夏の前の出会い

夏の前の出会い

引っ越してきたこの住宅地で子供の姿を見かけることはめったにない。そして・・。

 偶には散歩でもと思い家を出てはみたものの、これといって宛もなし。
 まあ、それももっともで、まだこの地に移ってきてから如何程かの月日を過ごしたわけではない。一応この辺りの地図を購入してみたが眺めていたところで名案が浮かぶわけではない。
 この住宅街にはかなりに住宅が立ち並んでいる。ところが、年寄りの姿と路上駐車が多いだけで、子供姿が見えないのだから、まるでゴーストタウンのよう。
 都会から引っ越しをしてきた者と元からの地元の住民とは案外付き合いが少ない事もあるからだろう。
 実は、私は中古の戸建ての至る所に、ロシアやChinaの国旗に、慶應義塾の紋章や電飾を取り付けている。理由は、近所の子供が、家の前を通った際に喜んでくれたら、という心境で、が発端だった。それが、子供など見かけず年寄りなどの大人は、寧ろ変人、と感じているようでもある。
 それはそれでいいではないか、皆考える事や感じる事は異なるし家族構成も様々なのだろう。そんな事の毎日が三か月程度続いていた・・或る日の事。

 
 夕暮れ時。
 そして・・そろそろ至る所に設けてある電飾の輝きがはっきり見えだす。
 ふと気が付くと・・いや、隣は家が建っていなく斜面のせいで建てられないのだろうが、草ぼうぼうのスペースとなっている。草や花の成長は驚くほど早く、二階のある部屋の窓の外などは大きな葉をつけた茎が全面窓を覆っている。
 その隣の部屋からは蔦も絡まっておらず・・窓からその草原が見渡せる。
 ・・すると、闇の中に子供姿が・・。
 どうやら小学校二~三年位の女の子のように見えた。
 どうしたんだろう?この夜間に子供一人・・草原で・・遊ぶには適していない。暗いから危ないし、更に友達や家族同伴で無ければ・・?
 私は、それが気になり窓から声をかけようと思ったのだが、それより玄関から表に出て直接話しかけた方が話しやすいと感じ、門を開け表の道路から隣の空き地つまりは草原に近づき、子供に声をかけた。
「・・ねえ、そんなところにいたら、暗いし危ないから、此方に降りてきたら?」
 女の子は躊躇もせず聞き分けが良く私に近づいてきた。
「おじいさん、光が好きなの?どうしてあんなにいろいろの飾りを付けているの?」 
「・・やあ、いいことを聞いてくれた、君のような子供達がこんなあれこれを見て喜ぶのではと思ったんだ。でも、この辺りには子供はいないようで大人は何方かというとこんな事をしているとおかしな爺さんだ。と思うようでね・・」

