Kentucky Home

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第1話 My Old Kentucky Home

「それってさ、フライドチキンのCMの歌じゃない?」
 彼女がその曲を弾き語り終えたのと同時に、彼のソワソワ感はピークになった。
 どう感想を述べて良いのか判らずに、苦し紛れに突っ込んで聞いたのがこれだった。おまけに、こうでも言わないとこの気持ちの高ぶりようを隠し切れなかったのである。
 ブルーバースト調のエレアコを持つ少女の名はアンジェル・スチュワート。
 名前と金髪碧眼の見た目は思いきり欧米人なのだが、生まれも育ちも日本である。
 もちろん日本語はペラペラのネイティブスピーカー。その見た目とのギャップもあって、初見は誰でも違和感をおぼえるほどであった。
 ちなみに父親はアメリカ人、母親はフランス人という血統。日本語ほどではないにせよ、一応英語とフランス語は話せるそうだ。
 彼もなるほど、さっきの歌も日本人が英語の歌詞を歌っているときの発音、といったところであった。
「違うわよ、この歌はもともと”My Old Kentucky Home”って曲で、古いアメリカの歌なのよ」
 彼女の白い指先は、また曲のイントロを奏で始めた。
「マイオールド?・・へぇ、全然知らなかった」
 愁馬はアンジェルの歌声をハミングでしか聞いたことがなかった。そのためいまの彼女の歌は上手さもさることながら、声質がこんなに澄んでいるものだったんだと彼は再認識したところだった。
 気持ちの高ぶりとさらに、愁馬は窓全開のベランダから外に歌声やギターの音が漏れ出してやしないかとソワソワと落ち着かずにいた。
 彼が家族と住む団地の十二階はパノラマ展望なのが自慢だが、やはり上下左右の部屋には気を遣うものだ。

 いまは夏休みの真っ只中である。
 蒸し暑い部屋に扇風機しかない部屋なので、居間に通じる襖も開けっぱのままになっている。その居間でほうでは、こちらに聞き耳を立てている母と姉の存在が気になって愁馬は気が気じゃなかった。
 彼は耳の後ろから汗が流れるのをこそばゆく感じていたが、汗をぬぐう行為でさえも彼女の前では気恥ずかしくていちいちためらってしまっていた。
「この歌、結構古い歌なのよ。確か一八五〇年?・・あれ、何年だったっけ?」
 アンジェルは答えを探すように天井を見上げた。
 愁馬もつられて天井を見上げてしまったが、こんなんだったら電灯の傘のホコリもちゃんと掃除しておくべきだったと後悔した。
 ふと見ると、どうやら彼女も首筋あたりから汗をかいている。
 金糸のような髪が汗で濡れて栗色に変わっていた。しかし汗臭さやべたつき感はうかがえない。つやを帯びて首元にゆるく絡みついているふうだった。白い首の皮ふは薄く、紅潮してほんのりと桃皮がかっていた。紫色をした静脈が透けて見てとれる。
 この前アンジェルが私は汗っかきだからと話していたのは本当らしかった。
 彼女の衣服に意識をして見ると、そら色で和柄の入ったアッパッパの模様が変わっていた。
 さっき彼女が玄関に入ったときに母親が、
「あら!アッパッパなんて懐かしいの着てるわね!私も若いころによく着ていたわ。楽だし涼しいのよねぇ」
 などと余計なことを言うものだから、なぜ古い時代の服を金髪碧眼の中学生が着ているのかと色んな意味で愁馬は関心を持っていた。
 さっきアンジェルの背中には紺色の日本列島のような汗の形があったが、いまではユーラシア大陸ほどの大きさまで広がっている。腰のほうに視線を落とせばオーストラリア大陸も現れている、といった汗のしみ出し具合だ。
 アンジェルが自称汗っかきを主張するのはごもっともと再び得心した。

 彼女はイントロの終わりから歌へ入ることはせず、愁馬の部屋にはアンジェルのギターの音色がそのままBGMになっている。
「あ、一八五〇年?・・だとすると日本は幕末で、『ひとはござしき』だから、アメリカからペリーが来るころだよね」
 愁馬は見栄を張って少しだけ持っている知識を絞り出してみた。
 すると彼女はパッと演奏するのをやめて愁馬に向かって右手の人差し指をピッと出した。
「あ、そうそう!それくらいかも!一八五二年とか、三年とか、そのくらいの気がする」
 この瞬間、愁馬はアンジェルと思い切り目が合ってしまった。
 彼女の瞳の真ん中には黒く丸い小島ような瞳孔があって、それをとり囲むような角膜は蒼玉色の海が広がっているように見えた。蒼玉色の海は透明感があるというよりも潤って波打ちしているようにも見える。
 やや視線を落とすと、スッと通った細い鼻柱から頬にかけて、少量ではあるが若々しい色のそばかすが微かに散らばっている。
 彼女の青い瞳とそばかすが眼前でくっきりと見えるということは、以前に外で会っていたときよりも、いまのほうが彼女との距離が一番近いということになる。
 愁馬はそうやって自覚してしまうと、ますます緊張感に拍車がかかってしまい照れくさいのやら恥ずかしいのやらで、暑さと関係なくても全身からまた汗がドッと吹き出してくるのだった。
 たまらずTシャツの胸元を指でつまんでパタパタやりながら、
「そんな昔にこんな曲があったんだ。アメリカって相当進んでたんだね」と、やっと、ようやく、やれやれといった具合で話を次に進めることができた。
「そりゃそうだよ。そのころのニューヨークには大きなビルとかたくさん建ってたんだから。でも当時の日本ってまだ木造の低層住宅がほとんどだったんでしょ?」

「お待たせしました~」
 愁馬からすれば、誰も待ってなんかいないよと言いたくなるタイミングで母親が部屋に入って来た。母親はスイカが皿に乗ったお盆を手にしていた。
「わぁスイカ!私、スイカ大好きなんですよ」
「あらホント?まだあるからたくさん食べてってね」
「ちょっと母ちゃん、なんかその・・メロンとかなかったの?」
「メロン?メロンなんて病人が食べるもんじゃん。そんなたいそうなものうちにありっこないでしょうよ」
「・・病人がメロン?一体どんな偏見なんだよ」
 愁馬のこの文句に言い返そうと母親が口を開く前に、
「私、本当にスイカが好きなの。日本の夏にはやっぱりスイカがピッタリだもん」
 見た目がまるで欧米人が言うセリフにはとても聞こえなかった。
「そうよねぇ。ったくあんたなんかよりよっぽど彼女のほうが日本の心が判ってるじゃない」
「か、彼女じゃないよ!」
 愁馬の大きな声にアンジェルは目をまん丸くした。
「そういう彼女って意味じゃないでしょ!直ぐひねくれた解釈するんだから」
 ね、と母はアンジェルに首をかしげておどけた。
「どうぞごゆっくり~」
 わざとらしく息子をからかうように甲高い声を出して母はようやく部屋から出ていってくれた。と言っても部屋を出たら直ぐにリビングなので、愁馬の気分が落ち着かないことに少しも変わりはない。

