陽にふれて

 陽が暮れる少し前に、陽の尻尾が少し千切れて、ふわふわと草原に落ちた。

 千切れた陽のカケラは、次第に耳が生え、足が生え、粘土を捏ねるように柔らかく伸びては形を成していく。

 そうして、それは仄明るい白いキツネになった。

 陽はそんな落とし物をすっかり忘れてとっぷりと沈んでしまって、キツネはただなにをするわけでもなく、そこにひっそり佇んで、辺りの草波を自身の体でぼんやり照らしていた。

 しばらくして、1匹のアナグマがひょっこりと、茂みの間から顔を出した。

 半目をあけて、少し恨めしそうに光源を眺めている。
「ねえ、ちょっと」アナグマがキツネに訊ねた。間の抜けた声だった。
「眩しいんだけど、君はそこでなにしてるの?」

 キツネは少し考えてから「挨拶に来たのだけれど、ここら辺のことがよくわからなくて」と言った。

 アナグマは、あぁそうとだけ呟いて、半目のままキツネをまじまじと暫く見つめると、のそのそとキツネのそばに寄った。

「じゃあ案内するよ。見ない顔だもの。挨拶はしなくちゃ」アナグマはペコリと頷くような会釈をした。「で? 君は誰に会いに来たの?」

 キツネは深い口角をあげて、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。でもね、誰にというわけでもないのよ」
「誰にというわけでもない?」
「そうね、強いて言えばここらの皆様全員に。あなたともお会いできて本当に嬉しいわ」
 キツネはアナグマに倣ってペコリと会釈をした。

 アナグマは少し不思議そうに首を傾げて、ふうんと鼻を鳴らした。
「まあ、詳しいことはいいや。みんな事情があるものね。とりあえず僕の知り合いを端から紹介するよ」
 そう言って、2匹は並んで草原の奥に入っていった。


 草原の端には池があった。池といっても本当に小さな池で、映った月が3つでいっぱいになりそうな池だ。
 アナグマはそんな池の淵に立つと、か細くおおいと呟くように呼んだ。

 ポチャンと水が跳ねて、1匹のアマガエルが淵に顔を出した。

「やあ」とアナグマが言った。

 アマガエルが大きな口を開けたと思うと、急にぐるりと大きな目を仄明るいキツネに向けた。
 そうして「聞いてない! 聞いてない! 聞いてない!」と3回大きな声で鳴いて、水にすっかり潜ってしまった。

「臆病なんだ」アナグマは言った。「特に初めて会うヤツ相手には」

 キツネは「そう」と呟いて「よろしく! よろしく! よろしく!」と池に向かって鳴いた。

 アマガエルはひょっこりと頭だけ池から出したけれど、それ以上出てくることも、なにか返事をくれることもなかった。


 2匹は次に草原で1番大きな木の影に来た。
 見上げると、そこには1匹のフクロウが顔を顰めていた。
「やあ」アナグマが言った。「紹介したいヤツがいるんだ」
 フクロウは首をぐるりとキツネに向けた。
「誰だいそいつは」
「さあね、ただみんなに挨拶をしたいって」

 フクロウはため息を吐いた。
「いいかい、挨拶がしたいならそれなりの手順を踏むことだよ」
「手順?」
 アナグマとキツネはパチクリと目を見合わせた。
「手順ってなにさ」
 アナグマがそう訊くと、フクロウは聞いたこともないようなことをペラペラと言い出した。
 池をグルグルまわって口をゆすいでくるだとか、話しかけた後は首を下げて待つだとか、毛並みを半分で分けてこいとも言った。
 アナグマとキツネはとても聞いていられなくなって「あらためて来ます」と言って、またフラフラと2匹そこを離れた。

「気難しい奴なんだ」アナグマは言った。「いちばん自分が賢いと思ってるから」


 それから2匹は丘の穴蔵に着いた。さっきの木の幹がすっぽり入りそうな大きな穴だ。
 おおい。アナグマが穴に向かって叫んだ。
 暗い穴の中から大きな唸り声が返ってくる。
「なんだ。おい、眩しいぞ」
 きっとハイイログマの声だろう。姿は見えないけれど。
「ねえ、紹介したいヤツがいるんだ」
 アナグマがそう言うと、また暗闇から大きな唸り声がした。
「おいその明かりを消せよ。そうしたら出てきてやるから」
 アナグマは少し困って言った。
「そう言われてもなぁ。この光ってるのが紹介したいヤツなんだもの」
 ハイイログマは黙ってしまって、結局それっきりだった。
 キツネはただ「すみません」と、しゅんと落ち込んでしまった。

 穴蔵に背を向けて2匹はまたトボトボと歩いた。
「面倒くさがりなんだ」アナグマは言った。「そんなに悲しむことはないよ」

 そうして2匹はフラフラと彼方此方を訪れたけれど、みんな揃ってちゃんと挨拶してくれるヤツはいなかった。
 ヘビはキツネは嫌いと悪口を言って、鈴虫はリンリン鳴きながら居留守を使った。

 2匹はクタクタになって、アナグマの住んでいる茂みに寄り合った。
 キツネは寂しそうにぽつぽつ呟いた。
「私はね、別にみんなと仲良くなりたいだとか、そんなふうには思ってなかったの。ただ、ご挨拶をして、よろしくと言ったらよろしくって返ってくるものだと思ってた。綺麗な毛並みで、温もりを与えて、心地の良い声で目の前に現れたら、きっとみんな心よく受け入れてくれるってそう思ってた」キツネは鼻を啜った。
 アナグマは少し考えて言った。
「そんな悲しむことじゃないよ。なんて言うかな……、みんな当然だと思ってるんだ。君がこれからもいることがね」
「どういうこと?」キツネが訊いた。
「君が今日これっきりじゃないってこと。きっとまた訪ねてくる。今回のことを学んでまたやってくるってね。アマガエルは去る僕らのことを見ていたし、フクロウだって嫌味なヤツだけど、言った通りにすれば満足するさ。ハイイログマだってなんなら昼間に行けばいい。君がみんなに受け入れられる自信が漠然とあるように、みんなもまた君を連れて僕が来るって勝手に思ってるのさ」アナグマは言った。「だからさ、そんなに気にすることじゃないよ」
 キツネは少し考えて、黙って頷いた。
「それにさ」アナグマは言った。「君の側は明るくて、温かくて、僕は心地がいいよ」


 夜が明けて、アナグマが目を覚ますと、キツネはもう側にいなくて、どこかに消えてしまっていた。
 陽は当然のように草原に差して、池も、木も、丘も明るく照らしている。
 そうして、のそのそと、それぞれの住人が陽に当たるためにその住処から這い出してくる。

 アナグマは光を浴びながら、またトボトボと、1匹であてもなく歩き出した。

陽にふれて

陽にふれて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted