07 時の島
01 小屋
森の中に、小さな小屋があった。
その小屋の中で、男が床の中央に切ってある囲炉裏に火を起こそうとしていた。
年齢は三十歳くらいだろうか……
その火起こしを手伝っているのは、あと少しで二十歳に手が届くであろう若い女だった。
二人で色々とやっていたが、炎はなかなか上がらなかった。
森から拾い集めてきた枝葉が、雨で濡れているからだった。
同じように、二人もびしょ濡れだった。
それでも悪戦苦闘の末に、なんとか囲炉裏から炎を立ち上げることが出来た。
そしてようやく、二人は濡れた服を乾かし始めたのである。
*
服も身体もあらかた乾いて、これでゆっくり出来ると思っていたときだった。
小屋の扉が唐突に、内側に勢いよく開かれたのだった。
囲炉裏の炎が、風で大きく揺らいだ。
そして、吹き込んでくる風と一緒に入ってきたのは、二人の男であった。
兵士だった。
先頭の男は、顔立ちから判断するに、女と同じくらいの若い男だった。
そして後ろに並び立つ男は、五十歳くらいに見えた。
二人とも、皮の鎧を身に付け、革帯で長剣を腰に下げていた。
小屋の中にいた男は、二人の鎧に注意を注いでいた。
鎧は皮で出来ており、ワックスで硬化処理されていた。
ワックス処理された皮は、ただ鞣(なめ)しただけのものよりも遙かに強度がある。
体当たりでくる正面からの突きや、強い矢なら防ぎきれないだろうが、斜めからの切りつけや軽い打撃なら致命傷にならない強さがある。
さらに、要所要所にビスが打ち込まれている。
それは、内側に薄い鉄板を止めているからだ。
この鎧は、鉄の鎧よりも遙かに軽く出来ていて、動きに重きを置いたものであった。
*
若い兵士は、二人を見て驚きを隠しきれなかった。
「どうして……」と思わず声に出していた。
先客がいることを、予想していなかったのである。
しかし、すぐに気を取り直すと、二人を威圧するように胸を突き出しながら、前に踏み出していた。
「お前たち……」と若い兵士は、低く怒りを真似た声を上げていた。
それに男が
「雨宿りをしているのさ」と逆に飄々(ひょうひょう)とした表情で返していた。
男は、コットンリネンで編み込まれた厚手のチュニックに、同じ素材のブレー(緩やかな長ズボン)、そして踝(くるぶし)まである皮の靴を、片方だけ履いていた。
乾いた靴を履こうとしていたところに、二人が突然入って来たからであった。
男の荷物なのであろう、隅に大きな革袋が置いてある。
その縛られた袋の口から、皮で巻かれた剣の束が覗いていた。
男は、若い兵士を気に留めることもなく、身を屈めてもう片方の靴を履いた。
いっぽう女の方は、足首まであるチュニックを羽織っただけの格好だった。
そして、壁には一着のローブが干されていた。
大きさから見て、どうやら男の物のようだった。
男は、森の中を歩いている途中に雨に降られ、偶然見付けたこの小屋に避難したのだ、と説明した。
するとまた、若い方の兵士が
「嘘を言うな」と二人を睨み付けた。
見てみると、二人の兵士は、まったく濡れていなかった。
しかも扉を開けて二人が入ってきたとき、風だけしか吹き込んで来なかったことに、アリシアは気付いていた。
たとえ兵士の二人が、雨が止んだ後に、森を歩いて小屋にたどり着いたとしても、足くらいは濡れているはずだ。
しかし、兵士の足は濡れていない。
まったくの乾いた状態である。
雨は降っていなかった?…のではなく、降っていなかったのだ。
だから若い兵士は、男が嘘をついている、と思ったのだった。
若い兵士は、身を強張らせた。
カシャリ、と腰の長剣が音を立てた。
きっかけさえあれば、いつでも剣を抜いてやるぞ、と二人を威嚇(いかく)していた。
それでも男の方は、どうしたもんかなぁ、と頭を掻いている。
威嚇にまったく頓着していないのだ。
その態度に、兵士はさらに、身体に力を入れた。
緊張の度合いが、限界超えスレスレにまで登ってきていた。
そのときであった……
今まで傍観者に徹していたもう一人が前に出て、若い兵士の横に並んだのである。
囲炉裏の炎に照らされたその男の姿を目の当たりにして、すごい……と女は緊張した。
男の鎧は、若い兵士の真新しいものとは違って傷だらけだった。
そこかしこに、戦いの跡が残っているのだが、丁寧に補修されていた。
そしてそれが、数多くの戦を物語っていた。
しかし、若い女が緊張したのは、戦場(いくさば)を、男を守ってくぐり抜けてきた鎧のことではなかった。
その兵士の身体付きが、他の二人の男たちとは、まるで違っていたからだった。
背丈は三人ともあまり変わりはない。
しかし、その男の身体は、何もかもが太くてごつかったのである。
前にせり出したぶ厚い胸、筋肉で覆われた丸太のように太い手足と太い首、そしてごつい顎の上に、眉、目、鼻、唇……すべてが太くてごつい顔があった。
そして岩を思わせるような存在感があり、その中にちょっとやそっとでは動じない何かがあった。
男の発している熱が、そう語っているのである。
女は、その熱を直感的に感じて、すごい、と思ったのだった。
「しかしこいつは……」
若い兵士は、腰の長剣に手を掛けたままだ。
掛けたまま、並んだ太い男に目を向けていた。
同時に、小屋の男が手を動かしてた。
ほんの軽くだった。
若い兵士は、それに気付かなかった。
それから小屋の男は、太い男に向かって肩をすくめていた。
太い男の、分厚い唇が動いた。
「未熟なのでな」
その分厚い唇から、充分想像出来る声だった。
「驚かせてしまって済まなかった。バルガスだ」と岩のような男は名乗っていた。
02 自己紹介
「イルマ……」と小屋の男は、二人から目を離さずに頭を下げた。
「アリシアです」
アリシアは、イルマと名乗った男の横で、丁寧に頭を下げた。
見るとそこに、いつの間にか革袋が移動している。
顔を上げながら、アリシアはイルマの横顔を覗き見た。
イルマは肩をスカしながら、彼女の視線をはぐらかしている。
バルガスが、おい、と太い首の上に乗った顎を隣の若い兵士に向かって動かした。
「ベント」
若い兵士は吐き捨てるように言うと、剣の束からようやく手を離していた。
アリシアは、ベントにも頭を下げた。
ベントは、横柄な態度を取りながら、二人を上から下へ睨(ね)め回した。
すると、ベントの剥き出しの視線が、チュニックの裾から覗くアリシアの足に止まっていた。
アリシアは裸足だった。
ベントはその右足の甲に、奇妙な絵柄の入れ墨があるのに気付いたのである。
上げたベントの顔は強張っていた。
「女、お前……」とアリシアに詰め寄ろうとした。
しかしそのとき、またもベントを邪魔するように、扉が再び開かれたのであった。
風が流れ込んできた。
アリシアとイルマの注意が、扉に向けられた。
そこには大きな影が、扉を塞ぐように立っていた。
「先客がいるとは、思ってもいなかったですね」
入って来い、というバルガスの手招きに、影は扉の上枠(かみわく)にぶつからないように頭を下げて中に入ってきた。
そして扉を閉めた。
三人の男たちより、頭ひとつ大きな男だった。
バルガスと同じように、傷だらけだが、手入れの行き届いた鎧を身に付けていた。
年齢は三〇歳くらいで、イルマと変わらないように見える。
男は、アリシアとイルマに向かって
「ザッカレーだ」と名乗った。
アリシアとイルマも、長身のザッカレーを見上げながら自己紹介を済ませた。
そのザッカレーを、ベントはあからさまな態度で睨み上げていた。
自分がアリシアに向かって、しようとしていたことを中断されて腹を立てているのだ。
しかしどう見ても、ベントは成り立ての新米兵士だ。
それでもベントはザッカレーを、この馬鹿野郎、と言いたげに睨んでいるのだ。
だがザッカレーは、ベントを無視した。
「小屋の周りには何もありません」とバルガスに報告し、それから小屋の中を見回し始めた。
アリシアも、ザッカレーの動きに誘われるように、改めて小屋の中を見回していた。
*
殺風景な小屋だった。
四方の壁は、大小の石を積み上げたものを漆喰で塗り固めて作ってあった。
天井もそうだ。
まるで石で作り上げられた四角い箱のような小屋だった。
床(地面)の中央には囲炉裏があるきりで、天井には小さな四角い煙出しの穴がある。
窓は無く、石の壁に見合う頑丈で分厚い木製の扉が、たった一つあるだけだった。
小屋自体がかなり古い物なのであろう、壁や天井には大小の染みが無数に浮き出ていた。
「五人、ですね……」とザッカレーは天井の煙出しを見ながら、呟くように言った。
バルガスが、黙って頷いていた。
するとベントは今更のように、なんでお前たちはこんな所にいるんだ、という怒りの顔をアリシアとイルマに向けていた。
そのベントの視線を受けて
「何をそんなに怒ることがあるんだい?」とイルマが、のんきな声で訊ねていた。
ベントは、歯を剥き出してイルマに詰め寄った。
そして今度も、ベントを邪魔することが、起こっていた。
小屋の中を観察していたアリシアが、押し殺したような声を漏らしたのである。
*
全員の視線が、アリシアの見ている方に向けられた。
それは、扉の真正面にある石壁だった。
見るなり全員が、何が起こっているんだ? という驚きの表情に変わっていた。
石壁の染みが動いているのだ。
まるで生きているかのように、石壁の表面を?中を? 動き回っていたのである。
互いにくっつき合い、そして離れ、蠢いていた。
そしてその染みは、ある形を取り始めているのに、全員が気付いた。
やがて
扉の正面の石壁の染みが……五人が入ってきた扉とそっくりな〝絵〟を浮き上がらせていたのであった。
03 扉と絵
本物の木の扉と寸分違(たが)わずの絵が、反対側の壁に浮き出て描かれ?ていた。
息を飲んで、そして長い間、その場に立ちすくむ五人だった。
最初に動いたのはベントだった。
息が詰まるような沈黙に耐えられなくなり、加えて確かめたいと言う欲望に突き動かされて、たまらず絵に向かって踏み出したのだ。
「迂闊(うかつ)なことをするな!」
ベントの腕を摑んで、慌てて止めたのはザッカレーだった。
「しかし……」
ベントは逆の手で、扉の絵を指差している。
まるで、何かを知っている、かのような目で扉を見ている。
「分かっている」とザッカレーは言った。
その声は重かった。
その重い声に促されてやっと、ベントは渋々ながらも首肯した。
ザッカレーは、ベントから手を離した。
離した手が、そのまま止まっていた。
ベントがきょとんとした顔をしている。
バルガスが「!」と声にならない声を漏らしていた。
同時にイルマは、アリシアの腕を摑んで傍らに引き寄せていた。
アリシアも何かを感じて、自分を摑んでいる彼の腕に手を乗せていた。
*
直後に、それが来た。
小屋全体が揺れた。
地面が下から突き上げられるように振動し、次の瞬間には横揺れに変わっていた。
バランスを崩して、地面に膝を突きそうになるほどの揺れだった。
五人は倒れまいと踏ん張った。
そして揺れは、一度きりで終わっていた。
二呼吸の間に、完全に収まっていたのである。
「なんだったんだよ、今のは」
ベントが弾かれたように声を上げた。
あたふたしてしまった自分を恥じるように、平静を装おうとしている。
「地震でした、よね?」とアリシアは、イルマの横顔を見上げた。
イルマは頷いた。
頷きはしたが、強(こわ)い顔をして扉の方を見ている。
アリシアは、イルマの目線の先を追った。
手を乗せていたイルマの腕を、今度は力を込めて摑んでしまった。
バルガスとザッカレーも、すでに扉に注意を向けている。
ベントがその異変に気付いたのは最後だった。
04 扉絵と扉
扉が蠢(うごめ)いている。
石壁に見合う、ちょっとやそっとでは壊れそうもない頑丈な扉が……その輪郭が、水の中に投げ込まれた泥の塊ように、その周囲を滲(にじ)ませているのであった。
扉は、石壁と混ざり合いながらゆっくりと歪み、凹凸を失っていった。
一度それが始まってしまうと、変化は加速度的に進んだ。
五人は息を飲んで、変化の先を想像出来ないまま、そのようすを眺めていた。
*
そして、どれくらいの時間が経ったのであろうか?