 うっとうしい母の背中からアンジェルへ視線を戻すと、アンジェルはギターを脇に置いて、くし形切りにされたスイカを美味しそうにシャクシャクと食べていた。
 金髪碧眼の少女が団地の畳の上であぐらをかいてスイカを食べている。
 彼の日常には起こりえなかった非現実的な光景だった。
 スイカのしずくが彼女の水色のスカート部分に落ちた。
「あっ」と声を出してしまったのは悠馬のほうだった。
 アンジェルはお盆にあったおしぼりでスカートの内側に手を入れてトントンと染みを叩いて、
「平気、これ安もんだし洗えばとれるよ」と笑った。
 アッパッパのすそからのぞく白く肉付きの良い脚に、ついつい目を奪われてしまう愁馬だったが、染み抜きをして伏し目がちになっているアンジェルのまつ毛もまた栗色だということにドキッとした。
 アンジェルは染み抜きついでに自分の手もぬぐって、それからギターを持ち直すとまたさっきの曲を続きから奏で始めた。
「それでね、この歌はね、ケンタッキー州の州歌にもなってんのよ」
「・・州歌?」
「そう、その州を象徴する歌。それにね、毎年ケンタッキーダービーの直前に、みんなで大合唱するのよ。そりゃもうすごい迫力なんだから」
「ケンタッキーダービー?」
「うん。競馬の大きいレース。すんごい人が集まるんだよ。コンサートとか野球とかサッカーの試合なんてもんじゃなくて。それにみんなとてもオシャレしてね」
「へぇ、知らなかった。おれはてっきりフライドチキンの曲とばっかり思ってたからさ」
 アンジェルはアハハと白い歯を見せた。
 それから自分の伴奏に途中から歌声を乗せだした。

 団地の十二階のベランダから彼女の歌声とギターの音色があふれ出している。
 ベランダの外には放射線状の開放感しかなかった。
 真っ青な夏の空にある太陽は、一番高い位置でギラギラしていた。
 遠くにある副都心のビル群に、はるか遠くに見える東京の赤いシンボルタワーは、熱射の影響かゆらゆらと歪んで見えた。
 足元には愁馬の卒業した小学校、その隣にはいま通っている中学校が縦列に並んでいる。
 彼女のおかげで羽が生えたような自分の心持ちをよそに、彼の目下には夏休みの最中にもかかわらず校庭で部活にいそしんでいる生徒らがかえって気の毒に映っていた。
 これがアンジェルが初めて愁馬の家に来たときの出来事になるが、彼らの出会いというのは実に古典的な形だったのである。

第2話 桜の下のハンカチ

 愁馬とアンジェル、彼らの出会いというのは下駄のはな緒ではないが、実に古典的なものだった。
 この一季前の春のことである。彼らの住む街には大きな都立公園があり、春になれば外周を桜が彩って見事だった。

 当時中学三年生になり立ての愁馬はギターケースを肩に掛け、桜の花びらが舞い落ちる外周路を歩いていた。
 都立公園と大型の商業施設の間には歩道橋大橋がかかっている。その辺りに差し掛かると、ハラリと一枚、桜の花びらとは別に彼の足元に滑り降りてきたのは、薄紫色をしたハンカチであった。
 愁馬はどこから降ってきたものかと空を見上げた。
 すると歩道橋大橋を歩く外国人らしき金髪女性の姿が欄干越しに見えた。
 このときの愁馬が思ったことは、あの外国人の女の人がハンカチを落としてしまったのだろう、そんな安易な考えだった。だがこのまま無視してハンカチを見捨てるのも後味が悪い。仕方なしに愁馬はハンカチを拾ってほこりをはらうと、わきの歩道橋大橋の階段を一段飛ばしで駆け上がり、橋の真ん中あたりで彼女に追いついた。

