『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

読込:プロダクションテルル


「間崎!あんた、なんて人を口説き落としてきたの!!」
 
「勢雄祥匡さんですよ。高校の大先輩で、よくは知らないんですが、昔有名だったんでしょう。僕は海外にいたんで知らないんですが」
 
「勢雄様よ!勢雄様っ!分かってるの?あんた!」
「はい。だから勢雄祥匡さんです。wiki見てたら声優経験もあるようですし、同じ高校の大先輩だけど、ちょうどいいかなーと思ったんですけど……ダメでした?」
 
「何言ってるの!!うちらが探してたのは、セイレンの父親役で、お情け程度のエンドしかない、おまけキャラなの!勢雄様にそんな端役、やっていただくわけにはいかないのよ!」
 
「ちょっと名前が通ってたら、誰でもいいって言ったのは、邨先さんじゃないですか。赤生くんと石舘くんで予算食っちゃったって。なんだったら、高校演劇程度の僕でもいい、とか言ってたじゃないですか」
 
「……間崎、もしやあんた、知らないの?勢雄祥匡様を」
 
「なんですっけ?二十年ほど前、うちのゲームに出てたんですよね。なんでしたっけ?」
 
「うちが下請けしたゲームな。あれは売れたわー。イベントも、アリーナとかでやったりして」
 
「まじっすか。ぱねぇすね」
「なにそれ、ばかにしてる?」
「してませんよ。お金あったんだなーって思っただけです」
 
「上がな。っつうことで、勢雄様に相応しいクリスに。いや、勢雄様がやるならクリス様とお呼びせねばなるまい。今から詰められるだけ詰め込むから。滅私奉公決定な」
 
「えー?今からですか?!リリースまで半年ですよっ!間に合うんですか!!」
「間に合うんですかじゃねぇ……間に合わせるんだよ。勢雄様に輝かしい場を用意せねば、アイツに顔が立たねぇ」
 
「アイツ?」
「昔は『だいこうかいものがたり』のオンリーがあってさ。お話したことはなかったんだけど、それはそれは立派なキャプテンコスをする方がいらしたのよ。その方が、偶然にも友達の知り合いの友達で、一度お話する機会に恵まれたの。そうしたら、それはそれは見事な勢雄様盲信者でねぇ……。すっかり沼に引きずり込まれたわけだ。まあ、それまでも好きだったけどね」
 
「キャプテン?」
「『だいこうかいものがたり』も知らないのかよー。もうやだ、あんた」
「すいませんね。海外にいたんで知らないんですよ」

「ほんっと、やだ!生きて帰ると思うなよ!」
「え?僕、広報ですよ!何ができるんですか?!」

「あたしのサンドバッグに決まっとろうが」
「せめて、ぱしりにして下さい……」
 
 
 

<div>01;酔ひに虚ろう白河夜舟

口を押さえた指の間から、滑った液体が這い出る。
胃液と、血のにおいが、鼻を突く。
光と、耳を覆う空気。
明るいまま、闇に沈む。

——

 「悪役は嫌われてなんぼです」

 夏休みだった。

 昼間の、派手な格好をしたオバサンが、自分の部屋にゲストを招いた体でするトーク番組。

 その週は夏休み企画で、『超人部隊・バードX』のキャストが日替わりで出演することになっていた。
 当時小学生だった俺は、ご多分に漏れずヒーロー物が大好きで、昨日のバードレッドに引き続き、ブルーを期待して見ていたのだけど。

 これは誰だ?
 画面の中の、女性にも見える微笑みを湛える人物は、ピンクとは違うよな、という事だけは分かった。

「敵方の、バット長官だよ。ほら」
 一緒に素麺を啜っていた親父の指す画面には、バードXの憎き敵、バット長官の画像があった。

 バット長官?
 画像と並べられても、恐ろしいバット長官が全く重ならない。
 そのくらい、宮嵜元久の面持ちは、バット長官と似ても似つかなかった。
 そういえば、声が同じだろうか。
 しゃべり方はまるで違うのだけど。

「石を投げられることもおありだとか?お辛くはありませんか?」
 と、聞くオバサンに、
「それだけ、うまく出来てると思うことにしています」
 と、宮嵜元久は笑った。

 この言葉が、自分に落ちるまでまだ数年かかるわけだけど、わからないなりに『役者』という職業に興味を持った切っ掛けだったと思う。

——ああ、そうだ。

 役者になりたかった。
 舞台でも、映画でもいい。
 重厚な、存在感のある、宮嵜さんのような。
——そんな役者。

 でも役者なんてどうやってなるんだ?
 
 関東とはいえ、都心から離れた城下町の蒲鉾屋に生まれた俺には未知の世界だった。
 だから、小中学生の頃は夢だけはあったけれど、どうやったら役者になれるんだろうとばかり考えていた。

 高校で、演劇部なんてもんがあって、意気揚々と入ってみたものの、高校の演劇部なんて女の園だ。
 力仕事ばかりやらされていた。
 それはそれで楽しかったけど。

 で、大学進学の折。

 演劇サークルが多数ある大学を見て回ったけど、なんかしっくりこない。
 そしたら、宮嵜さんの主催する『義塾・生生流転』のワークショップに潜り込めた。
 
「役者は——
 自分で演るか、自分が演るか、です」
 
 その言葉が、不意に自分の中に落ちた。
『悪役は嫌われてこそ』
 そうか。
 嫌われてこそ、悪なのか、と。

 俺は進学せずに、宮嵜さんの義塾の研究生になることを決めた。
 親父もお袋も「やれるだけやってみな」と言ってくれた。

 それから、宮嵜さんにくっついて、ドラマやら映画やらにちょこちょこ出演()させてもらったりして。
 かろうじてバイトをすることなく、役を貰い始めていた。
 ちまちまと小銭を貯める事もできて、劇団で共演の多かった女と籍を入れた。

 しかし、まだまだ駆け出しの大部屋俳優。
 一人ならなんとか暮らせるけれど、二人で暮らすには些か余裕がない。

 そんな時、洋画の吹き替えの仕事が舞い込んだ。
 悩んだよ。
 勝手が違いすぎる。

「やってみるがいいさ。他人の『間』で芝居をする、またとない機会だ」
 と、宮嵜さんに後押しされた。

——そしたら。

 そいつが、うっかり人気なんか出てしまって。
 そのまま、アニメだ、ゲームだに引っ張り出されることになって。
 ずるずると抜け出せなくなって。

 歌ったり、踊ったり、喋ったり。
 芝居しない舞台(ステージ)は、いつもと明らかに違う。
 まぁ、俺もちやほやされて、若干いい気分になってたのは否めない。

 芝居は芝居。
 ずっとそう、言い聞かせてたんだと思う。
 ある時、すっと熱は冷めた。

 やるせなさを埋めるように、舞台へ重きを置き始めたら、離婚届を置いて嫁が出ていった。

 地方から戻った秋の日。
 真っ暗な部屋に茫然とした。
 そんな嫁でも愛していたのか。
 棄てられた事への怒りなのか。
 恐怖なのか。
 どれくらい、自分を見失っていたのか覚えていない。

 ある日お袋に頬を叩かれるまでの記憶が定かでない。

(蒲鉾屋)なんて継がなくていいから、戻ってらっしゃい」
 言うや否や、お袋は荷造りをした。
 ちっぽけな、名ばかりのマンションはあっという間にからっぽになった。
 お袋の冷たい細い指が、俺を引っ張った。

 実家に戻った俺を、待っていたかのように、親父が血を吐いて倒れた。

 病室のベッドに、真っ白な顔した親父が寝ている。
 いつも無駄に元気なお袋が、しおらしい。
 否が応でも、死がちらつく。

「祥匡……」

 見舞ったある日、親父が俺の名を呼んだ。
 体のあちこちに管をつないで、
 すっかり痩せこけた、親父。

「祥華さんを頼む……って、言いたいんだけどさ。言いたくない」

 己の食い扶持でさえ心許ない俺では、安心できないんだろうな。
 いっそ、役者なんて諦めて、実家(蒲鉾屋)を継げってか?

「俺じゃ頼りなくて、お袋が心配?」

 継ごうか?とはあえて言わず、自嘲すると、
「そうじゃない」
 親父は首を振った。

「祥華さんをさ、君たちに頼みたいけど、頼みたくないんだ。
 僕がいなくても、幸せでいて欲しいのに、
 僕じゃない誰かと幸せに笑う祥華さんを考えたくない」

 なんとも切ない——惚気。

 ずずずっと、ドア口に立っていたお袋が、豪快に鼻を啜って、袖口で顔を拭った。
 擦りすぎて真っ赤にした目元で、親父に言う。

「お家帰るわよっ!章匡くんっ!」

 親父はそんなお袋を見て、笑った。

「まったく、祥華さんはしょうがないなぁ。そうだな、帰ろう。君がいるあの家へ」

 それからのお袋は、渋い顔をする医師を説得し、自宅看護の態勢を整え、親父を家に連れ帰った。

 お袋は家ではいつもの元気な顔して、親父といた。
 親父は、医師の告げた余命を越えもした。

 このまま——なんて、誰もが思った。
 思いたかった。

 けれど、三か月経たずに親父は死んだ。
 霙のような、雪が舞っていた。
 通夜も葬式も、お袋は泣いてなかった。
 それどころか、俺に三本の指を立ててこう言った。

「一に産声、二に父親の死んだ時、三に財布を落とした時。男ってのはね、それ以外で涙を流すもんじゃないんだよ。
 ……よっくんは一と二を済ましたから、後は財布を落とした時にだけだからね」

 何を言ってるんだ?この人は。
 わが母ながら、訳がわからん。

「お袋の時はどうすんだよ」

 お袋はきょとんとした後、うーんと考えて、
「笑えばいいんじゃないかな?」
 と、破顔一笑した。

「蒲鉾屋は、あたしが太朗ちゃんと継ぐんだからね!兄貴はやりたいことやりな!」
 という、なんとも男前な妹に背中を押されて、俺は見事パラサイトになって役者を続けた。

 実家は、妹が婿を取って切り盛りしてる。
 優秀な義弟は、蒲鉾文化を広めるためとかで、店の隣に居酒屋をオープンさせた。
 姪っ子も生まれた。
 嫁にはやらんと、定番な親バカぶりを発揮している。
 昼は蒲鉾屋で、夜は居酒屋とは忙しいこった。
 お袋もいつも元気だ。

 俺はと云えば、小劇場の客演やら、映画やドラマの端役で食うには困らない程度の稼ぎで糊口を凌いでいた。

 高校の後輩だというゲーム屋、間崎が声をかけてきたのは、珍しく仕事が入ってなかった正月だった。
 なんで、俺?他にもいるだろうよ、と思ったが、確かにうちの高校出身の芸能人は、やけに高名な方々ばかりが肩を並べていて、ゲームに出てくれなんて言いにくそうだ。

 ましてや——乙女ゲーム……

 『デイムメイカー』って。
 最近は、子持ちで攻略対象になんのかよ。
 世の中も変わったねえ。
 溜め息しか出ないが、金払いはいい。
 姪っ子の入学祝いもあるし、金は欲しい。
 
 既に入っていたスケジュールもあって、調整には手間取ったけれど、了承するとすごい勢いで喜ばれた。

 ま、仕事は、仕事だ。
 さすがにこの年で、歌とか、ましてや踊りは勘弁してくれよ。

 発売されたゲームは、鳴かず飛ばずだった。
 今時、ディスク販売だしな。
 他業種の事はわからんけど。
 時代も変わったもんだ。

 初のリアルイベントの開催は、発売から半年後の春だった。
 おー、録音してから一年は経っとる。
 忘れてたぜ。
 って、最近はショッピングモールでやるのかよ。
 トークイベントの場で、ノンクレジットだった俺を発表するとか、大袈裟じゃないか?
 なんだったら、そのままノンクレジットでいいのに。
 俺に何を求めてる。
 そんな責任、取れんぞ?