 いろいろ話すうち、女の子の家は実は遠いところにあるのだが、偶々この近くまで来て・・電飾などに気が付いた、という事のよう・・。
「・・君、こんなものに関心があるのかな?それとも・・何かのついでに・・?」
「うん、綺麗だなと思い・・どんな人がこんなにたくさん、家のあちこちに・・?なんて思った。」
「ほう、そりゃうれしいね。君のような子供を見かけるだけで楽しくなるのに・・そんな事を言って貰えれば・・そりゃあ・・」
 女の子と表で話しているのも何か・・と思ったが・・今は犯罪ばかりの酷い時代になってしまい子供にとっても決して安心できない社会とも言える。暗く、暴力団ほどでは無いにしても右翼である政権や殆どの国会議員が、子供だましのように一時的な補助金を支給したり、強引に法律を改悪し、経済的にも苦しい国民も少なくないという、殊に弱者にとり最も負担が大きな国は、本来は次の世代である子供達に期待するしかなくなってしまった。そして・・その子供達も不登校が60万人とか・・自分の時代には到底考えられない事。
 学校が終われば、校庭で遊ぶか帰宅して近所の子供達と遊ぶのが自然な習慣になっていて、何処の子供にとってもそれほど楽しい事はない。小学校までは1.5キロあった。というのは国立大学の付属だったから、隣にある中学校も同様の付属だったが、普通は家から近く決められた学区の市立小学校に通学するが、何か、親にごまかされ試験を受けそんな事になった。
 だから、学校の友達でも同じように遠くから通っている者達もいて、バスで遊びに行った事も、自転車に乗れるようになってからは活動範囲が広まった。中学校に上がる時にも当然試験はあるので、結局大学まで全て試験に合格をしなければならなかったのだが、途中で別の学校に行く子供達もおりお別れとなった。
 勉強よりは遊んだり、何より本を読むことなどが好きだった。不登校の理由は分からないがそれぞれなのだろう。私は、中学三年時に市の全ての学校の、高校受験を控えた三学年、合計で約七万人程になるが・・何回かに分けそれらの三年生が一斉に共通の試験を受ける仕組みがあり、私は、初回から10番以内に名前が表示されていた。
 その時に・・ろくに勉強もしないのに・・もう勝負はあったな・・と思った。実際・・高校・大学と手抜きをしながらでも合格が出来た。しかし、そんな自分に、勉強ではその程度で問題ないから後はそのままでいいんだとの考えに至る一方、小説を読むことが存分にできた事は何より楽しい事だった。
 一方、勉学とは全く異なり・仕事・全力を尽くし働く・ということは決して楽ではないどころか、或る意味持てる限りの努力・知恵をつくして頑張らなければならない。職場その他の人類同士の様々な関係に耐えなければならないし、サービス業であれば顧客は会社の経営や自らの収入に直接繋がることもそのうちであり、そういう真面目な時代だったから経済が安定をし、「世界に日本国あり・Japanese miracle 」と言わせしめた。若者にとり残業を夜中の十二時まで行うなどという会社もあったが、それに応じてかなり高額の給与が与えられたり・より上の役職に昇進が与えれる事で・・なかなか充実をしていたのかも知れない。
 休日が土日では無かったり、忙しくて会社からの要請を受け休日や・土曜でも半日出勤・学校も半日登校・などもあったが、だからこそ偶に来る休祭日が楽しみだったのだろう、苦あれば楽あり・・。世界各国に認められていたのは「日本人は勤勉実直と手先が器用でものつくりが上手」の言葉に表される様に、製造品・商品の質が良く交易面でも努力の結果数字は上がるばかりだった。一例で、1970年時の郵貯の十年定期が黙っていても十年後には一千万が二千万になってかえってきていたのは・・高い利率の福利の連続だから。電電公社などの社債・公債の利率も高かった。
 電電公社=NTTの前身で・・日本国で最も最初に「携帯電話」と称されるものが登場時に、会社から一台だけ最優先で持つことができたのは、私である。当時は固定と公衆しかない電話・・その固定もダイアル式だった時代には・・ダイアルを間違える可能性が高かった。例えば、相手の番号を順次ダイアルに指を合わせ回転させていくうちに・・「あら?何処まで回転させたのだったか?」とか「十分に数字のところまで回転させる前に失敗したり中途半端だったり・・」・・それでも、すぐに折りたたみ式の二台目が出た時には便利だと感じた。
 当時は・・今と全く逆・歩きながらの架電など皆無・駅のホームなどで会社に連絡・・或いは全国出張の際に上着の内に入れていたせいで・・空港の金属探知機に引っかかる事は毎度の事だった。それから考えれば「スマフォ歩き」など信じられない程公衆道徳に欠けた時代に代わった。
 あらゆる観点から総合的に判断をする・・持ち論現代社会を・・とんでもなく景気が悪く犯罪だらけの社会に代わってしまった・・という事に尽きるのである。それについては・・また別の小説に於き・・上手くお話としてストーリーを進め・・場合によってはその為の「序曲・挿入曲・Endingテーマ」等も簡単に作曲・即興演奏の末聴かせる事は可能である。
 

