よしよし日野さん
十二月二十四日、夜八時、バイト先の忘年会の終わり。
「二次会行く人~」
先輩の西野さんが片手を挙げて参加者を募る。
店の前の歩道で手を挙げている彼女の周りに、参加者のほぼ全員が集まっていた。
わたしはレモンサワーを二杯も飲んでしまって、もう酔っぱらっていた。自分がまっすぐ歩けているか確認しながら、忘年会場の大衆居酒屋「メチル道場」から出てきたところ。空には大きな満月が浮かんでいた。
「田中! お前帰るのか?」
営業社員の須賀が、西野さんの所へ集まらないわたしに向かって、不快な大声を張り上げた。
「あ、わたしもう帰ります。みなさん、よいお年を」
わたしはそう言って須賀以外の人たちに軽く頭を下げた。酒が弱いのでもうこれ以上飲むのは無理だし、そもそも人付き合いは苦手な方だ。まるで全身が半透明ごみ袋に包まれてるような、自分と外界の間に薄い膜が一枚あるような感覚。五感全てが鈍っている。さっさと帰って寝たかった。
須賀は「なんだよ、白けるだろうが! お前も来いよ!」などと言っている。わたしが帰りたい理由の半分以上はこの男だ。声がデカくて無神経。威嚇的な声とともに吐き出される臭い息。ついでに足も臭くて、髪はべったり脂っぽい。ドスドス音を立てて歩き回り、あたりかまわず唾や痰を吐く。その上、社内ですれ違うたびにわたしの体に触ろうとしてくるし何度も触られたし、そんなクソ野郎とはなるべく同席したくない。
「彼氏が家で待ってんのか? クリスマスイブだからセイ夜ってやつだな! セイ夜のセイは聖じゃなくて性の字でな! がはは!」
須賀が大声で笑いながら、卑猥な身振りを交えて下種な言葉を吐く。西野さんたちは微妙に困った顔をしている。
(うぜえよ須賀! 消滅しろ!)
心の中で毒づきながら、わたしは須賀をシカトして、みんなに軽く手を振った。そうして少しよたつきながら皆に背を向け、自分の足元に視線を落とすと駅に向かって歩き出した。
「俺も今日は帰るわ」
後ろで誰かが言うのが聞こえ、背の高い人影が足早にわたしの方へ近づいてくる。
「田中さん、電車、下山線でしょ? 飯宮に住んでるんだっけ」
追いついてきた日野さんが隣に来て、わたしの頭上からやや低めのソフトな声で言った。
「えっ、はい」
(通勤電車が下山線だっつうのはともかく、なんでわたしが住んでる場所のことまで知ってんだ?)とちょっと驚いたが、酔っていたせいかそれ以上深くは考えなかった。
日野さんはアルバイト先の広告会社の社員だ。背が高くやや面長で柔和な顔。見た感じ三十歳くらいで、社内デザイナーをやってる。営業部の雑用バイトのわたしとは、広告原稿の受け渡しをする際に業務上の連絡を一言二言交わす程度の関係。プライベートなことは話した覚えがないし、他の社員やバイトから彼の話を聞くこともまず無かった。仕事はちゃんとやるけど、職場の人間とは深い付き合いはしないタイプなんだろう。つまり毎日会っちゃいるけど、よく知らない人。
「今夜は雪が降るみたいよ。天気予報で言ってた。よく晴れて満月も出てるのに」
黙って下を向いて歩くわたしに、日野さんがどうでもいいことを話しかけてくる。
「そうみたいっすね」
まん丸の明るい月に照らされてできる自分の影を見ながら、面倒くさいけど一応答える。
「田中さんさ、今日、あんま飲んでなかったね」
「わたしお酒弱いんで」
「えー、でもあんまり酔ってる感じには見えないよ。顔も赤くなってないし」
「そうっすか……」
なぜだかやたら話しかけてくるけど、わたしの方には特に話したいことがない。なので、聞かれたことに適当に返事するしかなかった。
「まだ八時過ぎか。なんかこのまま帰るのも、もったいない気がするよね」
(するよね、と言われてもなあ。あんたもさっき帰るって言ってたじゃん)
「まだ時間も早いし、ちょっと飲み直さない?」
「はぁ」
