俗悪-美学論
俺は泉の畔に佇むけれども(中略)喉の渇きで死んでやろう。
──フランソワ・ヴィヨン
1 自画像
ぼくの文体とは、”合理的耽美性”への永い愛好と、”不合理的俗悪-美性”への志向の混血によるそれと云えるのかもしれない。
芸術家とは相克する観念等を重たく抱え込んでおり、双方の意欲がやむにやまれぬほどに炎ゆり滾っている、まるで安穏と縁のない人種であるとしばしば云われるけれども、たとえばぼくの如き犬死を定めとする詩人であっても、芸術への執着心の頗るつよい種族というのはそのような矛盾に身を苛まれ書きつづけざるをえないという状況を強いられているというのが、往々にみられやすい場合であるように想われてならない。
これより、“合理的耽美性”、”不合理的俗悪美-性”というぼくによって名付けられた概念を、わが自画像と対応させながら詳らかに説明しよう。
2 合理的耽美性について
“合理的耽美性”というのは、最早余りに古く、訝りの対象となって了った概念、”崇高性”というそれと強固なかたちで結ばれている。
或いはボオ・ブランメルを起源とするボオドレール的ダンディズムに影響を受けたぼくに云わせれば、”高貴性”と呼んでもよい。これ等は物質的に比喩させれば金属質の概念であるために、硬さと冷たさとを所有する。従って、”合理的耽美性”・”崇高性”と”個人としての人間”との結びつきは砕けやすく、ひとが信条として身につけるには余りに脆い代物であるように疑われてならない。
これ等の概念を包含した世界とは、近代文学でよく語られた云い方から語彙を一部借り説明するならば、”世俗に抜きんでた清浄な貴族性”を含有し、”余人と異なる色彩(色彩学)を衒い冷然な眸をさらす高貴性”を宿し、”厳密にして緻密な形式・様式を重んじる態度性”を条件とし表現しうる、云うなれば古代希臘的な世界に於ける「おしなべて価値あるものは表面の美に表出する」という思想の如きものと関連があるというのがぼくの感覚の裡にある。それの要求する言語表現は壮麗にして人工的なものであり、一種音楽性に欠け美術性に秀でる。表出する観念は飽くまでもfictionの産物でしかない場合がおおく、従って、これはボー・ブランメルに始まりボオドレールやワイルドへと系統づけられる“ダンディズム”、亦唐木順三『詩とデカダンス』曰く「日本人が文学と向き合う上で、余り当人の問題と関係のない」”デカダン”という概念とも、当人と関係する時代性によっては関連があるとぼくは考えている。
デカダンとは、完全な理想が先立ち、それの無き世界で病み窶れていった眸に映る地獄の美を謳う者等、そしてかれ等の生活態度を云うのではないか?
亦、その世界の要求する世界の理想形としては、古代希臘芸術のものにくわえ、ルネサンス運動の志向した”完全性”にも関連があるようにかんがえられ──後述の”不合理的俗悪美性”は、要検討であるけれどもバロック運動の”無限性”と関連があるかもしれない──、この世界への執着心とは、けだし届きえぬ”完全無欠の美”への志向へ創作者を促すというのが往々であるようにぼくによって推測されている。
ニイチェの著作、『悲劇の誕生』で云う”アポロン的”とも親和性がありそうだけれども、ぼくは哲学書を正しく理解できる能力がないので、ここは「もしかしたらそうかもしれぬ」と云う狡い云い方を残しておく。
こういったものに影響を受け、”文体”として見事に体現した日本の作家の代表は、ぼくの主観と独自研究で云うと三島由紀夫である。
然り。かれはわが思春期における崇拝対象に近い存在であったのだった、そして、「ぼくはかれのようになれないだろう」という劣等感──これこそむしろ三島的な感覚ではなかったか?──に、いつだって苛まれていた。
十三で読みはじめ、わが人生の問題として愛読していた。そして二十六の時、一般企業で働きながら自分自身を守護しようとする生き方に神経が限界を迎え、それ迄の若き自己との約束を捨ててでも生存しようとし──このうごきはぼくいわくけだし命の孕む”俗悪性”のそれであり、のちにそれを説明する──、これ迄ぼくに軽蔑されてきた文学をも敢えて読みすすめてきたわが身は、殊に”坂口安吾文学”、金子光晴の著作”絶望の精神死”によって命を救われたのだった。「”ロマン派に影響を受けた右翼的な人間”になろうとするも”所属する集団への愛”をまったくもって読解できず、全くそうなる気配すらなきわが身」は轟々と力づよい虚無の風に吹きとばされ──これは不合理的俗悪美性の孕む”無限性”と親和性がありそうだ──がらんどうへと投げ棄てられたのだった。
亦、生存があやうい精神状態を続けながらも、自分自身を苦しめるわが美的感覚を絶対に棄てたくないために縋りはじめたシモーヌ・ヴェイユの著作、『重力と恩寵』の影響によって、「ぼくの追究対象──詳しくは後述──は三島的な”自己犠牲”ではなかった、その対象に恐るおそる言葉を与えるならば、もしや”自己無化”という言葉に狭められるべきであり──ぼくはこれを現代でもっとも美しく儚くいたましく謳いあげられうる詩人とは、水沢なお氏であると考えている──、かれの死は殆どその対極にあったであろう。と云うのも、かれによって執筆され芸術として顕され、ついに実行された自死とは、それへの意欲の話をするならば、殉死しているわが身の霊肉ひっくるめて、”美しき自己”という一面の固定された絵画的な風景へ全ての芸術的な努力、熱を集約させたかたちで注ぎこんだそれではなかったか? かれの文学は、理想の自己犠牲を実現しようと求め綴られた言葉によって為されたのでなかったか? いわゆる、自己を中心とした過剰なうごきを求めたそれではなかったか?」と今更になって考えはじめて──つまりは、わりと多数派の解釈になったということである──美文調と論文調の文体への尊敬・フェティシズムだけをしっかりと残し、現在、殆ど三島文学自体には飽きて了っている。無関心である。端的に云うと、当時ぼくにとり三島由紀夫は、任侠映画に被れ武家を誇る父親の代替でもあったようだ。
