07 時の島 ①②③
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01
森の中に、小さな小屋があった。
その小屋の中で、男が床の中央に切ってある囲炉裏に火を起こそうとしていた。
年齢は三十歳くらいだろうか……
その火起こしを手伝っているのは、あと少しで二十歳に手が届くであろう若い女だった。
二人で色々とやっていたが、炎はなかなか上がらなかった。
森から拾い集めてきた枝葉が、雨で濡れているからだった。
同じように、二人もびしょ濡れだった。
それでも悪戦苦闘の末に、なんとか囲炉裏から炎を立ち上げることが出来た。
そしてようやく、二人は濡れた服を乾かし始めたのである。
*
服も身体もあらかた乾いて、これでゆっくり出来ると思っていたときだった。
小屋の扉が唐突に、内側に勢いよく開かれたのだった。
囲炉裏の炎が、風で大きく揺らいだ。
そして、吹き込んでくる風と一緒に入ってきたのは、二人の男であった。
兵士だった。
先頭の男は、顔立ちから判断するに、女と同じくらいの若い男だった。
そして後ろに並び立つ男は、五十歳くらいに見えた。
二人とも、皮の鎧を身に付け、革帯で長剣を腰に下げていた。
小屋の中にいた男は、二人の鎧に注目していた。
鎧は皮で出来ており、ワックスで硬化処理されていた。
ワックス処理された皮は、ただ鞣(なめ)しただけのものよりも遙かに強度がある。
体当たりでくる正面からの突きや、強い矢なら防ぎきれないだろうが、斜めからの切りつけや軽い打撃なら致命傷にならない強さがある。
さらに、要所要所にビスが打ち込まれている。
それは、内側に薄い鉄板を止めているからだ。
この鎧は、鉄の鎧よりも遙かに軽く出来ていて、動きに重きを置いたものであった。
*
若い兵士は、二人を見て驚きを隠しきれなかった。
「どうして……」と思わず声に出していた。
先客がいることを、予想していなかったのである。
しかし、すぐに気を取り直すと、二人を威圧するように胸を突き出しながら、前に踏み出していた。
「お前たち……」と若い兵士は、低く怒りを真似た声を上げていた。
それに男が
「雨宿りをしているのさ」と逆に飄々(ひょうひょう)とした表情で返していた。
男は、コットンリネンで編み込まれた厚手のチュニックに、同じ素材のブレー(緩やかな長ズボン)、そして踝(くるぶし)まである皮の靴を、片方だけ履いていた。
乾いた靴を履こうとしていたところに、二人が突然入って来たからであった。
男の荷物なのであろう、隅に大きな革袋が置いてある。
その縛られた袋の口から、皮で巻かれた剣の束が覗いていた。
男は、若い兵士を気に留めることもなく、身を屈めてもう片方の靴を履いた。
いっぽう女の方は、足首まであるチュニックを羽織っただけの格好だった。
そして、壁には一着のローブが干されていた。
大きさから見て、どうやら男の物のようだった。
男は、森の中を歩いている途中に雨に降られ、偶然見付けたこの小屋に避難したのだ、と説明した。
するとまた、若い方の兵士が
「嘘を言うな」と二人を睨み付けた。
見てみると、二人の兵士は、まったく濡れていなかった。
しかも扉を開けて二人が入ってきたとき、風だけしか吹き込んで来なかったのに、アリシアは気付いていた。
たとえ兵士の二人が、雨が止んだ後に、森を歩いて小屋にたどり着いたとしても、足くらいは濡れているはずだ。
しかし、兵士の足は濡れていない。
まったくの乾いた状態である。
雨は降っていなかった? のではなく、
降っていなかったのだ。
だから若い兵士は、男が嘘をついている、と思ったのだった。
若い兵士は、身を強張らせた。
カシャリ、と腰の長剣が音を立てた。
きっかけさえあれば、いつでも剣を抜いてやるぞ、と二人を威嚇(いかく)していた。
それでも男の方は、どうしたもんかなぁ、と頭を掻いている。
威嚇にまったく頓着していないのだ。
その態度に、兵士はさらに、身体に力を込めた。
緊張の度合いが、限界超えスレスレにまで登ってきていた。
そのときであった……
今まで傍観者に徹していたもう一人が前に出て、若い兵士の横に並んだのである。
囲炉裏の炎に照らされたその男の姿を目の当たりにして、すごい……と女は緊張した。
男の鎧は、若い兵士の真新しいものと違って傷だらけだった。
そこかしこに、戦いの跡が残っているが、丁寧に補修されていた。
たがかえってそれが、数多くの戦を物語っていた。
しかし、若い女が緊張したのは、戦場(いくさば)を、男を守ってくぐり抜けてきた鎧のことではなかった。
その兵士の身体付きが、他の二人の男たちとは、まるで違っていたからだった。
背丈は三人ともあまり変わりはない。
しかし、その男の身体は、何もかもが太くてごつかったのである。
前にせり出したぶ厚い胸、筋肉で覆われた丸太のように太い手足と太い首、そしてごつい顎の上に、眉、目、鼻、唇……すべてが太くてごつい顔があった。
そして岩を思わせるような存在感があり、その中にちょっとやそっとでは動じない何かがあった。
男の発している熱が、そう語っているのである。
女は、その熱を直感的に感じて、すごい、と思ったのだった。
「しかしこいつは……」
若い兵士は、腰の長剣に手を掛けたままだ。
掛けたまま、並んだ太い男に目を向けていた。
同時に、小屋の男が手を動かしてた。
ほんの軽くだった。
若い兵士は、それに気付なかった。
それから小屋の男は、太い男に向かって肩をすくめていた。
太い男の、分厚い唇が動いた。
「未熟なのでな」
その分厚い唇から、充分想像出来る声だった。
「驚かせてしまって済まなかった。バルガスだ」と岩のような男は名乗っていた。
02
「イルマ……」と小屋の男、二人から目を離さずに頭を下げた。
「アリシアです」
アリシアは、イルマと名乗った男の横で、丁寧に頭を下げた。
見るとそこに、いつの間にか革袋が移動している。
顔を上げながら、アリシアはイルマの横顔を覗き見た。
イルマは肩をスカしながら、彼女の視線をはぐらかしていた。
