香茸のスパゲッティ
香子の友達が天然の香茸を送ってくれた。
新婚当時、初めて行った香子の実家の山形で、母親が香茸の炊き込みご飯を作ってくれたことを覚えている。もう五十年以上も前のことになる。その頃は実家の通りに朝早く茸の市がたっていた。山で採ってきた茸が並んでいて壮観だった記憶がある。今はもうやっていない。義兄も今ではこの香茸は道の駅でしか買えないと言っている。
「半分炊き込みご飯にするね、あとは冷蔵庫に入れておく、明日なんか作る」
香茸は黒っぽくて大きな茸である。
見ていると、香子は半分にした香茸を手で裂いてある程度細くした。それをしばらく水につけておき、煮立ったお湯に入れた後水洗いした。
「これ生でたべると中毒するよ」
香りは不思議なもので、どっちかと言うと、化粧品の匂いのような感じを受ける。茸の形状と匂いが不釣合いといえば不釣合いである。
「だけどね、あまり煮ると水に味が出てしまうから、ちょっと煮るだけがいいの」
そういいながら五分ほど煮た。部屋中香茸の香りだ。
炊飯器に一合の米と水を入れ、その上に香茸を散らし、酒と醤油を適当に入れ混ぜ合わせている。手馴れたものだ。
「今回は香茸の味を楽しむために油揚や人参はいれないわよ、しめじだけいれるね」
ストアーで買った培養シメジである。
炊き上がったご飯は生の香茸よりもかなり匂いが強く、良い香りである。おいしく食べた。
その晩のことだ、部屋中何かの匂いに満たされて目が覚めた。
どこかで嗅いだ匂いである。
ベッドから起きて匂いの元を探した。
二階のどこかである。
ふっと、隣のベッドを見ると寝ている香子の口元から、黒い煙が上がっている。
それが匂いの元凶だった。
そうか、今日食べた香茸の匂いが黒い煙とともにただよっているのか。
煙は漂って、寝ている僕の目の上でダンスを始めた。
真っ黒な玉になって目玉ができた。なんだ、これは宮崎駿のトトロに出てくるやつじゃないか。そうだ煤渡りだ。
香子の口からいくつも黒い煙の塊がでてくると、香茸の匂いを発しながら空中でフワフワ、上になったり下になったりダンスをしている。
香茸は真っ黒ではない。なぜ香りが黒くなるのだろう。
そこに猫の玉がやってきた。
香茸の香りの塊に飛びついた。
煤渡りは玉の手からするりと逃げる。他のが宙に浮いてきて、玉の髭を掠めるやつがいた。玉は黒い玉を追いかけた。
飛びついては失敗していると、玉の大きな目玉に煤渡りが飛び込んだ。驚いた玉は僕のベッドに飛び上がった。
玉のきょろんとした目が真っ黒だ。両手で目玉をたたいている。でてけといっているようだ。香茸の匂いが玉の目玉から流れてきた。
「香茸臭いぞ」
玉が僕の布団の中にもぐりこんだ。足と足の間に入って丸まってしまった。
布団の中から香茸の匂いがしてくる。
玉の寝息が聞こえる。目の前の宙を見たら、黒い玉が興味深げに僕を見ている。
「玉はなぜ布団に入ったんだ、まだ寒くもないのにさ」
煤渡りが聞いて来た。
「眠くなったからだよ、目の前が真っ暗になったしね」
「布団の上でもいいじゃないか」
「猫はあったかいのが好きなのさ」
それを聞いた黒い玉はみんなそろって布団の中にもぐりこんできた。なんだか体の周りでごろごろしている。香茸の匂いがもっと強くなった。
布団の中で猫の玉が目を覚まし、中に入ってきた香茸の黒い玉にじゃれはじめた。布団の中でどたばたどたばた。寝るどころじゃない。隣の香子を見ると、口から出ていた黒い煙は止んでいた。
布団をもちあげ、中を覗いて「止めなさい」と言ったのだが、もこもこもこもこ、やめる気配が無い。
ぱっと布団をめくると、玉がきょろんと僕を見た。黒い玉の目玉もきょろんと僕を見た。
そのとたん、黒い玉と猫の玉はすーっと僕のお尻からからだの中にはいってしまった。僕の体から香茸の匂いがぷんぷんするようになり、
「あなた、くさいわよ」と言う声で目があいた。
階下で「あなた九時よ」と香子がさけんでいる。
「おきたよ」そう言って下に降りた。
朝食を終えると、犬のポケが庭でほえている。僕を呼んでいるのだ。
庭に出ると、ポケが蓮華草を見つめていた。
今頃蓮華草とは珍しい。どうしてポケが蓮華を見ているのだ。ポケの目線をみると、蓮華草の中に天道虫が五匹五角形を描いていた。
なにをしているのだろう。何かの占いのようだ。
ポケが僕を見て言った。
「香茸の香りを初めて嗅いだ天道虫が、あまりにもいい匂いだったので、天地異変が起きるのじゃないかと思って未来占いをしているんだ」
そこにミミズが顔をだした。
「やっぱり人間か、何食った」
そう聞かれたので、香茸食ったと答えたところ、
「いい匂いだ、土よりいい匂いとは恐れ入った」
ミミズは土を食べて栄養を吸収して残りを排出する。
