エミリの手紙のミステリイ
1
六十を過ぎたわたしの淋しげな顔を見たうえで、どうか、あなたは信じてくださるかしら?
四十年前、わたしは少女であった。
一種自負をもって、わたしはこう言い切れるの──かつてわたしは心から、心の根から少女であった。
少女時代──かの過ぎ去ってしまった幾夜幾夜は、わたしの周囲にあったすべてのものへの嫌悪と、月に憧れるような理想とに、まるでなまなましい傷のように彩られているよう。
こんな記憶は、はやとおくへいってしまったいたみの残骸とともに、わたしのこころの深いところで、大人らしい手付により綺麗に綺麗に折りたたまれている。わたしはそれをときどきだけ想いだし、宝物をひらくようにそっと中を覗きこんでみるのだけれども、甘く、くるおしいいたみに喉が絞まるような追懐の切なさにさいなまれるのが毎度のことなのである。
少女時代のいたみ、せつなさ、いらだちは、さながらに絵画とのいちどきりのキスのような淡い一刹那として、ほんのすこしの針のいたみでもって、いまのわたしには想い起こしえるだけ。
そう。かの幾夜幾夜に流した涙は喪失したのだった、ときどきに降った嵐のような激情への追懐も、はや六十を過ぎたわたしには、つまるところ他人のそれのように想いだせるから、美しいのだろうか。
2
永年勤めたちいさな出版社を定年退職し、わたしは数百程度という、元編集者としてはこぢんまりとした蔵書を、都内のマンションから地元でみつかったお気に入りのちいさな一軒家へと移し(わたしは読まない本は、売るか、あげるか、処分するタイプである)、そこで朝陽を浴びながら珈琲を飲んだり、散歩をして花の美しさに微笑したり、けれどもやはり、暇さえあれば小説を読んだ。詩を読んだ。
いまだに新人作家の文章の推敲不足にはいちいち反応してしまうのだけれども、毎度毎度ほほ笑んで、「けれどもあなたのことばには、鮮やかな才覚がみえるよ」と誰にいうでもなく口ずさんだりする。
第一線から引いたのだという意識はたえずわたしにながれこんできたけれども、それはみたされないプライドのひきおこす悔しさというよりは、もっとしずかな、淋しい満足ともいえる老成にも似た気持ちをわたしにあたえている。
このような気持によって生活を慎ましくまるめてしまえるということは、やはり、わたしはもはや、少女ではないのだと想う。大人になってしまったのだろうと想う。
わたしは少女時代から愛読している、ある小説集を手にとった。
太宰治の、短編集。
わたしにもっとも愛される太宰の作品、『女生徒』が収録されている。本は茶色に変容していて、頁の紙はいまにもやぶれそうなほどにいたんでいる。
いつも、いつだって持ち歩いていたもの、当然だわ──と、昭和らしいエレガントな話し言葉を囁いてもみて、ひとり、にやりとしてしまう。
大学の文学部にいた頃、わたしは強い意志によって編まれた三つ編みの黒髪を揺らして、一般にいわれている「清楚」とは程遠い激しい気持によって、白いブラウスと紺のスカートに”わたしは文学少女、世俗なんかに染まらないわ”という戒めを込めて着つづけ、「もっとお洒落したら?」とでもいわれれば「いやよ」と喧嘩腰、吉本隆明、そしてシモーヌ・ヴェイユの本を常にキャンパスで持ち歩くというルールを、まるでそれ自体が文学少女の貞節そのものであるように守りつづけていて、けっしてお嬢様ではないのに、お嬢様らしい言葉でお話ししていた。
われながらかわいらしい。そうも想う。
近代文学。
その、時間が与えた変容が、ある種「時の洗礼」をうけたものとしてかんがえられて、それによって磨かれ残ったわたしに愛される傑作を、なによりもいとおしいものであるように想った。
わたしはベストセラーを二度だけ編集したことがあるのだけれども、けっきょく、このような傑作、いわば、「永遠の小説」にかかわることはできなかった。
もう一冊、わたしは自分が二十代で編集した絶版の少女小説を手にとる。いたみが喉に走り、はっ、はっ、と息が切れる。わなわなと、ゆびがふるえる。