バルガスが、おい、と太い首の上に乗った顎を隣の若い兵士に向かって動かした。
「ベント」
若い兵士は吐き捨てるように言うと、剣の束からようやく手を離していた。
アリシアは、ベントにも頭を下げた。
ベントは、横柄な態度を取りながら、二人を上から下へ睨(ね)め回した。
すると、ベントの剥き出しの視線が、チュニックの裾から覗くアリシアの足に止まっていた。
アリシアは裸足だった。
ベントはその右足の甲に、奇妙な絵柄の入れ墨があるのに気付いたのである。
上げたベントの顔は強張っていた。
「女、お前……」とアリシアに詰め寄ろうとした。
しかしそのとき、今度もベントを邪魔するように、扉が再び開かれたのであった。
風が流れ込んできた。
アリシアとイルマの目が、扉に向けられた。
そこには大きな影が、扉を塞ぐように立っていた。
「先客がいるとは、思ってもいなかったですね」
入って来い、というバルガスの手招きに、影は扉の上枠(かみわく)にぶつからないように頭を下げて中に入ってきた。
そして扉を閉めた。
三人の男たちより、頭ひとつ大きな男だった。
バルガスと同じように、傷だらけだが、手入れの行き届いた鎧を身に付けていた。
年齢は三〇歳くらいで、イルマと変わらないように見える。
男は、アリシアとイルマに向かって
「ザッカレーだ」と名乗った。
アリシアとイルマも、長身のザッカレーを見上げながら自己紹介を済ませた。
そのザッカレーを、ベントはあからさまな態度で睨み上げていた。
自分がアリシアに向かって、しようとしていたことを中断されて腹を立てているのだ。
しかしどう見ても、ベントは成り立ての新米兵士だ。
それでもベントはザッカレーを、この馬鹿野郎、と言いたげに睨んでいるのだ。
だがザッカレーは、ベントを無視した。
「小屋の周りには何もありません」とバルガスに報告し、それから小屋の中を見回し始めた。
アリシアも、ザッカレーの動きに誘われるように、改めて小屋の中を見回していた。
*
殺風景な小屋だった。
四方の壁は、大小の石を積み上げたものを漆喰で塗り固めて作ってあった。
天井もそうだ。
まるで石で作り上げられた四角い箱のような小屋だった。
床(地面)の中央には囲炉裏があるきりで、天井には小さな四角い煙出しの穴がある。
窓は無く、石の壁に見合う頑丈で分厚い木製の扉が、たった一つあるだけだった。
小屋自体がかなり古い物なのであろう、壁や天井には大小の染みが無数に浮き出ていた。
「五人、ですね……」とザッカレーは天井の煙出しを見ながら、呟くように言った。
バルガスが、黙って頷いていた。
するとベントは今更のように、なんでお前たちはこんな所にいるんだ、という怒りの顔をアリシアとイルマに向けていた。
そのベントの視線を受けて
「何をそんなに怒ることがあるんだい?」とイルマが、のんきな声で訊ねていた。
ベントは、歯を剥き出してイルマに詰め寄った。
そして今度も、ベントを邪魔するように、小屋の中を観察していたアリシアが、押し殺したような声を漏らしたのである。
*
全員の視線が、アリシアの見ている方に向けられた。
それは、扉の真正面にある石壁だった。
見るなり全員が、何が起こっているんだ? という驚きの表情に変わっていた。
石壁の染みが動いているのだ。
まるで生きているかのように、石壁の表面を?中を? 動き回っていたのである。
互いにくっつき合い、そして離れ、蠢いていた。
そしてその染みは、ある形を取り始めているのに、全員が気付いた。
やがて
扉の正面の石壁の染みが……五人が入ってきた扉とそっくりな〝絵〟を浮き上がらせていたのであった。
03
本物の木の扉と寸分違(たが)わずの絵が、反対側の壁に浮き出て描かれ?ていた。
息を飲んで、そして長い間、その場に立ちすくむ五人だった。
最初に動いたのはベントだった。
息が詰まるような沈黙に耐えられなくなり、加えて確かめたいと言う欲望に突き動かされて、たまらず絵に向かって踏み出したのだ。
「迂闊(うかつ)なことをするな!」
ベントの腕を摑んで、慌てて止めたのはザッカレーだった。
「しかし……」
ベントは逆の手で、扉の絵を指差している。
まるで、何かを知っている、かのような目で扉を見ている。
「分かっている」とザッカレーは言った。
その声は重かった。
その重い声に促されてやっと、ベントは渋々ながらも首肯した。
ザッカレーは、ベントから手を離した。
離した手が、そのまま止まっていた。
ベントがきょとんとした顔をしている。
バルガスが「!」と声にならない声を漏らしていた。
同時にイルマは、アリシアの腕を摑んで傍らに引き寄せていた。
アリシアも何かを感じて、自分を摑んでいる彼の腕に手を乗せていた。
*
直後に、それが来た。
小屋全体が揺れた。
地面が下から突き上げられるように振動し、次の瞬間には横揺れに変わっていた。
バランスを崩して、地面に膝を突きそうになるほどの揺れだった。
五人は倒れまいと踏ん張った。
そして揺れは、一度きりで終わっていた。
二呼吸の間に、完全に収まっていたのである。
「なんだったんだよ、今のは」
ベントが弾かれたように声を上げた。
あたふたしてしまった自分を恥じるように、平静を装おうとしている。
「地震でした、よね?」とアリシアは、イルマの横顔を見上げた。
イルマは頷いた。
頷きはしたが、強(こわ)い顔をして扉の方を見ている。
アリシアは、イルマの目線の先を追った。
手を乗せていたイルマの腕を、今度は力を込めて摑んでしまった。
バルガスとザッカレーも、すでに扉に注意を向けている。
ベントがその異変に気付いたのは最後だった。
04
扉が蠢(うごめ)いている。
石壁に見合う、ちょっとやそっとでは壊れそうもない頑丈な扉が……その輪郭が、水の中に投げ込まれた泥の塊ように、その周囲を滲(にじ)ませているのであった。
扉は、石壁と混ざり合いながらゆっくりと歪み、凹凸を失っていった。
一度それが始まってしまうと、変化は加速度的に進んだ。
五人は息を飲んで、変化の先を想像出来ないまま、そのようすを眺めていた。
*
そして、どれくらいの時間が経ったのであろうか?
扉が変化する間、五人は時間の感覚を意識することが出来なかった。
意識がそれをはっきりと理解したときには、扉は石壁と同化してしまっていたのである。
しかも……
石壁となってしまった扉は、そっくりそのままの〝扉の絵〟を描き出していたのであった。
ザッカレーが動いた。
外から中に入るために使った、たったひとつしか無かった扉が、ほんとうに絵になってしまったのか?と扉だった絵に顔を寄せて、注意深く観察しようとした。
そこにイルマが唐突に……
「扉がありますよ」と後ろから声をあげていた。
「!?」と四人は振り返った。
そして今度も、言葉を失っていた。
イルマが言ったとおり、扉の正面に浮き出た〝絵〟が、本物?の木の扉となっていたのである。
*
「信じらンねぇ」
ベントは声を押し殺し、バルガスを伺った。
「気を付けろ」
バルガスの言葉にベントは、分かってます、と頷いた。
そしてベントは、腰に下げた長剣を、ゆっくりと抜いた。
他の四人は二人ずつ左右の石壁に移動して広がった。
バルガスとザッカレーが左の石壁に、その反対はアリシアとイルマだ。
ベントはおっかなびっくり、剣を握った腕を目一杯前に伸ばし、一度だけ喉を鳴らすと、扉へと近付いていった。
そしてまさに、剣先が扉に触れようとした瞬間だった。
ドン、ドン、ドン
外から、扉が叩かれたのである。
驚いたベントは、扉から跳びすさった。
その拍子に、囲炉裏の横の僅かな窪みに足を取られていた。
バランスを崩したベントは、転ぶまいとたたらを踏みながら、腕を大きく振り回した。
長剣が部屋の中を踊った。
踊った長剣は、右の壁のアリシアに向いていた。
剣先がアリシアの顔に迫る。
駄目……と彼女は反射的に、両腕で顔を覆った。
身を硬くしたその瞬間、続けざまに三つの音がしていた。
……それっきり、何も起こらなかった。
恐るおそる腕を解(ほど)くと、そこにイルマの顔があった。
見ると、イルマの右手には、革袋から頭を出していた長剣が握られていた。
それも逆手で握らている。
アリシアの足もとには、ベントの長剣が落ちていた。
囲炉裏のそばに、ベントが尻餅を着いて、呆然とした顔で二人を見上げていた。
*
最初の音は、イルマがベントの長剣を跳ね上げた音だった。
イルマは、革袋から逆手で剣を抜きざま、柄頭(つかがしら)を使ってベントの剣を跳ね上げたのだった。
跳ね上げられた剣はベントの手を離れ、そのままアリシアの足下に落ちた。
それが二つ目の音だ。
そして最後は、ベントがひっくり返って、床に尻餅を突く音だった。
「ありがとうございます」
アリシアはイルマに頭を下げた。
ケガはしてないよな?と訊かれ、アリシアは即座に、大丈夫です、と返した。
そして、イルマが持つ剣に注目していた。
それは剣ではなかった。
剣でいう柄にあたる部分に皮が巻いてある〝ただの鉄の棒〟だったのである。
革袋に収まっていたときは、皮で巻かれた束?しか見えていなかったので、古い長剣だと勘違いしていたのだ。
「剣を拾え」
ザッカレーの声で我に返ったベントは、痺れる手を押さえながら起き上がり、ようよう剣を拾い上げた。
束頭に付いた土を手で払い落とし、鞘に納めながら、怒った目でイルマを見ている。
何かを言いたげなベントの目線をよそに、イルマはただの棒を、革袋に無造作に差し入れていた。
「それは?」とバルガスが問うていた。
これかい、とイルマは再びそれを抜き
「旅の必需品……真金(まがね)で出来たただの杖ですよ」とバルガスに見えるように掲げた。
それは長剣とほぼ同じ長さの漆黒の真金の棒で、二握り半ほどの長さに渡って、束のように皮が巻かれていた。
しばらくしげしげと眺め、なるほど……とバルガスは頷いた。
イルマは真金の棒を、革袋に戻した。
*
……と再び、扉が叩かれていた。
バルガスは、慎重に扉に近付き
「誰だ?」と外からの音に呼び掛けた。
五人は、外からの返事を待った。
②へ続く……
② 05
「お待ちしておりました」
扉の向こうから、男の声が返ってきた。
「待っていた? どう言うことだ?」とバルガス。
するとすぐに返事があった。
「わたくしは、貴方さまがた〝五人〟が、この小屋にお集まりになるのが分かっておりました。だからお待ちしていたのでございます……」
バルガスは、アリシアとイルマに、どういうことだ? という表情を向けると、イルマが、首を横に振った。
同じように二人も、扉の外の声を不思議に思っているようだ。
「何故、我々が五人だと分かる」
すると
「ほ、ほ、ほ……」
扉の向こうから、奇妙な笑いが返ってきた。
「そちら様は、男の方が四人で女の方がお一人。男の方は兵士さまが三人で、旅の姿をした方がお一人です。そして女性の方は……」と声は、そこまで言うと黙ってしまった。
五人はお互いを見やった。
やがて声は「続けしましょうか?」と言ってきた。
バルガスはすぐに
「もうよい」と返していた。
ありがとうございます、と扉の向こうで、声が深々と頭を下げる気配があった。
バルガスは続けた。
「ではそちらから扉を開けて、我々に姿を見せよ」
すると今度は、返事も無いし動きも無かった。
聞こえなかったのだろうか?
ならば、とバルガスは扉のそばまで寄って、同じ台詞を繰り返した。
それでも、何も返ってこない。
堪り兼ねたバルガスは
「どうした、扉を開けるのだ」と野太い声を出した。
外に聞こえないはずは無いのだ。
するとやっと
「それが出来ないのでございます」と声が言った。
「どういうことだ?」
すぐに問い返した。
これまで返事が無かったのは、相手が自分のペースに巻き込もうとしているとも考えられる……
声はまた沈黙した。
「どうしちまったんだよ」
焦れたベントが、神経質そうな声を出していた。
ザッカレーが、黙るんだ、と注意した。
ベントは、分かってるよ、と肩で空気を払うような動きを見せながら、ザッカレーを睨み返していた。
やがて、外から返事が帰ってきた。
「そちらから開けて下さらないのであれば、仕方がありません。誠に残念ではございますが、わたくしはこれで帰らせていただきます」
言うなり、声が踵を返す気配があった。
あったと言うより、声の主が気配を送ってきた……のが近いのかもしれない。
「待て」とバルガス。
侮れない、と感じたバルガスは、ザッカレーに目を走らせた。
お互いは瞬時に合意していた。
バルガスは
「分かった、こちらから開けよう」と返事をしていた。
06
ザッカレーが扉の前に立った。
そして、扉が改めて本物?であることを確かめた。
扉には、太い横木が二本、閂(かんぬき)として水平に取り付けられていた。
これを扉側に、横に滑らせることで、外に向かって扉が開くようになっている。
ザッカレーはもう一度振り返り、今度はベントに目配せした。
ベントは黙って剣を抜くと、扉の横に移動した。
バルガスは腰の長剣に、静かに手を掛けていた。
ザッカレーは、僅(わず)かに躊躇(ためら)いを見せた後に、一本目の閂に手を掛けた。
横にスライドさせる。
難なく動いた。
続けて二本目に手を掛け、それも滑らせた。
これで、扉は開くはずだ。
ゆっくりと、扉を手で押した。
一度だけ、蝶番(ちょうつがい)が軋(きし)む音がした。
手には、扉の重さを感じただけだった。
それ以外の抵抗は、何も感じなかった。
*
扉が石壁の厚さを超えると、その隙間から光が入ってきた。
ザッカレーは後ろに下がった。
そこにベントが割り込んで入り、腕を目一杯伸ばし、剣先で扉を押した。
そして、扉は完全に開かれた。
光が小屋の中を満たす。
太陽の日差しであった。
全員の頭の中は、表情には出さないものの混乱していた。
五人が小屋に揃ったのは一時ほど前で、しかも真夜中だったからだ……
*
扉の向こうに、年老いた男が立っていた。
年齢は八十を超えているだろう。
頭髪は薄く、乾燥した肌の中に、無数の皺が刻み込まれていた。
その年月を経て作られた、深く彫り込まれた皺の中に、一組の目があった。
その目だけがやけにみずみずしく、年齢に相容れなく、どこか不釣り合いだ。
老人は、一度反るように背筋を伸ばし、それから小屋の中に向かって、うやうやしく頭を下げた。
「モウア……でございます」
一礼して上げたモウアの後ろには、石を敷き詰めて造られた一本の真っ直ぐな道が続いていた。
道の両端には木々が乱立しており、青々とした葉が鬱蒼と生い茂って、道に影を作っている。
「ささ、外へ……」
モウアは扉の前から後方へさがった。
三人の兵士はお互いに顔を見合わせ、意を決したように動いた。
アリシアとイルマも、それに習った。
バルガス、ザッカレー、ベント、イルマ、アリシアの順番で扉の外に出た。
モウアは、扉から出てくる一人ひとりに、名前を訊ねながら自分ももう一度名乗り、その都度丁寧に頭を下げた。
……とモウアは、最後のアリシアに対して、言葉と動きを止めていた。
これまでのうやうやしい表情が、驚きの表情に入れ替わったのである。
しかしそれは一瞬だった。
そして一礼した。
一瞬を見逃さなかったザッカレーが、どうした? と訊ねていた。
モウアはザッカレーに向き直り
「分かっていたはずだったのですが、若い女性さまなので、少々戸惑ってしまったのでございます。しかもとてもお綺麗な方でございましたので……」
だたそれだけの事です、それがどうかしましたか? と言った顔になっていた。
ザッカレーは、それ以上問い詰めることはしなかった。
するとモウアは、今一度アリシアに向き直り
「扉を閉めていただけますでしょうか?」とお願いした。
わたしがですか? と少し驚いたアリシアだったが、それでも分かりましたと返事をして、扉に歩み寄っていた。
しかし戸惑った表情で、モウアに振り返っていた。
アリシアの動きを追っていたバルガスとザッカレーも、その事に気付いていた。
モウアは、ご覧の通りでございます、と微笑んでいる。
「外からは開けられない……とわたくしが言っていたのは、これが理由だったのでございます」
扉の外側には、把手らしき〝掴む物〟が取り付けられていなかったのである。
普通なら、中の閂の横木を動かせるための棒か何かが、扉の穴から出ているはずなのだが、それが無い。
さらに、指を引っ掛けられるような凹凸も無かった。
ただの真っ平らな扉だったのである。
外れてしまったのではないか? 誰かが故意に取り外したのではないか? と疑うような痕跡も無い。
つまりこの扉は初めから、外から開ける仕組みが無かったのである。
五人は、それぞれに思い返していた。
森から小屋の中に入るとき、自分たちはどうやったのか?
何故中に入れたのか?
そもそも外側に、把手らしきものがあったのか? 無かったのか?
まったく思い出せなかった。
五人全員が、だだ扉を押せば開く、と……そう思って小屋の中に入ったのだ。
アリシアは、両手を扉に添えてゆっくりと押した。
石壁と扉が横水平になったのを確認して、アリシアは手を離した。
しかし扉は、またゆっくりと外側に動いていた。
慌てたアリシアは扉を強く押し戻した。
体重をかけて押した。
しばらくしてからゆっくりと手を離すと、今度は動かなかった。
*
それを確認したモウアが
「では、出発いたしますが、よろしいでございましょうか?」と五人に顔を向けた。
するとイルマが
「あぁと、ちょっと待ってくれないかな」と手を上げていた。
モウアは、出発しますよ、と仰々(ぎょうぎょう)しく頭を下げようとしていたのを途中で止めた。
「どうなされました」
「悪いけど、あとちょっとだけ待ってくんないかな」
イルマは、担いでいた革袋を地面に下ろしていた。
モウアは、お早くお願いします、と促した。
すぐだから、とイルマは皮袋の口紐を緩めて、中に手を入れた。
ゴソゴソと掻き回し、そして取り出したのは、皮で造られた袋状の履き物であった。
底になる部分には厚手の皮が幾重にも重ねて貼り合わせれていて、頑丈な作りになっている。
イルマが、今履いているのと似ていた。
予備としての靴だった。
イルマはそれをアリシアに渡した。
「大きいかもしれないが、履くといい。足首の部分を縛れば脱げはしないだろう。ケガの防止だ」
突然の差し出しに驚いたアリシアは、大丈夫ですと断ろうとしたが、さぁ履きな、と無理矢理押しつけられてしまった。
受け取った靴を、アリシアは胸に抱いて深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
それから地面に腰を降ろし、足の裏の土を綺麗に払い落として足を入れた。
立ち上がったアリシアは、今度はチュニックを渡された。
これもイルマが今着ている男物の、丈が短くて動きやすい厚手のコットンリネンのやつだった。
着替え用なのだろう。
これも皮袋の中から出したものだ。
戸惑うアリシアに
「その薄い(女物の)チュニック一枚じゃあ風もしのげない。上着として羽織ればいい」
アリシアは、今度も頭を下げて礼を言い、チュニックを受け取った。
男物だから、女性が着れば膝上の丈でコートにもなりそうだ。
「ちょっと大きいけど、無いよりはましだ」
似合ってるじゃないか、とイルマはアリシアが着たチュニック上着の肩の糸くずを摘まんで捨てると、モウアに礼を言って軽く手を上げた。
モウアは、よろしいですかな、と全員を見回した。
ベントだけが、面白くない顔をしていた。
「ではまいりましょう」
07
「……って何処にゆくんだい?」
今度もイルマだった。
モウアは笑った。
最初に扉の向こうから聞こえてきたのと同じで、奇妙な笑い声だった。
「何処へ? とは何をおっしゃっているのでございましょう。ご存じのはずですが」
モウアは首を傾げていた。
イルマは、なるほど、と三人の兵士を順番に見た。
バルガスとザッカレーは、当然のごとく無反応だ。
ベントは、よそ見をていて、イルマの視線に気付いていないふりをしている。
するとモウアが、二人に向けて、掌を上に差し出した。
「アリシアさまとイルマさまは、お三人さまのお連れでは無いということでございましょうか?」
不思議そうな顔で訊ねてはいるが、そのことは分かっている、というような口振りにも聞こえる。
するとバルガスが
「我々三人だけでゆく」と口を開いた。
モウアは驚きを見せながら、とんでも御座いません、と首を横に振った。
「それは出来ません。私はあなた様五人全員を連れて来るように……とご主人さまより仰せ使っているのでございます」
ザッカレーは、ゆっくりと背筋を伸ばし
「二人は関係ないのだ」とモウアに圧を掛けた。
「関係があるか無いか……それは私が決めることではございません」
モウアはザッカレーを見上げながら、圧を受け流していた。
でなければお帰り下さい、と逆に言い放ちそうだ。
一礼し、そしてその後に上げた顔は、一変して笑いのものとなっていた。
食えない男だ、とバルガスはモウアを見ていた。
するとイルマが言った。
「オレとアリシアさんが、この三人さんたちの目的の邪魔になるのであれば、解決する方法はいくらでもあるんじゃないのかなぁ~」
モウアが、興味深そうに訊き返していた。
「ほ、ほ、ほ、それはどんなものか、あるいはどんなこと? でございましょう」
「例えば途中で、アリシアさんとオレに不慮の事故か何かがあったりしてさ……」
イルマは、これからの〝不慮〟に準備するかのように、肩と首の筋肉をグルリと回していた。
「事故だったらあんたのご主人さまも、仕方ない、て納得するんじゃないの」
するとモウアは、ほ、ほ、ほ、とまた笑と笑った。
「そうですね。それは妙案でございますね」とある意味?を含んだ言葉で返していた。
「でも〝今のところ〟は、そうじゃ無い……」
こんなんでどうかな? とイルマはバルガスに顔を向けた。
「そうだな。それは……今、ではない」
バルガスはザッカレーに苦笑いを送った。
受けたザッカレーは、モウアとイルマに顎を引いた。
イルマは笑って
「じゃあ、行こうよ」と革袋を抱え上げていた。
モウアは一礼して五人に背を向け
「言い忘れていました。この石畳の道からは決して外にお出にならぬようお願いします」と言った。
「出たらどうなるんだい?」と訊いたのは、今度もイルマだった。
すると瞬時に
「出てみますか?」と顔だけが振り返っていた。
モウアはイルマでは無く、ベントを見ていた。
それから身体で振り返ったモウアの笑みが見えた。
顔が見えていない時のモウアさんの表情は、どんななのかしら? とアリシアは考えていた。
「一歩でも出てしまったら二度と……」
モウアは言葉を切った。
言葉を切るのは、モウアの癖であるようだ。
「二度と何だよ――」
語気を荒げたベントだったが、その声は微かに震えている。
一歩でも踏み外したら〝何か〟が本当に起きるのか?
踏み外したくらいで、自分に大変なことが起こるとは信じ難い。
しかし……小屋の中であれだけの物を見せられては、無闇にやってみようという気にはなれない。
ベントは、言い返せなかった。
道を外したらどうなるか? 確かめようが無いからだ。
「道から外れないようにすれば良いのだな」とザッカレー。
「さようでございます」とモウアは、そこでやっとベントから目を離した。
バルガスが全員を見回した。
「ではゆくとしよう。時間を無駄にしたくない」
するとモウアが返していた。
「いいえ、時間はたっぷりございます」
モウアは二度目の、まいりましょう、を言うと、五人に背を向けて先頭に立って歩きはじめていた。
08
五人は石畳の道の上を、モウアの背中を追うように歩いていた。
モウアの後ろを、ザッカレー、ベント、イルマとアリシア、バルガスの順で歩いている。
アリシアとイルマは、横に並んで歩いていた。
石畳は、二人で横並びに歩いても、踏み外さないほどの充分な幅があった。
ふと何気なく、アリシアは横のイルマに目を向けていた。
イルマは、外の景色を楽しんでいるのだろうか……口元が緩んでいる。
それを見て、アリシアは何処か安心した。
アリシアは、顔を上げて空を見上げた。
道の両側から、木々の葉が道に覆い被さるように鬱蒼と生い茂っている。
その枝や葉が、強い日差しをほどよく遮っていた。
木々の間からこぼれる日差しを眺めていると、イルマが唐突に口を開いていた。
「それでさぁ、バルガスさんたちはどうして此処に来ることになったんです?」
振り返ったのはベントで、二人を睨み付けた。
アリシアが質問したわけでも無いのに、彼女も睨まれた。
何かにつけて、難癖を付けたい態度が見え見えだ。
特にアリシアに対しては、あからあさまな嫌悪感を隠そうともしない。
汚い物でも見るようなベントの目付きだった。
モウアが、ほ、ほ、ほ、と笑った。
「それは当然〝あれ〟が、欲しくてやって来られたのでございますよ」
モウアは振り返らずに前を向いたままだった。
ベントは前を向いて舌打ちした。
「あれを手に入れるには、私どもの御主人様にお会いになる他は無いのです……」
「あれ……って?」とイルマ。
「不老不死の秘密で御座いますよ」
モウアは、あっさりと答えていた。
会話の中でごく自然に、別に大したことでも無いように出た言葉だった。
モウアは続けた。
「私どもの住む此処には、不老不死になるための秘密が存在している……という噂があなた方の国ではあるそうですね」
「へぇ、そうなんだ」
イルマはバルガスを振り返った。
バルガスの表情は変わらない。
イルマは、肩をすくめて前に向き直り
「此処の主が、その不老不死の秘密とやらを持っているのかい?」とモウアに訊いた。
「左様でございます。私どもの御主人様が創造なさったそれが〝此処〟で御座いますので……」
「創造した?」
「そうです。此処を創造しました」
歩きながら揺れるモウアの肩は、どこか震えているようにも見える。
笑っているのかしら? とアリシアは首を傾げた。
「それが本当かどうかも……いずれは分かることでございましょう」
「なるほど、それは面白いな」
すると、モウアは歩みを止めた。
全員が立ち止まった。
「面白い……で御座いますか?」
モウアは振り返って、不思議そうな顔をイルマに向けた。
「ああ、面白い。そんな不可思議な世界が、現にここに存在して、オレがここに居るってことがさ」
イルマの横顔は、新しいおもちゃを渡された子供のような顔になっていた。
「そうですか、面白い……で御座いますか」とモウアは呟いた。
するとベントが
「面白くねェよ」と道端に唾を吐いた。
「ああベントさま、ベントさまは反対に面白くない、ということで御座いますか?」
ベントはモウアを睨みはしたが
「そんなこたぁ……」で言葉を止めた。
そして間があって「うんにゃ、何でもねェよ」とバツが悪そうに黙りこくってしまった。
そうですか、とモウアは、笑い顔のままベントから目線を外した。
そしてもう一度だけイルマに目を止め、それから前に向きなおった。
「もうそろそろ森を出ます」と歩きだしていた。
沈黙のまま、モウアに続く五人。
「アリシアさんは知ってたのかい?」
沈黙を壊さないように、イルマはアリシアに顔を寄せ、さらに小声で訊いていた。
不老不死のことである。
噂は訊いたことがあります、でもそれ以上のことは……とアリシアも小声で返していた。
09
やがて……
ほとんどまっすぐな石畳を歩き続けた五人は、小高い丘の上に出ていた。
小屋を出発してから丘に出るまで、半時は掛かっていなかった。
その場所から、なだらかに下った先に〝街〟が見えた。
街の周辺は田や畑になっているのが丘の上から見ても分かり、多くの人々が動き回っている。
「本日は、あの街にある宿に泊まって頂くことになります」
「お前の主は何処にいるのだ?」とバルガス。
モウアは街を示していた指先を、そのまま奥の、遠くに見える山の方へ動かしていた。
「あの岩山の麓(ふもと)に、御主人様の館が御座います」
「麓までどれくらい掛かる?」
今度訊いたのは、ザッカレーだった。
「朝に街を出立すれば、夕方には余裕で到着いたします」とモウアは答え、空を見上げた。
いつの間にか、辺りが薄暗くなっていた。
気付くと、太陽は西?に傾いている。
小屋の中に入ったのが真夜中、小屋を出たのが昼間、石畳の道は半時も歩いていない。
だがもう夕暮れだ。
「半日以上は掛かります。ですから、今日はあの街の宿で一泊していただきます。よろしいですかな?」
全員、ベントの提案に異論は無かった。
モウアの案内なくしては、三人が目的とする主(あるじ)に会えないからだ。
アリシアとイルマにしても、それに意見するつもりは無かった。
五人の気持ちを確かめ、モウアは頷いた。
「それでは、参るといたしましょう」
モウアは皆に背を向け、今度も先頭に立って丘を下り始めた。
敷石の道が街まで続いている。
ここから先も、単独で行動することは許されない、不可能だということなのだ――
③へ続く……
③ 10
モウアと五人は、目指す街に向かって、石畳の道をまっすぐに下った。
半時(約1時間)ほど歩き、村の外れに辿り着いたころにはもう、日が暮れてしまっていた。
小屋から外に出たときは、太陽は真上にあった。
そして、小屋を出て丘まで半時、丘から村の外れまで半時……
つまり一時の間に、日がとっぷりと落ちてしまっていたのである。
加えて、丘から街を見下ろしていたときには、あれほど居た人がどこにも見えなくなっていたのである。
どこを見回しても、どこにも人影が無いのだ。
その、不気味なほど人影の無い街の中央通りを、五人はモウアに導かれながら宿を目指した。
*
宿は、その街のほぼ真ん中にあった。
二階建てで、ここまで来ながら他を見てきた限りでは、街で一番大きな建物のようだ。
モウアの話によれば、街でただひとつの宿屋だということだ。
モウアと五人は、その入口に立った。
半分開け放たれた扉からは、明かりが煌々(こうこう)と漏れ、人々の笑い声が聞こえてくる。
ここまでの通りの静寂さとは、まったく別の世界のようだった。
モウアが五人を振り返った。
そして、では……と先に中に入り、どうぞ、と五人を招き入れた。
モウアの後に続いて、五人は宿の中に足を踏み入れていた。
*
中は、入口から左側がカウンターとなっており、右側に飲食用のテーブルが並べてあった。
右端に、二階へ通ずる階段がある。
モウアが言っていた通り、一階は飲食をするスペースで、二階が宿泊部屋となっている。
カウンターと、十以上はあるテーブルは、街の住人……であろう人たちでほとんどが埋まっていた。
食事をしている者たち、飲み物を片手に賭けやゲームを楽しんでいる者たち、酔い潰れてテーブルに突っ伏して寝ている者もいる。
隅に設置してある、指で弾いて奏でる楽器の演奏に手拍子やわけの分からない躍りで参加し、歌を唄っている者もいる。
男男、女女、男女で抱き合っている者たちもいる。
どうやらここは、街唯一の娯楽の場でもあるようだ。
しかしその喧噪が、一瞬で静寂と化したのである。
モウアが招き入れた五人を、住人たちが見止めたからだった。
誰が入って来たんだ? と全員が五人に強い視線を注いだ。
視線に反応して、当然五人の緊張は高まっていった……
しかし、思いも寄らないことが起こったのである。
五人に注がれていた街の者たちの視線が、あっけなくどこかへ行ってしまったのだ。
それは一瞬だった。
街の者たちの興味は、個々の、それぞれの自分のことへと……自分らが楽しんでいたことの続きに戻ってしまって、もとの喧騒に帰ってしまったのである。
「どうやらここの連中は、オレ達にはまったく興味が無いようですね」
イルマは小さく言って、モウアの背中に視線を投げた。
イルマの独り言が、背を向けているモウアに当たったようには思えなかった。
それでも、モウアは振り返って笑顔を見せ
「こちらへどうぞ」とうやうやしく、五人を奥へと招き入れていた。
*
五人は、入口から二番目の丸いテーブルに案内された。
しかし案内されたテーブルには、椅子が四脚しか用意されていなかった。
もともとが四人用のテーブルで、五人が使うには少しばかり小さい。
しかもこちらには、丸太のように太いバルガスと、長身のザッカレーがいる。
だからアリシアは、遠慮して空いている隣のテーブルに移動しようとした。
すると、モウアがアリシアを引き留めた。
「もうしわけ御座いません。そちらにはお座りにはなれません。足らない椅子はすぐに運ばせますので、どうかしばらくお待ちください」と詫びた。
ザッカレーが
「なぜそちらのテーブルを使ってはならないのだ?」と訊いた。
バルガスとザッカレーがテーブルの近くに立つだけで、テーブルが小さく見えてしまう。
「予約が入っているのでございます」とモウアは素っ気なく答えると、厨房へ繋がる奥へ消えてしまった。
待つ必要もないくらいの早さで、モウアと椅子を抱えた女の給仕が現れた。
給仕は顔を上げないまま、運んで来た椅子をテーブルに割り込ませて、五脚の間隔を調整した。
アリシアがその女給仕に礼を言うと、給仕はさらに頭を下げ、そそくさと奥へ消えてしまった。
椅子が揃ったところでモウアは
「それではお食事と飲み物を運ばせます」と一礼すると、厨房を繋ぐカウンターへと姿を消した。
ほどなくして、先ほどの女の給仕と一緒に、男の給仕が飲み物と食べ物を運んできた。
しかし、卓の上に食事が並べられたにも関わらず、五人は手を出そうとしなかった。
すると男の給仕は、分かっていますと頷いて、すべての皿から食べ物をひとつずつつまみ上げると、自分の口に投げ入れていた。
ゆっくりと咀嚼し、飲み物と一緒に飲み込んだ。
二人の給仕は一礼すると、厨房の奥へ戻っていった。
そしてようやく、五人は運ばれてきた食べ物と飲み物を口にしたのである。
モウアは、酒もいかがですかと薦めたが、バルガスが断っていた。
ベントは飲みたい、と文句を口にしたが
「どういう状況かよく考えろ」とザッカレーに窘(たしな)められてしまった。
ベントは反発しなかった。
代わりに苦虫を噛みつぶしたような顔で
「分かってるよ」と言い捨てていた。
有事の場に出くわしたとき、動きと判断が鈍くなるのを自分でも理解しているのだ。
それから五人は、黙って食事をした。
*
食べ物と飲み物が無くなったところに、モウアが姿を見せた。
「お食事は、終わりましたでしょうか?」とテーブルの上を確認する。
「うむ」とバルガスが、全員を代表して答えていた。
ザッカレーが頷いた。
「美味しかったよ」とイルマ。
「ご馳走さまでした」とアリシア。
ベントは慌てて、口の中の物を飲み物で流し込んでいた。
モウアは一礼した。
「それでは、皆様をお部屋へご案内することにいたしましょう」
五人が椅子をずらして立ち上がった。
すると、他のテーブルの者たちの喧騒が止まり、また注目が集まっていた。
五人は動きを止めた。
止めて次? を待った。
しかし、他のテーブルの者たちは……ただそれだけで終わってしまった。
そしてそれぞれは、すぐに五人から興味を失ってしまっていた。
「変なやつらだ」とベントは、街の住人を眺め回した。
モウアは一瞬、強(こわ)い目をベントに向けた。
それからモウアは、何でも無いです、というような含み笑いをして踵を返し、右端の壁沿いの階段に向かった。
五人は黙ってそれに続いた。
それからも、五人に注意を向ける者はいなかった。
11
モウアは階段を上りながら
「二階には、一階のテーブルと同じ数だけの部屋があるのです」と説明してくれた。
そして五人は、階段から二番目の部屋に案内された。
テーブルは二番目、部屋も同じ二番目である。
何か意味があるのですか? とアリシアが訊ねると、たまたまです、という返事が帰ってきた。
モウアが扉を開ける。
モウアと五人は中に入った。
殺風景な部屋だった。
ベッドは無く、ある物と言えば、部屋の中央に置かれている燭台と、奥の隅にうず高く積み重ねられている毛布だけであった。
燭台の上には灯明皿が置かれていて、その中で油が燃えている。
窓はひとつだけだが、緩やかな風と一緒に月明かりを運んできていた。
その風が灯明皿の炎とともに、部屋の中をユラユラと浮かび上がらせていた。
広さは問題無い。
五人が横になっても充分過ぎるほどの余裕がある。
「それでは明日の朝、日が登りましたらお迎えに参ります」
モウアは終始ニコニコしている。
「楽しそうだな」とバルガス。
モウアは即座に返答していた。
「楽しいのではありません。嬉しいので御座います」
逆に彼の方から五人に訊ねているように聞こえてしまう。
アリシアはモウアを見た。
見られているのを感じていても、モウアはアリシアを無視している。
「楽しいと嬉しいは、違うものなのか?」
モウアはバルガスに
「似て非なるものではある、と私は考えます……」と答えて言葉を切り
「いいえ、分かりません」と笑みのまま首を横に振った。
自分が言ったんじゃねぇかよ、とベントは返した。
間違えたことは言っていません、とモウアの笑みは、同じ形のままで顔に貼り付いている。
「では、失礼いたします」
モウアは深々と頭を下げた。
「早朝、お迎えに参りますので、それまでごゆっくりおくつろぎ下さい」
そう繰り返して、モウアは部屋を後にした。
モウアが扉を閉めて去ると、ザッカレーが扉に耳を近付けて、外の気配を探った。
しばらくして扉から耳を離し、扉に鍵を掛けた。
ザッカレーは、大きく息を吐いた。。
*
「全員がこの部屋なのかよ……」
そう呟きながら、ベントはアリシアを一瞥(いちべつ)した。
それがどうかしたのか? とイルマは惚(とぼ)けた顔をアリシアに見せた。
笑いを見られないように……とアリシアはとっさに顔を伏せた。
それでも目ざとく
「何が可笑しいんだよ」とベントがすぐに反応していた。
