もしもダンジョンがこの理不尽な世界を変えるなら。

第1話 高嶺の紗良さんと、夢の国ダンジョン


大輝(だいき)くん。今日も一日大変だったね〜」

 エレベーターのドアが閉まる直前、滑り込んできたその人は、ふわりと甘く、それでいてどこか爽やかな香りをまとっていた。

 一ノ(いちのせ) 紗良(さら)さん。

 同じオフィスで働く、ふたつ上の先輩だ。

 耳元には、少し多めのシルバーピアスが照明を反射してきらめいている。抜群のスタイルをオフィスカジュアルで包んだ彼女は、社内でも誰もが認める「高嶺の花」だった。

「あ、一ノ瀬さん。お疲れ様です。……あ、いえ、そんなに大変じゃ」
「ふふ、顔に『疲れた』って書いてあるよ? ほら、これあげる」

 手渡されたのは、小さなミントタブレット。
 深い接点があるわけじゃない。それなのに、いつの間にか俺の名前を覚えてくれていて、会えばこうして気さくに声をかけてくれる。そんな優しさに触れるたび、俺の目はどうしても彼女を追いかけてしまっていた。

 そんなある日、給湯室で、紗良さんと仲の良い同僚たちが話しているのを耳にしてしまった。

『紗良の好きなタイプ? あー、アイツ意外とコテコテだよ。「やっぱり男の人は筋肉質で、いざって時に私を引っ張って守ってくれる人がいいなー」だってさ』

 聞き耳を立てていたのがバレて、給湯室から出てきた同僚に「なになに大輝くん、紗良のこと狙ってんのー?」とニヤニヤ茶化されたけれど、正直、心の中はまんざらでもなかった。

 現在、彼氏はいないらしい。
 あの大人びた色気があって、背も高くて完璧に見える紗良さんが、心の中では「守られたい」なんて乙女な理想を抱いている。そう思うと、なんだか無性に愛くるしくて、胸が苦しくなった。

 問題は、俺がどこにでもいる、筋肉とも漢気とも無縁な、ありふれた平凡な男だということだ。
 紗良さんの理想とはかけ離れている。だけど、だからといって「諦める」なんて選択肢は、俺の辞書には最初から存在しなかった。

 筋肉がないなら、漢気で見せる。中身が伴っていないなら――ハッタリで誤魔化せばいい。

 少しの勇気と、たくさんのハッタリを胸にデートに誘ってみると、紗良さんは大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべて、案外あっさりと応じてくれた。

「デート? いいよ。……なら、ダンジョンにいってみない?」

 ロマンチックな雰囲気に浸る準備をしていた俺には、意外すぎる場所の指定だった。

 ダンジョン。最近メディアを騒がせている流行りの娯楽施設だ。一度も行ったことはないけれど、身体を動かすというし、運動不足の解消にはちょうどいい。なんなら、ちょっとしたアスレチック程度だろう。そこで男らしいところを見せられれば、あるいは――。

 そんな下心を隠して、俺は「ぜひ!」と頷いたのだった。


 ♢


 デート当日。ダンジョンの入場口は、テーマパークさながらの大行列だった。
 並んでいる間、紗良さんは楽しそうに俺の腕に視線を落としてきた。

「大輝くん、今日は男らしいところ、期待してていいのかな?」
「も、もちろんです! 男・宮本大輝、今日は一味違いますから。任せてください!」

 ポパイみたいに力こぶを作ってみせると、彼女は「あはは、楽しみ!」と嬉しそうに笑った。その笑顔を守るためなら、なんだってできる気がした。

 入り口では、空港以上の厳しいボディチェックが行われた。それを抜けると、案内人のホログラムが世界観の説明を始める。

『ようこそ、ダンジョンへ! ここは未知のエネルギー【魔素(まそ)】に満ちた空間です。魔素は皆様の豊かな「想像力」を媒体として、足りない元素を補い、誰でも簡単に魔法を具現化させることができます!』

