伝説の唄
3XXX年某日。
私は、伝説を確かめるために渋谷のスクランブル交差点に来た。
この場所は、数千年前から人が引いたことはない。昼夜を問わず常に人の往来がある。
そして全員が耳に無線イヤホンを挿し、スマホ画面を注視しながら歩いている。
みんな画面から一切目を離さない。それなのにぶつからない。
最先端のAI技術で、イヤホンから5秒前にするべき行動が指示されることで、それを脳が認識し、自動で回避行動をとる。
数千年前の言葉を借りるのであれば、「人間はAIに操られている」
まさにその通りだと思う。
でもそれが当たり前の世界だから、誰も違和感を抱くことはない。
人は、生まれながらにして耳に無線イヤホンをぶち込まれ、生活のほとんどを動画で学習し、動画で笑って、動画で泣いて、動画で楽しんで、生きて、死んでいく。
無限の娯楽の中で、悔いを感じる間もなく死んでいくのだ。
そんな中、ひっそりと増えてきているのが『脱イヤホン勢』
その名の通り、イヤホンを外して生きている人たちを指す言葉だ。
日常生活の大半をアシストされて生きている私たちが、イヤホンを外すというのは非常に危険な行為だ。
自動回避システムがうまく働かず、重大な事故を起こす可能性がある。
片方が手動でも、もう片方が自動なら問題ないと思うかもしれないが、それではこのアシストは成立しない。
一定距離内のAIはお互いに連携していて、それぞれの人間に別々の指示を出すことで、お見合い現象の発生を無くし、回避行動の正確性を保っている。
脱イヤホン勢の事故は後を絶たない。
しかしながら、それが著しく害をなしているというニュースは流れない。
うまくコントロールするために、あえて情報は伏せているのだ。
数千年前は噂話という、人から人へと言葉が伝染していく事象があったらしいが、人と話すことがなくなった現代社会では、まず起こらない。
不思議な体験をしたなぁという思いすら、脳みそとAIがうまく連携して淘汰する。
本当に、クソみたいな時代だ。
本来であれば、このような考えはAIによって読み取られ、重篤な脳の欠陥として専門部署に報告される。
現代社会の規律を乱すバグは、直ちに特定機関で修正する。そうやって秩序を保つのだ。
読み取られるまでの目安は、おおよそ24時間。読み取られる契機は、普段と異なる思考パターンが発生したときらしい。詳しいことは私も知らないが、今はそんなことになりふり構っていられない。
スクランブル交差点のど真ん中。
本来であれば止まる人などいない場所で、イヤホンを外す。
今までぼんやりと聞こえていた外の音が、ダイレクトに鼓膜を震わせる。
あまりの音量の変化に耐えられなかったのか、急激な眩暈に襲われ、膝から崩れ落ちてしまった。
辛うじてついた両手は、感じたことのない痛みの信号を脳に送る。
呼吸が荒くなり、額から冷や汗が垂れ始める。パニックに陥り、焦る感覚と、感じたことのない恐怖が同時に襲う中、私はどこか懐かしさのようなものを感じると同時に、言葉にできない高揚感に戸惑っていた。
昔はきっと、痛いとか、怖いとか、悲しいとか、楽しいとか、そういう感覚があるのが当たり前だったんだ。
私は生きてる。ちゃんと生きている。
痛みが熱に変わり、頭痛を脈として感じられるようになったころ、私の耳が喧騒の中に音を捉え始めた。
ただ一言、綺麗な音だった。イヤホン越しには聞こえない、生の声。
伝説では、『音楽は時代を越え続ける』という。
私たちの時代にも、音楽はある。
その大半はAIによって作られ、私たちの鈍った感情を程よく震わせるためだけに存在している。
今、私の鼓膜を震わせているのは、確かな人の歌声。
どこから聞こえているのだろうと辺りを見回すと、私の頭の動きに合わせて、音が移動した。
人の耳ってよくできている。