断る理由を考えるんだけど、頭にもやがかかったようになっていて、ちょうどいい言い訳が思い浮かばない。
「一次会で田中さんと全然話せなかったからさ、ゆっくり話したいかな」
日野さんは歩きながら上体を前傾させて姿勢を低くし、暗い褐色の瞳でわたしのうつむいた顔を覗き込む。
「俺がよく行く秘密のバーがあるんだ。雰囲気のいい店だよ。人には教えてない店なんだよね」
もうかったるくて、その辺に座り込みたくなってきた。
「バーは北山の方にあるからタクシー拾おう」
北山と言ったらラブホテル街だ。(あ~、なるほどこいつわたしとセックスしたいんだ。酔わせて一発狙ってんだべ)とようやくわかった。
日野さんがガードレールの途切れたところで立ち止まり、車道に向かって片手をあげている。わたしはなぜか彼の隣に立ち止まってぼんやりしていた。別に彼とバーに行きたいとは思っていなかったが、はっきりと断ることができていないまま、一人で駅に向かってしまうのは申し訳ないような気がしたからだ。
★★★
人通りの少ない静かな通りでタクシーを降りると、窓のない黒っぽいビルが目の前にそびえている。六階建てくらいか。一階の壁面がくぼんだような妙な形になっていて、そのくぼみの部分に黒い扉があった。重そうな金属扉には小さなクリスマスのオーナメントが飾られている。ちんまりとかわいらしい装飾は、磨かれたように黒光りするビルの壁面や扉の威圧感とは、全く不釣り合いに感じられた。
入口の上には看板が出ているが、何と書いてあるか全然読めない。わたしは無学なので、それが英語なのかフランス語なのかもわからなかった。
「わたしお金持ってないんですけど……」
ふいに、高いお酒を出す店だったらどうしよう、と不安が湧いてきて尻込みしてしまう。こういった場所に入るのは初めての事だった。
「大丈夫、大丈夫。俺が出すから」
そう言ってドアを開ける日野さんの後ろに、わたしはついて行くしかなかった。
細長い店内にはカウンターが六席のみ。客は誰もいなかった。
「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ」
カウンターの中で一人、グラスを拭いていた黒っぽい服のおっさんが、その手を止めて席を勧めてきた。
(あれがバーテンダーっちゅうやつか。後ろにいろんな酒いっぱい並んでんな)
バーテンダーの背後の棚には大小さまざまな形の酒瓶が何十本も並んでいた。薄暗い店内のオレンジがかった照明に照らされてキラキラ光るガラスのボトルを、わたしは口を半開きにして眺める。
横を見ると、日野さんがコートを脱いで席の後ろの壁に掛けている。自分も慌ててそれを真似して、安物のダウンジャケットを脱ぐ。
(やべえ。こういうとこで、どうすりゃ良いかわからねえ。日野さんの真似するしかねえべな)
日野さんが腰掛けを手で示し、先に座るよう促す。
(こんな洒落こいたとこ来んの初めてだわ。ダサいトレーナー着て入って良いのかな)
下を向いて謎の英文がプリントされた自分の服を見る。その下のケミカルウォッシュのジーンズと、量販店で購入した安いスニーカーも。
「こういうところ、来たことあるかい?」
「えっ、ないですね」
「じゃあ飲みやすいのを注文してあげるよ」
日野さんはバーテンダーに向かって、なんだか聞いたことのない酒の名前を告げる。こちらを見てわずかに微笑んだ彼の表情はやさしく柔らかいものだったが、口からは鋭い八重歯が覗いていた。
★★★
(この酒、便所の芳香剤みてえニオイすんな……)
日野さんが酒を勧めてきながらチラチラと目線を動かし、こちらの首から脚の方まで品定めでもするかのように見てるのには気づいていた。
(じろじろ見たって、わたしゃ別に大した体してねえよ……)
ぐらぐら揺れる視界の中に日野さんの顔を捉える。顔をかっかと火照らせたこちらの状態を観察するように見つめてくる彼の目。それを、どろんとした目で見つめ返す。彼はアルコールに強いのか、それなりに飲んでるだろうに全然酔った様子がない。