この作家には、読むひとに伝わるような鮮やかな才能がほとんどみられず、文章力じたいはあるのだけれども文体はあまりに無個性、そうであるがゆえに読み物としてのポップさに欠け、人物描写も人間観への思慮・追求心じたいはかなり感じるがキャラクター性に惹きつけるものはない。というよりも、現実世界によくいるような平凡なひとたちを、エンタメとして面白がらせるためにはみ出させることなくありのままに描こうとした誠実な意欲を感じさせる描写のために、はっきりといわせてもらえれば、娯楽のための小説として読者から読まれる分には、うんざりさせるほど退屈なひとたち。しかも彼女たち、心中で悩むばかり、みんなほとんど行動を起こさない。
ストーリーはたいていのひとの実生活のそれよりも平板で、その慎ましい生活にピリオドを打たせるラストだけが、悲劇の過剰な印象。
けれども、少女が「少女」であろうとするという真に迫った孤独な争いによって流された、鮮やかな血から薫る透明な匂いがここに秘められていることを、わたしはみてとった。
この作者は生きづらさを抱えている、そんな雰囲気を感じとるひとはけっして少なくはないだろう。
わたしは十七歳の少女だったこの投稿者の作品に光を見て、結果は最終選考通過で終わったのにもかかわらず上司をつよく説得、わたしの手をかなりくわえた形で出版し、新人少女小説作家としてデビューをさせたのである。
まったく、売れなかった。
わたしは若さゆえの無理解で無責任な励ましをつづけて、何作も何作も「登校できなくなった高校生」であった彼女に小説を書かせたのだけれども、二作目を出すのはビジネスとしては絶望的。
きわめて繊細、病的なまでに内向的、いたましいまでにふわふわとしたおとなしい性格だった彼女は、そのまま高卒の年齢になって家出をしたらしく、わたしたちからも行方をくらました。
わたしはこのことを、しばしば想いだす。いたみに、背を折りまげる。わたしは彼女に、期待をさせてしまったのだろうか? 彼女が小説で他者たちと繋がりえて、彼女に彼女らしい彼女の素敵さを発見するひとと交流する喜びをえて、それが彼女に彼女らしい幸せをあたえるのだと伝えつづけたわたしは、彼女に落胆という形で終わる期待をさせてしまったのだろうか? わからない。そもそもいったい、彼女自身がそれを希んでいたのだろうか?
わたしはやはり、押しつけていたのだと想う。いまや、彼女のいたみや気持をなにも決定せず、ただ、かのひとを尊重し、かの日々を大切に想い出す以外のことを、はやわたしにはできないような気もする。
わたしは当時社会的な立場を与えることが孤立状態の彼女を救うのだと信じ込んでいたのだけれども、彼女、おそらくは作家という社会的立場に立つことで救われるタイプの人間ではなかったのだと想う。
もっと浮世ばなれした、まるで社会に染まる能力を授からなかったがゆえの儚さをしずしずと感じさせるような、古代ギリシャからいる花をみつめて力なくわらう優美な詩人のような、そんなタイプだったのかもしれない。
彼女は美人ではなかったが、ふしぎに綺麗に映る、ふわりと陽を淡く反映するオフホワイトの絹の布のはためくような、淋しげな、陰翳のうつろいのような表情をわたしによく見せてくれた。透明な眸が、まるで透けてみえるようだった。犬や猫、そして小さい子供に、やたら好かれていた。
素直に話しすぎるところがあり、また聞かれたことに正直に答えすぎる性格は、もはやこちらをひやひやさせるほどだった。
動物に囲まれる彼女の淋しい笑みは、こちらが悲しさでくずおれそうになるくらいに優しいそれだった。
彼女のようなひとこそ幸福になるにあたいする、そうであるはず、だからわたしが救わなきゃ──そんなわたしの気持ちは、やはり独り善がりだった。
わたしには彼女のそんな個性が非常にかわゆらしく映ったのだけれども、それには現実と戦うには不適切にみえてしまうほど、かよわい印象もあった。
