『どん底先生』(借金1億円を背負い、50代で京大を7回受験したワケ)

『どん底先生』(借金1億円を背負い、50代で京都大学を7回受験したワケ)

三重県いなべ市。田んぼの向こうに小さな塾の明かりが見えます。
主人は高木。借金1億円を背負い、48歳からノート110冊を潰し、50代で京都大学を7回受験した、ちょっとおかしな塾講師の物語です。



第1週:汲み取り式トイレの男



昭和55年、名古屋大学教育学部。

卒業式の後、私は大学院の不合格通知を握りしめ、廊下で固まっていました。

「…就職活動、一つも、してへんかった」

慌てて新聞の求人欄をめくり、見つけたのが愛知県刈谷市の小さな塾。受かって、引っ越した。意気揚々と新しいアパートのトイレのドアを開けると。

「…ボットンや」



当時の刈谷には、まだ下水道がなかったのです。名古屋大学を出て、行き着いた先が汲み取り式。



便座の前で、私はは初めて思いました。「ああ、俺、都落ちしたんやな」と。

悔しくて、京大の大学院を受け直すことにしました。推薦状を貰いに名大の恩師を訪ねると、先生は露骨に嫌な顔をしました。

先生「(俺の指導では不満だというのか)」



何も言わないのに、その圧がズシリと来ました。

試験当日、フランス語の試験が終わった瞬間、プツンと音がしました。

「もう、ええわ」



午後の試験を全部捨てて、逃げるように帰りました。アパートで一人、声を上げて泣きました。



実家に戻り、名古屋駅前の教材会社に就職。半年で社長と大喧嘩して辞めました。

学者にもなれない。サラリーマンにもなれない。

残ったのは「名大教育学部卒」の7文字と、英検2級だけ。

「このまま田舎で終わってたまるか!」



怒りだけがガソリンでした。お金はない。親に飯を食わせてもらうろくでなし。だから決めました。

「自分の金で行かれへんのなら、人の金で行ったる!」



フルブライトも民間留学も全部落ちました。不合格通知で部屋がいっぱいになりました。それでも受け続け、最後に一つだけ受かったのが「交換教師プログラム」でした。滞在費は格安、給食付き。



どん底の男に、ようやく切符が一枚、舞い降りてきたのです。



    名古屋大学



第2週:ローガンでヌンチャクを振る



ユタ州ソルトレークシティ空港。

ホストファミリーのブレアーさんが、満面の笑みで迎えてくれました。奥さんも優しそうだ。よかった!



