ユメバク

「昨日の夢は獏にあげますだ。わかるかい。獏。そう、君が知っている通り、夢を食べる。マレーバクあたりがいいかな。嫌なことが1日で消えなかったら、唱えるんだ。昨日の夢は獏にあげます」
 白衣の青年が子供の僕に教えてくれた、おまじない。

 唱えたら、すっと黒い霧が胃の腑のしたにおりてなくなる。

 ただその度に、僕は寂しくなった。誰かに爆弾を預けて、解体してもらっているような、決まりの悪さ。

 ? 誰かに呼ばれている。
 僕の名前を 名前を 名前

「氏原ゆきた君」

 目を覚ます。そこは高校一年生の教室で、目の前の女子は二年生。中学が一緒だった。
 戸惑ううちに、彼女は「私の教室に遊びにきて」と言い。風のように消えた。
 僕が一人で、あの人も一人だから。

 教室はざわめいて、僕の手には先輩の手のつめたい感触が残っている。
 渡辺先輩。僕が知っていたのはそれだけだ。

 次の日に出向いてみると
 猫のような顔の女子が、渡辺先輩の机へ導く。

 ドキリ ドキリ とする。

 本に目を落としていた渡辺先輩は、顔を上げ、にっこりする。
 そんな先輩の本は『ユング心理学』。
 僕も心理テストは好きだ。

 僕は先輩の椅子に座らされる。猫顔の女子は「お客だから」と。
 僕は多重人格とされている。
 先輩は興味深そうに病気について訊いてくる。

 しかし僕はわからないのだ。なにも、なにも。ただ象徴的な夢を見た。
 僕の人格は石造りの城、その客間におり、そのなかでも取り分け目立ち、リーダーシップをとっているのは、マイケル・J・フォックスのような少年。

 脳の防衛本能。苦しみを分散するための。それくらいならわかる。
 ただし原因はわからない。

 先輩の苦笑は、失望からか。
 また明日おいでと、誘う声は明るく。そうだ、放課後にパソコン室で調べよう。

 残念ながらWikipediaからは何の成果もえられず、僕はまた先輩の教室へ。
 難しい話をされる。人間の意識と無意識は氷山で表される。
 そうなんですか、僕はそんなイメージを持ったことなんて一度もないんです。
 そう言いたい言葉はでない。

 眠りに傾く。
 石造りの城のなか。暖炉が明々と。ソファに背を沈ませる。

 名前を呼ばれる。
 リヒト? いや違う。それは僕じゃない。
 ゆきた。
 そう、それが僕だ。

 目を覚ます。がやがやする教室。
 目を輝かせる先輩。
 僕の手を取って、勢い良く言う。

「ゆきた君、明日もまた来て。お願いだよ」

 ああ、そうか、そうか。
 僕は先輩の患者で、僕ではない人格が好きなんだ。
 リヒト。
 まあ頑張れ、超越せし我が人格。

 教室でからかいの声を聞く。ストレスがたまる。
 ゆきた 先輩の 金魚のフン。
 確かにそうだ。先輩がトイレに立ったときまで、いちいちついていくのだから。
 隣のクラスメイトがぶつぶつ呟く。
 リヒト出てこい、リヒト出てこい。

 出てこないんだよ、そんなの。君が神主の子孫を自称して、優れた人格を引きずり出しましょう。そう請け負っていたが。

 君のオカルトには何の意味もないんだよ。さようなら。

 毎日、毎日、通ったよ。先輩の教室へ。
 でも疲れてしまった。いつも眠くなって、城に行って、また戻ってくる。
 僕はただの患者。しかし先輩は面白がるばかりで、治してはくれない。

 先輩の教室へ行くのをやめた。
「今日は行かないのか」
 と隣の神主もどきに訊かれ。
「あんな薮医者に用はない」
 僕は自分でも驚くほど冷ややかに、そう告げる。

 さあ、流れが変わった。クラスメイトが先輩を薮医者と呼び、毎日毎日、バカにする。
 僕は関係しない。
 クラスの女子に気になるコがいて、一つ二つ話すようになった。
 彼女は僕をリヒトと呼ぶ。
 それもいいなと思う。

