火葬炉のある温泉街
優紀と凛は、現実に辟易していた。
「毎日勉強にバイト、私たちってよく頑張っているわあ」
と、凛は伸びをしながら言う。
「本当だよね」
学食のカレーを受け取った優紀は、そう言って凛の横に座った。
「ねえ、優紀」
凛は弁当を広げると、優紀に声をかける。
「オールインクルーシブって知っている?」
「知らない、何それ?」
凛は長い茶髪を束ねながら、自慢げに言う。
「おこもりステイってやつよ。一歩もホテルから出ないやつ」
それを、優紀はカレーを頬張りながら聞く。
「いいね」
「じゃあ、旅館探しちゃおっかな。優紀、一緒に行こうね」
そう言って、凛はスマートフォンを片手にした。
宿はすんなり決まったようで、講義が終わり帰る頃には、凛からメッセージが届いていた。
車で二時間程の、山の中の小さな温泉旅館。その周辺は、昔温泉街として賑わっていたらしい。
「ご飯が美味しいみたいで、温泉も気持ちがいいんだって」
と、メッセージ付きで旅館のホームページが送られる。
「いいね。親に車が借りれるか交渉しておくよ」
優紀はそうメッセージを返す。
父親にすぐに相談すると、車を貸してくれることになる。それを、凛に報告すると、
「嬉しい、ありがとう。今週末楽しみにしているよ」
と、絵文字付きのメッセージが送られてくる。やや照れる優紀は、ボブヘアの黒髪を掻いた。
下道で二時間……ほぼ一時間を細く曲がりくねる山道を走る。オフロードタイプの車で良かった。優紀はそう思いながら、ハンドルを握る。
「すごい道だね、マジで山奥じゃん」
凜は、アシストグリップを握りながら、笑っている。
「これは、さすがにペーパードライバーの凛にはきついかも」
時々運転をすることがある優紀は、なんとかその道を進み続けていく。
「あはは、そうかも」
凜は楽しそうにそう言った。
長い山道を抜けると、ようやく人里が見えてくる。が、車通りもまばらで、かろうじて温泉街という体を成しているようだ。
「え、これ温泉街? 思ったより地味じゃん」
多少、温泉に由来がありそうなモニュメントや噴水があるくらいだ。
ナビによると、その温泉街をさらに北上していく。しばらくすると、目的の旅館に辿り着く。
「こじんまりとした旅館だね」
車から降りると、優紀は思わず声を漏らす。
「そうだね」
それは凜も同じだったようで、凜も言葉を濁す。
しばらく立ちすくんでいると、旅館から着物を着た女将が出てくる。着物に似合わず、長い茶髪をしており、それを一つでくくっている。
「ご予約のお客様ですか? ようこそいらっしゃいました」
中年の女将は、柔和な笑みを浮かべるものだから、優紀と凛は会釈する。
年季の入った旅館に入っていく。手続きと諸説明を受けると、客室に案内される。
きっとお金のあるときに増築したのだろう、変なところに階段があるな、と優紀は思いながら女将の後をついていく。
客室に着くと、鍵を凜が受け取り、女将が去っていく。
ややかび臭い畳の部屋。優紀は荷物を置くと、窓を開けた。
川のせせらぎが聞こえる。このちょうど下に川があるらしい。
「げ、いやだあ」
と、凜が大きな声を出すものだから、凜の視線の先を見た。
そこからの眺めの奥に、突き出た大きな煙突が。
「火葬炉?」
「それっぽいよね」
凜はそう言うと、大きく大の字になる。
「何か、外れちゃったなあ。今回のオールインクルーシブ」
「まあまあ。トランプやジェンガ持ってきたから」
そう言って膨れる凛に、優紀は大きな荷物を指さして言った。
川のせせらぎと、鳥のさえずりが、心地がいい。
凜が膨れて十分が経った。すると、凜は突然がばっと起き上がる。
「温泉に入ろう!」