例えばニイチェにとっての基督教へのそれ、バタイユとシオランにとってのニイチェへのそれのように、過去の愛があったからこその劇しいアンチテーゼ的な感情と云う呪わしいものが存在するけれども、それすらそれ程には湧かないのがぼくの現在、最早、”仕事と作品、努力を尊敬はするが普段は殆ど無関心”という、もっとも愛着心なきかたちで部屋の隅の本棚に全集を二列でコンパクトに積んでいる始末である。
爾来、鮮血さながらに赤々と照り燦く背表紙から耀く金の鏤めに、恰も美麗な流し目で視られているという様式で部屋にいるのだけれども、其方へ視線を殆ど投げもしない。机に向かい、夜もすがら数時間程度シモーヌ・ヴェイユとスピノザの思想書乃至研究書を解らないまま(唸りながら)読む一日一日を最近は送っている。中原中也・仏象徴派芸術関連の書物への愛好は継続しているけれども、「やはりこういうのが好きだった」という気持で、日本の小説で云うと無頼派のものをこのんで読み耽っている。
小説を書きはじめた十七のとき──詩作にちがいものは十二からである、死んだ野良犬の美をぼくだけがみいだしえるという孤独を謳った詩だった、我ながら貫きすぎである──、ぼくの執筆は三島由紀夫の理知的にして美文調の文体の模倣から出発したのだった。
然り、全集をほぼ読んだぼくの目には、三島の小説に血肉を孕み有機としてうごくリアルな人間はいなかったような憶えがある。かれの小説に出てくる人物は皆なんらかのメタファーとして固まっており──たとえば”春子”、遊び人、おそらくや、”戦後民主主義的な何か”の象徴──様式的なストーリーはかれの思想を象徴として暗示・説明させるために論理的に構成され、一つの結末へ畳みこまれているようにみうけられ、ぼくは、三島由紀夫と云う作家は小説家的な気質がやや少なく、詩人と観念的論理家に近い気質に生れもったのではないかと推察している。心理分析も亦、観念的論理性によるものを感じる。
当時、昔の文学青年のような模写こそしていないけれども、かれのそれにくわえて、志賀直哉と森鴎外の”文体”への尊敬を自己に強いた。
日本文学史的にここで本来並べられるべきとぼくに判断される川端康成は、父親が「読め」とつよく勧めたために意地になって読まなかったのだった、ところで父は三島由紀夫を憎悪しているために(それなら何故川端康成が好きなのか、いまだによく解っていない)、しばしば三島を読み耽るぼくに禁止を命令したが、かれ、芸術に執着心のある人間のこころをなにも解っていなかったようである。
想像がつくように、その禁止命令によってぼくの暗い反逆心は轟々と炎えあがったのだった、すぐに辞めたコンビニバイトの給与で古書の全集を買っちまい、評論はすべて、小説は明らかな娯楽小説を幾つか省いて始めから豊饒の海の途中迄──そこで離れた、しかし『春の雪』は死ぬ迄にもういっぺんは読みたい、けれども如何せん疾患の影響で文章が頭に入る時期がすくなく他に読みたい本が多いので、まだ先である──ぼくへ読ましめたのは、ひとえに父の与えた禁止が三島由文学追究への意欲を増大させたのが原因であった。
ボオドレールへの『悪の華』数編発禁処分、逆効果なのはぼく等には明らかであろう。
エゴン・シーレの暗い頽廃の熱は、ナチスに弾圧されたからこそ更に炎えあがった──否。炎え沈んだ、のだと想う。
当時影響を受けた仏蘭西詩の翻訳でいえば、瀟洒な音楽で歌うような堀口大學のそれよりも、古色蒼然にして絶世の壮麗さをひからせる”建築”めいた言葉として名声高いかの上田敏、のみならず齋藤磯雄と鈴木信太郎の高き格調と崇高性──即ち、古いものだ──を印象づける、恰も言葉を彫り込んだような、”うごかぬ一面の美麗な絵画”さながらの翻訳に陶然としていたのだった、一言一句、厳密に撰びとられた完全無欠な美しい言葉というものを志向していたのだった──ところで最近は余りに書き殴りすぎている、反省がつよい──。
作品の一字を無許可で変えた出版社や新聞社と絶縁した川端と谷崎のエゴイズムを、文学者として当然の態度であると当時理解していた。
*
この世界に強烈に惹かれていた原因の推察を書こう。これは飽くまでぼくの個人的なものであり、他者にそれが適用されるかは判らないし、あなたにもしないでいただきたい。
当時ぼくは、命のうごきというものに激しい不気味さを感じていたのだった、恰も体温と体液を宿す”うごき”を拒絶していて、冷然にして硬質な、若しや永遠性すら秘めた、既にして凝固している”一面の美術的な芸術世界”を愛好していたのである。たとえば”氷晶石”。溶けない氷とされていた、美しき鉱石。或いは死。殊には美しき悲劇のそれ。くわえて、水晶。睡る、水晶。
ぼくはその対極にあるもの等へ、劇しい嫌悪をもっていたのである。その対象の例としてあげられる名辞の示す範囲は余りにも広く、そして、ぼくとぼくがいま在る状況と絶対に切り離せない(絶縁不可能)問題を孕んでいた。
命。
人間。
生。
ぼくは恰もこれ等から逃げるように冷然硬質な美的世界を構築しようとし、その領域を住所として世界へ背を向けていたのだ。この意欲によって文章を書いていたのは二十四歳くらいまでだろうか、丁度『後ろめたい少女たち』が二十四で書いたもの──これ迄の憧れへの懐疑と嫌悪に張り裂けそうな時期──、其処から脱出し切ろうとして書いた『睡る水晶』が、二十五、二十六である。ぼくの態度性の誇示が『聖ビッチ』のラストの文章、”たとい、幾たび斃れても、わたしはぜったい手折られぬ”である(ちなみに、元々は大好きな詩人の文月悠光氏へのキャッチコピーとして考えたものがこれ)。
従って、奇妙な日本語かもしれないが、ぼくにとり”思春期”とは、自意識の問題に気が付いた八歳から、”ぼくはぼくとして生きる”と”生きていたくない”がシノニムであった二十四、五歳までを示す。
*
たとえば、前述したこれ等に影響されたものでいまだにこの文章にも強烈に発見される特徴の一つを率直に申せば、”閉鎖的なぺダンティシズム”とも云えるそれであろう。
ぺダンティシズム的表現とはむろん選民意識や優越感と結びついた、ともすれば快楽を与えるそれであるから、少数ではあっても、或る特定のひとたちにとって魅力を感じえることはきっと間違いがなく、ぼくはこんな感情をそれ程には否定したくない者だ(勿論、快楽の有無は創作自体に魅力があるかによる)。