 長机にパイプ椅子だけの控え室。
 パーティーサイズの袋菓子と、ペットボトルのお茶が用意されたケータリング。
 ……ちっ、禁煙かよ。

「はじめまして。セイレン役の石舘二葉です」
 うわ、わっか。
 てか、イケメンてやつか?
 てか、セイレンてことは、俺の息子役かよ。
 ほんとの息子でもおかしくない年回りだな、おい。

「クリストファーを演らせてもらった勢雄です」
 短く答えると、なんか怪訝そうな顔をされて、握手を交わした。
 なんか、変なこと言ったかな?
「どうかしたか?」

 石舘くんは、言葉を探しながらぽつりと言った。
「その、演らせてもらったって言い方、先輩方が時々使いますよね?何とか役って言うのと何が違うのかなって思って」
 なるほど。

「んー。二次元って俺が芝居してる訳じゃないから、どうしても何とか役、って気分じゃねーんだよ。何て云うかな?他人の間合いで芝居して、声帯を貸してる、みたいな?」
 石舘くんは、困惑している。

「芝居して、キャラに命を吹き込んでますよね?」
 俺、理論派じゃないからよく分からんな。
「芝居してるのは、絵じゃん?俺じゃない、って思うんだよな」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
 真面目だな、と思ってると間崎が俺たちを呼びに来た。

 音楽が入り、MC……っても間崎だけど、キャストを呼び込む。
 間崎、MCもやんのか。
 忙しいな、おい。
 てか、俺が最後(トリ)でいいのかよ。
 
 ロープで仕切られただけの、高さのないステージに、キャストが並ぶ。
 ベンチを置いただけの客席は、若い女の子達が集まってる。
 良かったな、間崎。

 それにしても、明るい。
 こんな明るい場所に立つなんて、運動会以来じゃないか?

 と。

 ぐっと胃から胃液とは違う塊が競り上がる。
 咄嗟に口を手で覆うけれど、押さえきれず吹き出た塊。
 指の隙間に粘る黒。
 錆びたにおいが口と鼻につく。

 血か?

 ふっと、足がなくなったみたいに、その場に崩れ落ちた。
 喧騒は分かるのに、分厚い硝子に阻まれた水の中みたいに、音が届かない。

 ああ、俺が違うのか。

 若い女の子が、何か言って、口の中に手を突っ込んできた。
 なかなか、勇ましいお嬢さんだな。

 すまんね。

 ブラウスを血塗れにしちまった。
 それ、俺の血か。
 そんなに出てるのか。

 ——このまま死ぬんだろうか?
 それはそれで、いいのかも知れない。

 あれ?そういえば一昨日って、俺、誕生日じゃなかったっけ?
 いくつだっけ?

 ああ、四十二か。
 ——なんだ。
 親父が死んだ年じゃないか。


 

<p>02;天の夜船の綱心


 セイレンの翠の目が、光なく俺を捕らえる。
 俺の息子。
 
 ミリアが生まれ、妻が亡くなって、
 彼はすっかり変わっていた。

 まだ、おむつも取れないミリアが無惨な姿で見つかって、セイレンは居なくなった。

 認知の齟齬。
 予測の認識エラー。

 辺りは黒くなり、溶ける。
 完全に、黒になる周囲。
 ……。

 と、光が刺す。
 眼を開けていられるのが、不思議なくらいの光の洪水。
 
「クリストファー様。繝。繧「繝ェ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 繝。繧「繝ェ?
『クリストファー』?
 ああ……?俺か。 

 先日初冠(おとな)の祝いの席で紹介され、婚約を結んだ繝。繧「繝ェ。

 気の良い爺さん(ラドス)とラドスの娘が毎日世話を焼きに来てくれる、広いだけの俺の家。
 俺が生まれた時に母親が死んで、最近親父が死んだ。
 初冠前の子供に両親がいないことを考えたら、施設行きが妥当なんだけど。
 親父の仕事を手伝っていたことだし、継ぐことにした。
 何より、ラドスがいるし。

 そんな感じで始まった新婚生活。
 悪くない。
 長男セイレンが生まれて、
 六年後、長女ミリアが生まれて、
 繝。繧「繝ェが、死んだ。

 暗転、そして、光。
 ——?

「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 今日は、メアリが家に越してきた。
 結婚生活って、どうなんだろうね。
 陽に透けると赤くなる黒茶の髪。
 気の強そうな、茶色の瞳……
 女の子に茶色しか言ってない。
 だめだね、俺は。

 特に嫌でもなかったので、そのまま結婚する。
 
 次の期間で俺も初冠(おとな)なので、ひとつ違いか。
 ま、誤差の範囲だ。
 初めての事だから、戸惑うね。

 でも、悪くない。
 長男セイレンが生まれて、
 六年後、長女ミリアが生まれて、
 メアリが、死んだ。
 そして、ミリアが殺された。

 光?
 ——?


「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 娘のサーラと、拵えてくれた食卓。
 
 俺はメアリを、今日から一緒に暮らせる喜びに、思わず抱き締める。

 いいね。
 銀髪のセイレンが生まれた。
 暫くして、ミリアが生まれた。
 引き換えるようにメアリが亡くなった。
 ミリアが殺された。
 セイレンの髪が赤くなった。

 荒むような目で俺を見るようになった。

 光が、辺りを包む。
 ——?

「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 おー!メアリ!!
 今日からの新婚生活!!
 歓喜に溢れて、メアリを抱き締める。

 陽に透けると赤く輝く黒い髪。
 気の強そうな、大地の瞳……
 
 幸せだな。
 幸せ?

 セイレンの銀髪はメルクリオスならではだし、何よりいい子だ。
 暫くたって生まれたミリアも、メアリに似て美人になるぞ。
 ——メアリが死んだ。
 出産時に命を落とすことがある、のは聞いていたが、こんなにも呆気なく命は散るものなのか。
 ——?知ってる?

 更にミリアも、まだ乳飲み子というのに何者かに殺された。
 そうして、髪を赤く染めたセイレンが町の子を殺した。

 白い靄と光が、そこら辺を覆う。
 ——?

————

 ——指、痛えな。
「よっくん!」
 この呼び方は、お袋か?
 俺もいい年なんだから、止めてくれや。
 
「よっくんが、目を開けました!……違う、祥匡。えっと、五〇二号室のよっく……勢雄です!勢雄祥匡です!!」
 お袋、落ち着け。

 視界には、狼狽したお袋が俺の頭の上に話しかけている。
 安心したように、息を吐く妹夫婦もいる。
 全員集合してるのに、家じゃないな?
 薄暗い、硬質な室内。
 
 え?
「全く!倒れるまで無理すんじゃないよ!」
 そう言った瞬間、お袋の目から涙が零れた。
 
 そうか。
 まるで、クロンダイクの山札が全部開いて、自動で札が回収されるように、今の己を顧みる。

「心配させたな。すまん」
「し、心配はしてないもんっ!あっくんがあたしより先に、よっくん連れにくるはずないもんっ!」
 ……もんって、いくつだよ。

「勢雄さん、目を覚まされましたね」
 と、部屋の中に知らない声がする。
 腕から伸びたチューブの先に、点滴を見つけた。
 病院か。

 看護師が指先の器具を見て記録を取る。
「落ち着いてきましたね」
「指、痛い」
「当分つけといて下さいねー。指替えときますね」
 人差し指から、親指に付け替えられた。
 でも、痛い。
 ……あれ?
「君、もしかしてイベントでも処置してくれてた?」
「覚えてるんですか?」
「なんとなく。その、ブラウスダメにしちまったろ。申し訳ないな」
「……ぷっ。血、吐いて倒れた人がなに言ってるんです。明日は処置がありますから、眠られて下さい」
 
 処置?
「手術ってことか?」
「そんな大掛かりなものじゃないですよ。胃カメラでちょちょい、です」
「……胃カメラ……」
 も、そんなに楽なもんじゃないよな。
「切腹より良くないですか?」
 エア切腹をする看護師。
 
「……確かに」
 切腹する役は何度かやったが、多分比較対象にはならん。
 なんてアホなことを考えていたら、
「病院にいるついでに、隅から隅まで検査するようサインしといたからねっ!」
 なんてことしてくれるんだ、お袋様。
 ほら、看護師さんも堪えきれてないじゃないか。

「母さんが決めたんだから、兄貴は腹を括りなね。あ、文字通りじゃん」
「章華ちゃん、流石!」
 病室で夫婦漫才繰り広げている妹夫婦に、
「病院ですので、お静かに」
 と、看護師さんは「しーっ」と、指を立てた。

 看護師さんは点滴を替えたり、色々と作業を済ませたようで、
「患者さんも目を覚まされましたし、くれぐれも安静……お静かにお願いしますね」
 そう言うと部屋から出ていった。

「じゃ、私たちは一旦帰るね。何か欲しいものあったら母さんに伝えて。すぐには無理だけど持ってきてあげるから」
「お義兄さん、頑張って下さいねー」

 ああ、章華()たち、帰るのか。
「遠い所、済ま……ありがとう」
「ま、お兄様がありがとうですって!!聞きました?太朗くん?!」
 ひどくねーか?妹よ。
「春の嵐どころか、台風でも来そうですね、章華ちゃん」
 輪を掛けてきやがる。
 退院したら、覚えとけよ。
 
「馬鹿言ってないで、とっとと帰んな。くれぐれも気をつけてね。ああ、明日の準備に……」
 お袋は明日の店の算段をしているようだ。
 俺にはよくわからん。
「お袋、帰らなくていいのか?」
「ん?折角都心に出てきたんだもん。遊んで帰りたいからビジホ取ったよん」

 この人は、心配な時ほど嘘を付く。
 まったく、変わらんな。

「じゃあ、お前もお休み」
 と言って、お袋は出ていった。
 
 ドアが閉まると、途端、静寂になる。
 ……どんだけ、煩いんだ。
 
 眠るには、明るい闇。
 規則正しい、機械音。
「胃カメラかあ……」

 とろとろと、眠りに落ちた。

 ——

 赤い髪をしたセイレンが、
 赤いナイフを手にしている。

 セイレンの足下には、倒れた少年。
 彼は手にしていたナイフをその場に落とすと、
 俺の顔をじっと見据えた後、出ていった。
 少年に息はない。
 
 がくんと、地がずれる感覚。

 追いかけることも出来ず、俺は途方にくれていた。
 
 白い靄と、光と。
 纏わりつくように、俺を包む。

 ——

「よっくん、朝よ」
 お袋の声がする。
 
 あー、病院か。
「おはよう」
 寝てないんだろうな。
 いつも通りに振る舞っているが、声が掠れている。
 
「悪かったな」
 お袋は俺の顔をしんみりと眺め、すっと微笑んで、
「そう思うなら、しっかり治しなね」
 と、鼻を摘まんできた。
 いくつになっても、ガキ扱いだ。

「お腹空いてない?」
「……どうなのかな?空いてる気はするけど、だるい」
 石を詰められた狼ってこんなのかね?
「ま、食べられないんだけどねー」
「……ったく、お袋は?朝めしは?」
「食べてきたよん。駅前のバーガー美味しかった!」
 ……ま、そういうことにしといてやるよ。
 
「勢雄さん、準備ができましたから処置室に向かいましょう」
 昨夜の子とは違う、『主任』の名札をつけた年配の看護師。
 
 がらがらと点滴台を押しながら、廊下を歩く。
「昨夜の看護師さんは?」
 すると、主任さんは警戒を纏い事務的な口調になる。
「彼女は夜勤ですから、上がりましたよ?何かご用件でも?」
 
 これはもしや、ナンパと間違えられたかな?
 困ったな、そうだ。
「ブラウス、弁償しますって伝えてください」
 と言うと、主任さんの顔から警戒が解けた、と思う。
「受け取れませんから、結構ですよ。お気持ちだけ頂戴します」
「厳しいんですね」
「厳しいんですよ」
 なんて話していたら、処置室に着いた。

「お母様はこちらでお待ちください」
 主任さんはお袋に声を掛け、廊下の椅子を促した。
 処置室の扉を開く。
 
「よっくん、頑張ってね」
 両手を合わせ、芝居がかった声を出すお袋。
 遊んでやがるな。
 そっちがその気なら。
 
「……骨は拾ってくれや」
 なんかの時代劇の台詞を、わざとらしく作った声色で返してみた、ら。
「……はぅ、勢雄祥匡だ」
 と、主任さんから思わぬ声が漏れた。
 あら、主任さん。
 俺をご存知でしたのね。

「コホン……では、勢雄さん、こちらにどうぞ。喉麻酔を致します。これを三分ほど喉に溜めておいて下さい。飲み込んじゃダメですよ」
 主任さんに小さいカップを渡される。
 胃カメラの何が苦手って、これも結構苦痛だよな。

