ヌキウチの怪
一週間後の日曜日、北子の友達が集まる。
「日本酒にあう珍味がほしい」
「デパートに行けば珍しいものたくさんあるだろう」
「そんなんじゃなくて、ちょっとやそっとじゃ手に入らないもの」
「得意な茸でなにかつくればいい」
秋田生まれの北子は茸のことをよく知っている。
「あ、思い出した、秋田に面白い茸があるわ、ヌキウチっていうの、珍味なのよ」
「なんだ、抜き打ちって、侍が喰うのか、買えばいいじゃないか」
「そん所そこらでは売っていないわ、あとでインターネットで調べてくれる」
「いいよ、誰が来るんだい」
「みっちゃん」
「あ、あの飲んべいの」
北子の高校生時代の友達がたまに家に来る。その中でも、みっちゃんと呼ばれている女性はキャリアウーマンであると同時に、大酒飲みである。食べ物は一つだけ、チビチビと食べながら日本酒を飲んで、どちらかというと話をつまみにしている。
僕は日本酒をあまり飲まない。そういったこともあり、そういったつまみのことには疎い。
「三人くるけど、二人は赤ワインだから、私がなんか作るけど」
「みっちゃんにもお前が作ればいいだろう」
「作ることは作るけど、もし何かあればと思って、あなたも茸に詳しいじゃない」
とりあえずPCをひらいて、ヌキウチをしらべた。
その茸は木にくっついている。白っぽい平たい茸が重なったような形の猿の腰掛だ。蝦夷針茸とある。蝦夷地、東北から北海道に掛けて見られる茸で、硬く食べられないが、長く糠付けにすると珍味となり、ヌキウチと呼ばれる、とあった。
茸のことはある歳まで全く知らないといっていい状態だった。ところが茸のことを教えてくれる者にであった。なんと、それも茸である。いや信じなくていい。奇妙なことなのだが正しいことなのだ。
わが家にはおとなしい赤犬がいる。もう十六歳、散歩が好きで、一緒に行くのでおかげで自分の運動になってとてもいい。自分が六十で退職してもう三年たつ。
友人の飼っている柴犬が子どもを産んだので、三ヶ月になってからもらった。小柄で、柴犬そのものと思っていたら、全身赤っぽい、ぼーっとした顔の犬になってきた。どうも友人の犬の相手は野良犬だったようだ。
それでもとても性格が穏やかで、いい雄犬に育った。かわいいやつだ。名前はそのものアカである。
働いているときから、朝早くアカと散歩に行った。仕事から帰ってきて疲れていないときにも散歩に連れて行った。今では北子より気心が知れている。
アカをつれて住宅街のはずれにある公園に散歩に来たときのこと、アカが公園の樹木の幹の根元に生えている小さな猿の腰掛のような茸を一つみつけた。ふすふす嗅いでなかなか離れない。そのうち声が聞こえてきた。
「なんだ、ん、腹が減ったんか、家に帰って食わせてもらえ」
だれが言ったのか分からない。回りを見回してもだれもいない。アカが自分の顔を見上げた。あまり鳴き声をだす犬ではない。その後、ふーっとため息を付いた。
腹が本当に減っているのかもしれない。
そう思って、すぐに家にもどると、与えた餌にアカが猛烈に食いついた。
食べ終わると息を吐き、うまかった、という声が聞こえた。
それからのこと、丘につくられている我が家の団地の中には三つ公園があるが、どれかの公園で、小さな猿の腰掛にでくわした。
図鑑で調べると猿の腰掛の仲間はたくさんありすぎる。公園に生える小さな猿の腰掛の名前はとうとう分からなかった。小猿腰掛だ。
それからアカと一緒に散歩で小猿腰掛に出会うと、アカはこの茸と話をするようになった。それが自分の耳に聞こえてくる。小猿腰掛が自分に直接話しかけてくることもある。そういったことから、散歩中に日本にはいろいろな茸があることを教えてもらったわけである。
そのおかげで北子は私が茸に詳しいと思っている。
「ヌキウチ、考えとくよ、散歩に行ってくる」
そう言ってアカを連れて散歩に出た。
「ほら、小猿腰掛に聞きたいことがあるんだ、ヌキウチっていう茸のこと知りたい」
犬のアカにも友達のように声をかける。そうしておくと小猿腰掛茸との会話をたすけてもらえることがある。
小猿腰掛は茸の食べ方も教えてくれるので時々北子に驚かれる。
公園には犬を連れてはいってもいいのだが、いくつかの規則はあり、それはきちんと守っている。アカはおしっこもそこではしない。なかなか賢い犬である。
家から一番遠い公園にくると、椅子にするように置いてある木の丸太の端に小猿腰掛はいた。
アカが鼻を付けて挨拶をしている。そのあとアカが僕を見上げた。
「北子にヌキウチを買えといわたんだけど、おしえてくれませんか」
「ヌキウチってのはヌケオチともいうぞ、ブナなどの広葉樹に生える。傘の裏面に針のように突起が生えている。それで針茸だ」
「どうしてヌキウチという名がついたのです」