 やがて夏休みになる。
 僕は自分の部屋でクラスの彼女と初体験を済ませる。

 自分がなにか、違うものになった感覚。もう最強。

 なんたって俺はリヒトで、公安に所属しながら、同じ公安から事件の犯人と疑われた。

 ロリコンクラブが東京にあって、俺がそのオーナーを殺し、練炭自殺に見せかけた。

 二人の公安刑事はそう言うんだ。

 俺は笑っちゃった。
 だって覚えがないからさ。
 ただ一つ言ったよ。

 人格の一人に、人生に一度、正義の殺人をしたがってるヤツがいた。

 そいつは俺『たち』がギャングのスパイになったとき、あんたら警察がずいぶんこき使ったんだ。覚えてないかい。

 公安垂涎の品は、ロリコンクラブの名簿だ。政財界の大物が名を連ねている。
 
 そのクラブを三年前から調べていた記者に俺は連絡を取ったことがある。
 俺は記者に一枚のディスクを渡した。名簿の写し。もちろん原本も渡した。記者は原本をどこかに埋めると言っていた。

 公安はディスクのことをこう言った。プログラムの羅列だと。

 本当にそれだけだと思いますかぁ?

 このプログラム、間違いがある。と二人。

 そこまでわかればあと一歩です。

 そうこうしているうちに捜査は打ち切られた。

 僕はリヒトの日記を見て、ずいぶんと才能があるようだと皮肉を思った。
 
 夏休みが明けた。
 僕はクラスメイトの好きなコから聞かされる。
 先輩が鬱になったらしい。
 僕は苦しい、とても苦しい。だから結論だけ言おう。
 精神病は差別されている。
 僕は大柄な上級生たちからヘッドロックされ、先輩のクラスにつれて行かれた。

 先輩のクラスはやかましかった。彼女は教壇に立たされ、踊れだの歌えだの強制されていた。
 僕が義憤に駆られたと思うなら、君は間違っている。

 僕は帰りたかった。僕をヘッドロックする上級生が言った。
「守ってやる、てなんだ。いつからおまえ、そんなに偉くなったんだ」
 僕は守りたいとも言ってないのに、彼はそんな馬鹿げた台詞を吐いた。
 ゲームの台詞だ。バカオタクがと思った。

 僕は椅子に座らされ、周りを人が囲む。バカオタクの糸目と分厚い唇。
 気づくと僕は城にいた。部屋では人格たちが殴り合っている。
 部屋から逃げ出し、廊下を走り続けていたら、足場がガラリと崩れ、闇に落ちていく。

 目を覚ます。
 周りを囲む人々が笑っている。
 糸目の男が言う。

「どうやら彼の多重人格は嘘ですな。過去にトラウマなど何もないようです」

 僕が知っているのは、その男が彼の友人たちに絞め殺されかけて、病院に運ばれたということ。集団ヒステリーみたいになっていた何人かも病院行きになった。

 何があったかは知らない。ただ、猫顔の女子は言う。

「あなた、怖い。あなたの、中身が怖い」

 バク使いのリカが出たか。とリヒト。
 その日の夢にリヒトが出たのだ。
 バクは些細な声でも全て覚えている。お前を助けたんだよ、色男。

 リカとは僕のアニマとでもいうのだろうか。自分自身に愛されるというのは奇妙きわまりない。自己肯定ができているだけましか。

 なんにせよ、その日を境に先輩は不登校になった。
 僕はいじめの濡れ衣を着せられたが、鬱々と登校し続けた。

 昨日の夢は獏にあげます。

 久しぶりに唱えた。
 気休めだろうか。怨恨が薄らいで、少し楽になる。暖炉の火が、激しくなる。パキン、と薪が鳴る。目蓋の裏で人格たちは、くつろいでソファーに座っている。

 悪魔よ。僕の相棒は火みたいに熱いんだ。

 就職が決まった日、僕は付き合っていた女の子にフラれた。一瞬で。だって怖いもの。と彼女は帰った。
 あなたは私を好きだけど、リヒトはあの人が好きなんでしょう。とも言いながら、背中は遠ざかって角に消えた。

 公園で学生服のままブランコに座っていたら、いつかの公安が現れた。まるで気配がしなかった。

 君のプログラム、わかりましたよ。
 若い刑事が言った。
 プログラムの間違いは意図的なもので、修正すれば人物の名を示してくれる。間違いの文字を連ねると、それもまたダークウェブサイトのURLとなる。

 僕の預かり知らぬことだ。
 またいつか。

 老人の刑事が言う。

 いや、僕は。
「平凡なままでいい」

 そうですか、と二人は帰っていった。

 捜査は打ち切られたと聞いていたが。彼らには彼らなりの、けじめの付け方があるということか。

 僕はブランコを
 強く
 強く
 振り子にして
 思いきり飛ぶ。
 着地できず転がる。
 服の砂を払い、公園を歩きさる。
 トンビがぼくを見下ろしている。

ユメバク

ユメバク

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-25

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