翌朝、目が覚めたら、家には誰もおらんのです。

「ハロー? 誰かおらんのか?」

夕方帰ってきたブレアーさんは、きょとんとしました。

「君は好きな時に好きなことをすればいい。それが最高のおもてなしだと思ったんだがね」



アメリカは、初日から「放置」でした。これが洗礼でした。

ローガン中学校でも同じ。職員控室に一日座っていても、誰も見てくれやしません。カフェテリアの食券の話も、校長が「え? 知らん」って教育長に電話し始める始末。

「待っとっても、誰も俺を見てくれへんのや」



作戦を変えました。なりふり構わず、自分を売り込みに行きました。

「私は日本文化が教えられます!」
「空手黒帯です! ヌンチャク、見ますか?」

職員室には千代紙の小さな鶴を並べました。

「名前、漢字で書いたろか?」



先生たちは大喜び。そして全校集会で、ついにやりました。

「ヌンチャク、キャン、ドゥー、イット!」

ステージでブンブン振り回しました。全校生徒が「オー!」と立ち上がりました。

翌週、地元紙「ヘラルド・ジャーナル」に大きな写真付きで載りました。

いなべの青年は、ローガンの有名人になりました。



スーパーで落としたカメラがそのまま戻ってきた時、日本人だけが正直なんやない、と思いました。

週末は校長がセーリングに、ボーイスカウトがキャンプに連れて行ってくれました。

「何か裏があるんやないか」と疑った。日本語を話せるモルモン教の宣教師が教えてくれました。

宣教師「彼らは、良いことをすれば死んだ後に神様に褒められると、本気で信じてるんだよ」



3ヶ月の長い夏休みは、バイトしてグレイハウンドでグランドキャニオンへ。バスターミナルにはナイフを持った男がいて、生きた心地がしませんでした。



社会科の授業でのことでした。

「ミスター・タカギ。広島に原爆が落とされた時、日本人はアメリカを怒ったの?」

教室が凍りつきました。言葉が出てこない私を見て、同席の先生が助けようとしました。

でも少年は、私の顔をじっと見て、静かに頷きました。

「ミスター・タカギの顔を見たら、なんとなく分かったよ」



アメリカで覚えたことが一つありました。受験参考書の英語は、全部「おじいちゃんの英語」だということでした。

「airplane」は「jet」だよ。「injection」は「shot」だよ。「helicopter」は「chopperのこと?」

頭でっかちの英語は、ここでは通じない。生きた英語は、教科書の外にありました。



第3週:1億円のハンコを押した日



帰国。名古屋の大手予備校7社に履歴書を送りました。

「名大卒、アメリカ帰りや。引っ張りだこやろ」

返事、0社。全滅。



26歳、また無職。貯金なし。彼女なし。いなべの実家に戻り、アパートの一室で塾を始めました。



ところが、「アメリカ帰りがいるらしい」で、口コミが広がりました。30人、60人、100人。壁が薄くて、隣の部屋から苦情が来るほどに。

「よし、自分の城を建てる!」



見つけた200坪の土地。銀行の条件は「親の土地と建物を担保に。親を連帯保証人に。20年ローン、総額1億円。月々50万円」。

父は大反対でした。母と大喧嘩になったそうです。

「そんな金、返せるわけないやろ!」

あとで聞いた話だけど、離婚寸前までいったらしい。私が失敗したら、自分の土地も建物も失うのだから、私でも反対する。今さらながら、自分は本当に大切にしてもらったわけです。



20代の私は信じていました。「俺ならできる」と。

ハンコを押しました。人生で一番重いハンコでした。

建てたら、もう後には引けません。失敗したら親を巻き込んで破産か夜逃げ。



だから、絶対の武器を作ると決めました。英語資格の最高峰、英検1級。

4年間、過去問を5周以上。大変な勉強でした。そして合格。勢いに乗って通訳ガイド、国連英検A級、ビジネス英検A級…。参考書に「資格のスペシャリスト」として載るようになりました。



昔落とした大手予備校からも「来てください」と声がかかりました。昼は名古屋、夜はいなべ。結婚して、可愛い娘も三人。支部も出して、講師も雇って。

「俺の人生、もう完璧や」



思い上がっていました。本当の地獄は、ここからでした。



第4週:14年目の雨



バブルが、弾けました。

景気が良かったから生徒が来ていただけでした。少子化の波も重なり、生徒はそこから14年間、減り続けました。



1億円のローンをようやく返し終わった!と思ったら、今度は娘の進学費用。政策金融公庫の教育ローン。妻との関係も冷え切り、離婚。貯金は半分になりました。夫婦の関係が詰んでも、親の責任は果たしてくれると期待した自分が甘かった。娘たちに悲しい思いをさせて、父親失格です。



塾の経営は火の車でした。講師の給料を払うために、貯金を崩し、株を売り、銀行から借り、最後はカードローン。



毎朝目が覚めると、最初に考えるのは「今日、どこから金を借りようか」でした。頭の中に「夜逃げ」の二文字が何度も浮かびました。

でも、指をくわえて潰れるのは嫌でした。



英語だけでなく、中学生の理科も社会も教えました。文系なのに、高校数学を数IIIまでゼロから独学しました。ホームページを自作して、YouTubeもブログも、通信添削も、やれることは全部やりました。



そんなある日、長年一緒に働いてくれた講師から電話がありました。

「ガンが見つかりました。退職させてください」

受話器の向こうで、私の頭に浮かんだのは、最低の感情でした。

『…これで、給料を払わんで済む。なんとか、乗り切れるかもしれん』



長年苦楽を共にした仲間が病に倒れたのに、悲しむより先に、資金繰りの安堵が胸を占めたのです。



最低や。人として最低や。今思い出しても、情けなくてたまりません。でもその時の私には、娘の学費を払い、塾を守ることが、何より先でした。それほどまでに、追い詰められていたのです。全て言い訳です。無能な経営者であることが、残念でした。



第5週:おじいちゃん受験生、京大を行く



50代。長年の危機を、泥水をすする思いで乗り越えました。それでも、毎日全力で指導を続けていたら、塾からは旧帝大に31人、京大医学部医学科に8人の合格者が出ていました。