 液体を喉に流し、カップを主任さんに渡す。
 主任さんはタイマーをセットしたあと、横に砂時計……いや、オイルタイマーっていうんだっけ?それを置いた。
 水の粒が下へと移動するやつ。
 なるほど、無機質なタイマーの数字より、気は紛れるかもしれない。

 時間になり、液体を吐き出し、ベッドへと誘導され横になる。
「眠くなるお薬を入れていきますね」
 主任さんは点滴に、液体を足す。

 口に器具を嵌められた時には、うつらうつらとしていた。
 カメラが舌の上を通過するのを感じて、意識は閉じた。

——
 
 赤い髪のセイレンが、町の子を刺した。
 
 偶然その場に居合わせた俺は、まず、刺された少年に駆け寄ってしまった。
 セイレンは、蔑むように藍緑の目で俺を見て、その場を立ち去った。
 少年は、息絶えていた。

 俺は少年の遺体を葬った。
 少年に家族はなかった。
 叔母という女性に謝罪した。
「いつか、こんなことになる気はしてた」
 と、吐き出すように女性が言った。

 セイレンは探しても見つからなかった。
 下町では、柄の悪いやつらを集めている、赤い髪の、藍緑の目をした少年がいるという。

 幾つかの期間が巡った。
 セイレンは見つからない。

 町では“聖女”が現れたとの騒ぎが起こり、
 地図の真ん中に、テルルという新しい街が出来た。

 セイレンが、結婚したと数年ぶりに家に戻ってきた。
 セイレンの髪は赤いままだったが、隣にいる黒髪の少女が、俺にも報告したいと誘ったらしい。
「マーリアと申します。これからよろしくお願いします」
 この子のお陰で、セイレンは立ち直ったのか。
 セイレンの目が優しく、マーリアを見詰めている。

 眩しい光が差し、辺り中が白い霧に包まれる。
 微笑みあう、赤い髪のセイレンと、黒髪のマーリアが、白い靄と、眩しい白い光に包まれ見えなくなる。

 認知の修正。

 真っ白になる。

 ——

「よっくん!」
 デジャヴかな?
「よっくんが、目を覚ましました!五〇二号室です!」
 お袋……言い直すこともしなくなったな。
 規則正しい機械音が聞こえる。
 もう、頼むからもう泣くな。
 親父が死んだ時でさえ、笑ってたじゃないか。
 
「おはよう」
 と、貼りついた咽を無理矢理開いて声にする。
 全く、誰の声だよ。

「目覚めたようで、よろしかったです。出血は止まっています。悪性を疑うものも見つかりませんでした。組織検査の結果待ちですが、数日絶食して様子を見ましょう」
 主任さんがにこにこと言う。
 絶食かよ。
 ——酒で消毒すればいいんじゃないか?なんて軽口も思いついたが、言わぬが花だろう。

 それにしても、何だろうあの夢は。
 続いているような、途切れているような。
 まるで、ゲームを何度も繰り返してるみたいな。
 同じ場所に引き寄せられてるような、夢。

 ……夢を考察すると、気が狂うっていうし、やめておこう。

 

<p>03;渇く間のない袖の潮


がらんがらんと小煩く、鐘が鳴る。
むせかえるほど大量の、花が舞う。
これ見よがしな演出の、鳥が飛ぶ。
 
祝福の……、
 祝福——?

 絵に描いたような、結婚()
 結婚()

——これ……
 
 白いドレスに花束を抱えて、微笑む黒髪の娘——マーリア。
 あれ?マーリアはセイレンの嫁じゃ無かったか?
 何故、俺の隣で花嫁衣装を纏っている?
 花嫁衣装?
 
 ストップモーション。
 数多の色のプリズム。
 白いエフェクトが一面を包み、
 隣にいたやつさえ見えなくなる。

 ああ、今回はここで終わりか。
 不意に入る誰かの思考。
 俺か?
 ——ちぃ、ハズレだ。
 ハズレ?

 もう何回目なんだろう。
 ——今ので十五回目か。
 強制的にどこかに戻される感覚。

 母親は俺が生まれた頃に、父親は十二歳の時に死んだ。
 父親は貴人(あてびと)と呼ばれたりしていたが、面白そうな事に首を突っ込んでは、引っ掻き回すのが好きだっただけなのだと思う。
 俺も物心ついたときから、そんな父親に付いて回っては、一緒に遊……見ていたのでなんとなく倣った。

 俺は幼いときから家職のラドスと、その娘のサーラの二人に育てられたようなものだった。

 十八歳でメアリと家族になって、セイレンが生まれた。
 銀色の髪で、碧の瞳の、メルクリオス家独特の色合い。
 二十五歳の時に娘が生まれて直ぐにメアリが死んで、
 娘も死んで……セイレンがグレて……

 繰り返すのは、セイレンが十二歳で少年を殺した、俺が二十七の時からだから、父親とかラドスとか、それとメアリには一度しか会ってない。
 
 まあ、父親は兎も角、メアリの死に目には何度も会いたくもないからそれはいいか。
 どうせ、今回も息子の尻拭い人生なんだろうし……
 
 …………あーメンドくせ。
 何で、あいつはグレてんだよ。
 なにが気に食わねーんだ。
 なんなんだよ、あの真っ赤な髪は!
 何で七歳でグレてんだよ!
 俺の育て方か?
 メアリが死ぬのも、娘が死ぬのも俺の所為か!

 ……そっか、なら仕方ない。
 そういえばアイツがグレてた理由ってなんだったっけ?

 ?
 
 のんびりと今までの反省……思い返せていることに違和感を覚える。
 今まで、そんなこと出来てたっけ?
 今までなら……セイレンが町の子を刺した現場に戻っていたから、すぐにお詫び行脚と後始末になっていた筈だが?

 ここは——車の後部座席(なか)
 車外には見慣れない景色が広がっている。

 ん?おや?
 車の窓に映る俺が若い。というか幼い。
 運転してるのは……サーラか。

「……で、この車は何処に向かってるんだっけ?サーラ?」
 自信なく尋ねてみる。
「はい?テルルの街ですよ。五日前の嵐で被害があったと連絡を受けて、向かっているのですが」

 テルルの街?……嵐?
 嵐ってなんだ?
 絵本の『ningyohime』に出てくるフレーズじゃないか?
 
「なんで他所の街に行くんだ?」
「テルルの街長から相談があるから来てもらえないか、と打診を受けたと伺ってますが?」

……二回程前の繰り返しの時に、セイレンがマーリアと結婚して、真ん中に街が出来た。
 あれをテルルと言ったっけ。

「サーラ、俺って今何歳なんだ?」
「……忙しすぎて呆けたんですか?十一歳ですよ」
 十一歳とは、えらく若返ったもんだ。
「……街まで後どれくらいだ?」
「後、四半刻程で到着するかと思いますが」
「そうか」

 十一歳か。初冠(成人)まで後五年もあるじゃないか。

 テルルの街。
 訪れるのは初めてだけど。

 ——今回こそ何か違う。
 と、何回目かの確信を持つ。
 根拠はない。
 
 単に、少しの変化に過敏に反応しているだけで、俺の幻想(希望)なのかもしれない。
 俺は窓に映る自分の顔に問い掛けてみた。
 まぁ、答えるわけはないんだけど。

 繰り返し、はセイレンが町の子を殺した時に戻ることが多かった。
 それより前に戻ることがあっても、通り過ぎるだけで、同じような場面が繰り返される。
 
 待てよ?今が十一歳で初冠前という事はだ……メアリに、また会えるのだろうか?
 それならば。
 彼女と穏やかな老後を過ごせないだろうか?

 俺は、自然と顔が綻んできた。
 今度こそ当たりだろ!
 これで、繰り返しが終わる!
当たり(死ねる)なら、よし!

 と、ちょっとくらいは期待しとこう。
 
 そんな俺の老後計画を乗せて、車はテルルの街に到着した。

 嵐に被災した街というのも初めて見た。
 飾り屋根は壊れ、樹木は折れている。
 俺達は、街長の家へ向かった。

 被害そのものは見た目ほど酷くはないし、怪我人も打撲や擦傷で、動けないほどの重傷者はいないとの事だ。

 ただの一件を除いては。

 その家は、少し離れた場所にあり、気立てのよい夫婦が“二人で”住んでいた。

 嵐は、その家を狙ったかのように、建物を崩壊させた。
 翌日、街長が被害の状況確認に訪れると、残骸となった家の跡があった。
 そこには、件の夫婦が何かを守るように息絶えていた。

 街長に案内された部屋に入ると、壁際に毛布の塊があった。

 夫婦が命を懸けて守ったもの。
 俺は塊の前に立ち、ゆっくり毛布を捲った。
 そこには体を丸め小さく蹲った、汚れた子供がいた。

 夫婦は親の代からそこで暮らしていたが、子供がいることを、知る者がいなかった。
 街長は夫婦の遺体を焼いたが、困った。
 
 その子をここまで連れてきたものの、部屋の隅で毛布に包まってじっと動かない。
 せめて汚れた体を何とかしたいのに、風呂にも入ろうとしない。

「お前、名前と年は?」
 子供は前髪で覆われた顔を上げ、髪の隙間から俺の顔を確認すると、碧の瞳が覗いた。
「……セイレン……四歳」
 セイレン、ねえ?
 流行りの名前だったっけ?

 汚れを落として小ざっぱりとさせると、銀色の髪が現れていた。
 藍緑じゃない、碧の瞳で俺を見る。
 両親が人目を避けた理由は恐らくこの見た目だろうと容易に考えつく。
 銀の髪と、緑の瞳は、メルクリオス家だけに現れるものだから。
 にしても、セイレンがよその子になってるだと?

 念のため街長に訊くと、両親は明るい茶色の髪と瞳をしていたらしい。
 
 俺が“繰り返す”時には、既に真っ赤に染めた後だったから、銀のままなのを見るのは何時ぶりだろう。
 どうやったのか、瞳の色まで変えていたし。

 そんなに、俺の子でいるのが嫌だったんだろうか……。
 
「銀色なんだな」
 セイレンの髪に触れると、びくっと体を強張らせる。

 しかし、なんだな。
 こいつがこんなんだと調子狂うな。
 世の中皆敵、と暴れまくってる姿の方が記憶に新しい俺には、目の前のガキが本当にセイレンなのか、自信を失ってしまう。
——セイレンはおどおどと俺を見ている。

 ……っ!なんだ、その目は!
 怯えた小犬みたいに、うるうるする瞳を見ていると、悪戯心が湧く。
 ぷにっと、頬を指で突ついてみる。
 息を飲み、涙目で俺を見る。
 なんだ、その顔可愛いな。

 ぷにっ、ぷにっ。
「なっ、や、」
 突つかれた頬を腕で庇いながらも、その場からは離れようとしない。
 おもしれ。
「クリストファー様、何時までも子供で遊んでないで下さい」
 サーラに怒られてしまった。

「あ、言い忘れてたけどお前、今日から家の子ね」
「えっ?」
 セイレンは俺の目を見ると、困っている。

 あぁ。
「別に親子になろうとは思わんよ、食う所と寝る所を提供するだけだ」
 そう言うとセイレンは、
「ありがとう……ございます」
 と声を絞り出す。
 こいつの声で発せられた、ありがとうがひどく嬉しくむず痒かったので、髪の毛をくしゃくしゃにして頭を撫でてやった。

 家に着くとセイレンはイーラたちに寄ってたかって大歓迎された。
 俺に助けを求めるような視線を送られるが、俺はそいつらには敵わない。
 放置。
 頑張れ。

 うぉっ、泣きべそかいてやがる。
 こんなに可愛い表情(かお)が出来るんじゃないか。
 罵ったことしかない息子が、可愛くて仕方無い自分が恐い。

 別に強要した訳でもないのに、勉強をしている。
 気楽にやればいいのにと、一応伝えたら笑った。
 まあ、なんだな。
 こいつはこいつで居場所を作ろうとしてるんだろうな。
 字は読めるらしく、暇さえあれば書庫に籠ってやがる。

 んー。やっぱり今までの奴と違っていて気持ち悪いなあ、とも思うが。
……もしや、俺が親だったのが諸悪の根源なのか?
 俺か!
 そっか、良かったな、セイレン……
 何だろう、悲しくなってきた。

 さて。
 
 ラドスは俺が生まれた時から、うちにいた爺さんだったはずだが、今回は庭師でアルラとイーラの兄貴だったらしい。
 細君はアルラとサーラの姉で、スーラ。
 少し前に身重の細君を遺し、流行病で亡くなったらしい。
 