たとえばエドガア・ポオを読みやすく解りやすく翻訳して出版することは、ターゲットをみまがっているようにぼくには想われる。古色蒼然な漢熟語の宝玉さながらの鏤め、古代希臘や古い異国の文献から採った晦渋な知性による言葉の引用(ラテン語の綴りそのままの名詞を時々置くなんて凄くいい)、そして、数学の証明文さながらに美しい硬質な論文調──これ等がぼく等ポオ愛読者の求める要素であり、かずかずの先人の翻訳には多大なる感謝を捧げているつもりである。
前述の文章態度は、このぺダンティシズムと絶縁することは殆ど不可能ではないかと訝られるけれども──”合理的耽美性”で突っ走れば、同じ趣味の人間以外を置いてきぼりにし、その他の読者には嫌な印象を与えてしまう可能性が高いだろう──、ここを詳しく説明する力はぼくにないので、以降は自分の文章の書き方の話をさせていただく。
*
書き手としてのわが性質の話であるけれども、孤絶的な気質をもったぼくには書きたいことを伝わりやすいように書きたいという欲求そのものがあまりない。そして、これは後述の不合理的俗悪美性のほうに関連するのだけれども、それよりは喉から込みあがるような躁がしき意欲の迸るままに歌いたい。ぼくは書くのがかなり早く、頭で沸く散文詩的想念のはしるスピードにキーボードのそれが追い付かない(ぼくはキーボードスピード検定のようなものでいうと1級レベル)。そうしてできあがったそれは、おおくの場合理屈っぽい散文詩のようなふしぎな言語になって了う。
おのずとそういう文章を書いて了う。それ故にこそぼくはみずからを”詩人”であると自負する立場にあるというものも亦一つあるのであり──他にも理由はある──、ぼくは、わざわざ名乗りあげて迄も自己を”詩人”だと定義する類の詩書きである。
詩人なんていないという立場をとる作家的立場の詩人も沢山いるし、亦いないと信じながらも敢えて名乗るという態度も存在するが、ぼくはそれ等ではなく、「ぼくは詩人だ」という一種古臭い自恃を衒うタイプであるということだ。
このような文章を書いていたぼくは嘗て、「こういう表現でしか書けないものを扱っているから、こう書くほかはないのだ」と自己に嘯いてきたのだけれども、この特徴は多分にぼくの能力不足乃至思考の偏りが原因していると推測されており、それ以上の考察は自分でするにはむずかしい。
ぼくは萩原朔太郎いわく、「変質者」であるとおもう。中原中也は勿論、詩人はみな変質的なところがあると、かれは書いた。
されどそういう書き方しかできないのは、後天的につくられた性格の原因もあるだろう。
それというのも、ぼくが孤絶的な傲慢さをもっているのは殆ど自他に明らかであるのだけれども──であるからダンディズムを愛好しているのだとおもう。ぼくは、ぼくの権力構造を自己に閉じ込めることで、なるべく他者を傷つけないようにした──、何故ぼくが苦心した言葉の限定性──どうせ自分は愛されるに値しないし、であるから理解したいという人間もそうはいないだろう、さすれば伝わるように書いて誤読されるくらいなら読むことを諦めさせ、「知性を衒う病める虚栄心の塊だ」ときらわれたほうがマシだし、それでも読んでくれるような「同じ痛みをかかえたひと」にだけ届けばいい、そんな嫌な性格をしているのがぼくなのであり、これは推測であるけれども、幼少期から少年期に掛けての”存在を否定する言葉”、”死を要求する言葉”とともに刻まれた暴力の疎外的な生活のなかで、世界と自己を一度切り離し、知的な世界・芸術的な世界への優越感のみに縋ってわが身に”生存の資格”を与えていた経験が働いているような気もするのだ──、それよりも読み易さを重視して連ねられた文章をえらび、ぼくの抱える病める観念(箱に容れる靄)と適切な関係を結ぶために詩的に苦心して撰びとられた適切な概念(靄を容れる箱)という”厳密な関係性”を砕いて、ふわりと広範で淡い云い方をして誤読を佳としなければいけないのか、いつも疑問におもうのである。
抑々がぼくの執筆は社会的な責任を負った職業ではないために、その必要はない。そのようにかんがえて了う倨傲な性格をしているのも亦、この特徴をかたちづくる原因の一つであるだろう。
くわえて、他者のなかで生き抜くために──働きえる人間になるための処世術をえるために──ある程度手放したものではあるものの、ぼくは言葉を呈す相手にわかり易く伝えるための言葉選びというのを殆ど拒絶し、ぼく固有の言葉を守護しようとする孤立者が元来の気質であるし──中原中也はけだしそういう人間であり、その態度を生涯守ったとおもう、というのもかれは散文詩ですらなんだか下手な印象で、エッセイは何を言っているのかよく解らず、詩と比較して文章もあまり魅力がないとよくいわれている、会話でも訳の解らないことばかり言い、意味の通じていない相手に対し勝手に怒りはじめていたようだ、こんな人間が会社でやっていけるわけがない──、云うなれば浮世離れしていて配慮がないというか、畢竟ぼくという人間にはある種の優しさが幾つか欠損しているようなのである。
ぼくは自分のことを、自分の痛みに敏感で、他者の痛みに鈍感なタイプだとかんがえている。
そのようなこともあって、ぼくは人間の集団に心から馴染んだ気分を一瞬だって経験したことがない。
想うに、けだしこれを書いている現在も亦そうであるのだが、無我夢中で自分と自分がお喋りしているような文章を書き殴っている最中のぼくには、読者層というものを念頭に置くことが頗るむずかしい。
出版社から最終選考通過迄させていただいたわが少女小説なんかは、読んでいただくために抑制の効いている、一文一文毎に一息置いて読んでくださる方に与える印象をかんがえぬいた、なるたけひとりに語りかけようとした、云わばぼくにしては一種禁欲的な執筆によるものであった。これは太宰治の書き方から盗みとった手段であって、そういえばあの小説は、友人たちから一気に読ませる力があったといわれてかなりの逆説を感じた。一気に書いた散文はいつも読みにくいと云われるし、ぼくは「ぼくは詩人だ」だといつもいつも云っているのに、詩が特に好きだと云ってくれるひとが殆どいない。
*