どこにいっても意地悪をされるんです、そう苦笑いをする彼女には、「ああ、こういう子が学校でいじめを受けるって、なんだかわかっちゃうな」と想ってしまうような、あわれげな雰囲気があった。
彼女は名を、冨田恵美といった。
ごくふつうの名前、とくに、この世代にはおおい名前。
しかしペンネームにしたのは「氷理エミリ」、やや昭和らしい雰囲気はつよいけれども、現代の少女性にも通じる、夢みて現実に傷つく病める少女らしい透明感のある感性が、名づけのセンスにもみられるようだ。
エミリって響きが好きなんです、と語りながらはにかむ彼女は、なんだか、守ってあげたくなるようないたましさがあった。わたしはこの感情をはき違えたのだ、きっと。むしろ、彼女を、くるしめてしまったのだ。
*
その小説を読んで、陳腐ともいえる文章やストーリーからむしろきわだつ稀有なセンスをやっぱり感じて、すこしだけ涙をながして、ちいさな家を出る。
散歩をしようと想った。先にポストを見ると、一枚の手紙。驚くほどに古びて茶色い、数十年前の古本に挟まってありそうな一枚の葉書。
手にとる。文字を読む。わたしの体が、ふるえる。みるみるうちに追懐におおわれ、頭がまっしろになる。
〇〇出版社 御中
氷理エミリ様へ
それはわたしが担当したかの作家への、余りにあまりに古いファンレターであった。
よく、新品の本についてある(最近は少ないかしら)、「この本の感想をください」というもの。
エミリの小説はほとんど売れなかったから、これを持っているひとは、かなり珍しいはずである。なぜわたしの家に、しかもいまになって届いたのか。奇妙なことに、切手だけが真新しく、郵便局からの印字もしてある。
怖い気持ちを起こさせたのは、字の形に、なにか既視感をおぼえること。昔の知り合い? なんだか、不気味。
なんらかの悪戯で、どこかの古書店でみつけたこれに最近書いたものが(わたしが担当していたと分かったうえで)わたしへ送ったのだろうとまず想って、首に提げてある老眼鏡を掛けてペンの様子を注意ぶかく見たけれども、十中八九、古い筆致である。
インクの痕が、とてもじゃないが最近に書かれたものとはおもえない。わたしはべつに専門家ではないけれど、職業柄、近代の作家の記念館などに行って古い筆致を見る機械が多いので、すこしは分かるほうだとおもう。
エミリに、ファンレターは、一枚も来なかった。
わたしはこの事実を、いたみとともに憶えてしまっている。ごめんね、という悲痛ないたみがあるから、まだ、はっきりとおぼえている。
わたしは散歩をやめて、この大切な手紙を大切に仕舞うために、家へ戻る。葉書であるから、文章の量は少ない。
氷理エミリ先生へ
私は二十四歳の会社員です。エミリさんの小説を読んで、情緒不安定と戦いながらも少女らしく生きようとしていたあの日々を、想いだしました。とても素敵な小説で、私の愛読書となりました。次作を楽しみにしています。
本文は以上のものである。意地悪な発想だけれども、なんだか内容が薄い。これも、すこし気になる。
なぜ、この手紙がいまになって届いたのか。
わたしがまず推測したのは、これは、エミリからの悪戯ではないかというものである。
わたし生きてるのよ、実はね、という悪戯っぽい笑顔が頭に浮かんで、想わず微笑む。
これはふしぎにわたしをあたたかい気持にさせ、頬をぽっとさせるようにたのしませた。エミリはまだ生きている。それだけでも、わたしには嬉しいのだから。生きていたら、五十代かしら。きっと、いつまで経ってもかわいい笑顔でありましょう。
わたしは探偵にでもなったつもりで、最寄りの郵便局へ調査に行ってみた。
「ああ、これね。わたしも不思議に思ったんです。こんなに古い手紙を、まさかいまさら送るなんてね。インクの感じも、あきらかに古いでしょう。どこか、古本屋さんかどこかでこの状態の手紙をみつけて、悪戯で送ったのかしら、とも思ったんです。でも、見てください」