と、突然言いだすものだから、優紀は電波の入らないスマートフォンを置いた。
「いいね」
優紀もちょうど、辟易してきたところだった。旅館のスリッパを履くと、二人は扉を開けた。
客室は五部屋ある。しかし、宿泊客は優紀と凛だけらしく、しんと静まり返っていた。
二人は、階段を降りていき、浴室へ向かう。
浴室は小さいながら、きちんと温泉の水質をしている。露天風呂もある為、二人は湯の花の浮いた浴槽に浸かる。
「気持ちがいいね」
優紀は、伸びをしながらそう言った。凜の横顔が視界に入る。
「凛?」
どこかをまっすぐ見るような、そんな視線に違和感を覚える。
「あっ、なに?」
凜は声をかけられて、慌てて優紀を見た。
「どうしたの?」
「いや、何か視線を感じて……って、それは優紀のか、あはは」
凜はどこか怯えるように、そう言った。
「のぼせる前にとっとと出ようかな、って」
と、凜は言いながら温泉から上がっていった。
脱衣所で浴衣に着替えると、一台しかないドライヤーで頭を乾かす。まずは、髪の痛みを気にする凜から。
「ねえ、優紀」
「なに?」
ドライヤーをしながら、凜が口を開いた。
「さっき、湯船で声を聞いたの」
その顔面はやや蒼白で、手が震えていることが分かる。
「一人にしないで、って」
「気のせいだよ」
優紀は、思わずそう言ってしまう。
「そうだよね、気のせいだよね」
凜はぱあっと笑った顔を作る。
「ドライヤー、おわったら貸してよね」
何かが胸の奥に引っかかる。それを抑え込むように、優紀も努めて明るくそう言った。
二人は、脱衣所から出て階段を登る。
「ちょっと探検していこうよ」
と、凜が言う。
「そうだね」
優紀も賛成して、旅館の中を歩き始める。
誰もいない、そのはずなのに、無数の視線を感じる気がする。夏で館内は冷房が効いている。そのはずなのに、ジワリと背中が湿る。
二階は会席会場のようだ。その奥、厨房の向かい。南側に、部屋を見つける。
そこから漏れる風を受けると、湿った背筋が、凍る。
「なんなの、ここ」
凜も同じなようで、両手で身体を抱えている。
優紀は、そのわずかな扉の隙間から中を覗く。
覗くだけだと心にしていた。だが、扉は勝手に解放される。大きな音とともに、全容が明らかになる。
大きな仏壇。おびただしい数の、幼児の写真。現実のものとは思えない、冷気。
「なに、これ」
優紀の口から、思わず声が漏れる。
一般的な仏間。なぜここにある? どうしてこんなに冷気が漂う? この幼児は?
「凛」
優紀は、凜に声をかける。
「凛?」
凜は、硬直したまま、一点を見つめている。
「凛!」
その声に、凜は一瞬ピクリと動く。
「ここから出よう」
凜の肩を叩く。扉を閉めると、凜の身体を引きずるように、その場から離れた。
凜と視線が合うと、いつもの凜の顔に戻る。
「え、もう日も落ちるしせっかくだから泊まっていこうよ」
と、何事もなかったように、凛。
「あの部屋涼しかったね、なんなんだろ」
凜は呑気にそう言うものだから、優紀は眉間にしわを寄せた。
十九時。
夕食の会席会場に入る。あの奇妙な部屋が頭をよぎってしまい、優紀には食事の味が分らなかった。
食事の最後。米飯を盛る女将に、優紀は声をかける。
「あの、女将さん」
女将は、ひとまとめになった茶髪の頭を揺らす。
「なんですか?」
「厨房わきの、あの仏間はなんですか?」
「さあ、なんのお話ですかね?」
女将は、優しい笑みを崩さずに、視線を合わせずに、そう言った。
「でも」
「優紀、やめなよ」
言及しようとして、凛に止められるものだから、優紀は唇を噛んだ。
客室に戻ると、凜はずっとあの煙突の方を見ていた。その目は虚ろで、気味が悪い。
深夜になっても辞めることがないため、居心地が悪くなって、優紀は客室を出た。
