ルアンの網傘茸
丘陵の中腹にある家の近くに熊野神社がある。家からは道を下るとほんの一二分のところだが、駅から家に戻るときにはかなりの石段を登らなければならない。石段をのぼっていく脇の斜面は笹に覆われているが、ところどころに浦島草やかわいらしい名前のわからない花が顔を出し、登る人の目の癒しとなっている。
五月の連休前、仕事から帰ってきたとき、石段の脇の斜面に編笠茸がたくさん生えていた。家に帰って、すぐにビニール袋を持ってもどると、みんなとってしまった。
この茸はとてもおいしい。日本ではさほど注目をされていないが、フランスではとても喜ばれる茸である。生のものは初めてだ。
持って帰り雨子に料理を頼んだ。
「どうやって食べる」
「バター炒めにして、ビールのつまみだ」
雨子は編笠茸を洗い、砂を落とすと水を切り、半分に切って、ちゃちゃちゃとバターで炒めてくれた。
雨子は秋田の人間で、実家の周りには秋になると色々な茸が生え、前の家のお婆さんが朝早く取ってきた茸をたくさんくれたものだという。だから茸料理はお手の物だ。しかし春の茸はたべることはなかったという。春は山菜だったそうで、網笠茸は見たことがなかったということだ。網笠茸は春の茸だから、梅と桜が一緒に咲くような寒いところにはあまり生えないのだろ。東京だとよく見かける、この団地のある家の玄関先のジャリの間から顔をだしていたこともある。
何といっても網笠茸はいい味だ。
「編笠茸の干したのもまだあったんじゃないか」
数年前、仕事の関係でフランスのルアンに行った。パリから電車で一時間半ほどかかった。そのときマーケットにはいったら、乾燥網笠茸がプラスティックの瓶にはいって売っていた。お土産にいくつか買った。いくらだか忘れたが、そんなにやすいものではなかった。
日本で雨子が料理してくれた。乾燥網笠茸をぬるま湯に30分ほど付けておき戻すと、半分ほどに切って、オムレツに入れて食べたり、シチュウーに入れたりして食べた。
「あったかもしれないけど、どこにあるかわからない」
その日の夕飯は熊野神社の生の網笠茸の料理を楽しんだ。
そのおかげでビールがすすんだ。
その夜、夢を見た。
公園を散歩している。後ろから歩いてきた網笠茸が追い抜いていった。ちらっと私のほうを見たので、
「何で急いでいるんだ」と声をかけた。
「ひどくなってきたので薬屋さんにいくところよ」
女声で返事がかえって来た。
「あ、失礼、男性かと思ったので」
「あら、いいのよ、男でも女でもいいじゃないの」
なかなか現代的なさばけた茸である。
「どうしたの」
「ほら、あばたが酷くなって、となりに生えていたタンポポがそのぼこぼこどうしたんだなんて言うんですもの」
「それが網笠茸の特徴でいいと思うがな」
「それはお他人から見た時の勝手な思い、本人になってみなさいな、普通のつるんとした笠が羨ましいと思うんだから」
確かにそういうものだろう。
「あばたに効く薬をあの薬局で売ってるのかい」
「どうでしょう、行ってみないと分からないわ」
「でもそんなに急ぐことはないのに」
「茸の命は短いの、あっという間よ、茸虫に食われてすぐ傷物になるし」
そうかもしれない。
「転ばないように行ってらっしゃい」
編笠茸は走って薬局の方に行ってしまった。
次の日の朝、庭に水を撒いていると、門の前を編笠茸が歩いている。昨日の編笠茸のようだがちょっと色が白い。
「おはよう、薬局にいい薬あったかい」
「あら、このおうちだったの、それが茸のでこぼこを直す薬は無い何ていわれちゃった、ひどい薬局、それでも保水のクリームを買って凹んでいるところに塗ったんだけどやっぱりだめなのよ」
自分と同じくらいの背の高さの網笠茸が近寄ってきた。頭、いや、顔を近づけて自分に見せた。何にも変っていない。
そこへ雨子が「どなたかみえているの」と家から出て来た。話し声が聞こえたのだろう。
「あら、網笠茸さんどうしたの」
顔見知りなんだろうか。
「ご主人には言ったんだけど、このでこぼこ治そうと思って薬局に行ったのに、薬はないって突っぱねられたの」
「薬屋なんてそんなもんよ、化学的なものはだめ、やっぱり生よ、私の化粧水をつけてごらんになる」
「え、うれしい」