思春期の文章は、はや過ぎて了ったようだ。
現在のぼくが夢中で書き殴っている観念的な詩、散文というのは、恰も自制の狂った異様な精神状態のさせる、躁がしくも無責任きわまりない、がなり立てる酔いどれの調子はずれの歌にも似たインチキなのである。
されどぼくがずっと好きな言葉──それは、”真善美”。
ぼくはのちの推敲でインチキを消そう消そうとし、殆ど泣きそうになりながらみずからの不誠実と不注意を呪う。特に小説などの散文は、単なる自己意識への挑戦状にしかなりえないことがおおく、そういったわが病気との対決の経緯の報告書ともいえるのであり──ぼくはわが純文学的表現めいた散文を「観念的病状報告書」であるにすぎないと自嘲し、その形式でわが魂への外科手術の手捌きを衒おうとしているのだ──それ、無惨な、敗北の、破れかぶれな結論なき結末の放擲に終わるのが悉くだ。
*
つらつらと独りお喋りを披露してきたが、ぼくによって強調・デフォルメされて過度にアピールされた、”自己凝視への激しくも閉ざされたわが意欲”を感じていただいたならば、この先の”不合理的俗悪美性”の話がしやすい。
3 不合理的俗悪美性
ぼくが不合理性への憧れがあるのは、けだしこのような俗悪なる自意識ばかりを眺めまわして鬱積し自責しつづける生活への自己嫌悪的破壊衝動が起こるためであり、おぞましいぼくを映す鏡を砕き割って自己を投げだし、他者のためになにかをしたい、その意欲で無我夢中でうごいてみたい、いわば無化という理想へ侍りもしてみたいというつよすぎる自己愛の為させた誇大妄想への意欲を起点とし、否応なく頭でまわり止まれない思考をすすめてきたのが原因の一つではないかと推測されている。
これは本当に危険な意欲なのだけれども、已めようとしてやめられるものではないといまのところは判断されているのだから、勉強と注意をしながら、倫理的なものに限定させて伸ばすより他はぼくに残されていないように想う。フェティシズムとは、のばすよりほかなき罪の花なのだから。
好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。
──坂口安吾『夜長姫と耳男』
自己の改善・改良のために詩的な方法で為された、試行錯誤・執筆・実践・敗北・報告…それを重ねてきたのが青津亮の文章──特に散文はそうだと想う、ところで、ぼくは自分を散文詩人だと考えている、ヴァレリイは詩をダンス、散文を歩行ととらえた──のうごきであるのかもしれない。
即ち、ぼくの文章とは、思春期に求めていたそれの一つ、固定された・限定された結論を拒絶しているのである。できることなら、有限の世界と知りつつも恰も無限的なうごきをめざすように生き、書き、生き方(書き方)のうごきを現実と対応させながら模索し、注意ぶかく過ちに気付こうとし、亦それを探し、「ぼくは如何に生きるか」という問題を狭めようとし──巧くいかない、むしろ拡がっちまって頭が忙しい──「如何にうごくか」という主題に執着させられた人間の宿命を、繰り返し繰り返しの終わりなき過程として間接的に浮び上げるようなかたちで書いているつもりなのである。
であるからぼくの小説の殆どは結末を決めていなかったし、”肉体のアナキズム”・“青き血、銀の精”の二つの散文詩集はけだし冒険のような気持で書き殴った、失敗した。
ぼくは自分で云うのは恥ずかしいけれども、散文・散文詩の分野では「うごきの文学」をやりたいと考えていて、宗教や思想は尊重しているつもりだけれども何何主義者や何何教信仰者になり固定されることを拒絶している。手折られない。ぼくは、絶対に手折られない。跪かない──かの青空の下の死の時迄は。
この書き方の態度は、ほかでもない坂口安吾に教わったのだった、そしてこの生き方は、かれの言葉にいつも勇気づけられているのである。
云わば、”冷然硬質”な観念的世界をじっとみすえながら、”冷然硬質に自己(言葉)が固まること”をわが身に禁じ、その上で熱く滾りうねうねと陰影を躍らせるような一種不気味にしてなんとなしに愛らしい”現実”を生きようとしている(書こうとしている)立場がぼくだと云うことである。即ち、思春期とは文体だけでなく、やはり方向性が変わったのだと、自分では想っている。
されどつぎの気持は、『幸福の王子』に感動していた幼少期から全く変わっていないつもりだ。
ぼくは、自分のためだけにうごくという生き方に、なにか、決定的な拒絶の気持がある。
これはもしや、ひとみなに睡る心の領域、”人-性”のこぼす歌と関連するのか? 要検討。
大自己嫌悪家という人種のなかには、みょうに美しい言葉に凝った文章、過剰に自己憐憫を注ぎこんだ切ない悲劇を書くひとが多くみつかると、あなたは思ったことがないだろうか。切ない物語を書けるのは、大自己憐憫家でもあるような気がする。アンデルセンとフィッツジェラルドは、おそらくや、大自己憐憫家です。
自己無化。
他者への愛。
そういうものを、ぼくは夢想してきた。ぼくのような人間には、すべて不可能であるから。
思春期の頃は、そうではないものすべてに嫌悪を感じるほどの劇しさで、ぼくはそれ等の美しさを夢みてきた。
ぼくが小説を書く際に妙に主題として執着している”男性の性欲への嫌悪”はその最たるものの一つであった、夢みていた”プラトニックラブ”と殆ど敵視し合う”男性の性欲”というエネルギーが、「好きなひとを大切にする」というのが当然の前提である”恋愛”や”結婚”と切り離すことができないだなんて、そして、それを自分も所有しているだなんて、自分の躰がセックスによって生れてきただなんて──ちなみにぼくの両親は元遊び人、なれそめはナンパである、中学の時はこれで頗る苦しんだ──はや、狂いそうであった。告白しよう。中学の時、penisを切り取ろうと本気で悩んでいたことがある。調べたら解ったのだが、目的は達成できない。
愛と性欲を、ぼくは切り離したかったのだ。自分の理想どおりに他者を愛せない自分をこんなにも否定するくらいに自己への愛を優先させ、社会的義務(労働し、勤務時間だけやるべきことをやればなんでもいいとおもっている)や実際の他者への優しさをおろそかにする、ぼくは、要はこんな人間だ。