フロントを横目に、外の空気を吸いに行く。
凜が、おかしい。
何かにとりつかれたような。そんなホラー映画を見たことがある気がする。
明日、朝いちばんにここを発とう。そう思いながら伸びをすると、煙草を片手にした男性が現れる。
「こんばんは」
と、男性。
「フロントの夜勤をしている者です」
「どうも」
男性は煙草に火を点けると、細い煙をたなびかせた。
手持無沙汰になって、優紀はその男性を見つめてしまう。
「厨房横の、あの部屋を見てしまいましたか」
と、男性。その言葉に、鼓動が早くなる。
「はい。あれは何ですか?」
優紀は尋ねる。手が震える。
「あれは女将さんの娘さんの仏間です」
男性は、息を吐く。
「この下の川で、川遊びをしていた時に行方不明になり、その後見つかりましたが、亡くなられていたそうです」
背中に汗が垂れる。暑いのに、汗は冷たい。
「旦那さんとは離婚をしていて、一人で娘さんを育てながら、この旅館を切り盛りしていました。悲しみはさぞ深かったことでしょう」
男性は続ける。
「それで、あの部屋に仏間を設けました」
そう言うと、男性は煙草を吸った。
「この旅館では、寂しがる女の子の声が聞こえることがあります。特に、髪の長い女性に多いそうです。女将さんと似ているからでしょうね。それを聞いてしまうと、帰ることができず、女の子に捕らわれてしまうこともあります。どうか、あなたは無事に帰られますように、祈っております」
細い煙とともに、男性。
「今から、帰ることはできますか?」
優紀は、震える手を握る。
「もちろん」
と、男性は柔和な笑みを浮かべた。
優紀は、客室まで走った。そこに、凜はいなかった。
「凛」
どこだ。
「凛」
客室から飛び出す。
「凛」
階段を駆け降りる。
気づけば、あの仏間の前。凜は、そこで立ち尽くしていた。
「凛、帰るよ」
手に触れる。凜の手は、氷のように冷たい。
「私、ずっとここにいる」
凜は、かさついた唇で、小さくそう呟く。
「お母さん、ずっとそばにいて、ってあの子、言っている」
その目は、虚ろ。
「凜はあの子のお母さんじゃない、私にはその子は見えていない」
凜の手を、優紀は、掴む。
「帰ろう」
それでも、凛は動かず。
先ほどの男性の話しが、頭をよぎる。
「どうか、あなたは無事に帰られますように、祈っております」
あなた。もう、凜は手遅れってことか。
胸が、痛んだ。凛。大切な友達。
優紀は、手を離す。背を向ける。一歩、後退する。そのまま、その場から走り去った。
優紀は、車に乗り込んだ。
朝、旅館を示していたナビに、旅館のマークが無くなっていた。その代わりに、火葬炉のマークがはっきりと示されていた。
「なんなの」
ルート設定でも、自宅を選択できない。ナビは、火葬炉を案内する。
「やめて、帰らせて」
車は、勝手に動き始める。火葬炉まで、ゆっくりと進んでいく。
まるで、自分自身が火葬をされるように。
「いやだ」
ブレーキを踏めど、車は止まらない。
ヘアピンカーブも、ゆっくりと越えていく。
「死にたくない」
優紀は、無我夢中にアクセルを踏んだ。
車は、一気に加速していく。急に動き出す車に慌てて、ハンドルを切った。
しかし、遅かった。
「次のニュースです」
男性は、フロントで、コーヒーを飲みながら、ラジオを聞いていた。
「翌日、○町の火葬炉周辺で交通事故がありました」
新聞を、捲る。
「死亡したのは、大学二年生の女性です」
着物を着た女将は、フロントに現れる。
「一人、置いていってくれて嬉しかったわ」
と、女将。男性は視線を合わせない。
「これであの子も、しばらくは寂しくないはず」
女将は、嬉しそうに語っていた。
火葬炉のある温泉街