 下から見たときに覚えていた金髪女性の真後ろについたとき、後ろ姿ではあったが、愁馬は自分と同じように彼女もギターケースを肩にしていることに視線が向いた。
「あの、これ、落としましたよ」
 どうせ日本語なんか通じないとタカを括っていたので適当にモゴモゴ言っただけのつもりが、彼女は愁馬が思うよりも反応が早く、パッと彼のほうに振り返った。
 青い目をした少女に、愁馬は面を食らって棒立ちしてしまった。
「え?・・それ私のじゃないけど」
 さらに予想外に、普通に日本語を話したことにまたもや面を食らって次の言葉が続いて出てこない。
 アンジェルも愁馬との共通点に気が付いたようで、
「あれ?きみもギターやってるの?」と頬が少し緩んだ。
「・・いや、ま、まぁ真似事の範囲だけど」
 動揺している愁馬は会話を取り繕うのがやっとだ。
「私も。ふ~ん、なんの音楽やってんの?」
「えっ・・えっと、ロック」
「ロック?どんなロック?」
 こう聞き返すとアンジェルは持っていたギターケースを橋の欄干に立てかけた。
 愁馬は話が長くなりそうな予感がして、ますます胸が高鳴ってくる。
 一呼吸おいてから「まぁハードロックとか、かな」と返せば、「私も好き。私の周りってロックが好きな人って皆無なのよね。だからまったく会話が合わなくてさぁ」と反応よく直ぐに切り返してくる。
 彼女は腕を組んで橋の欄干に背中をもたれかけた。
 愁馬はアンジェルの方が自分よりも少し背が高いことに気が付いた。一六五センチの自分よりも彼女はもう少し大きく感じた。
 途端に、周囲を歩く人たち全員に注目されているような、自分たちふたりが一体どんなふうに周囲の人たちの目に映っているのか自意識過剰になってきた。
 愁馬は恥ずかしくなってたまらない気分になると、脇から汗が一筋流れてくるのを脇腹に感じた。
 黙ってしまった愁馬にアンジェルは「・・バンドとかやってんの?」と言ったあと、彼女はハッとして急にピンと胸を張って起立姿勢になった。
「遅ればせながら、私の名前はアンジェル・スチュワート。えーと・・うら若き十五歳。彩葉(いろは)区立、彩葉第一中学校の三年生です」と腰を折って丁寧に頭を下げた。
 アンジェルがいきなりかしこまって自己紹介を始めたものだから、逆に愁馬は身じろぎできなくなって固まってしまった。
 アンジェルは「うら若き」と冗談をかましたつもりだった。しかしそんな冗談も通じず、ぎこちない動きの愁馬が面白かったのか、アンジェルは「フフ、きみは?」と首をかしげて彼の返答の催促をした。
 その仕草さえもいちいち彼をドキドキさせた。
 愁馬はゴクリと唾を飲んでから、
「お、おれは佐伯愁馬(さえき しゅうま)。同じく十五歳で、第四中の・・彩葉第四中学校の三年生」と、突っぱねるように言うのがやっとだった。
「わ!タメなんだね!それもご近所じゃない!」
 彼女は構うことなくどんどん距離感を詰めてくる。
「そ、そうだね。おれは、ほらそこの団地。そこの十二階の・・」と自分の住処の方角を、ぶっきらぼうに指で差すのがやっとだった。
「へぇ、そうなんだぁ。十二階か・・眺め良い?」
「まぁ、ベランダからは、なかなか・・かな」
 愁馬はようやく少しだけ余裕が出てきたのか気持ちがほぐれてきた。
 アンジェルは「ふうん」とだけ言ったあと、しばらく愁馬の顔をジッと黙ってうかがっていた。
 愁馬はアンジェルの青い瞳を直視することができず、あえて目を逸らそうとした。
「で、きみのほうは?」
 アンジェルは含み笑って、少し呆れるように聞いてきた。しかし愁馬はなんのことを聞かれているのか直ぐに理解できずにいて目を白黒させて戸惑った。
「だ・か・ら、きみはバンドとかやってるの?」
 ようやく話題が少し前に戻ったことを察した愁馬は、
「あぁ、ごめん。・・いや、誘われてはいるけど、まだ」
「え、なんで?なんでバンド組まないの?」
「ちょっと・・コピーするバンドがちょっと違くてさ。おれは、やるんだったらハードロックとかが良くって・・」
「あ~判る。私もバンド組んでないのは音楽性の違いだもん。生意気って言われちゃうけど」アンジェルは口元を手で隠してアハハと笑った。
「別にどんな音楽でもいいんだけどさ。それにできればコピーではなくて、バンドやるならオリジナルでやりたくて」愁馬はようやく自分の本音を吐露できた。
「え!オリジナルの曲を作ってんの?・・聞きたいなぁ」
 アンジェルは蒼玉色の海面をキラキラさせながら、急になにかを思い出したかのように自分のギターケースを持ち上げた。
「私さぁ、これから区民センターで練習するんだけど、どう?一緒に行く?」
「え?・・そこ、おれも行く予定だったんだけど」
「うっそ!じゃあ決まりじゃん!」
 アンジェルが愁馬を誘ったのには理由があった。自分も作曲をしていたからである。誰に聞かせるわけでもない自己満足で曲を作っていた。彼女も愁馬と同じように、それぞれの共通点に感動しているところだった。
 だがこの時点での愁馬とアンジェルとでは、それぞれ違うところで熱が上がっているふうではあるが、のちのちふたを開けて見ると、このときの双方の心持ちは似たり寄ったりだったようだ。

 歩道橋大橋の先にある大型商業施設の脇には区民センターがあり、その中の共同体育館の倉庫内の一角に貸スタジオがある。
 貸スタジオといっても本格的なものではなく、四畳半ほどの狭い部屋にマイクスタンドとスピーカー、ドラムセットにギターとベースのアンプが一機ずつギュウギュウに詰め込んである。
 それなりの防音構造にはなっているが普通に音漏れは激しい簡素な作りだった。そんな部屋がふたつばかりあって、中学生のお小遣いでも安価に借りられるなんちゃってスタジオといった感じである。
 しかし残念ながらこの日は満室で、空きが出るまでの時間も判らず仕舞いだった。
「う~ん、残念ね」
「そうだね」
「ま、部屋数が少ないからさ、よくあることっちゃそうなのよね」
 アンジェルはこう言ったが、愁馬の本音は空くのを待ってでも彼女とスタジオに入りたいという気構えだった。
 愁馬は一目見ただけで女性にこんなにドキドキしたのは久しぶりであった。
 現在進行形の初恋もかすんでしまうほどだった。
 つまり、もう少し彼女と一緒にいたい心境なのだろう。
 その心境を半分として区切っても、もう半分は純粋に彼女がどんなギターを弾くのかと興味深いものもあった。
「きみって、ケータイとか持ってんの?」
 アンジェルは手を耳にあてがうような素振りを見せた。
「いや、うちは厳しいからまだダメなんだ」
「あ、うちと一緒。小学生のときは中学生になったら。中学生になったら高校に入ったらねって、ずっと先延ばしされっぱなしなの」
 こういうときってむかしの人たちはどうやって次に会う約束を取りつけていたのだろうか。愁馬は真剣に悩んでいた。
「きみ、来週の今日の予定は?」とアンジェルは言った。
 そうだ、簡単なことだったと愁馬は自分に呆れた。
「あ、ああ大丈夫。場所はここで良いのかな?」
「うん、そだね。十五時ジャストね」
 愁馬はこの彼女の返事でさっきまでの憂慮がふと消えた。
 この機を逃すともう彼女と会えなくなるような気がしていたからだ。
「あ、ところでこのハンカチはどうしよう。本当の持ち主は・・」
 こう言った愁馬の手からサッとアンジェルはハンカチを奪った。
 アンジェルは一瞬、このハンカチから香ってくる匂いが気になって、細い鼻柱をひくつかせていた。
「あ、これ、この先に交番があるから私から届けておくわね」
「え、あ・・いいの?ありがとう」と愁馬が礼を言い終わる前に、アンジェルは「じゃあね」とだけ言って背を向けてサッサと行ってしまった。
 愁馬とアンジェルの初対面はこんなところで、最後は実にあっさりしたものだった。
 そして約束通り、一週間後に再会することになる。