 らしい。
 
 全て、今までにはなかった、初めての配置——なんだが、俺にはまず、若いラドスの姿が想像つかん。

 その細君——スーラが出産するに当たって家で暮らしていた。
 メアリの部屋。
 そんな記憶はさっぱりあるはずも無いんだが、俺が了承したのなら仕方ない。
 
 三人のはずだった侍女が、四人に見えていたのはどうやら幻では無かったようだ。

 セイレンがスーラの出産に立ち会いたいと言い出した。
「スーラの許可は貰ったんだろう?なら、邪魔にならないようにすればいい」
 
 くっ、くっと何度も頷く姿は鶏に見えた。
 しかし、なんだな。
 なんだってそんなもん見たいんだろうね。
 これもまた、変化の一端かと思うと無下にも出来ないか。
「ま、頑張れや」
 と、セイレンの髪の毛をくしゃくしゃにして頭を撫でてやった。

 しばらくして、スーラは女の子を生んだ。
 スーラは難産で、命を落とした。
 躊躇なく生まれた子を引き取る。
 そういえばラドスの娘はサーラだったなーとも思ったが、もういることだし。
 俺の子にしとこうとミリアと名付けた。
 メアリが生んだ俺の娘の名。
 それにしても……まだメアリに会ってもないし、初冠も迎えてないのに、二人の子持ちになってしまったよ。

 セイレンは良い子だ。
 遠慮がちだが、ミリアの面倒もよく見て、仲睦まじい。
 ミリアが立ち、歩く。
 ミリアの、初めて見る光景。
 しかし、ミリアを見てると、子供ってこんなに泣かなかったっけ?と違和感は覚える。
 セイレンの時はどうだったっけ?と、考えるが、記憶にないな。
 けど、仲良き事は美しき哉。
 平穏なら、良し。

 そんなある日、ミリアが怪我をした。
 珍しくセイレンの足に戯れて来たらしい。
 ブーツの装飾が、ミリアの額を切った。
 額からとくとくと流れ出る真っ赤な血。
 真っ青に、動揺するセイレン。
 ミリアは死ぬのか?
 ?
 いや、死んでない。
 生きてる。
 生きてる!

 三日間の昏睡状態から目を覚ましたミリアに、俺は思わず抱きついた。
 ぐっと熱くなる目頭。
 ——泣くもんじゃないよ。
 ……?
 ミリアがセイレンを探して「にいにい」と頻りに言う。
 俺はミリアを抱っこして、セイレンの部屋に連れていく。
 動揺しすぎて、セイレンへの配慮を後回しにしちまった。

 親を亡くし、親しかったスーラも早世して、まだ子供なのに、セイレンは死に近すぎるのに。
 親との死別は、年を食っても辛いのに。
 ……?

 セイレンの部屋の前で、ミリアは俺の腕から飛び出す勢いで扉に手を伸ばす。
 なにか察しているのか?
 ぺちぺちと、扉を叩く小さな手。
「にぃ!にぃ!」
 と、仔猫のような声をあげる。
 
 ようやく開かれた扉に、滑り込むようにセイレンに抱きつくミリア。

 恥ずかしそうに俺の顔を見て、ミリアを抱き締めるセイレンに、ああ、今度はちゃんと変わったんだな、と感じた。
 
「ミリア。もうちょっとだけ、セイレンといてくれや」
 安心しきって眠りに落ちたセイレンと、しっかりと抱き締められて困っているミリアを抱え、ベッドに運んだ。

 ん。セイレンは良い子だ。
 少しずつ子供らしさを取り戻している。
 ミリアは……いい子なんだけどさ。
 なんだありゃ?
 踊りか?
 ?……体操?
 子供部屋で時折、ふんぬふんぬと、両手を広げている。
 アルラたちが、心配して俺に言ってきた。
 セイレンが学校に入って、寂しいのか?
 九十日も会えないもんな。

 そんなとき、役場に不思議な子が現れた。
 母を亡くして、叔母と届けを出しに来た少年。
 記憶よりは幼いけれど、この子はセイレンに殺される少年ではないか?
 そして、この叔母も、何度か見た。
 二人が並んでいる姿は、初めてだけど。

 少年は就学前だと云うのに、字の読み書きが出来てる。
 迷いなく、ペンを滑らせる少年。
 驚く、叔母。
 
 俺の顔を見て、酷く驚かれたのには、ショックだけど、家で働くか?と誘ってみた。
 セイレンの事を考えると、不安もあるが、ミリアの遊び相手に丁度いい気がした。
 何故だろう?
 それにしても、家はいつから施設になったんだ?
 ま、いっか。

 少年は、ラウノといった。

 ラウノを雇った初日だった。
 正直、その日、ミリアとラウノが何をしていたかは知らない。
 ミリアを見ていたイーラの話だと、二人して書庫に籠っていたらしい。
 そこに、セイレンが学校から帰ってきた。

 ラウノが帰り際、俺に挨拶をしてきた時、ゆらっとセイレンが現れた。
 セイレンの手には、何処からともなく生えたようなナイフがあって、赤い光を放っていた。
 その照り返しで、セイレンの髪が赤く染まる。
 
 迷いなくラウノを刺すセイレン。
 ラウノの腹に飲み込まれるナイフ。
 ——その瞬間。
 ラウノを白い光が包み、消えた。
 なんだ?
 呆然とするセイレンを、俺は抱き締めることしか出来なかった。
 


 

<p>04;白河流れる胸中の澎


米を炊いた匂いが鼻をつく。
味噌汁の匂いってやつぁ、なんでこう落ち着かね。
ここに、家の鰯揚げやら、しんじょやら、山葵漬け添えて……なんか、酒のアテみたいだな。

 明るくなったカーテン越しの光に目を覚ます。
 丸一日なにも食ってないだけで、こんなに飢えたっけ?
 仕事中なら苦にもならんのに、食えないと分かった途端これだ。
 人間てのは、ホントに弱いもんだ。

 んー明日まで飯抜きなんだよな。
 なにすりゃいいんだ?

 床頭台には、スマホと財布と腕時計。
 荷物はお袋が持って帰ったのか。
 スマホ見るの気が重い。
 何日見てないっけ?
 手に取ると、充電切れ。
 ま、いっか。
 今日は一日ごろごろしていよう。

 と、思ったが、午前中は巡回診察やらなんやらでつぶれていた。
 そういうもんですね。
「点滴は明日まで入れましょうね」
 また、見知らぬ看護師。
「スマホ充電できませんかね」
 と、聞くと充電器を貸してくれた。

 間崎から鬼電、鬼メッセが入っていた。
 まあ、電話は一件の留守電を除いては着信だけだし、メッセは『勢雄さーん。元気ですかー』と、短いものばかりだった。

 ふと、看護師のブラウスの事を思い出して、間崎になんか持ってこい、と送った。
 あの場にいたということはゲームは好きなんだろうし。
 会場で配ったもの、でも言っとけば、受け取って貰えるだろう。
 ブラウスと、透明な板とかじゃ釣り合わんかもしれんが。

 に、しても暇だ。
 動き回る気にもならんし、どうすっか?
 と、普段はやらないエゴサをしてみた。

 ……まじか。
 全く報道されてねえ。
 はあ……俺も落ちたもんだ。
 ゲーム屋のHPも、『出演者急病の為、イベントは急遽中止となりました』と、あるだけだ。
 なんか、複雑な気持ちになってきた。

 要らんことはするもんじゃないね。

 ……『デイムメイカー』公式サイトのバナーが目に留まって。
 何気なく押してみた。

 タイトルと共に流れるBGMが思いの外大きく、慌ててボリュームを下げる。
 PVで描かれている町並みは、ヨーロッパと云うより、日本だな、と思う。
 明治や大正のレトロなイメージ。
 煉瓦や路面電車……
 パンタグラフがないのは……よくある、見映えってやつなんだろう。

『魔法がない世界で、あなたはどう奇跡を起こす?

 ——何をするのもあなた次第。
 十八歳までの十年間。
 わたしは、どんなわたしになれるかしら?

 運命も、愛も、未来も。
 ——すべては自分で掴み取る
 わたしの人生は、わたしのもの。』

 なんだそりゃ?

 それから、キャラクターたちが現れる。
 ヒロインと書かれた、黒髪の少女の顔は影で隠れている。
 黄色や、茶色、深緑や紫の頭のキャラが一言ずつ喋り、名前とCVのテロップが入る。
 へぇー、黄色は赤生くんだったのか。
 あの時(イベント)、いたっけ?
 
『セイレン。CV・石舘二葉。』
 こりゃ、なんともわかりやすい不良だな。
 不良って、死語か?
 本人は喧嘩なんてどこ吹く風、なタイプなのにな。
 ま、いいか。
 
 そのあと無理やり入れられたような静止画のクリストファー。
 CVは、????。
 そう云う扱いなのか。
 声ないじゃん。
 ま、録ってないから当たり前か。

 セイレンの頭が赤い。
 赤い頭がデフォルトなら、俺が見てる白い頭のセイレンは何だろう?
 表情もずいぶん違う。
 ……職業病?で片付けて……いや、片付ける。
 職業病だ、うん。

 寝よう。

——

 もうすぐ、セイレンが十七歳になる。
 二十歳まで学生出来るんだから、もっとゆっくりすりゃあいいのに、卒業するんだと。
 今までは家出期間中で、やつの将来なんて知らなかったが。
 さて、今回はどうしてくれよう?

 ……そうだ。
 生活基盤の考案部門を独立させてみるのはどうだろう?
 部門って云っても、俺が役場の仕事の片手間で考えていたことを、各種職人に割り振っているだけだ。
 別に役場の中に無くても良いんじゃないか?
 どうせ俺一人でやってるんだし。
 
 そういや——前は役場にマーリアが入ってきたんだっけ。
 いつの間にか、二人で仕事するようになって、彼女と結婚することになった。
 
 祭りのような、白いドレス。
 あれは何の意味があるのか?
 マーリア……
 ここにも来るんだろうか?

 ……取りあえず、役場の登録業務に必要な手順書を拵えて、任せるやつを決めよう。
 アルラがやっても良いだろう。
 ラドスがいたら任せるんだけど、死んじまってるから仕方ない。

 役場の外に職場を設けると、何を嗅ぎ付けたのか入れ替わり立ち代わり、お嬢さん方がセイレン目当て……ついでに俺にも集ってきた。
 一応、独身だからか。
 めんどくせぇ。
 軽くいなして、ミリアの卒業を待つ。
 ……て、ミリアも十五で卒業かよ。
 まあ、十三で卒業出来たのを本人がごねて、十五までいたんだから仕方ないか。

 お前ら、優秀過ぎん……?
 もしや、俺の血が入ってないからか!
 そうか!!
 やだ、悲しくなってきた。

 ——けど。
 思った通り、息子(セイレン)(ミリア)も働き者で、嬉しい限りだ。
 全く、楽しいねえ。
 
 ここに、(メアリ)も居てくれたら言うことなし、なんだけど、多くは望むまい。
 死ねる(当たり)なら、それで良い。

 ——マーリアが現れた。
 今まで会ったマーリアより大人な、二十歳。
 ミリアと仲良くやっているが、なんだか落ち着かない。
 セイレンも、不安そうだ。

 そして。
 家に押し掛けて来たマーリアが、虚ろな目でミリアに殺意を向け、手を伸ばした。

 あんなに泣かなかったミリアが、泣いた。
 吐きながら泣いた。
 翌日、ミリアは昏睡状態となった。

 なんだか外が騒がしい。

——

 あー。
 あーたーらしい、あさがきたー。
 希望の朝なんだろうか?
 
 それにしても、今朝もメシのにおいで目が覚めてしまった。
 ほんと、仕事中ならどんだけ食べなくても平気なのにな。
 へんな話だ。

 今日も食えないことだし、ご時世的に無理とは思うが、煙草吸えねえかな?
 よし、探索してみよう。
 ……点滴邪魔だな。

 喫煙室を探してうろうろしてたら、談話室なんてもんがあった、が当然禁煙。
 ったくよ。
 
 おや……中学生か?
 なんか、車椅子でもぞもぞしてやがる。
 あー、車椅子の下に、なんか転がってるな。
 あれを探してるのか?
 