「この辺には生えない茸だからな」
ポケが説明をした。
「地方のヒトはこの茸を見つけると喜ぶもんだ、舞茸並みに喜ぶ」
そこまで言った。さらに、
「香茸は猿の腰掛の仲間だ、イボタケ科の茸だが、日本特産だぞ、シシタケが似ているが、これは外国にもある」
何でポケがこんなことを知っているんだ。そうか、この犬は家内の田舎の友達がくれたのだ。だから詳しいわけだ。
ポケが五匹の天道虫のところに鼻を持っていった。ふむふむと言っている。
「天道虫が、この庭はますます元気になると言っとるよ」
ポケは大きなあくびをして犬小屋にはいってしまった。
家にはいると家内から、
「ポケは散歩にいきたかったんじゃないの」
そう聞かれたので首を横に振った。
「眠いみたいだ」
「私、新宿まで買い物に行きますね、お昼には戻ります」
「うん、わかった」
香子は田舎の母親に頼まれたものを買いにいく。
さて、なにするか、と考えていると。玉が犬小屋からでてきて、庭から叫んだ。
「おい、遊べ、退屈だ」
「いそがしいんだよ」
「退職人間は遊んで欲しいのじゃないのか」
確かにやることがなくて、本を読むにしても、目が疲れるからずーっととはいかない。それに今読みたくなる本がない。
「お昼をつくらなきゃならん」
でまかせを言った。
「おおそうかい、それじゃ作り方を教えてやる」
いつ入ってきたのか、ポケが玉と並んで僕を見ている。
「残っている香茸をオリーブオイルで鷹のつめと一緒に炒めてみろ、味付けは、塩でも醤油でもいいが、とても旨い。つまみにもなるが、それをスパゲティーに混ぜるといい香りにできあがる。他になにを入れても良いから、工夫して食ってみなよ」
やはりポケは山形の犬だ。香茸の食べ方までよくしっている。
「なかなか旨そうだが、鷹の爪ってなんだ」
「そんなことも知らんのか」
どうもそういわれると面目ない。
「日本産のあの赤い唐辛子だ、紡錘形のいい形だ、一味唐辛子とも言う」
「なんで、日本産なのに唐の芥子なんだ」
してやったりと思ったら、
「唐辛子はな、十六世紀にポルトガル人が持ち込んだんだ、唐のからし、だったわけだ、からし、マスタードだな、はアブラナ科で日本でもっと古くから作られていたんだ、唐辛子は茄子科だ」
ポケのやつなんでこんなこと知ってるんだ。
「俺は、山形の唐辛子家で産まれたんだ」
そういえば香子の家は鳥海山のふもとの遊佐町だ。
「ほら、時間がかかるだろうから、準備しろ、香子が帰るのは十二時すぎるころ、あと一時間、ちょうどいいな」
ポケじゃなく、玉にまでそういわれた。
そこで、スパゲッティ用の皿をさがし、ホークとスプーンをテーブルにおいた。
「それは後でもできる、材料と必要なスパイスをならべなさい」
なんと玉にしかられてしまった。
スパゲッティを二百グラム計っておく、鍋に湯を沸かし塩をいれておいた。香子が帰ってきたときにもう一度わかして、スパゲッディをいれる。
半分残っていた香茸を冷蔵庫からだして水洗いした。さてどうしよう、
ポケが足元で、
「ほら、茸を裂いておきな、ゆでる準備をして、調味料をそろえな」
というのでお湯を沸かした。お湯が沸いたところで、少し細かく裂いた茸をいれ、三分も立ったら、ポケがもういいというので、湯からあげた。
「水洗いして、器に入れておく、ちょっと、そいつを山葵醤油に漬けて食ってみな」
ポケのいうとおり、食べてみると、これがなかなかうまい。
「湯がいたやつはおつまみになるだろう」
確かにその通り、うなずいた。
「香子がかえってきてから、フライパンにオリーブオイルをしいて熱くして、湯からあげた裂いた香茸を鷹の爪と炒めるわけだ」
そうこうするうちに香子が帰ってきた。
「ただいま、これからお昼の用意するね、どこにいるの」
台所に入ってきて驚いた。
「なにやってるの、玉だけじゃなくポケまでいるじゃん、餌のおねだりね」
「いや、ちがうんだ、香茸のスパゲッティをつくるんだ」
鍋に火を入れ、すぐゆだったのでスパゲッティをいれた。
香子が驚いたように見ている。
フライパンもガスの上にのせオリーブオイルが熱したところで、鷹の爪と香茸をいためた。
「へ、あなた料理できるの」
「玉とポケに教わったんだ、玉はお前の料理を見ていたから、準備することを教わった、ポケは唐辛子屋の生まれだからよく知っていてね、鷹の爪と香茸のスパゲッティ教えてもらった」
「なに言ってるの、確かに玉は私が料理しているときに足元に来て欲しがるし、ポケは唐辛子屋の友達からもらたんだけど」
香子はそう言って少し考えた。
「あなた、童話作家でしょう」
たしかにそうなのだが、だけどどうして作れたんだ。
香茸のスパゲッティ
茸指小説集「夢見茸、一粒書房、2027年」に掲載予定
絵:著者