第3話 桜色のアッパッパ

 再会は約束通り、一週間後の区民センターの前だった。
 愁馬の家からは徒歩十分たらずの距離にもかかわらず、彼は三十分も前に現場に着いていた。
 春先であったが、この日は妙に蒸し暑い日であった。
 デートというデートは未経験な愁馬にとって、生まれて初めての女性との待ち合わせである。何回も深呼吸をしても緊張感が和らぐことはなかった。
 ややあって、商業施設の前を行きかう人たちの波間から、明らかにひときわ目立つ金髪の少女の姿が見えてきた。
 アンジェルは桜色のギンガムチェック柄をしたアッパッパと麦わら素材のサンダル姿にギターケースを担いでいた。
 すでに首筋には薄っすらと光るものが見えた。汗だと判るが、汗の光ですら肌にラメが入ったようにつややかな光沢を与えている。
 愁馬はアンジェルと初めて出会った先週、彼女がどんな格好をしていたのか思い出せずにいた。もしかしたら、先週も同じようなアッパッパだったような気もする。
 逆にアンジェルは愁馬が散髪に行ったこと、靴が新調されていることに気付いていたが、それはあえて黙っていた。
「こんにちは。今日はスタジオに入れると良いね」
「うん」と答えた愁馬はどういうわけか、さっきまでの緊張感が解けていることに気がついた。

 今回はスタジオに入ることができた。
 おのおのはギターをケースから取り出すと、相手がどんなギターを使っているかなど彼らはまったく興味を示さずに直ぐに本題に入った。
「どっちが先にお披露目する?シュウは先攻と後攻、どっちが良い?」
 いきなり「シュウ」と呼ばれた愁馬はドキンとしたが、普段から周りからそう呼ばれ慣れている節が彼にはあるので、それ以上うろたえずに済んだ。
「じゃあここはじゃんけんで」
「フフ、OK」
 勝負は一発でアンジェルが勝った。
「私が勝ったから私からね」
 愁馬はてっきり負けたほうから演奏をする罰ゲーム方式と思い込んでいたので拍子抜けしそうになった。
 このときのアンジェルはやけに積極的だった。彼女は一切心臆することなくギターを構え、チューニングを合わせたりアンプを調整して音色を調えていた。音合わせをしているギターのピッキングの仕方だけで相当手慣れている予感がした。
「とりあえず最初は得意なフレーズから弾くね。で、そのあとからアンジェル・スチュワートのオリジナル曲をお披露目しようと思います」
 こう言うと、愁馬が返事をする前に、突如ハードロックの速弾きを始めた。
 愁馬は驚くと同時に気が付いたことがあった。
 アンジェルは上背があるため、ギターの大きさに対して体格のほうが勝っている。
 弾き手が小柄で背が低かったり華奢だったりすると、ギターのサイズによっては身体に対してギター本体が大きく見えてしまう。
 それに指板の太さに対しても手の小ささが不釣り合いに見えるだけでなく、指捌きがパタパタとオーバーに小忙しく見えてしまう傾向がある。
 しかしアンジェルは手も大きく、指も長いのかピタリと安定して指板におさまっており、その白く細長い指先が滑らかに指板を駆けずり回っていた。
 つまり、成人がギターを構えているのと同じでまったく違和感がない。
 アンジェルは愁馬が想像していたよりもかなり上手だった。
 むしろギターをやっている男友達の誰よりも上手だった。
 桜色のアッパッパを着ていても、演奏をしている姿が見事なまでにハマっており、迫力すら感じるほどであった。
 こうなると一気に愁馬にプレッシャーがかかってくる。アンジェルは速弾きを終えると、今度は落ち着いた感じのメロディに入った。歌詞はまだできていなかったのか、歌メロの部分はハミングで表現をしていた。ハミングとギターだけであったが、しっかりとしたポップロックのナンバーだった。
 愁馬はアンジェルの音楽に触発されていた。なにか今すぐにでも新しい曲を作り出したい欲求に駆り立てられており、それほど彼女の演奏は彼に刺激を与えたのである。
 三分程度の曲が終わると、アンジェルは苦笑いしながら、
「なんか弾くのはハードロックとかメタルが好きなんだけど、歌うのはポップなのが好みなんだよね」と独り言のようにギターに向かって呟いていた。
「速弾きすごいな。中三でそんだけ弾けるってさ」
「握力はあんのよ。むかしからバレーボールやってるからね」
「バレーボール?今もバレー部なの?」
「うんそう。でももう時期に引退だけどね」
「バレー部ってさ、ギター弾くのに突き指とか危ないんじゃ・・」
「そうよ。でも、艱難汝を玉にすって言うじゃない?」
「かんなん?・・ってなに?」
「苦難を乗り越えないと人は大成しないっていうことわざ。痛くっても我慢しいしいよ」
 痛そうな顔をしながらアンジェルは右手をヒラヒラとさせた。
「かんなんナントカなんて、ふだん使わないよ」
「そう?」
 彼女は見た目は外国人なのに、たまに日本人より日本人らしいことを言う。
「だからバレーは夏にスパッと辞めるの。それからはやっと本命のギター一本よ」
「直ぐにでも辞めればいいのに。そんな才能あるんだから」
「才能なんて言うのよしてよ・・でもね、バレーからだって得るものあるんだよ。協調性とか諦めない忍耐力。ま、おかげさまで、ぶっとい太ももと汗っかきがコンプレックスになっちゃったけどね」
 アンジェルは大きなおしりもコンプレックスになっていることは省いた。
 そう言われてしまうと愁馬はついつい視線を下のほうに向けてしまったが、体型が読めないアッパッパ姿では「そんなことないよ」とも言えないし、どこか下品な印象を相手に与えかねないと思って言うのをやめた。
 そしてまた愁馬は再び思い返してみたが、アンジェルと初めて会ったときの彼女の服装を未だに思い出せずにいた。

「このあとはやりづらいなぁ。これなら先攻のほうが良かったよ」
 愁馬は話題を変える意味も含め、自身のギターを調整しながらこう言った。
 アンジェルは黙って笑みを浮かべながら腕組みして立っていた。
「じゃ、おれは今のところの自信作で・・”SEVEN DAYS”って曲を」
 アンジェルは曲名を聞くと「おっ」という顔をした。
 もうそのような本格的なオリジナル曲を持っている愁馬に感心した。
 愁馬は自信作と言ったが、この曲は近しい友達にだけ披露したことがあった。中学生が作詞作曲をすれば、どんな駄作であっても友達ならばある程度の高評価は与えてくれる。最悪アンジェルから酷評されたとしても、最低限の心のダメージで済むと踏んでの披露だった。
 ”SEVEN DAYS”という曲は彼が一年くらい前の中学二年だったころに作った作品であり、ハイテンポで激しめのロックナンバーといった曲調である。
 中学生時での楽曲なので、まだまだ粗削りの完成度の低い作品であった。

