捨て場所

捨て場所

 「どこかに捨てる場所ありまませんか」
 朝早く新聞を取るために門のところに出たところへ、家の前の坂道を、黒髪を後ろで束ねた女性が車椅子を押してあがってきた。
 聞き取れなかった僕が聞き直すと、女性は同じことを言った。
 「捨てたいのですが」
 最近、町の中にゴミを捨てる箱がおいていない。この住宅街に至っては全くそういった物はない。ゴミは自宅に持ち帰り処置をしなさいと言われている。
 ここは数十年前に造られた、小高い丘の斜面に広がる団地である。
 なにを捨てたいというのだろう。それを聞こうとしたら、車椅子を押して上にいってしまった。
 女性は振り返りもしないし、ただゆっくりと車椅子を押していく。車椅子に乗っていたのは人だったのだろうか、おばあさんだったような気もするが、犬か猫だったのかもしれない。
 近所では見かけたことのない人だ。広い団地なので知らない人が大多数だが、この団地に住んでいる人ならば、捨てる場所などを聞くはずがない。どこからきたのだろう。だいたいがここは散歩に車椅子を押してわざわざくるようなところではない。団地にきたばかりの人だろうか。団地の様子を散歩がてら見に来たのだろう。自分の頭の中ではそう結論づけこの件をかたずけた。
 まあ、いいや、僕は新聞をとって家にはいった。猫が顔をそろえて待っている。
 家内は友達と旅行に行って留守である。数日間は一人暮らしだ。いや一人ではない。八匹もいる猫たちはこの家の住人だと思っているから、自分も入れて9人の大所帯だ。猫たちはもらい猫か、捨てられていたのを拾ったか、勝手にはいってきた奴らである。
 中に入ると周りに集まってきた。朝のご飯を用意してやらなければうるさく付きまとわれる。急いで餌袋を棚からとり、めいめいの皿にかりかりをいれてやった。八つの皿が並んだ。
 その日は都内のデパートの催しものにでかけた。地方の有力酒店が店を出しているだけでなく、少数だがウイスキーなど洋酒の専門店も出店している。毎日飲むウイスキーが切れたので、それが目的である。
 最近はコンビニにもそれなりウイスキーがおいてあるが、どこもほとんど同じものだ。デパートの催しものでは少数しか輸入しないものや記念ウイスキーなどがおいてある。それが僕の唯一の楽しみで贅沢だ。値は少しばかり張るが、陶器の瓶にはいったものや、ウイスキー会社の創立記念ボトルなどもでることがある。スコッチメーカーなどは、十六世紀ころ操業開始というものがざらにある。古酒も出品される。
 日本酒メーカーも似ているかもしれない、酒造りは江戸時代からはじまっている。そのころから綿綿と続いているものがかなりある。一方で若い人が起こした酒造会社も面白い。
 その日はデパートで軽い昼食をとり、陶器に入ったスコッチを一本手に入れた。夕飯用に富山の酒屋が一緒に売っていたます寿司を買い、帰りの電車に乗った。こんなことはめったにあることではない。
 もよりの駅でおり、団地を通るバスに乗って、丘の中程でおりた。そこでまた、朝はやくに家の前を通った女性が、同じ車椅子を押して道を下ってくるのに出くわした。
 そばまできた車椅子を見た。いた。小柄なおばあさんが赤い頭巾をかぶって乗っている。
 おばあさんはしわの寄った丸い顔をこちらにむけるわけでもなく、ただまっすぐ前を見ている。かさかさの皮膚をした手を車椅子の肘掛にのせ、両足の上には茶色のタオルケットがかかっている。
 押している女性の顔を改めてみると、おばあさんとよく似ている。三十代のようだ。親子の散歩であることは明らかだ。
 女性はすれ違いざま車椅子を止めた。女性は僕の方を向いて、
 「捨てるところがありませんか」とまた言った。
 朝から今まで捨てるところを探しながら、車椅子を押していたわけではないだろう。なんと答えていいかわからず、ちょっと首を横に振って、会釈を返しただけである。
 僕がなにも言わなかったので、女性はそのまま緩やかな坂道をくだっていった。
 朝夕の散歩だろうが、捨てたいものがポケットにでも入っていたのだろうか。それにしても変な挨拶である。