 どうすっかなー。
 ま、このくらいの歳の子なら、俺のことなんざ知らんだろう。
「お嬢さん、どうなさいましたか?」
 役者モードで声を掛ける。
 やだね、見栄っ張りで。
 
「しぇ、しぇおさん……?」
 車椅子の少女が、震えながら口を開く。
 ご存知でしたのね。
 よし、大奮発だ。
 
「……おや。あぁ……こんな可愛いお嬢さんに、お見知りいただけるとは——光栄の極みでございます」
 
 ぼーっと、してくれてる少女に、俺もまだまだいけんじゃね? なんて身の程知らずな事を思ってしまった。

「あ、あたし、『だいこうかいものがたり』のキャプテンが大好きなんですぅ……」
 と、キラキラした目で言いやがる。
 
 ん?でも、
「あれ、お嬢ちゃんが生まれる前だろ?」
 俺が、洋画の次にうっかり受けてしまって、うっかり人気が出たアニメ作品。
 二十年は前だぞ?もっとかも知らんが。
 聞けば、母親の影響だと。

 ファンだと言いながら要求がないことに気付いて、いい子なんだろうな、と思った。

「勢雄さん!ここにいたんですね!」
 主任さんに声を掛けられる。
 ブラウスの看護師を見ないな。
 お礼をちゃんとしたいのに。
「勢雄さん、検査です!」
 あーお袋が予約したやつか……
 一体何を、予約したのか、考えたくねーな。

 ……疲れた。
 ったく、お袋のやつ。
 なんで、頭部MRIや、肝臓まで検査してんだよ。
「ついでですから、らしいです」
 ついでって……病院のやつ、暇なのか?
 ま、仕方ないか。
 親父の死んだ歳に、息子が血吐いたら気が気じゃねえよな。
 悪いことした。

 部屋に戻ればベッドの上に、
『兄貴、誕生日おめでとう!ほんとは日曜日渡すはずだったんだけど、使って』
 と、書かれた包みがあった。
 章華、来てたのか。
 開けて見ると、作務衣。
 寝間着代わりに出来るな……って。
 この胸元の、42ってなんだ!
 態々、刺繍で年齢(とし)いれんな!!

——

 ミリアが目を覚ました。
 セイレンは、“別の場所”にミリアを迎えに行ったのだと言う。
 見たこともない白い部屋で、ミリアは一人で眠っていたらしい。
 無機質な機械や管やら、器具がつけられていて、ミリアはセイレンを見たのだという。

 そこで、ラウノを名乗る女性に会って、ここが物語の中と聞いて、面影こそはあるが何となく似ていない俺を見せられたらしい。

 知ってる、と思った。
 ——“前”だ。
 
 セイレンとミリアは結婚を決めた。
 まあ、血も繋がってないし、良いんじゃないか?
 寂しい気もしたが、これからも一緒に暮らしてくれるとのことで、ほっとする。
 ほっと……ん。やっぱり今までと違う。
 ちゃんと、終わりに向かってる気がする。

 三人で忙しくも楽しい日々。
 こんなんでいいんだよ。

 そうして、ミリアとセイレンの間に子供が生まれた。
 ミリアが迷うことなく、メアリと名付けた。
「メアリ?」
「ん?……何となく、浮かんだ。ダメかな?」
「いや、良い名前じゃないか」

 俺は、メアリの事を話していない。
 ただただ、不思議だった。

——

 目の前に並べられた、米の気配だけ残す液体。
 匙で掻き回してみても、米粒の姿はない。
「メシ……?」
「二日絶食してましたから、仕方ないんですよ」
 配膳してくれた看護師は、微笑みながらも、なに言ってんだてめえ、な声が聞こえる。
 幻聴、幻聴。
「ですよねー」
 と、極めて明るく振る舞い、液体を掬った匙を口にする。
 ……うめえな、おい。

 思いの外、旨かった重湯を舐めるように平らげ、点滴生活に終わりを告げた。
 腕自体は重だるいが、可動を針とチューブに邪魔されないのはいいもんだ。
 さて、煙草……は、無理だから昨日の談話室にでも行って暇を潰すか。

 談話室の入り口で声を掛けられ、煙草(ヤニ)切れで、ついいらっとしたまま振り返ってしまった。
 いかん。
 貴重なファンの、昨日の少女が怯えとる。
 すまん。
 ジュース買ってやるから、勘弁してくれ。 

「クリス様の子供は一人ですよ?」
 中学生……と思ったら、高校生だった。
 杉田弥依(みい)と云うらしい。
 
 入学式の朝に骨折して入院したとは、気の毒なこって。
 その上、オッサンの話相手までしてくれるとは。
 昨日も思ったが、いい子だな。

「白い髪の兄貴と、出来のいい妹じゃなかったか?」
「白って、白銀って言って下さいよ」
 お嬢ちゃんに呆れられたようだ。
 真剣な顔して、スマホで検索を始めてる。
 今どきの子だねえ。
 
「それ……あ!志山さん!!良いところに!!」
 と、看護師を呼び止める。
 おー。
 あの時の勇ましい夜勤の看護師さんじゃないか。
 私服だ。
 志山っていうのか。
「杉田さん、院内ではお静かに……と、勢雄さんじゃないですか?どっちがナンパしたの?」
「あたし。や、それより、勢雄さん、おかしい!」
 なんだと?
 
「目上の方に失礼ですよ?」
「だって!クリス様に子供が二人って!セイレン様が銀髪って!!」
 志山看護師とお嬢ちゃんは、異なものを見る目で俺を見る。
 
「なんか、違ったか?直近でゲームの仕事はそれしかしてないから、確かだと思うが。っつっても、録音したのは二年は前だけどな」

「あのですね。ゲームでのセイレン様は、赤い髪です」
 そう言えば、PVはそうだった。
 でも、白い頭の方が()()()()()
「分岐とか、別シナリオとかじゃねえの?
 あったっけ?声なしなら俺は分からんが」

 怪訝な顔を見合わせた二人は、
「それ……別シナリオって言うか……」
「別世界……」

 何を言ってるんだ?

 お嬢ちゃんが、真顔になる。
 何度か戸惑いながら、意を決したようだ。
「勢雄さん、スーラって、分かります?」
 スーラ……?ああ。
「ラドスの嫁だろう?ミリアの母親の」
 配置換えのあった後の話に出てた。
 ……あれ?配置換えって、なんだ?

 嬢ちゃんと志山看護師は、こそこそと話している。
 
「それ、ゲーム公式の設定じゃないです。まず、クリスの……メルクリオス家の使用人に名前はついてません」
 メル……?そんな名字があったとは。

そっち(メルクリオス)は公式ですよ」
 嬢ちゃんに睨まれた。
 すまんね。
 
「クリス様の家庭環境は、クリス様がご自分で語るだけで、アニメーションはないんです」
 ん?あ、確かに録ったわ。
 CDドラマ張りの一人語り(長台詞)
 二年は前だしなー。
 忘れてた……筈なのに、動いてるのは……ああ、あれ、夢か。
「じゃあ、イーラとか、アルラとか、サーラとか。ラドス。アイツらは……」
 
「少なくとも、ゲームでは出てこないです。……あ!もしかして、設定資料とかじゃないですか?
 ほら、キャラとか世界観とかの?
 声優さんとかなら表に出てない情報を知ってるってことないんですか?」
 お嬢ちゃん、なんか楽しそうだな。

「俺、そういう資料で深掘りするのメン……タイプじゃねーんだよな。だから、あるかもだけどしらん。
 台本と現場のノリ。
 あとはディレクションで補完、でなんとかなんだよ」
 あ、がっかりしとる。
 夢を壊してしまったかな?

 黙って話を聞いていた志山看護師がおずおずと挙手する。
 なぜ?
「あの……図らずも、私もその夢を見たみたいなんですよ。ゲーム中で殺される子視点で、クリス様に会ったんです」

 ふうん。
 あ。

「……殺される子って、まさかラウノか?」
 志山看護師は、目をまん丸にしている。
 落ちるぞ?

…………

「……まあ……私も実際、仕事中この病院でセイレン様見るまで、ただの夢なんだと思ってました」
 
 ……セイレンが、話していた話。
 機械、管、器具……病院か。
 
「私の見たセイレン様が消える時、ひとりの患者さんが亡くなったんです。患者さんの胸がきらきらと光って。その光を愛しげに抱き締めたセイレン様が、天使みたいに消えたんです」

 ミリアを白い部屋に迎えに行った……

「んー……その、なんかゲームの世界みたいのがあるとしてよ?じゃあ、クリスがループしてるってのは、一体何なんだか見当つくか?」
 
「ループ?」
「『デイムメイカー』に魔法とかないですよ?」
「魔法かはしらん。黒髪の……ヒロインか?そいつと結婚式やって——巻き戻った?そういや、いつもと違うって思ったっけ?」

 俺か?
 クリスか?

「結婚()は、クリス様専用エンドです。宗教がないから、『式』はないんです」
 嬢ちゃんが神妙に言う。

 白い霧みたいな靄みたいな視界が、光の粒で覆われた。
 いつもと違う。
 そう、クリスが思ってた。
 そうして、配置換えが起こった。

 そうだ。
 スーラはそこにいた。
 

 

<p>05;不条理に向き合う細やかな湃


「勢雄さん!この度は、誠に申し訳ありませんでした!体調が芳しくなかった処を、無理にイベントに出演して下さって……て、あれ?お子さんですか?」

 病院の談話室というのにけたたましく、ゲーム屋の後輩——間崎がやってきた。
 俺にこんなでかい子がいて……いてもおかしくないんだな……はあ。

「俺は独身だ。こんなガキいてたまるか。コイツは……何だ?」
 遊んでる子っていうと、外聞悪いな。
 何て言えば良いんだ?

「失礼だな、ファンデスヨ。あれ?勢雄さん、独身でしたっけ?」
 ファンでいいのか。
 にしても、痛いとこをついてきやがる。

「それこそ、失礼だな。舞台やり始めたら嫁が出ていったんだよ。バツイチだ、悪いか」
 拗ねたように言ってみる。
 俺、幾つだよ。

「……いや、悪くない。
 むしろ、御褒美じゃ?」
 なんだその、不敵な笑みは。
 
「はぁ?大概、おかしいな。お嬢ちゃんも」
 御褒美って、何言ってんのかね。
 
 高校の十年後輩という、薄っすい縁で俺を『デイムメイカー』に誘ったゲーム屋……『プロダクション・テルル』の、何でも屋(広報)間崎を嬢ちゃんたちに紹介する。

「あ、そうだ、コイツ。お前のとこのゲーム、クリス()まで落としたんだと」
 嬢ちゃんの紹介がてらにそう付け加えた。
 他に知らんしな。

「え?クリスを見つけたんですか?!あー!もしや!隠しサイトのカウンター昨日回したのって、君?!」
「ふふん」
 嬢ちゃんは得意気にスマホの画面を見せている。
「うわっ!ほんとだ。このページにたどり着いてる!!へえ……クリス推しなんているんだ」

 どんなゲームなんだ?
 それになんか、(クリス)に失礼じゃないか?間崎くん?

「だって、勢雄さんがお声ですよ?モブなわけないじゃないですか?そりゃあ追っかけ回しましたよ」
 でた。

「え?もしかしてプレイ中に気がついたの?この間のイベントが初解禁だったのに??……あー!!こっちはあの時の看護師さんだ!!その節は大変お世話になりました。あのっ!心ばかりでございますが、こちらをどうぞ、お使いください」
 お?ちゃんと用意してきたな。
 偉い、偉い。
 
 会社のロゴの入った袋を、志山看護師に差し出したが、
「こういうの、受け取れないんですけど……」
 やっぱり遠慮するか。

「存じております。けれど、先日のイベントで、お客様全員に配布したグッズなんです」
 上手い、でかした。
 きらん、と志山看護師の眼に光が入った気がした。

「お土産ですか。そういうことなら、ありがたく受け取らせていただきます」
 早速、袋の中を物色する志山看護師を、嬢ちゃんが羨ましそうに眺めてる。
 あー……しくったかな?
 すまん、嬢ちゃん。
 
「はい、これ」
 志山看護師は、袋の中から幾つかのグッズを取り出し、嬢ちゃんに渡した。
「クリス様!?え?良いんですか?」

「もちろん、こういうのはね、好きな人の元にあるのが良いのよ。わたしはセイレン様があれば良いから」
 仲良く分けあってやがる。
 良いことだ。

「ねえ他のも見せて貰えますか」
「どうぞ」
 二人してきゃっきゃっとして。
 うちのお袋と妹みたいだな。

「凄いですね、このアクスタ。ちゃんと石が埋め込まれてる」
 嬢ちゃんの呟きに
「気がついていただけましたか!」
 間崎が答える。
 ポカンとする志山看護師に、嬢ちゃんが語り出す。
 
「攻略キャラには、それぞれ石があって、プレゼントされる物についてる……って!志山さん……まさか、集めてないんですか?クリス様以外の石を集めなきゃ、セイレン様エンド、見られませんよ?」

「え?世界の経済を破綻させ、貧民街を出現させ、彼と出逢い、交流し、貧民街から連れ出し、教育を施し、紳士として洗練、の他に、まだやることあったの?!」
 なんだ、その乙女ゲーム。
 それ、乙女ゲームか?
 おい、間崎……って。
 ダメだ、話に夢中になってやがる。

「石集めて、真ん中の街、“テルル”を発現させなきゃ、ダメですよ」
 あー、それで真ん中のテルルって、途中から具現化すんのか。
「だから、クリスはセイレンを“テルル”で見つけるのかな?」
 なんか、繋がった気がして口を挟む。

「え?え?なんのことです?
 “テルル”って。真ん中の街に名前はありませんよ。
 そう仮称してた時もありますけど?
 それにセイレンを見つける、って何ですか?」

 間崎は不思議そうに答えた。

「あー、その……夢かなー」
 嬢ちゃんたちとしゃべってるノリでうっかり、口が滑った。
 間崎になんて説明すんだよ?
 
