狂骨

〜狂骨は井中の白骨なり〜


「取り敢えずこんなものかな。」
取り急ぎ寝る場所と生活動線を整理してそう一人呟く。
「しっかし、まさかこんなことになるとはなぁ…。」
まだ開封できていない引っ越しの段ボールをみると、そうぼやかずにはいられなかった。

事の始まりは二カ月前に遡る。
その当時私が住んでいたアパートはかなりの築年数で、一昔前のドラマになら貧乏な新婚夫婦が生活を送る家としてロケ場所にも使えそうな具合であった。
まぁ、現実はうだつの上がらない三十路男が一人暮らししていたわけだが。
そんなアパートをある日大きめの地震が襲った。
当然耐震基準も現行のものには合っていないし、そうでなくても色々ガタが来ていたアパートだ。
このままでは倒壊の危険がある、と判断されたのもやむなしだろう。
そんなわけで、そのアパートに住む住人全員が引っ越す羽目になった。
とはいえ、引っ越して、と言われて簡単にできるほど甘くはない。
一番苦労したのは家探しだった。

特に今までの家賃でなんとか生活していた私にとって今の家と同じ家賃相場の家を探すのは一苦労だった。
そうやって、ああでもないこうでもないと悩んでいるときに見つけたのが今私がこうして引っ越しの荷解きをしているこの日本家屋だった。

駅からは20分ほど歩くし、周りには個人商店に毛が生えた程度のスーパーしかないが、それでも庭付き一軒家、しかも家賃もほぼ据え置きと言う魅力には抗えなかった。

そんな新たな我が家だが、内見の時から気になっていた場所が2つある。
一つは仏間の隣の座敷。
その座敷の床の間が、なんとなく、ではあるが暗く感じるのだ。
何か薄暗いものが凝っているような、目を離している時にそこから何かが這い出してくるような、そんなありえない想像に駆られた。
そしてもう一つは、庭の隅にある古井戸。
そこはトタンで蓋をされ中は分からないが、見ていると今にもその蓋を開けて何かが出てきそうな、そんなイヤな想像が頭をよぎってしまう。

だから、そこにはできるだけ近寄らない様にしようと決め、この家に越してきたのだ。

幸い独り身で、部屋の数は余るほどある。
部屋の一つや庭の一角が使えなかったとして何ら不便はない。
実際、引っ越してから数日間は何ら問題なく過ごせていた。

しかし。
そうも言っていられない事態が起き始めた。

それは或日、仕事から帰ってきた時だった。

その日私は仕事で緊急に対応が必要な案件が起き、心身ともにクタクタになった状態で帰宅した。
普段であれば家に帰ればすぐに着替えて、夕飯の準備をするところであったが、その日はあまりの疲れから帰宅するなり居間で寝入ってしまった。

そうしてどれほど寝ていただろうか、薄っすらと意識が覚醒してきた私の耳に
 
…ザッ…
ザッ…
ガリ…
ガリ…

と擦ったり引っ掻いたりするような音が届いた。

初めは眠たかった事もあり、暫くすれば止むだろうと無視をしていたのだが、その音は止まることはなかった。

それどころか。
意識が徐々に覚醒し、しっかりと音が捉えられるにつけ、どうもその音は仏間の隣、件の座敷から聞こえてきている気がするのだ。

こうなると無視することは難しい。
ダルい体を起こし、仏間の方へ確認に行くととした。
仏間に入ると、仏間と隣の部屋を仕切る襖が少し空いていることがわかった。

…おかしい。

そう思った。
何故ならば、件の座敷の雰囲気がどうしても厭だった私は仏間と座敷の間の襖は必ずしっかりと閉めていたからだ。

その開いている襖を見ていると、今にもその襖の奥から何かが顔を出すような気がして思わず目をそらした。

だが、このままにして寝るだけの根性も私は持ち合わせていない。

「誰かいるのか?」
誰何する自分の声が震えるのを感じた。

しかし、私の問いかけには何の反応も返って来なかった。
それどころか、座敷から聞こえてくる音が激しくなっているようにも感じる。

「開けるぞ!!」
我慢の限界を迎えた私は襖を勢いよく開けた。

だが。

そこにはただ、闇が蟠っているだけだった。


そのことがあった週の休日、自分の家、ひいてはその土地についてなにか曰くがあるのではないかと気になり居ても立ってもいられなくなった私は地元の図書館で郷土史を調べていた。

しかし、その結果は芳しく無かった。

「中々うまくいかないもんだなぁ…」

今日何度目かわからない溜息が溢れる。
そもそも歴史的に有名であったり、伝承に出てくるような地域でもない。
そんな地域の、どこにでもあるような一軒家とその土地なぞ、文書にのこっていなくてもなんら不思議はない。

もう諦めるかと思いながら本棚を眺めているとある一つの本に目が止まった。

「●●市における私宅監置の歴史」

私宅監置。
精神疾患を抱えた人を蔵や離れ、場合によっては座敷牢などに閉じ込めてしまう、今の時代では考えられない治療法だ。

タイトルのインパクトにも惹かれ、結果のでない探し物にも疲れていた私は思わずその本を手に取っていた。

その本の内容は私宅監置制度の解説から始まり、●●市内におけるかつての私宅監置の状況を記録したものであった。

そして読み進めていく内、私の目はある一文に目が釘付けになった。

ー▲▲村字■にある農家にて私宅監置された男が、その病の進行によって自宅の座敷牢内で首を括ってしまった。これだけなら痛ましい事故と言えなくもない。しかし、精神病患者を出したのみならず、自殺までさせてしまったことに負い目を感じた家族がその死体を井戸に投げ捨ててしまった事は甚だ時代遅れであると言うよりほかない。ー