ところで、ぼくが必要としていて、生涯を掛けて追及する決意をしている”シモーヌ・ヴェイユ思想”とは──永遠に、要検討。
なぜといい、ぼくは生きている間ギリギリ迄如何なる美・善にもけっして跪かないし、如何なる美・善にも手折られはしないから。嗚。美と善、もしやどちらに跪き、どちらに手折られるのか。まだ、ぼくには美と善の区別がつかない(ヴェイユはこれを怠慢だと書いた)。要検討。
俺は泉の畔に佇むけれども(中略)、喉の渇きで死んでやろう。
フランソワ・ヴィヨンは、偉かった。詩人として、という意味だけにおいて。中世にかれが在ったのは、凄まじい孤絶をかれに強いただろう。
かれは、あの時代に在ってキリストに頼らなかったのだ。跪き、手折られることを、断固拒んだ。
ぼくはわが言葉の世界で、そういうものにみえるけれどもそうではないと見做したものを破壊し──ほとんどの美徳は、偽装された悪徳である、そう、”ほとんどの”。ぼくはそれの残りを、生涯を掛けて発見しようとしている──砕け無に還ったのちの風景を妄想し、そのうえでしか立てぬ誇大妄想的な美しい夢を立ち上げようとし、それがインチキだと気づいては壊し、無惨な結果をネットという海に泳がしてまるで平然、否、自己欺瞞、じつは平然としていない、ぼくはこれだけでも”他者へ与えかねぬ影響”というものがおそろしくてたまらない──それに伴って壊して往こうとするぼくの穢れた心を注視し、我の醜さにくるしむ自己すら横からみすえて、唯、一途に死を──美しきそれなんかじゃない──惨めにして罰当たりな死を俟希んでいるような気がする。
死は、けだし冷然硬質性の極北であるように想われてならない──殊に、きわめて美しく哀しくみえるそれは。
しかしながら、こんな「仮の幻想的理想──それは他者を愛するという憧れの投影された城、ぼくに謳われた云い方ならば、届きえぬ”月硝子城”である、ぼくは”愛する”という状態を絶対に絶対に結論づけないけれども、それは”対象を信じる”と”対象を大切にする”という感情・行動の重なる領域を云うような気がする。要検討──を設定し、なんらかの安定的な信仰を拒みながら現実で生きようとし、それに付随するいたみを引き受け、それを幾度もくりかえす」という俗悪のうごきそのものに”俗悪-美”をみいだすというのは──到達不能の月硝子城への惨憺たるジャンプと失墜に伴う体液──合理的耽美性がきらうもの、それはおそらくや体液だ、なぜといい、それは有機的で、生あたたかく、いやな匂いで、生きるために垂れるような液体質を保たせているから、ぼくは最早、これの噴きだし垂れるうごきを愛す。身投するように愛してやる──を書きつづける、無謀にして無為なうごきを綴りつづけるという愚か者に”kitsch”をみいだすというのは──果して、わが身に赦されていようか? 要検討。
こういった感覚、生は、やはり病的なものであるとかんがえる。なんらかの治療の対象になりえるとかんがえる。くわえて、わが全的な人格にすら「治療の必要あり」とみなされる可能性がきわめて高いようにもおもわれる──ぼくは学術的な専門用語を、殊に人間をおしはかるうえでの医学用語をわが文章にはぜったいに使いたくない、大学教育と云うのはやはり価値がある──。双極性障害Ⅱ型、これを診断されていることは書いておく。
されどおそろしいことには、精神薬と睡眠薬を欠かさず飲むことはしているけれども、ぼくはこの病的な人格を、矯正する気がないのである。
なぜといい、ぼくはこのような嫌悪と憧れに生きざるをえぬ、観念的な意味における病人、そうでしかありえない人間──ぼくはもしや、そうでしかありえない人間ではないかもしれない、それが怖いが、しかし、ここまでこう生きて了ったら、死ぬ迄詩人でいるしかない。中原に、賛成。と云うのも、詩を棄てた天才ランボオより、才能が枯れても書きつづけた趣味人ヴェルレエヌのほうが、詩人としては偉いのだ(そしてかわゆらしいのだ)──の隣で夢を語り合い、はにかみながら一瞬だけみつめあい、また眼を逸らして、どうせ死にたいくらいに苦しい生を生き抜こうねと伝えてみたいから。否、折角のいちどきりのわが人生を、ぼく自身がそういう風に使ってみたいから──なぜって、ぼくは抑々生れてきたくなかったから──。
ぼくはこれ迄説明してきたようなわが意欲に、むろん他者へのひらかれた愛を一切発見できない。ぼくの文章はすべて自己無化どころか、自己しか見えていない人間の言葉である。
(ひらいて)
従って、ぼくはこの病める領域に佇み、この理想から眸をけっして外さないという、詩的義務があることが明らかになる。
ぼくは、病んでいる──然り。
そう呻き、恰も翔べない翼をはためかせるように、ごつごつと脹れた手足をばたつかせるのみである。然り。それで、然り。ぼくは一種、この生き方に余計な自尊心すらある。つまりは、この不可解なうごきをかるがるしく侮辱されたら、ごくふつうに怒りが湧くのである。プライドが傷つけられるのである。”俺は俺固有の生き方を頑張っている”という自尊心があるのだろう。
自己無化とはそれを手放すことが必要な手続である筈だけれども、しかし、これはこれでキライではない感情でもある。
ぼくがこんな病人でありつづける理由を一言で云うならば──ぼくがこうであらなかったら、ぼくが文章を書く意味はないから。それは、ぼくの”生きたい理由”を喪失させて了うから。
ぼくにとり書くことは、生きることのシノニムでしかない。
ぼくが”詩”を失って了ったら、親の悲しみへの配慮と納税したいという気持だけで義務的に生きるほかはなくなって了うけれども、多分、それだけで生きるのは、ぼくには厳しいと想う。
書かないと、死ぬ。
生きないと、書けない。
だから、書く。
故に、生きる。
唯、それだけだ。
(酸欠少女さユりの可憐なる生へ花を投げる音楽を、ここで沈黙として響かせさせてみたい)
*
ぼくがもっとも人間の俗悪-美を感じるのは、先程に少しだけ語った”自尊心”というものの無尽蔵性である。