「はい」
時々雑談する程度にはなかよくなった、同世代の女性の郵便局員の、井上さん。ふっくらと柔らかい雰囲気の彼女が、いぶかしげな顔をして送り先の住所を指さす。
わたし、はっとする。
「すごく似ているインクだけれど、これは、新しいペンによるものです。表の本文は、あきらかに古いものです。そして、これは永年郵便局員をやってたくさんの手紙を見てきた勘なのですけれど、住所の筆致は、ほかの筆致を真似ているように見えます。べつのひとが書いたか、もしかしたら、同じひとが数十年後に書いたとか、そのくらいには違いがみられます。そして、すこしだけ印字を、爪でひっかいたり、ティッシュかなにかで褪せさせたり、そんな作為がみられます」
「ううん。すこし、怖い気が」
「ええ。犯罪ではないけれど…」
「なぜそこまでするか、それが分からないのが怖いですね。送り主の特定とか、可能ですか?」
おそるおそるわたしが訊くと、
「それはできません。プライバシーなので」
という返事。
3
エミリの筆致を確認しようと、わたしは押し入れから昔の仕事道具などをしまってある段ボールを出して、夢中でさがした。
わたしには悲願があった。これが、エミリからの悪戯でありますように。彼女がまだ生きていて、作家以外の生き方で幸せに暮らしていますように。わたしのことを想いだして、交友したいという気持でこれを送った、そんな意味でありますように。
けれども、少女時代のエミリの性格を想いだすと、こんな、ずる賢くてひとを困らせるようなことをできるとはおもえない。人間は変わるもの、そうではあるけれども。
「あ」
わたしは発見した。「氷理エミリ関連」という、封筒を。中を開ける。確認しながら体がくずおれ、嗚咽しながら泣きはじめた。
わたしが書いた編集のためのノートが入っていた。エミリの小説の素敵なところを書き、改善すべきところを箇条書きにする。これは、作家さんみんなにやる。
けれどもその横には、きっと「これをこう言うと彼女を傷つけるな」という意識でされたものだろう、意見の上に線を引いて、言葉をやわらげる書き方に変えた跡がたくさんある。彼女が聞きたくない言葉、聞かれたくない言葉がぽつぽつとメモしてある。最後に書いたページ、「エミリが家出。わたしの連絡先は知っているはずだから、連絡を待つ」という一文から後は、空白である。
わたしは、明らかに、問題のあるレベルで、彼女に愛着をもちすぎていた。
それが、このノートでわかった。エミリの小説を読むのはいまや年に数回だけれども、それでも、いまになっても彼女になんらかの執着があるはずだ。罪悪感。そうともいえるけれど、そうではないものだってある。手紙だってミステリーだけれども、わたしのこんな気持だって、十分ミステリー。
わたしね、あなたに憧れていたの。だって、すごく少女で、少女すぎて、現実を生きるにはあまりにも少女性をもちすぎているようで、それが、そんなあなたがそんなにも苦しみながら文章を書きつづけている姿が、くるしくなるほどに美しく映っていたの。わたしはそれをやるには、たぶん、器用すぎたのだから。
ほかの紙を探していると、ようやく彼女の筆致がみつかった。お手紙だった。
「先週はおうちに招待してくれてありがとう。本がいっぱいで、さすがプロだと感じました。秋山さんのアドバイスから、色んなテクニック、語彙などを盗んだ気持です。お紅茶、おいしかったです。ひととお話することが久しぶりだったから、変なことばかり言っていた気がしますが、許してね。またおうちに呼んでくれたら、うれしいです」
ぜんぜん、違う。彼女の書く文字は、彼女のきゃしゃで儚い雰囲気や振る舞いと矛盾するように、角ばった、ゴツゴツとした筆致。想いだした。想いだした。初めて原稿を読んだとき、内容とのギャップをなんとなく感じたのだ。
文章を読むと、わたしの覚えている彼女の話し方がフラッシュバックされる。