(日野さんの顔、たぶんこれイケメンなんだろうな……。まあ、わたしは別に好きなタイプじゃねえけどな。嫌いなタイプでもねえけど……)
今夜はたぶん日野さんの思惑通りに食われてしまうだろう。だがもう私はそんなことどうでもよかった。赤いのやら青いのやら、勧められるままに酒を飲んで、もう目の前が回転して見える。彼が、このリキュールの色はサボテンにつく虫から取っているだの、このカクテルには正しい飲み方があるだの、色々うんちく語ってくれる。しかし耳に綿でも詰まった感じがして、途中で彼の声も聞こえなくなっていた。
わたしの首は頭の重さを支えていられなくなり、徐々にうなだれていく。カウンターの上の大きな手とその甲に生えた毛が目に入る。
(日野さん毛深えな……)
帰るためにカウンターから立ち上がろうとしたものの足に力が入らず、わたしはバーの床を四つん這いの格好で這うだけだった。日野さんが慌てて介抱してくれて何とか店外へ出ると、真冬の空気が熱くなった私の顔面をさっと冷やす。一瞬だけ心地よいと感じた次の瞬間、胃袋が握りつぶされたようにぎゅーっと収縮した。口から歩道へ向かって、七色の吐しゃ物が勢いよく噴き出す。まるで水鉄砲のように。日野さんがわたしの背中やわき腹をさすりながら「全部吐きな。吐いちゃった方が楽になるよ」と言ってるのが聞こえる。しかしその声はまるで水中で聞く音みたいに遠かった。
ここまで酔っぱらったのは二十一年の人生で初めての事で、もうどこでもいいから寝転がってしまいたかった。
★★★
雑木林の中にぽつんと建てられた木造平屋。借家なのか持ち家なのかは知らないけど、ここが日野さん家か。
タクシーに乗せられた記憶はないが、いつの間にかここへ連れてこられていた。でもそれはどうでもいい。わたしはすぐに横になりたいんだ。
視界が一回転した、と思ったら柔らかなベッドの上に投げ出されていた。
(あー、ここまで来たらさっさとやって、朝まで寝かしてくれ)
とにかくことを済ませてしまいたい。ベッドの上に寝たままジーンズのボタンをはずし、脚を曲げ伸ばししてなんとか脱いだ。続いてパンストごとパンティーを脱ごうとしたら、日野さんが慌ててわたしに布団をかぶせた。
「田中さん、別に俺そういうつもりじゃないから」
少々うろたえた様子で日野さんは顔を背けた。
「いいよ。せっかくだからやんな、日野さん」
わたしは布団を蹴り、下着を脱ぎ捨てて下半身丸裸になった。
「えっ、いいの」
ちょっとうれしそう。
(やっぱやりてえんじゃん)
頭を少し動かし、窓へ目をやる。カーテンの隙間から見える明るい夜空。大きな満月が空のど真ん中に浮かんでいた。
ベッドの向こうに視線を移すと、日野さんがシャツを脱いでいた。彼の胸から肩にかけて、異様な黒い渦巻き模様が描かれているのを見て、ちょっとだけ意外に感じた。
(マジけー。日野さん真面目そうな顔して、すげえタトゥー入れてんじゃん)
ふらふら揺らぐ視界の中で、その渦巻き模様がどんどん広がり、すぐに日野さんの胸と肩から腕や顔まで全身をくまなく覆った。
「日野さん、入れ墨すげえっすね。全身真っ黒じゃん」
わたしの上に覆いかぶさった彼の腕に触れると、棕櫚帚か何かのような手触りを感じた。どこかで触った記憶があるものの、思い出すのも面倒くさい。
下半身だけ丸裸という間抜けな恰好で「コンドームは付けて」と言うと、わたしは脚を広げて目を閉じた。するとすぐに、自分の中に熱くて硬いものが侵入してきたのを感じた。
(前戯なしかよ)
とは思ったものの別に不快だったわけでもなく、かと言って快感があったわけでもなく、ただ股の間に異物感があるだけだった。酔っぱらって鈍感になっている肉体は、日野さんが動くのに合わせて、ただ前後に揺れているだけだった。
