無人駅
啓介は電車から降りて、駅舎に足を踏み出したところだった。啓介の眼前には、車道があり、ガードレールがあり、さらにその向こうに小石で敷き詰められた海岸、あとはひたすら青が広がっている。潮風が自身にあたってきて、若干気持ちいい。背後で電車が動き出して、啓介は独り駅舎に取り残された。後は波の音がするだけだった。
少し前まで、ひたすら働いていたのが嘘のようである。人間はすぐに慣れる。これまでとはまったく異なる環境に置かれたとしても、人間は三日もすれば、もう過去のことは遠くの彼方に追いやってしまう。職場でのいざこざも、苦悩も、ちょっとした人情劇も、すべて記憶の倉庫の隅にぶち込まれてしまっていた。海を前にして、なぜか細々としたどうでもいい記憶、今の状況に似つかわしくない記憶、できれば掘り起こしたくない記憶が蘇ってくる。人間の仕組みはどうなっているのかよくわからない。外の世界と、内の世界、どちらの方が壮大なのか。どちらの方が深いところに通じているのか。どちらも自然ではないか。
さて、そんな話はどうでもいい。せっかく海岸沿いの無人駅という感慨深いところに来たのだ。安っぽいドラマで使われそうな設定であるが、啓介はこういう場所が好きだった。どうでもいいことを考えているうちに、次第に今自分が海にいることを受け入れ始めていた。春は終わりかけていた時分であった。線路の近くには、草花が生い茂っており、田舎の電鉄によくある景色がここでも見られた。啓介は紫色の小さな花がいくつも咲いている様子に、少し心を魅かれて眺めていた。花のまわりを二匹の蝶が飛び回っている。駅舎にあるベンチに腰掛けて、さびれた無人駅を満喫しようか、それとも早く海岸の方まで行ってみようか啓介は少し迷ったが、結局海の方へ向かって歩き出した。駅舎から車道の方へ出るためには、線路にひかれた踏切を横切る必要があった。車の通行もほとんどない。あたりに人家もほぼ見られなかった。海岸に降り立つまでには数十秒ほどだっただろう。黒々とした大小の岩々は、波を正面から浴びながら持ち場を離れようとしなかった。物も言わず、月日を超えて己が立場を全うしていた。先ほど見た線路沿いの花などは、あと一か月もしないうちに散ってしまい、この世界から消えてしまうだろう。非生命体の強靭さと地味さ、そして生命体の脆弱さと華やかさ。二つが折り重なって、なんとなくわけがわからなくなりそうであった。この世界でくり広げられる、遠大な循環劇を想像しようとしたが、次第にどうでもよくなってきた。海を眺めているうちによけいなことを考えなくてもいいと思ったのだ。
もうどうでもいい。色んなことがどうでもいいのだ。どうせ明日にはこの地を去ることになるのだが、今ここで浜辺の空気を吸っている事実はずっと残り続けるはずであった。この地の記憶と、職場での記憶、残り続けるのはどちらだろうなどという嫌な想像が脳裏をよぎった。なんとなく後者のように思えて、気が滅入ってきたのだが、それでも今海を体感していることは紛れもない事実であった。身体という言葉はあまりにも多用されている懸念はある。人間は自身のことをまだほとんどわかっていないのかもしれない。自然と響き合うときに、微細で精緻な感傷が緩やかにずっと奥底で鳴り続けている。
無人駅