その日、わたしは深酒をした。わたしはふだんお酒を飲まないのだけれども、それは、飲み始めるととまらなくなって、しかも、泣き上戸であるから。あんまりにも飲み過ぎて、昨夜の記憶が飛んだりすることもある。
*
この謎は、意外とはやく解けたのだった。
一週間後、インターホンが鳴り、淋しい思いで暮らしている引退者であるわたしはそれだけでうれしくて、扉を開ける。
相手に、すこしびっくりした。
それは、郵便局員の、井上さんだった。顔見知りではあるけれど、わたしの家を訪問するほどの仲良しではけっしてないから、どうして? という気持ちになる。
「郵便局員の井上さん、ですね」
「…はい」
下をじっと見ている井上さんは、なんだか罰がわるそうな顔。ちらりとわたしを見て、またうつむきなおしたのだけれど、そのときの眼が、すこし怖かった。
「ごめんなさい」
井上さんは、きゅうに謝りだす。
「どうして謝るのですか? すこしびっくりはしましたけれども、嫌という気持ちはありませんよ。ところで、どうしてわたしの家をご存知なんですか?」
「郵便局員なので」
ああ、それもそうか。と、納得したけれども、なんだか、職務乱用の雰囲気はある。すこし、警戒心がわいてくる。
「そうですか。あの、なにかお話があれば是非仲に…」
「ごめんなさい、ごめんなさい。でも、わたし、あなたにもわたしに謝ってほしい。謝ってほしいのです」
わけのわからないことで恨みをかわれていることが理解できる、不安に、こころが波打った気持ち。
「あの、どういうこと?」
「謝っているのは、あの手紙を送ったのは、わたしだからです」
息をのんだ。考えがあれやこれやといろいろな推測にひっぱられるけれども、動機がわからない。
「あの、まさか、井上さんって、氷理エミリ? あなたがあの手紙を書いたのね?」
さきほどに責められて恐怖に駆られ、おそらく、なんらかの恨みをもっているからの悪戯なことはさきほどの会話で想像できる、けれども、けれども、エミリに再会できたという気持ちに胸の奥がじんわりとなって、つい、うれしい笑みを浮かべてしまった。
「いいえ、ちがいます。わたしはエミリではありません」
「エミリではないのに、あの手紙を書いたの? どうして?」
「わたしは、あの手紙を書いたひとでもありません」
頭が混乱するし、あんなにも温厚で丁寧な井上さんの顔がだんだん怖くなっていくから、もう、扉をぴしゃりと締めちゃおうかしらとまでおもった。ここまできたら、なんらかの罪名がつくのでは? すくなくとも、わたしはみしらぬ人間に恨みをかわれ、悪戯を受けている。もう、いやがらせであるということは間違いがない。
「じゃあ、誰が書いたの?」
「あの手紙を書いたのは──」
井上さんが声をつまらせ、きゅうに泣き崩れて、嗚咽しはじめた。
「あの手紙を書いたのはあなたです、あなたですよ。担当編集者のあなたです。わたしは恵美の姉です。恵美の人生を返してください、わあああ」
いろいろなことを、悟った。わたしはその場でくずおれ、ごめんなさい、ごめんなさい、と、呟きつづけていた。
*
わたしは自責にくるしみながら井上さんを家にいれた、「ごめんなさいね、わたし、あなたを責めるなんてまちがってるって頭でわかってるの、でも、恵美がかわいそうで、かわいそうで」と涙声でうめいていて、わたしだって、「わたしも、わたしの罪を、すこしばかりは理解しているつもりです。エミリのことを忘れたことは、ありません」と泣きじゃくっている。
井上さんを座らせ、お茶をいれる。
「さっきの言い方はひどかったわ、ごめんなさい。恵美の人生をあなたが壊したなんて、恵美は絶対におもっていない。そんなふうに他人を恨める子じゃないし、あなたのことを楽しいに、懐かしそうに話すことだってあったんだから」
「そう、ですか。すこし楽になるけれど、楽になってもいいのかしら。よかったら、いままでの経緯を教えてもらえますか?」