行為中、半分眠ったような状態でいたわたしは、顔面にぽたぽたと何かが垂れてくる不快感で目を開けた。手をやると頬にぬるぬるした粘液がついている。
(ああークソ。顔射されちまったわ)
少しイラっと来て上体を起こし、日野さんの顔を見る。
「?」
目の前にいたのは日野さんではなく、黒い毛皮に覆われた大きな獣だった。わたしの体の上にまたがるように立ち、舌を出してこちらを見ているその生き物のよだれが、わたしの顔に垂れかかっていたのだ。大きく開いた口の中に、長く尖った牙が唾液に濡れて光っている。下の方を見ると、後ろ足の間にコンドームをかぶった赤黒いペニスがぶらぶらと垂れ下がり、ゴムの先端に精液が溜まっているのがはっきり見えた。
わたしはもう一度、その黒い獣の顔を見る。長い鼻づら、三角のピンと立った耳、暗い褐色のつぶらな瞳。
「イヌじゃん」
「イヌじゃない」
その獣が聞き取りづらい、がらがらした声で言った。わたしはもう面倒くさくなって体を倒し、枕に後頭部を埋めた。
「イヌじゃなかったら何さ」
意味が分からな過ぎて微妙に腹が立ってきた。
「オオカミ男なんだよ、俺」
「……あー? あんた日野さんだよな?」
「うん。俺だよ。田中さんを食べたい」
「なにそれ。さっき食ったじゃんか」
「そういう意味じゃなくて……」
「はいはい、食べ物として食べるって意味ね。あれだ、バーでわたしの体見てたのも、そういう意味で食いたくてじろじろ見てたんだ」
「うん……変な目で見てたのは失礼だったとは思うけど……ごめん」
しゃがれた声でそう言うと、オオカミの日野さんが大きな爪の生えた両前足でわたしの肩を押さえつけた。
「じゃあ田中さん、悪いけど……」
真っ黒い獣が鋭い犬歯をむき出しにして、喉に食らいつこうと顔を近づけてきた。
「なんでそんな顔すんの。駄目だべ」
わたしはそう言って彼に向かって両手を伸ばし、親指でその長い鼻づらの上にできたしわを伸ばした。
「田中さん、やめて。君はこれから生きたまま、骨も残さず食われてしまうんだよ」
「もう酔っぱらっちゃってんだから、なんも怖くねえよ」
今度はオオカミの頭の後ろまで手を伸ばし、大きな三角形の耳の後ろをカリカリと掻いてやる。
「あっ、あっ!」
日野さんの後ろ脚が空を蹴るように動いている。濡れた鼻をぴくぴくさせながら、ふがふがと空気の抜けるような声を出す。
「オオカミつっても、イヌの仲間なんだべ?」
耳の後ろを掻き続けてやる。
「イ、イヌじゃない!」
声を荒げてそう言いつつも、日野さんは目を細めて舌を出している。
「よ~しよしよし、わんこちゃん可愛いね~」
彼の顔を両手で挟んでわしゃわしゃ揉むように動かすと、その真っ黒い毛のかたまりはごろんとベッドに横たわり、鋭い歯がずらりと並ぶ口からだらしなく舌をはみ出させた。わたしは寝そべったままでその大きなオオカミの胸に触れ、優しくなでる。さらにその手をのどまで滑らせ、少し強めにあごの下をくすぐる。
「や、やめろ! ぐぅうう……」
うなりながらマズルをぴくぴくさせて牙をむこうとするが、暗い褐色の丸い目はさらなる愛撫を求めるように、期待に光っていた。
わたしは酔った体を這わせて彼の胴にしがみつき、そのお腹をやさしくなでながら毛皮に顔をうずめる。ごわごわした背中側と違って、お腹の毛はふかふかして柔らかい。
(あー、思い出したわ、この手触り。これ、ケンだ)
毛皮の触感とにおいは、実家で飼っていた雑種犬の「田中 犬」と同じものに感じられた。ケンも黒くてごわごわの硬い毛質で、腹を撫でてやると体をくねらせて喜ぶやつだった。
今、日野さんも体をよじり、しっぽを力いっぱい振りながら撫でられるのを喜んでいる。
★★★
朝、目が覚めると日野さんは人間の姿に戻っていて、小さな飯台のそばに胡坐をかいて座り、ぼーっとしていた。
(頭いてえ)
脳みそを万力で締め上げられてるみたい。カーテンの隙間からわずかに見える景色は、白く静かだ。雪の積もった外に出たら、きっと耳も鼻も痛くなるくらいだろう。
