のんさん、のんさん
子どもの頃、のんさんという人がいた。
どこで見かけても、何をしていても、のんのん、のんのんとしているので、のんさんというらしい。それ以外のことは、まるでよくわからないのだが、学校の人は誰もが知っている、そういう人であった。
体育や理科の観察で校庭に出ると、裏門の前の通りをのんさんが行くのを見かけることがあった。いつも白いポロシャツに吊ズボンといういでたちで、てくてく通りを行くのである。てくてく、というのがこれほどぴったりとくることは他にないだろう、と思うような歩き方なのだった。
何度も見かける人だな、と初めて認識したのは、忘れもしない、ナズナの写生で外へ出たときである。空は眼底に焼き付く碧さで、紙からの照り返しに目が眩む日差しの中、僕は花壇の眩しさから目を背けようとして、日陰の通りを通りかかったのんさんを見つけたのだった。僕は、首から紐付きの画板をぶら下げて突っ立ったまま、ずいぶん見入っていたらしい。さぼっているのを見咎めて担任の先生(おばさんだが、母親よりも綺麗な人であった)が近寄ってきたので、何の気はなしに彼を指さして、つるつるだけど、サンタさんみたいな人だねと、思ったことを口にした。すると先生はさっと顔色を変えて(青くなったのだったか、赤くなったのだか)、そういうことを言ってはいけない、と厳しい口調で怒った。僕は本当に悪気などなかったものだから、びっくりしてもじもじと下を向きながら、そういえばお地蔵さんにも似ている、などと考えていた。それだけの、断片的な記憶である。
のんさんというのだと僕に教えたのは友だちだった。放課後に学校近くの公園で遊んでいると、これまたのんさんが現れることがあった。それは住宅街の真ん中の四方を細い通りに囲まれた公園で、球技ができる広さはないが、中央のプリン型の滑り台が側面をぐるりと生垣で囲われて小高い丘のように設えられていたので子どもには魅力的だった。ある日その生垣に友だちと分け入り探検ごっこに夢中になっていたのだが、ふと顔を上げるとベンチのところに例のあの人が立って、砂場で遊んでいる小さな子たちを、目を細くして眺めていたのである。
「おい」
僕は小声で友だちを呼んで、こちらに気づかれないように背を低くして生垣の陰から様子を窺うようにした。
「あれ、誰なんだろう? よく見るだろ」
僕は未知との遭遇に息を弾ませ、声を潜めて言ったのだ。ところが、同じように屈んだ姿勢で近づいてきた友だちの反応は、いともそっけないものだった。
「ああ、のんさんだよ」
と、こともなげに言う。砂場の近くには子どもの母親たちであるらしい二人組が立ち話をしていたが、彼を気にしている風でもなかった。
「どういう人?」
重ねて尋ねる僕に、友だちは
「この辺の人だよ。別に何もしないよ。ママはかまうなって言ってた」
とだけ答えた。それですべてだった。
僕はのんさんの方へ顔を戻した。白いポロシャツに吊ズボンのいつものいでたちでニコニコと目を細めて子どもたちを見ているのんさんは、そこだけ別世界の光景を切り張りしたように妙に周囲から浮いて見えた。
また別の日、僕はのんさんが何人かの子どもの相手をしているのを見かけた。友だちの家へ行くので自転車で公園の脇を通りかかったときである。同じ学校のやつらが数人、のんさんにちょっかいを出していた。まわりをウロチョロと取り囲み、隙をついては突っつくようないたずらを仕掛けるのである。のんさんは「こらー」と言いながらニコニコしていてまるで怖くないので、連中も遊んでもらっているつもりなのかなんなのかよくわからない様子であった。僕はなんとなくそれを悪趣味なものに感じて、見てはならないもののように目を背け、何も見なかったかのように自転車で通りすぎた。友だちの家に着いてテレビゲームを始めてしばらくしても、後味の悪いものが喉の奥にずっと絡みついていた。
それからも姿を見ることは度々あったのだが、のんさんについて何かが新しくわかることはなかった。年齢も、どこに住んでいるのかも、また、いつからその界隈にいたのかも掴むことはできなかったのである。ずっと以前からいる人ならば、僕はどうして小学生になるまで彼の存在に気づかなかったのだろうか。注意して見れば存在感のある人でも、それと意識しない間は見落としていたのだろうか。あの砂場の子どもたちが顔を上げてのんさんの方を見ようとしなかったように?
しかしのんさんに関心を抱くことに僕は言いようのない居心地の悪さを感じてもいた。あの友だちのように気に留めない、無関心な態度の方が正しいのだろうと、幼心にもわかっていたのである。だから僕は次第に町でのんさんを見かけても、最初の頃のようにしげしげとぶしつけに見ることをしなくなった。ちょうどネコが敵意のないことを示すために顔を背けるように、いや、それよりはもっと不自然なやり方で目を伏せたり他の方へ視線を逃がしたりするようになっていった。だが、僕が一方的につくり始めた彼との間の距離は、ある日突然に破られた。
あの日の季節を僕は思い出せないのである。
学校で嫌な目に遭ってそのまま家には帰りたくなかったために、ランドセルも背負ったままあの公園に寄り道をしたことがあった。
僕は滑り台のまわりを意味もなく一周してベンチに座り、しきりに目を擦りながら悔しさが去るのをじっと待っていた。
そこへふいに、あのぽってりとした手が僕の頭へ置かれたのである。
いつの間にか現れたのんさんが、泣いている僕を見て慰めてくれるつもりになったのだろう、小さな子にするように(僕は小さかったが)頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
僕が見たのんさんは、いつものようにニコニコとほほえんでいた。
人のいい、善人を絵に描いたような顔をしていた。
――けれど目を上げた僕は、きっと驚きと警戒に強張った顔をしていたのだ。
目の合った次の瞬間、のんさんの細い目にふっと影が差した。
その目の奥に深い、深い、淵のようなさびしさを見取って、僕ははっとした。
ぎょっとして、ぞっとした。
その時から、僕はニコニコと子どもたちを眺めるのんさんの横顔に、あのさびしさを見るようになってしまった。やがて、いつの頃からか、のんさんの姿を見かけることもなくなった。大人の間では噂もあったのかもしれないが、僕ら子どもの耳にそれが届くことはなかった。
そして僕は二十年も経った今頃になって、あの人の年齢や住んでいるところは知りたがったが、本当の名前についてはついぞ気にならなかったことに、ふと気づいたのである。
のんさん、のんさん