井上さん(結婚して苗字が変わっている)の話を、要約する。
エミリは、いいえ、恵美と変えましょう、恵美は、わたしの家に来た時に、或る手紙をみつけた。それは恵美のこころをある意味で踏みにじり、落胆させ、もう、小説家をつづけることができない心境に追い詰めたのだった。
なぜってその手紙は、わたしが酔った勢いで、嘘でもいいから励まそうとし、筆致を自分のものと変えようとしてまで書き綴った、架空のファンレターだったのだから。
もちろんわたしは書いたことを覚えていない。でも、わたしはわたしがそういう発想をする人間であることをわかっている。わたしが、その発想をしながらも「いいえ、小説家としての尊厳を傷つける。そして、もしエミリにバレたら…」と自制していたことはおぼえている。そして、酔った勢いのわたしが、独善的で衝動的であることも、いろいろな失敗エピソードで知っているし、また、そのときの記憶が失いがちなことだってわかっているのだ。
散らかった部屋のどこかで、それが落ちていたのだろう。そして、その筆致で、わたしが書いたのだとすぐに見抜いたのだろう。わたしはそのときの心情を、「わたしだったらこう思う」という想像はできるけれども、ぜったいにショックだ。誇りが傷つけられる。余計なことをするな、そうおもう。
けれども恵美の性格を感じれば、「こんなにさせて、ごめんなさい」と自分を責めるのではないか。「もう、迷惑をかけられない」と、いなくなってしまうのではないか。
恵美は、わたしたちから消息を絶ったあと、じつは、ずっと実家にいた。ご家族が、わたしから恵美を守ったのだ。
学校に行かず、働けず、精神科に通院しながらリハビリのようなものを続けたり、行けなくなったりをくりかえし、三十代で病死した。
「自殺じゃなかったのが、救いでした。そして、恵美は、ずっと優しい子でした。繊細すぎるし、天然というには言い足りない、すこし決定的な欠点を感じるふわふわしすぎた性格でしたけれども、だからこそ看護師さんにも好かれていて、きっと、癒しも与えていたのかな。リハビリ中も、いろいろな患者さんに好かれていて、ちょっぴり疲れ気味なときもあったの。わたし、結局社会には戻れなかったけれども、妹の恵美が大好きで。あの子、いるだけでまわりを素敵な気持ちにさせてくれたから」
と、井上さんは語る。
「そうですか、わかります。そうだろうな、と思います」
わたしは、ずっと泣いている。
「恵美は、ずっと詩を書いていました。わたしたちにも見せなかった。むしろ、なにか文章を書いていることは知っていましたが、なにを書いているのかは彼女が亡くなってから知ったの」
「そうなんですね。きっと素敵な詩です」
「これです、死ぬ前に、あなたにもし会ったら渡して、って。中身は見ないでね、見るならあなたと一緒にね、って。けれども、何度か落してちらりと見えてわかりました、中身は、恵美の書いた詩です。
そのときのわたしの気持ちをどう表現したらいいだろう。かなしみ、なつかしさ、そうともいえない、いとおしさ、これは近い、けれども、むしろ名前をつけたくなくなるような、素敵な、せつない気持ち。
「ほんとうはね、これを届けることだけが、エミリからいわれた目的でした。もう秋山さんには会えないだろうと思っていたけれど、仕事で手紙を確認しているときにあなたの名前を見て、別の日に顔を見て、あ、あのノートを渡さなきゃ、って決意したんです。でも、でも、わたしはあなたに恨みが正直あって、だから、ひねくれたやり方でそれをしました。あなたの書いた手紙の威力を、あなたに思い知らされたかった。悪意、悪意です」
「あなたの気持ち、わかりますよ」
と、わたしは言う。
「井上さんは、恵美のことを大切におもっていたから、わたしにそんな感情をもったんだ、って、理解できます。そして、わたしの手紙以外にも、自分の独善的で、恵美に対する個人的な執着のまじった行動が、彼女を苦しめたことも、わかっているつもりです。ねえ、いま、これを読んでもいいですか」