 家にはいると猫に囲まれ餌のお催促。餌をくれ、にゃあにゃあとうるさいこと。
 その仕事をし終えると、やっとウイスキーである。若い頃、寝付けないときにウイスキーを飲む習慣があったことから、年取ってからも風呂の後にロックかストレートで一、二はい楽しんでいる。それがとてもおいしい。食事の時は炭酸で薄く割って飲むことが多い。今日買った陶器に入ったウイスキーを炭酸で割ってしまってはもったいない。まずロックで楽しんで、そのあとマス寿司の食事である。なかなか香りのよいウイスキーだ。
 次の日の朝、新聞受けにいくと、昨日と同じ女性が車椅子ではなく、今度は乳母車を押して家の前にさしかかるところだった。
 彼女は私を認めると、また「どこか捨てるところはありませんか」と言った。
 乳母車の中では昨日車椅子にいたおばあさんが前をしっかりむいて、背筋をのばしている。
 外にでて庭で遊んでいた猫たちが足元に集まってきた。僕は何か言わなければいけないのではと頭の中が渦巻いた。言葉になったのは、全く関係ないことだが、
 「この猫たちはみんな拾ったんです」であった。もらった猫のほうが多いかもしれないが、そう言ってしまった。
 僕の返事を聞いても、女性は何もなかったように前を向いて、乳母車を押して通り過ぎていった。おばあさんはずっと前を向いていた。
 猫たちが僕の足下に集まって乳母車を見送っていた。
 僕は新聞をとって家に入った。猫たちも後について入ってきて、いつものように餌のおねだりが始まった。
 その日の夕方、早夕飯をすませ、ウイスキーを飲みながら居間で相撲中継を見ていると、玄関の方でがたがた音がする。
 猫のために玄関を少し開けておく習慣がある。猫は自由に出入りができ、ネズミを捕ってきて、玄関の中でネズミを振り回して遊んでいることもある。そんな音だ。
 ほっとけばいいのだが、部屋の中にくわえてこられても困る、その前に玄関から猫ごと外におっぽり出そう。
 そう思って玄関にいくと、おばあさんが玄関のコーンクリートの上に座布団を置き、その上に座っていた。びっくりしたよりもぞっとした。
 女性が乳母車に乗せていたおばあさんだ。捨てるところはないかと聞いた女性だ。
 白い髪を後ろで縛って丸めている。白いブラウスと薄茶色のズボン。昔ながらのおばあさんの格好をしている。大きな風呂式包が脇においてある。
 誰ですかとつい声を高くしてしまった。
 おばあさんは僕のほうに丸い顔を向け、ちょっとばかり頭をさげた。
 なんだろう、猫たちがおばあさんの座布団の上にのっかろうとしている。
 「どうしたんです」、僕はまたもや声をあらげた。
 おばあさんが小さな声で言った。
 「捨てられました」
 おばあさんが風呂敷包みをほどいた。なかには使い捨ておしめ、着替え、それに湯飲み茶碗、箸とご飯茶碗がでてきた。
 ばあさんが我が家に捨てられた。どうしたらいいんだ。
 玄関ではまずい、とりあえず中に入ってもらおう。
 僕は玄関先に降りて、おばあさんを立たせると、後ろから支えて、居間につれていった。ソファーに腰かけさせ、風呂敷包みをテーブルの上にのせた。
 おばあさんは何も言わず前を向いたままだ。
 猫たちもついてきておばあさんのまわりでうろうろした。やがてソファーにのり、おばあさんの顔にこすりついたりしている。
 どうしたらいいのだろう。まず自分が落ち着かなければと、おばあさんのためにお茶の用意をした。客用の茶碗を戸棚からだして、お茶を入れ、おばあさんの前のテーブルの上にもっていった。
 おばあさんは少しばかりにっこりしてお茶を口に運んだ。
 黒髪を後ろで束ねた女性は、本当におばあさんの捨てるところを探していたのだ。
 わが家に拾った猫が八匹いると言ったので捨てたのにちがいない。
 警察に電話をするのがいいのだろう。警察は何番だっけ、119か108か、いや100だったかな。頭が混乱している。
 居間の電話の受話器をもちあげて100をおした。手がふるえる。電話はうんとも寸とも言わない。もう一度100を押した。やっぱりだめだ。
 おばあさんを見た。そうだ、何も聞いていない。そっちが先だ。
