ブランコの少女


 水野先生のピアノ教室は煙草屋の角の細い坂道をずーっと下っていった突き当りにあって、三年二組の女子が六人も通っていた。突き当りはT字路になっていて、坂と直行する道の向こう側はお墓だった。お墓だから、その辺りは昼間でも静かで、夜になるととても暗かった。すぐ近くの大通りは夜も眠らないのに、そこだけのっぺりとした闇に包まれて、星の見えない空よりもずっと黒々として見えた。
 水野先生は私たちのお母さん世代よりも少し若いくらいの綺麗な女の人で、教えるのは優しいけれど時間にだけはとても厳しかった。
 ある日、私は遅刻しそうになって、体や脚に鬱陶しく纏わりつく手さげカバンを肩に担いだり持ち替えたりしながら坂道を駆け下りていた。その公園に差し掛かったのは、息が切れてしまって走れなくなったときだった。坂道を半分くらい下ったところにぽつんとある、住宅に囲まれた小さな公園で、コンクリート製の大きな滑り台と二人用のブランコ、それに小さな砂場があるだけだが、小さな子たちが遊んでいるのを見かけることもある。
 さて、よろよろしながらもうひと頑張りしようと頭を上げた私は、ブランコに座っている女の子と目が合った。
 (――あれ)
 私よりも少し年上の、五年生か六年生くらいにみえる色の白いお姉さんだった。長いお下げ髪を白いブラウスの胸に垂らして、細いプリーツの黒っぽいスカートという、随分きちんとした格好の。でも、私はその子を見た瞬間、懐かしいような気もちがした。知っている顔だ、と思ったのとほぼ同時に、女の子が口を開いた。
 「私のこと、わかる?」
 公園にはその子の他に誰もいなかった。私たちを隔てていたのはオシロイバナの生垣で、風はそよとも吹かなかった。
 「――原田レイちゃん?」
 それは保育園で時々遊んでくれたお姉ちゃんの名前だった。私の方ではかなり確信があったのだ。けれど女の子はうっすらと笑みを浮かべたまま、そうだとも違うとも言わなかった。
 「久子ちゃん、って知ってる?」
 女の子がまた言った。
 「お友だちにはいないけど、水野先生の下の名前が久子だよ」
 私が答えると、彼女は少し表情が変わって、ブランコのところから言った。
 「少し、遊んで行かない?」
 私は公園の一本足の時計を見た。レッスンの開始まであと五分もなく、このままお教室に駆け込んでもぎりぎり間に合わないかもしれない時刻だった。
 「私ちょっと、急いでるから」
 女の子は寂しそうに、そう、とだけ答えた。
 駆けだしながら、私はあることを思い出した。原田レイちゃんは同じ小学校だったけれど、私がまだ一年生だったころに遠くへ引っ越したはずだ。
 「レイちゃん、いつ戻ってきたの?」
 急いで戻り、見るよりも先にそう尋ねた私は、生垣の前で立ち尽くした。
 公園には誰もいなかった。人がそこにいたばかりなら少しくらい揺れていそうなものなのに、ブランコもぴたりと止まっていた。


 次の日学校で、私はなかよしグループの子たちにその話をした。休み時間もトイレも必ず一緒の六人組で、通う日はバラバラでもみんな水野先生の生徒だった。学校では「花子さん」の噂が流行っていて、用を足したあと水を流さない子が増えて問題になっていた頃だったから、 「ちょっと怖いかもしれない、不思議な話」としてウケると思ったのだ。すると、グループのリーダー格のマキから思いがけない反応が返ってきた。
 「ウチもこないだ会ったよ、その子」
 マキが言うと、ナツミもアツ子も「見た」と言う。昼休みの教室の真ん中で、私たちは頭を寄せあった。校庭からはボールで遊ぶ男子たちのがなり声やら騒々しい物音が聞こえてくるが、中は静かで、教室には私たちの他に、いつも一人で絵を描いている林さんが廊下側の隅っこの席にいるだけだった。三人の目撃談を合わせると、みんな同じように声をかけられて、遊ぼうと誘われたらしい。
 「あれ、原田レイちゃんだよね?」
 私は他に三人も目撃者がいると知ってガッカリしてしまったので、もう「怖い話」路線でなくなってもいいや、というつもりで言ってみた。ところが、
 「違うでしょ」
 「誰?」
 「私は別の子だと思った」
 と、あっさりと三人から否定されてしまった。「見て」いないミユとチエは、取り残されたのが悔しいのか、さっきからつまらなそうな顔をしている。そこへ、ふいに私の耳元へ囁くような声がした。
 「その公園」
 私は驚いて飛びのき、みんなも警戒するようにサッと身を引いた。いつの間に来たのか、林さんが私のすぐ後ろに立っていたのだ。私たちは、彼女は絶対にグループに絡んでこない無害な子だと思い込んでいたから、突然話しかけてきた彼女にどう接していいかわからなかった。林さんは私たちの顔を見渡して、臆さずに続けた。
 「お墓へ行く坂道の真ん中にある公園でしょ。私はその子、見たことないけど、その公園のことなら前にお母さんから聞いたことあるよ」
 私たち六人は、その話を聴いて、黙り込んでしまった。チャイムが鳴って、校庭や体育館から帰ってきた子たちで教室が騒がしくなり、五時間目が始まっても、私たちは冷え切った背筋のまま、手紙の交換もしなかった。


 それから何日も経たないある日の朝。朝の会に現れた担任の先生がいつもとは違う気迫でみんなを席に座らせ、緊張した声で切り出した。
 「中西チエさんが、昨日習い事に行くので家を出たまま帰らないそうです」
 私たち五人は、目は先生に向けたまま、心の中でお互いに顔を見合わせた。
 昨日はチエが水野先生のピアノ教室に行く日だった。チエも坂の上に住んでいるから、あの坂道を下ったはずだ。
 「ご家族の方が警察に通報して、捜しています。みなさんもよく気を付けて、また、何か知っていることがあれば何でも教えてください」

  ――あの公園で、昔、女の子が首を吊って死んだ。
  たぶん、チエはあの子に連れてかれた……。

 チエはまじめで、優しい子だった。学校にも遅刻したことがなかったから、きっとピアノ教室にも余裕を持って出かけて、あんな話を聞いたからきっとかわいそうに思って、誘われるままに公園に入ってしまったのだろう。
 でももちろん、私もみんなも、先生にそのことを話したりなんかしなかった。誘拐事件だと思って深刻になっている大人にそんな話をしたら、ふざけて茶化していると思われて、怒られるに違いないとわかっていたから。それからなんとなく、私たちはバラバラになって、それぞれ別のグループに入れてもらって、お互いに口も利かなくなった。水野先生のお教室をやめたのも、わりとすぐだったと思う。

  ――あの日、私も、他の三人も言わなかったことが一つあった。
  「久子ちゃん」を知っているか、と訊かれたこと。

 話していたら、もしかしたらチエはあの子に近づかなかったかもしれない。
 そう思うから余計に後ろめたくて、私たちは二度と、仲良くできなかった。

ブランコの少女

初出2016年8月

ブランコの少女

忘れない。忘れないで

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-28

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