一部の犯罪者や喫煙者が「俺達は悪を自覚しているから、自覚していない市民よりはマシだ」と云うのは如何にも俗悪で、言葉そのものだって犯罪的である。そして、たいていのひとから見たぼくの生き方への印象も、この言葉の与える印象に近いだろう。ちゃんとした生き方ができないから、したくないから、開き直っているようにしか感じさせないとよく云われる。実際、一面的に云うとそうなのである。けれども、倫理や美辞麗句から堕ちた領域の命の意欲とは、ほんとうは、そういうものではないだろうか。死にたくないからじたばたとのたうつ。低劣に下がるくらいなら歪に変容させて醜いかたちでも高い位置に残そうとする。踏まれてのたうつ昆虫の不気味な惨めさに、ぼくは、ぼく自身の俗悪を発見し、双方を肯定しえる。
命の火とは、俗悪だ。
たとえばぼくは──これの主語を”人間”とする権利はぼくにない、だからわが文章には”ぼく”が多すぎる──これ迄わが身のために、如何なる価値尺度も攻撃しえる思春期を経て、どうしても優位に立っていたいから独自のピラミッドを構築し、上の方へわが身を置いて、社会の主流の価値観によるまっすぐな自己批判から逃げつづけた。それから逃げられるなら、如何なるインチキも妥協も自己にゆるしえた。
ところで、自己批判を誠実にしつづけたために可能な範囲で透るまで自己がみえてきた人間には、もしや、こんな強かで卑怯な生き方はできないのかもしれない。或いは──。
*
ぼくは、兎にも角にも卑怯が嫌いなのである。
他人にはそれなりに卑怯であるぼくであるけれども、自己への卑怯をどうしても嫌がるろくでもない人間なのだ。
詩を書くような人間は中原中也の性格くらいで丁度いいと、半ば、本気で感じている。卑俗は逃れられぬ。俗悪でもいい──坂口はこれをダメだと書いたが、ぼくたちはこの言葉へ与えた意味がちがう──だが、卑怯だけは、嫌なのだ。ぼくは卑怯である。のみならず、卑劣だ。されど、それをみつめうる視線をうごかさない限り、それによってできる限り自己を操縦しようとしている限り、ぼくは、わが身に”俗悪な人間としての可憐”という花冠を与えうる。或いは美は?──そげなものあったとしたら俺は気付かぬふりをするだけだ、或る無いものを在ると仮定して生き、或る在るかもしれないものを無いと仮定して書く、それがぼくの書き方なんだ。
ぼくは、わが身だけには、”生存の資格を与えるか与えないかを選べる”という、優越の立場にありたかったのだった。これは強い人間の考え方ではない。優れた人間の証ではない。病める人間のそれである。これは確かにボオドレール的ダンディズムと親和性があるようもに想われ、亦、三島由紀夫と二階堂奥歯の考えにもおなじような言葉が発見される気がする。
ぼくはそれを注視しながら治すべきか否かを明るめようとし、一面的に云えば一部を治そうともしているが、なかなか治るものではないだろう。
だが、その裁きを内心の気持だけでも他者に向けることは、絶対にしてはならないことだとおもう。自己には義務を先立たせ、他者には権利を優先させる。ぼくは、そうでありたいから。
即ち、ぼくはサディストで、権力志向がつよすぎるから、なるべく他者を傷つけないようにそれを自己に閉じ込め、なるべく他者を傷つけないように明確に敵を設定し、それとだけ争おうとしている。
敵──”我”、”リフジン”。
争う側の主体を、いつか、”わたし”にする。
わたしは”わたし”としてありたい。
この文脈での”わたし”であり、それには心の根の一領域にあるprimitiveなわたしと、人工的でダンディズム的なわたしを重ね合わせなければならない。双方は決して交じり合えず、綾織られもしない。であるから、挑戦している。
“わたし”をぼくよりも優位に立たせたい、上に置きつづけたい。勝つ。その状態はない。されど、負けない。これは、可能だ。
幾たび理想への跳躍に敗北し失墜者を自認しても、ぼく等は、世界に身投し善をみすえながらわが倫理を考えつづけ、他者たちのなかで自分自身の生を模索しながら、苦しみを引き受けて現実と争っていれば、けっして、断じて、負けてはいない。坂口安吾のいいところは、こんな、古代希臘から謳われてきた素朴にして少年漫画的な言葉を叫びえたところだ。
幾ら他者に負けてもいい。社会の階層で下にあってもいい。それで揶揄されても、それは”リフジン”ともいえないとるにたらないことだとぼくは見做すから、「そうですか」と流してもいい(ここでかなり冷たい目をするらしく、きらわれる。ぼくはこのときのぼくの嫌な雰囲気はたぶんボオドレール的だと自己愛的におもっている)。
されど、ぼくは、絶対にぼくに負けたくない。そして、このぼくという対象を、できることなら支配したい。この孤絶の閉鎖の格闘で王者になり、むしろ惨めに死にたいのだ。
夢。
理想的な詩を書きたい──不可能ではない。そう、信ずる。
他者のためにうごきえる、つよくて優しいひとになりたい──不可能。
後者は不可能。従って、ぼくはこの生き方を選ぶ。自殺しないために。「わが人生、完成」と自己欺瞞し、身投の権利をうすら笑いする自己に与えない為に。ぼくは絶対に、自己の生き方、書き方の完成という自己評価をわが身に与えない。要検討、この途上でしか死なない。
ぼくはアウトサイダーを突っ切ったような自己紹介をしているけれども、前述したように、じつは権力への至高が人一倍つよく、サディズムの気があるのである。
幾たびも幾たびも暴力とともにメッセージされてきたけれども、自分が”人間”という主語で最底辺の劣位に在り、であるから死ぬべき人間であると、心の底から受け容れることは、一瞬だってできなかった。だから、世界と自己を切り離して迄生存しようとした。元来の脳の状態を、かなり失った。そして自分を人間ではないと定義し、思い込んだ。自分は絶対的に愛されない種であると刻まれ、それが治る見込みがないどころか、それを活かして自分の生きる意味をつくった。
だから、いま、死んでいないのだろう。これが人-性の本性だなぞと云う資格はぼくにない、これは飽くまで、ぼくの話である。
ぼくは”わたし”として、自己を奴隷とする、サディストの御主人様でありたい。けだしこれが、ボオドレール的ダンディの本質の一つでもあると考える。