 おばあさんはよってくる猫の尾っぽを握ったり、耳を引っ張ったりしている。幼稚園児だ。
 何歳くらいだろう、百にはいっていないようにみえる。九十代にちがいない。
 「名前はなんというのです」
 おばあさんに声をかけた。両手で二匹の猫の尾っぽを握っていたおばあさんは、僕が声をかけても知らん顔。今度は別の猫の耳をひっぱっりだした。耳も遠いのか。
 「おばあさん、苗字はなんと言いますか」
 おばあさんの膝の上に二匹の猫が乗った。おばあさんは猫をかまって、こちらをむこうともしない。
 困った、電話はつながらないし、そうか息子のところに電話して、どうしたらいいか相談しよう。
 また電話の受話器をもった。息子の電話番号はおぼえている。プッシュすると、呼び出し音がなってお嫁さんがでた。
 「あら、お父さん、お元気そうな声ですね、あの人今日は遅くなるって電話してきました、徹夜になるかもしれないといってました、何かありましたか」
 息子は大学で生命科学の教員をしており、実験を夜中までやっていることがある。
 「おばあさんが、すて」まで言ったのだが、お嫁さんに気を使わせては申し訳ないと思い、途中でやめて、「あ、いや、元気そうですね、ちょっとかけてみただけだから、元気ならいいんです」
 「お父さん、お一人でお困りのことありませんか、これから寒くなるからきをつけてくださいね、もうすぐ米寿のお誕生日でしょう」
 あと一週間ほどで88になる。家内は留守にすることを息子の嫁に伝えたようだ。
 「そうだけど、まごたちはどうしてるかね」
 「二人とも元気ですよ、大学受験と高校受験だからがんばってます、大学は東京にいきたいといってますから、受験の時は泊まらせていただきます、もし受かったら、下宿させてください」
 息子家族は北海道にすんでいる。
 「もちろんいいですよ、それじゃ風邪をひかないように」
 息子の嫁さんも同じようなことを言って電話をきった。
 おばあさんを見ると、つけっぱなしにしていたテレビを見ている。岩合さんの世界猫歩きだ。それぞれの国の猫たちの暮らしぶりを映像でつづる人気番組だ。
 テレビの中で猫たちが歩いていると、うちの猫たちもテレビを食い入るように見る。同じようにおばあさんもテレビの猫を見ている。
 さて、おばあさんをどうしたらいいだろう。今日は隣の部屋に泊まってもらって、明日もう一度警察に電話をしよう。だが、おばあさんを捨てるとは、どういうことなのか。
 玄関があく音がした。
 そうか、今日は家内が旅行から戻ってくる日だ。
 「おかえりー」と声をかけると、
 「こんにちわー」と、
 靴を脱ぐ音がして、黒髪を後ろに結わえた女性が居間にはいってきた。
 あれ、乳母車を押していた女性だ。
 「おじいちゃん、ほら、猫の餌一週間分もってきたから」
 女性はソファーの上を見た。
 「あ、また猫拾ったのね、そんなに増やして大丈夫なの」
 ソファーの上で、薄茶色の年をとった雌猫が、八匹の猫に混じって、おちゃんこをしてテレビを見ていた。
 全部で九匹になっている。
 「猫部屋につれていきますね」
 女性は猫専用にしている隣の部屋にばあちゃん猫をつれていった。
 そうだ、彼女は餌を買ってきて、猫の世話をしてくれる猫専門のヘルパーさんだ。
 テレビの上には昨年八十八でなくなった家内の写真がのっている。猫好きな一つ上の年上女房が猫の世話を頼んだ人だ。獣医大学の学生さんだ。
 テレビに映っている世界の猫を見ていると眠くなってきた。
 「おやすみになっていいですよ、終わったら電気消して鍵かけて帰ります」
 彼女の声が聞こえた。
 僕はにゃーといって、テレビを消すと二階の寝室にむかった。
 

捨て場所

捨て場所

「どこさ捨て場所がありませんか」女の人が車いすを押して坂をあがってきた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-07-03

CC BY-NC-ND
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