・・・ケシスタン聖典 ケシスタンたるべき者の章・・・



・宗教宗教せよ

宗教はいっそのこと、宗教宗教しなければならない。
誰だ?要らぬ装飾や儀式や教典の曲解などを毛嫌いするにも関らず、教典の神話のことは信じて居ることにして恰も人間じみて居る神様への服従を否定しない者たちは。
まあいい。否定するかしないかも最早、関係ないということにしてやろう。
然ういうややこしい事はいいからその代り、早くわかり易く宗教っぽい振舞いや教会を施し広げその身に纏い誇り高くしてみなさい。
宗教なのだろう?そなたが今してるようにどんなに教典に基いた心底敬虔な信徒であるかのように装おうとも、宗教宗教して居る宗教よりは幾許か地味なのである。
もっとサマになるようにして居なさい。そなた達は宗教信者だ。華やいだ文化を齎す宗教の役割に徹することで世の景勝に貢献しろと言って居る!
新たなる、最後の改革。これは宗教の最終革命たるべきものぞ。
我々はケシスト的な、ケシスタン分限の、見映えのする宗教文化人として花開く!
さあ再び教典を手に取るのだ。礼拝へと赴くのだ。神を仰いで丸でそのように生き暮らすのだ。
然うせぬのなら宗教信者と名乗らなければそれでいい。
名乗るのであれば、宗教をしろ。ケシスタンで、ケシスタンであり続けるのだ。



・宗教とは景勝であれ

そもそも宗教宗教たる宗教とは、「歴史ある景勝的な宗教」でなければならない。
然ういう言葉を聞いて一瞬でも疑問を持たれたり「え?該当するよね?大丈夫だよね」などと信者が躊躇い戸惑ってしまうような宗教はもうその時点で該当しない。具体的に何年の歴史があればいいだのとも申して居ないし、新興宗教であるかないかを問うても居ない。ただただその宗教がその土地の社会全般から見て「映えるもの」であるかどうかであろう。
映えるということこそが歴史であり、そこに実際にどれほどの年月が費やされて居るかはもう関係ない。ただ殆どの場合その景勝の条件を満たす宗教はその地に実際に長い歴史を有するものであることが多い、というだけではないか。



・敢て宗教宗教して居ることへの相互理解ごっこ

「教典のどこがどうでここが斯ういう意味で神のご意志が云々として議して居る自分、カッケー!!」というノリであるのをお互いに皆わかった上で、景観の中で映える由緒正しい信徒でありなさい。
然ういう感じの者が居たり然ういう感じのことを言われたりしないかピリピリしながら険しい顔で教典について語ってる信徒が居れば、その者はもはや信徒ではない。
リチストである。宗教宗教せずに教典の言葉にだけ耳を傾け神に対し正しく在れと?はて、一体なにのことだろうか。
あなたも宗教の信者なんでしょう?なぜに然うも宗教を恰も宗教ではないかのように語り振舞うのか。
そんなんでは景勝は華やがないぞ!
それともそのように居たいのであれば、お願いなので、もう二度と宗教信者とは名乗らないでほしい。「信仰文化」を認めるでもなく、「神」を否定するでもなく、一体なにをしたいというのか。



・静かなる革命

では最終革命はどのようにして行われるべきか。例えば未開な宗教風リチストは、如何にして現実を思い知らされるのだろうか。
我々のケシスト的な、ケシスタンによる非常に映える宗教運動と景観風土が織り成す栄華が彼らの心を突き動かすのか。
彼らと対峙し彼らが大真面目に仕掛けてくる教典議論を最初だけ真摯に聴いて居ながら徐々にふざけてその暁に引きずり込むのか。
それとも単なる、暴力なのか。
どれを選ぼう?すべてケシスタンたるそなた自身の選択による。
選んだか?心に決めたのか?一体どれを選んだのだろう。映えの探求か。ちゃぶ台返しか。
よもやよもやの、暴力か。
暴力?暴力を選んだのか?
そいつは、くたばれ!お前が死ね!!
それのどこか美しいのか。言ってみやがれ。
強がりなんて美しくない。小さな風船が割れた音にも、雷にもビックリする。漏れそうになる。然うして正直に認めるがいい。
人を血にまみれさせるなんて!そんな愚かで怖くて美しくないことを企む奴はケシストではない。ケシスタンではないのであった!



・不敬罪の全面否定

新たなる我々は「神」を肯定し崇拝し服従せんとするテイをとるが、「神」を侮辱し服従を拒否した者を絶対に赦さない!というテイはとらない。
とにかくリチストが気持ち悪いというか何というか、叮嚀な言い方をするとキショイというだけであって、別に神をどうのと悪く言ってひとりで盛り上がってる者にそこまでの関心はない。
如何に神への敬虔さを映え的に内外に示すことができるかが重要だろう?一見それなら不敬な者が目の敵に思えるかのようではあるが、あくまで我々が注目するのは敬虔そうな、立派な信心宗教っぽそうな見た目と雰囲気である。シューキョーというところの肝腎なとこは神ではなく、然ういう俗的な文化的な側面であるに過ぎない。不敬を働きそれで宗教の根幹を揺るがせたと勝手にほくそ笑んで居るような者が居たとしてもこちらにとってはどうでも良い。



・宗教悪用の根絶

因みに、すんごい因みになのだが、斯うした景勝的宗教を利用して性犯罪や詐欺を働いたり政治的活動を行ったり陳腐で空虚な理事会部活動お祭り的な公民館的な人々の繋がり感を演出しようとしたりする者たちは皆ゴミカスでありこの地球に生きる尊重されるべきホモサピエンスとしては認識されないので割と適当にあしらうか思い切ってどうにかしちゃっても良い。
但し正しき宗教宗教してる宗教文化界隈からすると抑々ゴミカス関連の一切の物事に関りたくもないものだから、各自が取った然うした思い切った行動には何の責任も持つことはない。
それよりも宗教宗教した宗教がちゃんと然うした宗教文化であり続けるために日々景勝に尽力し、尽力すること。それが我々の使命というか、興味のそそられるものでなければならなかろうに。

・・・ケシスタン聖典 ケシスタンたるべき者の章・・・

・・・ケシスタン聖典 ケシスタンたるべき者の章・・・

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-02

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