「ええ」
──わたしがとくに気に入っている詩と、秋山さんが好きそうな詩をえらんで、載せました。
一ページ目に、そう書かれてある。もう、かわいい──そう思ってしまった。やはり、わたしはまだ、恵美にかなりつよい好意じたいはある。
読みすすめる。昔からある平凡な比喩。綺麗だけれども、素朴という感想はたくさんのひとから出るだろう平易で無個性な文章表現。奥から、木洩れ陽のように落ちるような、恵美の素直なやさしい気持ち。恵美だ。恵美の書く文章だ。
最後に、「秋山さんへ」というタイトルのお手紙があった。
*
秋山さんへ
わたしが急にあなたのもとから消えたこと、もうしわけなかったとずっとおもっています。
何度も、謝り直そう、わたし実家で無事ですよ、と教えようとしたのだけれど、数年も経ってから、作家でもなんでもないわたしがそう会社に連絡することに引け目を感じて、三十を超えて、こうして病気になってしまいました。
この手紙を読むころ、わたしは、きっとこの世にいないでしょう。
ひとつ、秋山さんにずっと伝えたかったことがあるんです。これがあなたに届くか、届かないか、それはわからない。けれども、もし届いたら、こんなに素敵なことってない。
それはね、死にたい気持ちに押しつぶされそうだったわたしの幾夜を支えてくれた、大きなものの一つのは、秋山さんの優しい気持ちだったってことです。
感謝、感謝してるんです。
わたしが死にたがっていたこと、わたしの小説をあんなに愛読してくれたあなたなら、きっとわかるでしょう。
たしかに秋山さんのしてくれたことは、なんだか、不器用過ぎました。ときどき、ちょっと迷惑でした(ごめんなさい)。秋山さんの部屋に落ちていた手紙の件で自信を完全に失ったのは、事実です(あれ、もしかして酔った勢いで書きました?)。それで逃げすぎてしまったのは、わたしの責任ではありますけれども。
でも、あなたは、わたしを大切にしてくれたとおもっています。ほかでもないわたしに、特別な気持ちを向けてくれたんだって、おもっています。
秋山さん。わたしを生き抜かせてくれて、ありがとう。
ねえ、素敵だとおもいませんか? この世界って悲惨なだけじゃない、そうお思いになりませんか?
生きることが苦しかった。わたしがわたしとして言葉を発すれば、みんな笑う、なんで自分がそれを受けるかわかっていない状態で受ける暴力。どう話していいかわからない、地獄みたいな日々。
けれども、この世の、いろいろな見えづらい良心や優しさは、まるで見えない光として、わたしにこの世界をきらきらと見せるときがあるわ。
わたしが落したペンを、「はい」って渡した話したことない患者さん、「ありがとう」というとうれしそうに笑う、その表情のかわいらしさ、こんな素敵な風景があるかぎり、わたしはわたしが生きているそのことじたいを全否定しない、そうおもえたの。そんな優しさが、その時その時には善く発揮されなくても、そういう気持ちで行動をつづけるということは、きっと、間接的に世界をきらきらとさせてくれます。そういう気持ちを助けてくれたのは、秋山さんなの。
たいていのひとよりはあんまり外には出ない人生だったけれど、わたしは、人間の善性みたいなものを信じつづけられたし、社会には出られない人生だったけれども、秋山さんのような方もいるって知っているから、社会へ逆恨みことだってなかった。
だからね、秋山さん。あなたは、きっとわたしのことでずっと負い目を感じているとおもう。わたしにあんなにしてくれたあなたなら、きっとそう思う。だから言いたかった。
秋山さんがわたしにしてくれた行動は、向けてくれた気持ちは、当時はストレスだってあったけれども、あなたから去って数年経ったあとのわたしにとって、すごく素敵なものです。
自分を責めないでください。ありがとう。
──元・あなたに愛されすぎてしまった氷理エミリより
エミリの手紙のミステリイ