「そんな、二次創作な夢を勢雄さんが見られるとは思いませんでしたよ。
 うちのゲームの二次創作なんてみたことないですけどね」
 そっちかね。
 俺は何気なく、嬢ちゃんに視線をやった。
 俺に気付いた嬢ちゃんが、親指を立てる。
 おい。
 
「志山さん、石。ブルーナくんには貰ったでしょ?川原の石」
「あー、貰ったねぇ……で……指輪貰うんだよね」
「あ、貰っちゃったんだ」
「え?割とすぐくれない?」
「指輪貰ったら、そうですね。他の攻略は出来ない仕様です。多分」
 嬢ちゃん、得意気だな。
 志山看護師の落ち込みがひどいぞ?

「女の子はハーレムより一人のヒトに大事にされたいって……選ばれるだけじゃなくて、選びたい。自分で切り開きたいって……」
 間崎が、ぽつりと口を挟む。

「誰が言ったんだ?」
 何故だろう?
 興味が湧く。
 
「……派遣さん、です。このゲームのプロジェクトが立ち上がる前に、カスタマーサービスに来てた派遣さん……」
 へー。
「社員でもないのに、アイデアが採用されたのか」

 俺が聞くと、間崎は首を振った。
「採用とは、違います。プレゼンをしたわけでもないし。プロジェクトも立ち上がる前ですし」
 言いにくそうに間崎が言うと
「アイデアだけ横取りしたの?」
 嬢ちゃん、若い子はストレートだねー。

「違いますよ!彼女の言ったことはもっとふわっとしてて……想像の世界が別世界のトリガーになればとかなんとか……でも……結果的にそうなのかな……」
 間崎、言いにくそうだな。

「で、その方は?」
 志山看護師が、冷静に聞く。

「契約が切れて……退社しました。あ!私は社員登用に推薦はしたんですよ!!目の付け所が面白いし、何より真面目だし……でも……年齢が……ちょっと……上だったんですよ……」

「年って、仕事じゃなくてか」
 まあ、わからんでもないが、俺らより世間は世知辛いんだろうな。

「仕事は早くて、段取りが上手い。目の付け所も斜め上。研修に来たアメリカ人と、頑なに日本語で話すような豪胆さ……」
 思い出すように、ぽろぽろと止まらない間崎。

「外人さんが、日本語を話せたとか?」
 そういうこともあるか。
 嬢ちゃんが尋ねた。
 
「出来ません。でも通じてるんですよ。私は英語が少し得意なので、彼らの通訳をしていたんですけど、必要ないくらい会話してました。英語はからきしなのに、筆記体が妙に上手くて、そのアメリカ人に代筆を頼まれたりしてたみたいです」
 なんだそれ。
 あり得るのか?

「それで、ゲームでの共通語が筆記体表記なの?」
 志山看護師が訊ねた。
 ラウノが志山看護師だとしたら、だから就学前に字が書けたのか?
 ……って、それじゃあ、まるで俺の夢にもラウノになった志山看護師がいたみたいになる。
 ご都合主義も甚だしい。

「公式設定ではないはずなんですけど……そうですよ?よく気付かれましたね。で、ゲームが出来たら送るって言ったんですけど、携帯型ゲーム機は老眼で字が読めないから遠慮するって、さとーさん……」

 その名前を聞いたとき、志山看護師がびくっとした。
 何かを察した嬢ちゃんが、
「では、ゲーム屋さんは一文惜しみの百知らずって事ですね」
 無邪気だな。
 てか、それ高校生の語彙か?

「耳が痛いな……でも、多分そうだと思うよ」
 間崎が呟いた。
 
——

「びええええっ!」
 メアリが泣く。
 
 だよなー。
 赤ん坊って、ちょっとしたことで泣くもんだよなー。
 
「ちゃんと見てて下さい。なに泣かせてるんですか!」
 父親面のセイレンに叱られる。
 父親だけど。
 セイレン、俺に当たりが強くないか?
 
 くすくすと笑うミリアに、メアリを渡す。
 ミリアの腕の中で、ごくごくとミルクを飲むメアリ。
 腹が減ってたのか。
 
 親子三人、寄り添う様子が微笑ましい。
 俺の子育てなんて……
 どれくらいぶり、って言えるんだろう……
 セイレンの赤ん坊の頃か……
 
 今のミリアは、先ず泣かなかったし、アルラたちが面倒見てたしな。

 そんなアルラたちも所帯を持ったことだし、メアリは俺らで面倒見ることにした。

 幾度となく繰り返される、ラウノ殺害。
 その前の……?あれは、なんて言えば良いんだ?
 ……ま、いっか。
 取りあえず俺は、二十七で見事お爺ちゃんになったわけだ。

 ()なら……
 セイレンが、ラウノを殺して右往左往してた年齢か。
 やっぱり、今回は、今までとは違うんだろうな、きっと。

 腹が満たされ、すやすやと寝息をたてるメアリを見ながら、今回ばかりは、失うのが嫌だな。
 そう思った。

——

 あー。
 朝だ。
 二十七で孫とか、スゲーなクリス。
 
 寝ぼけた頭は、虚構と現実に曖昧な橋をかける。
 
 ……いや、ねえだろう。
 俺は一体いつまで、自分のキャラクターの夢を見るんだ?
 そんなに仕事熱心だったか?

「勢雄さん、早いですね。朝ごはん取りに行ってくださいねー」
 と、元気よく入ってきたのは志山看護師だ。
「夜勤明けだろ?元気だな」
「そりゃそうですよ、あんなお土産頂いたんですもの!元気にもなります」
「そうか、良かったな」
「はいっ!」

 おおー!今朝の粥には米がいるぞ。
 くたくたになってるが、随分とご無沙汰な気がする。
「週明けには、退院できますよ。ご家族に連絡はどうします?」
「自分でします。ありがとうございます」

 腹一杯とは言いがたいが、久しぶりの固形物に胃が動くのを感じる。
 食器の乗ったトレーを下膳すべく、廊下に出る。
 
 ……階段の、踊り場。
 お袋じゃねえか?何してんだ?
 一緒にいるのは、見覚えの無い女性。
「あ、よっくん!」
「勢雄様っ!」
 様?誰?

「あなた、高校生ナンパしたんですって?」
 開口一番のお袋。
 聞き捨てならんな。
「はあ?何言ってんだ?」
 
「お初にお目にかかります。わたくし、杉田弥依の母でございます」
 杉田……弥依?ああ、あの車椅子の嬢ちゃんか。

「入学式にも出られず、腐っていた娘ですが、『デイムメイカー』をクリアした上、長年憧れていた勢雄様にお会いした上、構っていただいた事ですっかり元気になりました。退院はまだまだですけどね。ありがとうございます」
 矢継ぎ早に畳み掛ける。
 元気な人だ。

「いえ、話し相手になってもらったのは、こちらも同様です」
 と、ちょい気取って応対する。
 この母にして、あの子あり、なんだろうな。
 ……お袋、笑うな。

 何だかんだで、いつの間にかSNSの連絡先を交換することになっていた。
 何でだ?
 
「元気な方ねぇ。うちにも昔、来たことがあるんですって。それで私に声をかけてきたみたい。あれだけ元気で嫌みにならないって、人徳よねぇ」
 なんて、お袋に言わせるんだから、大したもんだ。

 週明け退院出来ることをお袋に告げると、使わなそうなものを纏め始めた。
 仕事早いな、お袋。
 
「ところで、よっくんの作務衣。何で42なの?」
 と、聞いてくるってことは、妹夫婦の単独犯か。
 夫婦に言うのは変か?
 や、あいつらはお神酒徳利だ。
 
「お宅の娘さんの仕業ですよ。誕生日プレゼントなんだと」
 お袋は、はっと顔色が変わった。
「か、帰ってきたらご馳走作るわねっ!」
 ……忘れてやがったな。
 いっけどさ。
 なにか食べたいのがあるかと聞かれたので、鰯揚げが食いたいって言ったら、もっといいものでいいのに、と嬉しそうに微笑んだ。

 お袋を見送りがてらに、もはや日課になってる談話室に顔を出す。
 いた、いた。
 手元のスマホに夢中で、俺に気付いていない。
 ん?
 そぉーっと、後ろから近付いて、イヤホンを外す。
「……さあ、行こうか。君の望む未来へ」
「どわあっ!びっくりした!耳元は卑怯です!」
 驚きすぎじゃねーか?
 
「……お嬢ちゃん、ホントに好きな?そのゲーム」
 俺が呆れて聞くと、
 
「だって、勢雄さんですよ?!好きですよ!」
 食い気味に言ってくる。
 本人の前で、臆面もない。
 若さって良いねー。 

「で、勢雄さんはまた一人で寂しく談話室にあたしに会いに来たんですか?」
「嬉しかろう?」
「嬉しいです!」
 俺にもあったのかねー。
 こういう時。
 あったかな?
  
「俺、来週、退院が決まったから」
 勢いで言う。
 ……。あ。

「……そ、そうなんですね。これで、お仕事バリバリ出来ますね!何から始めるんですか?やっぱり舞台ですか?アニメとか、ゲームなら嬉しいなあ。あ、それとも時代劇?テレビとか?映画とか?あ、ハリウッドとか?あたしが見られるものにして下さいね。そうじゃなくても見るけど……」
 
 あの親にして、この子ありなのか。
 でも、こんな顔させてるのは、俺なんだろうな。


「……泣きながら言ってんじゃねーよ……」

…………
 
 何で、俺の服で鼻かむかな。
 
 ——ま、いっか。
 
 

<p>06;血湧き肉躍る面壁


「クリス」
 甘い少女の声と、指が頬を撫でる感触で、微睡みから覚醒する。
「……ん」

「お・じ・い・ち・ゃ・ん」
 酷い。

 メアリは、俺を誘惑する。
 齢十八の小娘に翻弄される。
「セイレンに叱られるぞ」
 ぷーっと頬を膨らます。
 すかさず、頬を指で突き空気を抜く。

 ソファーに横臥している俺の上に、子供のように横たわるメアリ。
 俺はお前の揺り籠か?

「淑女の格好じゃねえな」
「クリスこそ五十(紳士)の言葉遣いじゃなくってよ」
「まだ五十じゃねえ。こちとらずーっとこの言葉遣いでな」

 じっと、見つめていたメアリが、唇を重ねてくる。
 そっと……震えながら、触れるだけの接吻。

「……で、どうすんだ?」
「お嫁さんにして」
「馬鹿か」
「ちょっとくらい、戸惑ってよ」

 あのな、お前の親父(セイレン)はいくらミリアに腑抜けてても、どっからともなくナイフ出す奴なんだぞって言ってやりたい……。

 俺はもう、いい加減死んだって良いけど。
 俺が死んだら、お前が泣くだろ?

 ……いつの間にか、腹の上で馬乗りになってやがる。
「爺誘惑してんじゃねーよ……」
「誘惑されないくせに、糞爺」

 俺が居なくなったら、お前が泣くだろ?

