隙間の恋人
アルバイト先のレストランには従業員しか知らない秘密がある。厨房に2台並んだ冷蔵庫の隙間に女性がいるのだ。
女性は見たところ30代くらい。セミロングの茶髪で、白い長袖ブラウスにひざ丈の黒いAラインスカート、臙脂色のパンプスを身に着けている。隙間にいるだけあって身体がとても薄っぺらい。業務用の冷蔵庫と同じくらいの背丈だが、その特徴的な体型のせいか威圧感がまるでなかった。隙間にいるだけで何をしてくるわけでもないので、目撃されてからというもの放置されているらしい。
聞けば店長がこの店を開いた年からこの女性はいたそうだ。従業員を雇う度、店長は彼女を紹介し、始めこそ皆驚くもののすぐ慣れてしまう。一番下っ端の私にとってもすでに彼女は風景であり空気だ。他の従業員も同じような感覚なのだろう。彼女のことは他言無用とされているが、わざわざ人に話そうという気持ちすら誰も抱いてないようだった。
「彼女のこと、秘密にしてくれてる?」
だというのに、店長はときおり心配そうにそう尋ねてきた。働き始めて間もない頃は信頼が足りてないだけと思っていたが半年、1年勤めてみても時々聞かれた。なんとなく不安になって他のスタッフに聞いてみたところ、どうやら全員にそうらしい。
「心配性なだけで、悪気はないと思うよ。めんどくさかったら言ってやんな」
店長と一番付き合いの長いスタッフがそう言ってからから笑うので、私は以来この問いかけを気にしなくなった。一度、冗談めかして「もっと信頼してくださいよ」と店長に言ったところ、彼は垂れた目を細め困ったように笑っていた。
ある夜、業務を終え帰路についていた私は忘れ物をしたことに気付く。少々面倒だったが必要なものなので仕方なく来た道を戻ることにした。この日、店にはまだ店長が残っていた。
従業員用の出入口を開け、休憩室に置き忘れたものを回収する。そして再び廊下に出ると、店の方からなにやら話し声が聞こえる気がした。私は驚いて一瞬、肩を揺らす。声の方向に視線をやるとバックヤードと店内を隔てる扉が開け放たれている。間接照明の柔らかい明かりと身動きする人影が見えた。
「ふふふ…」
店からはやはり話し声が聞こえてくる。声の主は店長だろう。低いささやき声で、話している内容までは聞き取れない。彼の声色はとても優しく温かだった。普段からおっとりした調子で話す人だが、それでも聞いたことがない雰囲気に思えた。
店を出るとき残るは店長一人のはずだったが誰か来たのだろうか?しかし、いくら耳をすませても聞こえるのは店長の声のみ。独り言にしては様子がおかしいように思えて、私はつい店内を覗き見てしまった。
すると話し声が止んだ。物音ひとつしない店内、カウンター越しに見える厨房には2台の冷蔵庫の隙間に顔をくっつけるようにして立つ人物が一人。
「店長?」
声をかけると彼はものすごい勢いでこちらを振り向いた。ひどく狼狽した様子で口元を抑え、言葉にならない声を上げる。その様子に私はかえって冷静になり、店長が落ち着くまでの経過を無言で見つめた。
何も言わずにいる私を彼はきまりが悪そうな表情で伺い見た。じきに堪忍した様子でひとつ息をつき、冷蔵庫に寄りかかりながらこう尋ねる。
「僕たちのこと、秘密にしてくれる?」
知らぬ間に身近で育まれていた想いにくすぐったい高揚を覚え、この日私はいつもより軽い足取りで帰宅した。
隙間の恋人