 佐伯愁馬の作詞作曲を含めた音楽作りの特徴とは、愛や孤独、焦燥感などの心の衝動をストレートに表現をしたり、未練や執着も隠すことなく感情をむき出しにする作風が多くなってゆく。
 詞と楽曲との一体感の生み出しかたは、音の響きを重視しつつ、かつ語感に重きを置いた歌詞を選んで楽曲を組み立てていく手法である。
 それは今後、長きにわたるミュージシャン活動においても変わることのない、彼の音楽作りの不変の中枢となっている。
 もちろんこのとき彼はまだ未熟な中学生なわけで、まだ音楽人と呼ぶにはほど遠い青二才であった。

「あのさ、この曲の途中のところの・・」
 愁馬の演奏が終わるとアンジェルは”SEVEN DAYS”の一部分をこう変化させてみたらどうかとアイディアを出してきた。
 愁馬は自身が生み出したこの楽曲に、潔癖とまではいかないが人の手を加えさせたくない抵抗感があった。しかしアンジェルの提案がするりと飲み込めるものだったのもあり、すんなりと受け入れて”SEVEN DAYS”を編曲することにした。
 そしてこの曲は数年後、さらに進化を遂げて世に輩出することになるのだ。

第4話 SEVEN DAYS

 愁馬の曲である”SEVEN DAYS”を友達三名に披露したのは彼がアンジェルと出会う前、中学二年生の終わりころだった。
 たかが中学生が作った曲である。
 ベースは自分で弾いたものと打ち込みのドラムを一緒に録音したものを流し、ギターを手に弾きながら歌った。
 恥を捨てきれずに照れながら歌ったものだから、途中で音程をはずしたり、声がうわずったりしながらだった。変声期の途中もあり、このときの彼の歌声は声の低い女性の声質、といったところだった。
 愁馬の演奏を聞いていた三人は、冒頭はお遊戯を鑑賞しているような、見ているこっちも恥ずかしくなるような気分で聞いていた。
 イントロから始まってAメロに入ると、愁馬の歌声ってこんな感じなんだと思ったところがそれぞれの印象だった。
 しかしBメロに入ると、おのおのの聞く耳に徐々に変化が起こり始める。
 やがてサビに入ると、三人の中には鳥肌を立てたものもいた。
 終盤にくると三人は彼に音楽の才能があるということを確信させられた。
 それが佐伯愁馬が最初に完成させた”SEVEN DAYS”という楽曲である。

「いまの曲って本当にシュウが作ったんだよね?すごいじゃない」
 三上千景(みかみ ちかげ)は中学一年生のときのクラスメイトで、愁馬が心を寄せている初恋相手の女の子。入学早々に愁馬の一目惚れであった。小学校は別々だったので中学に入ってから知り合った人物になる。
 お勉強もそこそこできて、バスケットボール部では健康的に汗を流す。涙袋がふっくらしていて顔は優しそうな印象だが、しっかりと一本スジが通っている女の子だった。
 一年生の後半期、ふたりで学級委員を任された。行事の準備で夕方までふたりで残って作業をしていた。愁馬は告白をするチャンスと思った。ただ彼女はクラスメイトの相原に想いを寄せていた。千景は小学生のころから相原に惹かれていたらしい。愁馬はそれを噂で聞いていたので想いを押しとどめていた。
 もとより、当時の彼には彼女に告白する勇気も度胸もなかった訳だが。

「いやいや、これはプロになるべきっしょ!」
「そんな簡単になれる訳ないじゃん。こんな曲で」
「謙遜すんなって。おれはいいセン行ってると思うけどな」
 愁馬とやり取りをするのは、シロこと代田裕也(しろた ゆうや)といって、彼も一年生のときに一緒のクラスメイト。卒業した小学校も住む団地も愁馬と同じだった。
「私もいいと思うけどさ、これって誰に向けて作った曲なの?これってさ、もう告白じゃん、こ・く・は・く!」
 こう聞き出そうとしている市原咲子(いちはら さきこ)は仲良しグループで唯一、愁馬とは中学の三年間が同じクラスメイトだった人物だ。素直で良い性格なのだが、いまのように余計な詮索が多い。わざと人をおちょくってくるタチである。
 ちなみにお披露目会場は、共働き家族の咲子の家であり、発起人ももちろん彼女本人であった。
「だ、だれもかれもないよ!歌詞なんだから、歌詞!」
「あらそう?私はただ名曲ってさ、歌詞と曲がすんなり入って来るっていうじゃない?”君の心に届く距離まで僕の想いが近づけますように”って詞がさ、やけにスッと心に入って来ちゃったんだよねぇ」
 名曲と褒めてくれるのはありがたいが、歌詞を面と向かって褒められるのはなんだかこそばゆい。それにうすら笑いしながら横目でチラチラ三上を見るのをやめてくれ!と愁馬は心で叫んでいた。
 咲子は愁馬の気持ちをずいぶん前から見透かしている。咲子はお節介焼きのタチもあるので、愁馬の気持ちはなんとなく千景にも伝わってしまっていたらしい。
 千景は話題の焦点をわざと逸らすように言った。
「わ、私はさ、サビの最後の”Seven Days”のあとの”Seven Ways”ってコーラスが入るるところが好きかも。ライブとかでお客さんと掛け合いみたいにしたら楽しそうじゃない?」
「な、なるほどね、それいいかも!」と愁馬もわざとらしく乗っかった。
 シロが「Seven Waysって?」と咲子に聞く。
「まんまで言えば、七つの方法・・かな」
「シュウ、どんな意味なん?」
「おいおい、だから人の詞をいちいち掘り下げてくんなって」
「ああ判った!私、判っちゃった!相手を振り向かせるための七つの作戦!みたいなことなんじゃない?」
 咲子の推理はズバリ図星すぎたので愁馬は判りやすく絶句してしまった。
 千景もなんだかきまりが悪そうに口を真一文字にして目を泳がせていた。

