・・・いるものと。いらないものと。(ケシスタン聖典 所要の章)・・・


愛は、要る。というか、居る。というか、在る。愛を語る者は愛を要らないと少しでも思ってるような人たちと思った方がいい。

希望も、要らない。どうせすべてが決まって居ることをあれこれと妄想して皮算用して、もしそれが違って居たら苦しむのはアンタ自身なのだよ。

夢は要る。生成知能や体躯ある自動知をみて自分たちが生々しい心ある人間であることを改めて知るのと同じように、夢に魘され夢に安心するがいい。

苦悩は要る。苦しい?苦しいよね。だってどうせすべて決まって居ることを良くも悪くも自分がどうにか出来るかのように思ってる節があるんだから。その過ちがその時々に教訓となる。
嫉妬は要る。要るというか、要らないと言えばこの世界どころか人間の文明そのものを否定することになり得よう。

怒りは要る。但し未開人のそれは暴力であり不具合である。

称讃は要る。それはコンニチハとかオハヨウでもあるべきじゃないか?私もあなたも人間であり、それぞれの意味を持つ存在であるんだという確認作業の一端として。
批判も要る。それは世界の常識をその時々の自分の意思で捻じ曲げてしまおうとするものでもなし、捻じ曲げられるものでもない。自ら奴隷となって、目の前の引き裂かれるべき未開人の魂を引き裂くがいい!


欲望は、要らない。というか誰だ、そんなのを欲望と名づけた者は!欲するのでない。あるべきものを遂に回収して処分するんだ。


家族は要る。その者たちは既にそなたの内側にある。そなたの肉となって居る。もしそれが要らないのなら食肉にでもなりたいという意志表示と捉えてやろう。
友は要るが、要らないというに実に等しい。心が繋がって居たとしてもそれは世の中がうまく回るように工夫が凝らされているだけで、人はあくまでひとりであった。
恋人は要る。ぜったいに要る。ずっとでなくても当然にいい。とにかく一度はぜったいに居る。食べたり睡眠したりする人類ならば、その本業を怠ってはならないのだ!


意見は要る。表現も要る。喧嘩も要る。侮辱は要らない。だが勘違いするな。侮辱とは感情も理知も無い未開人のすることを謂う。
議論や話し合いも要る。勘違いするな。会議が必要ないと言って居る。議論とは、自然に様々な意見感想などがぶつかり交わるものすべてを謂うが故に。

意思は要るが、それはお前のものではない。寧ろお前がお前であることによって勝手に湧き出るものであって、今から抱くものではない。
意志も要るが、何かを成し遂げてやろうという気概によるものならば必要ない。ただ単に推進力や踏み出すその一歩のことを謂うのであった。

意慾は、要る。要るどころではない。小難しいことは言うまいな。昂奮し、昂奮し、昂奮し尽さぬか!

辯論は要らない。人の言霊を然うした決まった形に当て嵌めてしまうのは、溢れ返る意見の中で仕方ないので政治的に勝敗を決めて統治を早めるしかなかった旧時代の発想であった。
会話は要る。対話も要る。それらは議論でない方がいい。だらしなく喋ろうではないか?大バカ者めが!人間は本来ずっとだらしないんぞ。

計算は要らない。要らないっつったって社会には人によるものだろうと自動によるものだろうと計算は必要と言う者が居ることだろうが、いやだからそれはもう計算ではなく、数字をただパズる行為なのである。


過去は要る。要らないというなら今すぐ消え去れ!嫌な思いをしたとか振り返りたくない云々は知らないが、過去を否定することは地球を宇宙を否定する行為である。
未来は、要らない。何だ未来っていうやつは、よ。未来とはそれさえも今現在のことである。今現在には無い未来がどうのとかいうのは貴様たちが決めることではない。宇宙が決めようぞ!


政治は要らない。世界は言葉や対応ではなく、実利や見た目の良さによって導かれる。相手に対しどう出るのかより自分達が如何に美しく魅力的であれるのかである。


景勝思想は、要らないな。あんなもの、差別を助長するだけだろう?
理智思想?要らないな。ただ知ったり興味を持ったりすることに特定の思想など要らなかろう。
人命思想?要らないな。人命と言っているのに人をただ助けるというだけのことじゃないのがもう分からない。

自由主義も要らないよ。それもおんなじで、人はもともと草木や空と同じで自由にそこに在るモノなのだから、定義づけなどしなくていい。
社会主義はぜったい要らない。「委員会!」と言えば何かカッコよく思えるのは、昔は信じられないことに団地がカッコいいと思われて居たことと何も変らない。


戦争は要らない。勘違いするな。要らないからといって無くなるわけではない。必要なのは各我々が存続することであって、戦争ではない。


宗教は、宗教が要らないというか、その宗教というコトバが要らない。丸で教典とか建物とか信者信心をひっくるめて宗教!であるかのように思われてるが、宗教とは癒しだから。癒しは癒しなんであって別に宗教でも何でもない。

奇蹟は、要らない。思うに然ういうものを奇蹟と呼ぶ者は忠誠心を欠いて居る。あくまで然ういう意味で信用してはならないのであり、決して胡散臭いからとかではない。


未開人は、要る。その存在自体が、未開ならざる者にとってこの宇宙が確かに存在して居ることを確認できる唯一ではないが簡単な方法である。
敵は、要らない。ということを聞いてそなたは敵の殲滅を考えたろうか?貴様は未開人だったのか。この世に在る者は何者も敵ではない。単に未開であるに過ぎないのである。


宇宙は、要らない。勘違いするな。考え過ぎてはならない、ということであった。遥か遠くの天体も、自分の身近に居る人々も、自分の中の細胞や原子ひとつひとつも、どれも一定の間隔を置いてこの宇宙に存在して居る。既に我々は宇宙にその身を投げ出されて居る。今さら何を気にして居るのか。宇宙旅行にいつものように勤しむがいい。

・・・いるものと。いらないものと。(ケシスタン聖典 所要の章)・・・

・・・いるものと。いらないものと。(ケシスタン聖典 所要の章)・・・

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-23

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