ちり
二足物の飛石だけれども、ちりは少し
水平で天端を何度かみて、突き固める
合端は横使いながらも、石の模様をある程度合わせる
直線の並びは三個まで・・
踏み外しの小飛は、わざと不細工に・・
などとは造園屋のデザインの常識である
私が若かった頃、少しショックを受けたデザインがあった
それは、元は船乗りだったという造園の講師の人が、イベント用に簡易に打った飛石のデザインだった
そこには短冊石を模した木の板を二枚ずらして打ってあった
そして踏み分けを兼ねて二方向に伸びる、短冊の先に飛石が打ってあった
この直線的な短冊と自然形の飛石の組合せは古典的なデザインながらも絶妙な感じがした
写真で見ると、修学院離宮の寿月観の飛石は素晴らしい、けれども実物から受けた感じは、新鮮な感じがあまりなかったようにも思える
なぜだろう・・
飛石そのものの変化に拘り過ぎているからなのだろうか
一つ一つの飛石を過度に見せようとして「ちり」を出し過ぎているようにも感じられる
実際に歩く事よりも、見せる事を重視しているのだとするならば、この場合は踏石とは言えないだろうと思う
飛ぶように打たれた、見せる事に重きをおいた、平たい石の美しい不連続のデザインなのだろう
小さめな一足物の飛石を少し離し気味に打つと、侘びた感じの趣のある飛石になる
この場合も、ちりの出し方がポイントになる
さっと歩けるような並べ方で、見た目も不自然さをできるだけ避けるように打つ
「ちり」は「塵」ではないだろうか
小さく、少しという意味なのかもしれない
また、必要以上に見せないという、控えめである事の意味もありそうである
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和風庭園の自然石を用いた飛石を打つ・・などという贅沢は時代にそぐわないものとなった
これから先、多分そういった仕事は造園屋に求められないかもしれない
仮にあったとしても、実際に幾度も飛石を打ってみなければ分からない感覚があるので難しいと思う
見るだけではなく、手で触ってみなければ分からないものもある
レンガ鏝で「ちり」をきれいに仕上げるという職人の技はどうだろう
完璧な仕上がりを求められる世界に、案外若い人が挑戦している姿を見かける事もある
ちり