「硬く木にくっついているので、「貫打」なのだろう、侍がやる刀の抜き打ちじゃないぞ、この茸はとても硬くて食えるものではなのだ。そのまま冬を越して腐って落ちたり、雪の重みで抜けて落ちたりしたものを拾い、ゆでて塩漬けにして、そのあと味噌に漬け込んだりして三年経って食べるもの。それでヌケオチとも言ったんだろうな。木に着いているのをとって、土に埋めて腐らさせて、柔らかいところ削って食べるなんてこともしたようだ」
「そんなに珍しくてうまいものなんですか」
「作り方によるだろうな、裂きイカのようで珍味だという者もいるようだが、人さまざま、粕漬け、味噌漬けは甘くてやだという御仁もいるよ、歯ごたえだってなんだかかすかすしてよくないという人もいる、まあ、珍しいというたぐいだな」
「売っていますか」
「ネットで調べなよ、何でも売っちまうじゃないか、きっとあるさ、経済社会だ」
「でも大して儲からないでしょう」
「ちょっと旦那、計算してみな、人口の十万分の一、千人くらいは興味を持って一回くらいなら買うかもしれない、すると、千円の品物なら百万の収入になる。必要経費を多く見積もり半分として、五十万の儲けだ。すごく珍しい茸じゃないから茸はタダ、塩と味噌だけ、二、三年寝かせる必要があるが、ちょっと片手間に作っておけば、一人の老人のお小遣いだ。変ったものを置いておきたい小料理屋なんかが絡んでくればもっと売れる。とすれば必ずどこかの店が売ってるね、茸の採れるところのお土産品で、珍味としてネットに出しているよ」
どうも経済関係は興味がなかったので、頭にぱっとひらめかないが、言われてみれば確かに小猿腰掛の言うとおりである。大してうまくなくても、「珍しい」と言う味というか味付けがあれば売れるだろう。
「日本酒にあうのでしょうね」
「それも味付けによるが、日本酒だって最近はフランス料理にあう日本酒なんていうのをつくっているじゃないか、きっとヌキウチ用の日本酒があるかもしれんぞ」
「え、そんな日本酒あるのですか」
「ばか、まじめに聞くんじゃない」
小猿腰掛がそう言ったとき、アカがいきなりぱくっと小猿腰掛を食っちまった。
私も油断していたのだが、まさかアカが茸を食うとは思っていなかった。綱を引くのが遅かった、虎はくちゃくちゃと茸の先生をかんでいる。
「うまかったのか」
そう聞いたのだが、食べ終わるとふらふらしている。家にかえるまで酔っ払ったみたいに左右にぐらぐらしていた。家に戻ると犬小屋でこてんと寝てしまい。いびきをかき始めた。毒じゃなくてよかった。小猿腰掛は酔わす茸だ。
家に入りPCを開いた。まずヌキウチ、蝦夷針茸をチェックすると、確かに売っていた。天然物で三百グラムで二千円のもの、五百グラムで四千三百円のもの、まあ大体同じ程度の値段である。しかし入荷待ちばかりである。それではヌケオチはどうかというと、蝦夷針茸と同義語に扱っているところも多く、「ぬけおち漬け」という瓶詰めがあった。宮城県の茸や山菜の店だ。千二百円と安い。本物だろうか。
北子にPCを見せた。
「おいしいのかな、一本買っといて」といわれたので、購入のところを開くと、品切れとあった。
「今ないって出たよ、お前がなんかつくったらいいじゃないか」
「めんどうね」そう言ってキッチンにいった。
あくる朝、アカをつれて昨日と同じ公園に行った。小猿腰掛は食っちまったから、もうないだろうと思って木の根元を見るとやはりなかった。
アカが珍しく顔を上げ、木の幹を見て、ワン、と小さくほえた。
なんだと上をみると、ありゃ、小猿腰掛がくっついている。それが見る見る大きくなり、白い大きな蝦夷針金茸になった。本物の蝦夷針金茸だ。
手に届くところにある。両手を伸ばしむしりとった。とても大きい。しっかり抱えてもって帰った。
家にもどり、台所のテーブルの上に、ぽいとおいた。
「抜き打ちだあ」
大きな声で言ったもので、北子が驚いて振り向いた。
北子の目が大きく見開かれ、失神してしまった。
救急車を呼んだ。
市民病院に運び込まれ、救急治療室にいれられを治療受けた。
医者が待合室に入ってきた。
「だいじょうぶでしょうか」
「ええ、今眠っておられるが、からだには問題ありません、ショックを受けた感じですねえ、ねえ、ご主人、奥さんの肩から背中にかけて、切り傷がありますね、ずいぶん古いものですけどね、どうかされましたか」
そんなもの知らんぞ、あいつの背中にきずなんかなかった。辻斬りに抜き打ちにあったんか
首をかしげていると、医者は、
「一時間ほどしたら家に戻って大丈夫です、精神的に疲れていらっしゃるようだ、養生させてあげてください」
僕は神妙に聞いて「はい」と答えた。
こっちのほうが精神的に疲れている。
何がおきたのか、アカと公園に行って、小猿腰掛に聞いてみなければならない。
ヌキウチの怪
茸指小説集「夢見茸、一粒書房、2027年」に掲載予定
絵:著者