 そこで・・ふと「この子も不登校だったりし?」など頭に浮かんだが、見る限りこの子はそうではないと気が付く。勉強ができてもそうでなくとも短い生涯に影響はない。この子には・・何かそんな事とは全く異なる明るさや覇気が感じられるのだ・・それに加え・・何か神秘的な・・。
 それはそうと、この子との会話は早く終わらせなければならないのだから・・もう会えないだろう、と感じる。
「・・気に入った光を見たら、おうちに帰った方がいい・・お母さんたちが心配をするし、帰る途中で危険な事になってもいけない・・」
 全ての光を、彼女は見て回り喜んでいた。が・・そろそろ・私も「・・では・・お帰りなさい・・途中まで送って行ってあげようか・・?」。
 ところが・・彼女は一向に帰るそぶりなど見せない・・「おじいさんの、この家広そうだね?おじいさんの家族は・・ひょっとしたら・・いないんじゃない?」
 それを聞き・・どうしてそんな・・?だが、私は一人っ子として育てられたことも関係があるのかも知れないが、一人は苦にならず気楽・・寧ろ好きな芸術作業が思う存分できることは忙しくもあるが楽しく感じられていた。
 だが・・此の子と一緒にいるのもそろそろ・・。
 早く帰さなければ・・と・・突然、子供の声ではなく、私の頭に直接「・・ねえ、光とっても綺麗・・おじいさんの家に泊っていってもいい?」。

 いや・・驚いたなどと言うものではない・・。
 
 今の日本国の世代の社会では、略取誘拐という重大な事件にまで発展をしてしまう事に繋がる。

 しかし、それは帰宅途上の方が・・?むしろ、口をついて出たのは「・・君・・怖くないの?いや、光が好きなのなら・・部屋は幾らでもある・・家は君を歓迎するだろう・・」。
 その時には、様々な事が全て理解できていた。
 この子・・ひょっとし親がいない?・・まさか・・しかし、それならば・・明日にでもその事を監督官庁にでも話さなければ・・。そこで気が付いた。だが・・二人は似たような・・もしかするとこの子・・。
 既に似かよった頭脳が互いに情報を伝えあったいた事をその根拠とし問題は無くなった。
 

 この子が光を特段に好むのは・・そういう事・・自分と同じ境遇だったのか・・。
 そこからは、子供に「特段の歓迎」をすることとなった。
 
 例えば・・話一つをとっても、まあ、くだらないが・・小学校の子の子と同じ時分・・二年間は絵日記を毎日書くことが支持されていたが・・少しも苦痛どころか訳もなく終えていた。子供の文章の良いところは心理面や頭脳の回転面における「子供らしさを如何に、子供の目線で子供らしく上手に表現するか」に尽きる。
 題材が幾らでもあったから・・学校が遠いからバス通学は許されていたし徒歩でも良かった。バスの中だけでもこんなエピソードがある。
「或る日には・・降りるバス停までなんとか我慢をしていた・・要は、便意を催したのだがバスの中では・・ようやくバス停で降りて歩き出した時には・・ズボンの中は時すでに遅し、実に大変な状態になっていたから、ズボンから落ちないようにとおかしな歩き方をしながら・・」、家に戻り母に告げたが、勿論そんなことくらいで叱られる事は無い。
 また・・或る日は・・当時は運転手だけでなくバスガイドが必ず同乗をし、切符を売ったり回収したりしていたのだが・・窓を開け立っていた私の手のひらから、うっかりして五円玉が・・道路に落下・・。
 流石に・・どうしようかと・・つい涙が出・・泣きながらガイドさんにその旨を・・。
「・・いいのよ・・泣かないで・・またいつかでいいから・・」
 そんなろくでもない事から・・あらゆることがらが毎日の日記に綴られていった。卒業時には分厚い本になった日記が幾つも家に並んでいた。子供の文章では・・事実の記録もさることながら、描写・・つまりは自分や相手の心理や言動を説明する事・・更に表現を自然にすらすらと・・情景のように描く事が出来ていれば・・頭脳内部が見えるもの・・。
 
