なんとなく書く

 過去を少し蒸し返すと、いやな思い出があふれかえっている。過去の記憶に苦しめられると、もう何もしたくなくなる。本当に書きたいこと、書かなければいけないことなどは、何も書こうとしていないようだ。これまでの文章はほとんど偽装だった。繕ったよけいな文章だったのではないか。自分の内面に踏み込む勇気がないのだ。だから、いつまでたっても小説が書けないのだ。自分の過去に戻って、もう一度生き直すことが小説を書くことなのだと思う。そうすることで、自分を救いたいと思っているのかもしれない。哲学もどきの文章を書くこと、感覚に関する文章を書くことなどは、私にとっては遊戯なのではないか。もちろん自分を落ち着かせるためには必要だったのだろう。自分は、望みもしないのに、体裁だけのために会社で無理をして働いた。それでよくわからない科学的思考が自分にのしかかってしまい、ずっとその状況に苛まれており、この閉鎖状態からどのようにすれば解放されるのか自分でわからなかった。よくわからない。自分の軸がない。他人に助言されれば、その助言が正しいと思ってしまう。自己の根幹なんて何もない。本を読めば確固たる自己の精神が養われるなんて本当なのだろうか。読んでも何も得られていないということなのだろうか。だとすると、すべては徒労だったのか。また同じようなところに来たね。

 明るい小説が書きたい。素朴な小説が書きたい。そろそろ自己の皮を一枚剥がしたい。うわべだけの深淵ごっこをいつまでやっていてもしかたがない。私はやっぱり言葉を信じていないのだと思う。言葉は言葉にすぎないのだろう。言葉の中に籠城したいとは思わない。言葉よりも感情や感覚の方が優位にあると自分は思っている。この時点で私は哲学の資質がないのかもしれない。言葉でどこまでも突き抜けてやろうとする意志はない。自分の情念の世界に耽溺したい。論理で構築された硬い文章より、連想によって続いていく流れるような文章を書いていきたい。もともと日本語は後者の方に適しているのだろう。しかし、ネット社会の到来によって、日本語の在り方も変わってきている。日本語に本来あった思考の流れのようなものが、もう消え去っていっているようだ。表現の可能性がせばまっているように感じる。

 誰にでもわかる言葉でできることは、まだたくさんある。誰にわからない言葉で未知の領域に迫っていくことよりも、誰にでもわかる言葉で既知と未知の間を模索することの方が重要だと思う。未知という言葉は、なんとなくロマンがある。未知の領域を思いっきり駆け抜けてみたい感情はあるが、思考にも節度は必要になると思う。私は結局他人の存在がないと、言葉は出てこないと思っている。自己にそこまで執着する気にはなれない。なんでも自己から始めようとすると、文章が粗雑で汚くなっていくと思う。文章が整っているとか、きれいであるとか、そんなことはどうでもいい、本質を鋭くとらえていること、自分の思いを率直に伝えること、そういうことが重要なのだ、そういう考えもあるだろうが、自分はそっちの方面にあまり行きたくないと思っているところがある。ネット社会でそういう考え方が加速するのをずっと見てきた。そして、そういうやり方ではまずいのではないかと思うことが多くなった。自己と向き合う人がどんどん増えていくが、自分の文章と向き合う人はほとんどいなくなっているように思う。これも言い過ぎか。そんなに優れた文章を書けもしないのに、思い上がったことを書いてしまった。それでも、インターネット、SNS、AIなどの登場によって文章の型が崩れていっているのは確かだろう。思いを率直に吐露するように文章が再編されていっている。隙間を表現するとか、微妙な見落としやすいところを救い上げるとか、そういう思考のあり方がなくなっていっている気がする。とにかくみんな率直になっていく。思いを強くぶちまけること、対象に思い切りぶつかること、そういうことが優先され、地道な鍛錬はますます敬遠されていくように思う。

 自分の書いた内容を読み返すと一貫していないことがわかる。自分の中に確固としたものが何もない。あっちに行ったりこっちに行ったりしてふわふわしているだけ。信念なんて何もないのだろう。へらへらしたり、いい気になったり、すぐにかっとなったり、突然優しくしたくなったり、崇高なものを求めようとしたり、そしてまただらだらしたり、何もしたくなくなったり、突然思い立って理想を描いたり、そうしてこつこつ努力してみたり、しかしすぐに嫌になってまた怠惰になったり、自己を守るためにわざとおどおどしてみたり、思い上がって尊大な態度を取ったり、謙遜しながら内心では思いっきり馬鹿にしていたり、自分の中で人を序列化していたり、先回りして卑屈な態度を取ってみたり、自己の中で完結した計算ばかりして自分を追い詰めているだけだったり、かと思えばいきなり素直になったり、そんな感じみたいですね。文章は自分の考えを伝えるための道具となった。文章に型を求めるなんて時代錯誤すぎるのだろう。

なんとなく書く

なんとなく書く

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-21

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