 今まで俺は、俺が居なくなった後の事なんか考えたことなんて無かった。

 巻き戻ってしまったことに手一杯だったし、なにより戻るのは、セイレンがあの少年——ラウノを殺した時だった。

 そのまま(とび)出したセイレンを探し回って、家が大変なことになって……

 ぺちっ。
 両頬を挟まれる。
 こいつ、まだ馬乗りのままか。
 腹の上に乗っかられてるのに重さを感じてなかった。

「何で、真剣な話してるときに上の空なのよぉ……」
「真剣な話?」

 息をのみ、涙が零れるのを堪えている。
 何か今のセイレンの餓鬼の時みてーだな。
 よく似た親子だ。

 はあ……どうすっかな。
 ままよ。

 俺はメアリの後頭を片手で押さえ込み、口付けた。
 もう片方の手で下顎を押し口を開かせ舌を捩じ込む。

 ばたつくメアリを注視しながら、舌を動かす。
 突然の俺からの反撃に胸を拳で叩き抵抗としているが続けてやる。

「どうすんだ?」
 口を離して、脅すように聞く。

 俺の腹の上で、手の甲で口を押さえるメアリの、荒い息遣いが響く。

 メアリは、俺の襟ぐりを掴もうと指を伸ばしてくる。

 はあ……とどめを刺すべく手を胸に伸ばし、乱暴に掴んでやる。
「……きゃ」
 驚きに体が後ずさった瞬間、メアリの腰を抱え上げ俺から下ろす。

「やんねーよ」
「……っ!」

「爺で遊んでんじゃねーよ」
「く、糞爺!」

 メアリはとうとう、ぼろぼろと涙を溢しながら部屋を出ていった。

 これじゃ質の悪い破落戸だ。
 そうは思うが、そのまんまソファーで目を閉じ……たかった。

「で、クリスが頑なにメアリを拒む理由はなんなのかしら?」
 午睡(ひるね)を邪魔するのはお前ら母娘の趣味なのか?

「年だろうよ。ミリアは愛娘が三十近くも年の離れた爺から、手篭めにされて平気なのか?」
「アイガアレバトシノサナンテ」

 まじか。

 産まれたときからの付き合いだが、こいつの捌けっぷりは未だ謎だ。
 俺と血縁が無いって分かった時も、そう、で?位のもんだった。

「メアリは本気ですよ?」
「本気なら何やってもいいってもんでも無かろうよ。いずれ泣くのは目に見えてる」

「既に泣かせてるではないですか」
 ぐっ、痛いところを突いてきやがる。

「クリスが先に死ぬからですか?」
 二段突きかよ。

「それも……まあ、いいや。そういうことにしとけや」
 それが、当たり前に一番正当な言い訳になりうるだろう。
 
「わたしは五十も下のセイレンと幸せですよ」

 ——はい?嘸や阿呆面をしていることに自信がある。

 ミリアは俺を見据えてただ微笑んでいる。
 ?どう云うことだ?

「……いや、何でもない」
 ミリアの話を聞けば、俺の事を話さなきゃいけない。

 話の真偽もだが、メンドくさいが先立つ。
「クリスの秘密を聞かせてください」
 じーっと俺を見据えてくる。
 逃す気は無いらしい。
 母の、強さか?
 
「……はぁあ」
 こうなったら腹を括るしかねーか。

…………

「“繰り返す”ですか……」
 俺はソファーに寝転んだまんま、他人事のように物語ってやった。
 信じて貰おうなんてこれっぽっちも思ってない。

 突拍子のない嘘を付いてでも、メアリを相手にしたくないとでも取られれば本望だ。
 横目でミリアを見ると何だか考え込んでいる。

「この前はマーリアと結婚式してたな」

 ほら、妄想爺の戯言だ、とばかりに吐露する。

「結婚“式”?」
 そっちが引っ掛かるんですね。
 そういや、式ってなんだっけ?

「マーリアは白いドレス姿でベールをして、花束持ってたりしました?」
 ミリアの質問に、俺は身を起こす。
「なんでそれを……」

「繰り返しの時はセイレンが赤い髪だったり、わたしが死んでいたり、——マーリアが居なかったりしたのではないですか?」
 ミリアの言葉に度胆を抜かれる。

「ミリアも繰り返してるのか!」
 すると、ミリアは首を横に振る。
「わたしのはそれとは違います」

…………

 ミリアの話は俺より突拍子無かった。
 言ってることの半分は解らなかったけど。

「その生まれ変わりとやらは、俺の繰り返しとは違うのか?」
「クリスは、クリスのまま、体は若いクリスになるんですよね?」
「ああ、そうだな」

「わたしのは別の世界の人間(五十才)が、この世界に赤ん坊として産まれたんです」
 馬鹿な……と、言おうとしたが。

「……じゃあ、赤ん坊の時あまり泣かなかったのは?」
「喧しいですし、別に主張して手を煩わせることもないかと。メイドたちは働き者で、直ぐに察してくれていましたし」
 なるほどね。

「怪我の時、にーにー言ってたのは?」
「あの時、セイレンの様子が可怪しかったでしょう?周章てたんです」
 合点はいく。

「腕をバタバタさせて、ふんぬふんぬとやっていたのは?」
「……?あ!『ラジオ体操』っていう、前の世界の定番体操です」
 あれ、体操だったのか。
 てことは、
「婆か」
 おもきし頬を叩かれた。

 だからと言って、はい、そーですか、と喰うわけにはいかんだろ。
 一応、孫だぞ。
 血の繋がりなんて無いけど。

 …………

「まだ、駄目ですか」
 メアリは俺の腹を、専用の椅子とでも思ってるんだろうか。

「もうちっと、乳がでかくなってから出直してこい」
「クリスがでかくしてくれたらいいじゃない」
「めんどくせえ」

 と。
「いてっ!」
 こいつ、唇を噛んできやがった。
「いつか、クリスから懇願させてやる!」
「おお、頑張れや」

 日に日にメアリに似てくるメアリが、二十歳になった時、俺が元気(いる)なら懇願してみるのもいいかもしれないな。

————

「あたし、初めては勢雄さんて決めてたんです」
 と、言った後に、彼女は周章てて“お酒”を付け加える。
 
 いくら五十になっても、その言い方はドキッとするぞ?
 而立も、不惑も他人事で、天命なんぞ知ったこっちゃないけど。
 分かってるのは、ダメだということだけだ。

 病院で知り合って、もう七年か。
 退院から、直接会うことはなかったけど、折に触れ彼女のお袋さんから画像が送られてきた。
 少しずつ髪が長くなり、幼さが薄くなる画像。
 彼女の母親を通じて、毎公演のチケットを渡していたけど、彼女はそれとは別に自分のお金を払って舞台を観に来ていた。
 何一つ漏らすまいと、熱心にステージを見つめる瞳は、スーラ名義でびっちりと書かれるアンケートに反映されていた。
 それは単なる役者賛美に留まらず、照明音楽や、小道具に至るまで、じっくりと観察されていて共演者たちを唸らせた。
「役者冥利につきますね」
 ああ、そうだなと思った。

 彼女が大学に入った初めての夏休み、彼女の母親からバイトの口利きを頼まれた。
 曰く「可愛い弥依ちゃんを得体の知れないところで働かせたくない」って、事なんだが、
 長期休みの度に泊まり込みで俺の実家(蒲鉾屋)で働いていた。
 生憎、地方巡業と重なる事が多く、顔を合わせることはなかった。
 
 が。
 お袋も、妹夫婦もやたらと彼女を可愛がっていて、商店街でもアイドル扱いだ。

「弥依ちゃんて真面目ですよね」
 居酒屋を営む太朗が言ってきた。
「大学生になれば、ちょっとくらいお酒に興味が出るだろうに、二十歳になっても頑なに飲まないんだよね」
「それぞれじゃないのか?」
「ま、ジンジャーエール片手に海老しんじょに舌鼓打つ様子は、可愛らしくもあるんだけど」
 くっ……、目に浮かぶな。
 
「ところで、勢雄の長男との式はいつなのって、商店街の方々が賭け始めたんだけど、いつなの?」
 妹よ。
 商店街の皆様は暇なのか?
 
「あるわけねーだろ。犯罪だわ」
「光源氏よろしく、幼妻を育ててるという専らの評判ですが、いかがですか」
 おしぼりをマイクのように向けてくるお袋。
 
「……ねえだろ。だいたい嫁に来ても、姑の介護がすぐ待ってんだぞ」
 ごつん。
 お袋……拳骨はねーだろ。
「よっくんのほうが先かも知れないじゃない!」
 そっちかよ。

 そんな彼女が、大学を卒業して、間崎のところに就職した。
 『デイムメイカー』をパズルゲームとしてリメイクするとのことで、新録の依頼に来て、あの発言だ。

 まあ、その前に間崎から打診はあったから、俺の気持ちがただ漏れていたんだろうか。

 会いたい、と。

 お酒を飲みたいなんて、豪語した彼女を、常宿にしているホテルのバーに連れていく。
 就職祝いも兼ねてるからな。
 おっちゃん、奮発しちゃる。
 ところが、彼女は香り付け程度のジュースで眠りに落ちた。
 そのままホテルの部屋に運んだけれど。
 
 止めときゃ良かったよ。

 眠りこけている彼女のスーツを脱がし、俺のTシャツを着せる。
 スーツをハンガーに掛けて、上掛けをかけてやる。

 スマホを取り出し、彼女の母親に連絡する。
「嫁入り前なんだから、手は出さないでくださいね。責任取ってくれるなら構わないけど」
 って……。
 相変わらずぶれない母だ。

 常夜灯のオレンジが、ベッドの彼女を縁取る。
 大人になったと思ったが、まだまだあどけない寝顔。
 苦しそうではないな。
 
 自然と緩む頬を感じる。
 こんな感情……知らない方がよかった。
『祥華さんが、僕以外の人と幸せになって欲しくない』
 と、言った親父を、あの時はただの惚気だと思っていたけど、痛いほど解る。

 誰にも、渡したくないという感情。
 閉じ込めて、誰の目にも触れさせたくない。
 ……くっ、なんてな。
 親父にあった独占欲は、綺麗に見えていたのに、己の独占欲はひどく醜い。

 まだ、子供じゃないか。
 もう、大人じゃないか。

 今ではもう、殆ど薄くなっているけど、それでも繰り返し見る、クリスの夢。
 明らかに、ゲームにはない未来。
 年を重ね、孫に翻弄されるクリスが、否が応でも自分に重なる。
 あいつは、一体どんな気持ちで、孫の相手をしているんだろう。

 くっ。
 なに言ってるんだ、俺。
 あれは夢で、ゲームのキャラで。
 現実というわけでもないだろうに。

 ソファーに深く身を埋め、煙草を取り出す。
 口に咥えて火を点けようとして、彼女のスーツが目に入る。
 ……
 煙草はそのまま、箱に戻す。
「……はっ、ざまぁねえな」

 一人掛けのソファで、目を閉じた。

——

 夢を見た。

 白いワンピースと、ベールを身につけた、クリスの孫がいる。
 母親に手を引かれ、俺に近付く。
 少し老けたセイレンが、カードを見ながら仏頂面でなにか言ってる。
 キョロキョロと落ち着きのない孫。
 夢の中で、孫娘の成長を見届けるとは、全く夢とはいえ奇妙極まりない。
 俺には子どももいないのにな。

 不安げな彼女をよそに、酒盛りに入るセイレンとその細君。
 仲良いな。
 クリスが何か話してるのだろうか。
 俺の方を見て、百面相な孫。

 やがて、すっかり出来あった細君を抱え、セイレンが部屋を後にする。
 酔っぱらっていた細君は、娘を呼び寄せなにかを耳打ちしている。
 俺の方を、ちらりとみて、胸を撫で下ろす……メアリ。

 あからさまに落ち着きのないメアリを抱え、部屋へと運ぶ。
 赤くなったり、青くなったり、慌てたり、落ち着いたり。
 遽しいメアリに、気持ちが凪ぐ。
 真直ぐと、俺を見るメアリの大地の色をした瞳が俺を映す。
 
 ああ、クリスだ。

 混ざり合う錯覚。
 加増する感覚。

「もう、逃げられないぞ」

 言ったことのない、自分の声がした。
 

</div>07;泡沫に揺蕩う南柯之夢


「ねぇ、何なの、これは」
 メアリは戸惑ってる。
 そりゃ、そうだよな。
 説明なしに、白いドレスとベールを付けられて俺の前に連れてこられた。

 子供部屋で、簡単な装飾。
「結婚《《式》》だ」
 そう言って、メアリの手を取る。

 不機嫌な顔色を隠そうともしないセイレンが「些か、不本意ではあるけれどね」
 と言って、メアリには笑顔を向ける。
「幸せになりなさい」
 ホントに、セイレンてば俺の扱いがひどい。