 この四名は一年生では同じクラスだった。どうしてこの四人が仲良しグループになったのかは定かではない。ところが二年生のクラス替えで愁馬と咲子のふたり以外はバラバラになってしまったのである。
 中学二年に上がったばかりの愁馬にとって、二年生は実に面白くない学年だった。
 咲子がいるにしても、なにせ想いを寄せる千景も親友の代田もいない。勉強は退屈でつまらない。青春を打ち込める部活動も帰宅部ということもあって、だんだん学校は休みがちになっていた。

 ある日のこと。
 この日も学校は仮病で休んでいたが、どうしても欲しい本があって仕方なく出かけた。
 下校時間にさしかかっていたので学校の近くは通りたくなかった。そこで少し遠回りにはなるが、小さな公園を抜けていくことにした。浮かない気持ちと同様に空も曇天模様である。
 公園には東屋があり、中には人の気配を感じた。特別に意識はしなかったのだが、目の前に差し掛かると、視線が自然と東屋に引き込まれた。
 東屋には制服姿の千景と相原がふたり並んで座っていた。
 愁馬は私服だったので、かぶっていた帽子を目深にした。気づかれていたのかは判らなかった。急に胸のあたりがズキズキと痛み出してきて、痛みが腰のほうにまで響いてくるほどだった。気が動転していた。学校をサボっていることがバレたかも知れない気まずさではなく、見たくなかったふたりの姿を目の当たりにしたことが苦しかった。
 結局、本は買わずに、普段は使わない変な道を通ってそのまま家に帰った。

 愁馬は次の日も学校を休んだ。ますます学校を休みがちになっていった。
「あんた朝は具合が悪くなるクセに夕方ころには元気じゃない。お父さんに言ってしかってもらうわよ!」
 母親におどされると愁馬は気落ちするばかりだった。
 そんな最悪のタイミングでギターと出会う。
 小学生のころから好きだったロックバンドに憧れて、真似事から楽器を始めてみた。
 愁馬は一気に音楽に没頭しだした。溜まっているうっぷんを発散するかのように音楽にのめり込んでいった。学校を休んでいる背徳感があるなかでも作詞作曲を始めてみた。
 そんなタイミングで生まれたのが”SEVEN DAYS”である。
 愁馬はこの曲に関しては少し手ごたえを感じていた。
 当初は鼻歌程度のものだったが、それにギターの音を乗せてみたらそこから案外うまく作れた。それまでは曲作りに挑戦しても、どこかで聞いたことがあるようで似たり寄ったりな曲ができてパッとしなかったが、ようやく自己流で完成したと言えるものだった。
 一曲だけでも完成すると、なんだか自分が救われたような気がした。
 ある日そんな話を代田にしたところ、そこから咲子へ伝わって、このお披露目会が開かれたわけである。

「みんなコピーの練習をしてるときにオリジナル曲って、シュウはすごいよね」
 気のある千景にこう言われるとくすぐったくて照れくさいが、浮かない学生生活を送っている身としての心境はどうも複雑だった。
 咲子の言うように、この曲の半分は千景のために作った曲である。
 ため、と言うとおもっ苦しいが、歌というものはどうしても自分の感情が反映されやすい。だからこそ聞き手からも共感を得られるわけになるのだが。
 相原を想う千景に対して・・それもあったが、恋敵の相原にも見せつけてやりたいという負けん気根性のようなモノもこの曲には含まれていた。
 千景も馬鹿ではないのでそれを薄々感じ取っている。この歌は自分に向けられた楽曲であると。彼女は彼女で幼少からの恋心を大切に保管していたのだが、そこに少しだけ愁馬が割り込みはじめていることに噓はなかった。
 つまるところ”SEVEN DAYS”は、愁馬と千景にとって思い入れが強い一曲になるのと同時に、彼らの運命を左右させる分岐点にもなる楽曲でもあった。

 三年生になるとこの仲良し四人組は再び揃って同じクラスメイトになる。

第5話 過去へ向かう理由

「TA・・つまりタイマーアンカーの理論と使用方法はもう大丈夫だな。・・じゃあ次はタイムパラドックスについて解説をしようか」
「あ、先生、そんなところでもう大丈夫ですよ。むかしの映画とかマンガで私、勉強済みだもん」
「お、おいおい。これだからきみは。映画とかマンガとはわけが違うんだぞ」
「え?」
「映画やマンガ、あれは作りものだ。だがきみがこれからする経験というのは、本当に現実に目の前で起こる、体験することになるんだ。知っておかないとあとで後悔することになるぞ。向こうに着いてからは私もいない。誰も頼れる存在なんていないんだからな。バカをみるのはきみ本人なんだぞ」
 ふたりの会話の雲行きが怪しくなってきたのを察知した森島は、ふたりの間を取り成そうとした。
「そうだよ千里ちゃん。ただの旅行に行くんじゃないんだから。どんなことが起こるか全てを想定しておかないと」
「でも、だってこのタブレットひとつで戻って来られるんでしょう?さっき先生が実験してたじゃない。危なくなったら直ぐに飛んで帰ってくるわよ」
 惣田は大きなため息をついてから「こりゃダメだ」と漏らした。
「は?なにがです?」
「こんなバカを過去に飛ばすことなんてできんということだ」
 カチンときた千里は食ってかかった。
「あの!さっきからバカバカって人のこと・・」
「ああバカだ。きみのようなバカが未来人と判ったら、さぞかし若かりし諸先輩方は嘆き悲しむだろうな」
 そう嫌味を言うと惣田は奥の実験室へ引きこもってしまった。
 惣田の言い分に納得がいかず、キーキーと腹を立てている千里を森島はなだめになだめつつ、気分転換の意味のつもりで仕方なしに惣田の家を出た。

 大きな川沿いの土手にあがったとき、千里は憤りをはき出した。
「さっきの先生の言葉ってさ、思いっきり矛盾してると思わない?だってさ、私が過去に行ったらさ、私が未来から来たっていうのは絶対に秘密なわけでしょ?バラしちゃったら大変なんでしょ?そんなことくらい私だって知ってるわよ。だから私が未来人と判ったらって言葉、どう考えてもおかしいわよね?私から言うわけないじゃん!私が未来人なんて知られるわけないんだから!」
「う~ん、たぶん先生が言うからには、千里ちゃんのことだから、バレるようなことになってしまうのでは、ってことを想定しての話なんじゃないの?」
「はぁ?ちょっと森島くん!きみもそうやって私がバカをやるって思ってんの?信じらんないんだけど!」
 千里は森島と歩みを併せることをやめて、ひとりサッサと早歩きで歩を進めてしまった。
「あっ、いや、そういう意味で僕は言ったんじゃなくて・・」
 あとを追う森島は、千里がこれでタイムスリップを諦めてくれれば良いのにと思っていた。彼は千里が過去に行くことが単純に心配になっていた。
 しかし千里に惣田国倫(そうだ くにとも)という科学者を紹介してしまったのは自分の責任であるからして大いに戸惑ってもいた。
 そもそも惣田を紹介したのでさえ、千里へ対しての単なる得点稼ぎのつもりだったのだ。
 まさかここまで話が具体的に動き出すなど、彼は思ってもみなかったからだ。