扉が変化する間、五人は時間の感覚を意識することが出来なかった。
意識がそれをはっきりと理解したときには、扉は石壁と同化してしまっていたのである。
しかも……
石壁となってしまった扉は、そっくりそのままの〝扉の絵〟を描き出していたのであった。
ザッカレーが動いた。
外から中に入るために使った、たったひとつしか無かった扉が、ほんとうに絵になってしまったのか?と扉だった絵に顔を寄せて、注意深く観察しようとした。
そこにイルマが唐突に……
「扉がありますよ」と後ろから声をあげていた。
「!?」と四人は振り返った。
そして今度も、言葉を失っていた。
イルマが言ったとおり、扉の正面に浮き出た〝絵〟が、本物?の木の扉となっていたのである。
*
「信じらんねぇ」
ベントは声を押し殺し、バルガスを伺った。
「気を付けろ」
バルガスの言葉にベントは、分かってます、と頷いた。
そしてベントは、腰に下げた長剣を、ゆっくりと抜いた。
他の四人は二人ずつ左右の石壁に移動して広がった。
バルガスとザッカレーが左の石壁に、その反対はアリシアとイルマだ。
ベントはおっかなびっくり、剣を握った腕を目一杯前に伸ばし、一度だけ喉を鳴らすと、扉へと近付いていった。
そしてまさに、剣先が扉に触れようとした瞬間だった。
ドン、ドン、ドン
外から、扉が叩かれたのである。
驚いたベントは、扉から跳びすさった。
その拍子に、囲炉裏の横の僅かな窪みに足を取られていた。
バランスを崩したベントは、転ぶまいとたたらを踏みながら、腕を大きく振り回した。
長剣が部屋の中を踊った。
踊った長剣は、右の壁のアリシアに向いていた。
剣先がアリシアの顔に迫る。
駄目……と彼女は反射的に、両腕で顔を覆った。
身を硬くしたその瞬間、続けざまに三つの音がしていた。
そしてそれっきり、何も起こらなかった。
恐るおそる腕を解(ほど)くと、そこにイルマの顔があった。
見ると、イルマの右手には、革袋から頭を出していた長剣が握られていた。
それも逆手で握らている。
アリシアの足もとには、ベントの長剣が落ちていた。
囲炉裏のそばに、ベントが尻餅を着いて、呆然とした顔で二人を見上げていた。
*
最初の音は、イルマがベントの長剣を跳ね上げた音だった。
イルマは、革袋から逆手で剣を抜きざま、柄頭(つかがしら)を使ってベントの剣を跳ね上げたのだった。
跳ね上げられた剣はベントの手を離れ、そのままアリシアの足下に落ちた。
それが二つ目の音だ。
そして最後は、ベントがひっくり返って、床に尻餅を突く音だった。
「ありがとうございます」
アリシアはイルマに頭を下げた。
ケガはしてないよな?と訊かれ、アリシアは即座に、大丈夫です、と返した。
そして、イルマが持つ剣に注目していた。
それは剣ではなかった。
剣でいう柄にあたる部分に皮が巻いてある〝ただの鉄の棒〟だったのである。
革袋に収まっていたときは、皮で巻かれた束?しか見えていなかったので、古い長剣だと勘違いしていたのだ。
「剣を拾え」
ザッカレーの声で我に返ったベントは、痺れる手を押さえながら起き上がり、ようよう剣を拾い上げた。
束頭に付いた土を手で払い落とし、鞘に納めながら、怒った目でイルマを見ている。
何かを言いたげなベントの目線をよそに、イルマはただの棒を、革袋に無造作に差し入れていた。
「それは?」とバルガスが問うていた。
これかい、とイルマは再びそれを抜き
「旅の必需品……真金(まがね)で出来たただの杖ですよ」とバルガスに見えるように掲げた。
それは長剣とほぼ同じ長さの漆黒の真金の棒で、二握り半ほどの長さに渡って、束のように皮が巻かれていた。
しばらくしげしげと眺め、なるほど……とバルガスは頷いた。
イルマは真金の棒を、革袋に戻した。
*
……と再び、扉が叩かれていた。
バルガスは、慎重に扉に近付き
「誰だ?」と外からの音に呼び掛けた。
五人は、外からの返事を待った。
05 外からの声
「お待ちしておりました」
扉の向こうから、男の声が返ってきた。
「待っていたとは、どう言うことだ?」とバルガス。
するとすぐに返事があった。
「わたくしは、貴方さまがた〝五人〟が、この小屋にお集まりになるのが分かっておりました。だからお待ちしていたのでございます……」
バルガスは、アリシアとイルマに、どういうことだ? という表情を向けた。
二人は、首を横に振った。
同じように二人も、扉の外の声を不思議に思っているようだ。
「何故、我々が五人だと分かる」とバルガスが質問すると
「ほ、ほ、ほ……」
扉の向こうから、奇妙な笑いが返ってきた。
「そちら様は、男の方が四人で女の方がお一人。男の方は兵士さまが三人で、旅の姿をした方がお一人です。そして女性の方は……」と声は、そこまで言うと黙ってしまった。
五人はお互いを見やった。
やがて声が
「続けしましょうか?」と言ってきた。
バルガスはすぐに
「もうよい」と返していた。
ありがとうございます、と扉の向こうで、声が深々と頭を下げる気配があった。
バルガスは続けた。
「ではそちらから扉を開けて、我々に姿を見せよ」
すると今度は、返事も無くなり、動きも無くなった。
聞こえなかったのだろうか?
ならば、とバルガスは扉のそばまで寄って、同じ台詞を繰り返した。
それでも、何も返ってこない。
堪り兼ねたバルガスは
「どうした、扉を開けるのだ」と野太い声を出した。
外に聞こえないはずは無いのだ。
するとやっと
「それが出来ないのでございます」と声が言った。
「どういうことだ?」
すぐに問い返した。
これまで返事が無かったのは、相手が自分のペースに巻き込もうとしているとも考えられる……
声はまた沈黙した。
「どうしちまったんだよ」
焦れたベントが、神経質そうな声を出していた。
ザッカレーが、黙るんだ、と注意した。
ベントは、分かってるよ、と肩で空気を払うような動きを見せながら、ザッカレーを睨み返していた。
やがて、外から返事が帰ってきた。
「そちらから開けて下さらないのであれば、仕方がありません。誠に残念ではございますが、わたくしはこれで帰らせていただきます」
言うなり、声が踵を返す気配があった。
あったと言うより、声の主が気配を送ってきた……のが近いのかもしれない。
「待て」とバルガス。
侮れない、と感じたバルガスは、ザッカレーに目を走らせた。
お互いは瞬時に合意していた。
バルガスは
「分かった、こちらから開けよう」と返事をしていた。
06 小屋から外へ
ザッカレーが扉の前に立った。
そして、扉が改めて本物?であることを確かめた。
扉には、太い横木が二本、閂(かんぬき)として水平に取り付けられていた。
これを扉側に、横に滑らせることで、外に向かって扉が開くようになっている。
ザッカレーはもう一度振り返り、今度はベントに目配せした。
ベントは黙って剣を抜くと、扉の横に移動した。
バルガスは腰の長剣に、静かに手を掛けていた。
ザッカレーは、僅(わず)かに躊躇(ためら)いを見せた後に、一本目の閂に手を掛けた。
横にスライドさせる。
難なく動いた。
続けて二本目に手を掛け、それも滑らせた。
これで、扉は開くはずだ。
ゆっくりと、扉を手で押した。
一度だけ、蝶番(ちょうつがい)が軋(きし)む音がした。
手には、扉の重さを感じただけだった。
それ以外の抵抗は、何も感じなかった。
*
扉が石壁の厚さを超えると、その隙間から光が入ってきた。
ザッカレーは後ろに下がった。
そこにベントが割り込んで入り、腕を目一杯伸ばし、剣先で扉を押した。
ゆっくりと……
そして、扉は完全に開かれた。
光が小屋の中を満たす。
太陽の日差しであった。
全員の頭の中は、表情には出さないものの混乱していた。
五人が小屋に揃ったのは一時ほど前で、しかも真夜中だったからだ……
*
扉の向こうに、年老いた男が立っていた。
年齢は八十を超えているだろう。
頭髪は薄く、乾燥した肌の中に、無数の皺が刻み込まれていた。
その年月を経て作られた、深く彫り込まれた皺の中に、一組の目があった。
その目だけがやけにみずみずしく、年齢に相容れなく、どこか不釣り合いだ。
老人は、一度反るように背筋を伸ばし、それから小屋の中に向かって、うやうやしく頭を下げた。
「モウア……でございます」
一礼して上げたモウアの後ろには、石を敷き詰めて造られた一本の真っ直ぐな道が続いていた。
道の両端には木々が乱立しており、青々とした葉が鬱蒼と生い茂って、道に影を作っている。
「ささ、外へ……」
モウアは扉の前から後方へさがった。
三人の兵士はお互いに顔を見合わせ、意を決したように動いた。
アリシアとイルマも、それに習った。
バルガス、ザッカレー、ベント、イルマ、アリシアの順番で扉の外に出た。
モウアは、扉から出てくる一人ひとりに、名前を訊ねながら自分ももう一度名乗り、その都度丁寧に頭を下げた。
……とモウアは、最後のアリシアに対して、言葉と動きを止めていた。
これまでのうやうやしい表情が、驚きの表情に入れ替わったのである。
しかしそれは一瞬だった。
そして一礼した。
一瞬を見逃さなかったザッカレーが、どうした? と訊ねていた。
モウアはザッカレーに向き直り
「分かっていたはずだったのですが、若い女性さまなので、少々戸惑ってしまったのでございます。しかもとてもお綺麗な方でございますので……」
だたそれだけの事です、それがどうかしましたか? と言った顔になっていた。
ザッカレーは、それ以上問い詰めることはしなかった。
するとモウアは、今一度アリシアに向き直り
「扉を閉めていただけますでしょうか?」とお願いした。
わたしがですか? と少し驚いたアリシアだったが、それでも分かりましたと返事をして、扉に歩み寄っていた。
しかし戸惑った表情で、モウアに振り返っていた。
アリシアの動きを追っていたバルガスとザッカレーも、その事に気付いていた。
モウアは、ご覧の通りでございます、と微笑んでいる。
「外からは開けられない……とわたくしが言っていたのは、これが理由だったのでございます」
扉の外側には、把手らしき〝掴む物〟が何も取り付けられていなかったのである。
普通なら、中の閂の横木を動かせるための棒か何かが、扉の穴から出ているはずなのだが、それが無い。
さらに、指を引っ掛けられるような凹凸も無かった。
ただの真っ平らな扉だったのである。
外れてしまったのではないか? 誰かが故意に取り外したのではないか? と疑うような痕跡も無い。
つまりこの扉は、外から開けられるようには、初めから作られていなかったのである。
五人は、それぞれに思い返していた。
森から小屋の中に入るとき、自分たちはどうやったのか?
何故中に入れたのか?
そもそも外側に、把手らしきものがあったのか? 無かったのか?
まったく思い出せなかった。
五人全員が、だだ扉を押せば開く、と……そう思って小屋の中に入ったのだ。
アリシアは、両手を扉に添えてゆっくりと押した。
石壁と扉が横水平になったのを確認して、アリシアは手を離した。
しかし扉は、またゆっくりと外側に動いていた。
慌てたアリシアは扉を強く押し戻した。
体重をかけて押した。
しばらくしてからゆっくりと手を離すと、今度は動かなかった。
*
それを確認したモウアが
「では、出発いたしますが、よろしいでございましょうか?」と五人に言った。
するとイルマが
「あぁと、ちょっと待ってくれないかな」と手を上げた。
モウアは、出発します、と仰々(ぎょうぎょう)しく下げようとしていた頭を、途中で止めた。
「どうなされました」
「悪いけど、あとちょっとだけ待ってくんないかな」
イルマは、担いでいた革袋を地面に下ろした。
モウアは、お早くお願いします、と促した。
すぐだから、とイルマは皮袋の口紐を緩めて、中に手を入れた。
ゴソゴソと掻き回し、そして取り出したのは、皮で造られた袋状の履き物であった。
底になる部分には、厚手の皮が幾重にも重ねて貼り合わされていて、頑丈な作りになっている。
イルマが、今履いているのと似ていた。
予備としての靴だった。
イルマはそれをアリシアに渡した。
「大きいかもしれないが、履くといい。足首の部分を縛れば脱げはしないだろう。ケガの防止だ」
突然の差し出しに驚いたアリシアは、大丈夫ですと断ろうとしたが、さぁ履きな、と無理矢理押しつけられてしまった。
受け取った靴を、アリシアは胸に抱いて深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
それから地面に腰を降ろし、足の裏の土を綺麗に払い落としてから足を入れた。
立ち上がったアリシアは、今度はチュニックを渡された。
これもイルマが今着ている男物の、丈が短くて動きやすい厚手のコットンリネンのやつだった。
着替え用なのだろう。
これも皮袋の中から出したものだ。
戸惑うアリシアに
「その薄い(女物の)チュニック一枚じゃあ風もしのげない。上着として羽織ればいい」
アリシアは、今度も頭を下げて礼を言い、チュニックを受け取って、すぐに袖を通した。
男物だから、女性が着れば膝上の丈でコートにもなりそうだ。
「ちょっと大きいけど、無いよりはましだ」
似合ってるじゃないか、とイルマはアリシアが着たチュニック上着の肩の糸くずを摘まんで捨てた。
それから手を上げて、モウアに礼を言った。
モウアは、よろしいですかな、と全員を見回した。
ベントだけが、面白くない顔をしていた。
「ではまいりましょう」と一礼した。
07 不慮の事故
「……って何処にゆくんだい?」
今度もイルマだった。
モウアは笑った。
最初に扉の向こうから聞こえてきたのと同じで、奇妙な笑い声だった。
「何処へ? とは何をおっしゃっているのでございましょう。ご存じのはずですが」
モウアは首を傾げた。
イルマは、なるほど、と三人の兵士を順番に見た。
バルガスとザッカレーは、当然のごとく無反応だ。
ベントは、よそを見ていて、イルマの視線に気付いていないふりをしている。
するとモウアが、二人に向けて、手の平を上にして差し出した。
「アリシアさまとイルマさまは、お三人さまのお連れでは無いということでございましょうか?」
不思議そうな顔で訊ねてはいるが、そのことは分かっている、というような口振りにも聞こえる。
するとバルガスが
「我々三人だけでゆく」と口を開いた。
モウアは驚きながら、とんでも御座いません、と首を横に振った。
「それは出来ません。私はあなた様五人全員を連れて来るように……と仰せ使っているのでございます」
ザッカレーは、ゆっくりと背筋を伸ばし
「二人は関係ないのだ」とモウアに圧を掛けた。
「関係があるか無いか……それは私が決めることではございません」
モウアは、長身のザッカレーから覆い被さってくる圧を、平然と受けている。
でなければお帰り下さい、と逆に言いそうだ。
食えない男だ、とバルガスはモウアを見ていた。
するとイルマが言った。
「オレとアリシアさんが、この三人さんたちの目的の邪魔になるのであれば、解決する方法はいくらでもあるんと思うんだけど……」
「それはどんなものか、あるいはどんなことでございましょう」とモウアが、興味深そうに訊き返してきた。
「例えば途中で、アリシアさんとオレに不慮の事故か何かがあったりしてさ……」
イルマは、これからの〝不慮の事故〟に準備するかのように、肩と首の筋肉をグルリと回した。
「事故だったらあんたのご主人さまも、仕方ない、て納得するんじゃないの」
するとモウアは、ほ、ほ、ほ、と笑い
「そうですね。それは妙案でございますね」と意味深な声音で返していた。
「でも〝今のところ〟は、そうじゃ無い……」とイルマ。
そうですね、とモウアは頷いた。
モウアの頷きを導き出したイルマは、こんなんでどうかな? とバルガスを伺った。
「そうだな。それは……今、ではない」とバルガスはザッカレーに苦笑いを送った。
受けたザッカレーは、モウアとイルマに顎を引いた。
イルマは笑って
「じゃあ、行こうよ」と革袋を抱え上げていた。
モウアは、それでは、と一礼し
「言い忘れておりました。この石畳の道からは決して外にお出にならぬようお願いします」と加えた。
「出たらどうなるんだい?」
訊いたのは、今度もイルマだった。
すると瞬時に
「出てみますか?」とモウアはイルマでは無く、ベントを見ている。
それから身体で振り返ったモウアの笑みが見えた。
「一歩でも出てしまったら二度と……」
モウアは言葉を切った。
言葉を切るのは、モウアの癖であるようだ。
「二度と何だよ――」
語気を荒げたベントだったが、その声は微かに震えている。
一歩でも踏み外したら〝何か〟が本当に起きるのか?
踏み外したくらいで、自分に大変なことが起こるとは信じ難い。
しかし……小屋の中であれだけの物を見せられては、無闇にやってみようという気にはなれない。
ベントは、言い返せなかった。
道を外したらどうなるか? 確かめようが無いのだ。
「道から外れないようにすれば良いのだな」とザッカレー。
「さようでございます」とモウアは、そこでやっとベントから目を離した。
バルガスが全員を見回した。
「ではゆくとしよう。時間を無駄にしたくない」
するとモウアが返していた。
「いいえ、時間はたっぷりございます」
モウアは、まいりましょう、を言うと、五人に背を向けて先頭に立って歩きはじめていた。
08 秘密
五人は石畳の道の上を、モウアの背中を追うように歩いていた。
モウアのすぐ後ろを、ザッカレー、そしてベント、イルマとアリシア、バルガスの順で歩いている。
アリシアとイルマは、一緒に横に並んで歩いていた。
石畳は、二人で横並びに歩いても、踏み外さないほどの充分な幅があった。
時々アリシアは、気にするように、イルマを伺った。
イルマは、外の景色を楽しんでいるのだろうか……微笑ながら辺りを見回している。
それを見て、アリシアは何処か安心した。
アリシアは、空を見上げた。
道の両側からは、木々の葉が道に覆い被さるように鬱蒼と生い茂っている。
その枝や葉が、強い日差しをほどよく遮っていた。
木々の間からこぼれる日差しを眺めていると、イルマが唐突に口を開いていた。
「それでさぁ、皆さんはどうして此処に来ることになったんです?」
すぐ前を歩いていたベントが振り返り、二人を睨み付けた。
アリシアが質問したわけでも無いのに、彼女も睨まれた。
何かにつけて、難癖を付けたい態度が見え見えだ。
特にアリシアに対しては、あからあさまな嫌悪感を隠そうともしない。
いつも、汚い物でも見るような目付きで、アリシアを見ている。
モウアが、ほ、ほ、ほ、と笑った。
「それは当然〝あれ〟が、欲しくてやって来られたのでございますよ」
モウアは、前を向いて歩き続けている。
モウアが立ち止まらないので、ベントは舌打ちして前を向いた。
「あれを手に入れるには、私どもの御主人様にお会いになる他は無いのですよ」
「あれ……って?」とイルマ。
「不老不死の秘密で御座いますよ」
モウアは、あっさりと答えてくれた。
会話の流れでごく自然に、別に大したことでも無いように出た言葉だった。
モウアは続けた。
「私どもの住むこの場所には、不老不死になるための秘密が存在している……という噂が、あなた方の国ではあるそうですね」
「へぇ、そうなんだ」
イルマはバルガスを振り返った。
バルガスの表情は変わらない。
イルマは、肩をすくめて前に向き直り
「此処の主が、その不老不死の秘密とやらを持っているのかい?」とモウアに訊ねた。
「左様でございます。私どもの御主人様が創造なさったそれが〝此処〟で御座いますので……」
「創造した?」
「そうです。此処を創造しました」
歩きながら揺れるモウアの肩は、どこか震えているようにも見える。
笑っているのかしら? とアリシアは首を傾げた。
「それが本当かどうかも……いずれは分かることでございましょう」
「なるほど、それは面白いな」
するとモウアは、歩みを止めた。
全員が立ち止まった。
「面白い……で御座いますか?」
モウアは振り返って、不思議そうな顔をイルマに向けた。
「ああ、面白い。そんな不可思議な世界が、現にここに存在して、オレがここに居るってことがさ」
アリシアの見たイルマの横顔は、新しいおもちゃを渡された子供のような顔になっていた。
「そうですか、面白い……で御座いますか」とモウアは呟いた。
するとベントが
「面白くねェよ」と道端に唾を吐いた。
「ああベントさま、ベントさまは反対に面白くない、ということで御座いますか?」
問われてベントはモウアを睨みはしたが
「そんなこたぁ……」で言葉を止めた。
そして間があって「うんにゃ、何でもねぇよ」とバツが悪そうに黙りこくった。
そうですか、とモウアは、笑い顔のままベントから目線を外した。
そしてもう一度だけイルマに目を止め、それから前に向きなおった。
「もうそろそろ森を出ます」と言って歩きだしていた。
沈黙のまま、モウアに続く五人。
「アリシアさんは知ってたのかい?」
沈黙を壊さないように、イルマはアリシアに顔を寄せ、さらに小声で訊いていた。
不老不死のことである。
噂は訊いたことがあります、でもそれ以上のことは……とアリシアも小声で返していた。
09 丘の上
やがて……
ほとんどまっすぐな石畳を歩き続けた五人は、小高い丘の上に出ていた。
小屋を出発してから丘に出るまで、半時は掛かっていなかった。
その場所から、なだらかに下った先に〝街〟が見えた。
街の周辺は田や畑になっているのが丘の上から見ても分かり、多くの人々が動き回っている。
「本日は、あの街にある宿に泊まって頂くことになります」
「お前の主は何処にいるのだ?」とバルガス。
モウアは街を示していた指先を、そのまま奥の、遠くに見える山の方へ動かしていた。
「あの岩山の麓(ふもと)に、御主人様の館が御座います」
「麓までどれくらい掛かる?」
今度訊いたのは、ザッカレーだった。
「朝に街を出立すれば、夕方には余裕で到着いたします」とモウアは答え、空を見上げた。
いつの間にか、辺りが薄暗くなっていた。
気付くと、太陽は西?に傾いている。
小屋の中に入ったのが真夜中、小屋を出たのが昼間、石畳の道は半時も歩いていない。
だがもう夕暮れだ。
「半日以上は掛かります。ですから、今日はあの街の宿で一泊していただきます。よろしいですかな?」
全員、ベントの提案に異論は無かった。
モウアの案内なくしては、三人が目的とする主(あるじ)に会えないからだ。
アリシアとイルマにしても、それに意見するつもりは無かった。
五人の気持ちを確かめ、モウアは頷いた。
「それでは、参るといたしましょう」
モウアは皆に背を向け、今度も先頭に立って丘を下り始めた。
敷石の道が街まで続いている。
ここから先も、単独で行動することは許されない。
不可能だということなのだ……
10 宿での食事
モウアと五人は、目指す街に向かって、石畳の道をまっすぐに下った。
半時(約1時間)ほど歩き、村の外れに辿り着いたころにはもう、とっぷりと日が暮れていた。
小屋から外に出たときは、太陽は真上にあった。
そして、小屋を出て丘まで半時、丘から村の外れまで半時……
つまり一時の間に、日が落ちてしまっていたのである。
加えて、丘から街を見下ろしていたときには、あれほど見えた人々が居なくなっていたのである。
どこを見回しても、どこにも人影が無いのだ。
その、不気味なほど人影の無い街の中央通りを、五人はモウアに導かれながら宿を目指した。
*
宿は、その街のほぼ真ん中にあった。
二階建てで、ここまで歩きながら周りを見てきた限りでは、街で一番大きな建物のようだ。
モウアの話によれば、街でただひとつの宿屋だということだ。
モウアと五人は、その宿の入口の前に立っていた。
半分開け放たれた扉からは、煌々(こうこう)とした明かりが漏れ、人々の騒ぐ声や笑いが聞こえてくる。
ここまで歩いて来た通りの静寂さとは、まったくの別の世界のようだった。
モウアが五人を振り返った。
そして、それでは……と扉を抜けて中に入り、どうぞ、と五人を招き入れた。
モウアの後に続いて、五人は宿の中に足を踏み入れた。
*
中は、入口から左側がカウンターとなっており、右側にはテーブルがズラリと並べて置いてあった。
その右端の壁沿いに、二階へ通ずる階段があった。
一階は飲食をするスペースで、二階が宿泊部屋となっている。
モウアが言っていた通りだった。
カウンターと、十以上はあるテーブルは、街の住人……であろう人たちでほとんどが埋まっていた。
食事をしている者たち、飲み物を片手に賭けやゲームを楽しんでいる者たち、酔い潰れてテーブルに突っ伏して寝ている者もいる。
隅に設置してある、指で弾いて奏でる楽器の演奏に手拍子やわけの分からない躍りで参加し、歌を唄っている者もいる。
男男、女女、男女で抱き合っている者たちもいる。
どうやらここは、街唯一の娯楽の場でもあるようだ。
しかしその喧噪が、一瞬で静寂と化していた。
モウアが招き入れた五人を、住人たちが見止めたからだった。
誰が入って来たんだ?何者だ? と全員が、五人に強い視線を注いでいた。
視線に反応して、当然五人の緊張は高まっていた。
しかしその後、思いも寄らないことが起こったのである。
五人に注がれていた街の者たちの視線が、あっけなくどこかへ行ってしまったのだ。
それは一瞬だった。
街の者たちの興味は、それぞれの自分の事へと……自分らが楽しんでいたことの続きに戻ってしまい、もとの喧騒に帰ってしまったのである。
「どうやらここの連中は、オレ達にはあまり興味が無いようですね」
イルマは小さく言って、モウアの背中に視線を投げた。
イルマの独り言が、背を向けているモウアに当たったようには思えなかった。
それでも、モウアは振り返った。
「こちらへどうぞ」とうやうやしく、五人を奥へと招き入れていた。
*
五人は、入口から二番目の丸いテーブルに案内された。
しかし案内されたテーブルには、椅子が四脚しか用意されていなかった。
もともとが四人用のテーブルなのだ。
しかもこちらには、丸太のように太いバルガスと、長身のザッカレーがいる。
気を利かしたアリシアは、遠慮して空いている隣のテーブルに移動しようとした。
すると、モウアがアリシアを引き留めていた。
「もうしわけ御座いません。そちらにはお座りにはなれません。足らない椅子はすぐに運ばせますので、どうかしばらくお待ちください」と詫びた。
ザッカレーが
「なぜそちらのテーブルを使ってはならないのだ?」と訊いた。
バルガスとザッカレーがテーブルの近くに立つだけで、テーブルが小さく見えてしまう。
モウアは
「予約が入っているのでございます」と素っ気なく答えて、厨房へ繋がる奥へと消えてしまった。
そして待つ必要もないくらいの早さで、モウアと椅子を抱えた女の給仕が現れた。
給仕は顔を上げないまま、運んで来た椅子をテーブルに割り込ませて、それぞれの間隔を調整した。
アリシアがその女給仕に礼を言うと、給仕はさらに頭を下げて、そそくさと奥へ消えた。
「それではお食事とお飲み物を運ばせます」と一礼すると、モウアはまた、厨房を繋ぐカウンターへと姿を消した。
ほどなくして、先ほどの女の給仕と一緒に、男の給仕が飲み物と食べ物を運んできた。
肉、野菜、穀物、雑穀、果物、水と、充分過ぎるほどの量だった。
しかし、卓の上に食事が並べられたにも関わらず、五人は手を出そうとしなかった。
すると男の給仕が、分かっています、と頷いて、すべての皿から食べ物をひとつずつ摘まみ上げると、自分の口に投げ入れ
た。
ゆっくりと咀嚼し、飲み物と一緒に飲み込んだ。
しばらくしてやっと、バルガスが、うむ、と顎を引いた。
男女の給仕は一礼すると、厨房の奥へ戻っていった。
そしてようやく、五人は運ばれてきた食べ物と飲み物を口にしたのである。
モウアは、酒もいかがですかと薦めたが、バルガスが断っていた。
ベントは飲みたい、と文句を口にしたが
「どういう状況かよく考えろ」とザッカレーに窘(たしな)められてしまった。
ベントは反発しなかった。
代わりに苦虫を噛みつぶしたような顔で
「分かってるよ」と言い捨てていた。
有事の場に出くわしたとき、動きと判断が鈍くなるのを自分でも理解しているのだ。
*
食べ物と飲み物が無くなったころ、モウアが戻って来た。
「お食事は、終わりましたでしょうか?」とテーブルの上を確認する。
「終わった」とバルガスが、全員を代表して答えていた。
ザッカレーが頷いた。
「美味しかったよ」とイルマ。
「ご馳走さまでした」とアリシア。
ベントは慌てて、口の中の物を飲み物で流し込んでいた。
モウアは一礼した。
「それでは、皆様をお部屋へご案内することにいたしましょう」
その言葉に、五人が椅子をずらして立ち上がった。
すると、他のテーブルの者たちの喧騒が止まり、また注目が集まっていた。
五人は動きを止めた。
止めて周りの次?を待った。
しかし、ただそれだけで終わった。
そしてそれぞれは、五人から興味を失ってしまっていた。
静寂が喧騒に、一瞬で移り変わっていた。
「変なやつらだ」とベントは、街の住人を眺め回した。
モウアは一瞬、強(こわ)い目をベントに向けた。
強い目にベントが気付くよりも前に、モウアは、何でも無いです、と他の四人に含み笑いをして踵を返し、右端の壁沿いの階段に向かった。
五人は黙ってそれに続いた。
二階に消えるまで、五人に注意を向ける者は誰一人としていなかった。
11 部屋
モウアは階段を上りながら
「二階には、一階のテーブルと同じ数だけの部屋があるのです」と説明してくれた。
そして五人は、二階の踊り場から二番目の部屋に案内された。
テーブルは二番目、部屋も同じ二番目である。
何か意味があるのですか? とアリシア訊ねると、たまたまです、という返事が帰ってきた。
モウアが扉を開ける。
モウアと五人は中に入った。
殺風景な部屋だった。
ベッドは無く、ある物と言えば、部屋の中央に置かれている燭台と、奥の隅にうず高く積み重ねられている毛布だけであった。
燭台の上には灯明皿が置かれていて、その中で油が燃えている。
窓はひとつだけだが、緩やかな風と一緒に月明かりを運んできていた。
その風が灯明皿の炎とともに、部屋の中をユラユラと浮かび上がらせていた。
広さは問題無い。
五人が横になっても、充分過ぎるほどの余裕がある。
「それでは明日の朝、お迎えに参ります」
モウアは、終始ニコニコしている。
「楽しそうだな」とバルガス。
モウアは即座に返答していた。
「楽しいのではありません。嬉しいので御座います」と前に進み出た。
逆に彼の方から五人に訊ねているように聞こえてしまう。
そんなモウアを、アリシアは見ている。
見られているのを感じていても、モウアはアリシアを無視している。
「楽しいと嬉しいは、違うものなのか?」
バルガスの言葉にモウアは
「似て非なるものだと、私は考えます……」と一度答えて言葉を切り
「いいえ、分かりません」と笑みのまま首を横に振った。
自分が違うって、今言ったじゃねぇかよ、とベントが返した。
間違えたことは言っていません、とモウアの笑みは、同じ形のままで顔に貼り付いている。
ベントは、これ以上返すことを止めた。
「では、失礼いたします」
モウアは深々と頭を下げた。
モウアが扉を閉めて去ると、ザッカレーが扉に耳を近付けて、外の気配を探った。
しばらくして、ようやく耳を離した。
ザッカレーは、大きく息を吐いた。
*
「全員がこの部屋なのかよ……」
そう毒突きながら、ベントはアリシアを一瞥(いちべつ)した。
それがどうかしたんだろうか? とイルマは惚(とぼ)けた顔をアリシアに見せた。
その仕草が、どことなく剽軽(ひょうきん)で、アレシアは思わず笑ってしまった。
慌てたアレシアは、笑いを見られないように、とっさに顔を伏せた。
それでも目ざとく
「何が可笑しいんだよ」とベントがすぐに反応した。
言いながら、ベントはアリシアに詰め寄った。
続けて「……のくせしやがって」とベントは、アリシアの右足に目を落とした。
その右足の甲に向かって唾を飛ばした。
イルマから借りた靴を履いてはいるが、小屋の中で見た、甲の部分の入れ墨に向かっての行為であった。
狙い違わず、唾はイルマが貸した靴を汚した。
アリシアはすぐに、懐から小さな布を取り出すと、屈んで靴の汚れを拭った。
そして立ち上がり、正面のベントを見据えた。
「わたしと一緒の部屋になったのが不満なのですよね。わたしが女だからですか?それとも奴隷だからですか?」
そうはっきりと言い放っていた。
「右足の甲の入れ墨は、確かに奴隷の印です。でもわたしはあなたの奴隷ではありません」と一歩も引かない態度を見せた。
ベントは、自分でも分からないうちに後退していた。
なかなかのものだ、とバルガスとザッカレーは感心した。
「そりゃそうだ」とイルマ。
すると弾かれたように、ベントはイルマを睨んだ。
アリシアに気圧されて分が悪くなったのを誤魔化すために、矛先をイルマに向けたのだ。
イルマは相変わらず、とぼけた顔のままだ。
追い打ちを掛けるように、アリシアが口を開いた。
「ベントさま……わたしはあなた様のお名前を、何度か聞いたことがあります」
瞬間にベントの身体が反応し、再びアリシアに向き直っていた。
殺すぞ、とその口が動いていた。
それでもアリシアは、怖じ気ずくこと無く続けた。
「その紋章も見たことがあります」
アリシアが目を落として指し示したのは、ベントが腰に下げている長剣の束頭だった。
バルガスやザッカレーも、それぞれに自分の家紋を剣の束頭に彫り込んでいる。
アリシアは、ベントのその家紋のこと言っているのだ。
「小屋の中で、イルマさまがベントさまの剣を弾いてわたしを助けてくれたとき……床に落ちた剣の束頭を見て気付きました」
「ほんとだ。バルガスさんとザッカレーさんのとは違って、なんと言うか、仰々しいね」とイルマ。
仰々しいと表現するとは、どこまでも分からない奴だ、家紋は家紋なのに、とザッカレーは苦笑した。
「その紋章はエラジオ王国のものですよね。しかもそれを長剣として持っていると言うことは、ベントさまは身分の高いお方ということではないんですか?」
ベントは押し黙った。
押し黙ったベントの代わりに口を開いたのは、ザッカレーだった。
「ベント様は、エラジオの王位継承権第八位のお方であるのだ」
「ザッカレー、てめェえ」ベントは声を荒げた。
「落ち着いてください」とザッカレーのこれまでの口調が変わっていた。
ザッカレーは、いきり立つベントの肩に手を置いた。
衝動的に動きかけたベントを、ザッカレーが押さえつける形になっていた。
ベントは、ザッカレーの手を払いのけようと身じろぎした。
しかしその動きは、ザッカレーの無言の圧に封じ込まれてしまった。
「もともとはベント様が、小屋に入る、とおっしゃっからではありませんか」とザッカレー。
「小屋の中のようすを王に報告出来れば、少しは株が上がると思ったんだよ」とベントはふて腐れてた。
王位の継承は、基本的に長男が最優先で、次男以降は予備となる。
いわゆる保険みたいなものだ。
ましてや、ベントの継承は第八位で、重要な要職に就くのも、ほぼ無いに等しい。
それゆえに、王に自分の存在を印象づけようと、何か特別なことをしなければならない、とベントは考えた。
それが〝これ〟だったのだが……
糞、とベントは唸り、諦めたように床に座り込んでいた。
12 同じ月
「もう良い、ここまでだ」と話を終わらせたのはバルガスだった。
アリシアも、それ以上は何かを言うこともなく、分かりました、と無言で頭を下げていた。
そしてアリシアは、部屋の角に重ね置きしてある毛布を取りに動いていた。
五人分の毛布を抱え、四人それぞれに二枚ずつ渡して回った。
ベントはひったくるように受け取った。
ほんなベントの横暴な態度を、まったく気にすること無く
「広すぎる部屋ですね」と部屋の中を改めて見回しながら、アリシアは言った。
詰めて寝れば、十人はいけそうな広さはある。
「なんにも無ぇじゃねぇか」とベントは、逆らうように吐き捨てた。
「雨風がしのげればそれで良い――」
バルガスは、扉の蝶番のある方の壁に寄りかかって腰を下ろした。
扉が内側に開かれたとき、扉の影になる側だ。
座るとすぐに、武具の紐を緩める作業に取り掛かっていた。
脱ぐのでは無い、少し緩めるだけだ。
ザッカレーは、バルガスとは扉を挟んだ逆の壁に背中を預けた。
二人とも、部屋の外の異変を、背中で感じるためだ。
ベントは適当な場所を選び、長剣を抱いてもう横になっている。
「じゃあ、オレはここで……」とイルマは、バルガスとザッカレーの正面、つまり扉の正面の壁に腰を下ろした。
二人から、苦笑が漏れた。
扉が開かれ、飛び道具を使われれば、終ってしまう位置だ。
多分イルマは、それを分かっていて、あえて座ったのだ。
アリシアはイルマの横に、身体ふたつ分を開けて座った。
アリシアも、この位置が危険であるということは、重々承知しているはずだ。
それでもあえて、そこを選んだとしか思えない。
バルガスとザッカレーから、また苦笑が漏れた。
「アリシア……」
寝る支度をしていたアリシアに、バルガスから声が掛かった。
「悪いが、明りを消してくれるか」
テーブルの上の灯明皿で燃えている、部屋で唯一の灯りのことである。
分かりました、とアリシアはテーブルまで行き、灯明皿で燃えている炎を指で摘まんで消した。
部屋の中は、ひとつだけある窓からの月の光のみとなってしまった。
モノの輪郭が、かろうじて分かる程度の明るさだった。
「あれは……」
毛布を床に敷いて、もう一枚を肩まで掛けてアリシアが呟いた。
「あれはいつも、わたしたちが見ている月と同じなのでしょうか?」
「どうなのかなぁ~」
横からイルマの呑気な声がした。
「儂もそれを考えていたところだ……」とバルガスが笑みを返した。
しかし、月明かりだけでは、バルガスの笑みがアリシアに届いたかどうかは分からない。
アリシアが返した。
「でもそれは、今はどうでもよいことのような気がします」
「けッ」とベントの舌打ちが聞こえた。
「明日のために身体を休めてくれ」とザッカレー。
そして、おのおのが身じろぎする気配があり、部屋は静かになった。
しばらくの後には、全員の寝息が部屋の中を漂い流れていた。
13 侵入者
深夜――
部屋の扉が、静かにゆっくりと開かれた。
ふたつの影が、五人が眠る部屋に入ってきた。
窓から差し込む月明かりだけを頼りに、影は部屋の中を探った。
もの音ひとつ立てない。
完全に気配を断っていた。
訓練を積んだ者だけが持っている技だ。
だからこそ影は、すぐに部屋のようすが変であることに気付いていた。
人の気配を感じないのだ。
もっと深く探ってみる。
あった、ひとつだけ……
扉の正面の、ふたつある毛布の右側からだけ気配を感じる。
影はお互いに、無言のまま頷きあった。
同時に影のひとつが、気配のある毛布に、近付いていった。
そして、毛布の端を摘まんで、ゆっくりと持ち上げた。
一対の目が、影を見上げていた。
アリシアが、膝を抱えて座っていた。
影が感じたのは、五人の中で、唯一気配を消すことの出来ないアリシアのものだったのだ。
影は、音を立てずに後退した。
二つの影は、隠す必要がなくなった気配を解放していた。
騙されたと知り……いや、騙されたと言うより、部屋の中に入ってすぐに、影は異変に気付いていた。
それでもなお、影は逃げようとせずに部屋に留まり、気配の出ている毛布まで剥ぎ取ることをやってしまった。
どういう意図があるのか……
その時、部屋の四隅から、影とは別の気配が動いた。
長身のザッカレーが、月明かりの中に現れた。
鞘に収められたままの長剣を、左手に握っている。
続いて前に出たのは、ベントだった。
ベントは鞘から長剣を抜いた。
二人が、一歩だけ前に出る。
その分影が、後ろにさがる。
気付いたときにはもう、イルマがアリシアの隣に並んでいた。
そして最後に現れたバルガスが
「何者か?」と影に問うていた。
ふたつの影は、無言だった。
「ならば無理矢理訊くことになるのだが……」
その言葉に、ザッカレーとベントが左右に広がった。
影たちは、再び下がりながら、それぞれに背中の剣を抜いた。
月明かりに反射して、刀身が光る。
それは長剣よりも短いが、短剣よりは長い、狭い場所や室内で使い易い、接近戦に用いられる剣であった。
ふたつの影から解放れた気配が膨れ上がり、部屋の中を緊張させた。
ジリっと、影が足の指を使って前に動いた。
その後の動きは早かった。
ひとつが間合いを詰め、長身のザッカレーの懐に飛び込んでいた。
逆手に握り替えた剣を殴り上げるようにして、影はザッカレーに斬りつけていた。
ザッカレーは、鞘に入った剣のまま、影の刃を横に弾いた。
弾かれた剣は影の手を離れて飛んだ。
……と当時に、影の足がザッカレーの股間を襲っていた。
剣での攻撃は、最初から囮だったのだ。
それは容赦の無い、鋭い蹴りだった。
しかしザッカレーは、膝を立てて、影の蹴りを造作も無く受けていた。
影は、膝に押し返されるように飛び退(すさ)った。
ザッカレーの気が膨れ上がった。
身体が、もう一回り大きくなったかのような錯覚を覚えた。
ザッカレーが、前に踏み出した。
すると影は呆気なく
「や~めた」と両手を上げて、床に尻を落としてしまったのである。
*
そのころベントは、もうひとつの影の、正面からの一撃を剣で受けていた。
しかし、それからの動きが無い。
影がグイグイと力で押してくる。
それを押し返そうとするベント。
力が拮抗していて、両者とも次の一手が打てないのだ。
「一人で、何とかしてみろ」とザッカレーが、座り込んだ影を前にして、ベントに声を掛けていた。
その言葉に反応したのは、影の方だった。
直後に、ザッカレーを真似るように、影の気が膨らんだのである。
気配を殺すことといい、気を扱うことといい、そこまで自分を扱えるのか、とバルガスは感嘆した。
影は、自分が交戦している間にも、しっかりと周りの状況を把握しているということだ。
影がベントを押した。
影の力を横に流すように、ベントは回った。
回ったことで、窓から差す月の光が、影の顔を照らしていた。
とたんに、ベントが素っ頓狂な声をあげていた。
「お、お前……」
だからなんだ、と影が笑っている。
月明かりに顔を晒すのも、影の作戦だったのだ。
月の光の下で、ベントが見た影の顔は、女だったのである。
動揺した隙を突いて、女はベントの脛(すね)を脚で払っていた。
体制を崩したベントは、床に身体を投げ出してしまった。
女は、ベントの剣を踏みつけて反撃を封じた。
同時に、一気に振り下ろしていた。
殺られる……とベントは、反射的に両腕で前(顔)を庇った。
直後に、ガツンという音を聞いた。
音は聞いたが、自分の身体に、その衝撃が伝わって来なかった。
バルガスかザッカレーが、助けてくれたのだろう、とベントは恐る恐る腕を解いた。
しかし、目の前にあったのは、イルマの鉄の棒であった。
一瞬の間に、イルマはアリシアから動き、影の剣の下に真金を滑り込ませたのだった。
「ちっくしょう」
女は、剣に体重を乗せて前屈みになると、ベントの顔に噛みつくような勢いで唾を飛ばした。
「そこまでにしましょう」
イルマが女に、優しく声を掛けた。
だが女は、イルマの宥(なだ)める声をよそに、剣に身体を被せて、無理矢理にでも押し込もうとあがいた。
それでも、剣はベントの頭上で停止したまま動かなかった。
特別何処かに力を入れているようにも見えなかった。
あの普通に見える身体の何処に、その膂力が隠れているのであろう。
こいつをどけやがれ!と女はイルマに歯を剥き出した。
それでもイルマは、その掴み所の無い笑みを崩さない。
とうとう女は、糞、この……と力を抜いて立ち上がっていた。
イルマは、どうも、と女に頭を下げて、真金を引いた。
女は、ふて腐れたように、自分の剣をイルマに投げてよこし、疲れた、と眼下のベントに鋭い目付きを投げていた。
睨まれたベントは床に転がった状態のまま、どうすればいいのか、と動けなかった。
すると女が
「邪魔だ!」とベントの脚を蹴り上げた。
ベントは驚き、次には苦々しげな表情で立ち上がると、自分の剣を拾い上げて鞘に納めていた。
女は、その場所に胡座をかいて座り込んだ。
そして、男に目線を投げた。
それを受けて、男は顎を引いた。
*
「明りを点けてくれるか……」
バルガスが声を掛けると、アリシアが灯明皿が乗っているテーブルに動いた。
イルマが革袋から火打ち石を出して、アリシアに手渡した。
アリシアは慣れた手つきで石を扱うと、灯明皿へ火を起こした。
揺らめく炎が、月明かりと溶け合って、部屋の中をさらに明るくした。
14 不老不死の秘密
「何もかも話してもらおうか」
バルガスは、座り込んだ男の正面に移動して、壁に背を預けて立った。
ザッカレーは、影の右側に、少し距離を取って立っている。
ベントは、邪魔だと女に取られた場所から少し下がって、女を苦々しく見下ろしている。
イルマは、灯明皿のテーブルに尻を預け、アリシアはその横に立った。
男は肩を落とし、頭(こうべ)を垂れ、身じろぎして胡座をかくと、ようやくバルガスを見上げた。
「何から話す?」と口を開いていた。
バルガスは
「何者だ?」と男に問うた。
すると男は、唇の端を釣り上げた。
「あんた達と同じさ」
その顔は、分かっているくせに、と語っている。
しかしバルガスは、何も返さずに、男を見据えた。
すると男は、分かったよ、と肩をすくめると
「俺たちもあんた達と同じで〝不老不死の秘密〟を探りにここへ来たのさ」と言った。
まるで普通の会話のようだ。
不老不死に、ベントが食いついた。
「で?」と横から割って入った。
「……で、とは?」と男は、ベントに首を回して見上げた。
「秘密に決まってんだろ」
苛ついたベントは、前のめりになって男を見下ろしながら語気を荒げた。
男は
「分かったさ」としていた。
そのあっけないほどの、あっさりとした答えに、ベントは拍子抜けしてしまった。
言い渋るようなことがあったら、もっと威圧的にいびってやろうか、と思っていたのにこの返事だったからだ。
ベントは男に、嘘を言うな、と詰め寄ろうとした。
しかし、男の言葉が、ベントの動きを押し戻していた。
「ああ、手に入れた……手に入れたでいいんだよな?」と男は、女に首を回した。
すると女は
「う~ん、まぁ、いいんじゃないの?」とどこか、どうでもいいような意味深な笑いを唇に張り付かせていた。
ベントは畳み掛けた。
「どうやって?」
「どうやって?……も何も、いずれ分かるだろうさ」
男はベントを、面倒臭そうに見上げた。
「どう言うことだ?」とバルガス。
今度はそっちか、と男はバルガスに向き直り
「いずれはいずれさ。いくらバカでも十日もすればここの秘密に気付くだろうよ」
「ここの秘密? 気付く?」と呟いたのはイルマだった。
アリシアも、首を傾げている。
バルガスとザッカレーも、男の言葉の意味を計りかねていた。
「ああ、じれってェ」
ベントは、鞘から半分だけ剣を抜いて、刀身を光らせた。
言え!言うんだ! と男に迫った。
まるで自分の思うようにならなくて、癇癪を起こして暴れる子供のようだ。
男と女はバルガスとザッカレーに、直ぐに剣を抜きたがるこいつを何とかしてくれ、とでも言いたげな表情をしていた。
しかし、二人は反応しなかった。
だだ黙っている。
結局男は、しょうがねぇ、と座りごごちを確かめるように、身体を前後左右に動かし
「お前さぁ、俺が幾つに見える?」と逆にベントに質問していた。
今さら何故そんなことを? と思いながらも、男と年の近いザッカレーとイルマを見ながら
「30過ぎだろ……」と吐き捨てた。
そうだよなぁ~と男は、首の後ろを揉むような仕草をして
「こいつの目はしっかりしてるよ」と言った。
すると今度は女が、男を指差しながら笑った。
「あいつはさぁ、もうとっくに70を超えてんだよ」
「おちょくってるのか」とベント。
「あたいだって78だよ」
女はベントを見返し、しなを作りながら服の合わせ目を、両手で押し広げた。
明かりの下に、豊満な胸の谷間が覗いた。
20代の肌と色艶(つや)だ。
「俺たちはなぁ。ここに50年住んでんのさ――」
「52年だよ。あたいはキチンと印付けてんだ」と女が訂正した。
そうだっけか?と男。
そうだ、と女。
男は頷き、バルガスに顔を戻した。
「分かったか、これが不老不死の秘密なんだよ」
男は語気を強めて、ふてぶてしく笑った。
五人には、二人の言っている意味が分からなかった。
と言うか二人は、不老不死の秘密を、何も話していないからだ。
「し、証拠を見せてみろや」
ベントは男に食って掛かった。
そうだなぁ~と男はベントをなめ回すように眺めて、それから腫れた右拳を指差した。
「お前のその手のキズ」
男から指差されたベントの拳は、腫れていて血が滲(にじ)んでいた。
「さっき、こいつにやられて転んだとき、床にぶつけたろ」
女に脚を払われて転倒したときに、剣を離すまいと握ったまま床に手をついてしまったのである。
「それがどうした、こんなの大したことねぇよ」
「大したも何も、そんなことたぁ、どうでもいいんだ」
「もっとでっかいケガをすりゃあよかったんだ」と女は笑った。
糞、なんだよ、とベントは女を睨んだ。
「でも大丈夫さ。どんなにケガしたって、明日になって目覚めたら……腫れもキズもすっかり消えて無くなっちまってるんだからな」
「なに出鱈目言ってやがんだ」
今度は男を睨んだ。
男はベントを睨み返した。
「出鱈目じゃないさ。本当のことだ。お前ら全員、もうすでに、不老不死の仲間になっちまってんだよ」
「全員が……だと?」とザッカレー。
「そうさ、あんたらを含めて、この街の奴ら全員さ。あんた達も、俺らと同じで、これから先はもう歳を取ることはないんだ」
「ようするに、この世界は時が止まってるのさ。この世界、街全体の〝時〟が止まってるんだ」
やがて二人は、声を出して笑った。
「まだ分からないのか? ここさ。ここが……これが不老不死の秘密なんだ。この場所そのものが不老不死なんだよ」
「あたいらはさぁ、ここに留まっている限り歳を取らないのさ――」
その二人の笑い声が、それはどこか哀しげに部屋の中に響いていた。
15 昨日の自分
男が再び口を開いた。
「最初は俺たちも、不死の秘密を躍起になって探したさ……だがいっこうに、見付からなかった」
ちょっと待てよ、とベントが口を挟んだ。
「分からないって、お前らはモウアの主人に会ってないのか?」
男は首を傾げた。
「おいおい何言ってんだ。奴に主人が居るなんて聞いたこともないぞ」
そうだよなぁ? と男は女に同意を求めた。
女の方も、なに変なこと言ってんのさ、とベントを笑った。
ベントは反対に
「俺たちはなぁ、あした朝からあのジジイの主人の館に行くことになってんだよ」と声を荒げた。
「小屋を出たとき、あのジジイが言ってたじゃねぇかよ。俺たち五人じゃなきゃ主人は会わないって……」
しかし、荒げて熱(いき)り立って
すぐに、急に動きを止めてしまった。
そこに
「それって本当(ほんと)にそうなのか?」と割って入ってきたのはイルマだった。
ベントは目を丸くして慌てふためき、バルガスとザッカレーに振り返った。
壁に預けていたバルガスの背が、微かに浮いた。
ザッカレーの眉根が、妙なかたちに動いていた。
そして、イルマの気付きに答えていたのはアリシアだった。
「モウアさまは、朝に迎えに来るとはおっしゃっていましたが、主人の所まで連れてゆくとは言ってなかったと思います」
「ちょっと待てよ、主は山の麓に住んでる……ってあのジジイが言ってたじゃねぇか」とベントは、ジジイに〝さま〟なんて付けんなよ、と言い訳がましく反論した。
イルマは頭を横に振った。
「住んでる、と言っただけで、オレたちを明日連れてゆくとは言ってないだろ」
そんなことねぇ、とベントは、自分は間違っていない、とイルマに向かって歯を剥き出した。
自分は絶対正しい、と思い込んでいる。
意固地に凝り固まってしまったベントには、こちらがいくら正論をぶつけたところで、埒(らち)が明くはずがない。
「じゃあ迎えに来ると言った、あのジジイの言葉の意味は何なんだよ……」
ベントが訊いた。
「さぁな、さっぱりだな……」
見当がつかない、とイルマは肩をすくめた。
ベントは今一度、バルガスとザッカレーを見た。
伺うような目だった。
そして、二人の考えはイルマと同じだ、ということを、その表情から感じ取ってしまった。
ベントは肩を落とした。
「じゃあ、ジジイが言った、迎えに来る……てのは何なんだよ」
誰からも、返事がない。
五人はそれぞれに考えを巡らせていたが、結論が出るはずが無かった。
*
そこに男が、焦れたように声をあげていた。
「おいおい、あんた達は何を言ってるのか、さっぱり分かんねぇよ。そんな話は後にしてくれないかなぁ。それよりも今は、俺の話を聞きたいんじゃねぇのかよ……」
「話す気が無くなっちゃうよー」と女も茶々を入れてきた。
こ、この……
矛先を変えて、二人に突っ掛かろうとするベントを止めたのは、バルガスだった。
ミシっと床を鳴らしてバルガスが前に出ると、無言の圧に押されて、ベンドの動きが止まった。
なるほどなぁ~とイルマは、ザッカレーに意味深な表情を向けた。
ザッカレーはイルマに、なんの反応も見せなかった。
アリシアも、バルガスとベントの間には、特別な何かがあるのかも知れない、と感じ取っていた。
バルガスは男に、続けろ、と促した。
「どこまで話をしたっけか?」と男は惚(とぼ)けた。
まだ何も聞いていない、とバルガスは首を横に振った。
そうだったな、と男は頷き
「主の話は、知らねぇんだから、無しでいいよな」と前置きした。
今度はザッカレーが、了解の合図を送った。
それじゃあ、と男は話を始めた。
*
「しかも俺らより先に住んでいた連中も、さっき俺があんた達に言ったように、いずれ分かる、と言ってなにも教えちゃくれなかった」
「はっきり言えば、連中だって元々の住人じゃないのさ。あいつ等もあたい達と同じで、秘密を求めてここにやって来た連中なのさ」と女が補足した。
「お前たちより、先にここに来てたってことか?」とザッカレー。
そうだ、と男は答えた。
「この街はいつからあるのだ?」とザッカレー。
知らねェ、と二人。
「結局、不老不死なんてものは全くの嘘で、誰かが流したデマだったのかも知れない、と俺らも思い始めていた。しかしあるとき、俺たちは〝あること〟に気付いちまったんだ」
男は言葉を切り、思わせぶりな間を作った。
「ある朝気付いたのさ。昨日負ったケガが、一晩たったら消えている。直ってる……てことにだ」
男はベントの手を指差した。
「そいつの手のケガも同じさ。明日(あした)になればきれいさっぱり治ってるよ」
男の言っていることに、五人は半信半疑だ。
男は話を続けた。
「初めは俺たちも信じられなかった。薬を塗るほどでもない、ちょっとしたかすり傷なら、翌日になってからわざわざ確かめもしないからな」
「だけどそのまさか、だったのさ」
「そして、そのまさかを信じざるおえない出来事があったんだ」
男は唇の端を吊り上げ、前方に身を乗り出した。
「あるときオレは、謝って腕の骨を折っちまったんだ……」
男は自分の左手首を、わざとらしく擦(さす)った。
「それがなんとまぁ、翌朝にはすっかり元通りさ」
言いながら女は、両手を大袈裟に広げた。
「自分でもやってみな。身体の何処でもほんのちょっとキズを付けてみるだけでいいんだ。一晩ですっかり無くなってるからさ」
ほんとかよ、とベントはまったく信じていないようすだ。
「じゃあ今からあたいが、あんたの腕を折ってやるから、確認してみなよ」
「そんとき誰かに側で診て貰ったりしてたのか?」
「あたいが診てた」と女。
しかし男は、人差し指を立てて左右に振った。
「それが駄目なんだ。なんせみんな、一斉に意識が飛んじまうんだからな」
「ほらみろ嘘だ」とベントは、男に顔を突き出してあざ笑った。
「しょうがないんだよ。これが、この世界なんだからな」
五人を見据える男の目には、どこか鬼気迫るものがあった。
「それこそ誰も、本人も気付かないうちに治っちまうんだ。ある一瞬を境に、今の身体が、昨日の身体に戻っちまうんだからな」
女はお手上げなんだよ、と肩を持ち上げて両方の手の平を上に向けた。
そして男は、右肘の袖を捲くって突き出した。
ほら……と五人が見れるように、身体を回した。
そこには治りかけの刀傷があった。
キズはカサブタが着いた状態だった。
「ここに来る数日前に負ったキズだ。このキズだけは直らない。52年間、このままなのさ」
「要するに、この地に足を踏み入れた身体のまま52年が経っちまったってことなのさ……」と女は笑った。
16 結論の52年
「信じらんねぇ」とベントは声を絞り出した。
「今は信じなくてもいいさ、あしたになれば分かるからさ」
男は腰を浮かし、組んでいた胡座の足を入れ替えながら
「そして色々と考えてゆくうちに、この土地自体が不老不死なんじゃねぇか? この地の力がそうさせてるんじゃねぇか?って、結論に至っちまったってわけだ」
その口調……その言い方はまるで、その事実がことさらに大したことでも無いように響いた。
「それが本当だったら、自分が不老不死になるわけじゃ無いってことだ」
言ったのはイルマだった。
「そう言うことになる。残念だったな」
男は膝の上に肘を付き、その上に顎を乗せた。
「ほんとにそうか? ちゃんと調べたのかよ?」
「52年間、何もしなかった訳じゃないんだ」
言った男の言葉の意味は重かった。
それでもベントは、苦虫を噛み潰したような顔で、意味も無く床を睨み付けていた。
しかしその後、何かを思い付いたのか、そうか!と顔を上げた。
「だったら一度国に引き返して、識者かとびっきり頭のいいやつを引っ張って来て、徹底的に調べさせりゃいいんじゃねぇか?」
どうだ名案だろう、とベントは自慢げな顔でみんなを見回した。
すると女が、ケケケと笑った。
「若いのに賢いねぇ。そんな方法があったとは」と音を出さない拍手を送り「そんなの誰でも思いつくんだよ、誰でも」と続けた。
ベントは女に突っ掛かろうとした。
これで何度目になるのだろう。
やれ男に突っ掛かる、やれ女に突っ掛かる、何かと忙しい男だ。
女は、話を最後まで聞きなよ、と両手を広げると、あきれ顔でベントを見上げた。
「でもな……よく考えてみなよ。あたい達が何故52年もの間ここに居座っているのかをさ」
とたんにベントは、言葉を詰まらせていた。
言葉の意味が分かってしまったのだ。
代わりに口を開いたのは、アリシアだった。
「帰れなくなってしまったのですね」
そう言うこと、と女は、アリシアに向かってゆっくりと頷いていた。
17 道はある
「何言ってるんだよ、この女は?」とベントが声を荒げた。
何もかもが思い通りにいかずにイライラが募り、意図しないままに声が出てしまっていた。
女は呆れながら、膝を曲げながら足を上げた。
気付いたベントは、あぶね~、と飛び退いた。
女は唇を尖らせて足を下ろすと、両手を後ろに回して床に着き、反り返るようにして身体を支えた。
「はっきり言わないと分かんないのかねぇ?このバカは……」
それから、どこか秘めたような作り笑いになって五人を見回すと
「小屋が無くなっちまったのさ」
と自分から答えを口にしていた。
「あたい達はさぁ、お家(うち)に帰ることが出来なくなっちまったんだ。だからここに居るんじゃないか」
五人は、女の言葉の意味を計りかねた。
二人は、つい数刻前に、ここにやって来る切っ掛けとなったあの小屋が、無くなってしまったと言っているのだ。
それが、52年もの間、男と女がここに留まっている理由なのか?
それが、小屋に入ってしまった者が帰って来ない答えなのか?
にわかに信じ難(がた)い。
五人は言葉を失った。
男は頷いた。
「夜が明けたら行ってみればいい。小屋はきれいさっぱり、無くなっちまってるからさ」
「本当に跡形もなくさ」と女が念押しした。
「道はある。目印としての石畳の道はあるが、どこまで行っても、小屋まで辿り着くことはない。しまいには夜になっちまって、仕方なく野宿もやった。そしてさらに翌日、その先にも行ってみたが何も無い。道が続くだけだ。そしていつの間にか……」
男は言葉を切った。
代わりに女が口を開いた。
「やがてまた、最初の森の入口に戻っちまってるのさ」
どういうことだ?とザッカレー。
「分かんねぇよ。ず~と進んで(行)ったら、いつの間にか元の森の入口に戻ってるんだよ」
「丘の上にか?」
「そうだ、丘の上だ。石畳の道から外れないようにして森を歩いていたら、突然に前が開けているのが目に入った。何だ?と思って行ってみると森の入口だった。どこかで道を間違ったかと思って何度も試したさ、それこそ何十回、何百回とな。時間は死ぬほどあるからな」
男は五人に、お手上げの仕草をしてみせた。
「まるで、同じ場所をグルグルと回っているみたいにさ……」
「その窓から丘の方を見てみなよ。暗くてもあんた等が森を抜けて来た丘の影が見えるからさ。そこまで行って、石畳を逆に辿ればいいんだ。でも何(なん)にも無いよ。延々と道が続くだけだからさ……」と女は、半笑いした。
その笑いは、どんなことをしても無駄なのさ、と言っている。
「なんならこれから試してみたらどうだ」と女は、そこまで言って一瞬間をとり「夜が明けたらモウアが迎えに来るんだったな。どういった理由で、迎えに来るのか分かんねぇけどよ」と笑った。
*
突然
ベントが、脱力するように床に屈み込んでいた。
くそ!……と込み上げて来るものを抑えながら、拳を震わせている。
信じたくは無いが、それが本当のことなのだろう。
信じざるを得ないという事実が、ベントを混乱させている。
落ち着け、とザッカレーが窘(たしな)める。
ベントは、振り上げようとした拳を途中で止め、ゆっくりと下ろし、背中を丸めて頭を抱えた。
「ご愁傷様でした」と女は舌を出した。
男もベントを、せせら笑った。
「もともと我々も〝あの小屋〟からここに来て、不老不死の秘密を持ち帰れと命令されてやって来たんだ」
「入った者は帰って来ない、と噂されている小屋なのにか?」
すると男は、分かっているくせに、と質問してきたザッカレーに向かって、唇の端を吊り上げた。
「俺が姿を晦(くら)まして逃げ出さないように、妻子が国に残っているのさ」
妻子を人質として、国に囚われているのだ。
男は一瞬だけ、遠くを見るような表情を作っていた。
「でももう……」なぁ~、と男は女に顔を向けた。
「52年さ……」と女が呟いた。
妻子を残しているとしても、すでに52年もの年月が流れているのだ。
今も生きている保証はどこにも無い。
ましてや、国そのものが滅びて、存在しなくなっているかもしれないのだ。
「そうじゃなきゃあ、秘密が分かりました、発見しました、これです……って持って帰るバカが何処にいるんだよ。それがどれだけの価値を持っているか分かるか? 自分で掻っ払うに決めってんだろうよ」
女は感情を押し殺したような口調で、低く語った。
「分かってるだろうけど、価値って言っても、金の問題じゃ無いよ。結局、死んじまったら〝次の世〟には、金は持ってけ無いものね。だから、全てを手に入れた者の最後の欲望は不老不死なんだよ」
女の方にも、男と同様に、ここに来なければならない理由があったに違いない。
18 噂はどこから
「そう言うことであれば……納得がゆく」と口を開いたのはバルガスだった。
「何なんだい?」とイルマが、その言い回しに食いついていた。
バルガスはザッカレーに目線を送った。
それを受けたザッカレーが頷いた。
そしてザッカレーは、イルマに目線を戻して語った。
「もし、その話が本当ならば、この土地そのものが不老不死ならば、我々はもうすでに、秘密を手にしたことになる」
ザッカレーは、男と女に、強い目線で圧を送った。
二人は、嘘じゃないさ、と圧を受けた。
ザッカレーは頷いた。
するとイルマが言った。
「ならば、山の麓に住んでいるとモウアが言っていた主とやらに、もう会う必要はもう無いってことだよな」
「あの人が嘘を言った、騙していた、ということになるのですか」
アリシアは、さま、では無く、あの人と言った。
「そうなのかも知れない。そうなのだろう」とバルガス。
そして続けた。
「もともと我々も、小屋の向こうにこんな世界があるとは思ってもいなかった」と話の矛先を変えた。
「成り行き上、こっちに来ちまったってことだもんな」
イルマも、その話に乗って皮肉った。
ベントの、わがままな思い付きのおかげてこんなことになってしまった、と言っているのだ。
「主の話も、最初は我々も知らなかったのだ」とザッカレーはさらに続けた。
「小屋を出て、我々三人で行くといったとき、モウアは五人でなければ、奴の主人は会わないと言ったのを覚えているか?」
「ああ」
「半信半疑だったが、その言葉で我々も、この場所を統治する者が存在することを知ったのだ」
「当然、どんな場所にも統治する者が居るのが普通だよな」
「統治する者ならば……存在するのであれば、当然ここに在ると噂されている不老不死の秘密を知っているに違いない」
「それならばその者に会うのが一番の近道だと考え、私とザッカレーは、その場でお互いに口裏を合わせることにしたのだ」とバルガス。
「すごいな」
「お互いの機微な動きと目配せで、大概のことは理解出来る。長年死線を供にした仲なのでな……」
「なるほどねぇ」とイルマ。
「まるっきり、主が存在してると信じていたのは、コイツだけだったんだ」と女は、ベントに向かって喋っていた。
「てことは、主を度外視して、モウアに訊いてみるのが、帰るための一番の近道になるかも知れない……ってことだ」とイルマ。
「帰ることの出来る方法が……あ、あ、あるって思ってんのか?」
ベントは、興奮して言葉を詰まらせた。
「夜が明けたら来る、と言っていたじゃないか、そのとき訊いてみればいいさ」
「そ、そ、そうだな。締め上げて訊いてみることにしょう。そうしよう」
ベントは長剣の束を、指が白くなるほど、強く握り締めていた。
*
「わたしも、気に掛かることがあります」と言い出したのはアリシアだった。
モウアを締め上げて、帰るための道が開けるかも知れないと、気分が少し大きくなったベントは
お前の意見なんて誰も聞いてねぇんだ、とベントはアリシアを睨んでいた。
そして、その睨む行為はもう、アリシアに対するベントの、反射的な行動になっていた。
直後に、女がベントの膝に蹴りを入れた。
屈み込んでいたベントは、今度は反応出来ずに、後方にバランスを崩して尻餅をついてしまった。
「言ってみな」
女はベントに、突き刺すような目線を送り、その後に、アリシアに優しく声を掛けていた。
アリシアは遠慮がちに顎を引き
「みなさんのお話を聞いていて、気が付いたことがあるんです」と始めた。
「何故……わたし達は不老不死の秘密がここにあることを〝知っている〟のでしょうか?」と問うていた。
これにもまたベントが
「噂だよ。バカかお前ぇは」と吐き捨てた。
その通りです、とアリシアはベントを正面から見据えた。
「噂です。では、その〝噂〟はどこから来たのですか?」と訊ね返していた。
逆にベントは、それは……と言葉を詰まらせていた。
なるほどそうか、ベント以外の全員が頷いていた。
女が口を開いた。
「52年前のあん時はあたいはさ……上からの命令で強制的に動いていたから、噂で働かされてたなんて知らなかったんだ」
「では考えてみたことはありますか?」とアリシアは全員を見回した。
「これまで誰も、ここから〝自分の国〟に戻れた者がいないのであれば……それならば、ここに不老不死の秘密があることは〝誰も知らない〟ことになりますよね」
次に口を開いたのは、ザッカレーだった。
「国でもそう言う噂を耳にする。と言うことは、誰かが〝ここの話〟を広げている。ということになる」
アリシアは続けた。
「そうでなければ、ここの秘密が外に漏れることはないはずです」
「そうするとここの誰かが、オレ達の世界に行って〝噂〟を流してるってことになるんじゃないのか?」
イルマだった。
「もしそれが本当なら、ここと〝外〟を行き来する方法がある……と言うことになるんだけどさ」と女は妙な笑いを作っていた。
「こりゃあますます、モウアに訊いてみなけりゃあな」とイルマはアリシアに向かって顎を引いた。
アリシアは、遠慮しがちに俯いた。
ベントが立ち上がり、よしよし、と何度も頭を上下に振った。
07 時の島
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