 事情を飲み込めないメアリを置いて、()を続ける。
「クリストファー・メルクリオス。貴方はいかなる時もメアリ・メルクリオスを妻……とし、……共に……生き、……一生っ!何、不自由なく!下僕のように!付き従え」

「何か、違わねーか?……まあ、いっか。あぁ、いつか別れが来るときまで一緒にいよう」
 メアリに向かって言うと、見事に豆鉄砲喰らってやがる。

「メアリ・メルクリオス。いつ如何なる時もクリス・メルクリオスを夫とし、あ、愛せるのか?今なら引き返せるぞ?」
「え?え?」
「セイレン!往生際が悪いっ!」
 ミリアの喝が入る。
 セイレン、私情だけだな。
 メアリはまだ状況を把握できず、呆然としている。
「クリストファー、駄目だってよ」
 何も言えないでいるメアリに便乗して、セイレンは楽しそうだ。

「セイレン!いい加減、覚悟なさい」
 ミリアの怒号に、しゅんとなるセイレン。
「取り敢えず、頷いとけや」
 メアリの頭に手を乗せて促すと、
「あ、はい」
 と、メアリが頷いた。

「待たせたな」
 それだけ告げて、唇を落とす。

…………

「で、結婚は分かりましたけど、この格好はなんですか?」
 白い豪華めのワンピースの裾を広げ、メアリが言う。
 まあ、そうだよな。

「まあ、上書き?……確認?……試験?……研究?検査?詳しくはミリアに聞け」
 やった本人だが、正解なんて知らん。

 ミリアを見れば、いつもの微笑み。
「取り敢えず、酒盛りしましょう。素面で聞いても訳分かんないわよ」
 飲みたいだけだろ、ミリア。

 ミリアはいつものお酒を舐めている。
 メアリはミリアお手製のサングリアワイン。
 セイレンと俺はワインのグラスを手にする。

「さて、何から聞きたい?」
 と、ミリア。

「まず、先程の一連の流れですか。何故こんなことになっているのかお聞かせ願いたいものですが」
 と、メアリは、戸惑ってる俺を睨む。

「うぅむ……」
 ミリア。それ、悩んでる……振りだろ。

「どっから話すんだ?メンド……いや、えーっと」
 話さなきゃいけないけど、どっからどう話すんだ?
「大体、クリスは私を捨てたんじゃないんですか!」
「何だって!」
 話が進まない。
 ミリア、なんとか……酒に夢中かよ。

…………

 ミリアと俺の長い話が終わった。

「別の世界とか、繰り返しとか、生まれ変わりとか……俄には信じがたいのですが……クリスは兎も角、父様まで信じてらっしゃるのですか?」
 なんだそれ。
 セイレンの言うことなら信じるのかよ。

「僕は見て来たからね。別の世界とやらを」

「え?」

「全然こことは違う質感の人や建物。奇妙な器具に囲まれたミリア。死んだ筈の少年。夢だったのかも知れないけど。夢と言うにはその時に見せられたクリストファーの姿絵は今とそっくりだった」

「それで、いつ消えるかも知れないからメアリに手出しできなかったのよね?」

 ミリアが揶揄うように笑いながら、俺のグラスにワインを注ぐ。

「そうなの?」
「それだけでもねーけどな」

「まあ、流石に年齢差もあったみたいだけどね!」
 と、ミリアはけらけら笑いだした。
 酔っぱらいかよ。

 酒宴を終え、セイレンに抱えられたミリアが部屋を出ていく。
 ミリアになにか耳打ちされてきょとんとしている。
 なに言ってんだろ?

「さぁて、俺らも行くか」
 と、メアリを抱える。
「ちょっ……どこに行くんです?!私は母様のように、酔ってませんよ!」
「何処って、部屋だろ?解ってんのか?初夜だぞ」
 さんざん挑発してきたくせに、真っ赤になって肩に顔を埋めてくる。

「もう、逃げられないぞ」
 俺は、メアリの掌にキスを落とした。

————

 慌ただしい気配に目を醒ます。

 ベッドの上で、彼女がきょろきょろと辺りを見回している。
 ゆっくりと彼女の前に立ち、正面から耳元に顔を寄せる。
「気分はどうだ?吐き気はないか?」
「どわっ!だから、耳元はやめてくださいって!」
 ん。この反応はいつ見ても面白い。

「ん、元気そうだな。良かった」
 呑んではないが、においだけでも当てられるやつはいる。
 念のために確認したかったんだが。
 ペットボトルの水を渡す。

「すいません!ご迷惑をおかけしました!」
 受け取った水を開けることなく、ベッドの上で、土下座する彼女。
 
「いや、どう見ても俺の監督不行き届きだろ。具合が悪くなければいいさ。あ、親御さんには連絡しといたからな」
「親?どうやって?」
 
「ん?入院中に連絡先交換したぞ?知らなかったのか?」
「知りません!……っの、母め……いつの間に」
 知らなかったのか。
 それで、彼女から直接連絡を取ることがなかったんだな。
 今回だって、間崎経由だし。
「それより、姿勢は戻し給え。あちこちから、色々覗けるぞ?」

「……がっ!お、お粗末様ですっ!」
 上掛けを頭から被って……足は見えてるんだが、いいのか?

「なんだそれ」
 思わず吹き出すと、
「喜んで頂き、ありがたき幸せでございますぅ」
 全く、読めねえな。

「じゃあ、俺はシャワー浴びてくるから、着替えちまいな」
 スーツの掛かったハンガーを渡して、俺はシャワーへ向かった。
 さすがに若い子の前で、堂々と着替えるわけにはいくまい。

 ……参ったな。
 何だよ、昨夜の夢は。
 クリスが孫娘と結婚したのはいい。
 孫娘も熱心に口説いてたしな。

 その後だよ。
 俺、溜まってんのか?

 シャワーから出ると、スーツに着替えた彼女は俺の顔を見るなり溜め息をついた。
「なんだ?大きなため息だな。幸せが逃げていくぞ?」

 一瞬の間。
 
「……ふっ、勢雄さんだけあたしのパンツ姿を見て、ズルいなって思ったんですよ」
「俺のパンツが見たいのか?」
「そう云う訳でもないですけどね」

 自分もシャワーを浴びたいと言う彼女を制して、家に帰ってから浴びなさいと言う。
 女の子が、好きでもない男の前で、シャワーなんて浴びるもんじゃない、と言うのは飲み込んで。

 一人掛けのソファーに腰かけて、まだ、湿っている髪をタオルで拭いていると、彼女が唐突に聞いてきた。
「勢雄さんって、何でバツイチなの?」
 それを知って、どうしたいのだろう。
 
「儲け話を避けたからじゃないか?ただでさえ不安定な職で、安定から逃げたからな」
「ふぅん……大人は大変だね」
「君もその大人の仲間入りしたんだろ?」
「そうなのかな?」

 ホテルのアメニティを渡し、彼女に身支度を促す。
「勢雄さんは?」
「俺は自分のがある」
「ふうん。慣れてるんだね」

 どういう意味だ?

「メシでも、茶でも、取りあえず出るか」
「このままここで、おしゃべりでもいいですよ?」

 ……いや。

「いや、出掛けよう。腹へった」

 彼女は、少し拗ねたように……
 いや、怒ってるのか?
 語気を荒らげた。

「人目を避けたいんですか?二人きりは避けたいんですか?どっちなんです?」

 エアコンの自動風量の強さが変わる音がして、冷たい空気が止まる。
 彼女が俺の上に覆い被さって、震える唇で俺の唇に触れる。

「あたし、初めては……」
「やめとけ」

 痛いほど真剣な眼差し。
 悪いな。
 俺には受け止められない。

 額を合わせ、彼女の瞳を覗く。
 気持ちだけ若いつもりの、老いた男が映る。
「おまえさんが、二十年早く生まれてきてくれてたらな」
 思わず出る本音。
「それなら、勢雄さんが二十年遅く生まれてきてくれてもよかったんじゃないですか?」
 打てば響く呼吸(リズム)

 見詰めあって。
 笑いあって。

「「でもそれじゃ絶対会ってない」」

 俺が、離せなくなる前に。
 離しておこう。
 それでも、もし……
 浮かんだ言葉を、咄嗟に飲み込む。
 こんなことを言ってはいけない。

 だからせめて。

「大切なだけじゃ、ダメか」
 ようやっと、絞り出した台詞。

「仕方ないなぁ……」
 彼女は俺の腕にしがみついた。

  
 

封存;プロダクションテルル


「で、勢雄さん、どうでした?!」
「間崎さん……どうでしたも何も、間崎さんがとっくに契約してたんでしょう?あたしに出来ることなんて、残ってないじゃないですか」
「え?杉田ちゃん、そうでなくて。なんかこう……色っぽいことには……」
「なるわけ無いじゃないですか、何歳(いくつ)離れてると思ってるんです。勢雄さんに失礼ですよ」
「何々?勢雄様って聞こえたんだけど」
「「邨先さん……」」

「って、邨先さんっ!クリスにこれ以上属性足さないでくださいよ。ゲームバランスって知ってます?何年やってるんですか!」
「二十五年。この会社の設立から居ますが、何かご質問でも?間崎くん?」
 
「……なら!クリスを入手して使用したら、黒宝石が全色扱いになるとか、連鎖率二百パーセントとか、そういうのは絶対やめてくださいよ!そもそも入手条件、何ですかこれ!」
 
「全エンド回収」
「まあクリス様なら、そうなりますよね」
「世の中は、杉田ちゃんばっかじゃないの!その状態で黒宝石ステージを百回踏破とか苦行ですか?悟りでも開くんですか?」
 
「黒宝石ステージ自体の出現率低いのに?百回はさすがに……八十回位で良くないです?」
「変わらなーーい!!」
 
「課金で手に入るような、安い男じゃないんだよ」
「商売してください!」
 
「勝てぬと知っていても、進まねばならぬ時がある。
たとえ終わりが見えていようと、退くわけにはいかん時がある」
「?」
「キャプテン!!」
 
「さすがは杉田ちゃんだねぇ。こっちの阿呆とは出来が違う」
「阿呆とはなんですか、阿呆とは!」
 
「ところで、杉田ちゃん、良くこんな古いの知ってるね」
「母の影響です。昔、コスプレもやってたとかって。写真は見せてくれませんけど」
 
「…………これ?」
「え?あ、あーー!!母っ!」
「へえ……杉田ちゃん、伝説のコスプレイヤーの娘だったか。勢雄様狂いも納得だわ」
 
「邨先さん!そんなことより……」
「そんなことだと?てか、昼休みくらい楽しくしようぜ。あんな、間崎用のお遊びプレゼン、通るわけ無いじゃん。あんなの通ったら、おまんま食い上げだわ」
 
「む、邨先さん、もしや僕をからかうためだけに、あの本番仕様のスリーディーアニメーション入りプレゼン作ったんですか……!」
「てへ」
「暇なんですか?!」
「暇じゃないよー。この間、()()()()のお陰で、ぽっかり空いた一時間を有効活用しただけだよ」
「くっ……!」
 
「制作統括室長兼、IP監修責任者の肩書きは伊達じゃないですねー。あ、この写真、転送して貰えませんか?母に見せたい」
「いいよー。……やった!杉田ちゃんのアドレスゲット!ついでに秘蔵の勢雄様、送信っ!」
「きゃあ!」
 
「ちがっ、えっ、ああ!……てへ、じゃなーーい!」
「まだそこ?さー!仕事すんぞ!お仕事、推し事」
「なんか、変わってませんかー?!」

『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

四十二歳の役者が、自分の演じた男の夢を見る

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-11

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  1. 読込:プロダクションテルル
  2. <div>01;酔ひに虚ろう白河夜舟
  3. <p>02;天の夜船の綱心
  4. <p>03;渇く間のない袖の潮
  5. <p>04;白河流れる胸中の澎
  6. <p>05;不条理に向き合う細やかな湃
  7. <p>06;血湧き肉躍る面壁
  8. </div>07;泡沫に揺蕩う南柯之夢
  9. 封存;プロダクションテルル