 ちょうど半年あたり前の話である。
「え!あのアンジェル・スチュワートと会ったの?スゲー!」
「うん、ちょっとだけね。お父さんの故郷のアメリカへ行くんだって。歌、やめちゃうみたいなんだよね。なんかもったいないよね。あんなに才能ある人なのにさ」
 クラスメイトの佐伯千里(さえき ちさと)と森島直武(もりしま なおたけ)、浦河遥(うらかわ はるか)の三人は下校途中の土手の上だった。
「ねぇ千里、アンジェルとどんな話したのよ」
「うん、パパが入院したときメッセージを送ってくれたからさ、そのお礼のメールをしたら、わざわざパパの事務所まで来てくれたの。なんか背の高いキレイな人が来たなぁと思ったら、あのアンジェルであたしゃビックリよ!」
「いやいや、だから、どんな話をしたのって聞いてるんだけど」

 未来の世界では佐伯愁馬は稀代のヒットメーカーになっていた。
 作詞作曲家として数々のアーティストをプロデュースし、次々とヒット曲を量産していった。
 映画の音楽にも携わり賞を獲ったこともある。それは彼が二十代初頭から三十代後半にかけての出来事である。
 その間、中学校の同級生だった三上千景と結婚し、一人娘となる千里が誕生した。
 が、彼の人生は、音楽で得た地位と名声がピークに達したときから、坂道を転げ落ちるように徐々に苦難の連続へと流れ込んでいく。
 湧水のようにあふれ出ていた水が枯渇したかように、まったく詞も書けず、曲が作れなくなってしまったのが三十代終わりのことだった。しかし、これまでの作詞作曲で得た印税だとかを合わせるとその資産は莫大なものであり、残りの人生を悠々と余生として送っていくのになんら不自由はなかった。
 そんな人生の岐路にさしかかったとき、最愛の千景が四十の若さで急性心不全で亡くなってしまうのである。
 千景は中学生で知り合った初恋の人。人生の半分以上を彼女と過ごしてきた愁馬は失意のどん底に叩き落されてしまった。
 地位も名声も、これまでに得た財産も、彼にとってはなんの意味をなすものではなくなってしまったのである。
 そんなときだった。アンジェルが愁馬に楽曲の提供を求めたのである。

 アンジェルは十代後半にシンガーソングライター、歌手、モデルとしてデビューし、一気に音楽シーンの先頭に躍り出る活躍をみせる。
 見た目の美貌もさることながら、欧米人の外見のくせに日本人よりも日本人らしい気質。そしてなにより持って生まれたクリスタルボイス。
 出す曲出す曲がヒット曲のオンパレードだった。
 人気絶頂の二十代後半のときに日本人の俳優と結婚したが、そこが転機でもあり、転落の始まりだった。
 夫の不倫が発覚し、結婚生活は短いまま終わる。
 芸能界は人気商売というところがあり、ある程度の年齢に至り、かつ結婚してしまったアンジェルの人気には大きな陰りが生じてしまっていた。
 それと同時に、彼女自身も才能の限界を感じとってしまっていた。

 千里はアンジェルからこんな話を聞いたらしい。
「私、むかしから佐伯さんに強い嫉妬心があったのよ。佐伯さんがプロデュースするアーティストが出てくるたんびに怖くて仕方なかったの。きっと彼の音楽の才能に強い憧れもあったのかもね」

第6話 もしも、あの頃に

「え?うちの父にですか?憧れですか?」
「うん、そうなの」
「でもアンジェルさんだって、あんなに良い曲をたくさん作って。変な話、ふたりはあの時代の音楽シーンを引っ張っていたって・・」
「う~ん、でもそんなもんなのよ。隣の芝生は青く見えるじゃないけど、同じ土俵に立っていながら私には持ってないセンスだったり、こんなアレンジ私にはできないなぁとか、あんな曲を私も歌ってみたいなぁとかね・・」
「あ、それで父にあの曲の依頼を?」
「そうよ。私、これを最後の歌にしたいから曲を作って欲しいって彼に頼んだの。以前に何度か雑誌の対談とかでお互い面識はあったからさ。恥を忍んで勇気を出してあなたのお父さんに頼んだわけよ」
 アンジェルは少し笑った。テレビなどで見るよりも、目尻の笑いじわだったりが青い瞳の周りに目立っていて、年齢よりも老けて疲れてみえた。
「それで父は、なんて答えたんですか?」
「最後?じゃあおれもその曲を最後にでもするかなって。案外あっさり承諾してくれたの」
 千里はやや間をおいて、
「ああ、それで本当に最期になっちゃったんだなぁ・・」と独り言のように呟いた。「私もまさか最後っていう意味が、あの最期って意味だったなんて・・」

 アンジェル・スチュワート作詞、佐伯愁馬作曲の”明日色の月”という曲は大ヒットすることになる。
 世間では世紀の化学反応だとまで言われた。
 しかしアンジェルは自身の引き際を考えていた。つまりアーティストとしての引退である。
 同じく愁馬も引き際を考えていた。ただ愁馬の場合は、人生の引き際のほうであった。
 彼はアンジェルに曲を提供したあと、自ら命を絶とうとした。
 一命はとりとめたが現在も意識不明の状態が続いている。
 妻の千景への後追い自殺と大衆は騒いだ。音楽業界にとっても大きな損失と言われていたが、身近で見ていた千里はそうは思わなかった。