自分は最底辺だ。最も劣っている。死に値する。我の強い傲慢なぼくはそんな言葉を受け容れられなかったが、現実のほうにうごくことの難しい状況があり、少年期、自己を「誤りと悪と醜の種族」であると定義し、人間のかたちをした非人間だと自己をみなし、虫の括りであるが昆虫ではない嫌われ者でひとりぼっちの蜘蛛に自己を投影し、世界から自己を切り離した。その刹那、何かが乖離した。世界がちがって見えてきた。世界本来の色彩が砂のように毀れ落ちた。砂漠の眸へ武装された。石原吉朗のそれ以外には共鳴しえない、或る孤独がぼくの腹にわだかまった。これが病の始まりだったのかもしれない。されどそう迄してでも、ぼくは生きようとした。
ひとびとから非難される人格になっても、忌み嫌われる人間観・世界観をもってでも、ぼくは、生きようとした。
ぼくの自尊心は、死ぬことに抵抗した。
ぼくはこの命の正直な意欲を、病んででも生き抜こうとしたぼくの精神の選択を、恐る恐る、細心の注意を払い、書きながら肯定しようと生きている立場だ。
だから、どうにかこうにかすれば、きっと、すべてのあなたのことも一種肯定できるとおもう。あなたは、そうまでしてでも生き抜いたのだ。
ぼくは昔から、自分はかなり偉い人間だと思っていた、いまでもそうだ。幾たびも劣等感に苦しみ(ここからは逃げた、いまは楽だ)、自己を否定し、自殺願望は現在も不断、自傷もODも自殺企図を避ける目的では少々してきたし、自殺未遂も一度はある、されど”俺は自分が生きることを選択するのなら、生きるに値する存在だ”という程度には、自尊心を守りつづけた。「腹を切れ」、「自殺しろ」、そういわれても、しなかった。ぼくは存在と自尊心の是非を暴力と暴言によって否定されてきたから、これを守り抜けたというのは、ぼくの俗悪な傲慢さをおそらくや示す。
そして、こうして生き、犯罪へ向かわなかったことは周囲から何らかの良心を与えられてきたことを証明する為に、ぼくは人間に絶望する権利を与えられておらず、ぼく自身によって規定された義務、人間の善性を信じようとし、たとえ不可能であっても、他者を大切にできる人間になろうとしなければいけないという義務を先立たせなければいけないという義務を与えられている。
従って、他者のこういった自尊心を失くす権利を、誰にだって与えてほしくない。だから、ぼくは基本的にひとの存在を否定する言葉を是認しない。
他者の自尊心の存在の是非を、裁かないでくれ。ましてはそのひとの存在の是非を、裁かないでくれ。
従って、あなたは存在していい。存在していい。存在してもいいに決まっているだろう。それに、ほんとうは、ある程度以上は大切にされるべきだとおもう。
救世主きどり、歪んだ自己愛、自分でも気持ち悪くて気持ち悪くて、顔を覆ってくしゃと泣き出しちまいそうな素直な気持を、つぎに書く。ぼくは、泣き笑いで告白をする。
ぼくは此の世から自殺がなくなる迄、ぜったいに幸せになりたくない。
暗い目をしていたい。なぜって、そうでないと、こういう文章が書けるわけがない。ぼくはこんな主題への追求だけが生きたい理由だったのだから、今更、生き方をがらっと変える気はない。この生きる目的を奪われたら、もう、生きたい理由は残らない。なぜって、すでにしてぼくはそれ等を殺しつづけたのだ。ぼくは、精神的に楽になる方が、自殺にちかづくとおもう。ぼくはもう自殺しようとしないから、楽になる気はない。
(ぼくは生きるに値する。ここ迄読んでくれたあなたもそうだ、そうに決まっている。ぼくの文章を読んでくれるようなあなたは病んでいるかもしれないが、生きるに値する。再び云うが、なんなら、ある程度以上大切にされるべき存在だ。せめて、自分自身で自分を大切にしてほしい。”大丈夫、大丈夫”、そう声を掛けてほしい。自己肯定? 申し訳ない、ぼくには読解できない。ちがう。あなたは存在してもいいと、これ迄頑張ってきたからいまを生きているのだと、その事実を、否、そうであれというわが悲願を、祈るように生きてきたぼくの希望を、詩を、知ってほしいだけだ)
ぼくの父方の祖父迄の親戚が田舎政治家や経営者ばかりなのを想えば、権力志向と闘争心のつよい血筋を受けたと推測して完全な誤りではないかもしれない──闘争心とは、優劣への執着といったい切り離せるのだろうか? 要検討──かれ等、所謂、どこか攻撃的で、集団の中で上へ昇りたいという意欲がつよく、裏を返せば、下を見下して気持よくなりたい、何ならいためつけたいという欲望すらつよい傾向があるような気がする。
むろん、ぼくも亦然りだ。
同じものを所有するぼくは、その優劣を振りかざすナイフを他者へ向けることを拒み、無尽蔵に伸びようとする自尊心という火を、自己という人工王国に閉じ込め──これは西洋のダンディズムの亜流であり、現代の日本人の問題とも対応できると考えている。ファッションは皮膚の外側だからそのひとじゃない? 皮膚の外側を自分自身によって決定できる要素なんて、服装以外になかなかありません。だから、いいのだ。意志が宿りえるのだから──上下を逆転させてうごいているだけであり、これは、ニイチェの云ったルサンチマンという言葉とかなり似ているかもしれないが、もう、いい。
ここで漸く、ぼくの、できるだけひとを軽蔑したり傷つけないように注意しながら、ぼく固有の自尊心を守護できる生き方というものを紹介できたような気がする。
*
権力へのうごきは、やはり、俗悪だとおもう。そして、やはりカッコいいことでもあり、優れた生き方の一つでもあるとおもう。
自分が優越するために戦うということは、どこかワルいことだ。誰かを、きっと苦しめているから。視えないひとを、どこかで蹴り潰しているのだから。
だが、ヴェイユはこれをやや否定的な気持で云ったと想うのだが、この心のうごきは──強い。恰もそれは、重力に従うかのようである。従って、ぼくは”悪”を半分だけ肯定して了う立場をえらんだ。悪を為したくなければ、生れてこない以外の選択肢が、まだ、ぼくには見つからないのだから。
生まれてきた。生まれたいなんて一言も言っていないのに。悪を為したくない。人間は生きているだけで、”ひとや世界の何らかの良いものを損なわせる”という悪影響を撒き散らす行為から逃れられない。そうであるような気がする。要検討。
