『アンドリュー・ワイエス展』レビュー
20世紀初頭のアメリカで『宝島』や『ロビンソン・クルーソー』といった古典作品の挿絵を手掛け、イラストレーターとして名を馳せた父(N.C.ワイエス)から絵画の基礎教育を叩き込まれたアンドリュー・ワイエスは、写実に徹した画風が高く評価され、同国を代表するリアリズムの作家としてその名が広く知られている。混沌とする世界情勢に応じて絵画の世界でも起きた抽象表現主義やネオ・ダダ、その後のポップアートの潮流に一度も合流せず、①生まれ故郷であるペンシルベニア州のチャッズ・フォードと②メイン州のクッシングを行き来し、そこで目にする原風景を描くスタンスを生涯貫いたことから、リージョナリズムの文脈で紹介されることも少なくない。
本物のように描くことが写実と評される絵画のエッセンスだとしても、作品に宿る表現としての面白さは種々様々だ。例えば千葉県のホキ美術館に収蔵されている写実絵画が超絶技巧の限りを尽くした結果、「描く」という行為に内在するフィクションを抉り出し、その「現実」を観る側の脳みそに同期させて認識の枠組みに揺さぶりをかけてくるように、アンドリュー・ワイエスが描くリアルにもただの写実に収まらない一面がある。私の中でそれは詩の在り方に酷似していて、非常に興味を惹かれた。
非論理的な表現で字義に囚われない潤沢なイメージの喚起を試みる詩は、ロジックの破綻を生むためのロジックが必要で、文章として美しければ美しいほどにその意図を達成できる。核となる意味不明瞭なイメージ群を論理的な文章全体で囲い込み、謎に満ちた世界観を提示するにはまず仕切りとなるべき言葉の流れが大事になるからだ。そこから紐解く言葉の意味が、辞書をどんなに捲っても、捉え切れない向こう側の領域へと読み手を導く。意味を持って「非」意味を感じさせる、これが紛うことなき詩の本領である。
振り返って、アンドリュー・ワイエスの絵画表現もテンペラ、ドライブラッシュ、水彩画と用いる技法ごとにその印象を様変わりさせることはあっても、緻密な構成が崩れることは一度としてなく、演出効果も意識された絵画的な正しさで原風景を切り取っていく。画面の隅々にまで技術的に優れた点が数多く認められるから、描かれているものをそのままに受け取っても、表現として欠けるところが見当たらない。
しかしながら、目の前の画面をじっくりと鑑賞するほどに立ち上がる謎はある。開けられた扉の向こうで、日々の暮らしを送るために作業をする人々を、あるいはその手を止めて独りでもの想いに耽る姿を正確に描きながら、画家は違うものを見ている。そう確信するテーマの隠喩、悲嘆の影、滅びの予感といったシグナルがあちこちで明滅し、見えているものを見えているままに受け入れることを拒絶する。
これは本当に「現実」か?いや、実際にモデルとなった場所はあるのだから、現実ではある。では、なぜ、こうまで写実に描かれているものに「非」の感覚を強く覚えるのだ?なにがリアリティの否定を促す?タッチ?色彩?モチーフ?
分析的な視点に立って、数珠つなぎで引き出せる絵画の構成要素のリアリスティックな繋がりを引きちぎることなく、その真相に迫ろうとするなら、シュルレアリスムやマジック・リアリズムといった評価軸を持ち出すのが適切ではある。けれど、それでも物足りない。彼の表現に認められる痛切さは、意識の検閲を免れた無意識の夢として語っても、あるいはホンモノと見紛うほどの筆致で描かれた虚構として語っても十分ではない。
筆を重ねれば重ねるほどに逃げていくイメージを画面いっぱいに追いかけた画家の、描いたものの全てで写し取った遠景。この世の向こうにあってこそ、人々が焦がれ、感じ取ってしまうもう一つの「現実」をこの世に生み出した画家の本懐は、詩的に語ってこそしっくりくる。少なくとも、私にはそうなのだ。
意味の領域にあって意味の先に身を乗り出す文学=詩は、認識した外界を記号化し、それを組み合わせて世界を作る私たちの「生」を意味の楔から解き放ち、賦活する。これとまったく同じで、アンドリュー・ワイエスが開け放ち、無数に描く窓やドアを行き来する風、差し込んでくる光に応える感情は、その狭間にあって膨らみを見せるカーテンのように豊かになって、儚く萎み、再び膨らむ。ポエムと揶揄され、ナルシズムの権化のように軽んじられる詩のイメージからは、それこそ一ミリも想像できない営為をミニマルアートの登場以降、死んだとまで評されるに至った絵画が果たしてみせるのだ。この奇跡を言祝ぐ労を私は厭わない。
来場者数が33万人にも及んだ1974年以来の開催とあって、東京都美術館で開催中の『アンドリュー・ワイエス展』の会場には主に高齢の方が足を運んでいる印象だったが、彼の絵画表現は10代、20代の方たちにこそ届いてして欲しいと強く思う。言語化の傾向に苛まれ、檻に閉じ込められるような感覚に風穴を開ける尖り方は、芸術を通じてこそ最もよく知れる。その実際を自分の目で、肌で感じて欲しい。会期は来月の7月5日まで。写真やデータで見るのとはまるで違うので本物の絵を思う存分、堪能して頂けると幸いである。
『アンドリュー・ワイエス展』レビュー