痕跡なんてどこにもない

 彼女は『召喚』されたのではない。
 この世界の誰かに、必要とされて応えたのでもない。
 偶然紛れ込んでしまっただけ。
 だから世界にとって彼女は異物。
 世界は彼女を排除しようとしたが、元の世界に帰れるわけではなかった。

 さらに彼女は何を勘違いしたのか、自分がこの世界にとっての救済者、必要とされて召喚されたのだと思い込んだ。
 本来の世界では彼女は聖女と呼ばれ、実際に神に従い、神の言葉を人々に伝えていたから。
 しかし──見たこともない簡素な服に、黒い髪、黒い瞳、低身長な人間たち。
 人間たちは多く集まってきて、何やら囁き、笑ったりする。
 一斉に何かを彼女に向け、ぱしゃぱしゃと音がする。

 彼女は自分は聖女だ。貴方たちを救いに来たと熱弁するが、誰にも通じる様子はない。
 群衆の冷やかし笑いと意図しない圧迫感で、彼女が危機感を抱いた時。
 世界は意図的に揺らいだ。彼女を元の世界に強制排除する。
 忽然と姿を消した。
 集まっていた人間たちは一瞬で、彼女を忘れた。
 群がっていたことを疑問に思いながら、解散していく。

 だってこの世界にとって彼女は異物。
 違う世界から偶然紛れ込んだ異物。
 世界は本来の在り方に戻る。
 そう、初めから彼女はこの世界にいなかった。

 だから、痕跡なんてどこにもない。

痕跡なんてどこにもない

痕跡なんてどこにもない

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-08-08

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