網笠茸は玄関からあがっていくと、雨子と一緒に二階の部屋にいった。玄関を見ると、大きなピンク色のハイヒールが一足だけぬいであった。足元を見なかったがハイヒールを履いていたんだ。
女同士何をやっていたのかわからないが、しばらくすると二階の雨子の部屋からおりてきた。
「よく効く化粧水、奥さんいいものをお持ちになっていてよ、ちょっといただいちゃった」
私はぎょっとした。編笠茸のでこぼこがなくなって、真っ白でつるんとしている。まるでノッペラボーだ。編笠茸じゃなくて、細長い白いヘルメット茸だ。だが本人はとても嬉しいと見えてうきうきしている。
雨子も降りてきた。
「奥さん、ありがとう、私も化粧水作ってみる、顔も作るから」
そう言って編笠茸は僕のほうをむいた。玄関で嬉しそうにハイヒールを履いた。つるんとした編笠茸は一本足でぴょんと玄関から出て行った。
「おまえそんなによく効く化粧水をもっていたんだ」
「わたしがつくったのよ、へちま水」
そこで眼が覚めた。
今日は日曜日、朝食を食べて庭にでてみると、庭にタンポポの花がいくつかさいていた。ふと見ると、一つのタンポポの脇に、網笠茸が生えている。とうとう自分の家にも網笠茸が生えるようになった。
猫の玉が庭にでてきて、足元にきた。
玉が鼻を網笠茸のそばに寄せるとふすふすとかいだ。すると網笠茸は迷惑そうに背を縮めた。玉が右の前足でぽんと網笠茸を軽くたたいた。
網笠茸が玉に頭突きをくらわした。玉が逃げると、網笠茸がおいかけた。
玉は塀から飛び出すと外に遊びに言ってしまった。
網笠茸がこちらを向いた。女性の顔がある、つるんとしている、どこかで見た顔だ。
「イギリスを追い払ったわ」
といった。なんだ、網笠茸のやつ、なんでそんなことをいったんだ。
「あたしは、ジャンヌダルク」
そうか、だけど、玉がおわれちまった。
「どうして猫がイギリスなんだ」
「猫だろうが、犬だろうが、私のフランスよ」
「ジャンヌさん、ここは我家の庭、猫も家族、仲良くしてくれよ」
「あら、ごめんなさい、そんじゃ、玉に謝っといて」
なかなか素直なジャンヌダルクだ。
「ところで、昨日、編笠茸を食べましたわね」
「バター炒めで食べた、おいしかった」
「そりゃああたしはおいしいでしょう、だけど、生で食べちゃだめよ、気持ち悪くなるわよ」
それは初めて知った。
「ヒドラジンという物質を含んでいて、危ないのですよ、ヒドラジンは毒物に指定されています、だけど一度湯がいて加熱調理をすれば大丈夫ですよ」
「乾燥したのはどうだろう」
「まあ、生と同じようにしたほうが無難ですね」
「あの味はたいしたもんだよ」
「アデニル酸やグアニル酸をたくさん含んでいますから」
よく知っていると思ったが、網笠茸本人だからあたりまえか。
「網笠茸はアメリカではミネソタ州の州の茸になっているほど、西洋では好まれるのよ、どうして日本はだめだったのかしら」
「日本には四季があってね、茸は秋と思い込んでいたんだよ、日本人は」
「あら、フランスにも四季はあるのよ、春は三月から五月」
「日本と同じなんだな、そいじゃ日本人の思い込みだね」
「あたし火あぶりよ、焼かれたの、焼いたのも食べてね」
「あなた、お昼寝長すぎるよ、そろそろおきたら」
ん、なんだ。また寝てたのか。
「ルアンであなたが買ってきた乾燥編笠茸でてきたのよ」
「生じゃだめだよ」
「なにいってるの、これよ」
キッチンに行くと、雨子が皿の上に干からびた網笠茸をボールにだしていた。一つ摘み上げ、じっくり見た。
「ジャンヌダルクもしわくちゃばばあだな」
雨子が変な顔をした。
「あ、いや、干からびちまった、だいじょうぶかな」
「はじめからこうよ、水に夕飯作るまでおいとくのよ、もとにもどるわよ」
「焼いて食べる」
「焼くのがいいの、それじゃホイル焼きにしようか」
かないがボールに水道の水を流し込んだ。火あぶりの前に水攻めだ。
夕方、流しの中においてあったボールの中を見た。
ドラクロアの絵が目の前をちらちらした。
ふくよかなジャンヌダルクが赤いハタをもってぷかぷか浮いている。その周りにはあばただらけの農民たちがくわをふりあげている。
玉が流しにとびあがり、ボールのなかを覗き込んだ。赤い舌をだしてペチャペチャ水を飲んだ。
今日は五月三十一日、処刑の日だ。
ルアンの網傘茸
茸指小説集「夢見茸、一粒書房、2027年」に掲載予定
絵:著者