「母が亡くなったあとの父はおかしくなってました。あるときなんか、リビングでお酒を飲んで・・あ、お酒は前から飲んではいましたけどね。・・そう、お酒飲んでるんだなって思って後ろから見たら、母の骨壺をテーブルに置いて、蓋が開いてたんです。え?って思ってのぞいたら、父は母の骨をかじりながらお酒を飲んでたんですよ。ビックリして、何してんの!って直ぐに止めました。・・父は自身の才能に限界を感じていて、ずっと苦しんでたみたいです。疲れ切っていたんです。私なんかからすれば、もう一生遊んで暮らせるだけのお金を持ってんだから、サッサとやめてのんびり暮らせば良いのにってずっと思って見てました。私なら絶対にそうするのにって。でもそういう問題ではなかったみたいなんです。そのタイミングで母が亡くなってしまったので、余計に耐えられなかったのかも知れないです」

「・・あなた、いま独りで大丈夫なの?」
「ぜんぜん大丈夫ではないですけど、ジジとバ・・祖父も祖母も近くにいてくれてますし。父と母には色んなものを残してもらいましたし、父もいつか目を覚ますかも知れないですから・・」
 やや間をおいて、ハッとした千里はパンッと手を打った。
「とりあえず!・・ちゃんと高校には進学するつもりですよ。母は絶対に大学まで行かせる気満々でしたから、そこは守らないと化けて出そう怖くって」
 アンジェルと千里は一緒にクスクスとだけ笑った。
 そのあと、アンジェルは軽いため息をひとつついた。
「私は父親がいるアメリカへ行こうと思うの。もう日本は卒業かなぁ」

「アンジェルさんと父の曲、他にももっと聞いてみたかったです」
「当の本人の私もそう思ったわよ。もっと早く手を組んでやってみたかった・・ん?」
 アンジェルはなにかを考えながら天井を見上げた。
 つられて千里も天井を見上げてしまったが、電灯以外なにもなかった。
「あ、そういえばね、私と佐伯さんって地元が近かったのよ」
「え、彩葉ですか?」
「そうなの。私は中学へ上がる前までは都心部で暮らしていたんだけど、親の仕事の都合で彩葉区の彩葉へ引越したの」
「え、でも中学は違ったんですよね?」
「そう。私は第一中で、彼は確か、第四中・・だったかな?」
「えぇ!ニアミスしてたんだ!高校はどこだったんですか?」
「私は翠嶺高等学院だよ」
「うわっ!めちゃくちゃ頭の良い人が入る高校じゃないですか!あぁ、うちの父じゃ逆立ちしてもそんな高校入れなかったろうなぁ。そっか、高校も違ってたんだ・・でももし知り合ってたらどうなったんだろう」
「最近になって本当にそう思うときがあるのよね。私も中学ではもう音楽を始めてたし、もし彼と知り合って一緒に音楽をやってたらって。ニアミスって言ったらそうそう。都立公園の近くに商業施設があって、その対面に区民センターがあったの。その中に簡素で安いスタジオがあって、聞いたら中学生のとき私も彼もそこ使ってたのよね」
「あ、そこのスタジオの話、父から聞いたことあります。もしかしたら一緒のとき会ってたのかも知れないですよね」
「そうかもね。その話を彼にしたらとっても懐かしそうにしてたわ」
「パパは都立公園に続く歩道橋でよく煙突・・清掃工場の煙突を眺めるのが好きだったって言ってましたよ」
「え?私もだった。たまに通りすがりに欄干でひと息ついたりして・・」
アンジェルは話途中でうわの空な表情になった。
「?・・どうしました?」
「ううん。もしかしたら本当に、同じタイミングであのあたりで彼とすれ違っていたのかもね」
「・・」
千里も黙ってしまった。
「だとすると運命の神様も意地悪だなぁ。彼と音楽をやってたらなって、もっと思っちゃうかも。あーあ、あのころに戻って私に教えてあげたい。佐伯さんそこにいるよって」
「・・父は確か、むかしからバンドをやりたかったって言ってました。本当はボーカルとギターをやりたかったって。でもメンバーになかなか恵まれなくって、結局プロデュース業になったって」
「そうそう、私にもこぼしてたわ。本当はバンドで挑戦したかったみたいなのよね。バンドやってるアーティストがめちゃくちゃ羨ましいって」
「へぇ~、そんな話を。でもうちの父は表舞台でド派手にバーンとかますような性格してないと思いますよ」
「え?そうかしら?」
「はい。内気だし慎重派だし、コツコツと作詞作曲して曲を量産しているイメージしか私は湧きませんよ」
「そうかなぁ。なにかきっかけがあったら判らなかったんじゃないかしら。デモ音源の彼の仮歌、すごく素敵な声だったもの」


「なるほどね、確かにあの佐伯愁馬とアンジェル・スチュワートがバンドを組んでたらどんなんだったろうなぁ」
「ね、だって”明日色の月”ってすごい良い曲だったもんね。千里もそう思ったでしょ?」
 だよね!そうだよね!と盛り上がる森島と浦河を尻目に、千里自身もそう思って想像を膨らませていた。

 もしも父親の愁馬とアンジェルがバンドを組んでいたら。

 どんなグループで、どんな曲ができて、どれだけの人気を博したのだろうかと想像していた。
 母を亡くし、父が再起不能になってから数か月の間、千里が無理に明るく振る舞っているのを見るのが森島はつらかった。
 そんなときだった。
 惣田から時間旅行は理屈では可能である、まだ実験段階だが夢のような話ではないと聞いたのを思い出した。
 ただ単純に千里を励ます意味で森島は、過去に行って佐伯愁馬とアンジェル・スチュワートを出合わせてみたらどれだけの名曲が生まれたんだろうね、などと絵空事のような話を振ってみた。
 そして惣田から言われた”理屈では時間旅行は可能なんだ”という話も付け加えたのだった。
 すると千里は、「え!?それホント!?先生んとこ行って詳しく聞いてみようよ!」と乗り気になり出した。
 千里がそのとき見せた満面の笑みはかなり久しぶりだったので森島は嬉しくなってしまった。
 そしてふたりで惣田の家に向かったわけだが、そこで惣田が開発したタイマーアンカーの存在を知らされることになる。

Kentucky Home

Kentucky Home

音楽が好きな中学三年生の少年。 桜の季節、彼は金髪碧眼の少女と出会う。 日本で育った彼女もまた音楽を愛し、ふたりは音楽を通じて少しずつ距離を縮めていく。 ふたりの出会いは偶然だったのか、必然だったのか。 その出会いによって少しずつ未来が変わってゆく。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第1話 My Old Kentucky Home
  2. 第2話 桜の下のハンカチ
  3. 第3話 桜色のアッパッパ
  4. 第4話 SEVEN DAYS
  5. 第5話 過去へ向かう理由
  6. 第6話 もしも、あの頃に