アメブロのフォロワーは1000人。YouTubeも5万回再生される動画が出てきました。

でも、実績が増えるほど、不安になりました。「もっと上の子に、本当に信頼してもらえるのか?」



そんな時、京大医学部を目指す生徒に、ズバッと言われました。

「先生、英検1級取るのと、京大英語で8割取るの、どっちが難しいんですか?」

胸が、ギュッとなりました。答えられなかったのです。



自分が教わった受験英語、資格で覚えたシェイクスピアみたいな資格英語、アメリカで使っていた生きた英語。どれが今の京大の採点官に響くのか、確信が持てなかったのです。

「…よっしゃ。俺が受けたるわ」



50代後半。腹を括りました。自分で受けて、確かめようと。

Z会の「京大即応」を叩き込み、河合塾と駿台の京大模試に申し込みました。

名古屋の河合塾。現役高校生に混ざって模試を受けるおじさん。見知らぬ男子高校生が寄ってきて、真っ直ぐな目で言いました。

「その歳でチャレンジする姿、僕、尊敬します!」

私がそんな立派な人間でないことは、自分が一番よく分かっていました。



恥ずかしさと嬉しさで、泣きそうでした。

願書を出すために四日市高校に行けば、

「は? 30年前の調査書? あるわけないやろ!」



京大の入試課に電話して「卒業証明書で大丈夫です」と言われ、なんとか出願。

三重大学の共通テスト会場では、

「受験生以外は立ち入り禁止です! 出てください!」



京都の「からすま京都ホテル」に泊まり、京大行きのバスに乗ろうとすれば、

「お父さん、このバスは保護者はご遠慮いただいてます…」



1回の受験で新幹線代、ホテル代、受験料で7万円。納得いくデータを集めるために、合計7回。50万円が飛んでいきました。

そして届いた、成績開示。

英語8割、数学7割。



ブログで公開すると、全国から質問が殺到しました。「なんで文系なのに数学7割取れるんですか!?」

裏ワザなんてありません。48歳から『オリジナル』『1対1対応』『チェック&リピート』『赤本』を2周。ノート110冊、手が真っ黒になるまで書きました。年も文理も関係ない。量と継続だけでした。



そして、7年間の検証で、ついに答えが出ました。



昔ながらの受験英語で書いた 平成18年・20年 平均66%
資格英語で書いた      平成21年・22年 平均76%
生きたネイティブ英語で書いた平成24年・25年 平均79%



京大が求めていたのは、古い直訳でも、綺麗なネイティブ英語でもない。

「自分の言葉で、一生懸命伝えようとする、生の英語」 だったのです。

SNSでは「田舎の塾講師の戯言だ」「ジジイが若者の席を奪うな」と叩かれました。でも、この物語を面白がってくれたエール出版さんから声がかかり、『私の京大合格作戦』に3年連続で漫画化して載りました。



   



最終回:アプリを作ったおじいちゃん



「これでみんな納得してくれるやろ」

そう思った矢先、今度はAIの時代が来ました。

問い合わせフォームに、こんな声が届きました。

「先生の実績が凄すぎて、下手な英作文を見せるのが恥ずかしいです…」
「AIなら気を使わなくて楽なんです」



なるほど、と膝を打ちました。生徒は「先生に気を使う」ことに疲れていたのか。

なら、壁を取り払えばえ。

「気楽に使えるのがええんやったら、最高の気楽なやつを、俺が作ったるわ!」



50代で京大に殴り込みをかけたおじさんが、今度はアプリ開発を始めました。これまでの泥臭い指導と、京大7回分のデータと、最新技術を全部ぶち込んで。



名大を出て何者にもなれず、汲み取り式トイレで泣いていた26歳の青年は、借金1億の地獄を潜り抜け、京大に7回潜入し、今、70を前にして、また新しい挑戦の真っ最中です。



挫折も、失敗も、馬鹿にされたことも、全部、伏線です。

今、受験の壁の前で「自分はダメかも」と悩むあなたへ。
我が子の未来が不安でたまらない、お父さん、お母さんへ。

泥臭くてもええ。格好悪くてもええ。踏み出した一歩の先にしか、光は届かへんのやから。

今日もいなべ市の小さな塾には、明かりが灯っています。娘が「お父さん、もう再婚してもええよ」と言ってくれて、再婚しました。

『どん底先生』(借金1億円を背負い、50代で京大を7回受験したワケ)

『どん底先生』(借金1億円を背負い、50代で京大を7回受験したワケ)

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-04

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