 案内人の説明によれば、魔素は人体に害を及ぼさない特殊なエネルギーらしい。
 だから、モンスターの攻撃を受けても、誰かが放った魔法が直撃しても、痛みも傷も一切残らない。
 子供から老人まで、老若男女が安全に遊べる、まさに現代の「夢の国」。

 おまけに、中で手に入れたお宝は一般への持ち出しこそ厳しく規制されているものの、出口の換金所でその場ですぐに現金化してくれるという。そのため、ここを本拠地にして稼ぐ「冒険者」なんて新しい職業まで生まれているそうだ。

「すごいね、本当に魔法が使えるんだ」

 目を輝かせる紗良さんと共に、俺たちはついにゲートをくぐった。

 ――しかし。

 ダンジョンデートが終わる頃、俺は目の前が真っ暗になるほどの絶望を味わっていた。

「ハァ……ハァ……」
「大丈夫、大輝くん? 危ないから、私の後ろに隠れてて!」

 ビシッ、と小気味いい音が響き、紗良さんの手から放たれた氷の矢が、向かってくるスライムを綺麗に撃ち抜いた。

 誰でも使えるはずの魔法。
 すぐ横を歩いていた、どう見ても6歳そこそこの女の子ですら、楽しそうに手から火の玉を出して遊んでいた。

 それなのに、俺はどれだけ強くイメージしても、小さな火種すら起こせなかったのだ。
 結局、最初から最後まで紗良さんの後ろに隠れ、彼女に守られっぱなし。

 計画していた「漢気アピール」なんて、何ひとつ、掠りもしなかった。

「すみません……。せっかくのデートなのに、俺、格好悪いところばっかり見せちゃって……」

 申し訳なさと情けなさで破裂しそうな心を隠すように、俺は少し奮発して、夜景の見える高層レストランへ紗良さんを連れて行った。

 紗良さんは「ううん、楽しかったよ?」と言ってくれたけれど、どこか言葉の端々に「ちょっとがっかりしたな」という雰囲気が滲み出ているのが分かってしまう。

 それでも、仕事の愚痴や日常の他愛もないトークを振ると、彼女はいつも通り盛り上がってくれた。俺は必死にトークを繋ぎ、自分の不甲斐なさをなんとか誤魔化そうとした。

 けれど、これだけは誤魔化すわけにいかない。
 俺は、今日中に告白すると心に決めていたんだ。
 ディナーの帰り道。ライトアップされた綺麗な噴水の前に差し掛かったとき、俺は足を止めた。

 水しぶきがカラフルに光り、ロマンチックな雰囲気が周囲を包む。

「紗良さん」
「ん? どうしたの、大輝くん」
「俺、紗良さんのことが好きです。……俺じゃ頼りないかもしれないけど、あなたを守れる男になります。付き合ってください!」

 ――静寂が数秒、いや、数分にも感じられる時間がその場を支配した。
 やがて、紗良さんの少し困ったような、大人のため息が聞こえた。

「――ごめんね、大輝くん。気持ちは嬉しい。でも……やっぱり私とは、住む世界が違うみたい」

 あっさりと、だけど決定的な拒絶だった。

「……そっ、ですか。すみません、いきなり無理なこと言って」
「ううん、真っ直ぐ伝えてくれて嬉しかったよ。じゃあ、私はこっちだから。また月曜日、オフィスでね」

 紗良さんは普段とまったく変わらない、優しいお姉さんの笑顔を浮かべて、夜の街へと歩いていった。

 振られた。完敗だ。

 だけど、不思議と「諦めよう」という気持ちは湧いてこなかった。

 魔法が使えなかった理由も、釣り合わないと言われた理由も、全部これから変わっていけばいい。紗良さんに相応しい漢になって、もう一度振り向かせてみせる。

 去っていく彼女の背中を見送りながら、俺は静かに、だけど熱く拳を握りしめていた。
 週が明ければ、またオフィスで彼女に会える。
 その日常があるだけで、今の俺には十分な救いだった。

 ――この時は、まだ知らなかった。
 その「日常」が、二度と戻らないものになるなんて。

もしもダンジョンがこの理不尽な世界を変えるなら。

もしもダンジョンがこの理不尽な世界を変えるなら。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-20

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