言いながら、ベントはアリシアに詰め寄った。
続けて「……のくせしやがって」とベントは、アリシアの右足に目を落とした。
その右足の甲に向かって唾を飛ばした。
イルマから借りた靴を履いてはいるが、小屋の中で見た、甲の部分の入れ墨に向かってであった。
狙い違わず、唾はイルマが貸した靴を汚した。
すぐにアリシアは、懐から小さな布を取り出すと、屈んで靴の汚れを拭った。
そして顔を上げて、立ち上がった。
「わたしと一緒の部屋になったのが気に食わないんですよね。わたしが女だからですか? とれとも奴隷だからですか?」
ベントに面と向かって、そうはっきりと言い放っていた。
「右足の甲の入れ墨は、確かに奴隷の印です。でもたとえわたしが奴隷だとしても、わたしはあなたの奴隷ではありません」と一歩も引かない態度を見せた。
ベントは、自分でも分からないうちに後退してしまっていた。
なかなかのものだ、とバルガスとザッカレーは感心した。
「そりゃそうだ」とイルマ。
すると弾かれたように、ベントはイルマを睨んだ。
アリシアに気圧されて分が悪くなったのを誤魔化すために、矛先をイルマに向けたのだ。
イルマは相変わらずとぼけた顔をしている。
追い打ちを掛けるように、アリシアが口を開いた。
「ベントさま……わたしはあなた様のお名前を聞いたことがあります」
ベントの身体が反応し、再びアリシアに向き直った。
殺すぞ、とその口が動いていた。
それでもアリシアは、怖じ気ずくこと無く続けた。
「その紋章も見たことがあります」
アリシアが目を落として指し示したのは、ベントが腰に下げている長剣の束頭だった。
バルガスやザッカレーも、それぞれに自分の家紋を剣の束頭に彫り込んでいる。
アリシアは、ベントのその家紋のこと言っているのだ。
「小屋の中で、イルマさまがベントさまの剣を弾いてわたしを助けてくれたとき……床に落ちた剣の束頭を見て気付きました」
「ほんとだ。バルガスさんとザッカレーさんの束頭とは違うね」とイルマ。
どこまでも分からない奴だ、とザッカレーは苦笑した。
イルマは、最初から気付いてたに決まっている。
「その紋章はエラジオ王国のものですよね。しかもそれを持っていると言うことは、ベントさまは身分の高いお方ということではないんですか?」
ベントは押し黙った。
口を開いたのはザッカレーだった。
「ベント様は、エラジオの王位継承権第八位のお方であるのだ」
「ザッカレー、てめェえ」ベントは声を荒げた。
「落ち着いてください」とザッカレーのこれまでの口調が変わっていた。
ザッカレーは、いきり立つベントの肩に手を置いた。
衝動的に動きかけたベントを、ザッカレーが押さえつける形になった。
ベントはザッカレーの手を払いのけようと身じろぎした。
しかしその動きは、ザッカレーの無言の圧に封じ込まれてしまった。
「もともとはベント様が、小屋に入る、とおっしゃっからではありませんか」とザッカレー。
「小屋の中の様子を王に報告出来れば、少しは株が上がると思ったンだよ」とベントはふて腐れてた。
王位の継承は、基本的に長男が最優先で、次男以降は予備となる。
いわゆる保険みたいなものだ。
ましてや、ベントの継承は第八位で、重要な要職に就くのも、ほぼ無いに等しい。
それゆえに、王に自分の存在を印象づけようと、何か特別なことをしなければならない、とベントは考えた。
それが〝これ〟だったのだ。
糞、とベントは唸り、諦めたように床に座り込んでしまった。
12
「もう良い、この話はここまでだ」と話を終わらせたのはバルガスだった。
アリシアも、それ以上は何かを言うこともなく、分かりました、と無言で頭を下げていた。
バルガスも顎を引いた。
それからアリシアは、部屋の角に重ね置きしてある毛布を取りに動いた。
五人分の毛布を抱え、四人それぞれに二枚ずつ渡して回った。
ベントはひったくるように受け取っていた。
「広すぎる部屋ですね」
部屋の中をまた見回しながら、アリシアは言った。
詰めて寝れば、十人はいけそうである。
「なんにも無ぇじゃねぇか」とベントは吐き捨てた。
わがままが過ぎ、自分の頭の中の考えと違えば、何にでも文句を言いたがる男である。
「雨風がしのげればそれで良い――」
バルガスは、扉の蝶番のある方の壁に寄りかかって腰を下ろした。
扉が内側に開かれたとき、扉の影になる側だ。
座るとすぐに、武具の紐を緩める作業に取り掛かっていた。
脱ぐのでは無い、少し緩めるだけだ。
ザッカレーは、バルガスとは扉を挟んだ逆の壁に背中を預けた。
二人とも、部屋の外の異変を、背中で感じるためだ。
ベントは適当な場所を選び、長剣を抱いてもう横になっている。
「じゃあ、オレはここで……」とイルマは、バルガスとザッカレーの正面、つまり扉の正面の壁に腰を下ろした。
バルガスとザッカレーから苦笑が漏れた。
扉が開かれ、飛び道具でも使われれば、終わりである場所だ。
多分イルマは、それを分かっていて座ったのだ。
アリシアはルマの横に、身体ふたつ分を隔てて座った。
アリシアは、この位置が危険であるということが分かっていても選んだのだった。
バルガスとザッカレーから、また苦笑が漏れた。
「アリシア……」
毛布を手にして、寝る支度をしていたアリシアに、バルガスから声が掛かった。
「悪いが、明りを消してくれるか」
テーブルの上の灯明皿で燃えている、部屋で唯一の灯りのことである。
分かりました、とアリシアはテーブルまで行き、灯明皿で燃えている炎を指で摘まんで消した。
部屋の中は、ひとつだけある窓からの月の光のみとなってしまった。
モノの輪郭が、かろうじて分かる程度の明るさだった。
「あれは……」
毛布を床に敷いて、もう一枚を肩まで掛けてアリシアが呟いた。
「あれはいつも、わたしたちが見ている月と同じなのでしょうか?」
「さぁ、どうなのかなぁ~」
横からイルマの呑気が声がした。
「儂もそれを考えていたところだ……」とバルガスが笑みを返した。
しかし、月明かりだけでは、バルガスの笑みがアリシアに届いたかどうかは分からない。
「でもそれは、今はどうでもよいことのような気がします」
「けッ」とベントの舌打ちが聞こえた。
「明日のために身体を休めてくれ」とザッカレー。
そして、おのおのが身じろぎする気配があり、部屋は静かになった。
しばらくの後には、全員の寝息が部屋の中を漂い流れていた。
④へ続く……
07 時の島 ①②③
読んでいただき、ありがとう御座います。
『時の島 ③』まで、掲載しました。
ご意見、ご感想、お待ちしています。
質問も、歓迎いたします。
sinsyamon@gmail.com