そして、そのページには注釈で▲▲村字■とは現在の●●市■地区であると書かれていた。
思わず息を呑む。
●●市■地区は私が住んでいる場所そのものだ。

まさか、とは思う。
■地区と言ってもそこそこの広さがある、何より昔は井戸も今と比較にならないほどあったはずで、であれば私の家が■地区にあり庭に井戸があるからといってこの家だとは限らないはずだ。

頭ではそう分かっていても心のどこかでそれを認められない自分がいる。

ザリッというあの音は首を括った男のつま先が畳をする音ではなかったか。
庭の井戸にフタがしてあるのはそこに眠る白骨遺体を隠すためではないのか。

そんなはずはない。
井戸にフタがしてあるのは、危険だからであるし、あの音だって家に忍び込んだ動物だとか、何か合理的な説明がつけられるはずだ。
そう思っているものの体の芯から来る恐怖は拭えなかった。
何か、触れてはいけない部分に触れてしまったような、気付いてはいけないことに気づいたことで、向こうもこちらに気付いたようなそんな厭な感覚が体を支配していた。

もう、限界であった。
これ以上深入りしないほうがいい。
そう思った私は図書館を後にした。

図書館を出ると日は西に傾き、街は夕闇に包まれていた。

このまままっすぐ家に帰りたくはないが、このまま時間を潰して夜になってしまったらいよいよ家には帰れない。
嫌ではあるが、家に帰ることとした。

家の敷地へ入り玄関まで歩く途中、強烈な違和感を感じた。
違和感の元を探すと、その原因はすぐに見つかった。

井戸だ。

井戸のフタがズレ、開いていた。

「なんで…」
思わずそう呟いた時、もう一つの違和感に気付いた。
玄関のすりガラスの向こう、誰もいないはずの家の三和土に影が立っているのが見えた。

「えっ…」
思わずそう呟いた時だった。

影が音もなく動くと、玄関の扉を通り抜け庭に出てきた。
それは形こそ真白な浴衣のような薄い着物を着た成人の男の形をしているが、一目で人ではないと言うことが分かった。

首は通常ではあり得ない長さに伸びており、固定ができないのか動くたびにグラグラと揺れている。
本来目のあるはずの部分は黒い洞となっており、口は大きく裂けていた。
足はあらぬ方向に曲がり、手は肘から骨が飛び出ている。


男の、目のない洞のような眼窩がこちらをとらえ、無いはずの目がこちらを見つけたと感じた瞬間、男はニイッッと口を歪めるとゲタゲタと笑いだした。

「…えも、くるっ……え!」
「…どの……そ…に…れば…い…」
男は何事かを叫んでいるが、大きく裂けた口で喋りにくいのか、あるいは顎まで外れてうまく喋れないのか不明瞭にしか聞こえなかった。

…ザッ…
ザッ…
足がうまく動かせないのか引きずりながら男がこちらに迫ってくる。

逃げなければいけない。
そう分かっていても、足が縫い付けられたように動かない。
そうこうしているうちに男が目の前に来て私の肩に手を置いた。
骨ばった手が、その見た目からは想像できないほどの力で私の肩を握り込んだ。
そして男が私の顔を覗き込むように動いた。

顔をのぞき込まれてはいけない、そう思い、とっさに目を瞑り顔を背けた。

そうした私の耳に、
「無駄。」
「どうせお前も狂う。狂ったことにされる。」

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ


私の恐怖は限界に達しそこで意識が途切れた。


…リリリッ
…ジリリリッ
どこからかベルの音が聞こえる

その音は自分のポケットから聞こえていることに気づいた。
「出なきゃ」

電話に出るために手を動かしたとき、どこかで切ったのか指にできた傷が痛んだ。

「痛っ!」

だがその痛みによって私は自分の置かれている状況に気づくことができた。
私は件の井戸の前に立ち、井戸の蓋を必死に開けようとしていた。
手の傷はその時に井戸の蓋で切ったようだった。


「えっ…」
状況が飲み込めず後ずさった私は足を引っ掛け転んでしまった。

はからずも見上げる格好で井戸を見ていると、井戸の淵に白骨化した指先が掛かった。
これ以上見てはいけない。
井戸から出てこようとしているものが何であれ、それを見てしまったら今度はもう助からない。
本能的にそう感じた私は、震える足をなんとか立たせ一目散に逃げ出した。

その後はどう逃げたのか覚えていない。
なんとか人気のあるところに逃げ延びた私は、24時間営業のファミリーレストランで時間を潰し、翌日すぐにあの家の解約手続きを行った。

契約して1年も経たないうちの、ましてや朝一番での訪問での解約である、何事かと理由を事細かに聞かれそうだと身構えていたが、不動産屋から何も聞れかず、解約手続きは終わった。

以来あの家には行っていない。
荷物の回収も友人に依頼し最低限の回収をしてもらった後は全て業者に依頼し廃棄してもらった。

おそらくこれで私とあの家の、いや、あの家に棲む何かとの縁は切れたはずだ。

そう思いたい。

だが、気絶する直前、男に言われた言葉と男の笑い声が耳に焼き付き、頭から離れてくれない。


私はどうなってしまうのだろうか。
狂ってしまうのだろうか。
そうしてあの男と同じ井戸の中へ…?

それだけは厭だ。
嫌だ厭だイヤだイヤだイヤだイヤだイヤダイヤダイヤダイヤダ

そこまで思考が陥った時にふっと視線を感じ、ふっと周りを見渡すと白い浴衣のような装束を着たあの男が洞となった眼窩でこちらを見つめながらニイッッと笑っている姿が見えたような気がした。

〈了〉

狂骨

狂骨

妖怪「狂骨」に着想を得た創作怪談です。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-01

Copyrighted
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