昨夜はあのまんま寝たから上はダサトレーナー、下は丸裸のままだ。暖房が効いているおかげでこんな格好でも寒くはないが、やや乾燥しているのかむき出しの股ぐらがカピカピする。
今日はクリスマスだというのに、こんなに不快な目覚めがあっていいものだろうか。
(はー、かったり)
ベッドに寝そべったまま日野さんに声をかける。
「日野さん、おはよう。今まで人間食ったことあんの?」
「えっ? あっ、おはよう」
反射的に返事をしたものの、日野さんはそのまま困惑した顔で固まった。しばらく無言でこちらの顔を見ていたが、やがて唾を飲み込み口を開いた。
「いや、食べたことはない……」
「え。じゃあわたしが初めての相手? 未遂だったけど」
「うん……そうだね」
「なんでわたしだったのさ」
「えー。言いづらいな……」
彼は暗褐色の目をしばたかせると、観念したように話す。
「もともと人を食べたい欲求はうっすらあって、満月の時はそれが強くなるんだよね」
「オオカミ男の定番設定ね」
「でもやっぱり実際に人をさらって食べるなんて、難しいというか……無理じゃない?」
「でも昨日の晩にわたしを食おうとしたべ」
日野さんは眉を寄せ、ちょっぴり困った表情を浮かべる。
「……いや、あのー。田中さんって家族と疎遠だし友達もいないでしょ」
「はぁ? なんで知ってんの」
「調べたんだ。何度か尾行して。あと郵便物も見せてもらった。食べるための下調べで」
「マジ? キモ」
「ごめん……。で、そういう孤独な人なら急にいなくなってもバレづらいのかなと……」
「……まあな。わたしが消えても探す人いねえだろな……」
日野さんは黙って目をそらした。
(昨日、あのまんま食われちまっても良かったのかもしれねえな……)
そう考えながらわたしも黙り込む。が、すぐに股がかゆくなり、沈黙は中断された。
「日野さん、シャワー貸して」
★★★
「日野さん、やっぱ人間を食うことに抵抗がある?」
シャワーから出て、出された座布団に胡坐をかきながら言った。湯を浴びている間に、わたしはあることを思いついていた。
「人間の社会で生きてきたんだ。そりゃあ抵抗はあるよ……。俺が野生のオオカミだったらきっと迷ったりしないんだろうな……」
「でも昨日、あと一歩のとこまでは行けたじゃん」
「うん、まあ、そうかもしれないけど……」
「セックスは大した抵抗もなくやれたのにな」
わたしが茶化すように言うと、日野さんはバツが悪そうに歪んだ笑みを浮かべた。
「なんか、昨日はごめん」
「いいよ、別に。わたしはああいうの気にしねえし」
「……田中さんって素だとそういう喋り方するんだね」
普段わたしは会社で「ですます調」を使っているが、いつのまにか地元言葉が出てしまっていた。今はどうも気が緩んでいるようだ。ため息をついて日野さんの顔をまじまじ見る。やや面長で穏やかな顔と飴玉みたいな褐色の瞳は、野生のオオカミなんかじゃなくて、やっぱりイエイヌっぽく思える。
「……そんで日野さん、相談あんだけど」
「相談?」
「人さらうのは実際には難しいって言ってたじゃん」
「うん」
「二人で協力したらできんじゃないかな」
「……」
「営業の須賀って居んじゃん。あいつ、食おうよ」
話している間、日野さんの表情は変わらなかった。
「もしかして日野さんは女しか食いたくないの?」
「いや。性別は気にしてない」
わたしは黙って、真剣な表情を浮かべる日野さんの顔を見つめていた。しばらくのあいだ、視線を交わらせたまま互いに身じろぎひとつせずにいた。
やがて彼は目を閉じ、大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。瞼を開きわたしの目をまっすぐ見る。そして言った。
「しっかり計画を練る必要がある……」
~おわり~
よしよし日野さん