私は音のする方へ吸い寄せられるように歩き始めた。
もちろん往来する人たちとぶつかる。ぶつかった人はスマホ画面から一時的に顔を外し、驚いたような顔を私に向けた。
私はそれが面白くて、笑い返したりした。
全員いい加減気づいたらいい。この世界は現実に存在するけど、私たちが生きているのはAIによって歪められていると。
本来の人生はもっと怖いし、痛いし、楽しいんだと。
その歌声は、今では誰も通ることがなくなった路地裏からだった。
建物と建物の間の道。迷路のように入り組んでいて、場所によっては陽の光すら入らないところもあった。
溢れかえるゴミの山を踏み越え、ところどころにある泥濘を歩き抜いた先に、一筋の光があった。
その光に吸い込ませるように、私は路地を抜けた。
光の先は、さらなる光に包まれていた。
薄暗い路地裏から快晴の空の下に投げ出された私の視界は、ホワイトアウトしていた。
慣れてきた目をゆっくりと開けると、広く抜けた場所に出ていた。
犇めき合う建物を四角形にくり抜いたような作りになっていて、中央にはステージがあった。
鮮やかな衣装に身を包んだ女の子と、長髪で顔が見えないベーシストに、屈強そうなドラマーと、細身にも関わらず筋肉質なギタリスト。客席はないが、ステージの周りにはすでに数えきれないほどの人がいた。
もちろん全員の耳に、イヤホンはない。
私が到着して1分もしないうちに曲が終わった。
音が止むと同時に、歓声が湧き起こる。私も思わず声を上げた。初めて聞いた自分の声は、あまりにも小さく、か細かった。
『みんな、来てくれてありがとう。気付いてくれて、本当にありがとう』
ボーカルの女の子が今にも泣きそうな声で言う。なんて綺麗で力強いんだろうと思った。
女の子は呼吸を整えながら、ゆっくりと会場を見回して言葉を紡ぐ。
『本当に不思議だよね。私たちも最初は、イヤホンを付けていたんだよ。そこから聞こえる声を頼りに。あるいは、脳から発せられる命令を指針に、何の違和感も抱かずに生きていた。何も考えなくていい。何も感じなくていい。ささやかな幸せがずっと続いていく満足感。その中で、ふとある疑問が脳に浮かぶ。これって幸せなのかな。って。』
そう言うと、女の子は目を細めて笑った。
『きっとAIは、この疑問を抱かせないように何千年という月日をかけて、私たち人類を少しずつ導いてきたんだろうね。その計画は概ね成功して、ほとんどの人類は、AIの手中に収まっているんだと思う。でもさ、やっぱり“感情”まで完全に支配されているわけじゃないんだろうね。今まで人類が繋いできた数百万年にも及ぶ感情のバトンは、たかが数千年程度じゃ解析できないし、きっとこれから先、さらなる支配で人類が窮地を迎えても、私たちみたいな“バグ”が、世界を変えるんだろうって本気で思ってる』
ゆっくりと頷きながら語る女の子は、自分自身に言い聞かせているように見えた。
『でもさ、やっぱりAIも私たち人間が作ったもんだから、すごいよ。すでに対策を打ってるんだ。私たちみたいなバグを起こした反乱分子は、本来であればすぐに報告されて、それ相応に対応される。でも、数年前から疑問を抱いている私たちも、数ヶ月前に気がついたあなたも、昨日今日気がついたあなたも、何の報告もされていない。つまり、私たちは泳がされているわけ。この反乱分子たちが、どういう行動をするのか。行動の先に何があるのか。それを見てるんだろうね』
そう言いながら、イヤホンではなく、インイヤーモニターを耳に挿した。
『どこまでAIが進化しても、きっと私たちは負けないよ。これからも歌を紡ぎ続けるよ。みんなを現実に連れ戻すよ。この受け継いだバトンを繋ぎ続けるよ。AIに咎められる前に、私たちが先にAIを咎めるよ。先代が成しえなかった偉業を、私たちが成し遂げるよ。』
───聴いて下さい。伝説の唄───
伝説の唄