
大学院に落ちた。
――どうする?
仕事がうまくいかなかった。
――どうする?
アメリカから帰国した。
――どうする?
七つの大学すべてに断られた。
――どうする?
塾の経営が苦しくなった。
――どうする?
家族が壊れた。
――どうする?
50代になった。
――どうする?
そのたびに、すぐ答えが出たわけではない。
泣いたこともある。
悩んだこともある。
途方に暮れたこともある。
それでも、「どうする?」という問いだけは残った。
そして、その問いが、私を次へ動かした。
だから今、私は生徒たちにも、
「どうする?」
と聞く。
「無理です」
と言われたら、
「そうか。じゃあ、何ならできる?」
と聞く。
「全部は無理です」
と言われたら、
「じゃあ、一問なら?」
と聞く。
それでいい。
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過去は消せない。でも、未来はまだ白い
私は、黒板を見た。
授業が終わった後の黒板には、今日の文字が残っている。
明日になれば、それを消す。
そして、新しい問題を書く。
昨日の文字を消すことは、昨日をなかったことにすることではない。
昨日があったから、今日がある。
間違った問題があったから、次の問題が解ける。
失敗したから、次は違う方法を試せる。
人生も、きっと同じなのだ。
過去に何が書かれていても、
明日の黒板は、まだ白い。
私は50代になって、ようやくそれを実感するようになった。
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私は、完璧な父親ではなかった。
完璧な夫でもなかった。
完璧な経営者でもなかった。
そして、完璧な教師でもない。
けれど、
「これから少しでもましな人間になろう」
と思うことはできる。
過去を消すことはできない。
失った時間を取り戻すこともできない。
娘たちとの過去を、別のものに書き換えることもできない。
それでも、これから出会う人に優しくすることはできる。
これから一人の生徒の話を聞くことはできる。
これから一人の親に、
「少し見守ってあげてください」
と伝えることはできる。
それなら、やってみよう。
私はそう思った。
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そして、いつしか私は、教えることの意味を以前とは違う形で考えるようになっていた。
教師が生徒に教える。
それだけではない。
生徒が教師に教えてくれることもある。
生徒の失敗から学ぶ。
生徒の涙から学ぶ。
生徒の笑顔から学ぶ。
生徒の反抗からさえ学ぶ。
私は、生徒たちに勉強を教えながら、自分自身も人生の勉強を続けていた。
だから、今なら言える。
「先生」と呼ばれていても、私は完成した人間ではない。
私もまだ、人生の途中にいる。
生徒たちと同じように、間違い、悩み、迷いながら歩いている。
ただ一つ違うとすれば、少しだけ長く生きてきた分、失敗した後にも人生が続くことを知っていることだ。
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受験生には、これから何度も「不合格」という文字を見るかもしれない。
努力したのに結果が出ないこともある。
信じていた人に裏切られることもある。
親子関係で悩むこともある。
仕事で失敗することもある。
自分の人生そのものが嫌になる日もあるかもしれない。
でも、
一度の失敗で人生全部を決めてはいけない。
私は、自分の人生を通して、それを伝えたい。
大学院の不合格が、その後の人生の始まりになった。
七つの大学に断られたことが、塾講師への道につながった。
塾経営の苦しみが、教育について深く考えるきっかけになった。
家族を失った苦しみが、人の心を考えるきっかけになった。
50代からの学び直しが、生徒の苦しさを理解するきっかけになった。
人生の出来事は、その瞬間には意味が分からない。
けれど、何年も経ってから振り返ると、点と点が線になっていることがある。
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だから私は、今でも教室に立つ。
生徒が来る。
「先生、分かりません」
と言う。
私は、その机の横に座る。
「どこから分からなくなった?」
と聞く。
そして、一緒に考える。
すぐに答えが出なくてもいい。
今日できなくてもいい。
明日できればいい。
明日できなければ、その次でいい。
人生は、受験のように一日で終わるものではない。
何度でもやり直せる。
何度でも学び直せる。
何度でも、次のページを開くことができる。
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そして私は、まだ知らなかった。
これから先、私の教育人生には、さらに大きな出来事が待っていた。
「成績の良い子を伸ばす」だけではなく、
「自分はもう駄目だ」と思い込んでいる子どもを、もう一度立ち上がらせる。
そのことに、私は真正面から向き合うことになる。
そこには、これまで私が歩いてきた人生のすべてがつながっていた。
失敗も。
挫折も。
家族との別れも。
塾経営の苦しみも。
50代からの挑戦も。
そのすべてが、いつか一つの意味を持つことになる。
しかし、そのときの私はまだ、そのことを知らなかった。
ただ、明日の授業のために、黒板をきれいにしていた。
白くなった黒板を見ながら、私は思った。
明日は、また新しい問題を書こう。
生徒たちと一緒に。
そして私自身も、もう一度、そこから始めよう。
人生は、まだ終わっていない。
そう思えた。
それだけで、その夜は少しだけ、心が軽かった。
シン『どん底先生』第四章(全十二章)(汲み取り式からAIアプリまで)