さすれば、悪を半分だけ肯定し──それは、現実へ参入し、躰を汚す勇気を持つということだ。うごくことの是認だ──、悪に対し「在ってはならない」と潔癖な感情を向けることをやめ、注意ぶかく自分のそれへ思慮しつづけ、コントロールし、できれば支配しようとし、美をみすえ、善くうごこうとする。他者を大切にしようとし、人間を信じようとし、つよく優しいひとになろうと努力する。
誰か、こう感じてくださいませんか。
ぼくは、自分では、じつは、凄く平凡で、無個性で、匿名の道徳を無名として持っているつもりなんだ。他者を大切にできる人間になりたい、なれない自分を変えたい、ごくごく平凡な人間だと思ってくださいませんか。
ずっと、ずっと、普通の人間だと自分を想いたかった。皆とおなじ価値があると感じたかった。ましろのアネモネの花畑に、わが金属質の頬をうずめたかった。他者たちと、林立したかった。
それが、自己無化への夢を生んだ。ぼくに、詩を書き殴らせるほかの生き方が、できなくさせた。
*
ぼくはぼくに対して、残酷なサディストでいたい。死刑囚にして、死刑執行人でありたい。殴られる頬にして、亦殴る掌でありたい。それは、たぶん、消えない。
恐るおそる、云わせてください。
ぼくはなんらかの暴力を受けつづけ、「存在してはならない」とメッセージされて育った人間だからこそ実現できる優しさがあるんじゃないかと、そう夢みているのだ。それを求めて、探して、最後の最後でいいから、ぼく固有の言葉で報告しようとしている。そして、不可視のだれかに、磨かれて清ませた水晶をほうっと明け渡してみたいのだ。
なぜぼくが、わが理想──”他者を大切にできる、つよくてやさしいひと”と比較した自己否定に、身体的に耐えられてきたか? もしかしたら、そういうことが、当たり前の環境で育ったからかもしれない。だから欠点は利用して善く伸ばせるかもしれないってぼくはずっとずっと書いてきているのだし、そうじゃないかもしれないけれど、抑々ぼくの生き方はすべてまるっと間違っているかもしれないけれど、たぶん一面的にはそうに違いないのだけれども、正しさはない、ないけれど、何度も何度も云っているようにあなたは自殺に値しないのだし、あなたは自殺に値しないのだし、あなたの存在はそれだけで俗悪な形できらきらしているのだし、綺麗じゃなくてもいいに決まっているんだし、ほんとうのほんとうはもうすこしは大切に大切にされるべきなのだし、ぼくがここで云いたいのは、つまりはこれなのだ。
ぼく等は、存在してもいい。
ぼく等は、ぼく等の愛したいものを愛そうとする生き方を生きることを、諦めなくていい。
しかしひとは、そのひと固有の貞節を守護しつづけた俗悪な人間は、もし俗悪からできる限り卑怯が抜き落ちたとき、跪く対象へ、わが身を捧げうる怪物となりえるのかもしれない。根が右翼的感覚の人間、ぼくは、そうでもある。従って、ぼくはこの生き方、つまり書き方に、これからは不可視の領域へ意識をひらかせながら、細心の注意を払わなければいけない。
ここでも亦、ぼく固有の生き方に、ヴェイユ思想が必要となることが明らかになる。
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シャルル・ボオドレール──という、俗悪きわまる人間の話題を再び出そう。
かれこそ死刑囚にして死刑執行人だと自称した詩人であり、”俺は殴る掌であり、殴られる頬も亦俺だ”と歌ったとんでもない不良文学者である。
かれは卑俗で、悪いひとで、幼稚だった。娼婦を呼び、殴り、そして蹴っ飛ばして遊んだ。悪の影響を蒔く詩集を出した。おそらくやひとを軽蔑することでしか生れないような自尊心に縋り、他者への侮辱は頻繁、借金をくりかえして購入した高級な服装で自己の優越を自他へしめし、荒み切ったこころをもって、その地獄の眸に映るやつれた美をえがいた。立派だとは想わない。ぼくはかれという人間が好きじゃない。けっこう、キライだ。
さればかのようなひとであったかれに、果して高貴性をぼくは見つけたのか?──嗚、見つけた。”ぼくは詩人だ”という貞節だけを杖とつき、美しい衣装に武装させた背骨を、すくと金属のように伸ばしつづけたという、唯、それだけの自恃が。
自恃。
自恃だ。このような人間の高貴性とは、じつは高貴でも何でもないとかんがえている。不潔で、低く、血交じりで、されど、其処にしか咲きえぬ花のそれなのである。蓮の花。そうだ。美しいだろう、蓮の花は。ぼく等の足元より下に咲くんだ。尊敬に値する。そうであるから蓮の花に”高貴”という言葉が似合うのは、やはり黒と白が同じ色彩で、下降と上昇はシノニムであるからなのかもしれない。
この不潔で低い高貴は俗悪に潜りのたうちまわる苦しみを負うことでしか発露しないのであり、みるも無残な生にしか発見されないのかもしれず、されどある人間たちにとっては、それは当然の生き方でもあるのかもしれない。
4 聖と俗
高貴性と俗悪性は絶対に交りえないが、双方がないと、人間には浮かびあがらないものなのかもしれない。それは恰も、空と海の青である。そこでさめざめと浮く淋しきしらとりが、概念の意味における”少女”であるのかもしれない。
例えば二階堂奥歯は、みるも無惨に、一種世にも奇妙に矛盾していた。ぼくには彼女の思想を解く知性をもっていないけれども、端的にぼくの感想をいわせてもらえれば、この世を生きるには、少女的でありすぎた。それは一種聖性であるけれども、畢竟聖性なきが故に立ち昇る聖性、換言すれば単なる血と肉の俗悪であり、そこに走る光のみが、魂の駆ける光とそれの曳く苦痛こそが、聖性と云えなくもない哀れなる残骸であり、ぼくはそれにこそ、俗悪-美をみつづけてきた。
彼女の死を美しく高貴だとみなすか、俗悪で幼稚だとみなすか、それは各人の自由であるけれども、ぼくはその両方の矛盾のなかで、双方を交らせないという注意をしながら妥協せず、彼女の言葉を、これからも探りつづけていたい。
何故って、こんなにもぼくを惹きつける観念と卑怯な関係を結ぶのは、嫌だから。
俗悪-美学論
読んでくれてありがとうございました。あなたがいままで生きてきたこと、すごいよ。肯定します。生き抜こうね。