 少女は・・同じような事が可能・・どころではなく・・私は、素晴らしい頭脳の持ち主である事に気が付いている・・。
 
 
 その晩は・・私の少女と同じ年齢くらいの子どもの頃の話題から始まり・・どんな光が好みで・・何をどうしたいのか?をさりげなく伝えてくる少女と、食事をした後に風呂に入れさせ・・着替えは脱衣室に置いておいた・・子供にはとても大きすぎるのだが・・。
 そして、並んで床につくと、寝ながら次々に互いに話を交わした。  
 会話を論理的で分かり易く加工する技術も持ち合わせている少女、電気も寝ながらに相応しいよう薄暗くし、距離は近いにしても・・暗がりを通過する光のように互いに視覚確認と共に聴覚・・こちらも更に・・言葉のキャッチボールに一層の幅を持たせていく。

 ある程度のところで・・意思疎通が図れたから、二人同時に目を閉じて眠りに入る・・この瞬間は・・実は・・宇宙空間に飛んでいる事と同様。


 翌日から私は少女と近くの川や公園などを歩きながら「彼女の最も見たい光の光景」を訪ね、質問し、返答が・・という、所謂基本的な会話を、互いに徐々に深部まで掘り下げていく。
 
 久し振りに子供が出来たようなおかしな喜びを感じながらも・・とても楽しい日々・・。

  さて・・やはり・・別れは何時の日にか来るもの・・。


 少女の好む光の意味合いはわかっている。
 凡そ・・数億年先の空間・・空間歪曲なので相対性時間は一瞬となる。
 実は、宇宙空間の片隅に発生をした太陽系とその第三惑星であるblueplanet・・一体がつい先ごろ百年から億年移動をした事があった・・が、太陽系の如何なるものにも認識は出来ない。
 その目的は・・文明の「第三の彼」の頭脳で無ければ理解は不可能であり・・かといい、何らかの重大な必要性が根拠となっている事・・間違いはない。ただ、その文明の粋を集め追求したとすれば・・「彼」と「少女」との関係が・・何か・・。


 その事情を踏まえれば・・それほどタイミングよく私に近づいてきた少女・・実に無邪気そのものなのだが・・人類に例えれば高度な知識や頭脳を持ち合わせている事。
 ・・とてもかわいく・・私を和ませてくれる素晴らしい笑顔と声音(こわね)の波長も共に稀なる好みの仮称・周波数・の一致・・。
 
 光とは「空間の位置により異なるモノであり」その位置を感知できる仕組みとは、地図の様なものではなく「光・時間・空間」を自在に操る文明の特長、とも言えるのである。

 私にはおおよその光の散らばり方や色彩に粒子の複雑な動きなどが把握できる・・つまりどの空間であるのか?というに似たり。

 私の電飾はあくまでもセンシティブな人類社交場に近い・・奇麗だと思わせる光を描いてみただけである。
 
 やがて・・まるでかぐや姫のようなお話なのだが・・少女の姿が次第に夜空に遠ざかっていく時が来た。
 とはいえ・・実際には遠ざかるのではない。相対性時間に基づいた空間歪曲の表向きの光景と言える。
 かぐや姫であれば・・大人の女性であるのだが・・少女は点滅をしながらかぐや姫に代わっていくようにも見えた・・。


 まるで・・単純なお話では・・と?


 そうかな?


 空間には神秘且つ論理的な繋がりというものがある・・つまりは・・少女のかぐや姫と私は・・一見離れた空間のように見えるだけであり・・最早・・二人は同じ光の集合と見ることができることになる・・それも素晴らしく美しい宇宙空間上の星々を光源とするものやさまざま・・正に宇宙の極みでもある。


 では、私は何処にいるのか?

 勿論、家にいる、何も変わりはない・・。


 一つ今までと異なる事といえば・・少女はいつでも私と共にいる・・という私の家族のような役割を果たしながら・・広大な空間にも実存している・・やはり・・少女・・なのである・・。
 


 夏になると・・そんな事も見られる夜空が・・ひょっとすれば・・宇宙からの訪問者などには・・十分認識できる事であろう・・。

夏の前の出会い

梅雨が明け、夏が来れば・・夜空に浮かぶもの。

夏の前の出会い

子供と出会った事から、美しいものを見るコツを教えて貰えた。 それからは・・夜空の光を見るのがとても楽しみになった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-26

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